2018年7月20日金曜日

2018.07.16 第4回オーケストラフェスティバル in 鹿沼

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 3年前に続いて2回めの拝聴。開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。

● 登場する団体は,鹿沼市立西中学校管弦楽部,東中学校オーケストラ部,鹿沼高校音楽部管弦楽団,鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ,鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の5つ。それぞれが演奏したあとに,大編成の合同演奏がある。
 鹿沼ジュニアフィルは,西中,東中,鹿沼高校のメンバーが主要な構成員だろうから,中学生,高校生の中には出ずっぱりに近い人がいるだろう。

● 鹿沼のような地方の小都市でこういう催しができるのは,西中と東中に管弦楽の部活があるからだ。どういうわけで,この両校に管弦楽部ができたのかは知らないけれど,できたことよりも,それが現在まで継続していることがすごい。
 鹿沼にもともとそうした風土があったとは考えにくい。起爆剤になった人がいて,いくつかの偶然が重なって現在に至っているに違いないのだけれども,いったん軌道ができれば,諸々のストックが溜まっていく。おそらくそれは,鹿沼市の無形財産のひとつになっているのだろうと想像してみる(なかなかそういう綺麗事ではすまないのだろうけどね)。

● まずは西中学校管弦楽部。ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲。
 中学生をなめてはいけないということ。クラシック音楽を代表する楽曲をここまで形にできるのだ。楽器を始めて間もない生徒が多いと思えた。それでも,ここまではできるのだ。
 これ以上はできないというラインははるか上にある。したがって,まだまだ上達できる。
 東中の益子先生が指揮をしていたのだが,ひょっとして彼は西中に異動になったんだろうか。

● 鹿沼高校音楽部管弦楽団。「アルルの女」第2組曲から2曲。“ファランドール”は音が割れないだけでもたいしたものだと,ぼくなんぞは思ってしまう。ミスるまいと守りに入らず,向かっていってるのが素晴らしい。
 実力は相当なもので,大人の演奏に近い。基本,オーケストラは大人が演奏するものだと思う。作曲家の意図を汲むとか,作曲された当時の時代背景を考えるとか,その他いわゆる解釈と呼ばれる細かい作業は,大人の領分に属するものかと思っている。
 が,できあがる演奏は少年少女が大人を超えることがある。艶っぽさというのか色気というのか,ゾクッとするなまめかしさが載っていることがある。

● 東中学校オーケストラ部。ストラヴィンスキー「火の鳥」から“魔王カスチェイの凶悪な踊り”と“終局”。
 東中は例年,「火の鳥」を取りあげている。中学生がストラヴィンスキーをやるというのもなかなかねぇ。とんでもない難物だと思うのだが。その難物をここまで仕上げてくるのには,いつもながら驚かされる。

● 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ。6月の定演で演奏したサン=サーンスの第3番の後半部を。
 最初からやる場合と,こういうふうに途中から入る場合とでは,気持ちの持って行き方に違いがあるんだろうかね。案外,そうでもないものなんだろうか。

● 鹿沼フィルハーモニー管弦楽団。ブラームスの4番の第1楽章。
 ブラームスの作品はどれもそうだと思うんだけど,密度がすごいというかねぇ。ギュッと中身が詰まっているというか。
 第1楽章だけで4つの楽章分の質量がある。これを聴いただけでグッタリと疲れてしまった。

● 休憩後,合同演奏。ボロディン「ダッタン人の踊り」とチャイコフスキーの第5番第4楽章。
 アンコールは「ラデツキー行進曲」。3年前も同じだった記憶があるのだが,違っているかもしれない。

● 昨年は8月に開催される,鹿沼高校,西中,東中の定期演奏会をすべて聴くことができた。が,今年はどうやら無理っぽい(聴けるといいのだが)。
 ので,抜粋ながらまとめて聴ける今日の機会を逸したくなかったっていうかね。帰りは,鹿沼駅に着く前に夕立に遇ってしまって,あまりありがたくない体験をすることになったんだけど。

