2018年4月7日土曜日

2018.04.01 全日本医家管弦楽団 第28回定期演奏会

東京オペラシティ コンサートホール

● 全日本医家管弦楽団の定演。その名のとおり,お医者さんたちのオーケストラ。28回を数えるこの楽団の演奏会を聴くのは,しかし,今回が初めてだ。
 医師といえば激務の代表(特に,外科の勤務医)。日本の医療は医師や看護師の使命感と責任感でもっているようなものだ。おおもとのシステムは制度疲労を起こしていて,ほぼどうにもならないのではないか。ひょっとすると,医師や看護師の使命感や責任感の強さが,制度の問題を見えにくくしているのかもしれないんだけど。
 この点に関する国会の怠慢はどうしたことか。モリだのカケだの,どうでもいいことにうつつを抜かしている暇があるなら,医療問題をなぜ議論しない?

● ともあれ。激務の合間をぬって時間を作るんでしょうね。大学までずっと楽器をやっていた人たちなのだと思うんだけど,卒業後もそれを維持するのはさすがに難しいだろう。定演前の短い練習で錆を落とすのがやっとなのではないかと思う。必死こいて錆を落として,曲を仕上げるのだろう。
 さりながら,そうであればこそ表現できるものがある。こめられる思いがある。いや,頭が下がります。

● 開演は午後2時。チケットはA,Bの2種で,Aが2,500円でBが1,500円。どちらでもいいから当日券を買おうと思っていた。で,当日券の売場を見つけて,そこに向かっているときに,爺さまに声をかけられた。当日券? と。売場がわからないのかと思って,売場を指さして教えてあげたんだけども,どうもそういうことではないらしい。
 券が余っているから使えということだった。招待券をもらったらしい。招待券というのは2枚送られてくるらしく,一緒に来る人などいないから1枚余っているのだ,というわけだった。

● ありがたくお言葉に甘えることにしたんだけども,3階席だったのはいいとして,件の爺さまの隣になるわけだ。なので,爺さまの話を聞くことになる。
 以前はちょんちょん跳ねで来たものだが,最近は億劫になっていけないという話をしていた。歳だからってことなんだけども,そんなに高齢には見えなかったんだけどね。といっても,後期高齢者にはなっているのかな。
 近い将来にぼくもその年齢になる。やはり出かけるのが億劫になるんだろうか。

● 目下のところ,東京に出るのはできる限り控えて,地元で開催される演奏会に沈潜しようと思っているんだけども,こういう話を聞くと,行けるときに行っておいた方がいいのかもしれないと思えてくる。
 件の爺さまはたぶん都内に住んでいるのだろう。ぼくなんぞは栃木から出てきているのだ。出不精になったら,その影響は爺さまより(たぶん)大きい。
 地元に沈潜するのは,後期高齢者になった後のためにとっておくのがいいのかもしれない。

● 曲目は次のとおり。指揮は曽我大介さん。
 チャイコフスキー 荘厳序曲「1812年」
 チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」より“情景” “ワルツ” “白鳥の踊り” “ハンガリーの踊り” “終曲”
 ブラームス 交響曲第2番 ニ長調

● 「1812年」には合唱が加わった。「一音入魂合唱団」。この合唱団に接するのはこれが二度目になる。2016年11月の日本IBM管弦楽団の定演に登場していた。そのときも指揮は曽我さんだった。
 この合唱団は,もともと「IBM社内の合唱愛好者が集結」して結成されたもの。現在ではIBMに限らず,広く門戸を開いているようだが。

● 「白鳥の湖」はこちらは気楽に聴くことになる。ここでのコール・ドが俺好きなんだよなぁ,とか,この旋律はオデットが「私はここよ,ここにいるのよ」って王子に切なく訴えるサインなんだよな,気づいてやれよ,王子よ,とか,バレエの情景を思い浮かべて,まぁお気楽に聴くわけですよ。
 で,聴く側はこの聴き方でいいんだと思うんだけども,演奏する側はそう気楽にはやっていられない。逆だよね。優雅な調べを奏するには,弦なら細かく左指を動かして,右手の神経は弓に通わせなければならない。忙しいことこの上もない。

