2017年10月17日火曜日

2017.10.14 第22回コンセール・マロニエ21 本選

栃木県総合文化センター メインホール

● コンサートにはわりと出かけているけれども,1年で最も楽しみなのがこのコンクールだったりする。普段なかなか聴く機会のない曲を聴けるし。
 特有の緊張感があって,こちらにも真剣に聴く構えができる。もっとも,奏者はこういう場には慣れているんでしょうね。評価されることに慣れている。だから,ガチガチに緊張しているという風はまったく見受けられない。

● 今年はピアノ部門。ピアノってあまり上手じゃない演奏だと,ちょっとでお腹いっぱいになってしまうんだけど,コンセール・マロニエのファイナルに残るような人たちの演奏ならば,間違ってもそんなことはない。
 今回もショパン,シューマン,ベートーヴェンのソナタや,ラヴェルやリストなど,たっぷり聴いて,なお聴き飽きることはなかった。

● トップバッターは香月すみれさん。桐朋の2年生。ショパン「スケルツォ 第4番」とリスト「死の舞踏」を演奏。
 当然といえば当然なのだろうが,ていねいに演奏している。彼女がこれまでピアノに費やしてきた時間と労力,お金,そのために犠牲にしてきたであろう諸々のものたちの大きさ。そういうものを想像すると,気が遠くなる思いがするが,ステージ上の彼女は淡々と気を込めている。

● 梨本卓幹さん。藝大の4年生。今回のファイナリスト6人のうちの唯一の男性。ショパンの「ピアノ・ソナタ第3番」。
 前回から1部門ごとの開催になり(それ以前は2部門ごと),その分,一人あたりの持ち時間が増えたようだ。審査するだけならこれほどの時間は要らないだろうと思うんだけど,長く弾かせないと見えてこないものがあるんだろうか。しかし,こちらとすれば,おかげでソナタ全部の演奏を聴くことができるわけだ。
 少し集中を欠いたところがあったろうか。あるいは客席に集中を妨げるものがあったろうか。
 そんな印象を受けた。彼とすれば,少々不本意な出来だったかもしれない。

● 坂本リサさん。藝大の4年生。福岡県出身。
 ひょっとして福岡顔っていうのがある? 乃木坂46の橋本環奈が福岡県出身だったと思うんだけど,顔の枠(?)から受ける感じが似ている。ま,演奏にはまったく関係のない話なんですが。
 入念に椅子の高さを調節して,演奏したのはシューマン「ピアノ・ソナタ第1番」。
 曲への思いを表情に出して演奏するタイプ。いい悪いの問題はないと思うが,好き嫌いの問題はあって,ぼくはこういうのがあまり好きじゃない,と自分では思っていた。
 が,これが似合う人っていうのはいるね。彼女はそっち側の人。あ,これもいいかも,とか思ったんでした。

● 石川美羽さん。藝大附属高校の3年生。6人のうち,最も若い17歳。演奏したのは,ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第18番」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」。
 曲調のまったく違うこの2曲を弾きわける技量の見事さ。いたって伸びやかで,屈託のない演奏だと,ぼくには映った。
 あざとさというものが皆無。スクスクとした,あるいはハキハキとした演奏。素直さが持つ強さとでもいうべきものが,ステージから発散された。

● 内田野乃夏さん。桐朋の2年生。演奏したのは,シューマン「クライスレリアーナ」。
 彼女からも素性の良さを感じた。今日に至るまでにもちろんいろんなことがあったんだろうけど,そうしたいろんなことが,今の彼女に痕跡を残していない。一心にピアノに向かって過ごしてきて,今に至る。そういう印象になる。
 といえば,彼女とすれば反論したいことが山ほどあるに違いない。そうした事柄もすべて呑みこんだような演奏だった。ケレン味や企みなどというものは1パーセントもなし。

