2015年7月27日月曜日

2015.07.25 混声合唱団コール・ミレニアム第13回定期演奏会×アウローラ管弦楽団

東京芸術劇場 コンサートホール

● 開演は午後2時。チケットはS席で3,000円。当日券で入場。せっかくだからS席にした。

● この合唱団の演奏会は初めて。管弦楽はアウローラ管弦楽団で,こちらはすでに何度か聴いている。
 曲目はつぎのとおり。指揮は山下一史さん。
 ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調
 モーツァルト レクイエム ニ短調

● ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番は,CDを含めても聴いたことがない。プログラムノートによれば,この曲はショスタコーヴィチが息子マキシムのために書いたらしい。
 印象としては,ショスタコーヴィチらしからぬ(と言っては,型にはまりすぎるのかもしれないけれど)軽快な曲。軽い。綿毛のようにふんわりとしている。ときに眠気を誘うようなところもある。

● ショスタコーヴィチといえば,ソヴィエトロシアを生きなければならなかった第一人者としての葛藤や,生命をかけた面従腹背が喧伝されることが多い。そのショスタコーヴィチにこういう作品があったとは。
 われながら不明の至りだ。汗顔の至りっていうやつだ。

● 映画音楽に使えそうなフレーズが随所にある。その映画は男女のドロドロした愛欲を描いたものではなく,まして「宇宙戦争」のようなSFっぽい戦闘ものでもなく,青春のありがちなドラマを描いたものがいいかもしれない。
 ピアノは赤松林太郎さん。軽々と弾いていた(ように思えた)。こんなんでどうですか,みたいな。

● 20分間の休憩後に,合唱団が入場。コンサートホールの端から端まで並んで4列。大合唱団といっていいだろう。ソリストは,松本美和子(Sop),菅有実子(M.Sop),高橋淳(Ten),大沼徹(Bar)。
 モーツァルトのこの曲は生も含めて何度か聴いているんだけど,今まで何を聴いていたんだろうと思った。あ,こういう曲だったのかと思いながら聴いていた。

● 合唱の水準は素晴らしい。人の声という楽器のみが持つ問答無用の存在感。その集合である合唱が生みだす空気の震え。
 これだけの人数がいて,突拍子もないのがいない。当然だろと言われるかもしれないけれども,案外そうでもないのが,世にあまたあるアマチュア合唱団の実態ではないか。

● CDと生との落差が最も大きいのが合唱だと思う。次が管弦楽。ゆえに,こういう曲こそ機会を捉えて生演奏を聴くようにしたい。

2015年7月22日水曜日

2015.07.20 オーケストラフェスティバル in 鹿沼

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 鹿沼には中学校,高校に管弦楽部があり,ジュニアオケがあり,大人の鹿沼フィルがある。それらが一堂に会して一緒に演奏しましょう,という催し。
 こういうことをやれるのは,宇都宮を除けば,栃木県では鹿沼だけだろう。

● というわけで,この日も暑かったけれども,出かけることにした。
 鹿沼駅から会場まで,30分は歩くことになる。タクシーを使えるほど偉くないからね。

● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
 宇都宮発13:02の日光線に乗って,会場に着いたのは開演10分前だった。

● まず,鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ。グリーグ「ペールギュント組曲」から“朝”と“山の魔王の宮殿にて”。それと,シベリウスの2番の第4楽章。
 指揮は益子和巳さん。東中学校の先生だ(と思う)。ジュニアオケの主力は東中学校なのかもしれない(そうではないのかもしれない)。

● 出だしのフルートに驚いた。驚いているうちにあっという間にシベリウスまで終了。
 弦も安定している。もっとも舞台に近い列の,前から4番目に座っていた1stヴァイオリンの女子生徒の所作がきれいで,これも印象に残った。
 もちろん,彼女のヴァイオリンが発する音を聞き分けることなどできるはずもないわけだけど。

