2018年6月13日水曜日

2018.06.03 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ 第29回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 前回,初めて拝聴して,予想していなかった水準の高さに驚いたものだが,その驚きは一度しか味わえない。今回は,それは所与の前提になってしまっている。
 開演は午後2時。入場無料。

● 今回の曲目は次のとおり。
 ヴェルディ 歌劇「アイーダ」より“凱旋行進曲”
 サン=サーンス 組曲「動物の謝肉祭」
 サン=サーンス 交響曲第3番 ハ短調「オルガン付」
 何というか普通だ。何せこのジュニアオケは,マーラーの5番やショスタコーヴィチの5番,ベルリオーズの幻想交響曲まで演奏しているのだ。それに比べれば,今回はまぁ普通。

● 指揮は益子和巳さん。鹿沼東中オーケストラ部の顧問の先生ではなかったか。
 このジュニアオケは,東中と西中の卒業生が,卒業後も演奏活動を続けたいと考えたことから始まっているらしい。栃木県内の中学校で管弦楽部があるのは,この両校だけだし,高校でも管弦楽部があるところは少ない。両中学校の卒業生が演奏活動を続けようとすれば,そういう形を選ばざるを得なかったのだろう。
 現在では中学生も増えているらしいのだ。

● となると,ジュニアオケの活動に中学校の教師が関わらざるを得なくなるということだろうか。本来は学校とは関係のない楽団なのだから,運営も活動も責任の所在も,学校からは独立しているべきなのだろうが,なかなかそうもいかないのだろう。
 現状だと学校側の負担が過重になっていないか。少々気になるところではある。本来なら,ジュニアオケと指導者・指揮者は契約を結び,正当な報酬を受け取るのがあたりまえなのだろうが(ただし,公立中学校の教師が金銭を受け取れるかとなると,現行法制ではおそらく不可),現実は学校側がおんぶに抱っこの状態のように思われる。
 学校側といっても,学校が学校として対応しているとも思えないから,実際は顧問の教師個人の負担になる。

● その状態で29回も続いてきたのだとすれば,それ自体がほとんど奇跡のようなものだ。が,ではこれからもそのまま行けるかとなると,そこは何とも言えない。
 教師の熱心さ,無償の情熱に寄りかかっているのだとすると,基盤は脆弱だ。なぜなら,教師には人事異動があるからだ。

● メインはサン=サーンスの3番。第3楽章(ということにしておく)冒頭の,何事が起こったのだと思わせる緊迫感のある旋律に接するのが,この曲を聴く醍醐味のひとつだと思う。その旋律を懸命に奏でるヴァイオリン奏者の動作が美しい。
 管弦楽は視覚でも楽しめるのだ。だから目を閉じて耳だけをすますのはもったいない。しっかと目を見開いて,ステージが発するもののすべてを受けとめる(見届ける)のがいい。と,自分にも言い聞かせているのだが。

● オルガンはもちろんパイプオルガンではない。天から降ってくるような,それでもってオケ全体を包みこむような,ふくよかというかまろやかというか,そういう音色ではない。
 鋭角的な,主張のある,形を持った音色になるんですね,電子オルガンだと。電子オルガンには電子オルガンの良さがあるに違いないのだが。

● 「オルガン付」もさることながら,最初のヴェルディ「アイーダ」の“凱旋行進曲”が印象に残っている。冒頭のトランペットに限らない。演奏しているのは本当にジュニアなのかと思わせるほどの,見事な完成度の高さ。
 惜しむらくは,今回は(次回以降も)それが驚きの対象にならない。やっぱりねという確認事項になってしまうことだ。

● アンコールは「カルメン」前奏曲。サン=サーンス絡みでフランスのビゼーを持ってきたのか,他に理由があったのかはわからないけれども,とにかく「カルメン」前奏曲がアンコール。
 これも聴きごたえがあった。何でもできちゃう感じね。次回はオール・ラヴェルではどうだろうか。このジュニアの演奏で「ボレロ」を聴いてみたい。

● ジュニアとは言いながら,ステージ上には大人も奏者もけっこういる。ヴァイオリンには大久保修さんもいたりする。
 でね,これは本題とはまったく無関係の話なんだけども,生物としての造形の美というのを思った。つまりね,生物としては大人よりジュニアの方が美しいんだよね。これはもう文句なく圧倒的に。
 成熟した,開ききった大人の体型は,生物としては終わっているという印象になる。男も女も。何でかね。
 生物としてのヒトは,終わったあとに長く生きることになるんだけど,これはどういう理由によるものなんだろうか。ひとつは子育てのためだろうけど,子育てを終えたあとも長く生きるよね。何の故あって?

