2017年3月18日土曜日

2017.03.13 宇都宮短期大学・附属高等学校音楽科 第49回卒業演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● 第46回47回に次いで3回目の拝聴となる。ぼくは宇短大や附属高校の生徒の父兄でもないし,縁もゆかりもない人間だけれども,この演奏会は楽しみにしているもののひとつだ。
 開演が平日の17:30なので,必ず行けるとは限らないけれども,できるだけ行くようにしている。
 
● なぜかといえば,その年齢のときにしか表現できないものがあるはずだと思うから。18歳あるいは20歳。そのときの感性。そのときの環境。そのときの生命力。そのときしかできない表現。それがあるはずだと思うから。
 30歳や40歳でもそのときにしかできない表現はあるのかもしれないけれども,ここはやはり若く可塑性に富んでいるときの演奏に接したい。

● 技術はこれからまだまだ上達するとしても,技術がすべてではない。ひょっとしたら技術を超える何かが現出するかもしれないという期待。若さが持つ魅力のひとつはそこではないか。

● 宇短大と附属高校の音楽科が,栃木県の音楽活動におけるセンターのひとつになっていることは間違いない(センターがいくつもあるのもおかしなものだけど,もうひとつは宇都宮大学教育学部の音楽教育コース&宇都宮大学管弦楽団)。
 栃響の団員にも宇短大の卒業生は多いようだ。アマオケの指導者にも卒業生が多い。人材の供給源になっている。

● 開演は午後5時半と平日にしては,異常に早い。おそらくは,聴衆として見込んでいるのは,在学生,卒業生の友人・知人といったところなのだろう。
 実際には保護者も来ている。もちろん,母親が多い。でも,たぶん,ぼくのようなまったくの部外者もいるはずだ。ぼくだけってことはない。市内のホールで何度か見かけている顔もあったから。

● 46回のときは,電子オルガンの演奏者が多かったのだけど,47回と今回はゼロ。
 プログラムを転記しておく。まず,高校。

 カバレフスキー ピアノソナタ第2番 第1楽章(ピアノ独奏)
 バラ イントロダクションとダンス(チューバ独奏)
 シューマン アレグロ ロ短調(ピアノ独奏)
 ベッリーニ 歌劇「夢遊病者の女」より“ああ,信じられない”(ソプラノ独唱)
 クレストン ソナタ(サクソフォン独唱)
 シューマン 「3つのロマンス」より第1番,第3番(ピアノ独奏)
 モーツァルト アリア“大いなる魂と高貴な心”(ソプラノ独唱)

● いつも思うことだけど,高校3年生というのは,正装すると完全なる淑女だ。近くで見れば,まだかすかに子供っぽさを表情に残しているはずだけれど,客席からステージに立つ彼女たちを見ていると,他を圧する大人の風格がある。
 トップバッターの大橋桃子さんの演奏する姿を見て,まず感じたのはそのことだ。

● いずれ菖蒲か杜若。そこをあえていうと,高校生の演奏で印象に残ったのは次の3人。サクソフォンの石橋佳子さん,ピアノの山本杏実さん,ソプラノの早川愛さん。
 石橋さんのサクソフォンはメリハリが利いている。この曲がメリハリがあった方がいい曲なのか,そこをあまり強調してはいけない曲なのか,そこのところはわからない。
 が,心地よく響いてきたのは確かで,であれば,少なくともぼくという聴衆のひとりにとっては,彼女の演奏で良かったはずなのだ。

● 山本杏実さんが演奏したのはシューマン「3つのロマンス」で,ぼくはこの曲が好きなのだと思う。だからよく聞こえるというところもあるのかもしれない。
 しかし,それだけのはずはない。実力が持つ説得力というのがある。

● 声楽を能くする人というのは,ぼくからすると異能者。つまり,自分にはない能力を持つ人たちだ。簡単に参ってしまう。
 早川さんの伸びやかな声を聴いていると,生まれ持ったものが大事で,努力でどうにかできる部分というのは,そんなにないのかなと思う。努力でどうにかできるようなものは,そもそもどうにかする必要もないものに限られるのかもしれない。