● 次は鹿沼フィル。モーツァルトの「魔笛」序曲。ジュニアがこれだけの演奏をした後にやるのは,ちょっとやりづらくないかと心配をしたけれど,余計な心配だったようだ。

● 続いて,西中学校管弦楽部。先ほどのジュニアオケのメンバーが制服に着替えて登場した。
 演奏したのは,ベートーヴェンの「エグモント序曲」。こういう曲を中学生がやるのかと思い,次にやれるんだなと思った。

● もちろん,いくつかの瑕疵は避けられないわけで,でもそうした瑕疵に接するとホッとするのは,どういうわけのものなのか。
 この曲を中学生に完璧に演奏されたら,それこそこちらの中学生観が基礎から崩れてしまう,からか。

● 最後は,東中学校オーケストラ部。ファリャの「三角帽子」から“終幕の踊り”。これもまた難しい曲を持ってきたものだ。
 その難しい曲をほぼ完璧に演奏しきった。技術の高さは特筆もの。技術なんだから有無を言わさない。厳然としてそこにあるわけだから。

● ハープとピアノが入る大編隊で,ハープもピアノも当然,生徒が担当する。東中の水準の高さはすでに承知している。
 それでもなお,これほどの規模でこれだけ整った演奏ができるというのは驚きだ。

● 休憩後に,合同演奏。ここには鹿沼高校も加わっていたようだ。たぶん,ジュニアのメンバーにも高校生がいたのだろう。
 合同となると,練習時間もそんなには取れないだろう。どうしても音が散ったり,逆に団子になったりするのではないか。息が合わなかったりもするんだろうし。
 というわけで,ぼくとしては前半の個別の演奏が聴ければいいやと思っていた。合同演奏はイベントの華にはなるだろうけど,実際に聴いたらそんなに面白いものじゃないだろうな,と。

● 演奏したのはシベリウスの「フィンランディア」と,ホルストの「惑星」から“木星”。
 鹿沼フィルの神永さんもオーボエを抱えてアシストに入っていた。要するにオールキャストだ。
 指揮者(安藤純さん)の説明によると,このメンバーで練習できたのは前日のみとのこと。当然,そういうことになるだろう。

● ではあっても,盛りあがりはすごかった。ステージに高揚感があった。
 コンマスは西中の男女生徒が交替で務めた。いい思い出になるのか,そうでもないのか。

● この日,日光では大雨に見舞われたらしい。鹿沼は猛暑,隣の日光は大雨。

2015.07.19 栃木県交響楽団演奏会

壬生町中央公民館 大ホール

● 県北のJR沿線に住むぼくからすると,栃木県の中でも心理的に遠い市町がある。合併前の粟野町とか,やはり合併前の葛生町や田沼町。東京よりはるかに遠いという感じ。
 はるかな昔は上三川町もそうだったけれども,新4国ができてかなり身近になった。
 もちろん,これらの地域に住んでいる方々にすれば,おまえが遠いところに住んでるんだろうよってことですけどね。

● 壬生町もそのひとつ。壬生についてぼくが知るところはほとんどない。その壬生に出かけた。
 もう夏は猛暑に決まっている。今さら今年は猛暑だと驚くこともない。
 それでもねぇ,東武の壬生駅から会場の中央公民館まで2キロ程度だろうか。その2キロが老いの身にはこたえるわけですよ。

● なんて言ったらいいのかねぇ,まもなく人が住める気象条件の限界を超えてしまうんじゃないかと思った。
 世界を見れば,信じがたいほどの過酷な気象のもとで生を営んでいる人たちがたくさんいるんだから,この程度の暑さでヘタれていてはいけないんだろうけどさ。

● 開演は午後2時(ゆえに,駅から会場まで歩いたのは,1日で最も暑い時間帯だったわけですな)。チケットは2,000円。当日券を購入。
 座席は指定される。ただし,SだのAだのっていう格付けはなし。