2018.07.15 栗田智水&金子鈴太郎 蔵chicコンサート-ふみの森もてぎ開館2周年記念

ふみの森もてぎ ギャラリーふくろう

● このコンサートを知ったのは13日の下野新聞に催行告知が載っていたからで,危うく聴き逃すところだった。茂木町では“美の里もてぎクラシックコンサート”なるものもシリーズで開催されているようで,もう何度も聴き逃していたことになる。
 催行告知には先着150人とあったけれども,予め用意した椅子はすべて埋まり,主催者が追加の椅子を並べていた。200人ほどは入ったろうか。茂木にこんなに人がいたのかと思うほどだ。ぼくのように町外から来ていた人も,けっこうな数いたと思うけど。

● 開演は午後2時。この2人が演奏するのに入場無料。ミニコンサート的なものかと思ったら,2時間のフルサイズ。
 このクラスの演奏家がノーギャラってことはあるまいから,茂木町は太っ腹というべきか。200人から入場料を取っても知れているということか。

● プログラムは次のとおり。
 コレッリ フォリア
 モーツァルト 歌劇「魔笛」より“恋人か女房か”
 バッハ 管弦楽組曲第2番 より“ポロネーズ” “バディネリ”
 バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調
 バッハ フルートと通奏低音のためのソナタ ハ長調

 ドヴォルザーク ユモレスク
 ロボス ブラジル風バッハ第5番より“アリア”
 カサド 無伴奏チェロ組曲
 アーン クロリスに
 ピアソラ 「タンゴの歴史」より“ボルデル” “カフェ”
 ピアソラ リベルタンゴ

● サービス精神に溢れたステージだった。演奏家も客商売で,聴衆のご機嫌を損ねるわけにはいかないという動機も働くんだろうか。大学の先生が小学生に接するがごとし。
 というか,コンサートは奏者と聴衆の合作だから,聴衆に乗ってもらうことが必要なんだろうかなぁ。シラーッとされてるのが一番困る。
 聴衆側にも自分で自分を乗せていくという努力なり心づもりが必要なのだろう。

● 金子さんの無伴奏チェロの2曲はどちらも那須野ヶ原ハーモニーホールで聴いている(たぶん)。自分のことを棚にあげていうと,居眠ってた人がけっこういた印象。この手の曲は聴き手を選ぶからだと思っていた。
 が,今回はどうだったかというと,皆無ではなかったにせよ,少なかったような。奏者と観客の距離が近いからですかねぇ。

● だとすると,ソロはもちろん,室内楽曲を演奏したり聴いたりするには,コンサートホールの小ホールでも少し大きすぎるってことになる。
 普通は興業として成立させなければいけないから,今回のように催行主が全額を負担し,観客にコストを転嫁しない場合にのみ,理想の大きさ(小ささ)を実現できるということか。理想は実現されないから理想であり続けるのだけれど。

● その金子さん,トークが旨い。努力の結果ではなく天然だろう。彼に喋らせておけば,間は保てる。
 1年前に那須野ヶ原ハーモニーホールで聴いたときには,楽譜をiPadに入れて,足で譜めくりをしてたんだけど,今回は普通に紙の楽譜を使っていたようだ(席が後ろで良くは見えなかったのだが)。

● 栗田さんは地元出身。真面目に努力を積み重ねるタイプのようにお見受けする。
 一部上場企業の秘書室にいると絵になるかも。そういう容貌の持ち主。でもって,そういう仕事も無難にこなしそうな気配がある。
 もっと奔放になった方が演奏にはいいのかもしれないけれども,仮にそうだとしても,持って生まれた性格を変えようとすると,ロクな結果にならない。

● とはいえ,四角四面というわけではまったくなく,演奏家は陽性の人が多い(と思っている)。彼女も例外ではない(と思えた)。ここ,かなり大事なところだと思う。
 奏者にまず求められるのは性格が陽性であること。次に運動神経と体力。この2つを欠いて,技術だけがあっても仕方がないような気がする。というより,この2つを欠いて精緻を極めた技術が存在するという状況は少々想定しにくい。
 音楽とか美術の世界で,白皙の文学青年的な人を見かけることはほぼない。いや,文学の世界でも文学青年的な人はあまりいないのじゃないかと思う。