● 次に短大。
 クラーク 霧の乙女(トランペット独奏)
 ハイドン オーボエ協奏曲 第1楽章(オーボエ独奏)
 オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」より“森の小鳥はあこがれを歌う”(ソプラノ独唱)
 ドビュッシー 前奏曲集第2巻より第6曲,第12曲(ピアノ独奏)
 クラーク ベニスの謝肉祭(トランペット独奏)
 グラナドス 演奏会用アレグロ 嬰ハ長調(ピアノ独奏)
 イベール コンツェルティーノ・ダ・カメラ 第2楽章(サクソフォン独奏)
 ショパン ピアノソナタ第3番 第1楽章(ピアノ独奏)

● ピアノはどれも良かったと思う。佐藤佑香さんのドビュッシーも小味が利いていたし,長雅大さんのグラナドスも聴きごたえがあり,長野美帆子さんのショパンは貫禄すら感じさせた。
 青木嶺さんのオーボエも。貴重な男性奏者だからそれだけで印象に残る。

● 最後に短大卒業生の全員で合唱。女声合唱とピアノのための組曲「桜の花びらのように」という曲らしいんだけど,男性も混じっている。3人ほど。その男性諸氏はクチパクかというと,もちろんそんなことはなくて,きちんと男声も聞こえていた。
 要するに,男声が混じっても別段破綻は来さないんでありますね。

● 以前は,ヘンデルの「ハレルヤ」を歌っていて,それがこの演奏会の伝統でもあったようだ。が,それはやらなくなったのだね。
 時間は限られている。そのために,たとえばピアノ独奏をひとつ削るなんてことになると,本末転倒だろうし,「ハレルヤ」にこだわることはないとぼくも思う。どういうわけでやらなくなったのかは知らないわけだけど。

2017年3月14日火曜日

2017.03.12 室内合奏団ベルベット・ムジカ記念公演-珠玉のグラン・パルティータ

栃木県総合文化センター サブホール

● 「ベルベット・ムジカ」,初めて聞く名前だけれど,「栃木県内の管楽器奏者の有志で結成された室内合奏団」なのですね。今回は,クラリネット奏者の磯部周平さんを迎えての,お披露目の記念公演ということ。

● 開演は午後2時。チケットは2,000円(前売券)。曲目は次のとおり。
 R.シュトラウス 13管楽器のためのセレナーデ 変ホ長調
 ベートーヴェン 管楽8重奏のためのロンディーノ 変ホ長調
 磯部周平 きらきら星変奏曲Ⅲ
 モーツァルト 12の管楽器とコントラバスのためのセレナーデ 変ロ長調

● シュトラウスのこの曲が初演されたとき,シュトラウスは18歳。この分野には天才がキラ星のごとく,雲霞のごとく,存在している。
 科学者にも天才はあまたいるだろうし,ぼくなんぞが見ると,囲碁や将棋の世界には天才しかいないと映る。が,音楽の世界は天才の天才性が際だっているというか。

● セレナーデは小夜曲と訳される。が,13もの楽器を使う小夜曲って何? って感じがするね。これだけの楽器が入ると,華やかだし賑やかだ。
 小夜というイメージではなくなる。小夜という字面に引きずられすぎかなぁ。

● この合奏団の設立の中心になったのは神長秀明さんのようだ。メンバーも彼が指揮者や副指揮者を務める,鹿沼フィルや栃木フィルのメンバーが多い。
 作るは易く,継続は難し。たぶん,そういうものなのだ。このくらいの人数ならば,まとまっていけるのではないか。と,外部の人間は勝手な感想を持つんだよね。

● ベートーヴェン「管楽8重奏のためのロンディーノ 変ホ長調」はWoO 25となっている。つまり,ベートーヴェン自身は自身の作品としての番号は付けなかった。小品ゆえだろうか。
 ベートーヴェンの若い頃の作品。苦悩を通して歓喜に到れ的な重さというか,深さというか,そういうものはこの曲にはない。演奏時間が6分の曲だからということではない。“苦悩を通して歓喜に到れ”を6分で表現することは,たぶんできる。
 が,ベートーヴェンはそればかりの作曲家ではないってことなんでしょ。