2018年6月12日火曜日

2018.06.02 オペラアマデウス第1回公演 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

板橋区立文化会館 大ホール

● 開演は午後4時。チケットは4,000円。指揮は曽我大介さん。
 ドン・ジョヴァンニ(バリトン)に湯澤直幹さん,レポレッロ(バス)に武田直之さん,アンナ(ソプラノ)に遠藤紗千さん,エルヴィラ(ソプラノ)に結城麻子さん,オッターヴィオ(テノール)に佐々木洋平さん,マゼット(バス)に清水那由太さん,ツェルリーナ(ソプラノ)に佐藤瞳さん。合唱は一音入魂合唱団

● セミステージ形式とあるんだけど,このセミステージ形式というのがいまいちよくわからない。「ただ立って歌う演奏会スタイルではなく,簡単なセットの前で芝居をしながら進んでいくのがセミステージ方式」らしいのだが,いわゆるコンサート形式といわれるものでも,立って歌ってるのなんか見たことがない。必ず,芝居をつけている。
 たんにオケがピットではなくステージに上がっているのをコンサート形式というのだと思っていたのだが。セミステージ形式とは,そこからさらに舞台装置を簡略にしたものかと思えた。
 ま,どうでもいいか,そんなことは。

● 「ドン・ジョヴァンニ」とはドン・ファンのことで,つまり,この世に生存するすべての男性の永遠の憧れだ。かつ,憧れにとどまるものだ。生身の男性がドン・ファンになんかなれるわけがないんだから。
 そのやっかみが男性陣にあるからか,劇中の「ドン・ジョヴァンニ」はかなりの問題児として描かれている。最期は地獄に墜ちる。
 しかし,剣の腕は立つんだし,幽霊というのか亡霊というのか,得体のしれないものが現れても少しも怯まず,それに対峙していく。それだけで相当モテるはずだよなぁ。勇敢なんだもん。

● ただし,たしかに問題もある。関係した(しようとする)女性との間で問題を作ってしまうことだ。そんなことをしてたら,2千人を超える女性と関係を持つことなどできるわけないんだけどな。
 後腐れを残さないことは絶対条件だ。後腐れは足を引っぱるから。あくまで軽くなくては。そのためには,たかが人生,たかが人間,という達観が,ポーズとしてではなく,脳髄に染みこんでいなければならない。
 ところが,「ドン・ジョヴァンニ」はそこのところで少し重さを抱えてしまっているんだな。そうじゃないと劇にならないわけだが,これだと悩み多い人生になってしまうなぁ。

● この脚本は単純に観客を笑わせるために書かれている。特に,レポレッロの台詞は笑いを取るためにあるようなものだ。アンナやオッターヴィオのシリアスな部分も,(主にはレポレッロが放つ)笑いを際立たせるためにある。
 おそらく,当時のウィーンの市民はこの歌劇を見てゲラゲラ笑ったのではあるまいか。が,今のぼくらは,笑うことを抑えてしまっている。たぶん,オペラだからというそれだけの理由で。
 オペラを芸術として祭りあげるだけが能ではないのだ(と思う)。漫才やコントと同じレベルのエンタテインメントとして,オペラを扱うこともありなのだろう。
 現在のウィーン市民はどうなんだろう。この歌劇を見て笑うんだろうか。それとも神妙に見ているんだろうか。

● 出演者がそれぞれ芸達者なので,舞台がダレることは一瞬たりともなかった。レポレッロの武田直之さんは手練れという印象。レポレッロをどんな役柄として表現するか。武田さんのレポレッロはその模範解答であるんだろうけども,模範解答が先にあって,それを具体化しただけではないと思われる。彼の創造(場合によってはアドリブ)があったはずだ。
 アンナを演じた遠藤紗千さんのソプラノが異彩を放っていた。憶えておくべき名前であろうかと思われた。

● 管弦楽も堅実というか手慣れているというか,危なげのない演奏。その代わり(?),平均年齢がけっこう高め。
 しかし,客席の平均年齢はさらに高い。ぼくなんか若い方かもしれない。後期高齢者が過半を占めていた感がある。このあたりがちょっと課題というか。

