2025年6月30日月曜日

2025.06.28 宇都宮大学管弦楽団 サマーコンサート2025

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開演は18時。曲目は次のとおり。指揮は竹澤真一さん。
 シベリウス 交響詩「フィンランディア」
 ヘンデル 「水上の音楽」第2組曲
 ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」

● ぼくは2階の右翼席で聴いていたのだが,常任の北原先生がいらしてるのをお見かけした。常任指揮者がこうするのは不文律になっているのか。
 必ず聴いて,必要があれば指示を出し,今後の道筋を整えるよすがにする,と。

● 傍から見ていた分には,と断っておかなければならないのだが,宇大オケはコロナ禍でいったん壊滅した感がある。
 コロナ禍は日本全国(のみならず,世界中)を襲ったが,それに対する対応には地域差があったように思う。首都圏のオケはコロナに抵抗した。その抵抗がどこまで功を奏したかは別の話だ。しかし,正常運転に戻そうとコロナに抵抗していたように思える。

● しかし,地方ではこの動きはほぼ皆無。コロナの前になす術を持たないといったふうであった。
 個々のオケに留まらず,どの分野でも地方は抵抗権を放棄していたように,ぼくの眼には映る。地方自治という言葉があれほど色褪せた時期はなかったろう。

● 宇大オケも抵抗したくても,大学側がそれを許さなかったのだろうし,大学側も他の状況を見れば,そうせざるを得なかったのだろう。
 ぼくの知る限り,栃木県内でコロナに抵抗した楽団は,高校の吹奏楽部になってしまうが,作新学院高校吹奏楽部を以て唯一の例外とする。

● もっと申しあげれば,壊滅からの復活過程に本格手的に着手するのにも,少し手間どり過ぎたのではないかと思わないでもない。
 しかし,こうして復活した。定演も行っている。寿ぐべきである。この楽団が県内に占める位置というか,役割というか,存在感は,おそらく楽団のメンバーが思っている以上に大きいのだから。

● アンコールは,シベリウス「アンダンテ・フェスティーヴォ」。

2025.06.22 日本交響楽団 第24回定期演奏会

小山市立文化センター 大ホール

● 梅雨はもう明けたのか,というか,今年は梅雨はなしか,と思うほどの空梅雨。少なくとも今日までは。
 そうして,連日の猛暑。毎日,単純に暑い。蒸すというほどの湿度ではないが,とにかく暑い。

● そういう中を,電車を乗り継いで小山へ。電車の中は涼しい。1日中,電車の中にいたいと思うほどだ。
 でもって,小山駅を出て,文化センターまでのわずかな距離を,猛暑をついて歩く。

● 日本交響楽団の定演。開演は14時。当日券(1,000円)を買って入場。当日券はセンターの窓口で買う。団員ではなく,センターの職員が販売している。
 指定席券もあって,1,200円。1階席の前方が指定席のエリアになっている。“前方” には最前列や2列目も含まれる。
 音は上に上がるから,あまり前の方だと・・・・・・。ので,自由席の方がいいんじゃないかと云々。ぼくは2階の最前列に座った。
 
 ● 曲目はドヴォルザークのチェロ協奏曲と交響曲第9番。指揮は三河正典さん。
 三河さんを引っ張って来れるのだからなかなかの腕前なんだろう。と,迂遠なことを言わなくても,聴きゃわかるということだ。

● チェロ協奏曲のソリストは松本ゆり子さん。オケの中にもシュッとした若いチェロ奏者がいて,かなりの腕前と見受けられた。
 さらに,“ゲストチェリスト” もオケに加わっているようで,何だかチェロは凄いことになっている。
 「新世界」では木管。特に,第2楽章のオーボエとフルート。

● チェロ協奏曲では楽章間で拍手が起きた。「新世界」ではそれが消えた。
 昔はしばしばあったのが,演奏中にケータイの着信音が鳴り出すことだった。最近はそれがほぼなくなった。年寄りがケータイに慣れてきたんでしょうね。