● 磯部周平「きらきら星変奏曲Ⅲ」は面白かった。じつは,これが一番印象に残った。軽妙で。
 オーボエ,クラリネット,ファゴットの3人で演奏。木管三重奏とも言う。
 おそらく,今回の曲目は,吹く方も大変だろうけど,聴く側にもそれなりの鑑賞能力を求めるものなのだ。ので,なかなか付いていけないところがあった。でもって,この曲は箸休め的なというか,気分転換の役割を果たしてくれた。

● プログラム冊子の曲目紹介によれば,「きらきら星」の旋律はヨーロッパに古くから伝わるもので,モーツァルトの独創によるものではないらしい。
 「英語圏では「ABCの歌」,フランスでは「ああ,お母様」,ドイツでは「サンタクロースは明日来るよ!!」として広く歌われて」おり,「このメロディーを少し変えると「子狐コンコン」になり,「オーボエ四重奏曲の終楽章」になり,「イスラエル国家」になり,スメタナの「モルダウ」にも,サッチモの「この素晴らしき世界」にもなって,時代,国境を越えて,愛され続けています」ということ。
 なるほど。眼から鱗が3枚は落ちた。

● 最後は,モーツァルト。7つの楽章,演奏時間が50分を超える大曲。じつに「グラン・パルティータ」なんだけど,いよいよこれがセレナーデなのかという思いも。
 ぼく的には,セレナーデといえばアイネ・クライネ・ナハトムジークがその代表という思いこみがあって,なかなかその思いこみから自由になれない。

● モーツァルトが生きていた頃,こうした曲は貴族の館で演奏されたのだろう。聴くのも高等遊民というか,人の働きを掠めて喰うことが許されていた貴族たちだった。
 で,その貴族たちの,こと音楽に関する造詣の深さはただものではなかったはずだと思われる。自身で演奏もし,作曲もするというレベルのやつがかなりの数,いたに違いない。そうでなければ,この楽曲をホイホイと楽しめたはずがない。

● 最初の響きは,ベートーヴェン「管楽8重奏のためのロンディーノ」よりもベートーヴェン的というか。
 天才はそれぞれに天才で,他と交わるところはないと思う。だから,どうしてもモーツァルトとベートーヴェンの間に線を引きたくなるんだけど,そういう区分をしてしまうのはあまり高級な態度ではないようだ。すべては連続体と考えた方がいいのでしょう。

● アンコールは「魔法の笛」。日本では「魔笛」と呼ばれている。が,「魔笛」と言ってしまうとおどろおどろしさが勝って,あるいはユーモアが減じてしまって,この歌劇の内容を推測させるタイトルとしては上出来ではなくなるきらいがある。
 「魔法の笛」と直訳(?)した方がまだいくぶんいいと思うけど,“魔”を使わないですむ訳語がないかね。不思議な笛,っていうのも変だしねぇ。

2017年3月11日土曜日

2017.03.09 間奏55:音楽は好きなんだけど

● クラシック音楽のコンサートを聴きに行くことが,しごく大げさにいえば,ぼくの生きる甲斐になっている。その感想を文章に置き換えてブログにすることも含めて。
 だが,しかし。この文章に置き換える作業が問題だ。

● 自分でもはっきり自覚しているのだが,演奏そのものに言及することは,以前にもまして少なくなっている。周辺のことがらをウダウダと書いている。
 なぜかといえば,その方が楽だから。演奏について語ることを億劫がって(あるいは,怖がって)“周辺”に逃げているのだ。

● ぼくのブログを読んでくれてる人の多くは,ステージに立って演奏している人たちのようだ(ありがたくもあり,光栄でもある)。
 とすれば,一番読みたいのは自分(たち)の演奏に対する評価だろう。もっとピントを絞った言い方をすれば,演奏に対するほめ言葉だ。的確にほめてほしいと思っているはずだ。

● それが少なくなっている。このあたりを心して書かなくてはいけない。
 “周辺”については,ぼくのにわか仕込みの知識など,演奏者にとっては常識にすぎない。彼らの音楽知識は,ぼくなぞよりはるかに上位にある。