● ブラームスの2番。1番とは対照的に,ブラームスが短期間で完成させた曲だということが強調されることが多い。曲の出来不出来はかけた時間に比例するものではない。というか,個人的にはあまり時間をかけてはダメなのじゃないかと思っている。まったくの素人考えだけど。
 1番はズッシリと重いという印象を受ける。2番は軽やかだ。重が軽に勝るということはないわけで,どちらが好きかは好みによるとしか言いようがない。
 1番は“つっかえつっかえ”という印象を受けることがあって,ぼく一個は4番の次に2番が好きだ。

● 先に,錆を落とすという言い方をした。実際,週に2日は確実に休めるという仕事ではないだろう(中にはそういう人もいるかもしれないが)。日常の間に楽器に触るまとまった時間を取るのは容易ではないはずだと思うのだ。
 まして,楽器を鳴らすには場所も選ばなくてはならない。本番が近づいてから,意を決して時間のやりくりをすることになるのではないかと思う。
 そもそも,社会人になってから上手くなるなんてあるんだろうか。それにしては,かなりの水準をキープしている。出発点において相当な腕前だったのだろうかなぁ。

● アンコールはボロディン「ダッタン人の踊り」。ここでも一音入魂合唱団の合唱が入った。もちろん,こういう編成の「ダッタン人の踊り」は初めて聴くものだ。
 彼ら彼女らは明日からまた激務の日常に向かっていく。この演奏会を催行するのも相当に大変だと思うのだが,同じ大変でも息抜きのできる大変さなのであろうな。

2018年3月31日土曜日

2018.03.31 間奏58:那須で音楽祭

● 那須で音楽祭をやろうという試みがあることを知った。自分がやろうとしても絶対にできない。やれる人がやろうとしているのを応援することはできる。

● 那須で音楽祭なんて素敵じゃないか。那須のイメージがググッと上がるぞ。
 観光っていうのはさ,いつ行ってもそこにあるものを観て楽しむっていうのももちろんいいんだけれど,普段はないものが期間限定で現れて,その期間が過ぎると跡形もなく消えてしまう方が高級な感じがするんですよ。

● っていうか,観光に限りませんね。モノを買うのはもういいや,と。
 今どきのパソコンだったら10年は使えるでしょ。10年使えばいいんだと思うんですよ。どうせ大したことに使うわけでもないんだし。車なんか走りゃいいんですよ,走りゃ。10万キロは最低でも乗る,と。セーターは一着買ったら3シーズンは着ることにする,と。となると,モノなんかもう要らないんですよ。
 後に残らないものにお金を使いたいと多くの人が考える水準に,今の日本は来てるでしょ。買ったあともその場に残ってしまうモノじゃなくてね。

● こういうのって,開催にこぎつけるまでに色々と壁や柱に頭をぶつけることになるんだろうけど,何はともあれ資金の問題がある。クラウドファンディングで資金集めをしているようだ。目標額は100万円。
 どういう理由で100万円なのかはわからない。初めての試みなのだから,金額を含めた詳細な設計図を事前に描くことはできないだろう。大雑把な絵を描いて,あとは走りながら細部を詰めていくしかない。

● はっきりしているのは,100万円程度も集まらないようなところは,音楽祭を催行する場としてはふさわしくないということだ。
 基本的には受益者負担が望ましいので,チケット収入で賄えればそれに越したことはない。が,現実問題として,チケットの料金を上げるのには限度がある。

● ぼくもそうだけど,この辺の人たちは,オーケストラは千円で聴けるものだと思っている,と見ておかないと。プロオケに対しても5千円出すのは躊躇するかもしれない。
 もしファンディングが成立しないようだと,まだまだ機は熟してしないと判断しないといけないのかも。

● ところでそのファンディング,あと40万円で成立する。40万円なんて小銭じゃん。俺様が30万円と10万円の応援プランを購入すれば成立じゃん。おっしゃー! 任せとけ・・・・・・と思った。
 ・・・・・・思うところまではできるんだよね。実際にやったのは1万円の応援プランの購入。これ以上は,どこかに無理が入り込んでしまうのでね。

