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2014年7月5日土曜日

2014.07.04 横山博チェンバロ・リサイタル 2

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● バッハのフランス組曲を2回に分けて演奏。その2回目。開演は午後6時半。
 今回は,2番,4番,6番。それと,クープランのクラヴサン曲集第3巻第14組曲から,第6曲「ジュリエ」を除く7曲を。

● 前回と違ったのは会場の階段席を封鎖していたこと。チェンバロの周りにパイプ椅子を並べて,観客を座らせた。約百人ほど。奏者と観客との間は完全フラット。
 ぼくも前回よりだいぶ近い位置で聴くことになった。

● 前回以降,チェンバロ演奏のCD(すべて曽根麻矢子さんのもの)をけっこう聴いたつもり。でも,「何を聴いても同じように聞こえてしまう」状況を脱することができないまま,今回の演奏会を迎えることになった。
 じつにどうも,冴えない話なんだけど,この点に関してはやや諦めの境地にさしかかっている。
 ゴルトベルク変奏曲にしても,チェンバロよりピアノで聴いた方がしっくり来るっていうか,落ち着きがいいっていうか。

● この程度で聴いているわけだから,申しわけない。ただ,この演奏会に集まった約百人のお客さんも,みんながみんな気を入れて聴く人たちだったかというと,そうでもなくて,近くにいたお婆さんなんか,途中でらくらくホンを取りだしてメールを見始まっちゃった。無理しないで帰ればいいのにと思うんだけどね。
 後半はけっこうダレていた。客席の話ね。チェンバロを2時間聴くのはなかなか骨っぽかったらしい。らしいって他人事のように言ってるけど,ぼくも同じ。

● 今回は演奏の合間の語りがなかった。基本,その方がいいと思う。けれども,空間を狭くして観客と奏者の距離を縮めたのであれば,途中で語りを入れて,空気を入れ換えた方がよかったかもしれない。

● ともかく。チェンバロでお腹がいっぱいになった感じ。

● 以下,余談。
 演奏会終了後はまっすぐ帰宅するのが慣わしだけれども,この日は雀宮駅前にある居酒屋で酒を飲むことにした。名前は前から聞いていたんだけど,入ってみる機会がなかなかなかったので。
 金曜の夜のこととて,店内は満席。カウンターに席を取れたのは幸いだった。

● 昭和が充満している感じ。ぼくなんか,この方が落ち着く。昭和と違うのは,煙草を喫う人がほとんどいないこと。
 喫茶店は空いてる方がありがたいけれど,居酒屋は混んでる方が居心地がいい。これだけ活気があると,それに乗ってグイグイ行けそうな気分になる。

● いくつか注文した肴は,どれも大量。一人だったら二品がいいところ。驚いたのがポテトフライ。輪切りにしたジャガイモがたぶん一個分。並の大きさじゃないジャガイモだな。少々塩をたして喰うと,これが旨いのなんの。
 結局,白ワインをボトル1本空けてしまった。

● 居酒屋グルメを堪能したな。B級グルメってやつだね。気のおけないB級の方が,多少とも緊張しなきゃいけないA級より,ずっといいやね。
 愚かな金持ちはA級に走り,賢い庶民はB級を愛する。そう考えておくと,精神衛生にもいいな。

2014年5月8日木曜日

2014.05.05 横山博チェンバロ・リサイタル

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● バッハのフランス組曲を2回に分けて演奏。今日はその1回目。バッハのフランス組曲をチェンバロで聴けるんだから,ともかく出かけていった。
 チケットは通し券で1,600円。開演は午後6時半。

● 曽根麻矢子さんのCDを一応,聴いてはいる。だけど,チェンバロって何を聴いても同じように聞こえてしまう。フランス組曲もゴルトベルク変奏曲も同じに聞こえる。区別がつかない。聴き慣れていないからなんでしょうけどね。あるいは,聴き方が悪いからなんだろうけど。
 さすがに生で聴けばそんなことはないだろうと思う一方で,管弦楽に比べれば,生とCDの差は少ないだろうから,やっぱり同じに聞こえちゃうかなぁと思ったり。
 ま,こんな程度で聴きに行っているわけですが。

● よくいえばアットホームな感じ。横山さんの音楽教室の生徒さんたちが多かったんだろうか。ほんのりと始まった。
 淡々と弾いていくうちに,だんだん場ができてきた。チェンバロを聴くという場。

● ところが,その場がほぼできあがったところに語りが入ってしまった。声は届いているんだけど,何を言っているのかはわからない。内容がではなくて,発話が。せっかくできた場が,崩れてしまったとぼくには感じられた。
 この辺は賛否両論があるはずだけれど,解説はプログラムに回して,観客に届けるのは演奏のみでいいと,ぼくは思う。演奏がすべてを語ってくれるはずだ。それをどう受け取るかは観客に委ねるしかない。誤解や曲解もあるだろうけれども,そこは仕方がない。

● 生演奏を聴くことの効果というのはある。聴くというのは,つまりは消費だ。それを何かに活かすために聴いてる人は,いたとしても少数だろう。つまりは,気持ちよく時間を消費できれば,それで充分だ。快い時間を持てること。それが効果の最たるもの。
 もうひとつ,快い時間を拡大するきっかけになることがある。今回でいうと,眠っていたCDを聴いてみようという気にさせてくれた。平均律クラヴィーア曲集とかイギリス組曲など,チェンバロ演奏を収録したCDがある。それに向かうベクトルを作ってくれた。

● 会場の宇都宮市立南図書館はもともと田んぼだったところ。隣に宇都宮工業高校があるけれども,ほかに建物はない。平野が拡がっていて,半端ない開放感が味わえる。
 ここで田植えや稲刈りをしていた人たちも,同じように伸び伸びした空気を感じていたんだろうか。だとしたら,農業って悪い仕事じゃないなぁ。
 でも,あれだな,こういうところで開放感を感じるのは,普段せせこましいところにいるからだ。当時,農作業をしていた人たちにはあたりまえの風景だったはず。ことさらに開放感として受けとめることはなかったろうなぁ。