2012年12月31日月曜日

2012.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2012

東京文化会館大ホール

● 今年も大晦日の今日,東京文化会館で「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2012」が開催される。
 昨年はヤフーオークションでC席チケットを落札して聴きに行った。が,せっかくの演奏会がC席だと隔靴掻痒以上に残念な結果になる。ここはやはりS席でなければならない。
 S席は2万円。この演奏会なら2万円は納得できる。むしろ安い。

● 何度か東京に出ているので,ついでに買える機会はあった。が,見送ってきた。
 もし大晦日に別の用事ができたらどうしようとか思ったりもしてね。代わりに行ってくれる人がいればあげちゃってもいいんだけど,ぼくの回りにはそんな人は見あたらないし。クラシック音楽なんてタダでもパスってのばっかりだから。
 でも,それは言い訳でしてね。要は2万円が工面できなかったんですねぇ。

● で,どうしたかというと。またヤフオクに頼ったんですね。しかも,同じC席。何も学習してないじゃないか,アホかおまえ。どうぞ誹ってやってください。
 こういう状態のとき,行かないっていう決断をスパッとできないんですよねぇ。未練を残してしまう。で,最悪の選択をしてしまう。

● とはいえ。ラッキーなことに4階左翼の最前列。とりあえずは,オケの全体が見えるのではないかと思ったのが,入札した理由でしてね。そうでなかったら行かなかったと思うんですよ。
 ただね,昨年も4階の左翼だったんですよね。最前列だったかどうかまでは憶えていないんだけど(たぶん,最前列ではなかったと思いたいんだけど。といっても,4階左翼は3列しかないんだよな)。
 ステージから遠すぎて「指揮者の小林研一郎さんの後ろ姿が,骸骨の操り人形のように見えた」し,ステージの「左側の一部が切れてしまう」のだった。それは今回も変わらないかもしれない。
 だんだんイヤな予感が増してきたんだけど。

● というわけで,2012年の大晦日も東京に出かけていった。
 ステージの陣容は昨年と変わらない。指揮者は小林研一郎さん。オーケストラは「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」(メンバーの入れ替えは当然あるだろう)。コンサートマスターを務めるのは,N響の篠崎史紀さん。

● 席はですね,昨年よりも左より。ということは,視野から切れる部分が増えるってことですよ。
 しかぁし。最前列の効果は抜群。左よりでもちょっと身を乗りだせばステージはすべて見える。そもそも,ステージとの距離も昨年よりずっと近くなった感じ。ほぼ,ストレスなし。わずか1列前か後かでこれほど違うのかぁ。
 今回はオペラグラスを持参したんだけど,結局,ほとんど使わなかった。ちょうどいい具合にステージがそっくり視野に収まる。肉眼でOKだった。

● 昨年はS席で聴いてこそと思ったんだけど,撤回します。最前列なら4階席でも大丈夫。
 ごめんなさい。武士に二言があってはいけないんだけど,町人や農民だったら,二言,三言は許されていいでしょ。ぼくの先祖は町人か農民だったと思うんですよ。
 C席で5,000円(ぼくはヤフオク経由なので,その5割増しになっているんだけど)。チケット発売開始後,早々に買うことができる人ならば,ここは狙い目のような気がする。貧乏人の味方だ。

● ちなみに,そのオペラグラス(Nikonの3倍率)もヤフオクで購入。何だかねぇ,たいていのものはヤフオクですませちゃってるんですよ。パソコンと周辺機器はほとんどそうだし,サプリメントとかもそう。パソコン以外の電気製品もしかり(ぼくが個人で使う電気製品はということです。ヨメは中古品なんてモッテノホカっていうタイプ)。そのうち,ケータイもそうなるんじゃないかと思う。
 モノを買うために行くリアルのショップは,スーパーとコンビニと百円ショップだけになっている。家電量販店にも行くけれど,まず何も買わないもんね。時々,乾電池とかの消耗品を買うくらいでね。
 呑みにも行かなくなった。旅行もしなくなった。そうなっているのはぼくだけじゃないと思うんですよね(いや,おまえだけだよ,ってか)。不景気なのも当然だよなぁ。

