2025年10月31日金曜日

2025.10.26 ユニコーン・シンフォニー・オーケストラ 第19回演奏会

横浜みなとみらいホール 大ホール

● 開演は13時30分。北関東の田んぼの村から,この時刻に間に合うように,横浜に行くのはひと仕事だ。
 早起きしなくてはいかん。東京まで新幹線を使えばいいようなものだが,そげな贅沢をコケるほどの立場じゃない。

● 早起きが難しい。年寄りは早寝早起きだろと思うのは,典型的なステレオタイプというものだぞ。ぼくの就寝時刻は午前3時だ。放っておくと4時,5時まで起きているだろう。強いて3時には寝るように努めているのだ。
 日の長い夏場だと,3時は夜の闇が薄くなりかける時刻だ。今時分だとそれはないが,起きて数時間もすると夜になりかかる。俺の人生に午前中はない,俺の人生に昼間はない,なのだ。

● 申しわけないことがひとつある。午前中の宅配便を受け取れないことだ。
 寝る頃には新聞配達のバイクの音が聞こえ出す。まだ新聞を取っている人がいるのかとも思うのだが,この時刻に仕事している人もいるのだなと思うと,齢だけ取って無為徒食のくせに,こんな時刻まで起きている自分は何なんだと,わが身の卑小さを噛みしめるのでもありますよ。

● さて,無事に桜木町駅に着いた。みなとみらいホールまで歩いて,開演30分前には着座できた。
 指揮は太田弦さん。音楽界の将来を託された若き指揮者のひとり(というか,その最右翼)。現在は九州交響楽団首席指揮者。
 その太田さんのプレトークを聞くことができた。トークの内容よりも,話しているときの太田さんの様子(仕草とかね)と声質の方に興味がある。いや,いい声なんでした。

● 彼の指揮を生で拝見するのは初めてのはずだ。ミューザ・サマー・フェスタで神奈川フィルを振ったことがあって,それをぼくも見ているのだが,生ではなくてネット配信だったと思う。コロナ禍のことだ。
 曲目は尾高尚忠の交響曲第1番(2楽章版)とブルックナーの9番。

● ユニコーン・シンフォニー・オーケストラは慶応中等部のOB・OGがメンバーの中核であるらしい。そのことを知ったうえで見るからなのかもしれないけれども,姿がいい。
 演奏の姿がいいのに演奏はダメっていう例を,ぼくは知らない。達者なものだと思った。どのパートがどうということではなくて,全体のバランスがいい。それも,かなり高いところでバランスがいい。
 平均年齢もかなり若い。若くて姿がいいのは,それ自体がひとつの価値だ。

● できるだけ地元に沈潜して,首都圏に出かけるのは最小限度にしたいと思っている。といっても,この趣味を続ける限り,東京に背を向けることはあり得ない。それでは成り立たない。いい悪いの問題ではなく,そもそも成り立たない。
 いくつかの楽団は追いかけることになる。その “いくつか” にこの楽団も入る。

2025年10月28日火曜日

2025.10.25 グローリア アンサンブル&クワイアー 第28回演奏会

栃木県総合文化センター メインホール
 
● 開演は14時。あいにくの雨模様。何があいにくかといえば,聴きに行くつもりでいた人の1割か2割な人は外出を見合わせたろうからだ。
 その程度のことで見合わせるようなヤツはそれだけのヤツなのさ,と切って捨てることもできるだろうが,ぼくもそういうことがあるんで,切って捨てられる側の人間だからなぁ。

● グローリアは管弦楽と合唱が合体した大曲を地元で聴ける機会を提供してくれる,じつにありがたい楽団だ。この楽団の存在を知ってからは,年に1回の演奏会は聴き逃していないはずだが,途中にコロナもあったし,聴き逃しはないと断言はできない。けれども,今年もこうして会場に自分の身体を運んできた。
 過去にはハイドンの「天地創造」やベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」など,生で聴ける機会などないだろうと思っていた(かつ,CDで聴こうとはあまり考えない)オラトリオやミサ曲を地元で聴けたんだからね。