● 虚心に演奏を聴いて,その結果を自分の言葉で語ること。外部情報を遮断して,自分の内部に意識を集中すること。箔を付けようとして,ネットで他の人の感想をチェックしたりしないこと。
 そこから沁みてくる言葉を捉えて,たとえそれが幼稚であろうと貧弱であろうと,妙な化粧を施さず,そのまま差しだす勇気を持つこと。

● それ以前に,たとえば寝不足の状態でライブを聴くなんてことのないようにすること。十全な体調で聴けるよう生活を整えること。
 そして可能ならば,ライヴ以外の音楽体験を充実させること。CDを聴くこと。作曲家の生涯や彼が生きた時代背景,音楽史における位置づけ等について,最小限の心得は持っておくようにすること。

2017年3月8日水曜日

2017.03.05 那須野が原ハーモニーホール合唱団 第11回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開催は午後2時。チケットは200円。タダではなくて,200円でチケットを売るのがいいところだ。今回の演しものはハイドン「戦時のミサ」。
 それだけではないので,以下に曲目をあげておく。

 パレストリーナ 水を求める鹿のように
 ビクトリア アヴェ・マリア
 松下 耕(谷川俊太郎 作詞) 信じる
 新実徳英(岩間芳樹 作詞) 聞こえる
 猪間道明 編曲 TOKYO物語
 ハイドン 戦時のミサ

● つまらない理由で,今回は遅刻してしまった。時間にすれば15分ほど。残念でもあり,演奏する側に対しては申しわけなくもあり。
 ぼくが座席に着いたときには,「信じる」までは終わっており,「聞こえる」からの拝聴とあいなった。

● ぼくだけの都合でいえば,聴きたかったのはハイドン「戦時のミサ」だから,損失はほとんどなかったと言っていいんだけどね。
 どうやっても遅刻だとわかったときは,行くのをやめようかと思ったんだけど,諦めないで行ってよかったと思う。

● 声楽が入るミサ曲などの宗教音楽っていうのは,CDで聴くことがあまりない。CDは持っているんだけども,ほぼ聴かない。こういうものは生で聴ける機会をとらえていかないと。
 といって,管弦楽+合唱団+ソリスト,と大がかりな編成になるから,地方だとその機会も多くはない。ゆえに,今回のような演奏会は貴重。

● で,その「戦時のミサ」。
 指揮は片岡真理さん。ソリストは袴塚愛音さん(ソプラノ),谷地畝晶子さん(アルト),藤井雄介さん(テノール),村林徹也さん(バリトン)。
 管弦楽はモーツァルト合奏団。あたりまえだけれども,木管,金管,ティンパニは,賛助でまかなった。

● 「戦時のミサ」を聴いた感想を申せば,ミサ曲なのにあまり宗教臭を感じなかった。世俗の曲という印象を受けた。
 プログラム冊子の曲目解説によれば,ハイドンがこの曲を作った1796年は,ナポレオン軍がウィーンを制圧し,北イタリアに進軍していた。その「フランスの脅威に対する怒りの表明といえる」ということだ。
 なるほど,それで,と理解すればいいのかもしれない。理路整然としていて腑に落ちる。

● ただ,ぼくは理路整然としているものをあまり信用しないところがあって,それ以外に何かあったのじゃないかと考えたくなる。が,考えるヨスガは何も持っていないので,妄想を逞しくするという域を出ることはない。
 とにかく,世俗臭のするミサ曲という印象だ。

● だものだから,ぼくとしては楽に聴くことができた。たとえばバッハの「マタイ受難曲」を聴かなければならないとなると,たとえCDであってもそれ相応の覚悟を要する。
 日本人のぼくらがキリストの受難曲を聴くとなれば,どうしたってそういうことになる。わりと重苦しい行為になるという意味。
 が,ハイドンのこのミサ曲はそういった重苦しさを感じずに聴くことができる。

● この合唱団の定演を聴くのは,これが二度目だ。一昨年の第9回を聴いている。フォーレの「レクイエム」だった。そのとき袴塚さんのソプラノを初めて聴いたのだった。
 で,今回もまた袴塚さんのソプラノを聴くことができた。満足だ。他の3人もたいした歌い手で,ソリスト陣には1ミリの文句もない。