2025年6月24日火曜日

2025.06.15 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ 第36回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● ジュニアオケというのが,栃木県内で鹿沼の他にあるのかどうか,ぼくは知らない。宇都宮ジュニアは消えたし,足利で設置の話があったが,その後どうなったのか。
 ともかく,鹿沼にはある。ほとんど奇跡のようなものだと思うのだが,演奏水準もかなりのものだ。著名な交響曲を全楽章通して演奏してみせるだけでも尋常じゃないと思うじゃないか。その中には,ブルックナーやマーラーも含まれるのだ。

● 14時開演。今回の曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン エグモント序曲
 ベルリオーズ ラコッツィ行進曲
 ジョン・ウィリアムズ ジュラシックパーク より ハイライト
 チャイコフスキー 交響曲第5番
 アンコールはチャイコフスキー「くるみ割り人形」から “トレパック”。

● この中で最も印象に残ったのはエグモント。第一音が見事だった。
 あやまたず聴衆のハートを撃ち抜く音があるもので,弦とファゴットが発する第一音でガっと客席を掴んだ感じ。掴みって大切だもんね。

● チャイコフスキーの5番も立派にチャイコフスキーになっていて,そりゃ苦戦しているパートもあったけれども,苦戦はしていても傷にはならず。
 できあがった形は基礎も外壁もしっかりしていて,飾り窓も尖塔もすべて揃った,チャイコフスキーの交響曲第5番のそれだった(と思った)。なぜそれができてしまうのか,ということの方が不思議。

● 会場までの道すがら,今回の演奏会のポスターを貼ってある商店をひとつだけ見かけた。こうした旧来型の告知は鹿沼市内に留まっているようだ。地元完結型。
 鹿沼市民じゃないぼくがこの演奏を知ったのは,楽団のインスタによる。𝕏 もあるのだが,こちらは長らく更新されていない。何でもいいのだが,ネットに情報を上げてもらえれば,ほとんどの場合,用は足りる。

● 鹿沼ジュニアは児童・生徒の保護者(≒母親)が運営及び設営の主体になっているようだ。彼女たちが手弁当で雑務を引き受けている。
 それゆえ,良くも悪くも地元密着を志向しているように見える。が,可能であれば,一度は鹿沼から出てみたらどうか。定演を宇都宮で開催してみるといったことだ。

● 費用をはじめ,煩瑣な問題が起ちあがるから,対応するのは大変だと思うけれども,この小さな紳士淑女たちを,未就学児入場禁止の通常の演奏環境の中に座らせてやりたいと思った。
 1千万円ほどポンと寄付して,これでやってくれと言えればいいのだが,残念ながら1千万円ポッチのはした金がない。

● 梅雨の合間
の晴れ。というか,今年は梅雨なんかあるのかと思うくらいだが。すでにして真夏日の連続。酷暑,また酷暑。
 府中橋から黒川を見下ろすと,鮎釣りをしている人たちが数人。男性の分類基準に “釣りをするかしないか” があるかも。

2025年6月10日火曜日

2025.06.08 栃木県交響楽団 第117回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開場前から長蛇の列。幾重にも折れ曲がって延々と続いている。チケットはあらかじめ買ってあるが,入れるのかと思ってしまう。
 ダラダラと延びた列というのは,視覚に過大に映る。ホールのきっちり詰まった座席に座らせると,何だこんなものだったのか,となるのは経験則でわかっているのだが,それでもこれだけ長い列を見るとね。

● 今回は栃響創立50周年記念。本来ならとっくにやっているはずのものだったが,コロナで開催中止。5年遅れで,しかし,仕上げて,公開に漕ぎつけた,と。
 ちなみに,今回は50周年記念の1st.ステージ。2nd.もあって,マーラーの2番を演るらしい。時期は来年の今頃か。