● 田母神夕南さん。東京音楽大学大学院に在学。ストラヴィンスキー(アゴスティ編)「火の鳥」より“凶悪な踊り” “子守歌” “フィナーレ”。それと,リスト「ノルマの回想」。
 今回の最年長。それでも23歳ですか。ダイナミックな演奏の迫力には気圧された。こんなの初めて見た。23歳とは思えない存在感。
 ダイナミックって,ややもすると表層に流れるというか,ダイナミックだけが他から浮いてしまうことがある。彼女の演奏にはそういうことがなくて,ダイナミックが地に足をつけている。大変なものだと感じ入った。

栃木県総合文化センター
● 6人のファイナリストのプロフィールを見ると,全員が3~5歳の間にピアノを始めているんですよね。それくらいで始めないと,なかなかここまでは来れないってことなんでしょうね。
 しかも,当然,これから先がある。大変な世界に進んじゃった人たちですよね。

● 奏者と奏者が発する音は切り離して,音だけを聴くべきなのかもしれない。ところが,素人はなかなかそれができない。奏者の動きや表情に引きずられて,その結果としての印象を作ってしまう。
 しかし,聴き方としては正しくなくても,そうして聴く方が楽しい。ぼくは楽しい方を選びたい。

● 今回で理解不能だったのは客席の設定。前4列を着席禁止にした。これはいい。
 が,その後ろの3列を“ご招待者席”として,同じように着席できないようにしていた。コンクールにどうしてこれほどの“ご招待者席”が必要なのかと思った。空席はいくらでもあるんだから,わざわざ“ご招待者席”を作らなくても,と。
 どうも,誰も招待していないのに“ご招待者席”を設けたらしい。結果,最もいい席が誰にも座られない状態で封印されてしまった。

● ただ,このコンクールを聴きに来る人が年々増えていることは間違いない。以前は本当にガラガラだった。客席にはチラホラとしか人がいなかった。
 今でも,空席の方がずっと多いんだけど,それでも観客がいると言っていい状態にまでなっている。今回はピアノを習っているらしい少女たちがまとまった人数で聴きに来ていたようだ。

2017.10.09 丸の内交響楽団 第23回定期演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● 池袋は東京芸術劇場へ。丸の内交響楽団の定演。開演は午後2時。チケットは1,000円(前売りは500円)。当日券で入場。
 曲目は次のとおり。指揮は横山奏さん。奏はカナデと読むが,男性だ。
 フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲
 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 ニールセン 交響曲第4番「不滅」

● が,開演前にトラブル発生。ぼくが座っている席に,そこは私の席なのですがというお客さんが来た。たしかに,同じ席番号のチケットを持っていた。
 その人のチケットは“ぴあ”が発行したもの。前売券を買ったのだろう。おそらく,前売券の販売情報が当日券売場に伝わらなかったのだろう。伝わっていたのに当日券売場で取り違えが起きたのかもしれないが。
 こちらが先客だったこともあって,その人がスタッフに掛け合いに行った。スタッフの女性が来て,ぼくのチケットを持っていった。
 もちろん,そのまま聴けることにはなったんだけれども,はなはだ後味がよろしくない。

● そもそもが,これ指定席にしなければいけないものなのか。自由席でも問題はないような気がするんだが。料金は一律なんだからね。SだのAだのっていう区分はないんだから。
 おそらくだけれども,指定席にすることがこのホールの利用条件になっているんだろうね。自由席にするんじゃお貸しできませんよ,ってことになっているのではないかと想像する。
 自由席にするとなにか混乱が起きるのかねぇ。案内するのが大変だってことだろうか。

● あと,隣に座った男性がちょっと変わった人で,一切,拍手をしない。それが気になって仕方なかった。拍手するしないは各人の自由といえば自由で,その自由を行使しているだけと言われれば,それ以上に返す言葉はない。
 が,アンタにできることって拍手をすることだけだよ,と言ってやりたくもあり,どうにもこうにも聴くことに集中できなくて。