● 金子さんは全国を飛び回っていて,かなりのお忙氏だと聞いたことがある。
 なのに茂木まで来るというのは,金子さんも栗田さんのファンなのかもしれない。

● 特に印象に残った曲は,最初のコレッリ「フォリア」と最後のピアソラ「リベルタンゴ」。
 初めて聴いた「リベルタンゴ」は古川展生さんのチェロによるものだった。もちろんCD。CDは今でもその1枚しか持っていない。ヴァイオリンもピアノもクラリネットももちろんフルートもあるわけだけども,それらはYouTubeで(ただし,YouTubeにあがっているものは,おおむね装飾過剰。ショーアップしすぎのような気がする)。あとは今回のように生で聴ける機会を拾っていく。
 この曲は,渡世って辛いねぇ,人間って悲しいねぇ,と歌っているように聞こえる(違うんだろうけど)。あまり落ちこんだときに聴くとかえって気が滅入る。ある程度元気なときに聴くのがよろしかろうと思う。

● 会場の“ギャラリーふくろう”は造り酒屋の仕込蔵だったところらしい。構造もまったく当時のままではないにしても,かなりの程度には当時のままのようだ。
 使えるところは以前の部材を使おうとしたようで,柱も途中から古いものを継いでいる。継ぐときにはこうするのかと面白い発見をしたような気分になった。耐震構造の問題もあるだろうから,そのあたりの見極めはデリケートになるのだろうが,そこをどうにかできるだけの継ぎの技術というのは,じつは昔からあったんだろうね。

● とにかく,典型的な日本家屋だ。天井もない。したがって,響きは弱くなる。上にあがった音は屋根を通過して無窮の彼方に消えていく。基本的には直接音を聴くことになる。
 このくらいの広さ(狭さ)だと,それがかえっていいのかもしれない。音色の輪郭がクッキリとする。それをクリアというのかもしれない。

● ところで。タイトルの「蔵chic」はクラシックと読ませるわけだけども,クラチックと読んじゃうんだよね。chicはシックとも読むことがあるんだと思うんですけどね。
 「蔵ssic」ではダメなんだろうかなぁと,ひどくつまらないことを思ってみた(字面はchicの方がいいんだけどね)。

2018年7月18日水曜日

2018.07.14 東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団 第39回定期演奏会

ティアラこうとう 大ホール

● 開演は午後2時。入場無料(カンパ制)。事前に楽団のサイトからチケットを申しこんでおく方式。
 東京大学の冠は付いているものの,インカレ楽団で,社会人もいるらしい。現役の東大生の比率はそんなに高くない(ただし,大学別に見れば東大が一番多い)。

● かつてこの楽団の賛助会員になっていた。のに,だいぶ久しぶりの拝聴になった。
 賛助会員になったのは,この楽団の技術の高さに圧倒されたこと。行こうと思えば音大に行けた人たちの集団であることに間違いないけれど,そういうだけでは足りない。
 これは賛助会員になって,わずかなお金であっても,応援の意思を表明すべきではないかと思った。

● なのにだいぶ久しぶりの拝聴になったのは,年2回の定演のうち,冬に開催されるのは開演が19時であるため,聴きに行くことができないことだ。
 終演は21時を過ぎる。となると,その日のうちに帰宅することができなくなるのだ。宇都宮までは戻れるんだけど,その先がね。新幹線を使えば間に合うのかもしれないけれども,そこは生来のケチ根性が邪魔をする。泊まってしまうのはアリかといえば,翌日,定時までに出勤できるかどうかわからないし,それ以前に“奥様”のお許しが出ないだろう。
 というわけで,けっこうご無沙汰してしまったよ,と。2013年12月以来なのだ。思いだした。このときは,宇都宮まで自転車で出たんだった。まだそんな元気があったのだなぁ。

● この猛暑だ。開場を待って並んでいる間にも,面白いように汗が流れた。半ズボンにTシャツ,素足にサンダルといういたってラクな恰好なのだ。これ以上にラクな恰好をしたら,警察にしょっ引かれてしまうだろう。それでも立っているだけでクラクラする。
 誘導する団員はといえば,キッチリとした恰好をしている。ぼく,できないわ。意識で汗を抑えることはある程度までできると思うんだけど,この暑さの中で首をきっちり締めてるってすごいわ。