● 合唱はいっそうそうだ。この合唱団の活動は年1回の定演だけではないと思うけれど,でもこの定演が最も高い山になっているはずだ。そこに向けて1年間練習してきた。
 細かい部分を言えば,それは色々ある。抑えなければいけないところでやや走りすぎてしまうとか,逆に冒険を避けるあまり声を出し惜しんでいるとか。
 しかし,そうした細かいところはどうでもいいような気がする。それは教授陣にとっての課題ではあっても,客席側がどうこういう話ではない。
 80歳代の団員もいるらしい。声に恵まれた人たちばかりではないだろう。それでよい。ここまでできればよしとする。

2017年2月28日火曜日

2017.02.26 DreamConcert2017-作新楽音会と楽しむ音の会

栃木県教育会館 大ホール

● すでに何度か聴いている気でいたんだけど,錯覚だった。これが2回目だ。作新高校吹奏楽部の演奏会と混同してしまっていたのかも。
 作新楽音会は作新高校吹奏楽部のOB・OGで構成されている。平均年齢がかなり若いので,それも混同しちゃった理由のひとつ,ってことにしておこう。

● 「作新楽音会と楽しむ音の会」と副題の付いたコンサート。楽しむといったって,下手な演奏じゃ楽しめないぞ,というわけだ。
 ところが,作新吹奏楽部のOB・OGで,しかも卒業後も演奏を続けようというんだから,腕は確かなはず。ここはリスペクトしちゃって大丈夫だろう。要するに,個々のメンバーの技量がかなりの水準にある。

● したがって,ステージから繰り出される演奏の水準もかなりのもの。
 そこに,高校時代に身についたのであろう,これでもかというほどの(観客への)サービス精神が発揮されるんだから,充分以上に楽しい演奏会になる。

● 1部のプログラムは次のとおり。指揮は大貫茜さんと三橋英之さん。
 福丸光詩 祝典行進曲「光へ」
 リード アルメニアンダンス パート1
 高昌帥 吹奏楽のための風景詩「陽が昇るとき」より「Ⅳ.陽光」

● 福丸光詩さんは,東京音大作曲科の学生。作新楽音会のトランペット奏者でもある。作新楽音会の委嘱を受けて作曲。素人の愚察だけれど,行進曲は作曲しやすいんでしょうね。
 あとの2つも吹奏楽ではかなりポピュラー。ここまで奇を衒わないプログラム。

● 奇を衒わないのは2部のポップスステージになっても同様なんだけれど,主力はこちらに注いでいたようだ。演奏する側もこちらの方が楽しいかもねぇ。
 M.ブラウン編 ディズニーランド セレブレーション
 真島俊夫編 MOVE ON
 磯崎敦博編 ジャパニーズ・グラフィティーⅣ(弾厚作作品集)
 真島俊夫編 宝島

● この中で最も印象に残ったのは,「MOVE ON」のフルートソロ。めまぐるしく変化する楽譜を追って,音に変換していく。その様はほとんどアスリートのようだ。
 サックス陣のアンサンブルも聴きどころ。

● 弾厚作とは加山雄三のペンネームらしい。っていうか,この人,本名は池端直亮と申しあげる。俳優や歌手としては加山雄三と名乗り,作曲家としては弾厚作と名乗っている。
 Wikipedia情報によれば,加山さん,波瀾万丈の人生を送っておりますなぁ。2桁の億の借金を背負うも,10年で完済とかね。
 俳優であり,タレントであり,歌手であり,作曲家である。油絵も個展を開けるほどの腕前。料理も達者らしいし,スポーツも野球を除いて堪能。

● 人生はお金を貯めた者が勝ちじゃないものね。お金を使った者の勝ちだ。自分のために使うか,人のために使うか,使い方はそれぞれだけど。
 お金に関していえば,稼がないより稼いだ方がいい。稼ぐ過程も楽しめれば,稼いだお金は捨ててもいいくらいのものだろうよ。
 加山さんは稼ぎまくったはずで,それは彼の才覚と実力による。大変な人だ。

● というようなことはどうでもいいか。「ジャパニーズ・グラフィティーⅣ」はその加山さんのヒットメドレー。年配の日本人なら誰でも知っているけど,若い人たちはどうなんだろう。
 つまり,年寄りの観客へも目配せしているよ,と。観客の中でぼくは最年長だったかもしれないんだけど,まぁ,年輩者もけっこういたと思うんでね。