● しかも,席がだいぶ後方のしかも右端に近いところ。件の男性氏が右端の壁際で,ぼくはその隣。この席だとさすがに,直接音しか届かないのかもしれなかった。
 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」のソリストは平山慎一郎さんで,どうやら相当な熱演のようなのだが,ぼくのところに届いてくる音はその何分の一に過ぎないようなのだ。さすがの東京芸術劇場でも死角はできてしまうということか。

● もうひとつあった。ぼくの前の席も男性で,なんだか座高の高い人だったのだ。彼の頭で視界も遮られてしまう。これもストレスになる。重なるときには重なるものだなぁ。
 ま,ぼくも同じ理由で人様にストレスを発生させているのかもしれないんだけどね。

● 休憩後,右隣の男性は消えていた。で,彼の席に移動して,ニールセンの4番を聴いた。ら,音の通りがまるで違う。聴こえてくる。ステージの臨場感も伝わってくる。
 こんなことがあるのか。ホールの構造,造作からはこういうことが起こるとは考えにくい。
 座高氏の遮りがなくなって視界も開けたのが効いているんだろうか。つまり,こちら側の心理に依拠するんだろうか。ひょっとすると,座高氏が音を吸い取ってしまっていたのか。
 いや,戯れ言はともかく,こういうことがあるんだねぇ。寸でのところでこのホールに誤った印象を持ってしまうところだった。

東京芸術劇場
● そのスッキリした状態で「不滅」を聴くことができた。生では聴いたことがなかった曲。いや,CDでも聴いたことはなかったな。
 2番「四つの気質」は2012年に当時のマイクロソフト管弦楽団の演奏で聴いたことがあるんだけど,結局それがニールセンの交響曲を聴いた唯一の経験になってしまっている。

● ニールセンがこの曲に「不滅」と題を付けたことの時代背景は,プログラム冊子の曲目解説にある。が,このタイトル,要らないような気もするんだが。
 いや,このタイトルがニールセンの曲想の元にあるもので,発火点になっているのかもしれないんだけど。

● 演奏にはいささかの不満もなし。これほど巧いアマチュアオーケストラが東京にはいくつあることか。いつも思うことを今回も思った。圧倒的な東京一極集中。
 この席でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をあらためて聴き直してみたいと思った。それだけが後ろ髪を引かれる思い。

2017.10.08 カメラータ・ムジカーレ 第56回演奏会-バロックの午後

東京オペラシティ 近江楽堂

● オペラシティは新宿駅から京王線でひと駅,初台が最寄駅になる。が,新宿から歩いてみることにした。甲州街道を東に。さほどの距離ではないしね。
 新宿はあまりに人が多くて,その人圧に気圧されて,ぼくはどうも新宿を苦手にしている。新宿を歩いたことはあまりない。
 だからこういう機会に歩いてみたい。というよりも,新宿駅で乗り換えるのが億劫だったんですよねぇ。それくらいだったら歩いてしまえ,というわけだったんでした。この駅を自在に動ける人ってすごいと思うんですよ。

● オペラシティに来るのは今回が初めて。夏場は,ぼくはTシャツ+短パン+素足にサンダルというイデタチでそちこちに出没しているんだけど,その恰好でここに来るのは,少し憚られる雰囲気。お洒落をして出かけるハレの場になっているらしい。
 新国立劇場と併せてひとつのエリアになっているから,オペラやバレエ,演劇,管弦楽曲のコンサートなど,この国で鑑賞できる最高レベルのものがたくさん催行されるのだろう。

新国立劇場側から
● そういうところへ,Tシャツ+短パン+素足にサンダルで現れてしまっては,顰蹙を買うでしょ。つまり,夏にぼくが来てはいけないところ。いや,それ以外の季節でもぼくが来てはいけないかもね。
 っていうか,来ませんよ,こういうところ。雰囲気を壊してはいけないってことくらい,いくらぼくでもわかってるんでね。