● 開演は午後1時。チケットは完売。
 きちんとよそゆきの服装で来ている人もいれば,普段着の人もいる。ぼくは普段着派。
 よそゆき派の中には,泊まりがけで来ている人もかなりいるんじゃないかと推測する。ぼくも栃木の田舎から出張っているんだけど,新幹線とか飛行機で来ている人もいるんじゃないのかなぁ。
 年齢を問わず男女を問わず,ひとりで来ている人がけっこう多いのも特徴。ぼくもそのひとりなので,おぉ同士よ,っていう気になる。話しかけてみたくなったりもするんだけど,それも迷惑だろうしな。
 ホール内の売店もレストランも普段どおりに営業しているわけで,ここにいると大晦日という感じはまったくしない。休憩時間に,着飾っているご婦人方がコーヒーカップやワイングラスを片手ににこやかに話している様子はなかなかいいものだ。
 ぼくはホールの外に出て,自販機で缶コーヒーを買ってるわけですけど。

● 昨年は,開演時には空席がけっこう目立ったと記憶している。今回はかなり埋まっていた。第1番から第9番まですべて聴かなければいけないという法はない。自分が聴きたいものだけを選んで聴くことの何が悪い。
 それはそうなんだけれども,これだけのオーケストラで第1番から順に演奏するわけだから,全部聴かなきゃもったいないと思うし,通して聴いてこそわかる何ものかがあるとも思う。

● 昨年よりいい環境で聴けたことも大きいと思うんだけど,ステージからもらったものは,今回の方がずっと多かった。
 第1番が始まってすぐに体が熱くなった。体の芯がジワーッとではなくカッと熱くなる感じ。着ぶくれていただけだろ,っていうツッコミはなしでお願いしたい。

● 第3番。ちまたの曲目解説には,壮大であるとか,力強いとか,美しいとか,巨大な山とか,いろんなことが書かれている。だけど,いまいちピンと来てなかった。もちろんCDでは何度も聴いているし,アマチュアオーケストラの演奏も何回かは聴いているんだけど。
 それが,今回の演奏を聴いて初めて腑に落ちたっていうか。そうか,こういうことだったのか,って(錯覚の可能性が高いけどね)。
 クリアでノイズのない演奏を生で聴けたからこそだと思う。

● 第4番が終わったところで,三枝成彰さんと樋口裕一さんのトーク。
 樋口さんは「第九」のCDを272枚持っているとのこと。ご本人は長い間に溜まったものだからとおっしゃっておられたけれども,それにしても272枚。住んでる世界が違う。音楽を聴くことに費やした時間と労力とお金が,ぼくなんぞとはまるで違う。
 世間にはとんでもない人がいるものだ。こういう人がいるんだから,ぼくなんかが「第九」について講釈を垂れてはいけないよなぁ。
 オタク王と呼びたくなったが,ご本人にすればそう呼ばれることは心外かもしれないね。

● 三枝さんによれば,ベートーヴェンの曲はオフビートなのだ。音の裏側にアクセントがある。それがベートーヴェンの躍動感の秘密だという。
 で,実際に,オフビートを口ずさんでくれたんだけど,それを聴いてもぼくの頭の中は???。馬の耳に念仏だった(笑ってやってください)。

● 圧巻は次の第5番。ステージから放出されるエネルギーは凄まじかった。もちろん秩序だっているわけだから,秩序あるエネルギーの奔流と形容しておきたい。
 正直,ぼくには受けとめ切ることができなかった。受けとめ切ることができないと,涙が出てくるんですね,これ。
 老人性涙腺失禁だろうっていうツッコミはなし,ということでよろしく。涙が出るんですよ,ほんとに。受けとめれていないからだと,思っているんです。受けとめれないうちが華だという思いもあります。

● 第6番「田園」では,第2楽章以降にフルートのソロが何度か登場。そのフルートを担った美貌のフルーティストに注目。

● ここで90分間の大休憩。この間に夕食をすませることになる。ホール内のレストラン,この時間帯はもちろん予約制になっているはずだ。
 迷わず,上野駅に入った。駅構内にある「ほんのり屋」でおにぎりを3個,購入。あと,自販機で熱いお茶。これでいいじゃないですか,ねぇ。絶対に間違いのないチョイス。
 おにぎりってのはすばらしい発明品で,冷えても旨いってのはすごいぞ(もちろん,冷えてない方がいいんだけどさ)。海苔でくるむってのは誰が考えたんだろうねぇ,偉大だぁ。

● 大休憩のあと,第7番。ぼくにもわかるほどテンポに緩急をつけていた。第3楽章で特にそれを感じましたね。バーッと行くところと,テンポを落として音をはっきり刻ませるところと。
 若干,ほんの少し,集中を欠いた瞬間があったように思われた。瑕疵ではない。いかな名人上手といえども,人の子だ。一気にベートーヴェンの全交響曲を演奏するわけだから,それはあって当然だ。
 ぼくら観客は,チケットを買って,当日,自分の身体を会場まで運び,あとはずっと柔らかい椅子に座っていればいい。それが仕事のすべてだ。ステージで演奏する方はそうはいかない。

