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2021年11月19日金曜日

2021.11.14 オーケストラ・ノット AFF特別演奏会 #3

かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。事前予約制。【teket】で事前に電子チケットを購入しておく方式。
 コロナとの関係で言えば,もう従前のやり方に戻しても何の問題もあるまい。感染対策は事実上不要になっている。紙の当日券を現金販売してもOKだし,もぎりを復活させても差し支えない。
 が,ぼく一個はコロナ収束後も【teket】を使った電子チケット制を維持してくれるとありがたいな,と思っている。面倒がないからだ。スマホで座席の指定と支払いまですませられるのだから,一切の煩わしさから解放される。

● このオーケストラは藝大をはじめ音大の現役学生が主体のようなので,れっきとしたアマチュアオーケストラであるのだが,活動の旺盛さにおいてはアマオケ界では全国一ではあるまいか。
 ぼくは2020年2月に第9回演奏会から聴いている。第1回が2018年6月だから,かなりの頻度で演奏会も重ねているわけだ。AFF特別演奏会 #2 を催行したのは先月だ。

● 事務的な作業を苦にしない熱心な推進者がいるからできる。それが楽団代表の高橋勝利さんなのだが,NPO法人設立にまで持っていくのだから,なかなかどうして生半なことではない。縁の下の力持ち的な役割も買って出ているようにも見える。
 「頑張っている若手音楽家をサポートする目的で」と言ってる。もちろん,それを疑うものではないのだが,それだけではなくて自分が若手と一緒にやりたいというのが,その前にあったのだろうと推測する。
 それがなくて,たんに若手音楽家をサポートするためだけなら,ここまではやれないのではないかと思うからだ。

● 曲目は次のとおり。指揮は山上紘生さん。
 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
 ベートーヴェン 交響曲第7番

● これはぼくに限ったことではないと思っているのだけど,観客の耳の解像度はけっこう粗い。日本の音大の現役生が演奏している音声とトッププロのそれを(目隠しして)聴いたときに,過たず区別できる人はさほどに多くはあるまいと思う。
 聴覚は9歳で完成するらしい。もしそうなら,細かい緻密な解像度を持つためには,9歳になるまでに然るべき訓練が必要になる。
 それをしないまま2桁の年齢になってしまった人が,今日の演奏はああだったこうだったとホザくのは,ビールを飲みながらテレビでプロ野球のナイター放送を見て,プロ球団の監督の采配についてああだこうだと評してやまないオトーサンと同じだ。
 そのホザきは,ほとんどの場合,錯覚に基づいている。ホザケるだけの情報量は持っていないはずだ。耳の解像度が粗いんだから。
 と言いつつ,これからぼくもホザくわけだが。

● まず,ヴァイオリン協奏曲。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ってこういう曲だったっけと思いながら聴いていた。
 これほどの曲ともなれば,いかなぼくでも,CDで何度も聴いている。どういう曲なのかは知ってるつもりでいる。が,既視感(既聴感)が薄かった。
 なぜそう感じたのかがわからない。変わった演奏だったというわけじゃない。ひょっとして,前半は寝てたのか,俺。

● 独奏は吉本萌慧さん。藝大院に在学中。すでに述べたとおり,彼女の演奏とすでにビッグネームになっているプロの演奏との違いが,ぼくにはわからない。
 小さい頃からヴァイオリンをやっていて,日々の中心にヴァイオリンがあり,そのヴァイオリンとたくさんの日々を重ねてきた。その結果の凄みのようなものはたしかに感じる。自分にはこれしかない,これで勝負するしかない,という潔さが凄みの下にあるのだろう。
 が,同時に将来への漠然とした不安もないはずがないと思うのだ。色んなものを抱えている。誰でもそうだといえば,それはたしかにそうなのだけど。

● 交響曲第7番は躍動が服を着てステージで踊っているような演奏で,客席が喜ぶまいことか。ぼくの斜め前の爺さまが,曲に合わせて指先を動かしたり,腕を上下させていた。それが気になってしょうがないというオマケまで付いた。
 この曲はフルートがカッコよく見える。男性の奏者だったが,やっぱりカッコいい。