● といっても,この課題を解決する方策はたぶんない。縮小再生産にならざるを得ない。それを所与の前提として,さて自分はどうするか。それをそれぞれが考えていけばいい。
 なぁに,そんなにバタバタしなくても,人生はすぐに終わるよ。自分がいなくなった後のことまでどうにかしたいと思うのは,それそのものが思いあがりかもしれないよ。

● 先月末に左手を骨折した。ので,拍手ができない。この拍手ができないことが自分にけっこう影響を与えるものだと感じた。
 具体的には,のめり込んでいけないといいますかね。自分とステージ,自分と他の聴衆,の間に距離ができてしまう感じ。こういう何でもない動作が,わりと自分の構えに影響するものだ。
 つまり,骨折なんかしない方がいい。

2018年5月25日金曜日

2018.05.13 学習院輔仁会音楽部管弦楽団 第57回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● そも学習院輔仁会音楽部とは何者? って,要するに,学習院大学と学習院女子大学の合同の音楽サークルらしい。
 開演は午後2時。チケットは1,000円(前売券なら500円)。

● 曲目は次のとおり。指揮は三石精一さん。
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● なぜこの演奏会を聴きに来たかといえば,たまたま今日は東京にいたからだけれども,東京では今日もいくつもの演奏会が催行されているだろう。
 その中から何を基準にして選ぶか。すでに聴いたことがあるのであれば,自分の耳を基準にすればいい。信ずるに足りない耳だけれども,そうはいってもそれを頼むしかない。
 が,一度も聴いたことのない演奏会が複数ある場合に,どういう基準で選ぶか。

● まず,無料ではないこと。500円でも1,000円でも入場料を取っていること。次に,誰が指揮をするのか。さらに,どこで演奏するのか。
 すみだトリフォニーで三石さんを指揮者に招いて演奏するんだから,それ相応の水準なのだろうと考えた。

● で,結果はどうだったか。音大ではない普通の大学のオーケストラがここまでやるのか,と度肝を抜かれたことは,過去に二度ある。今回が三度目になった。
 アンサンブルの緻密さは比類がない。緻密を追求していくと,表情の多様さ,表現の豊穣さに行きあたるんだろうか。
 「仮面舞踏会」の第2曲でのコンマスのヴァイオリン・ソロとクラリネットの絡み合いの絶妙さはプロ級だと思った。それはいくらなんでも褒めすぎだろうと言われれば,セミを加えてもいい。セミプロ級だと思った。
 チャイコフスキーの5番では,大きくなったり小さくなったり,立ちあがったり低く伏せたり,丸くなったりいくつも角をつけたり,いくつかに分裂して編隊を組んだり,オーケストラは変幻自在に形を変える。大変な力量だと感じ入った。

● ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」をこの楽団の演奏で聴いてみたいと,ふと思った。ピアニストはもちろんジャズピアニストを招聘する。そのピアニストに一切の注文をつけずに(というか,ぶっつけ本番で)演奏してもらう。
 この楽団はそれに対してどう応接するだろうか。それを見てみたい。

● 毎度思うことだけれども,東京のアマチュアオーケストラの層の厚さは圧巻だ。500円や1,000円でこういう演奏を聴けるのなら,それだけで首都圏に住んでも元が取れるかもしれない。
 ぼくは,東京はたまに遊びに行くところであって,日常をそこに移すと楽しみよりストレスが勝る,と考えている人間だけれども,その考えが揺らぐのが今日のような演奏を聴いたときだ。

● でもね。現実問題として,ぼくが首都圏に住むのは不可能なんだけれども,仮にそうできたとしても,しばしば実演に接すると,自分のキャパを超えてしまうかもね。超えた分はこぼれ落ちるだけか。
 ひとつひとつの演奏の取扱いが雑になるかも。今は雑に扱ってないのかと問われると,返答に窮するところもあるんだけれども,だからこそ今程度でいいのかもしれない。