● 今月5日に栃響の定演を聴いて以来,管弦楽を聴いていない。そろそろ管弦楽への禁断症状が出てくる頃だ。それを吹奏楽で補えるわけはない。
 でも,この演奏会は自分を会場に運んで行って聴いてみる価値がある。吹奏楽,いやもっと広く音楽,っていうのは何のためにあるのかというところに,こちらの思考を誘ってくれる。
 音楽=芸術,ではなくて,それ以前に実用的な価値があった。副作用のない麻薬的な効果があるねぇ。

2017年2月24日金曜日

2017.02.24 間奏54:音楽再生プレーヤー(専用機)を初めて使ってみた

写真はメーカーのサイトから拝借
● オーディオ器機をぼくは持っていない。ミニコンポくらいはあってもいいかなぁと思って,オーディオ売場を覗くことはあるんだけど,購入に至っていない。
 なぜないかといえば,必要がないから。つまり,家で椅子に座ってゆったりを音楽を聴くということを(少なくともこれまでは)してなかったからだ。

● おまえはライヴ以外に音楽は聴かないのか,と言われれば,そんなことはありませんと回答する。けど,もっぱらイヤホンで聴くタイプだ。
 路上や電車の中が,ぼくが音楽を聴く場だ。たまに家で聴くときもイヤホンで聴いていた。プレーヤーはスマホ。

● ところが,そのスマホが昨年11月11日にダメになった。諸般の事情があって,そのままになっている。したがって,少なくとも昨年11月11日からはまったく音楽を聴かない生活を送っている。
 スマホ以外に携帯プレーヤーは持っていないのか? じつは持っている。約1年間にSONYのWALKMANを買った。
 息子に買ってあげたんだけど,8ヵ月前にぼくのところに戻ってきた。

● が,何となく面倒でね,そのまま放置しておいた。11月11日以降も。
 でもって,音楽を聴かない生活をずっと続けていたんだから,ひょっとすると,ぼくは音楽がさほどに好きじゃないのかもしれない。

● ところが昨夜,WALKMANに楽曲を転送する作業を唐突に始めた。昨夜は珍しく酒を飲まなかった。それが大きいのかも。酒を飲まないと,夜はけっこう長いのだねぇ。そんなことも忘れてましたよ。
 とりあえず,よく聴く楽曲を入れて見た。ベートーヴェン,ブラームス,ラヴェル,ショスタコーヴィチ,バッハ。
 128GBのmicroSDを入れているので,どっさり入るんだけど,それは追々にということで。

● その状態で試し聴き。したらば。音がまるで違う。
 バッハの「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いてみた。クリアだ。粒立ちが明瞭だ。音が立って踊っているようだ。
 逆にいえば,今まで使っていたスマホで再生された音は,ふた昔前のデジカメで撮った写真のように,音がベタッと寝てしまっていた。
 8ヵ月前からWALKMANを使えたはずなのに放置していたのだ。大げさにいえば,その8ヵ月は捨てたも同然だと思った。

● ぼくが買ったWALKMANはNW-A25という機種だ。現在では生産終了になっている。手頃な価格ながら,「ハイレゾ音源を再生しながら,周囲の騒音を低減できる「ハイレゾ対応デジタルノイズキャンセリング機能」を搭載。シチュエーションを選ばず,いつでもどこでもハイレゾの高音質を楽しめます」とある。
 「音の情報量がCDの約6.5倍あるハイレゾ音源に対応。高音域再生におけるノイズ除去性能を高めたフルデジタルアンプ「S-Master HX」を搭載し,繊細な空気感や臨場感あふれる,きめ細やかなサウンドを体感できます。また,MP3などの圧縮音源やCD音源をハイレゾ相当の高解像度音源にアップスケーリングする「DSEE HX」を搭載。いつも聴いている楽曲がハイクオリティーに生まれ変わります」ともある。

● 「CD音源をハイレゾ相当の高解像度音源にアップスケーリングする」なんてのは,正直,少し怪しんでいた。
 ぼくはハイレゾ音源は持っていない。iTunesでCDをリッピングして,ハードディスクに溜めている。それをスマホに転送してイヤホンで聴く。
 それ以上のことはやっていないし,やる気もない。ルーティンから少しでも外れる作業は面倒くさいと思ってしまう,しょうもないオヤジなのだ。