● かつしかシンフォニーヒルズに来るのは何年ぶりになるだろう。駅前の様子,駅からホールまでの風景も変わりはない。緊急事態宣言中も今と同じようだったのではあるまいか。
 この街は銀座や大手町とは違う。ここで暮らしている人たちで成り立っている。コロナウィルスが猖獗を極めていようとそうでなかろうと,そこに暮らしがある以上,際立つような大きな違いが生じるはずがない。

2021年5月11日火曜日

2021.05.08 オーケストラ・ノット 法人化記念演奏会

ティアラこうとう 大ホール

● 灯火管制(?)をかい潜って,東武電車で緊急事態宣言下の東京に向かっている。
 わが町からもワクチン接種の通知が届いているが,まだ収束は先の話。当分はコロナと共存していかなければならない。

● 緊急事態宣言が出ているのに通常運転を続けるホール。それをいいことに予定どおりに開催を強行するオーケストラ。
 ・・・・・・素晴らしい。これまでの約1年間で得られた知見に照らして,これこそが理に適うひと筋の道。というわけで,ティアラこうとう。オーケストラ・ノットの演奏会。

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。事前予約制。【teket】で事前に電子チケットを購入しておく。
 この楽団では入場時にチケットのQRコードを読み取らない。ということは,チケット購入者のうち誰が来て誰が来なかったかはわからない。入場者数を確定できない。
 しかし,それで困ることがあるのかというと,おそらく何もない。連絡の必要があれば購入者全員に連絡してしまえばいい。チケット販売時にメールアドレスは取得しているのだから,連絡手段は確保されている。
 手を抜けるところは抜けばいい。というより,抜いた方がいい。見識だと思う。

● プログラムは次のとおり。指揮は藝大院に在学中の山上紘生さん。
 ヴィエニャフスキー ヴァイオリン協奏曲第2番
 シベリウス ヴァイオリン協奏曲
 シベリウス 交響曲第7番

● ヴィエニャフスキーのヴァイオリン協奏曲はCDを含めても初めて聴く。狭く浅くの聴き手であるなぁ。今日,ともかくも聴いたわけなので,さて,あとは音源を整えよう。ネットにもあるはずだけれども,まぁCDでしょうね。
 ヴァイオリン独創は去川聖奈さん。昭和音大の学部生。昨年10月のアンサンブル・ノット演奏会でグリーグのヴァイオリンソナタ第3番を演奏している。ぼくの耳だとプロ奏者と区別がつかない。
 去川さんのアンコールはハイドン(クライスラー編)の「オーストリア国歌」。オーストリ国家をおまえは知っていたのかと言われるか。知っているはずがない。なぜわかるのかと言えば,司会者が曲名をアナウンスしてくれたからだ。

● シベリウスの協奏曲は当然ながら何度か聴く機会を得ている。今回は吉本萌慧さん(藝大院)のヴァイオリン。ねぇ,もうプロの演奏と何も変わるところはないですよねぇ。
 吉本さんのアンコールは,バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番」より「ラルゴ」。

● オケの演奏はシベリウスの7番。現役の音大生あるいは音大を卒業した社会人がかなりの部分を占めているのだろう。凡百のアマオケとは違う。私たち,好きだからやってます,というそれだけではない。
 この楽団の演奏を初めて聴いたのは昨年2月だが,今日が4回目となる。うち,1回はオケではなく少人数のアンサンブルだったのだけども,活動の頻度が並ではない。この時期に開催するのも,ブルドーザーのような推進力を備えた人がいないと無理としたものだろう。
 組織は多数決で動くことはない。誰かの熱がエンジンとなって動くものだ。