2018年5月21日月曜日

2018.05.12 埼玉大学管弦楽団 第93回定期演奏会

埼玉会館 大ホール

● 埼玉大学管弦楽団の定演を初めて拝聴。
 じつは埼玉大学は相方の母校なんですよ。宇都宮の実家から新幹線通学をしたらしい。本人の話によれば,授業をさぼって新宿に繰りだして遊んでたってことなんですが。彼女は嘘をつくような人じゃないので,実際にそのとおりだったんだろうと思ってるんですけどね。
 さらに申せば,彼女,小さい頃にピアノを習っていて,高校ではクラリネットを吹いていたというんだけど,現在は音楽とは無縁な生活をしている。ピアノやクラリネットに恨みでもあるんだろうか。

● 開演は午後2時。チケットは500円。もちろん,当日券を購入。
 ちょっと,宇都宮でのんびりしすぎてしまった。着席したのは開演2分前。もちろん,はなはだよろしからず。間に合えばいいというものではない。

● 曲目は次のとおり。
 ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲
 シベリウス カレリア組曲
 シューマン 交響曲第1番 変ロ長調「春」
 しごく真っ当なプログラムなのだが,最近は重量級のプログラムが当たり前になっている。これを軽いと感じてしまう。困ったものだ。

● カレリア組曲は5日に学芸大学管弦楽団の演奏で聴いたばかり。どの演奏で聴いてもいいものはいい。
 元々は劇音楽として作曲されたものらしい。それをあとから取捨選択して3曲からなる組曲とした。それをしたのはシベリウス自身だとしても,そこに編集という過程が入ったわけだ。
 それぞれの曲に相互に関連があるとは思われないけれども,それゆえに編集の妙を発揮しやすいというか,発揮された結果をぼくらは楽しむことができる。

● シューマンの「春」は熱演。シューマンの曲はどことなく落ち着きがない。どこに行ってしまうのかわからない。しっかり手綱を握っていなければいけないけれど,握りすぎても興ざめる。
 この曲を指揮するのはなかなか難しい作業になるだろうと想像するが,奏者にとっても同様だろう。どう演奏すればいいのか決めかねるところが,多々あるのではなかろうか。演奏という具体に翻訳するのが難しい作品であるだろう。
 ぼくらはできあがったものを聴いて,ああでもないこうでもないと勝手なことを言う。しかし,シューマンに関しては決定版というものは想定しにくいように思う。

● ステージはかなり暑かったようだ。奏者は汗だくになってた(だから熱演だったというわけではない)。男子はジャケットを着用している。たまらなかったろうな。
 アンコールの「雷鳴と雷光」「田園ポルカ」も佳品。

● この楽団は他大学からの参加を拒んでいない。インカレ的な団体のようだ。実際,他大学から参加している人もいるようだ。
 それができるのは首都圏という地の利があるからだけれども,団員が思うように集まらないという苦しい事情もあるようだ。どこの大学オケでも同じだろうが,初心者で入団してくる場合もあるらしい。

● それでもこういう演奏ができるようになるのだから,若い人の可塑性は素晴らしいと言いたくなるのだが,どうもそれだけではない。
 大学オケという場の持つ力も大いにあるのだろう。トレーナー陣も充実している。これだけの陣容を整えることができる市民オケはおそらく存在しない。大学なればこそ。

● “裏プログラム”というのは初めて見た。学生サンの遊び心がつまっているが,可能ならば表と合体させた方が良くなると思った。遊び心はそれだけの集合体にするよりも,建前とか真面目の間に散らした方がかえって光るものだろうから。
 コストの関係で難しいのかもしれないが。っていうか,これだけ遊んじゃってると,散らかす余地もないかな。

2018年5月17日木曜日

2018.05.06 東京ヒロムジカ・シンフォニー・オーケスター 第3回演奏会

紀尾井ホール

● 四谷駅から“ソフィア通り”を歩いて紀尾井ホール。新宿区から千代田区までの旅。上智大学でなんか催事があったらしく,ソフィア通りは外国人でごった返していた。

● 開演は午後2時。チケットは1,500円。当日券を購入。曲目はブラームスの3番と4番。指揮は村山弘さん。
 この楽団は「私たちの恩師,村山弘(ひろむ)先生が80歳をお迎えになる記念として,平成26年に結成され」たとある。村山さんの教え子たちが集まった楽団であるらしい。

● プログラム冊子の団員名簿には居住地が添えられている。東京都をはじめ首都圏の在住者が多いのだが,青森県がそれに次いで多い。
 村山さんは弘前大学で教鞭をとっていた時期があり,併せて弘前の市民楽団の指揮もしていた。そのときの教え子たちが長寿を寿ぐために集まったわけか。
 そりゃ,教師冥利に尽きるでしょうねぇ。嬉しいよなぁ。