● この1年間,ベートーヴェンの交響曲はCDで何度となく聴いてきた。で,第8番が引っかかってきたのが収穫といえば収穫。第7番と比較して,女性的だとか優美だとか言われることがあるんだと思うんだけど,なかなかどうして。
 CDでは小澤征爾指揮,サイトウキネンオーケストラの演奏をもっぱら聴いている。キレイすぎ,整いすぎという印象も受けるんだけど,別段の不満もない。
 その第8番の生をこのオーケストラで聴けることが,今回の楽しみのひとつだった。で,聴き終えたときには背中にうっすらと汗をかいていた。

● 最後は「第九」。ソリストは,岩下品子さん(ソプラノ),竹本節子さん(アルト),錦織健さん(テノール),青戸知さん(バリトン)。合唱は武蔵野合唱団。これも昨年と同じ。
 合唱の迫力と質感だけは生で聴かないと味わえませんよね。合唱が巻き起こす空気の震えのようなものは,CDからは伝わってこない(現在の録音技術ならできるのか)。
 今回は管弦楽がマーラー版だった。三枝さんが,これを聴けるのはたぶんこれが最初で最後だと言っていたんだけど,その貴重な機会を得ることができたのはラッキーだった。マーラー版はCDでも聴いたことがないので。
 管弦楽が百人の大編隊。だけども,違いがよくわからなかった。こういう場でも限界効用逓減の法則が働くのかもしれない。楽器を増やせば増やしただけの効果があるというわけでもなさそうだと,ぼくには思えた。

 この全曲演奏会はベートーヴェンの交響曲を順番に演奏しているだけで何の演出もないわけだけど(休憩時間のトークは別だけど,演奏そのものについてはね。演出のしようもないしさ),最後が「第九」っていうのは効果的だよねぇ。
 それあればこそ,この演奏会も企まざる演出効果をまとうことができる。

● というわけで,今回は堪能できた。大晦日にベートーヴェンのすべての交響曲を,こうまですばらしいオーケストラと指揮者で聴けるのは,日本に住んでいることの役得ではないかと思えてきた。
 家でテレビなんか見ている場合じゃないぞ。ディズニーランドでカウントダウンなんかしている場合じゃないぞ(ぼくは長らくそっち側にいたんだけど)。海外旅行もダメだ。
 この演奏会を聴かないと損をするぞ。お金のある人はS席で,ない人はC席の最前列で。大晦日はこれに限ると断言してしまおう。

2012年12月30日日曜日

2012.12.30 間奏24:良いお年をお迎えください


● マーラーの全交響曲を聴いてみようと思いたち,29日に実行した。なぜマーラーかというと,あまり聴くことがないから。この際,まとめて聴いてみようかと。
 「大地の歌」を含めて全10曲と,10番の「アダージェット」。作曲順に,1番から8番まで聴いて,「大地の歌」をはさんで9番を聴く,と。
 所要,約13時間。マーラーの全交響曲を1日で聴ききれるのか。聴ききれる。なぜなら,1日は24時間あるのだから。
 が,言うまでもなく,そうはいきませんでしたね。

● CDではなく,DVDを使用。指揮はバーンスタイン。管弦楽は,2番がロンドン交響楽団で,「大地の歌」がイスラエル・フィル。ほかはウィーン・フィル。
 とっ散らかった部屋で,ノートパソコンにスピーカをつないで聴いた(観た)。隣近所の迷惑になるので,大きな音は出さない。かといって,ヘッドフォンで13時間も聴き続けるのはさすがに辛い。というわけで,音量を絞って普通に。

● ちなみに,ぼくのオーディオ環境はこのノートパソコンとスピーカですべてだ。貧弱を極めている。
 ひとつにはあまりモノを持ちたくないってこと。なくてもすむものは,なしですませたい。部屋は殺風景な方がいい。東日本大震災以来,その思いが強くなった。
 重いアンプやスピーカは,場合によっては凶器に変わる。なにせ,あのときはピアノが数十センチほど動いたし,タンスも食器棚もすべて倒れた。実際,倒れる方向がちょっと変わってたら,うちのヨメは死なないまでも重傷を負っていたかもしれない。モノなど持っていていいことは何もない。最小限度にしたい。
 ふたつめには,オーディオに回せるお金がないってことだな。こっちの方が決定的な理由だね。ちなみに,普段はスマートフォン+イヤフォンで聴いている。