● 今回はモーツァルトの「レクイエム」。その前に,管弦楽だけでジャゾット編「アルビノーニのアダージョ」。敬虔という言葉を精密に音楽に翻訳するとこうなるのかというね。
 西洋におけるキリスト教の存在感というのは,いささか想像しかねるところがあって,想像しかねることが鑑賞の妨げになるとまでは思わないのだけれども,隔靴掻痒の思いはするんだな。

● 次はヴィヴァルディ「グローリア RV589」。「ヴィヴァルディの宗教作品では有名な楽曲であり,演奏頻度が高い作品でもある」のだけれども,ぼくはCDも持ってませんでしたよ。
 素人鑑賞家にはこういう偏りがある。偏差値が高いんだな。が,それが困ったことなのかどうかはわからない。避けられないだろうしね。
 ただし,それをチェックする機会はあった方がいいかもしれない。こうした演奏会がその機会になる。

● モーツァルト「レクイエム」を生で聴くのは,今回を含めても,片手で数えられるが,この作品はそもそもモーツァルト作と言っていいのかどうか。ジュスマイヤー作とすべきではないのか,という意見があるのかないのか。
 しかし,モーツァルト作としてよろしいんでしょうね。ジュスマイヤーはモーツァルトが敷き始めたレールを完成させたわけだから。モーツァルトがバクトルの向きを決定づけている。

● というどうでもいい理屈はさておき。モーツァルトが最晩年に到達した境地がどういうものだったのか。クラリネット協奏曲を聴くたびに,そのことを思うんですよ。この世ではなく,天国の調べですもんね。
 それは「レクイエム」でも同じで,間もなくこの世を去るモーツァルトがどういう心境でいたのか。そっちの方が気にかかる。

● 指揮は片岡真理さん。ソリストは藤崎美苗さん(ソプラノ),布施奈緒子さん(メゾソプラノ),中嶋克彦さん(テノール),加耒徹さん(バリトン)。「グローリア」には望月万里亜さん(ソプラノ)も。
 布施さんのメゾソプラノは生きているうちに一度は聴いておきなさいと云々。

● ぼく自身は奏でることも歌うこともできないので,それができる人は凄いなぁ,と。せめて聴くことで参加しようと思っているわけだが,それもいつまで続くか。
 まだ大丈夫だけれども,引き際を考えるようにはなっている。聴覚だっていつまで保つか。
 そうならないうちにそうなった後のことを考えても仕方がないのだが(なるようにしかならない),考えてしまうことが増えたかな。

2025年6月30日月曜日

2025.06.29 学習院輔仁会音楽部 フレッシュマンコンサート2025

学習院創立百周年記念会館 正堂

目白駅前
● 東京は目白に来ている。これから学習院大学に侵入するのだが,Tシャツに半ズボン,素足にサンダルという出で立ちだ。
学習院大学構内
 愛子内親王殿下も通われたところに行くのに,こんな格好でいいのか。つっても,こうまで暑くては,それ以外の選択肢は思い浮かばんぞ。すべては暑さのせいだぞ。

● ともかく,侵入成功。かの,学習院大学ですら。
 なぜここに侵入したのかというと,標記の演奏会を聴いてみようと思ったからだ。開演は14時。入場無料。

● 曲目は次のとおり。最後の「Hallelujah」を聴いてみたかったのが,酷暑の中をここまでやってきた一番目の理由。
 「フィンランディア」は昨日,宇大オケの演奏で聴いたばかり。何度聴いても損はないからいいのだけれども,比べたくなるのが困る。比べてあげつらうというゲスな方向に行きそうになる。

 女子大女声合唱団
 作詞・作曲:絢香「にじいろ」

 大学男声合唱団
 立原道造 詞・木下牧子 曲「夢みたものは」
 大学女声合唱団
 みなづきみのり 詞・大田桜子 曲「歌を探そう」
 混声合唱団
 みなづきみのり 詞・千原英喜 曲「友よ,君の歌を」