● この演奏会が行われた近江楽堂にいた人たちも,ちゃんとした恰好だった。ぼくの隣に座ったのは着物を着たご婦人。
 着飾って行ける場所っていうのが,どんどん減ってきてるのかもしれませんね。着物を買ったはいいけど,着ていく場所がないっていう。ホテルだってカジュアル化がどんどん進んでいる。サントリーホールだって,さほどに敷居の高い場所ではなくなっている。行ったことはないけど,歌舞伎座も同じではないか。
 着飾って行けるところは貴重なのかもしれない。だとすれば,そこは大事にしてあげないとねぇ。

● ところで,カメラータ・ムジカーレ。今回が56回目の演奏会になるというから,長く活動を続けているわけだけれども,ぼくは今回初めて聴く機会を得た。開演は午後2時。チケットは1,000円。
 曲目は次のとおり。
 サンマルティーニ リコーダー協奏曲 ヘ長調
 ラモー コンセール第5番
 テレマン 組曲第2番 ロ短調
 ヴィヴァルディ 室内協奏曲 ハ長調
 ルクレール ソナタ第5番 ホ短調
 テレマン 「食卓の音楽」より四重奏曲 ト長調

● 以上は,プログラム冊子から引き写したわけで,すべて初めて聴く曲だ。CDでも聴いたことがない。っていうか,CDは持っていない。
 バロックといえばバッハしか知らないレベルだ。バッハだけ知ってればいいとも思っていた。うぅぅむ,どうなのだ,これは。
 幸いにして,こうした楽曲もYouTubeにはアップされているようだ。聴こうと思えば聴けるのだ。しかも,タダで。ありがたい時代に生きているのだから,この恵みを活かさねばとも思うんだけど。バロック,本腰を入れて聴かないといけないかなぁ。「聴かないといけない」と思って聴くものじゃないけど。

● メンバーは男ばかりの7人組。平均年齢はけっこうなもので,ぼくより上かもしれない。つまり,“いなくてもいいよね世代”。
 しかし,つむぎだす音色はかなり繊細なのだった。楽器も今のじゃなくて,当時のもの(古楽器)を使用している。
 演奏で食べているわけではないという意味でアマチュアなんだけども,長年,探求と練習を重ねてきている。自負するところもあるだろう。

● 聴衆の拍手もかなり熱っぽかった。固定ファンがいるようだった。母体は慶応バロックアンサンブルらしいから,慶応つながりだろうか。たぶん,そうではないと思うんだけど。

2017年10月16日月曜日

2017.10.07 レイディエート・フィルハーモニック・オーケストラ 第27回定期演奏会

大田区民ホール アプリコ 大ホール

● 最近(といっても,だいぶ前から),コンサートに出かけてもフワッと聴いてしまっているような気がする。一期一会というとさすがに大げさになるけれども,この一回という真剣さが目減りしている。
 開演前の緊張感を聴衆のひとりとして共有しなければいけないのだけど,その構えにも欠けるところが出ているように思う。

● 馴れてしまったということか。そういう態度でしか聴けないのであれば,奏者に対して失礼だから,聴きに出かけてはいけないとも思うのだが。
 聴き巧者になる必要は必ずしもないと思っている。ただし,真剣な聴き手である必要はある。これがないと自分の人生もないと思えるくらいの場に仕立てることができればいいのだが。

● さて,レイディエート・フィルハーモニック・オーケストラの定演。拝聴するのはこれが2回目。前回聴いたのは,2014年の第21回
 開演は午後2時。チケットは1,000円。

● ホールに入ってみると,ステージには何も置かれていない。オーケストラはといえば,ピットに入るようだ。ということは,ステージではバレエダンサーが華麗に踊りを繰り広げるのだろう。
 おいおい,1,000円でこんな贅沢をさせてもらっていいのかい?