● 金聖響・玉木正之『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)を曲目解説がわりに読んで,いざ。
 で,2番まで聴いたら,頭の芯がボーッとした。っていうか,しばらく立てなかった。
 長めの休憩をとって3番,4番と聴いたところで,精根尽き果てた。だめだ,こりゃ。まとめて聴くものじゃない。
 聴き方がどんどん雑になってくる。それでなくても雑にしか聴いていないのに。もはやこれを聴いたと言っていいのかどうか。
 というわけで,年の最後にバカなことを試みて,失敗。あとはゆっくりと聴いていきたい。

● どちらのご家庭でも,人さまには知られたくないと思っている問題,あるいは恥部と思いこんでいる事柄のひとつやふたつは抱えているものでしょう。ぼくにもあります。今年もありました。ここにはとうてい書けないようなこと。
 でもね,何の問題もない,文字どおりの平穏無事な人生なんてものは,望んでも得られないもののひとつだと諦めてしまえば,それなりにいい年でしたよ。

● もしよろしければ,来年もこのブログ,お読みいただければ嬉しいです。
 ただですね,ご覧いただいたとおり,このブログは音楽そのものについてはあまり語っておりません。なぜなら,語れるほどの蘊蓄を持たないからです。

● 鑑賞者としての水準を高めたいと思っている方には,それにふさわしいブログがあります。
 ぼくのわずかな知見では,「こもじゃー」さんの「八畳の視聴空間」はすばらしいものだと思います(タイトルもしゃれてますな。それにひきかえ,ぼくのこのブログのタイトルは何だかなぁ)。野に遺賢はいるものです。釈迦に説法するようで恐縮ですけれども,ぜひこうしたブログをご覧になって勉強されたらよろしいのではないかと思います。

● それでは皆さま,どうぞ良いお年をお迎えください。

2012年12月25日火曜日

2012.12.24 Welcome Happy X'mas 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ&潮あかりミュージカルアカデミー

鹿沼市民文化センター大ホール

● この催しのチラシは,「お嬢ちゃん,いらっしゃい」と誘っている。年端の行きすぎたお嬢ちゃんも含めて。
 そういうものに白髪翁がひとりで行くのはいかがなものか。若干のためらいがなくもなかったんだけど,行ってみればいるものですね,男ひとりの来場者。

● 実際さぁ,中高年男性に向けた催事にしか行かないでいると,自分の世界が狭くなるよねぇ。他の中高年の男どもとの差別化ができなくなる。
 そんな差別化はできなくたっていいとしても,自分のための人生だ。子ども向けのものであっても,女性向けのものであっても,面白そうなら行ってみる。世間体を気にするのはホドホドにすべし(と自分に言い聞かせつつ,鹿沼に向かった)。

● その代わり,小さな子どもを連れた母親,父親,婆さん,爺さんで会場は埋まるだろうから,始終何らかの騒音が続くはずだ。それは覚悟のうえ。
 開演は午後1時半。入場無料。開演時には空席も多かったけれど,開演30分後にはほぼ満席の状態になった。要するに,開演後にやってきたお客さんが少なくなかった。田舎時間ってのがあるからね。

● 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラと鹿沼市にある潮あかりミュージカルアカデミーの合作。内容は2部編成で,第1部は潮あかりミュージカルアカデミーがメインとなって,歌とダンス。
 第2部は,ジュニアフィルが奏でるチャイコフスキー「くるみ割り人形」に,ミュージカルアカデミーの生徒たちが踊りを添える。

● まずは,小編成のオーケストラをバックに「サウンド・オブ・ミュージック」からいくつかを歌とダンスで。
 2歳くらいの女の子が人気をさらいましたね。ほかの子と同じように右を向いたり左を向いたり,手をあげたりしゃがんだりできてたのでね。タイミングも合ってたし。ちょっと以上の驚き。やるもんだね。

● オーケストラが撤収したあとは,ダンスの披露。音楽は録音で。
 ラインがラインとして成立していると,これほどに快く感じるのかという発見。ラインの展開幅も充分にあって,動きもシャープ。ここまでやってくれれば,理屈抜きで楽しめる

● 「あづみれいか」さんと「潮あかり」さんによる宝塚的というか,宝塚そのものの歌の世界。あづみさんが男役,潮さんが娘役。女性が演じる宝塚的男性のファンタジーとリアル。
 女がきれいだと思う男って,こういうのなんだろうなぁと思わせる。本物の宝塚の舞台は,大道具も照明もとんでもなく華やかで,もっとずっとファンタジックになるのだろう。これは完全に女の世界だね。