● 曲目は次のとおり。指揮は村井音文さん。
 メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」より“序曲” “スケルツォ” “夜想曲” “結婚行進曲”
 ベートーヴェン 交響曲第1番 ハ長調
 シューベルト 交響曲第4番 ハ短調「悲劇的」

● 毎年,団員の入れ替えがあるんだろうから,レベルを保ち続けるのはこちらが考えるほど容易ではあるまい。この楽団にしてもそこは同じだろう。
 しかし,ここまでの演奏ができるというのは,ある種の驚愕をもたらす。この楽団はアマチュアオーケストラのトップクラスのひとつに数えていいのだろう。

● シューベルトの4番を生で聴くのは,初めてだ。この楽団の演奏で初体験とはラッキーだ(と思って聴いた。が,自分のこのブログを検索してみたら,過去に聴いていたんでした。まったく記憶から脱落してた)。
 いい時間を過ごしているなぁと実感できるといいますかね。世の塵芥から遠く離れて,きれいなものだけを見つめていられる幸せというか。

● うわまえを刎ねているという後ろめたさ(?)もある。彼ら彼女らが幼少の頃から積み重ねてきたものの上澄みを,何もしないでちゃっかりいただいているという。
 聴衆がいなければ音楽は成立しない(グレン・グールドにしたって,レコードを聴く人がいればこそ,彼のスタイルが成立した)。そうではあるんだけれども,何とはなしの搾取感のようなものが伴ってくるんだな。つまり,奏者がいないと聴衆もあり得ないわけでね。

会場のティアラこうとう
● 女子団員の美人度の高さ。これはカラフルなドレスで登場するので,そのドレス効果に幻惑されているのかもしれないんだけどね(いや,そうではないと思うんだけどね)。
 かつては,ウェディングドレスかと見紛うようなのもあったんだけど,今回はそれはなし。ウェディングドレスではさすがに弾きづらいんですかねぇ。

● コンマスは曲ごとに交代する方式。ヴィオラは大きくスウィングしながら弾く人,多数。そうしたことがらを含めて,眼で見る楽しみも豊富。耳でも目でも美味しい楽団なのだ。

● そこに,指揮者の村井さんがスパイスになっていたというか。もちろん,指揮者として将来を嘱望される人なのだろうが,いわゆる余白の部分がね。表情と仕草が面白い人だ。
 指揮を終えて舞台の袖に引っこむときの歩き方なんか,ペンギンか,おまえは,と突っこみたくなるし,話すときの表情も独特。何もしないでいても笑っているように見える,かなり得な造作の持ち主。
 そういう人はだいたいにおいておそろしく育ちがいいものだ。

2018年7月17日火曜日

2018.07.08 電気通信大学管弦楽団&白百合女子大学アンサンブル・リスブラン 第32回ジョイントコンサート

杉並公会堂 大ホール

● せっかく東京に行ったんだから,帰りがけの駄賃が何かないかと思って,“オケ専”をチェック。いくつかあった中から,このコンサートをチョイスした。
 開演は午後2時。チケットは500円。当日券を購入して入場。

● 電気通信大学の学生といえば,自分には決定的に欠けている理系脳の持ち主たちだろうから,無条件で尊敬しちゃう。情報数理工学だの情報通信工学だの電子工学だのを勉強してるんだよ。ぼくなんか,それらの名前だけでウヘェーってなってしまう。
 白百合女子大学といえば,ミッションスクールのお嬢様というイメージ。高嶺にそよそよと揺らいでいる可憐な花。

● というイメージは,しかし,昔日のものなんでしょうね。早稲田と慶応はよく対比されるけれども,早稲田がバンカラっていうのは,昭和とともに終焉しているものな。
 受付を担当していた白百合(だろうと思うのだが)の学生は,普通の大学生だった。そりゃそうだよね。勝手に妙なイメージを作っちゃいかんよね。放っておくと作ってしまいがちになるんだけどね。