● ということにはならず,ステージ上には奏者が座る椅子が並べられていた。コントラバスもスタンばっていた。バレエなしの,あくまで音楽を演奏するのだった。そりゃそうだよね。
 曲目はグラズノフ「バレエの情景」とプロコフィエフ「シンデレラ(組曲版)」。指揮は小倉啓介さん。

● 演奏の前にプレトークがあった。話者は団長の山崎慎一さん(クラリネット)とチェロの山野雄大さん。山野さんの本業は音楽ライターだそうだ。っていうか,そちこちで健筆を振るっている人ですよねぇ。そりゃあ,蘊蓄を蓄えているはずだ。そういう人がここでチェロを弾いていたのか。
 曲とその背景を解説したんだと思う。だけど,ぼくが憶えているのは,シンデレラのストーリーにとらわれず,自分が振付師になったつもりで,自分ならこの音楽にどういう踊りを振り付けるか,そこを想像しながら聴いてみれくれ,というところだけ。
 が,それはなかなかに高度な技だね。音楽からリズムとストーリーを紡ぎだして,それをダンスに置き換える。かなり高度な技だな。

● どちらも初めて聴く。「バレエの情景」はCDも持っていない。「シンデレラ」も演奏されたのは組曲版だったんだけど,組曲版のCDはやはり持ってない。
 チャイコフスキーやストラヴィンスキーのような例外はあるにしても,バレエ音楽って,音楽だけ聴いてもさほど面白いものではないという先入観があった。
 踊るための音楽だから,リズム重視で,他はないがしろにされている,という理由による。が,ぼくが思っている以上に例外が多いのかもしれない。

● 「バレエの情景」のうち,第4曲「スケルツィーノ」は演奏されず。山野さんによれば“大人の事情”による。つまり,難解で本番までに形にするには時間が足りなかったということのようだ。
 「シンデレラ」は曲目解説によれば「深い叙情と透明感」とあるんだけど,“金管の咆哮”的な場面も登場する。あぁ,やっぱりロシアなんだなぁとは思うんだけど,それ以上にはなかなかいかないね。
 これにどんな踊りを合わせるか,まったく見当もつかないや。いや,それ以前に踊りについて知らないものね。

● バレエ音楽では,オケはピットにいて,舞台ではダンサーが華やかに踊っているっていうのがいいね。その方が受け身の気楽さを享受できるというわけですよね。
 それを生で観るというのは,とんでもない贅沢ではあるんだけどね。

● ところで,指揮者の小倉啓介さん。彼もまたユニークというか破天荒というか,面白い人なんですね。彼が半生を語っているインタビュー記事がネットにあるんだけど,これが無性に面白い。
 藝大付属高校を卒業したのに藝大に落ちた話。部外者はアッハッハと笑えるんだけど,本人は複雑だったろうねぇ。

● ここに書かれているところがその通りなのだとすれば,藝大の教授陣にもケツの穴が小さすぎる男たちがいて,そういう男たちが若者の生殺与奪の権を握っていたってことだよね。つまらん大学だね,藝大って,という印象になってしまう。
 小説かドラマになりそうな話ですよ。ま,今だったら同じことをやってもセーフだったかもしれない。時代が小倉さんに追いついてきたってことでしょうかね。

2017年10月10日火曜日

2017.10.01 グローリア アンサンブル&クワイヤー 第25回演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を買って入場。

● 今回の演目は「レクイエム」の2本立て。モーツァルトとフォーレ。指揮は片岡真理さん。ソリスト陣は藤崎美苗(ソプラノ),布施奈緒子(アルト),中嶋克彦(テノール),耒徹(バリトン)の諸氏。

● こうしたキリスト教音楽を聴いて味わうには,キリスト教が身に染みていなければいけないのではないかと思っていた。
 身に染みているというのは,キリスト教の教え(戒律?)が生活律になっているというか。そうなっていて初めて,こうした音楽を肌で味わえるのではないか,と。

● となると,ぼくらの大多数はその条件を満たしていない。キリスト教を理解するといっても,頭で理解するしかない。
 せめて聖書くらいは読んでいなければいけないのではないか。そうして,自分なりのキリスト教理解を前提にしてこそ,こうした音楽が味わえるのではないかと考えていた。