● その村山さん,そういうわけで御年80歳を超えるわけだが,指揮者には若々しい人が多い。どういう理由によるものか?
 ひとつには,若い人たちといる時間が長いことだよね。彼ら彼女らの若さを吸い取っているはずだ。
 一般に学校の先生には実年齢より若く見える人が多いような気がする。同じ理由によると思う。

● もうひとつの理由として考えられるのは,指揮者を含めて演奏家は,陽性で反射神経に優れた人が多いことだ。数のうちにはそうじゃない人もいるんだろうけど,一般論としていうと陽性の人が多い印象がある。
 さらに,自分の居場所はここしかないと信じて疑わない人たちの集団であることだ。演奏以外の些事には拘泥しないんじゃなかろうか。以上が,若さを保てる所以だ。

● が,圧倒的な理由は1番目のものではないか。若い人たちに混じっていることはかなり大事なことだとぼくなんぞも思っている。
 若く見える見えないはいずれにしても,凝り固まらないでいるためには,若い人たちとの接触を断ってはいけない。というより,ありていに申せば,そこが生命線になる。
 が,普通人にとって,その環境を得ることは難しい。会社を定年になってしまえばなおさらだ。しかし,努めてそうあるよう心がけなければならない。SNSでもいいから,若い人たちとの接点は保っておくべきだ。

● そのためには,若い人たちに受け入れてもらえることが必要だ。これまた一般論としていえば,若者は年寄りが嫌いである。自分が若かった頃を思いだしてみればいい。年寄りと話していて,何が面白かったか。
 若い人たちが年寄りを受け入れるのは例外だ。その例外は何に起因するかをよく考えて,自分も例外たりうるべく努力しないとね。

● 例外を構成するものは3つあって,ひとつは圧倒的な実績。しかし,これはぼくや貴方には関係のないものだ。2番めは,世間や社会への直接的な介入や指図を控えること。3番目は,可愛らしい年寄りになることだ。
 “可愛らしい”をどうやって獲得するか。若さを畏れることは絶対に必要だ。将来は自分を遥かに凌駕する高いところに達するかもしれないのだと畏れること。現在の経験値を踏まえないこと。

● 演奏のレベルはかなり高い。気合いがこもった演奏で,吸引力は充分。短期集中でしあげたようなんだけど,それでここまで持ってこれるとは,個々の奏者の地力は相当なものと見受けられる。
 3番第4楽章は小宇宙の爆発が連続する。爆発の小気味よさを堪能した。
 4番にはトライアングルが登場する。そのトライアングルが耳に残った。これ,誰が叩いても似たようなもん,ではまったくないよねぇ。

2018年5月8日火曜日

2018.05.05 東京学芸大学管弦楽団 第45回春季演奏会

府中の森芸術劇場 どりーむホール

● 府中の森芸術劇場でもうひとつの演奏会があるのを知った。しかも,ディヴェルティーレ・チェンバー・オーケストラが終わってからまもなくの開演。
 せっかくだから聴いていこうと思う。

● その演奏会が東京学芸大学管弦楽団の春季定演。開演は午後5時。入場無料。曲目は次のとおり。指揮は広井隆さん。
 シベリウス 交響詩「フィンランディア」
 シベリウス 「カレリア」組曲
 フランク 交響曲 ニ短調

● たまたま現地で知った演奏会なんだけど,これは聴いて正解だった。学生オケに特有の,混じり気のないひたむきさ(のようなもの)が溢れている。
 彼ら彼女らは,子供時代を振り返りながら,自分は充分に年を取って汚れてしまったと思っているのかなぁ。小さな晩年気分を味わうお年頃かもしれないのでね。

● しかし。凜として曲に対峙している感があって,とても羨ましく思えた。論文だの就職だの採用試験だの,彼氏や彼女とのこれからのことだの,あれやこれや,悩みや気がかりも抱えているんだろうけれども,いったんはそれらを脇に置いて曲に向かうという感じがねぇ。中にはそんなものは歯牙にもかけない学生もいるかもしれないけれど。
 指揮者もこういう学生たちを指導できるのは,それ自体が楽しいことだろう。