● この両校のほかにも,いくつかの大学からメンバーに加わっている。賛助ではなく。インカレ的な団体なんだろうか。
 首都圏ではこれが普通のようでもある。大学が密集して存在するから,そういうことも可能になるのだろうが。地方ではなかなか難しいだろう。

● 曲目は次のとおり。指揮は田中一嘉さん。
 ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」 
 チャイコフスキー バレエ組曲「眠れる森の美女」
 シベリウス 交響曲第2番
 アンコール曲は「くるみ割り人形」の“花のワルツ”

● シベリウスの2番。正々堂々の王道を行くシベリウス。中にとんでもなく上手い人がいる。その音がどこから聞こえてくるのか,奏者を特定することはできなかったけど。
 大学オケでは珍しいかもしれない男性コンマス。小柄ながら(“ながら”ってのも変な言い方だけども)堂々のコンマスぶり。

● この杉並公会堂があるので,荻窪は訪れる頻度の高いところ。けれども,荻窪駅の北口から公会堂までの短い線上しか知らない。あとはまったくの未知。
 今日はいつもの線から少し逸れてみた。ゴチャゴチャした飲み屋が集まっている一画。こういうのがないと人は生きていけない。いや,生きてはいけるかもしれないけれども,何だか落ち着きの悪い生き方のような気がする。

● ワタクシの趣味はクラシック音楽を聴くことと読書でございます,というのは大変けっこうなことだけれども,それだけでは薄っぺらな人生しか生きられまい(そうでもないのか)。都会の裏通りには,そういう薄っぺらさを埋めるための装置がいろいろあるだろう。
 銀座だけでは人は生きられない。新橋や神楽坂が必要だ。高層ビルだけでは人生は完結しない。ガード下も必要だ。都会に来ると,そういうことをチラチラと考える。

2018年7月10日火曜日

2018.07.01 さくらウインドアンサンブル 第2回定期演奏会

さくら市氏家公民館 ホール

● 開演は午後2時。入場無料。

● 曲目は次のとおり。指揮は村上陽一さん。地元出身でこの楽団の音楽監督。
 郷間幹男 虹色の未来へ
 バーンズ アパラチアン序曲
 久石譲/森田一浩 もののけ姫セレクション

 本田拓滉 ある森の一日(クラリネット5重奏)
 坂井貴祐 さくらの主題によるラプソディ(金管5重奏)

 ピアソラ 「タンゴの歴史」より Ⅲナイトクラブ
 シュライナー/ハワード インマー・クライナー

 鈴木英史 ディズニー・プリンセス・メドレー
 プリマ/宮川成治 シング・シング・シング

● 吹奏楽の原型はおそらく軍隊の軍楽隊,鼓笛隊だろう。聴き手を鼓舞するためのもの。あわよくば,聴き手の神経を麻痺させて,戦場に飛びこませるためのもの。
 今の吹奏楽はずいぶん洗練されたというか,そういうものとは別のものになっているが,マーチが多いのはそうした沿革によるものだと,勝手に思っている。

● 軍隊ではなくても,人が人生を生きて行くうえでは,鼓舞されることが必要なのだろう。場合によっては神経を麻痺させてでも,そこに飛びこんでいかなければならないことがある。
 “そこ”とは職場であったり,学校であったり,配偶者の実家であったり,様々であろうけれど,会いたくもない人に会わなければならないことがあり,やりたくもないことをやらなければならないことがあるのが,つまり人生というものだ。いやいや,そういうもので満ちているのが人生というものだろう。

● それゆえ,軍隊の軍楽隊に相当するものを,ぼくらは必要とするのだ。鼓舞するものがなければ,生きるのがシンドくなるのだ。
 吹奏楽が一定の人気を保って存続しているのも,畢竟,このあたりの事情からではないか。