● のだが,それはかなり初歩的な間違いだったらしい。今回はそのことを感じた。
 小さな自分を超えるはるかに大きな存在。それに帰依する,すがる,任せる,“南無”する。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと覚悟を決める。
 その帰依する先はイエスでもキリスト教の神でも,それ以外でも,そこから敬虔と呼ばれる人間の心性は生じるだろう。

● 西洋の宗教音楽はそうした敬虔さを表現するものであって,神のイメージを音楽に翻訳しようと努めた結果ではないと解してよろしいか。
 であるとすれば,何らの翻訳装置なしに,ぼくら日本人にもストレートに染みてくるものであると解してよろしいか。
 音楽の普遍性というのは,こういうところでこそ,それが真であることを証明するものであろうか。

栃木県総合文化センター
● モーツァルトの「レクイエム ニ短調」は,モーツァルトが完成させた部分はごくわずか。あとは弟子のジュースマイヤーが補筆して完成させた。
 それでも三大レクイエムのひとつとされて,今日に至っているのは,ジュースマイヤーの功績なのか,モーツァルトが一部とはいえ示したベクトルの向きが然らしめるところなのか。

● フォーレは,よく言われることだけれど,レクイエム人気投票があれば,ダントツの第1位になるのじゃないかと思う。
 ひとつには小体であること。スマートでクールな印象がある。さらに,なめらかで美しい。ヴィーナスの彫像のようだ。

● 合唱団の中にとんでもなく上手い人が数人いる。ぼくの耳でそれとわかるのは,ソプラノ,アルト,テノール。たぶん,バスの中にもいるに違いない。
 ソリスト陣については言うにや及ぶ。まずもって文句はない。

● 合唱団と管弦楽。大がかりな装置が必要な楽曲を,地元で,しかも2千円で聴けるとはありがたい。
 来年はグノー「聖チェチーリアミサ」とヴェルディ「聖歌四篇」。どちらもCDすら持っていない。持っていても聴かないだろう。つまり,グローリアの演奏会がないと聴かないで終わる。
 かつまた,この演奏会で聴くことが,“CDでも聴く”につながるかもしれない。グローリア,貴重な存在だ。

2017年9月30日土曜日

2017.09.24 那須フィルハーモニー管弦楽団 名曲コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後2時。チケットは500円。当日券を購入。
 じつに安い料金でありがたい。が,わが家の最寄駅から西那須野駅までは片道580円になる。そこからホールまでバスに乗ると200円。チケット代の何倍かの交通費がかかる。

● というセコい話を始めたので,つまらない話を続けることにする。わが家からハーモニーホールに行くのに一番便利な手段は車だ。時間帯を問わず渋滞はない。スムーズに着ける。時間も最短ですむ。
 が,ぼくはあまり車の運転が好きじゃないんだろうと思う。毎日,往復で60㎞を通勤のために走っているだけで,休日にまで運転をしたいとは思わなくなる。

● というわけで,電車で出かけることになるんだけど,電車の良さっていうのは他にもある。車内で何でもできるってことだ。自分で運転していると,せいぜいラジオかCDを聴くことくらいしかできないけれども,電車なら居眠りできる。
 本を読んでもいいし,音楽を聴いてもいいし,何もしないでピープルウォッチングをしてもいいし,妄想の世界に遊んでもいいし,ビールを飲むことだってできる。もちろん,その他大勢の一員になって,スマホをいじっていてもいい。とにかくやれることが多い。自由度が高い。
 なので,どこかに行くためではなくて,電車に乗るために切符を買うことが,じつはわりとある。

● 西那須野駅からハーモニーホールまでは歩くことが多い。片道30分。天気が良ければ,まずバスに乗ることはない。
 バス代を節約するとか,健康にいいからとか,そういうことではなくて,ウォークマンのイヤホンを耳に突っこんで歩くのが,そのまま音楽を聴く時間になるからだ。
 歩いているときが,唯一,音楽を聴ける時間だ。家では聴かないんだから。