● 曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」
 シューマン ピアノ協奏曲 イ短調
 ベートーヴェン 交響曲第5番
 メンデルスゾーンとベートーヴェンは,6月の定演でも演奏されたもの。シューマンのピアノ協奏曲が今回の新たな演しものとなる。
 指揮者も定演のときと同じ,三原明人さん。

● まず,「イタリア」。1ヶ月前に同じ栃響の演奏で聴いているわけだけれども,生演奏の一回性を痛感することになった。
 演奏する側も同じ演奏はできないはずだし,聴いているこちら側も同じ体調,同じ条件で聴くことはできないわけだから。ホールも別だし,座席の位置も変わっている。

● 若きメンデルスゾーンがこの曲にこめた光と影。全体に遍在する心地よい緊張感。それが練達の演奏によって表現される(ほめすぎか)。
 この楽団の弦はアマオケではトップクラスといっていいだろうし,管にはばらつきが見られるものの,すごい手練れがいる。

● 前回は聴き逃していたと思ったのは,第2楽章冒頭のファゴット。これ,効いてるなぁ。じぃぃんと来る。

● かつて,シューマンについて吉田秀和氏が次のように書いた。
 シューマンの指揮者は,いわば,どこかに故障があって,ほっておけばバランスが失われてしまう自転車にのって街を行くような,そういう危険をたえず意識し,コントロールしなければならない。あるいは傾斜している船を,操縦して海を渡る航海士のようなものだといってもよいかもしれない。(『世界の指揮者』新潮文庫 p32)
 この曲にもそれがあてはまるのか。どっちにしてもぼくの惰耳ではそこまでの機微は感じ取れないわけだけど。

● そのピアノ協奏曲でソリストを務めたのは地元出身の佐藤立樹さん。2年前に,同じこのホールで,プラハ放送交響楽団をバックにショパンの1番を演奏したのを聴いている。
 そのときの印象は,固くなっていたかなっていうもの。見当違いの印象だったかもしれないけど。今回は伸び伸びと弾いていたような。

● この曲においては,管弦楽の要はオーボエのように思われた。そのオーボエに不安はまったくない。ソリストとの絡みにもさりげなく入っていき,役割を果たすと,静かに退出する。
 優雅なものだ。技術の裏打ちがあってのものだけれども,なんていうのか,ほどの良さが好印象だ。

● ベートーヴェンの5番は熱狂のうちに終了したという感じ。
 しかし,総じて言うと,6月の定演のほうが,こちらに響いてくるものは多かったような気がする。
 同じ曲だから,演奏という刺激に対して,こちら側が馴れてしまっている。そこのところが難しい。

● 本番の前に弦のミニコンサートがあった。指揮者の三原さんもヴィオラを抱えて参加。彼の楽しそうな様子が印象に残っている。
 それとお客さんの平均年齢が,定演(宇都宮)と比べると若干若め。この暑い中,ちゃんと装いを整えて来ていた若いお嬢さんが何人かいて(当然,車でしょうね),しかも美人だったりするから,しっかり眼福に与ることができた。

2015年7月6日月曜日

2015.07.05 スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団 栃木公演

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後3時。チケットはS席だと9,000円。うーむ,9,000円か。で,ひとつグレードを下げて,7,500円のA席にした。
 かなり早い時期に買っておいたので,限りなくS席に近いA席だったと思うんだけど。

● 曲目は次のとおり。
 スメタナ 交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
 ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調
 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 

● ごく自然な選曲だろうけど,2年前のプラハ放送交響楽団のときも,「モルダウ」と「新世界より」が演奏された。
 この楽団でベートーヴェンやブラームスも聴いてみたい気がする。いや,今回の演奏に不満があったわけではまったくないんですけどね。