● ピアソラの“ナイトクラブ”は海老澤栄美さんのクラリネット。ピアノ伴奏は渡部沙織さん。ヴァイオリンでも良し,フルートでも良し,というわけなのだろうが,クラリネットでももちろん良し。
 ピアソラといえば「リベルタンゴ」。ピアソラはわりと好きで,1曲残らずというわけではないけれど,かなりの曲を聴いている(つもり)。その中で「リベルタンゴ」は別格だと思える。この曲はクラシックなんだろかとも思うんだけど,そんなことはどうでもいい話で,この曲だけでアルゼンチンが好きになれそうだ。
 というわけで,次は「リベルタンゴ」を聴かせていただきたいな,と。

● 「インマー・クライナー」では海老澤さんはソリストの役がら。遊びを仕込んだ曲で,吹奏楽ではこの種の遊びはさほど珍しくないような気がしている。
 芸術性(訳のわからない言葉だが)よりもエンタテインメント性を指向しているようだ。少なくとも管弦楽よりは大衆性を獲得できているのは,それが理由のひとつでしょう。

● 昨年もそうだったので覚悟はしていたんだけども,客席に問題が多い。乳幼児を連れてきちゃう母親がいるんだな。しかも,けっこうな数。
 指で耳を塞いでいる女の子がいた。小さい子をここまでの音圧に晒すのは拷問に近い。都会の雑踏とはわけが違う。そういうことが気になってしまって,演奏を聴くことに集中できなくなる。

● 親が聴くのを我慢すればいいだけのことだ。我慢できない理由が何かあるのか。知り合いが出演しているという程度のことは,我慢できない理由にはならんぞ。
 親同士の交友や旧交を温めるといったことは,別の場所でやったらよろしい。そもそも,旧交など温めても仕方があるまいと思うんだが,女の人にはそうもいかない事情があるんだろうか。

● しかし,そういうことを呑みこんでお釣りが来るほどに,ステージは工夫をこらした楽しいもの。和気藹々としているが,それだけではステージは成り立たないだろう。切磋琢磨といえばきれいな言葉になるが,いろんな軋轢があるだろうことは想像に難くない。
 まとめる立場の人は大変だろうけど,それあればこそ,ここまでのステージがあるわけで,どうか倒れない程度に眠れない夜を過ごしてもらいたいものだ。

● ただし,工夫の数々を外してしまって,直球で勝負してもいいような気もした。つまり,演奏がすべてを語るという行き方でもいいんじゃないか。ことさらにエンタテインメント性を演出しなくても,ステージは充分に成立する。
 が,ここはそういう行き方を採らないらしい。

● 司会進行にプロのアナウンサー(須賀由美子さん)を起用。起用する以上は活かさなければいけない。活かそうとしなくても,彼女が自ら動いてくれるだろうが。
 ときに彼女が演奏を喰うというか,ステージで主役を張る瞬間があった。それはおそらく彼女の本意ではないと思うが,やむを得ない。ときに,女性のルックスは演奏を喰ってしまうのだ。

2018年6月30日土曜日

2018.06.30 宇都宮大学管弦楽団 第85回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 昨夜に続いて,宇都宮市文化会館。開演は午後6時。チケットは800円。
 曲目は次のとおり。指揮は阿部未来さん。
 ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」序曲
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調
 ブラームス 交響曲第2番 二長調

● 5月と6月,わりと大学オケを聴く機会が多かった。いずれがアヤメかカキツバタということでもない。わりとわかりやすい差があるものだ。が,下手だからダメだとはぼくは思わない。下手でも気品があるという場合はある(少ないけれど)。
 宇都宮大学管弦楽団はどうかといえば,技術的にもかなり高い水準にあるのじゃなかろうか。

● 作家の伊集院静さんは立教大学の野球部にいた。身体を壊して退部するんだけれども,大学の野球部は高校までのそれとはまったく違ったとエッセイに書いている。大学の授業も午前中に開講されるものにしか出られなかっとある。
 小中学と野球をやっていた少年たちが,まず高校で篩にかかる。高校まで残っていた野球野郎が大学で篩にかかる。だから,大学で残った部員はかなりの猛者で,その猛者たちが切磋琢磨する。