● 女の人は年齢を問わず,こういう世界にすっと入っていけるんだと思う。男はどうかといえば,ちょっと手間取るだろう。ぼくのように長く生きてしまった男は,いっそうそうだ。
 逆にいえば,手間取るけれども入っては行けそうだ。で,いったん入ってしまうと,手間取った分,はまる度合いが深くなるかもしれない。はまってみたくもあり,はまってしまうと相当に厄介なことになりそうでもあり。

● 宝塚については,田辺聖子さんのいくつかのエッセイを通じて得た知識がぼくのすべてだ。妙な言い方で申しわけないけれど,女性を相手に結婚詐欺を企もうとしている男性諸氏にとっては,宝塚歌劇は勉強の宝庫のはずだ。
 もっとも,結婚詐欺についていえば,最近は逆パターンが多いらしいから,騙されないための勉強をするのが先かもしれないけどね。

● 20分間の休憩ののちに,第2部。今度はフルオーケストラ。
 プログラムで「私たちは子供のオーケストラです。しかし,「子供なのにここまでやれた」ということは目標にしません。楽器を持ちステージに立ったら,一人の演奏家として本物の演奏をめざしています」と決意を語っている。
 当然,そうでなければいけない。おそらく,どこのジュニアオケでもそうした思いで楽器と音楽に向き合っているのだろう。
 子どもは小さな大人という言われ方もする。曲の解釈にしたって,その年齢に応じていくらでも考えられるはずで,それも含めて,自分を信じて演奏するがいい。
 って,何を偉そうに語ってんだ,オレ。
 実際に巧かったのでね。上の決意表明が一定の説得力を持つ。

● そこにミュージカルアカデミーの生徒たちのダンスが加わる。ポワントで立つことはないわけだけど,「花のワルツ」での優美な踊り,やっぱいいもんだなぁ,と。
 日常で女性のこんな優美さに接することはない。あくまでも創られた優美さだ。鍛錬を重ねたうえでの,人工的な,限定された状況下での優美さなんだけどさ。
 でも,創りこまれている分,力を持つ。輝きを放つ。リアリティを獲得する。

● というわけで,クリスマスイブの(昼間だったけど)華やかな2時間半。これで無料。こちらはサンタクロースから思わぬプレゼントをもらったような気分だった。
 それと,いつもながらの感想なんだけど,ミュージカルアカデミーの生徒は全員が女性だし,ジュニアフィルも女子が圧倒的に多い。客席もおそらく女性が3分の2以上を占めていた。女性の女性による女性のための・・・・・・って感じね。
 男はどこで何をしているんだろう。家でプラモデルでも作っているのか。

2012年12月24日月曜日

2012.12.23 橋本陽子エコール ドゥ バレエ 第15回記念クリスマスチャリティー公演2012

栃木県総合文化センター メインホール

● チケットはA,Bの2種。A席(3,000円)を購入していた。前から8列目。これだとステージ全体が視野に入りきらない。もう少し後ろの席がよかったんだけども,購入先の総合文化センタープレイガイドに割りあてられた席は8列目だけだというので,是非もなかった。
 開演は午後5時半。プログラムは別売で500円。

● 内容は2部構成。第1部はさらにふたつに分かれてて,ひとつは,東日本大震災の復興応援を企図したものとのこと。
 もうひとつは,日系ブラジル人で現在は日本にお住まいのアオキキヨミさん(車いすで生活。生け花の達人)をステージに招いての,やはりこれも応援歌と言っていいんでしょうね,ステージでダンスを繰り広げている間に,アオキさんが花を生けるという趣向のもの。
 当初,ちょっとあざとさが勝ちすぎているのではないかと思ったんだけれども,アオキさんの控えめな佇まいと笑顔にも支えられて,企画として成立していた。

● 途中,ダンサーが通路に降りてきて客席を盛りあげる場面があった。ぼくは通路際に座ってたもんだから,何だかドキドキしてしまいましたよ。年がいもなくね。すぐそばにダンサーのお嬢さんがいるんだもん。

● 第2部は「くるみ割り人形」から「クララの夢 不思議の国へ」。第2幕ということになりますか。
 「花のワルツ」でのコール・ドが見どころの最たるもの。期待以上のものを見せてもらった感じ。凜とした感じがとてもいい。
 それを支える身体能力の高さと稽古の質量。ダンスのデザイン。衣装。どれもこれも水準が高い。

● 構成が当初の予定とは異なったらしい。販促チラシを作り直しているからね。ひとつのステージを作りあげるまでには,多くの細々とした交渉ごとや根回しがあるはずで,裏方の仕事も大変でしょうね。
 ステージに登場する人たちだけでステージが成立しているわけじゃないもんなぁ。