 管弦楽団
 シベリウス フィンランディア

 合同演奏
 ヘンデル 「メサイア」より “Hallelujah”

● つまり,学習院輔仁会音楽部というのは,学習院大学合唱団,管弦楽団,学習院女子大学の合唱団で構成されるらしい。
 ただし,女子大は来年度から学習院大学に統合されるらしい。戸山のキャンパスは残るんだろうか。
 だいぶ前になるが,正門前の道路を歩いているときに,学生同士が「ごきげんよう」と挨拶するのを聞いて,ビックリ仰天したことがある。この言葉,リアルでも使われているんだ,と思ってね。

● 開演前と休憩時にロビーコンサートがあって,どちらかといえばこちらの方がメインのような気がした。
 非常に下世話な話になるのだが,たとえば4人で演奏している,その中の1人が男性,というのがわりとあった。彼,モテるだろうな,と普通は思うわけだ。
 けど,彼が音楽道に真摯であるのなら(真摯だろうと思うのだが),この状況はなかなか辛いだろうな。自分が彼でなくて良かったと思うのでした

● 演奏会のために上京したときは,基本,自宅と会場の単純往復になる。他のところには行かないことが多い。
演奏会に操を立てているわけではない。何となくそうなるだけだ。
 しかし,「休日おでかけパス」を使っているので(単純に,乗車券を買うより安いからという理由),首都圏のどこに行っても,追加運賃は発生しない。
 今日は,東京駅と新橋駅で降りてみた。銀座に出るとか,そういうことではない。東京や新橋で何をするわけでもないんだけれども,東京駅前の丸の内広場や新橋駅前のSL広場に立ってみたくなった。
 

2025.06.28 宇都宮大学管弦楽団 サマーコンサート2025

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開演は18時。曲目は次のとおり。指揮は竹澤真一さん。
 シベリウス 交響詩「フィンランディア」
 ヘンデル 「水上の音楽」第2組曲
 ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」

● ぼくは2階の右翼席で聴いていたのだが,常任の北原先生がいらしてるのをお見かけした。常任指揮者がこうするのは不文律になっているのか。
 必ず聴いて,必要があれば指示を出し,今後の道筋を整えるよすがにする,と。

● 傍から見ていた分には,と断っておかなければならないのだが,宇大オケはコロナ禍でいったん壊滅した感がある。
 コロナ禍は日本全国(のみならず,世界中)を襲ったが,それに対する対応には地域差があったように思う。首都圏のオケはコロナに抵抗した。その抵抗がどこまで功を奏したかは別の話だ。しかし,正常運転に戻そうとコロナに抵抗していたように思える。

● しかし,地方ではこの動きはほぼ皆無。コロナの前になす術を持たないといったふうであった。
 個々のオケに留まらず,どの分野でも地方は抵抗権を放棄していたように,ぼくの眼には映る。地方自治という言葉があれほど色褪せた時期はなかったろう。

● 宇大オケも抵抗したくても,大学側がそれを許さなかったのだろうし,大学側も他の状況を見れば,そうせざるを得なかったのだろう。
 ぼくの知る限り,栃木県内でコロナに抵抗した楽団は,高校の吹奏楽部になってしまうが,作新学院高校吹奏楽部を以て唯一の例外とする。

● もっと申しあげれば,壊滅からの復活過程に本格手的に着手するのにも,少し手間どり過ぎたのではないかと思わないでもない。
 しかし,こうして復活した。定演も行っている。寿ぐべきである。この楽団が県内に占める位置というか,役割というか,存在感は,おそらく楽団のメンバーが思っている以上に大きいのだから。

● アンコールは,シベリウス「アンダンテ・フェスティーヴォ」。

2025.06.22 日本交響楽団 第24回定期演奏会

小山市立文化センター 大ホール

● 梅雨はもう明けたのか,というか,今年は梅雨はなしか,と思うほどの空梅雨。少なくとも今日までは。
 そうして,連日の猛暑。毎日,単純に暑い。蒸すというほどの湿度ではないが,とにかく暑い。

