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2019年11月26日火曜日

2019.11.24 東京大学第70回駒場祭-東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団・東京大学フィロムジカ交響楽団

東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 渋谷から京王井の頭線で駒場東大前駅。駒場祭にやってきましたよ。
 じつは昨日も来る予定でいたのだけれども,昨日は宇都宮線で踏切事故があって,電車が止まってしまったのだ。
 ここまでの集客力を誇る大学祭は他にないでしょうね。東大ブランド,大したもんです。コンテンツも圧巻の充実ぶりなんでしょうけどね。

● 京王井の頭線も駒場祭開催中の3日間は乗車率が跳ねあがるのではないか。渋谷から乗った電車は田舎者には激しく混雑しているという状態で,その混雑を演出していた乗客の8割は駒場東大前で降りたような気がする。
 付近の住民にとっては,ひょっとすると迷惑な行事であるかもしれない。普段は静かな住宅街の道路がヨソ者で溢れてしまうのだ。

● 早く着きすぎた。ので,構内を歩いてみた。本郷もそうだけれど,ここも付近住民の恰好の散歩コースになっているのではないか。
 その昔,徳川将軍が鷹狩りをして遊んでいたのが,このあたりらしいね(鷹狩りは遊びではなく,統治上の重要な意味があったらしいのだが)。そう思って,ここに建物のひとつもなかった時代の景観を想像してみる。

● 東京大学の冠を付けている楽団は,東大純正の東京大学音楽部管弦楽団のほか,東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団東京大学フィロムジカ交響楽団東京大学フィルハーモニー管弦楽団のインカレ団体がある。さらに東京大学歌劇団があり,吹奏楽団が2つある。
 そのいずれも,演奏水準は相当なもの。もしくは,かなりなもの。

● さすがにラ・フォル・ジュルネに比するわけにはいかないと思うけど,これらの演奏をまとめて聴くことができる。駒場祭の凄いところはここにある。一般大学でここまでのメニューを提出できるところは,他にないだろう。
 ので,過去3回,この駒場祭にお邪魔している。2010年2012年2014年の3回だ。

● が,駒場祭に限らず,大学祭というのは,学生の学生による学生のための祭典,であるに違いない。
 その祭典にぼくのような年寄りがフラフラとやってきたのでは,景観を壊してしまうだけだろう。そういうことをするのは,主催者である学生さんのためにも避けるべきではないか。

● かく申すぼくにも学生であった4年間がある。ついこの間のことのような気がする。彼らも瞬きを2,3回する間に歳を取ってしまうのだ。過ぎてみればわかる。人はみな浦島太郎なのだ。
 であればこそ,その短すぎる若い時代にいる学生さんの空間に汚点を付けるようなことをしてはいけない。
 と思って,自重していたのだけれどもね。今回はその禁を破ってしまった。その理由はこの後すぐに申しあげる。
 同時に,今度こそ,これを最後にしようと思う。次はない。

 まずは,フォイヤーヴェルク管弦楽団(11:10-12:00)。メンデルスゾーンのホ短調協奏曲で,ソリストが奥村愛さん。
 行くでしょ,これ。禁を破った理由もじつはこれ。

● 特徴は指揮者がいなかったこと。実際のところ,このレベルになっていれば,指揮者なしでも交響曲の演奏くらいは難なくやってのけると思う。ヘボな指揮者ならかえっていない方がいいかもしれない。
 が,協奏曲はどうなのだろう。っていうか,これは奥村さんの弾きぶりってことになるんだろうか。

● 奥村さんの長いトークがあった。このオケとの付き合いはだいぶ長いらしい。黙って弾いているだけなら,観客(男性に限る)が勝手に誤解してくれる容姿の持ち主なのだが,喋ると地金が見える。
 その地金もまた演奏家はそうだよなと思わせるもの。演奏家として社会に伍していける人は,例外なく陽性な人のはずだと思っている。彼女もまたその例にもれない。
 必死に喰らいついて来てくれたとオケを讃えていたけれども,聴いてる分には,余裕こいて応接していたようにも見えた。そのあたりが芸ということか。つまり,必死を必死に見せないというね。

● 思いだした。900番教室は教室なのだった。大学祭の賑わいが聞こえてくるし,響きはないに等しいのだった。直接音の世界。
 そっか。これももう駒場祭はいいかなぁと思った理由のひとつだったかもしれない。

● さて,このあと,フィロムジカ,東大オケと続くんだけど,何か気がすんでしまったよ。どうしよっかな,帰るか。
 で,帰りそうになったんだけどね。せっかく来たのにそれでは少しもったいない。いったん駒場キャンパスを出て,付近を散歩して時間を過ごし,フィロムジカ(13:50-15:00)の演奏会に臨んだ。

● 曲ごとにメンバーの相当数が入れ替わる。最も印象に残ったのはチャイコフスキー「ロメオとジュリエット」。この曲が好きだからってのもある。チャイコフスキーの全てが詰まっている。
 メインの「幻想交響曲」は,全楽章聴きたかったら定演においで,ってことね。これも熱演だった。