● 曲目解説に「この曲の神髄は,有機的に融合した交響曲の各要素を,凝縮された音の中で表現しきったことにあります」という一文があるんだけれど,“有機的に融合” と “凝縮された音の中” の意味が了解できない。どういうことなのか。
 ま,そういう細かいことはどうでもよろしいか。オケのアンコールは,シベリウス「悲しきワルツ」。

2020年10月31日土曜日

2020.10.31 アンサンブル・ノット 第6回演奏会

豊洲シビックセンター ホール

● 開演は12時30分。入場無料(カンパ制)。ただし,事前申込制。
 曲目は次のとおり。
 ベートーベン クラリネットとバスーンのための3つのデュエット
 フランツ&カール・ドップラー ハンガリーのモチーフによる幻想曲
 プロコフィエフ 「10の小品」より『前奏曲』
 プーランク オーボエ・バソンとピアノのための三重奏曲
 プーランク クラリネットとバスーンのためのソナタ

 メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 第1番 より第1,2楽章
 ロベルト・フックス クラリネット五重奏曲
 モーツァルト 弦楽四重奏曲 第14番「春」
 ベートーベン 管楽六重奏曲
 グリーグ ヴァイオリンソナタ 第3番

 終演は16時をかなり過ぎていたから,4時間に及ぶコンサート。これだけやるんだから,それくらいの時間は要する。

● 主催はアンサンブル・オーケストラ・ノット。その代表者の高橋勝利さんが,クラリネットを担当して4曲に登場。
 出番がないときも,客席に設置した録画録音機器を調整したり,ステージの譜面台や椅子を片付けたり,アナウンスをしたりと,八面六臂の活躍ぶりというか,雑用を一手に引き受けているというか,休む間もなく身体を動かしていた。
 法人化も彼が音頭を取って実務も担当しているのだろう。現役音大生にそんな余裕はないだろうし。でもって,法人化が終了する前から法人化記念演奏会の日程と会場を決めてしまっている。
 いや,このモチベーションはどこから来るんでしょうかなぁ。好きなことだからというだけではないように思えるんだが。

● オーケストラ・ノットの演奏会は今年になってから二度ほど聴いている。アンサンブル・ノットはオーケストラメンバーの分派活動なのだと思うのだけど,ひょっとすると,オーケストラには加わっていないけれども,アンサンブル・ノットでは活動しているという人もいるんだろうか。
 オーケストラの方は音大の現役生とOB・OGで構成されているオケだと思いこんでいたのだが,それ以外のメンバーもいるんだろうか。

● 最も力がこもっていたと思えたのは,最後のグリーグのヴァイオリンソナタ。
 これだけは特別ゲスト登場というわけで,ヴァイオリンは去川聖奈さん,ピアノは近藤大夢さん(2人とも昭和音大の学生)。いずれはノットのメンバーになるんだろうか。

豊洲シビックセンター
● 演奏とは何の関係もないんだけれども,去川さんは熊本県の出身。九州でも福岡と熊本には福岡顔,熊本顔というのがあると思っていて。
 たとえば,橋本環奈の顔は福岡顔だなと思うんですよ。福岡にはああいう顔の女性が多いような気がしている。あそこまでの美形はそうそういないとしても。
 で,去川さんも見ただけで熊本とわかるようなお顔のわけですね。何ていうんだろ,視線が鋭いというか,「チャラチャラしてると張り倒すぞ,てめー」と語ってるような目線というか。
 ぼくのイメージする熊本顔って,そういうものなんですよ。熊本=インド・アーリア説っていうのを,唱えておりまして。いや,まったくどうでもいいような話なんですが。

● 聴いていて面白かったのは2つあって,まずドップラー兄弟の「ハンガリーのモチーフによる幻想曲」。軽快で楽しそうに始まるのだが,だんだんうら寂しくなっていく。
 これはジプシーの音楽だよね。何かさ,俺は昭和の枯れすすきと歌ってないか,みたいな曲調になる。辛い渡世だなぁ的な。
 それだけだと演歌になってしまいそうなのだが,そこはそれ,うら寂しくはあっても湿っぽくはないので,1ミリも演歌にはなっていないのだけど。