● 音楽祭にはまったくふさわしくないむさ苦しい格好(っていうか,それがいつものぼくの格好なのだ)で聴きに行ってやるのだ。今年の秋のお楽しみ。

2018年3月29日木曜日

2018.03.25 第7回 音楽大学フェスティバル・オーケストラ

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 首都圏の9つの音楽大学の混成オケの演奏会。すでに卒業式を終えた4年生も加わっているのではないかと思う。
 秋から冬にかけて,大学ごとの演奏が4回にわたって行われ,今日のはその総仕上げというか,弓取り式というか。

● 同じ演奏が昨日も東京芸術劇場で行われた。東京芸術劇場とミューザ川崎なら,圧倒的にミューザで聴きたい。
 ミューザの心地よさは何に由来するのだろうか。程の良い大きさだろうか。響きの具合が自分の好みに合っているからだろうか。スタッフの対応の良さによるのか。
 自分でもよくわからないんだけれど,行ったことのあるコンサートホールの中では,ミューザが最もいいと思っている。

● 開演は午後3時。席はSとAの2種で,S席が2,000円。“ぴあ”で購入していた。
 曲目は次のとおり。指揮は準・メルクル。
 ドビュッシー 交響組曲「春」
 シューマン 交響曲第1番「春」
 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」
 オール「春」プログラム。もちろん,仕組んだうえでの選曲だろう。

● ドビュッシーは,ぼくにとっては難解。たぶん,勝手に難解にしちゃってるんだろうと思うだけどね。好きな人は一発でハマるはずだとも思っている。
 ドビュッシーには光の変化を感じるという人がけっこういる。そう言われると,なるほどとぼくも思う。そういう曲を難解だと感じてしまうのは,ベートーヴェンを聴くような態度でドビュッシーを聴いているからなんだろうかねぇ。

● シューマンの「春」も難解といえば難解。この曲のどこに春があるのかと思ってしまう。春の具体を見ようとするからでしょうね。
 標題の「春」は具体的なものではなく,もっとずっと抽象的な何かなのだろう。それはそういうものと割り切ってしまえば,別に聴くのには何の支障もないわけだが。

● シューマンのこの曲は,一寸先がどうなるかわからないという危うさがある。もちろん,奏者には楽譜が与えられているんだし,ぼくらは録音で何度も聴けるわけだから,予め全体像を把握している。次はこうなると承知して聴いている。
 が,先のわからなさを聴くたびに感じる。

● ストラヴィンスキーの「春の祭典」。よくもまぁ,こんな音楽をイメージできたものだ。モーツァルトやベートーヴェンを音楽だと思っている人が,初めてこの曲を聴くと,雑音としか思えないかもしれないと思うほどだ。っていうか,自分にもその気があったので。
 Wikipediaによれば,初演では「賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い,殴り合い,野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくな」ったほどだというから,最初から熱烈絶賛派と絶対アンチ派に別れたわけだ。

● つまり,それほどにインパクトが大きかったということだ。インパクトがあればあるほどアンチを生む。
 今となっては前者が正しかったとなりそうだけれども,サン=サーンスも席を立った一人だったというから,新しいものがすんなりと受け入れられるのは,どの領域でもないということでしょうね。

● この曲は,2013年の第4回のとき,桐朋が演奏した。指揮は高関健さんだった。そのときの印象がかなり強烈。今回,また同じ印象を味わいたいと思ったわけだが,なかなかそうは問屋が卸してくれない。
 第一に,こちらが変わってしまっている。つまり,この曲に馴れてしまっている。

● しかし,曲の持つパワーがとてつもない質量だから,聴き終えたときにはぐったりと疲れていたのは,あのときと同じだった。
 奏者たちのパワーもまた凄い。ほぼ満席の聴衆の中で,この演奏に満足しなかった人がいたとは考えにくい。

● 初めてこの曲を聴いたとき,バレエ音楽といっても,この音楽にどんな踊りを振り付けるのかとも思った。この音楽でどうやって踊れというのだ,と。
 これも,バレエといえば「白鳥の湖」とか「コッペリア」しか知らなかったからだ。自分の想像力がそこから一歩も出られなかったためだ。
 YouTubeにあがっている映像を見て,なるほどこういうものだったのかと思ったわけだけども,われながらバカすぎると思う。