● 指揮は常任客演指揮者のレオシュ・スワロフスキー。セントラル愛知響の音楽監督も務めている人。
 楽団員もそうなんだけど,ユーザーフレンドリーですよね。客席に愛想をふりまく。
 外国の楽団はだいたいそうだと思うんですけどね。少なくともステージ上ではそういう振る舞いをする。ステージを離れたところではどうなんだかわからないけど。

● 女性の比率が少ないのも,日本のプロオケ(ただし,N響を除く)と違うところ。これはどういうわけなのか。
 どういうわけなのかって,歌舞音曲は女子供のものっていう感覚がないってことですか。
 でも,それだけじゃなくて,ヨーロッパってけっこう保守的で,女性をなかなか受け入れない体質があるんじゃないんですか。だからこそのレディファーストなんじゃないのかねぇ。
 日本では江戸時代の昔から家庭の実権はカアチャンが握っていた。民法が女性を行為無能力者にしたのは,明治になってからの話だ。しかも,たかだか法律世界の話。

● スロヴァキアの語源はスラヴだろうから,スラヴ民族の国なんだろうけど,ゲルマンやマジャールとの境界区域でもある。実際には,混血が進んでいるんだろう。
 スロヴァキアっていう国には行ったことがない。行ってみたくもあり,かといって,ちょっと行ってくるかってわけにもいかないところにあるもんねぇ。

● さて,まず「モルダウ」。音の厚みと躍動感に感動した。「モルダウ」ってこういう曲だったのかと思ったほど。
 厚くても重くはない。軽味がある。そう聞こえるのは,切れがあるからだ。
 それと,瞬間の爆発力というか,一点に音を集めるその鮮やかさが印象に残った。

● ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストは地元出身の宮田大さん。拍手もひときわだし,彼が出るから聴きに来たというお客さんもいるに違いない。
 吹っ切れた演奏だったように思えた。おれのチェロはこれなんだよ,文句あるかよ,っていう感じ。

● 協奏曲っていうと,ソリストと管弦楽を対比して見がちなところがぼくにはある。「対比≒対決」でもある。
 だけど,協奏曲の演奏中,ソリストと管弦楽は互いを聴きあいながら対話しているのだろう。対話の中には対決的対話もあるはずだけれども,互いの実力に対するリスペクトが対話の前提となる。
 その対話がひじょうにスムーズに行っていたのではないか。勇者はかくあるべし,という何の脈絡があるのかわからない感想が浮かんできた。

● 「新世界より」も圧巻だった。圧倒された。
 テンポ感がぼくらと違うのかもしれない。同じ楽章での場面転換に対する対応がじつに小気味いい。時間にすれば0.1秒かそれ以下だと思うんだけども,間が短いんだね。こいつらとサッカーで戦って勝つのは大変だなぁと,これまた少々ずれた感想ですけど,思ってしまった。

● 管弦楽のアンコールは,スラヴ舞曲第15番。これを生で聴くのは,ひょっとしたら初めてかもしれない。 
 ちなみに,宮田さんのアンコールは,バッハの無伴奏第1番“プレリュード”。しっとりと聴かせてもらいましたよ。得した気分。

● 余韻を味わっていたかったけどねぇ,貧乏性はどうしようもないな。そそくさと帰途につき,あっという間に日常に溶けてしまった。

2015年6月29日月曜日

2015.06.28 那須野が原ハーモニーホール サマー・フレッシュ・コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● このコンサートは那須野が原ハーモニーホールの定例行事になっている。昨年も行ったし,一昨年も行った。
 開演は午後2時。チケットは2,000円。座席は指定される。

● 第1部は「第83回日本音楽コンクール優勝者コンサート」。登場したのは,吉田南さん(ヴァイオリン)と佐藤晴真さん(チェロ)。
 お二人とも高校生だ。若い才能が次々に出てくるんだなと思わないわけにはいかない。どんどんひしめき合うイメージ。