2012.12.23 第30回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

宇都宮市文化会館大ホール

● 開演は午後1時半。会場に到着したときにはすでに長蛇の列。開演直前には文化会館の大ホールが文字どおりの満席となった。生徒の父兄や家族だけで大ホールが埋まるとは考えにくいから,ぼくのような部外者もけっこう来てるんでしょうね。チケットは800円。

● この演奏会を初めて聴いたのは3年前。当時1年生だった生徒もすでに卒業している。まことに光陰矢のごとし。高校生たちはこの3年間で身体も精神も大きく成長して卒業していったに違いないが,こちらはそんなこともないわけでねぇ。ま,こういうのは順繰りだけどね。

● 両校とも栃木県を代表する名門。自分の息子や娘が宇高・宇女高に入ってくれれば,親御さんにしてみれば自慢の息子・娘ってことなんだろうなぁ。
 ただね,こういうご時世ですからね,名門校がその後の安寧を保証してくれるわけじゃないからね(じつは時世に関係なく,いつの時代もそうだったと思うんだけど)。これから先,何が起こるかわからない。
 ゆえに。ご油断めさるな,宇高・宇女高生諸君。くさる必要はないぞ,宇高・宇女高を望みながらも別の高校に入学せざるを得なかった諸君。
 っていうかさ,いい高校とは何かと問われれば,自宅に一番近いところにある高校のことだと,ぼくなら答えるぞ。

● 問題は,しかし,油断していなくても,起きるときには起きる。この世はままならぬとはそういうことだ。
 ぼくなんぞはここで思考停止してしまう。すなわち。今を楽しめ。後のことは考えるな。現在を将来の犠牲に供するな。人生は目先の連続。目先良ければすべて良し。

● まず宇女高合唱部,次に宇高合唱団,両校合同の合唱があって,管弦楽の登場。
 スタートはスメタナの「モルダウ」。さすがに相応のたどたどしさが窺える演奏だったけれども,これはこれで可愛らしいともいえる。
 もちろん素晴らしく巧い子もいる。中学のときに吹奏楽部でみっちり練習してきたか,小さい頃から習っているかでしょうね。
 この年代の若者は短時日でグンと伸びることがあるんじゃないかと思っている。ゆえに,中高年は高校生の集中力とノビシロに対して畏れを持っていなければならないというのが,ぼくの変わらぬ信念だ。短時日で伸びた直後の,その香りを味わってみたいものだ。

● 次に合唱団も加わって,ヘンデルの「ハレルヤ」。2年生の音楽選択生も入るから大合唱団となる。
 そして,この演奏会の標題にもなっている「第九」の第4楽章に移る。単純に聴く側からいえば,第4楽章しかない「第九」は「第九」ではない。かといって,この演奏会にそれを求めるのは典型的なないものねだり。
 両校の合唱部(団)は1週間前の栃木県楽友協会の「第九」本番でリハーサルをすませているんだったな。その成果のほどは訊いてみないとわからないけれども,押しだしのいい(つまり,おっかなびっくり声をだしていない)演奏で,客席も大いに満足した(に違いない)。3年前は男声が幼いと感じてしまったんだけど,今回はそんなこともなくて(3年前の自分の感覚を叱ってやりたい),迫力充分。
 音楽選択生が「ハレルヤ」のみならず,「第九」までカバーする。これが並じゃないことくらい,ぼくにも想像できる。時間をどうやりくりしているのか。

● で,話が前後するんだけど,最初の宇女高合唱部。3年前には部員が少ないことにちょっと驚いたんだけど,その部員も増えたようで,まことに慶賀の至り。プログラムに載っているOG会長の挨拶文によれば,8月の県合唱コンクールで金賞を取り,関東大会に出場したそうだ。
 今回は,クリスマスソングをいくつか。乙女たちによる聖なる調べ。
 ずっと不景気で,閉塞感におおわれて,社会全体が縮こまっているようなきらいがなくもないんだけど,彼女たちを見ていると,日本はぜんぜん大丈夫なんだと思えてくる。型にはまった言い方で申しわけないんですけどね。安心感を与えてくれる少女たちでしたね。

● 宇高合唱団で圧巻だったのは「秋のピエロ」と「齋太郎節」。「秋のピエロ」って詞もいいしね。「身すぎ世すぎの是非もなく」かぁ。しみじみするなぁ。
 もう過去のことになったんだろうけど,「自分探し」ってのが流行したじゃないですか。言葉だけが流行ったのかその実態があったのか,ぼくはよく知らないんだけど,もし後者だとすれば,どんだけ暇なんだよってことだよねぇ。
 もし「自分探し」にはまれば,死ぬまでそれを続けなくてはならなくなるはずだ。そんなことができるのは,要は暇だから。思慮深いからではなくて,愚かだから。丁寧な性格だからではなくて,グズだから。
 「秋のピエロ」を聴きながら,そんな埒もないことを考えた。