● というわけで,今回は曲目が凄い。ドヴォルザークの9番とストラヴィンスキーの「春の祭典」。
 開演は14時。指揮は三原明人さん。

● ドヴォルザークの9番。ひょっとして,この楽曲には普段聴いているのとは違う,別版の楽譜があったのか,と思った。???と思ったところが数ヶ所あった。
 ???には単なるミスも含まれるけれども,ミスは仕方がない。人間が演奏しているのだ。プロでもやる。
 そうではなくて,緩急というか,テンポというか。指揮者のいわゆる解釈の範疇だろうか。異物感があった。
 だからダメと言うのではもちろんない。今まで聴いて来たのとは違う,と感じただけのことだ。

● 「春の祭典」は当然にして大編隊。この曲をなぜ演奏できてしまうのか。そこがまず不思議だ。
 音源があって,実際の演奏を何度でも聴くことができるからだ,というのがひとつの解答ではあろうけれども,縦の線を揃えるだけでも大変でしょ,これ。しかも,これだけの大人数なのだ。

● さすがは栃響。特に,弦の水準が全体を盛り上げていた感じ。
 盛り上げるというより,演奏の大枠を形作っていた。この弦があったから「春の祭典」が成立したんじゃないか,と思わせるっていうかね。
 急いで付け加えておくが,他がダメと言ってるのではない。そんなことは1ミリもない。ダメなパートがあったら,そもそも演奏にならないのでね。

● 打楽器のセンターに久しぶりの田村さん。賛助になるんだけれども,やっぱりここは彼女じゃなきゃって感じですか。
 終演後に指揮者に立たされたときにも,彼女への拍手がひときわ大きかった。ティンパニへの拍手が大きいのは演奏会の常ではある。目立つところにいるし,音も目立つ。けれども,今日の拍手は見事だったという客席側の意思表示でしょう。

● 唯一,残念だったのは,終演の1秒前,最後の一音がこれから鳴るというときに,ブラボーを叫んだバカがいたことだ。
 ブラボー屋って,若者が多いのかと思いきや,たいていは皮膚のひったるんだ中高年のオヤジであるのは,経験則の教えるところ。どうしようもない年代なんだな。

● あと,客席の照明を明るくするタイミングをひょっとしたら間違えたか。もう少し余韻を引いてもよかったかもしれない。

2025年6月2日月曜日

2025.06.01 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ 第244回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 開演は13:30。チケットは TEKET で。曲目は次のとおり。指揮は原田慶太楼さん。豪勢なものだ。
 伊福部昭 SF交響ファンタジー第1番
 ニールセン 交響曲第1番
 ドヴォルザーク 交響曲第7番

● どうです? これは聴いておきたいと思うでしょう。北関東の田んぼの村からでも川崎まで行きますよ。
 というか,ミューザは北関東からだと一番行きやすいホールだったりする。宇都宮から乗り換えなしで一本で行けるし,駅から至近だしね。

● この演奏会を聴きに行くか行かないかを決める理由は,色々ある。演奏するオケがどこなのか,何を演奏するのか,というのがまずあるけれども,どこで演奏するのかもわりと大きな理由かな,と。
 なおかつ,チケットの入手が容易であること。つまり,TEKET に対応していること。こういう些末なことがけっこうモノを言う。場所がミューザで,チケットが TEKET で買えるなら,行ってみるかとなったりする。

● ミューザの音響はサントリーホールをしのぐのではないかと思っている。国内屈指の名ホールのはずだ。
 が,欠点もあって,座席が窮屈なこと。もうひとつ。座席の配置は斬新でいいと思うのだが,その配置ゆえ仕方がないことながら,自分の席を見つけにくい。
 今回のぼくの席は1C-11列-27。北関東の田んぼの村から出向くのだから,奮発してS席を取ったのだけど,パッとわかったわけでもない。慣れるしかない。だいぶ慣れてはきたのだけどね。

● 指揮の原田慶太楼さんは,何というのか,客を呼べる指揮者だ。日本では数少ない存在ではなかろうか。和製バーンスタインと言いたくなるパフォーマンス。
 一見,奔放に見えるけれども,とてつもなく緻密。入念に譜読みを重ねているに違いない。それを指揮という身体動作と表情作りに翻案する。その翻案の仕方が原田流を形作っているのだが,ではその「仕方」を言語化してみろと言われると,本人にもできないだろう。長嶋や落合やイチローにどうしてそのバッティングフォームなのかと訊ねても,長嶋も落合もイチローも答えられないだろう。それと同じ。