● そういう中を,電車を乗り継いで小山へ。電車の中は涼しい。1日中,電車の中にいたいと思うほどだ。
 でもって,小山駅を出て,文化センターまでのわずかな距離を,猛暑をついて歩く。

● 日本交響楽団の定演。開演は14時。当日券(1,000円)を買って入場。当日券はセンターの窓口で買う。団員ではなく,センターの職員が販売している。
 指定席券もあって,1,200円。1階席の前方が指定席のエリアになっている。“前方” には最前列や2列目も含まれる。
 音は上に上がるから,あまり前の方だと・・・・・・。ので,自由席の方がいいんじゃないかと云々。ぼくは2階の最前列に座った。
 
 ● 曲目はドヴォルザークのチェロ協奏曲と交響曲第9番。指揮は三河正典さん。
 三河さんを引っ張って来れるのだからなかなかの腕前なんだろう。と,迂遠なことを言わなくても,聴きゃわかるということだ。

● チェロ協奏曲のソリストは松本ゆり子さん。オケの中にもシュッとした若いチェロ奏者がいて,かなりの腕前と見受けられた。
 さらに,“ゲストチェリスト” もオケに加わっているようで,何だかチェロは凄いことになっている。
 「新世界」では木管。特に,第2楽章のオーボエとフルート。

● チェロ協奏曲では楽章間で拍手が起きた。「新世界」ではそれが消えた。
 昔はしばしばあったのが,演奏中にケータイの着信音が鳴り出すことだった。最近はそれがほぼなくなった。年寄りがケータイに慣れてきたんでしょうね。

2025年6月24日火曜日

2025.06.15 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ 第36回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● ジュニアオケというのが,栃木県内で鹿沼の他にあるのかどうか,ぼくは知らない。宇都宮ジュニアは消えたし,足利で設置の話があったが,その後どうなったのか。
 ともかく,鹿沼にはある。ほとんど奇跡のようなものだと思うのだが,演奏水準もかなりのものだ。著名な交響曲を全楽章通して演奏してみせるだけでも尋常じゃないと思うじゃないか。その中には,ブルックナーやマーラーも含まれるのだ。

● 14時開演。今回の曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン エグモント序曲
 ベルリオーズ ラコッツィ行進曲
 ジョン・ウィリアムズ ジュラシックパーク より ハイライト
 チャイコフスキー 交響曲第5番
 アンコールはチャイコフスキー「くるみ割り人形」から “トレパック”。

● この中で最も印象に残ったのはエグモント。第一音が見事だった。
 あやまたず聴衆のハートを撃ち抜く音があるもので,弦とファゴットが発する第一音でガっと客席を掴んだ感じ。掴みって大切だもんね。

● チャイコフスキーの5番も立派にチャイコフスキーになっていて,そりゃ苦戦しているパートもあったけれども,苦戦はしていても傷にはならず。
 できあがった形は基礎も外壁もしっかりしていて,飾り窓も尖塔もすべて揃った,チャイコフスキーの交響曲第5番のそれだった(と思った)。なぜそれができてしまうのか,ということの方が不思議。

● 会場までの道すがら,今回の演奏会のポスターを貼ってある商店をひとつだけ見かけた。こうした旧来型の告知は鹿沼市内に留まっているようだ。地元完結型。
 鹿沼市民じゃないぼくがこの演奏を知ったのは,楽団のインスタによる。𝕏 もあるのだが,こちらは長らく更新されていない。何でもいいのだが,ネットに情報を上げてもらえれば,ほとんどの場合,用は足りる。

● 鹿沼ジュニアは児童・生徒の保護者(≒母親)が運営及び設営の主体になっているようだ。彼女たちが手弁当で雑務を引き受けている。
 それゆえ,良くも悪くも地元密着を志向しているように見える。が,可能であれば,一度は鹿沼から出てみたらどうか。定演を宇都宮で開催してみるといったことだ。