● と言いながら,ハイレゾとノイズキャンセリングに対応したイヤホンは早くから用意していた。WALKMANとほぼ同時に買っておいた。
 で,聴いた印象は上記のとおり。WALKMAN,すごい。
 もっとも,ぼくが使っていたスマホは古いものだった。今どきの,たとえばSONYのXperiaなら,WALKMANと同等の音を再生するんだろうな。

● 今朝はそのWALKMANで音楽を聴きながら出勤した。少なくとも昨年11月11日以来のはず。この通勤時間も,うーん,昨日までは捨てていたな。面倒くさがり屋は損をする。
 何でもかんでもスマホでと思っていたけど(基本的には今でもそう思っている),専用機はやはりたいしたものなのだな。

● 今日聴いたのは,カルロス・クライバー指揮のベートーヴェンの4番,5番,7番とブラームスの4番。それと,諏訪内晶子のバッハ協奏曲集。
 小さい携帯再生プレーヤーで,これらの曲をこの音質で聴けるのは驚きだ。

● ミニコンポは物色するのもやめる。携帯プレーヤーでここまでの音で聴けるんだったら,携帯プレーヤーのみで充分。
 えっ,WALKMANでそんなに驚いているのか,今までどんな音で聴いてたんだよ,おまえは,と言われますな。

● というわけで,音楽再生機能はスマホから専用機に移行した。スマホは音楽再生プレーヤーとして使う時間が最も長かったから,スマホへの欲求は少し減少。もうしばらく,スマホなしでもいいかな。


(追記 2017.02.25)
 WALKMANを使って行くには,iTunesに代えて「Media Go」をパソコンにインストールしないと,プレイリストの作成ができないんですね。
 そんなことも知りませんでしたよ。今のところ,プレイリストが必要なほどには楽曲を入れていないんだけど,いずれ絶対に必要になる。
 ま,その作業がパソコンでできるんだったら,かなり負担は削減される。

 iPodやiPhoneで音楽を聴くことはまずないと思うし,WALKMANが壊れた後はスマホをXperiaにして,Xperiaで聴き続けることになると思う。「Media Go」でリストを作っておけば,使い回しが利くんでしょ。
 サッサとインストールして,サッサと使い方に慣れてしまうのがいいでしょうね。

(追記 2017.02.25)
 WALKMAN。使い始めて今日で2日目。
 今日は,カラヤン指揮のベートーヴェン「第九」と,アバド&アルゲリッチのピアノ協奏曲第3番,ラヴェル「ボレロ」(指揮はこれもカラヤン)を聴いた。

 自分が今いるところがコンサートホールだ,と思わせてくれる音質の良さ。もっとも,以前,スマホで聴き始めたときにも,同じことを思ったものだったが。
 音質の良さに驚いているわけだけれども,数日のうちに狎れてしまうはずだ。その間に楽しめるだけ楽しんでおけ,と自分に言い聞かせている。

 ちなみに,ぼくは音楽評論家でも音楽の専門家でもないので,カラヤンを嫌う理由が何もない。

(追記 2017.02.26)
 WALKMANを使い始めて3日目。
 今日はショスタコーヴィチの7番と1番(バーンスタイン&シカゴ交響楽団),12番(ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル)。さらに,ベートーヴェンの3番(カラヤン&ベルリン・フィル)。メンデルスゾーンのホ短調協奏曲(諏訪内晶子)。

 そろそろWALKMANの音質に狎れてきてしまった感あり。これがあたりまえになってきたっていうか。

 これまでライヴをメインに聴いてきたけれど,携帯プレーヤーでここまでの音質で聴けるんだったら,ミニコンポでももっといい音で聴けるだろう。となると,わざわざライヴに足を運ばなくても,家でCDを聴いていればいいんじゃないかと思えてきた。
 演奏する側,供給する側に言わせれば,すでにCDは売れなくなっているんだから(クラシックはそれほどでもないらしいんだけど),メインの収入源はライヴのチケット収入になっているだろう。それがジリ貧になってしまったのでは,次の矢は当分見つかるまい。
 とすれば,供給者側の敵は,SONYやPioneer,ONKYO,KENWOODなどのオーディオメーカーってことになってしまう。