● 慶應ワグネルといえば,大学オケの中では超絶有名。実力も伴っている。原田さんを引っ張って来れるのも,その実力ゆえでしょ。
 弦の奏者に男性が多い。1st.Vn の第1プルトが2人とも男性というのはアマオケでは珍しいんじゃないですか。
 ま,これはSF交響ファンタジーのときのことで,ニールセンになると,あれっ,男,減っちゃったよ,ってなったんだけどね。

● SF交響ファンタジー第1番は,ひょっとして原田さんの提案だろうか。ノリノリで力のこもった立派な演奏で,この1曲で田んぼの村から出張ってきてよかったと思いましたよ。
 この楽団は海外公演もやるらしい。このプログラムでデンマークとチェコに殴り込めばいいんじゃないですかね。

● 他の2曲,特にドヴォルザーク7番も聴き応えがあった。音大に行こうとすれば楽々行けた学生が相当いる。
 美形で頭が良くて楽器もセミプロ級。どれかひとつ,ぼくにも分けてくれないか。

2025年5月25日日曜日

2025.05.25 学習院輔仁会音楽部管弦楽団 第64回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

自治医大駅
● 宇都宮から上野東京ライン平塚行きに乗って,自治医大でいったん下車。「休日おでかけパス」を買って,11:02発の熱海行きに乗車。13時ちょい前に川崎着。
 なぜ川崎に来たのかというと,ミューザで学習院輔仁会音楽部管弦楽団の定演を聴くため。

● 開演が13:15。けっこうギリギリ。昼の演奏会は14時開演が多いと思うのだが,45分早いとだいぶ違うな。
 入場料は1,000円。チケットは TEKET 対応で,これが行くか行かないかを決める要因のひとつになる。少なくとも,ぼくの場合はそうだ。

● 地元開催の演奏会ならプレイガイドにチケットを買いに行く気にもなるが,首都圏開催の場合に,たとえば「ぴあ」でしか買えないような演奏会は,その時点で行く気が失せる。
 紙のチケットに対する思い入れもない。チケットはQRコードで充分だ。紙にこだわるから,わざわざコンビニに出向かなくてはいけなくなる。
 演奏を聴くために東京や川崎に出るのはいいけれど,紙のチケットを受取るために近くのコンビニに行かなければならないのは,鬱陶しいことこの上もない。チケットを買うのにそんな面倒を強いられる筋合いはない。

● この楽団に関しては思い入れがある。コロナ禍中の2021年に「第九」を演奏してくれたことだ。今から振り返っても,よくやれたものだと思う。
 他に例がなかったわけではない。が,アマチュアオーケストラであの時期に「第九」をやったところが他にあったかどうか,寡聞にしてぼくは知らない。

● 曲目は次のとおり。指揮は金山隆夫さん。
 ロッシーニ 「ウィリアム・テル」序曲
 チャイコフスキー バレエ組曲「眠れる森の美女」
 ラフマニノフ 交響曲第2番

● 特に弦は子供の頃から始めていた人が多いんだろうなと思えるんだけども,中には大学生になってから始めてここまでになったという人もいるんだろうか。それができるだけの伸びしろを秘めている年代だとは思うんだけど,どうなんだろう。
 管は中学で吹奏楽部に入部してってのがある。けど,弦は中高で部活でやったという人は少ないはず。
 彼ら彼女らが1日,1週間,1年のうち,どの程度の割合を楽器に充てているのかは知る由もないけれども,相当な時間を使っているんでしょうねぇ。そうではなく,部活でしか楽器には触っていないのだとしたら,大変な才能の持ち主ということになりそうだ。