● まず,吉田さん。演奏したのはモーツァルトの「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調」。もちろん,管弦楽の代わりにピアノ伴奏になった。その伴奏を務めた女性,何度か聴いていると思うんだけど,名前がわからない。申しわけない。
 2曲目は,ガラッと曲調が変わって,サン=サーンスの「ワルツ形式の練習曲」。

● 桐朋女子高校のまだ2年生。演奏は,ぼくなんかの評価は歯牙にもかからない水準だと思う。弦を押さえる左手の動きなんか,神の手にしか見えなかった。
 「ワルツ形式の練習曲」は超絶技巧のオンパレードじゃないですか。ぼくがもし真似たら(真似られないけど),何度かヴァイオリンを取り落とすに違いない。

● 愛くるしさを残す顔立ちだけれども,これからどんどん美しくなっていくのだろう。
 そういうところも含かめて,まぶしい存在。快い敗北感を味わわせてくれるっていうか。

● 佐藤さんは,藝大附属の3年生。ブリテンの「無伴奏チェロ組曲第1番」を演奏。こういう曲を高校生が演奏するっていうこと自体が,なかなか腑に落ちないわけですよ。
 でも,腑に落ちようが落ちまいが,現に目の前で演奏している彼がいて,その音が聞こえてくるわけで。

● これは奏者にとってのみならず,聴き手にとっても難解な曲だと思う。佐藤さん自身が書いた曲目解説がプログラムに掲載されているんだけど,それを読まずに聴いたとしたら,「祈りよりももっと強烈で鮮明な平和への訴え」を聴き取ることはできないだろうと思う。
 初めてこの曲を聴いて,平和への訴えを読み取ることができるのは,作曲家が作曲したときの時空間を共有している(していた)人に限られそうだ。

● 聴いていると,勝手に脳内にイメージが浮かんでくる。渓流のような流れにもっと細い流れが何本も合流するというイメージだったり,星ひとつない漆黒の闇夜だったり。
 まぁ,でもブリテンがそういうイメージを描いて曲を作っているはずもないわけでね。

● 低く小さくうねっていく。奏者にはかなりの集中を強要する。長い曲だから,相当大変だろうと思われた。が,その低く小さいうねりが,客席には睡眠導入剤的な効果を発揮することもあったようだ。
 ピッツィカートもペチャッとしないで,ふくよかに立ちのぼってくる。この弾き手ならそんなの当然。気持ちがいいものだ。

● 第2部は「ラフマニノフとバッハ」。
 大嶋浩美さん(ピアノ)による「楽興の時」。ん,これのどこが楽興なんだ,と思う。重くてシリアス。むしろ苦悩を歌っているのかと思いましたよ。

● 組曲ともいえる長い曲で,聴きごたえは充分すぎる。ときに超絶技巧と思われるアクロバティックな弾き方もあるので,見てても面白い。
 面白いという言い方もどうかと思うんだけど(弾き手はそれどころじゃないだろうから),そこは聴き手の特権でしょうね。美しい弾き手の動きの変化を見て楽しむ,という。

● 続いて,金子鈴太郎さんのチェロ。バッハの無伴奏チェロ組曲の2番と6番。このコンサートのたびにバッハを演奏してきて,今回が最終回。これで無伴奏チェロ組曲のすべてを演奏したことになるんだろうか。
 で,以前の記憶はすでに朧なんだけども,今回が最もこちらに響いてきた。演奏側よりもこちらのコンディションとか座席の位置とか,そういうところによる部分が大きいんだろうと思っているんですけど。

● バッハの曲って,無伴奏チェロ組曲に限ったことではないんだけど,自分でも気づかない自分の琴線をやんわりと愛撫してくるような,そんな快感も感じさせてくれる。それでいて崇高だ。
 クラシック音楽の歴史はバッハから始まる? とすると,完成型から始まったことになりそうだ。あとは時代の空気が何かを削ったり,何かを付け加えたりしただけだとも思いたくなる。
 そこまで単純に言ってしまうと,知性の欠如をさらけ出しているようなものですかね。