● 「第九」終了後に「ふるさと」を歌った。ここでの男声の奮戦が印象的だった。
 これだけのボリュームの演奏会を,これだけの水準で客席に提供できる。たいしたものだ。感嘆しつつ敬意を表する以外に,対応する術を知らない。
 すごいね,君たち。

● 問題はやっぱり客席にあるね。写真撮影は個人情報の侵害になるからやめろと何度も放送しているのに,ビデオを回し続けているのや,フラッシュをたくやつが最後までいたもんな。
 自分の子供や孫を写しておきたいのかもしれない。気持ちは当然わかるんだけれども,それがそのまま許される時代は過ぎた。窮屈といえば窮屈なんだけどさ。
 あるいは,YouTubeに動画と音声をアップするつもりなのかもしれない。そんなものは君がやらなくても,他の誰かが必ずやってくれる。それを見,それを聴けばいいじゃないか。どうせ素人のやることだ。誰がやっても大差ないって。
 というと,それならおまえが書いているこの文章だって,きっと誰かも書いているはず,それを読めばいいじゃないかと返されそうで,ちょっと具合が悪いことになるんだけどね。

2012年12月16日日曜日

2012.12.16 第5回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 中川右介『第九』(幻冬舎新書)の冒頭に次の章句が紹介されている。
 第九交響曲を毎年何度もよくない演奏で聴くよりは,十年に一度よい演奏を聴いたほうが,はるかに有意義である。   ェリックス・ワインガルトナー
 滋味掬すべき言葉であるように思われる。第一,気がきいている。これに正面切って反論するのは難しい。
 しかし,反論しなければならない。かなり無茶な反論になる。十年待つ間に死んでしまったらどうするのか,というのがそれだ。
 明日も生きていられるなんて保障はどこにもない。この局面では刹那主義を採用するのがよいように思う。聴けるときに聴ける演奏を聴いておけ,ということ。

● この時期に日本国内のそちこちで演奏されている「第九」は「よくない演奏」にあたるのかもしれない。
 それでは「よい演奏」とはベルリン・フィルとかウィーン・フィルの演奏になるのかという話だけれども,極東の日本にいてそれを待つわけにはいかないではないか。

● ぼくの手元には「第九」のCDが5枚ある。フルトヴェングラー,カラヤン,バーンスタイン,小澤征爾,佐渡裕のものだ。もっぱら聴くのはカラヤン(1979年の普門館でのライヴ録音)。
 今回の演奏は栃木県交響楽団だけれども,カラヤンのCDと栃響のライヴ,どちらがいいか。ぼく的には検討の余地がない。
 CDの方がいいよと言う人がいるに違いないとも思う。皮肉でも何でもなく,そういう人をぼくは尊敬する。

● ともあれ。この演奏会,今回が5回目になる。節目だからってことなんだろう,指揮者とソリストを外部から招聘することにしたようだ。前回まではいわば内部調達だったんだけど。
 指揮者は井崎正浩さん。ソリストはソプラノが大貫裕子さん,メゾソプラノが小野和歌子さん,バリトンが寺田功治さん。いずれも,コンセール・マロニエの優勝者。テノールだけは予定されていた小貫岩夫さんの都合が悪くなったようで,ピンチヒッターに菊川裕一さん。
 それでもチケットは据え置きの1,500円。開演は午後2時。

● 早めに並んで1階の左翼席に。今回もほぼ満席。ただし,豪華キャストにもかかわらず,1階の最前列と上階席の奥の方には空きがあった。一昨年(昨年は聴きそびれているもので)よりは座席に余裕があった感じ。「第九」人気に衰えなしと言っていいのかどうか。

● それでも客席には熱気が充満。そちこちから黄色い声のお喋りが聞こえてくる。コンサートのお客さんは女性が多い。
 コンサートホールに足を運ぶ人が文化的な暮らし(どんな暮らしだ?)をしているとは限らないし(自分を顧みればすぐにわかる),ミーハーもそれなりにいると思うんだけど,それでも女性の方が男性より彩りのある生活をしていることは認めるしかない。
 なぜかといえば,理由はひじょうに単純だ。男より女の方が欲張りだからだ。衣食住遊学のすべてにおいて女性の方が貪欲。欲望に忠実で,諦めることを知らない。向上心が強くて,生きることにしぶとい。とんでもない高みにわが身を置こうとする。そのくせ,地に足が着いているのだから,これは何とも素晴らしい。