● 往復で1時間歩くんだから,ブルックナーだろうがマーラーだろうが,聴こうと思えば聴ける。歩きながら聴くのに,ブルックナーやマーラーが相応しいかどうかは別にして。
 さらにいうと,歩きながら聴くのは聴いたことになるんだろうか,という疑問もある。歩きながらじゃ,聴くことに集中するってできないからね。

● そんなことは家でもできるじゃないかと言われるかもしれないけれど,家で本を読んだり音楽を聴くのって,できない。ぼくはできない。
 家には同居人がいるからってのもあるかもしれない。けど,同居人が不在のときでも,家で本を開いたりCDをかけたりする気にはならない。どういうわけのものかわからないんだけど,“家にいる=何もしない”が成立してしまう。
 ちなみに,家の付近を散歩するという習慣はない。

● ぼくはこうして生演奏にはしばしば出かけるんだけど,それ以外に音楽を聴くための時間を取ることをしていない。これで音楽好きといえるんだろうかと,自分でも時々思う。聴く範囲が広がらないし,理解も深まらない。忸怩たる思いはある。
 生活スタイルの抜本的見直し(?)が必要かなぁ。そのための資材も揃えてみるか。といって,モノが増えるのを極端に嫌がる自分。ミニコンポすら持ちたくない。

● というわけなので,電車賃は自由を得るための代償。チケット代の何倍になろうと,これは致し方がない。できれば,電車賃が安くなってくれるとありがたいんだけど。

● 曲目は次のとおり。指揮は田中祐子さん。
 ドヴォルザーク スラブ舞曲第1集より第1番 ハ長調
 ヨハン・シュトラウス 雷鳴と電光
 プッチーニ オペラ「ラ・ボエーム」より“ムゼッタのワルツ”
 ヨハン・シュトラウス オペレッタ「こうもり」より“公爵様,あなたのようなお方は”
 ブラームス ハンガリー舞曲第6番 ニ長調
 ボロディン ダッタン人の踊り
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」

● 曲間に田中さんのサービス精神に満ちたMCが入る。当意即妙。身についているところがすごい。これは指揮者だからできるもの。
 こういうのは,もうやめちゃうのと思われるところでやめておくのが吉。やりすぎると一転してうるさいだけのものになってしまうのだが,その辺も心得たもの。

● “ムゼッタのワルツ”と“公爵様,あなたのようなお方は”では,ソプラノの長島由佳さんが登場。
 また,どうでもいい話。公爵様というのは,公爵なのか侯爵なのか。日本の爵位は明治期に,“公爵-侯爵-伯爵-子爵-男爵”と定められた。が,この爵位ってどの程度世の中に通用したんだろ。最初から最後まで認知度は低いままだったのではないか。
 で,爵位は欧州にもあるけれども,日本の5位制にピタリとはまってくれるわけではないもんね。公でも侯でも,そんなのはどっちでもよい。早い話が,公爵と侯爵の違いを説明できる日本人なんて,専門家を覗くとほとんどいないでしょうしね。

● 白眉は,ストラヴィンスキーの「火の鳥」。那須フィルには挑戦だったと思う。挑戦してこれだけの結果を出せれば,大したものだ。
 挑戦する場を持っているって,それだけでも凄いことだよね。ぼくなんか,こんなふうにコンサートを聴いた感想を書いたりしてるんだけど,聴く側より演奏する側の方が,位が上。蘊蓄の差も大きいはずだ。
 演奏する人って,ひょっとすると,聴衆よりも他の奏者に向けて,弾いているのかもしれないな。演奏をきちんと評価できるのは,自らも奏者である人に限られるような気がするよ。

● ともかく,「火の鳥」は良かったと思う。バレエでも,体の柔らかい人が足をあげる動作より,固い人が努力して上がった足のほうが美しいという。
 プロの楽々とした演奏より,努力した結果の演奏の方が,たとえ到達点は低くても,客席に届くものは大きいことがある。