● 金子さんが曲に向かう際の息づかい,踏みこむときの気の載せ方,演奏している最中の気分の調整。そういうものが,ヴィヴィッドに伝わってきた(伝わってきた気になっているだけかもしれない)。
 曲の解釈というけれど,奏者にとっての解釈は頭だけでは終わらないんだな。

● 演奏後の消耗ぶりも。2番はチューニングなしで通したけれども,6番では二度,チューニングを入れた。なぜそのタイミングでのチューニングだったか,金子さんにしかわからない。あるいは,金子さんにもわからないかもしれない。
 が,消耗と無関係ではなかったように思われた。

● 聴き終えたときには,こちらもグッタリと疲れていてね。こういう疲れるような聴き方は,聴き方として根本的に間違っているのではないかと思うんだけどねぇ。
 が,この時点で開演からすでに2時間を経過してたんで。これだけ高密度の演奏をずっと聴いていれば疲れますかねぇ。

● 第3部は「那須野が原の夏に歌う」。
 那須野が原ハーモニーホール合唱団による,フォーレ「レクイエム」。今年の3月にも同じ合唱団の同じ曲を聴いている。
 そのときと違ったのは,管弦楽がなかったこと。今回はオルガン伴奏で演奏された。そのオルガンは3月と同じジャン=フィリップ・メルカールト氏。ソプラノは横森由衣さん。バリトンは加耒徹さん。

● 三大レクイエムというけれど,たぶん,フォーレのこの曲が一番人気なのではあるまいか。少なくとも日本ではそうではないかと思う。
 モーツァルトやヴェルディに比べて,小体で洒落ている。アーバンチックで洗練されている。何より宗教臭が薄い。それやこれやで,聴く前のさぁ聴くぞという踏ん切りも大仰じゃなくてすむ。

● 合唱団はどこでもそうであるように,ここも女声優位。しかも圧倒的に。だから,いいとかよくないとか,そういう話ではない。こちらにとって,それは所与のものだ。
 実際の話,そうであっても,こちらに格別の不都合はないわけでね。

2015.06.27 作新楽音会 Dream Concert 2015

栃木県教育会館 大ホール

● 作新楽音会とは「作新学院高等学校吹奏楽部の卒業生によって結成された吹奏楽団」。ちなみに,OB・OGは1,117人にのぼるという。
 ただし,ざっと目には平均年齢はだいぶ若い。卒業して間もないOB・OGが多いようだ。現役の大学生もいるようだった。

● 仕事だけならまだしも,家庭まで持ってしまうと,なかなか演奏活動を継続するのもままならないのかもしれないし,社会人の吹奏楽団もいくつもあるわけだからそちらに参加している人もいるのかもしれない。
 ともかく,フレッシュ感あふれる吹奏楽団という印象。

● 司会進行もOGが務めた。真面目な進行で好感が持てた。巧くやろうとしていないところがね。

● 開演は午後2時。入場無料。
 2部構成で,第1部がシンフォニックステージで,第2部がポップスステージ。第1部の指揮は,OGの大貫茜さん。本職はサックス奏者。
 音大卒ではない。高校と大学の吹奏楽部で修行したようだ。

● 作新高校の吹奏楽部には三橋先生という熱血漢がいて,彼が求心力を発揮していると思われるのだけれども,三橋先生の前に顧問を務めていた石塚武男先生も第2部で登場。2曲ほど指揮棒を振った。
 この先生も魅力的な人だった。すでに退いている気楽さもあるのかもしれないし,たいていのことは言ってもやっても許される年齢になっていることもあるのかもしれない。飄々とした枯れた感じがとても良かった。
 が,指揮の最中は腕は上がるし,動きは機敏だ。プロの指揮者も長命な人が多いんだけど,指揮と長命は何か関係があるのかねぇ。指揮者って,もともと運動神経が優れた人じゃないと務まらないと思える。そういうことも影響してるんだろうか。