● もうひとつは,メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲。華やかだ。これはもう,そういう曲なわけですね。
 ピアノはすでに大人(たいじん)の風格がある嘉屋翔太さん。腕もたしか。こちらは曲の華やぎに身をまかせていればいい。

● そんなこんなで,10月最後の今日,今月4回目になる演奏会を聴くことができた。回数だけで言えば,コロナ以前に戻っている。ので,ぼく一個に関してはコロナは収束したと言っていい。
 まだまだしんどい思いを余儀なくされている人が多いのに,こんなことを言うと不謹慎の誹りを免れないかもしれないが,ぼくのような不謹慎な人間がどんどん増えてくれば,飲食業や宿泊業で大変な思いをしている人たちの負い荷も少しは減るのではないかとも思っている。

2020年9月30日水曜日

2020.09.26 オーケストラ・ノット ファイナル演奏会

 杉並公会堂 大ホール

● 4月5日にティアラこうとうで開催されるはずだったものが,今日に延期になった。4月の開催はどうやったって無理だった。ホール側が首を縦にふることはなかったろうし,もし強行できたとしても,世間から袋叩きにされたろう。街から人がいなくなってシーンとしていた時期だもんな。
 が,再度の延期にすることはなく,今日の催行にこぎつけた。関係者の労を多としたいという上から目線の定例句を述べても仕方がないのだが,ここで延期はしたくないよねぇ。やりたいでしょうよ。


● 開演は午後7時。入場料は1,000円。チケットは事前申込制。当日券もあったのかもしれないが,事前申込が基本だった。チケットはメールで送られてくる。スマホの画面を見せて入場。
 曲目は次のとおり。指揮は山上紘生さん。
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
 スメタナ 交響詩「わが祖国」全曲
 スメタナの「わが祖国」をまとめて生で聴くのは,これが初めて。2時間半に及ぶ演奏会になった。


● まず,ラフマニノフ。ソリストは嘉屋翔太さん。若干20歳。には見えない顔立ちで,遠目には30歳だと言われればそうかと思う風貌だ。非常に大げさにいえば,20歳にしては異形の持ち主だ。異形は天下を取る相と言っていいだろう。大物になることが多い。
 加えて,中学・高校は開成。で,東大に行かずに,東京音大に特別特待奨学生として入学。ピアノの才能と3歳からの積み重ねの大きさが,東大に行くことを許さなかったのだろうと推測する。


● 嘉屋さんの脳とぼくの脳を比べても,ハードウェアとしては変わるところはないと思うんだけどねぇ。インストールされたソフトウェアが違うんだろうかなぁ。
 こういうのはね,考えても詮ないものだからね。人の一生は複雑系に属するもので,初期値のほんの僅かな違いが結果に大きな違いをもたらす,と考えておくより仕方がないよねぇ。
 その昔に流行った行動科学なんぞは,薄っぺらい子供騙しの戯言だったかもしれないね。あれって,操作主義に帰着しそうだもんね。こうすればこうなるって。そんなことはないんだって。複雑系なんだもん。


● 演奏はどうだったかといえば,大過ないという水準をはるかに超えて,とんでもなくハイレベルの仕上がり。ピアノのみならず,オケもすばらしい。現役の音大生を中心に,かつての現役生が加わっているのかと思われるのだが,若さは力なり,を実感したければ,この楽団の演奏を聴けばよい。
 随所で心地良さに浸ることができる。力のこもった演奏だ。その力のこもり具合と技術の高いレベルでの均衡。そうそうあるものではない。
 っていうか,ぼくごときが青かったとか赤かったとか,陳腐な感想を述べても仕方がないかと思う。