● 「火の鳥」を聴くたびに思うのは,これにどういうダンスを振り付けたんだろうってこと。バレエ曲なんですよねぇ。
 「火の鳥」を取りあげるバレエ団が今どきあるのかどうか知らないけれど,DVDを探せばあるんだろうか。
 と思っていたら,ちゃんとあるんですね。YouTubeで,ゲルギエフ指揮のマリンスキー劇場管弦楽団の演奏で踊っている「火の鳥」を見ることができるんでした。
 なるほど,ちゃんと踊れるんだ。バレエといえば「白鳥の湖」しか知らない人間が,あれこれ想像しても仕方がないということですなぁ。

● 初めて那須フィルの演奏を聴いたのは2010年だったか。当時の那須フィルと今の那須フィルを比べてみれば,だいぶ腕が上がっているのは間違いないように思える。
 それが田中さんの手腕によるものか,前任者の大井剛史さんが仕込んだ酒麹がちょうど発酵の時期を迎えたものなのか,そこはわからない。

2017年9月26日火曜日

2017.09.23 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 16時から栃木県交響楽団の特別演奏会。前年度のコンセール・マロニエの優勝者をソリストに迎えて,毎年,行っているもの。今回のソリストは,メゾ・ソプラノの山下裕賀さん。
 チケットは1,000円。当日券を購入。

● 栃響の演奏を聴くのは久しぶりの感じ。今年の2月に第102回定演を聴いている。それ以来。
 第103回を聴いていないんだな。それゆえの久しぶり感。

● 曲目は次のとおり。指揮は荻町修さん。
 ビゼー 歌劇「カルメン」より “前奏曲” “ハバネラ” “セギディーリャ” “間奏曲” “シャンソン・ボエーム” “アラゴネーズ
 ドニゼッティ 歌劇「ラ・ファヴォリータ」より“ああ,私のフェルナンド”
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調

● さて,山下裕賀さん。昨年のコンセール・マロニエ本選も聴いている。彼女の優勝は,おそらく審査員の全員一致によるものだったろう。
 異能の持ち主だなぁ。楚々とした華やかさがあり,雄々しくもあり。すでにして大物感もある。
 自分が逆立ちしてもできっこないことを,軽々とやってのける人を見るのは,気持ちがいい。けれども,この分野でも,毎年,新しい才能が登場する。大変な世界なんでしょうねぇ。

● 山下さんのアンコールは,武満徹「小さな空」。この曲はもともと無伴奏なんですかね。生で聴くのは初めて。

● 栃響のポテンシャルにも注目。2012年の「第九」を聴いて,栃響への認識を改めたつもりなんだけど,まだ足りなかったかもしれない。
 ドヴォルザークの8番になって,いよいよそれを感じることになった。栃響の核は木管陣にあるのかも(いずれのパートもエースは女子)。
 この曲は木管が前面に出ることが多い曲のひとつだと思うんだけども,そういう曲で栃響は本領を発揮する。

● いや,この言い方だと木管以外はダメっていうふうに聞こえてしまう。そうではない。
 たいていのオーケストラは,木管が隘路になることが多いのではないかと思っている。ここがよく通れば,音の流れはスムーズで,詰まったり溢れたりしない。
 栃響はここで詰まることがないから,今日のような曲だと,木管,すごいじゃないか,って印象になるんだな。

● アンコールの「アルルの女」第2組曲“メヌエット”もぬかりはなかった。ほとんどフルートの独壇場。そのフルートがこれだけすごいんだからね。

● 今日のような演奏を聴けると,栃響が地元にあることの恩恵は大きいなぁと実感する。栃響が月に1回の演奏会を開いてくれれば,東京に出かける必要もなくなるだろうな。
 まさかそんなアマチュアオーケストラがあるわけもないから,年に何度かの東京行きが続くことになる。できれば栃木に沈潜したいんだが。