● 管弦楽の場合はどうなんだろうか。おそらく,そうした篩はないだろう。むしろ,大学で楽器を始めた人もいるだろう。
 しかも,講義がある時間帯から練習を始めてしまうわけにもいかないのではないか。うるさいと苦情が来そうだ。防音がしっかりした練習室がいくつもあるなら話は違うけれども,普通の国立大学にそんな恵まれた環境は用意されていまい。

● が,授業にしっかりと出て,自学自習も怠らず,そのうえで残った時間を練習に充てているとも思えない。大学の教室にいた延べ時間よりは,部室なり練習室で過ごした時間の方が長いだろう(そうでもないのか)。
 一人でする練習もあるだろうし,アルバイトもするんだろうから,けっこう以上に忙しく過ごしていると思うんだけど,トータルとして,宇都宮大学の教育学部や国際学部や工学部や農学部を卒業しましたというよりは,宇都宮大学の管弦楽団を卒業しましたという気分が勝るのではないかと想像する。

● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ピアノは米津真浩さん。この人,かっこいい。非常に下世話な感想だけれども,ピアノがチョー巧くてイケメン。モテるだろうな。
 リサイタルの口もかかるでしょうね。演者であれ奏者であれ,舞台に立つ以上はルックスを等閑に付すことは許されない。お客を呼べる要因はひとつでも多く備えていた方がいいに決まっているのだ。
 ザックリとした印象でいうと,東京音大って美女やイケメンの比率が他より高い? コンセール・マロニエで優勝した小瀧俊治さんも東京音大だったし,田母神夕南さんもねぇ。

● その米津さんのピアノに管弦楽も懸命の対応。といって,ピアノに付いていくという感じではない。がっぷり四つ。
 相撲じゃないんだから,基本,ピアノを立てていた。というか,まぁ,立てるしかないでしょうね。米津さんのオーラはすごかった。ということは,がっぷり四つではなかった? いや,あれはがっぷり四つと形容するのが正しい。

● ソリストと指揮者が去ったあと,管弦楽団の奏者が退場するときにも,客席から拍手が起こった。協奏曲でこういうことはあまりない(と思う)。
 もっとも,第1楽章が終わったところでも拍手があったから,拍手が好きなお客さんが多かったのかもしれない。というのは誹謗中傷。あの拍手はそれとは明らかに別種のもの。管弦楽の健闘を称えるものだった。

● ブラームスの2番。聴きごたえあり。小さな事故はあった。だけど,いいんですよ。ほんと,そんなのはどうでもいいと思う。だからあまり気にするなと言いたい。
 そんなことより,攻めてたってことだよね。それが客席に届くんですよ。で,最終印象を決めるのは,そこのところなんですよね。

● 弦の水準の高さはもはや鉄板かと思われた。フルートとオーボエがしっかりしている。他はダメかといえば,もちろんそうではない。
 県内にいくつかある市民オケ,大学オケの中で,最も心躍る演奏を聴けるのが,この楽団かもしれない。将来は知らず,今のところは。

2018.06.29 国立音楽大学栃木県同調会 くにたちコンサート2018

宇都宮市文化会館 小ホール

● 開演は午後7時。当日券で入場した。
 このコンサートは4年前に一度聴いている。今回から“音楽の歴史シリーズ”と題して催行するようで,まず今回はルネサンス音楽編。次回はバロック編になるようだ。
 構えずに楽しめる。コンサートとしては理想形のひとつかもしれない。

● その所以を述べておく必要がある。そのために,まずプログラムを紹介することから始める。
 モンテヴェルディ オペラ「オルフェオ」より“序曲”“プローロゴ”
 ソプラノ独唱
  本居長世 赤い靴
  團伊玖磨 紫陽花
  ロッシーニ 約束
  ドニゼッティ オペラ「ドン・パスクワーレ」より“あのまなざしに騎士は”
 ボロディン 弦楽四重奏曲第2番 ニ長調(第3楽章のみ)

 以上が第1部。最初の「オルフェオ」以外,ルネサンス音楽とは関係なし。モンテヴェルディは「ルネサンス音楽からバロック音楽への転換点に立つ音楽家」と言われるけれども,モンテヴェルディからバロックの匂いを嗅ぐことは,ぼくの耳では難しい。