● 管弦楽を生で聴くことの快感・喜びを最も鮮烈に味わえるのが,この音大フェス。しかも,コストは低廉。とってもお得。
 お得云々はいずれにしても,他の演奏会には行けなくなっても,これだけは行きたいというのが,じつはこの音大フェスなのだ。聴けばわかる。

2018年3月27日火曜日

2018.03.24 石橋高等学校吹奏楽部 第13回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● この高校の演奏会を聴くのは今回が初めて。13回を数えるのに初めてとは,これいかに。
 今までは小山市立文化センターでやっていたらしい。今回,初の宇都宮開催になったようだ。

● 高校の吹奏楽や管弦楽の演奏会情報は,意外にネットに出てこない。部員たちがTwitterでつぶやいてはいるんだと思う。が,彼らのツイートは部員間でグルグル回っているんじゃないかと思うくらい,こちらに引っかかってこない。
 今回はたまたま18日に矢板市文化会館で聴いた「百花繚乱春爛漫コンサート」で受け取ったチラシの中に,この演奏会のチラシも入っていた。それで,では行ってみようか,と。
 開演は午後2時。入場無料。

● プログラムは次のとおり。3部構成。
 ビルグッド 行進曲「勇者の末裔」
 郷間幹男 コンサート・マーチ「虹色の未来へ」(2018年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅳ)
 鈴木英史 鳳凰-仁愛鳥譜
 ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲より“夜明け” “全員の踊り”

 ジェルヴェーズ アテニャン 金管八重奏「フランス・ルネサンス舞曲集」
 楽器紹介
 アンジェラ・アキ 手紙-拝啓十五の君へ
 真島俊夫 クラリネット八重奏「ラ・セーヌ」より“ポンヌフ” “アレクサンドル三世橋”
 プリマ シング シング シング
 メンケン リトルマーメイド メドレー
 ダンシングヒーロー石高ver.

 J.シュトラウスⅡ エジプト行進曲
 チャイコフスキー 交響曲第4番(第4楽章のみ)
 パディーラ エル レリカリオ
 和泉宏隆 オーメンズ・オブ・ラブ

● どういう基準で3つに分けたのかは判然としない。判然としないことに何の問題もないのだが。
 強いて言葉をあてはめれば,1部がコンクール・ステージ,2部はドリルを含む客席サービス・ステージ,3部はクラシック・ステージ,とでもなるか。
 が,この枠には収まらない。収まる必要もない。というより,収まらないところに面白みがある。

● 最初の「勇者の末裔」を聴いて,驚いた。というか,襟を正す気分になった。
 県内高校の吹奏楽といえば,まず作新があり,宇都宮北がある。あと,“それ以外”の全部で3つがあると思っていた。無知というのは,とんでもなく素っ頓狂な認識に導くことがある。困ったものだ。
 つまり,石橋高校の吹奏楽の水準はかなり高い。第一の特徴は粒が揃っていること。同一パート内の奏者の水準が揃っている。パート間の水準も揃っている。したがって,守備に穴がない。三遊間も一二塁間も守りは堅い。外野に球が飛んでも心配ない。

● 2部では「楽器紹介」が面白かった。単純に楽器を紹介していくのかと思っていたんだけども,さすがにそんなことではなくて,エンタテインメント仕立てになっていたのだった。それぞれのパートがいろんな曲を繰り出してくる。
 「手紙」は部員による合唱がメインというかね。いい歌だからね,若い彼らが歌うとそれだけで説得力を持ってくる。にしても,だ,吹奏楽部員はいろんなことをしなければいけないんだな。

● 「ダンシングヒーロー」はね,やりたかったんでしょうね,部員たちがね。大阪府立登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」は驚愕だったもんね。
 こういうものもネットで見られる時代に生きていることをありがたいと思いましたよ。ほんとに驚いた。あのダンサーたちの切れ味の凄さといったら。ハイヒールで踊っている映像もあったような。
 石高ver.はさすがに登美丘高校と比べてはいけないものだけど,これをやれば必ず客席は盛りあがる。ただし,そろそろ賞味期限は切れつつある。