● 交響詩(symphonic poem)とは何か。Wikipediaによれば「管弦楽によって演奏される標題音楽のうち,作曲家によって交響詩と名付けられたものを言う」とあるのだが,こんな定義ではとうてい納得できない。作曲家が交響詩と付ければ交響詩になるって,なんだ,それ。まったく恣意的ではないか。
 「わが祖国」の第2曲「モルダウ」が何を描写しているかは有名だから,さすがにぼくも知っている。上流端からプラハ城にたどり着き,エルベ川に合流するまでのモルダウ川を描いたものだ。途中,結婚式があったり,妖精たちが舞っていたりする。その様子を音で表したものだ。

● そういうことを予め知ったうえで「モルダウ」を聴けば,そういうふうに聴こえないこともない。が,それを知らずにこの楽曲を聴いて,その “詩” を想像できるかといえば,それは絶対に無理だ。
 音でやる以上あたりまえのことなのだが,その “詩” はすこぶる抽象的なものにならざるを得ない。現代詩や抽象画以上に,作り手と受け手の間に共通了解事項を産みだすことは難しい。橋は架からない。

● したがって,交響 “詩” なのではなく,“交響” 詩なのだろう。作り手が描こうとした情景や心象風景は,直接的には(聴き手にとっては)どうでもよくて,音としてどうなっているかがまず問題にされる。標題はどうでもよろしいので,結局のところ,交響詩も絶対音楽の範疇に属するものだと考えていいのではないか。
 「わが祖国」においても,スメタナが語っているストーリーは,この曲を聴くにあたってタグとして使えるかといえば,ほとんど使えない。逆にいえば,それを知らなくても何の支障もなく,「わが祖国」を聴くことができる。徹頭徹尾,自分に引きつけて聴くのがよい。

● 弦の奏者はマスクを付けている。過剰反応かと思うが,そんなことは承知之助で演じているんだろうねぇ。
 指揮者はさすがにノーマスク。マスクを付けて指揮したら,はたして指揮が指揮として成立するだろうか。サングラスよりはマシだろうけど,ちょっと厳しいような気がするね。


● 次回は来年の5月8日。次々回は11月14日。次回までに法人化を完了している予定。法人化すると何かいいことがあるのかどうか,ぼくにはわからないが。今回は法人化前の楽団としてのファイナル演奏会というわけだ。
 この楽団の面白いところは,そのあたりの航海図をざっくりと決めて(つまり,細部までは詰めないで),出航してしまうところかもしれない。始めてみないと細部は詰まらないから,そのやり方でいいのだと思う。


● その前に10月31日(土)に室内楽の演奏会がある。モーツァルトの弦楽四重奏曲「春」をはじめ,魅力的なプログラムだ。盛りだくさんでもある。
 今年2月の第9回演奏会に続いて,今回が二度目の拝聴になるのだが,この楽団は可能ならしばらく追いかけて行きたい。

2020年2月12日水曜日

2020.02.08 オーケストラ・ノット 第9回演奏会

豊洲シビックセンター ホール

● 初めての拝聴。オーケストラ・ノットとはそも何者?
 この楽団のサイトはある。が,FBなので,FBをやっていない人には見づらくてしょうがないだろう。ちなみに,ぼくはFBを2年あまり捏ねくって,今はやめている。
 ので,設立の動機が書かれているこちらをあげておく。

● 今回が9回目なんだから,できてから9年になるのかと思いきや,そうではない。だいぶマメに演奏会を開催しているのだ。
 今月2日には旧東京音楽学校奏楽堂で特別演奏会,1月31日にはやはり旧奏楽堂でMatthias Glander氏還暦誕生日祝賀音楽会,昨年11月12日に杉並公会堂で第8回演奏会,7月20日に豊洲シビックセンターで第7回演奏会,という具合。
 普通のアマチュアオーケストラではないようなのだ。どういう人たちが集まっているのかというのもよくわからない。