● 続いて第2部。
 ダウランド おいで,もう一度。今,甘美な愛が
 レウト 愛の神よ,私に告げてください
 プレトリウス クーラント183 ブランレ・モンティランド ブーレ
 スザート ムール人の踊り ロンドⅠ ロンドⅣ バスダンスⅡ
 前半の2つは声楽,後半の2つが器楽。

● 要するに,室内楽的な器楽と声楽が交替で登場する。その規模といい長さといい,頃合いがいいんですね。そこがまず「構えずに楽しめる」所以。
 それと,ルネッサンス音楽というのは,古典だのロマンだのに比べると,数学的な精緻さを欠き,緩い感じがする。その分,聴き手をして勝手に遊ばせてくれる。

● 音楽界はこのあと,大バッハを生み,ベートーヴェンを登場させ,ついにはシェーンベルクを世に出した。でもって現代に至るわけだけれども,それはつまり,音楽が大衆性を失う過程でもあった。
 いや,この言い方は失当だな。電気と録音技術によって,ぼくらは複製を得たのだ。複製によって音楽は一挙に大衆性を獲得したのだから。
 が,音楽の敷居が高くなったのも事実だろう。

● 今回聴いたルネッサンス音楽とシェーンベルク以後の対比は,フェルマー最終定理とABC予想を対比することに相当するような。どちらも数学上の難問とされ,近年,解決されたもの(らしい)。
 フェルマーの最終定理はそれ自体は小学生でもわかるものだ。3以上の自然数nについて,x^n+y^n=z^n となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない,という定理のことだ(n=2なら(3,4,5)が存在する)。そういうことかと誰でも理解できる。だから,これが証明されたときには社会的な話題にもなった。
 が,ABC予想はそれがそもどういうものなのかが素人ではわからない。ので,証明されても(しかも,証明したのが日本人であっても)世間はあまり反応しない。

● もし,ルネッサンス音楽のままでとどまってくれていたら。いや,そんなことになったら現在の隆盛はやはりなかったろう。という,とりとめのないことを思いながら聴いた。
 で,そういうことをチラチラ思いながら聴いても,ルネッサンス音楽って楽しいのだ。構えないで聴けるから,疲れない。呼吸を止めて聴くということにはならないからね。
 
● 司会者の解説も役に立った。この時代は楽器の性能がイマイチだったから,どうしても声楽が中心になり,器楽はそれに添えられるものにとどまっていた,と。
 大方の聴き手にとっては常識になっているだろう。が,中にはぼくのような粗忽者もいるかもしれない。今の楽器で判断しちゃうという。

● ので,これで終わっても,ぼくは満足だった。が,このあと,大学の教員2人による演奏があった。
 ベートーヴェン ピアノソナタ第23番「熱情」
 フランク ヴァイオリンソナタ(フルート版 第1,3,4楽章)
 「熱情」は江澤聖子さん,フルートは大友太郎さん。これらは嫌でも構えて聴くことになるんだけど,この水準の熱情ソナタを生で聴けるのは,かなり美味しい。

● ここでもひとつ発見したよ。演奏中の江澤さんが乙女に見えてきたんですよ。一心に曲に向かっているときの女性は乙女に見える。これ,発見。
 同じことが男性についても言えるといいんだけど,大友さんが少年に見えることはついになかった。自分を顧みて言うと,男はもともと成熟を拒否する性であって,中身と外見が連動しないからね。

● もうひとつ。譜めくり女子に不美人なし,というやつ。砂川しげひささんがどこかで書いていた。譜めくり担当の女性は美人ばかりだ,と。
 今回は大友さんのピアノ伴奏を江澤さんが務めた。そのときに譜めくり女子が登場。なるほどなと思った。
 今回に限らず,たしかに譜めくり女子は美人ばかりだった記憶がある。ごく少ない例外はあったようななかったような,そこらあたりは曖昧だけど。

● というわけで,ごきげんなフライデー・ナイトになった。このコンサートは,たぶん,大学側の出捐行為であろうから,遠慮なくタカらせてもらうのが吉かと存ずる。これで1,500円は本当に安い。