● 「ウィリアム・テル」序曲での軽快なギャロップが心地よかった。が,ラフマニノフの2番の仕上がりが印象的。
 劇付随音楽ではないのかと思えるほどに奔放な曲調の変遷。ラフマニノフは作家でもって,彼の頭の中には明確にひとつの物語があったんだろうか。その物語を絵にしていくように,音楽で彩色していったんだろうか。

● 客席は高齢者が主力を占めるのが常。しかも,男性の高齢者が一人で来るのが増えた。10年ほど前からの傾向だ。昔は,女性ばかりだった印象なのだが,最近は決してそうではなくなっている。
 ぼくもその一人なのに,こういうことを言っては申しわけないのだが,これはさほどに喜べることではないと思っている。男性高齢者が集まるところには,若者や女性は寄って来ないからだ。

● が,今回のような大学オケの場合は,奏者の友人たちがたくさんしてたりするから,客席の平均年齢がだいぶ若返る。
 今日なんか,隣が二十歳くらいのお嬢さんなんですよ。いや,幸せでしたよ。彼女,あらかた寝てたけど,いいんですよ,そんなことは。

2025年5月19日月曜日

2025.05.18 宇都宮シンフォニーオーケストラ 第22回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開演は14時。入場料は1,000円。当日券を買った。2階右翼席に着座。
 曲目は次のとおり。指揮はいつもの石川和紀さん。
 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲
 ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調
 ブラームス 交響曲第4番 ホ短調
 
● ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」のソリストは佐山裕樹さん。新日フィルの若きチェロ首席。
 佐山さんの独奏でこの曲を聴くのは,今回が二度目。4年前の今月真岡市民交響楽団の定演で聴いている。

● そのときはどうだったか,詳しいことは忘れている。いや,聴いたことは憶えているが,聴いたことだけしか憶えていない。
 第1楽章が終わったところで拍手が起きた。拍手したくなるだろう,それが自然だろうと,ぼくも思った。
 オケも本気の熱演。ソリストに引っ張られるというよりは,ドヴォルザークの楽譜に引っ張られるんだろうか。

● ドヴォルザークは鉄道好きで,じつは機関車の音を音楽にしたのだと言う人がいる。たしかに言い得て妙なところがあって,「新世界」なんていたるところにそれがある。
 チェロ協奏曲も特に第3楽章にそれが多いような気がする。で,そういう気になると,曲中に機関車音を探してしまうことになる。まったく余計なことを教えてくれたものだ。

● 栃木県はチェリストを輩出する県だ。金子鈴太郎さん,玉川克さん,宮田大さん,そして佐山さん。
 ま,栃木県が輩出しているわけではなく,彼らはどこに生まれても,どこで育っても,チェリストになったと思うけど。選ばれた人たちだろうから。チェリスト以外の何になってもいけない,という人たちでしょ。

● ブラームスの4番はスィーティーなメロディーで始まるから,なるほどブラームスはメロディーメーカーなのだなぁと感心しているうちに終わってしまうのだが,もちろんスィーティーなだけの曲ではない。大変な質量がある。
 ということをわからせてくれる演奏で,仕事や家庭を抱えながら,こうした演奏活動を継続している貴方がたは大したものだ。

● 佐山さんもチェロの列に加わっていた。新日フィルの首席を賛助に迎えての演奏だったわけだ。
 アンコールは「ハンガリー舞曲」の6番。

● ひとつだけうっかりしたことがあって,開演前に宇都宮市民芸術祭(この宇都宮シンフォニーオーケストラの定演も,その一環とされている)の開会セレモニーがあったことだ。早めに行ったので,これに付き合うことになってしまった。去年の「第九」のときもそうだったな。
 あまり見たくもない顔がステージに並び,聞きたくもない挨拶を聞かされる。ぼくはウォークマンのイヤホンを耳に突っ込んで,スマホを見ながらやり過ごしたが,このセレモニーは必要なのかね。
 主催者の自己満足でしかないように思うが。いつまで昭和を引きずるうもりだ? 何よりいけないのは,開演の直前に,場の空気を思いっきり冷やしてしまうことだ。こちらは演奏を聴きに来ているのだ。