約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2010年11月30日火曜日
2010.11.21 東京大学第61回駒場祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学歌劇団・東京大学フォイヤーベルク管弦楽団
東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)
● 今年は5月に東大五月祭,9月に芸大の藝祭に出かけているが,11月は東大駒場祭がある。21日から3日間の日程。また東大にいくつかある学生オーケストラの演奏をまとめて聴けるとあって,出かけてみた。
● 駒場東大前駅は相当な混みようで,駅員が整理にあたっていた。帰りの切符は今のうちに買っておけとアナウンスもしていた。駒場祭のおかげで京王電鉄の売上が増えるが,駅員の仕事も増える。
五月祭のときは街の雑踏がそのまま本郷キャンパスに移動したといった趣だった。ホームレスまで歩いていた。ぼくがひとりでウロウロしててもまったく違和感を感じなかった。駒場祭もしかりなんだけど,来場者もきもち若い人が多いようだった。
若い学生たちにとっては,ぼくのような年配者は眼中にないようだった。これはよくわかる。中年や初老の男女もけっこう多いので,目立つってことはないんだけども,主催者にとってはぼくは場違いなところに迷いこんだオヤジに違いない。
● さて,お目当てのコンサート。まずは13:35から東京大学フィロムジカ交響楽団。会場入口の前に長い行列ができた。後ろに並んだご婦人二人組の話だと,昨年はこんなに並ばなかったよね,すぐに入口から入れたわよね,ってことらしい。何か理由があるのかなと思ったのだが,入ってみれば問題なく席を見つけることができた。
ぼくの前にいたのは50歳前後の女性。ちゃんと顔を作ってよそ行きの格好でしかもひとり。さすがにこれは珍しい。でも,こういう女性がいることがなぜか嬉しい。
● 場所は900番教室。駒場で一番の大教室なのだろう。五月祭は安田講堂だった。安田講堂は講堂だけれど,こちらは大きいとはいえ教室である。黒板もある。客席も椅子のみならず机が付いている。長机ですね。端に座られると,中の席が死んでしまう。ひとりで来ている人は中に座るようにするのがマナーでしょうね。
ともあれ,会場が教室ゆえ,どうしてもステージに学芸会的雰囲気が漂ってしまうのは仕方がない。もちろん,オーケストラが演奏するにはだいぶ狭い。窮屈そうだ。
● 曲目は次の3つ。
ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」
スメタナ 連作交響詩「わが祖国」より「ブラニーク」
ラフマニノフ 交響曲第2番より第1楽章のみ
12月に定期演奏会があるので,この駒場祭はそのリハーサル的な位置づけになる。演奏時間は約1時間。通常のコンサートの半分ほどだ。
演奏のレベルは確かだと思う。演奏はしっかりしている。安心して聴いていることができる。
● 彼らを羨ましいと思う。同時に,自分を卑下したくなる。彼らを見ていると,生き方に一本筋が通っていると思えるんですね。凜という言葉を思いだす。顔をあげて生活している感じ。また,彼らにはその資格があるなぁ,と。翻って自分は・・・・・・と思うわけですね。
今さら卑下なんかしたって手遅れなんだけどね。
● 次は東京大学歌劇団。14:40から1時間の演奏。オッフェンバックの「天国と地獄」から抜粋しての演奏だった。
自前で合唱団,管弦楽団,舞台スタッフを揃えているという。団員は東大生に限らず,他大学や社会人にも門戸を開いている。
歌い手はまだ歌う体になっていない感じ。痩せすぎでしょと思うのが多かった。痩せているのがダメというのでもないのだが,まず体を作らなきゃねという感じ。声量も足りない。10月にコンセールマロニエのファイナル(声楽部門)を聴いたばかりなので,それと比較してしまうんだけどね。
ただし,音楽大学でもない普通の大学の学生たちが手作りで作っている舞台だからね,非常に健闘していると言っていいと思う。っていうか,こんなことができるのは東大くらいだよねぇ。おまえら,頭がいいだけじゃ足りないのかよ,って文句を言いたくなるような感じだなぁ。
● 正直,歌劇団の演奏を聴くのは予定していなかったんだけど,今日の収穫の第一はこれでした。合唱の部分はさすがに迫力があった。来月26日に相模原市民会館で本公演を行う。
管弦楽団がスメタナの「モルダウ」の演奏を付加したのだが,こちらはこれだけ聴くとやや不満が残る。でも,これも不満を言ってはいけない気がする。大学生がここまでやれればね。彼らの若さは自ずと表現されるわけで,その若さってやっぱりいいものですよ。
● 900番教室の脇でビールとフランクフルトを売っている模擬店があったので,ぼくも買った。少しはお金を落とさないとなと思って。でも,やっぱりね,売り手の学生があんまり嬉しそうじゃないんだよねぇ。おまえに売るために置いてるんじゃないぞっていう感じなんだなぁ。ぼくのようなオヤジは歓迎されざるお客なのだなと思った。いてはいけない場所にいるのかなぁと思ってしまった。
ま,僻みすぎですよね。もっと軽く行きたいものですな。しかし,課題ができた。学生たちに邪険にされないオヤジを目指すこと。
缶ビールはサントリーのプレミアムモルツだった。これが3百円だった。
● 次は東京大学フォイヤーベルク管弦楽団。五月祭と同じでオーケストラ演奏はせずに,小規模なアンサンブルを4つほど演奏した。五月祭のときは,1,2年生主体だったが,今回は上級生が登場した。
モーツァルト ディヴェルティメント 変ロ長調
ガブリエリ 「6曲のカンツォーナ集」より第1番「スピリタータ」
ダンツィ 木管五重奏曲
グリーグ 組曲「ホルベアの時代から」
● いずれも達者な演奏で高いハードルを軽々と越えているという印象。しかも,格好いい。男性奏者も女性奏者も。姿勢も動作も伝わってくるオーラも。充分な練習に裏打ちされた自信でしょうね。それが聴く側にもわかるんですね。
自信に満ちた態度,いいものだ。奏者の自信に説得されたいっていうM願望?が聴衆にはあるのだと思う。逆に説得してくれないのに自信だけはあると見えるのは許せないわけだが。
どうだ,何か不満があるか,おまえらにこの演奏がわかるかっていう,潔さも伝わってきて(これはぼくの独りよがりかもしれないのだが),それも逆に心地よかった。
限りなくプロに近いセミプロだと思った。配られたアンケート用紙にも最大級の賛辞を呈しておいた。
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