 ま,実際はね,再生の音質がどんなに良くなっても,ライヴの情報量を超えることは絶対にないから,ライヴがすたれるっていうのは考えにくいんだけどさ。

2017年2月21日火曜日

2017.02.18 宇都宮市立東図書館 ジャズライブ2017

宇都宮市東市民活動センター ホール

● この日は,16時から宇都宮大学の松が峰講堂でResonanz Barock Consortの2回目のコンサートがある。当日券で聴こうかなと思っていた。昨年の1回目は聴いている。
 ところが別件で宇都宮市立東図書館に行ったら,14時からこのライヴがあることを知った。

● さて,どうするか。約10秒ほど考えて,このまま東図書館にとどまることにした。16時までにはかなり間がある。その時間を持てあましそうだったしね。
 というわけで,開演は14時。入場無料。

● 宇都宮にはかのナベサダがいる。宇都宮は餃子の街であり,自転車の街であり,妖精の街であり,カクテルの街であるのだが,ジャズの街でもあるのだ。
 このライヴももう何回も開催しているらしい。

● ジャズにはまったく詳しくない。詳しくないというより,こういうものだというイメージを持てないでいる。
 イメージを持てないと困るのかと言われると,たぶん困らないんだろうけどと,モゴモゴ返答することになりそうだ。

● 山下洋輔さんは,どんなものでもジャズになると言っていた。バッハなんかジャズの素材にピッタリだとか。
 だとすると,ジャズの外延を定義するなんてことは無意味なのだろうね。理屈で入るものじゃない。まず,聴く。聴いてピンと来なければ撤退する。ジャズであれクラシックであれ,音楽に対する姿勢はそれでいいのだと思う。

● 最初に登場したのは,「the moon」というオッサン4人のグループ。
 MCはトロンボーンの奏者が担当。宇都宮市泉町に「近代人」というスナックがある。その「近代人」がMCで紹介された。ぼくが酒場デビューしたときにはすでにあったから,だいぶ古いんだけど,半世紀は経っているのであるらしい。
 この店でジャズのライヴが行われる。その道に詳しい人には,“いわゆるひとつの聖地”になっているだろう。ぼくも若いときに一度か二度行ったことがあるんだけど,その後バッタリ。縁なき衆生は度しがたし。

● 次は,「Calendula mix」。中学生から大学生までの若者のグループ。「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」の“リズム隊”を中心にしたメンバーとのこと。
 その一番年長者(といっても20歳)の女性が,鍵盤ハーモニカで年下の男性を率いるという図。大学ではオーケストラでヴィオラを弾いているそうだから,小さい頃から楽器に馴染んでいれば,たいていの楽器はモノすることができるんでしょうね。

● オッサンの演奏と若者の演奏を比べれば,どうしたって若者の演奏を聴いている方が楽しい。これはもうどうしようもない。
 オッサンの側に圧倒的な技術の差があり,かつ,こちらがその差を識別できる耳を持っていれば,別かもしれない。
 ぼくなんぞの耳では,さほどの差は感知できない。どうしたって若者の肩を持ちたくなる。自分がオッサンだからね。

● 最後が「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」。小学生から高校生まで。MCを務めたのは高校生の男子。歯切れが良くて,小気味よく場面を刻んでいた感あり。
 アニメの主題歌メドレーなんかも演奏した。となると,ジャズオーケストラと吹奏楽団とは何が違うのだ? 違いなんかないんだろうな。ジャズを主に演奏する吹奏楽団ということなんでしょ。

● ぼくが主に聴くのはクラシックなんだけど,聴いてて楽しくなるのは,やっぱりクラシックの方かなぁ。
 このあたりは体質なんだろうか。今回聴いたジャズのいろんな曲より,たとえばブラームスの交響曲の1番や4番,バッハの「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いているときの方が,自然に身体がスウィングするような感覚がある。

● が,まだ諦めなくていいだろう。ジャズを聴く機会はこれからもけっこうあるはずだしね。