● つまり,この楽団の演奏はプレ定演とも呼べるもの。フォイヤーや東大オケは定演とは接点のない独立した(?)演奏会になっているが,フィロムジカや歌劇団は定演に照準を定めていて,駒場演奏会はその一里塚のような位置づけ。
 いい悪いの問題ではない。楽団によって違うという,それだけのことね。

● 結局,東大オケ(東京大学音楽部管弦楽団)の演奏は聴かずに帰途についた。それじゃ何のために来たんだよって,われながら思わないでもないんですよね。
 駒場演奏会の最大の華は,何だかんだいって東大オケにあるんですよね。1,2年生のみで演奏する。その1,2年生の巧さに驚ける快感。
 それを聴かないことにした理由は2つ。ひとつは,貪欲さが摩耗してきてること。何でもかんでも歳のせいにはしたくないけれども,意欲の経年劣化はあるかもしれない。

● もうひとつは,東大オケの人気の高さ。フィロムジカの演奏が終わって,外に出たら,もう長蛇の列ができていた。次の東大オケの演奏を聴こうとする人たちの列がね。
 その最後尾についたところで立ち見確実という感じでね。もういっか,と思ったわけなんでした。

● もっとも,入替制ではないのかもしれない。次も聴きたい人は,そのまま座ったまま待っていてもいいのかも。それだとプログラムを受け取れなくなるはずなんだけどね。
 フィロムジカが終わって席を立つ人のところにやってきて,自分の荷物を置いて席取りをする人が1人のみならずいた。それはルール違反ではないのかもしれない。
 が,この場でのルール違反ではないとしても,そんな下卑たことはやりたくない。それは悪魔に魂を売るのと同じ。っていうか,悪魔だってそんな下品な魂は要らないだろう。

2015年6月22日月曜日

2015.06.20 とちぎクラシック・カフェVol.3 奥村 愛

栃木県総合文化センター メインホール

● カフェ・マスターは山田武彦さん。言わずと知れた日本の代表するピアニスト(の一人)にして,洗足学園の教授も務める。
 常連マダムが松本志のぶさん。こちらも言わずと知れた元日テレアナウンサー。この二人がホスト役になって,毎回違ったゲストを迎えるという趣向。
 といっても,山田なさんは演奏もするわけなので,進行役は松本さんが主に担う形。

● で,今回のゲストは奥村愛さんですよ,と。ぼくはこのシリーズにお邪魔するのは初めてなんだけど,それもゲストが奥村さんだったからですよ,と。
 これまた言わずと知れた,日本の代表的なヴァイオリニストにして,ヴァイオリン界を代表する美形でありますね。

● プログラムは次のとおり。
 エルガー 朝の歌
 クライスラー 愛の喜び
 クライスラー 愛の悲しみ
 ドヴォルザーク(クライスラー編曲) スラヴ幻想曲
 クライスラー 前奏曲とアレグロ

 シュトラウス(山田武彦編曲) 「薔薇の騎士」ワルツ
 ヘス(加藤昌則編曲) ラヴェンダーの咲く庭で
 ブラームス(ハイフェッツ編曲) 5つのリートより第1番
 ヴィエニャフスキー 創作主題による華麗なる変奏曲

 (アンコール)
 チャップリン スマイル
 モンティ チャルダッシュ

● 「薔薇の騎士」ワルツのみ山田さんのピアノ独奏。あとは,山田さんの伴奏で,奥村さんのヴァイオリン。
 穏やかにあるいは軽やかに始まって,その軽やかさを損ねないようにしつつも,後半から徐々にシリアスさが勝ってくるという感じ。

● が,一気に頂点に駆けのぼった感があるのはアンコールの2曲。
 チャップリンの「スマイル」は映画『モダン・タイムス』で使用された曲というのは,事後に知ったこと。初めて聴いた。『モダン・タイムス』も見たことがない。モンティの「チャルダッシュ」は言うにや及ぶ。
 最後に頂点が来た。演奏してるほうはまた違うのかもしれないけれども,この組立ては計算されたものであることは言うまでもない。

● 合間合間にトークが入る。奥村さん,サラブレッドですよね。成るべくして成ったという感じ。
 もちろん,馬のサラブレッドだって,血統がよければ必ず活躍するかといえば,そんなことはないわけで,音楽界のサラブレッドも途中で消えていった人も多いに違いないとは思うんだけどね。

● 男は美人に弱い。これは間違いない。もっといけないのは,美人は弱いと受けとめがちなことだね。オレが助けてやらなきゃみたいなね。美人=深窓の令嬢=世間知らず=だまされやすい,的に考えてしまうんだな。
 実際はそんなことはないわけでね。奥村さんは涼やかな美人だけれども,弱くはない。っていうか,かなり強くてタフ。陽性の人という印象。普段の生活ではあけっぴろげで,あまり構えを作らない人のように思われた。