● 「フィンランディア」で,まずは金管の粒が揃っているのに驚いた。これはもう「フィンランディア」の第1音で。行進曲ではないけれども,金管の比重が高い。金管がここまでしっかりしていれば,「フィンランディア」は黙っていても成功する。
 「カレリア」の短い第2曲で木管の上手さがしみじみとわかった。弦は言うにや及ぶ。フランク交響曲でヴィオラのトップとセカンドに瞠目。あと,ティンパニ。
 要するに,高い水準でバランスの取れたオーケストラだ。大学から楽器を始めた人もいるっぽいのだが。すでにできあがった“”が持つ養成力とでもいうべきものがあるのだろうか。

● わりと空席が目立ったんだけど,黄金週間中は学生さんは海外に遊びに行っているんだろうか。今どきの若者はあまり海外を目指さないと聞いているんだが。あるいは田舎に帰っているのか,バイトが忙しいのか。観客が学生や大学の関係者である必要はないんだけれども,この入り具合はちょっともったいない感じがする。
 学芸大学にとって,ここはホームではない?
 
● こういう演奏を聴けると嬉しくなる。栃木から彼らを追っかけるってわけにはなかなかいかないけれども,記憶にとどめておくべき楽団だ。

2018.05.05 ディヴェルティーレ・チェンバー・オーケストラ 第15回演奏会

府中の森芸術劇場 ウィーンホール

● 黄金週間の後半。東京のホテルで過ごすことにした。基本的にホテルから出ることはない。何もしないでボーッとしている。が,せっかく東京にいるんだからというわけで,新宿から京王線を乗り継いで,府中の森芸術劇場にやってきた。
 開演は午後2時半。チケットは1,000円。当日券を購入。モーツァルトの40番とシューベルトの5番。指揮は西田史朗さん。

● 府中の森に来るのは,今回が二度目。立派な施設で畏れいる。ウィーンホールはその辺の多目的ホールでいうと小ホールになるだろうか。その辺の多目的ホールと違うのは,正面にパイプオルガンが鎮座ましましていることと,響きが素晴らしいこと。
 ホールはこのくらいがいいのだと思わせる。こういうホールで聴くのが,つまり贅沢というものだろう。

● モーツァルトの数ある作品群の中で,マイ・フェイバリットに何を選ぶか。ぼくはクラリネット協奏曲と今回の40番だ。代わり映えしなくて申しわけないけれど,CDで聴くのもこの2曲が圧倒的に多い。
 でもって,モーツァルトは知名度に比して,演奏に接する機会が意外に少ない。中にはモーツァルトを集中的に取りあげているところもあるのかもしれない。が,田舎に住んでる人間にはその恩恵はない。

● シューベルトの5番を生で聴くのは,ひょっとすると,これが最初で最後かもしれない。この曲はシューベルト19歳の作品。「ハイドン,モーツァルト,ベートーヴェンの強い影響を受け」たと,プログラム冊子の曲目解説では紹介されているが,モーツァルトのあとに続けて聴くと,なるほどと思う。
 モーツァルトの影響というか,19歳のシューベルトにとっての時代の空気の影響というか,そのあたりは言葉の問題になるだろうか。

● この楽団は弦楽合奏のために結成されたらしい。今回は管も加わるわけだが。西田さんの本職はヴァイオリン奏者で,彼はこの合奏団のトレーナーでもある。
 和気藹々とした楽団のように見えた。客席にもお馴染みさんが多いのかもしれない。市民オケはそれで良いのかも。っていうか,市民オケの正統なのかも。
 按配が難しいかもしれない。過ぎると居酒屋になってしまう。常連客を相手に賑やかに盛りあがっているという。常連以外は参加しづらい雰囲気ができてしまう。
 が,居酒屋化現象があればあったで,それはそれでいいのではないかという気もする。
 といって,この楽団が居酒屋になっているというわけではない。念のため。

● アンコールはシューベルトの“ロザムンデ間奏曲”とモーツァルトのディヴェルティメント ニ長調K.136の第1楽章。K.136では西田さんもヴァイオリンを持って参戦。っていうか,弾き振り。

● ここでも乳児連れの母親がいた。この時期はしょうがないんですかねぇ。
 ちなみに申しあげると,こういうことをするのは高齢出産組に多いような気がするんだけど,どういう理由でそうなのかを考察するには,事例の収集がまったく足りない。