● 最も印象に残ったのは,チャイコフスキーの交響曲第4番(第4楽章)だ。こちら側の曲に対する好みが大きく作用した結果だとは思うんだけども,この楽団の実力のほどを細部にわたるまで引きだす曲のように思えた。
 見事な演奏だった。チャイコフスキーの運命の動機(苦悩を通して歓喜に至れ)を堪能できた。注文をつけたくなるところは,ひとつもなかった。
 チャイコフスキーの交響曲は,やはり後期の3つが面白い。聴いていて幸せを感じる度合いが高い。

● プログラム冊子の「石高吹部の仲間たち」によると,ぼくの地元にある阿久津中からも何人か入っている。それぞれ,活躍中だ(と思う)。
 高根沢から石橋まで通うっていうのは,昔はあまりなかった気がする。県北に住んでいるぼくらにとっては,宇都宮の南側は栃木県ではない的なところがあった。
 南側に住んでいる人にとっては,宇都宮より北はパラパラと人が住んでいる開拓部落に映っていたかもしれない。ま,当たらずとも遠からずではあるのだが。

● でも考えてみれば(考えてみなくても),宇都宮で降りずにあと2駅電車に乗れば,そこは石橋なのだ。
 しかも,石橋高校は石橋駅から徒歩圏内ではなかったか。宇都宮で降りてバスを乗り継ぐより,近いかもしれない。

● 演奏会には演奏以外のものはない方がいいと,ぼくは思っている。高校吹奏楽部の場合,ありがちなのが開演前の校長あいさつだ。
 とおり一遍のあいさつを聞かされても仕方がないし,演奏がすべてを語るのだから言葉による説明など要らないのだ。そういうものはプログラム冊子に載せておけば足りる。さほど立派でもない顔を見せられても,まったく嬉しくないしね。

● なので,校長あいさつなどというものは,それじたいが公共の福祉に反するものだと,ぼくは思っているんだけど,なかなかそうもいかない事情があるらしくて,わりとこれに出くわすんだよね。
 石橋高校の演奏会にはそれがなかった。おしなべて言うと,演奏水準の高いところはステージに演奏以外のものを載せない。この高校ほどの水準ならば,それがふさわしい。

● 昨年は東関東に進んだようだ。が,東関東で認知されるのはなかなか大変だろう。東関東で上位に行くには,表現力に磨きをかけなければならないということか。あるいは,個々のプレイヤーにさらに高い技量が求められるのだろうか。
 だとしても,この演奏のどこをどういじればいいのか,ぼくには皆目見当がつかない。

● が,部員たちにはわかっているだろう。平日は生徒だけで練習しているということだ。自主練が成立するのは何をやればいいか自分たちがわかっているからでもあるわけだが,東関東に進めるほどの技術の持ち主たちだからこそ,何をやればいいかがわかるのでもあるだろう。
 ある程度の高みに登らないと,その辺は見えて来ないものではないか。

● 東関東ではどうやら千葉県が圧倒的に強いらしいのだが(習志野とか柏とか),いったいどんな演奏をしているのか。一度は実演に接してみたいものだ。

2018年3月23日金曜日

2018.03.18 第14回 百花繚乱春爛漫コンサート

矢板市文化会館 大ホール

● 塩谷地区と那須地区の高校(すべてではない)が一同に会して,合唱と吹奏楽を披露するという催し。年1回やっていて,今年で14回を数えるというのに,一度も行ったことがない。
 今回も那須フィルの定期演奏会と重なっていて,どちらにしようかとギリギリまで迷ったんだけど,こちらを選んだ。

● 開演は午後1時。入場無料。
 2部構成で第1部が合唱。2部が吹奏楽。合唱のプログラムは次のとおり。

 大田原高校
  中勘助 多田武彦 かもめ
  岩井俊二 菅野よう子 花は咲く

 さくら清修高校
  バルトーク  Hejja, hejja, karahejja!
  バールドシュ Cantemus

 矢板東高校・附属中学校
  バールドシュ Magos a rutafa
  多保孝一ほか 愛をこめて花束を

 黒磯高校
  モンテヴェルディ「Lagrime d'amante al sepolcro dell'amata」より
   Incenerite spoglie
   Dara la notte il sol