● ともあれ。開演は13:30。入場無料。
 「これまでオーケストラ・ノットの演奏会で一緒に演奏した大学生さんがご卒業になられます。それを記念して特別プログラムでの演奏会をお送りします。卒業後,様々な道に進まれることになりますが,卒業前の皆さんの素晴らしい演奏をお楽しみください」とある。
 卒業する人たちが個々に紹介されている。上野萌華(ヴァイオリン 藝大),村田詩織(コントラバス 藝大),吉本萌慧(ヴァイオリン 藝大),森下邑里杏(チェロ 藝大),山上紘生(指揮 藝大),石井希(作曲 中央大学),の諸氏諸嬢。
 あらかた藝大生なのだが,藝大生の有志が結成したオーケストラというわけでもないようだ。社会人もいるからだ。その社会人も藝大OBかもしれないのだけど。

● 次回(4月5日なのだが)がファイナル演奏会となっている。なくなってしまうのかというと,そうではなくて,秋には「法人化記念第1回演奏会」が予定されている。「アマチュア奏者・学生奏者・プロ奏者の音楽交流による人材育成とクラシック音楽の普及を目的とした法人化を目指します」とのこと。

● プログラムは次のとおり。“交響的断章ハ短調”のみ作曲者が指揮したが,他は山上紘生さん。
 石井希 交響的断章 ハ短調
 サラサーテ ツイゴイネルワイゼン
 ボッテジーニ パッシオーネ・アモローサ
 ブラームス ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲
 ブラームス 交響曲第1番

● 石井さんの「交響的断章 ハ短調」。「プロであれアマチュアであれ,本気で音楽に取り組むならば,必ず既存の作品だけでは飽き足らなくなるはずです」と書いているんだけど,そういうものなのか。
 飽き足らなさを感じる人と感じない人がいて,前者から作曲家が生まれる。そういうことなんでしょうね。感じるか感じないかは,たぶん,そういうものを持って生まれてくるかそうでないかによるのだろう。

● 悪くないと思った。知的だ。冷静だ。作っているときに,作っている自分が曲に飲まれることがあるかと想像するんだけど(それは望ましいことかもしれないとも思ってみるのだが),作者が作品を適度に突き放せているという印象。
 これ以上の駄弁は自分の足元を掬ってしまうから,弄すべきではないでしょうね。

● ブラームスの1番,素晴らしかった。目隠しして聴いたなら,プロの演奏だと思ったに違いない。特にオーボエが手練。これを無料で聴いていいのか。
 っていうか,藝大生がメインで演奏しているのだとすれば,それとプロのオーケストラを目隠しで聴いて,両者を分別できる自信はまったくない。
 1番でのブラームスはけっこう以上に無理をしているのではないかと思っているのだけれども,ひょっとしたら違うのかもしれない。これはこれで,ブラームスの本領なのかもねぇ。演奏もだけど,曲も素晴らしいのだ。

● 終演は16時を回っていた。3時間近いボリュームの演奏会になった。
 募金を募っていた。これだけの演奏を聴かせてもらったのだから,素通りするのはルール違反ということでしょうねぇ。些少ながら募金箱に投入したけれども,申しわけないくらいの額でしかない。

● こうしてまた聴くべき楽団を知ってしまった。知ってしまえば,演奏会に行きたくなる。
 とはいっても,ぼくが住んでいるところは栃木の在なのだから,百発百中などということはあり得ない。行けないことの方が多い。行けなければいけないで,あれこれ考える。良いオーケストラを知ることは,したがって,煩悩を増やすことでもある。

● 今回,藝大を卒業する人たちは,2人が大学院に進むほかは,フリーの演奏家になると紹介された。
 経済的にはなかなか厳しそうだ。暮らしていけるんだろうかと思ってしまうんだが。
 よしんばプロになったとしても,オーケストラの給料だけでは食べていけない(N響以外は)。

● が,そんなことは折込済みか。それをわかったうえで,音楽を選んだ人たちだ。藝大に入学した時点で退路を絶っている。
 というほどの悲壮感はないかと思うんだけど,踏み込みがいいというか,思い切りがいいというか,清々しさを感じさせる人生行路だと思う。なかなかできないわけでね,これが。