● 費用をはじめ,煩瑣な問題が起ちあがるから,対応するのは大変だと思うけれども,この小さな紳士淑女たちを,未就学児入場禁止の通常の演奏環境の中に座らせてやりたいと思った。
 1千万円ほどポンと寄付して,これでやってくれと言えればいいのだが,残念ながら1千万円ポッチのはした金がない。

● 梅雨の合間
の晴れ。というか,今年は梅雨なんかあるのかと思うくらいだが。すでにして真夏日の連続。酷暑,また酷暑。
 府中橋から黒川を見下ろすと,鮎釣りをしている人たちが数人。男性の分類基準に “釣りをするかしないか” があるかも。

2025年6月10日火曜日

2025.06.08 栃木県交響楽団 第117回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 開場前から長蛇の列。幾重にも折れ曲がって延々と続いている。チケットはあらかじめ買ってあるが,入れるのかと思ってしまう。
 ダラダラと延びた列というのは,視覚に過大に映る。ホールのきっちり詰まった座席に座らせると,何だこんなものだったのか,となるのは経験則でわかっているのだが,それでもこれだけ長い列を見るとね。

● 今回は栃響創立50周年記念。本来ならとっくにやっているはずのものだったが,コロナで開催中止。5年遅れで,しかし,仕上げて,公開に漕ぎつけた,と。
 ちなみに,今回は50周年記念の1st.ステージ。2nd.もあって,マーラーの2番を演るらしい。時期は来年の今頃か。

● というわけで,今回は曲目が凄い。ドヴォルザークの9番とストラヴィンスキーの「春の祭典」。
 開演は14時。指揮は三原明人さん。

● ドヴォルザークの9番。ひょっとして,この楽曲には普段聴いているのとは違う,別版の楽譜があったのか,と思った。???と思ったところが数ヶ所あった。
 ???には単なるミスも含まれるけれども,ミスは仕方がない。人間が演奏しているのだ。プロでもやる。
 そうではなくて,緩急というか,テンポというか。指揮者のいわゆる解釈の範疇だろうか。異物感があった。
 だからダメと言うのではもちろんない。今まで聴いて来たのとは違う,と感じただけのことだ。

● 「春の祭典」は当然にして大編隊。この曲をなぜ演奏できてしまうのか。そこがまず不思議だ。
 音源があって,実際の演奏を何度でも聴くことができるからだ,というのがひとつの解答ではあろうけれども,縦の線を揃えるだけでも大変でしょ,これ。しかも,これだけの大人数なのだ。

● さすがは栃響。特に,弦の水準が全体を盛り上げていた感じ。
 盛り上げるというより,演奏の大枠を形作っていた。この弦があったから「春の祭典」が成立したんじゃないか,と思わせるっていうかね。
 急いで付け加えておくが,他がダメと言ってるのではない。そんなことは1ミリもない。ダメなパートがあったら,そもそも演奏にならないのでね。

● 打楽器のセンターに久しぶりの田村さん。賛助になるんだけれども,やっぱりここは彼女じゃなきゃって感じですか。
 終演後に指揮者に立たされたときにも,彼女への拍手がひときわ大きかった。ティンパニへの拍手が大きいのは演奏会の常ではある。目立つところにいるし,音も目立つ。けれども,今日の拍手は見事だったという客席側の意思表示でしょう。

● 唯一,残念だったのは,終演の1秒前,最後の一音がこれから鳴るというときに,ブラボーを叫んだバカがいたことだ。
 ブラボー屋って,若者が多いのかと思いきや,たいていは皮膚のひったるんだ中高年のオヤジであるのは,経験則の教えるところ。どうしようもない年代なんだな。

● あと,客席の照明を明るくするタイミングをひょっとしたら間違えたか。もう少し余韻を引いてもよかったかもしれない。