 大田原女子高校
  荒井由実 ひこうき雲
  北川悠仁 佐藤和哉 雨のち晴レルヤ

 合同合唱
  信長貴富 混声合唱とピアノのための「くちびるに歌を」

● 最も印象に残ったのは,大田原高校の「花は咲く」。
 この曲はYouTubeで杉並児童合唱団の演奏を聴くことが多いんだけど,男声合唱にするとこうなるのかという発見がひとつ。
 少ないながら,一騎当千の歌い手たちに驚いたことがひとつ。

● が,それ以上に曲そのものによるでしょうね。この時期だとなおさら。
 歌詞は津波で命を散らした少女(中学生か高校生)が彼岸から現世に向けて,自分の思いを語るというもの。

 叶えたい 夢もあった
 変わりたい 自分もいた
 今はただ なつかしい

 あまりに説得力がありすぎる。生きている少年少女(かつて少年や少女だった者を含む)に真っ直ぐに届くだろう。
 他愛のない夢だったのかもしれない。遠大な夢だったのかもしれない。平凡に結婚して母親になりたいと思っていたのか。医師か看護師になって,アフリカに渡って,多くの命を救いたい,人の役に立ちたい,と考えていたのか。仲良しの友だちといつか銀座を歩いてみたいねと語っていたのか。みな,等しく夢たり得る。
 それを叶えることができなくなった自分が「わたしは何を残しただろう」と顧みる。わからない。わからないけれども,必ず,何かは残しているのだよ。人は生まれてきたというそれだけで,必ず何かを残していくものだ。

 傷ついて 傷つけて
 報われず 泣いたりして
 今はただ 愛おしい

 そういう時間をもっともっと過ごしたかっただろう,過ごさせてやりたかったと,この曲を聴く人のすべてがそう思うだろう。

● 大田原高校の部員たちは,気持ちをこめて丁寧に歌っていた。一方で,気持ちをこめすぎてもいけないものだろう。
 まだ行方不明者は多数いる。東日本大震災は過去になったわけではない。だからこそ,放っておくと気持ちを込めすぎる方に傾くかもしれない。

● 黒磯高校のモンテヴェルディは清新な印象。お初にお目にかかります,という状況だったからかもしれないんだけど。
 まだまだ上手くなれる余地がありそうだ。いい練習をしているんじゃないかと思わせる。

● 合同合唱はさすがに圧巻。指揮をしている魔法使いのような婆様は何者だ?
 合唱が世界のすべてという人のようだ。他とバランスを取るなんぞという発想はおそらくないだろう。
 細部への気配り(監視ともいうか)の効いた指揮ぶりといい,大勢の団員を一点に向かわせる統率力といい,ただ者ではない風格がある。カリスマという言葉を思いだした。

● 第2部は吹奏楽。

 矢板東高校・附属中学校
  ステファン・ブラ編 アナと雪の女王 ハイライト
  大野雄二 ルパン三世のテーマ

 大田原女子,黒羽,黒磯南,黒磯,那須,那須清峰,幸福の科学学園 合同演奏
  後藤洋編 バレエ音楽「くるみ割り人形」ファンタジー
  和泉宏隆 宝島

 高根沢,さくら清修,矢板東,矢板中央,那須拓陽,馬頭 合同演奏
  カルモナ Fiesta española (pasodoble)
  久石譲 魔女の宅急便 セレクション
  樽屋雅徳 無辜の祈り

● 合同演奏のための練習はそんなに時間が取れるわけではない(と思う)。まとめるのはなかなか難しいだろう。
 一番楽に聴けたのは,最初の矢板東高校・附属中学校の2曲だった。楽に聴ける演奏=いい演奏,というわけではないと思うのだが。
 
● 高校生の一生懸命はまっすぐにこちらに届く。事故はあった。が,そんなのは問題じゃない。二度や三度のエラーで試合が決まるわけでもない。
 一生懸命を忘れて久しいグータラ社会人としては,おまえなんか全然ダメじゃん,と叱咤激励された気分になった。