● その石塚先生が指揮した「オリーブの首飾り」が最も印象に残った。CMで使われているし,テレビでしょっちゅう聞いているメロディーが出てくるから,馴染み感があったのが一番の理由だろう。
 最後の「ラピュタ-キャッスル・イン・ザ・スカイ」も耳に残った。柔らかい感じを受けた。シルクの肌触りってやつ? 心地いいわけですよね。

● アンコールも2曲あって,石塚さんと三橋さんが,それぞれ指揮を務めた。聴いている分には,和気藹々とした楽団だなと思える。実際にはいろいろあるんだろうけど。
 っていうか,和気藹々だけだったら,成果品の水準も落ちるはずだよね。

2015年6月22日月曜日

2015.06.20 とちぎクラシック・カフェVol.3 奥村 愛

栃木県総合文化センター メインホール

● カフェ・マスターは山田武彦さん。言わずと知れた日本の代表するピアニスト(の一人)にして,洗足学園の教授も務める。
 常連マダムが松本志のぶさん。こちらも言わずと知れた元日テレアナウンサー。この二人がホスト役になって,毎回違ったゲストを迎えるという趣向。
 といっても,山田なさんは演奏もするわけなので,進行役は松本さんが主に担う形。

● で,今回のゲストは奥村愛さんですよ,と。ぼくはこのシリーズにお邪魔するのは初めてなんだけど,それもゲストが奥村さんだったからですよ,と。
 これまた言わずと知れた,日本の代表的なヴァイオリニストにして,ヴァイオリン界を代表する美形でありますね。

● プログラムは次のとおり。
 エルガー 朝の歌
 クライスラー 愛の喜び
 クライスラー 愛の悲しみ
 ドヴォルザーク(クライスラー編曲) スラヴ幻想曲
 クライスラー 前奏曲とアレグロ

 シュトラウス(山田武彦編曲) 「薔薇の騎士」ワルツ
 ヘス(加藤昌則編曲) ラヴェンダーの咲く庭で
 ブラームス(ハイフェッツ編曲) 5つのリートより第1番
 ヴィエニャフスキー 創作主題による華麗なる変奏曲

 (アンコール)
 チャップリン スマイル
 モンティ チャルダッシュ

● 「薔薇の騎士」ワルツのみ山田さんのピアノ独奏。あとは,山田さんの伴奏で,奥村さんのヴァイオリン。
 穏やかにあるいは軽やかに始まって,その軽やかさを損ねないようにしつつも,後半から徐々にシリアスさが勝ってくるという感じ。

● が,一気に頂点に駆けのぼった感があるのはアンコールの2曲。
 チャップリンの「スマイル」は映画『モダン・タイムス』で使用された曲というのは,事後に知ったこと。初めて聴いた。『モダン・タイムス』も見たことがない。モンティの「チャルダッシュ」は言うにや及ぶ。
 最後に頂点が来た。演奏してるほうはまた違うのかもしれないけれども,この組立ては計算されたものであることは言うまでもない。

● 合間合間にトークが入る。奥村さん,サラブレッドですよね。成るべくして成ったという感じ。
 もちろん,馬のサラブレッドだって,血統がよければ必ず活躍するかといえば,そんなことはないわけで,音楽界のサラブレッドも途中で消えていった人も多いに違いないとは思うんだけどね。

● 男は美人に弱い。これは間違いない。もっといけないのは,美人は弱いと受けとめがちなことだね。オレが助けてやらなきゃみたいなね。美人=深窓の令嬢=世間知らず=だまされやすい,的に考えてしまうんだな。
 実際はそんなことはないわけでね。奥村さんは涼やかな美人だけれども,弱くはない。っていうか,かなり強くてタフ。陽性の人という印象。普段の生活ではあけっぴろげで,あまり構えを作らない人のように思われた。