● 気になったことが2つあった。ひとつは,部活紹介に「楽しく練習しています」と書いているところが多かったこと。
 レトリックとしてそう書いたのならいいんだけれど,本当に楽しく練習してるんだとすると,それはつまり練習してないってことだぞ。楽しいのはできることしかやってないからだよ,たぶん。

● 楽しくない練習をどれだけ積みあげられるかの勝負だもん。それをやらないと本番が楽しくならないでしょ。楽しむべきは本番であって,練習じゃない。言い方を換えると,楽しくない練習をどれだけ楽しめるかが,つまり才能ってことかもしれないんだよ。
 と言ってしまったあとに取って付けたようで悪いんだけど,やはりレトリックだよね。練習,楽しくないよね。

● もうひとつは,部員数が極端に少ないところがけっこうあることだ。少なければ少ないなりにやりようはある,というレベルを超えて少ない。
 このままでは,たとえば吹奏楽についていえば,作新や宇都宮北とその他の学校の差は開くばかりだ。
 吹奏楽をやりたいんだったら,頑張って作新や宇都宮北に行けばいいんだよ,というのは,ひとつの考え方として成立しないわけではないけれども,少し以上に乱暴だ。

● 部活を学校単位に押しこめておくのは無理があるのかもしれない。いくつかの学校が共同して行うのが常態であるべきなのかも。
 そうしようとすると,生徒の移動や指導者をどうするかなど,厄介な問題が生じるけれども,どうもそこに向うしかないのかもしれないね。
 この「百花繚乱春爛漫コンサート」も,その答のひとつなのかもしれない。

2018年3月19日月曜日

2018.03.11 文学座俳優とヴァイオリンの共演による名作朗読会

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 外山滋比古さんの『ものの見方 思考の実技』(PHP 2010)に次のような文章がある。
 イギリスの中世において,本が読まれるのは,音読であり,朗読であり,ときには,職業的読書技術ををもった吟遊詩人の「演技」ですらあった。そこにはつねに聞き手が予想されている。声を出して読まれるのは,読者ひとりのためでなくて,小コミュニティのためであった。(p43)
 もともと,リーディングとは音読のことだった。黙読が一般的になったのは比較的最近のこと。

● というところで,この催しを知った。というと,話の流れが自然でいいんだけれども,じつは逆で,この催しを知ったのが先。
 そのあと,外山さんの文章を読んで,そうか,そういうことならこの朗読会に行ってみるか,と思ったという次第。行ってみようか,やめておこうかと迷っていたところに,偶然にこの文章を読んで背中を押してもらった。

● 開演は14時30分。当日券を買った。1,800円(前売券は1,500円)。
 朗読は文学座の山崎美貴さん,大場泰正さん,駒井健介さんの3人。そこに梶原圭恵さんがヴァイオリンで背景を作る。5弦ヴァイオリンを用意していた。

● 朗読したのは,次の3作品。
 モンゴル民話「スーフと馬頭琴」
 シェル・シルヴァスタイン「おおきな木」
 太宰治「走れメロス」

● なるほど,朗読は演芸なのだった。80分の別世界体験になった。
 朗読の合間の,朗読者によるトークも興味深かった。どういう作品なのか,作者はどんな人だったのか,どう解釈すればいいのか。そういった話なんだけど,さすがは文学座で,トークじたいが芸になっているよね。
 小学校で見た,NHK教育テレビ(と,当時はいった)の「おとぎの国」を思いだしたよ。あまり脈絡はないと思うんだけど。

3/9の下野新聞の紹介記事
● 「スーフと馬頭琴」は羊飼いの少年スーフと“雪のように白い馬”ツァスとの一心同体的な交流を描くファンタジー。「フランダースの犬」のモンゴル版とでも言おうか。つまり,スーフがネロで,ツァスがパトラッシュ。
 いや,少し違うな。でも,飼い主が少年であること(ここはやはり少年でなければいけない),その少年と動物の心の通い合いがテーマになっているところは共通している。

● その「スーフと馬頭琴」の後半は涙が止まらなくなった。これを老人性涙腺失禁だとは言わせまい。
 矢をいくつも受けて,血で白い躯体を真っ赤に染めながら,それでもスーフの元に一心に駆けるツァス。その様子が目に浮かぶんだよね。
 そこがつまり“演芸”ということなんだろう。この作品を黙読しても,ここまでの震えを自分の中に起こすことはできないだろうから。

● この話,モンゴルではあまり流布していなかったらしい。日本で有名になって,モンゴルに逆輸出されたようだ。これも,トークのときに3人が話していたことなんだけど。そういうことって,けっこうあるんだろうね。

● 終演後,「走れメロス」でよく喉がもったものだな,と言っていた人がいた。が,それがプロなのだろうね。
 いや,違うのかもしれないんだけど,そう思っておくと,心地いい思考停止に落ちることができるからね。

2018年3月6日火曜日

2018.03.03 ユーゲント・フィルハーモニカー 第12回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 開演は19時。終わるのは21時を過ぎるはずだから,この時間帯だとぼくは聴きに来れない。来れなくはないんだけれども,その日のうちに自宅に辿り着けなくなる。東京か宇都宮に1泊しなければならない。
 が,この日はたまたま東京に遊びに来てて,今夜は都内のホテルに泊まる。ので,終演時刻を気にすることなく,客席に座っていることができる。
 当日券で聴くことにした。その当日券は1,000円(前売券なら500円)。

● 曲目は次のとおり。オール・ロシア。指揮は三河正典さん。
 リムスキー=コルサコフ スペイン奇想曲
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
 リムスキー=コルサコフ 交響組曲「シェヘラザード」

● この楽団の演奏は何度か聴いている。したがって,腕の程はわかっている。このレベルになると,ぼくの耳ではプロオケとの違いが識別できない,ということも予め承知している。
 要するに,水準の高さは折り紙つきだ。多くの人がそう思っている。だから,客席はほぼ満席になる。あんまりガラガラだとかえって落ち着かなくなるけれども,ほどよく空いていてくれた方が,まぁ何というのか,疲れは少なくてすむわけだが。
 ここは,しかし,満席を言祝ぐべきだろう。これほどの演奏なのだからね。

● 「スペイン奇想曲」の最初の一音で,マイッタした。あとはお任せします,という気分になる。
 いや,煩悩に生きるぼくは,ステージから届く音楽を聴きながらも,俗世のつまらぬことが次から次へと浮かんできて,気がついたら交響曲の第1楽章が終わっていたなんてことがしばしばあるのだ。ずっと演奏に集中していられることは,そんなにあるものではないのだ。

● 「火の鳥」は決して奔放な曲ではないけれど,奔放に流れやすい曲ではあると思う。が,この楽団の演奏は見事に統制がとれているのだった。
 しかし,窮屈さは感じない。“統制”に合わせるために汲々としているわけではない。そんな部分は皆無だ。
 余裕がある。リラックスを維持している。したがって,演奏全体が柔らかい。

● 「シェヘラザード」に限らず,今回の3曲は3曲とも,コンマスなり各パートの首席のソロが頻繁に登場する。とりわけ,「シェヘラザード」でのコンマスのヴァイオリン独奏は印象的だ。
 命がけで王に対する劇中のシェヘラザードを象徴しているわけだろうから,この曲に関してはコンサートマスターは女性であってほしいと,下世話にも思わないわけでもない。
 が,コンマスの独奏はあくまでさやかに,凜とした高貴さをたたえたシェヘラザード(彼女は救国のヒロインでもあるわけだ)を連想させた。

● アンコールは次の2曲。
 グラズノフ 「四季」から“秋”
 グリンカ 「ルスランとリュドミラ」序曲
 このアンコールを含めて,聴き応えがないものはない。これほど使いでのある1,000円はそうそうあるものではない。
 彼ら彼女らの多くは,小さい頃から楽器の練習が生活のかなりの部分を占めていたに違いない。この演奏を1,000円(前売券なら500円)で聴くのは,何だかその上前をハネているような気分になる。