● じつに,今の日本は(日本に限らないのかもしれないが)女性でもっている。それはしばしば感じることだ。元気がいいし,明るいし,行動力がある。しょぼくれていない。それに,日本の女性はほんとにきれいになった。
 何よりいいと思うのは,机上の空論的な理知を生理的に受け付けないと見受けられるところだ。実利に聡いところだ
 まぁね,内面はギラギラしているのに,そんなことはないわよという外見を作ることにこだわるとか,幸せごっこの演出に余念がないとか,そういうところを見せられると,ちょっとなぁと思うことはあるんだけどね。でもさ,それをちょっとなぁと思うのが,男のダメなところかもしれなくてさ。

● それと年寄り。元気だねぇ。お金も持ってるんだろうねぇ。彼らを見ていると,加齢と賢さや品格は関係ないなと思ったりもするんだけどね。
 経験は人を賢くはしないものだ。経験が無意味なんじゃない。人の経験は,ごくごく限られた範囲のものでしかないからだ。限られたパターンを何千回,何万回と繰り返してきたに過ぎないからだ。バラエティーに乏しいのだ。そこから外れたものに対しては無知蒙昧なままなのだ。しかも,あるパターンの経験知を他分野に応用するなんてのは失敗の元でしかない,という厄介な現実もある。
 経験の総体は海ほどもあるのに,人の一生なんて海からバケツに一杯の水をすくうようなもの。バケツ一杯の水でもって海を論じがちなのが,年寄りの通弊だな。っていうか,それが人ってものでしょうね。ぼくもそうだ。

● とはいえ,彼らがいてくれるからこそ,コンサートそのものが成立しているのは間違いない。どうぞ,いついつまでもお元気で。
 でもね,ここでも爺さんより婆さんだよね。婆さんたちは明日から見も知らぬ外国に放りだされても,持ち前の無手勝流で間違いなく生きていけるだろう。爺さんたちじゃ,そうはいかない。

● 露払いは今回も,J.シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲。続いて「第九」。
 「こうもり」が始まったところで,エッと思いましたね。何に? 管弦楽にです。栃響の演奏でこの曲を聴くのは,これが3回目になるんだけども,過去の2回とは違っていたような。
 栃響ってこんなに巧かったか。抑えるべきところできちんと抑制が効いている。これが効いてくると,全体が気品に満ちる。
 「第九」になってから,いよいよその印象が強くなった。

 オーボエの1番,フルートの1番,クラリネットの1番,ティンパニ。じつにどうも匠の技。すべて女性奏者なんだけれども,栃響もまた女性団員でもっているのか。
 「こうもり」でのピッコロの響きも心地よかった。それとヴィオラ。前からこういう演奏をしてたんだっけ?

● ぼくの勘違いならぬ「耳違い」かもしれない。けれども,狐につままれたような感じで最後まで聴いてましたね。
 っていうか,終演後もボーッとしてて,しばらく立てなかった。

● ぼくの「耳違い」じゃないとすれば,その功績は指揮者の井崎さんに帰せられるべきもの。しかし,井崎さんが栃響を指揮するのは今回が初めてではない。直近では昨年2月の定演でも振っている。そのときは今回のような演奏はしていなかったと思うのだが。
 栃木には栃響をはじめいくつものアマチュアオーケストラがあるわけだが,その中で栃響が図抜けた存在だと思ったことはない。のだが。うーん・・・・・・,来年2月の定演まで判断保留。

● 第2楽章が終わったところで合唱団と4人のソリストが登場。プログラムによれば,合唱団は総勢179名。詰め襟学生服の高校生もまとまった数で登壇。宇都宮高校と宇都宮女子高校の合唱部も参加したらしい。
 これだけの数になると,さすがに迫力がある。ありすぎた。

● ちなみに,宇都宮で開催されるもうひとつの「第九」(日フィル)は,指揮者が西本智実さんであることから,チケット入手は最初から諦めていた。実際,数日間で完売になったらしい。
 負け惜しみを言わせてもらえば,西本さんめあてで集まるような人たちと一緒に「第九」を聴くのは,あまりゾッとしない。
 というと,なに様のつもりだ,おまえ,ってことになるんだけど,負け惜しみですから。本当は行きたかったんですから。

2012年12月15日土曜日

2012.12.15 宇都宮大学管弦楽団第74回定期演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

● 幸いにして天気が良かった。前回の演奏会は雨だったからね。今回は2階席は空席が目立ったものの,1階席は前の方を除くとほぼ埋まっていた。
 開演は午後2時。チケットは800円なんだけれども,ぼくは招待ハガキ組なので無料。空いている方の2階席に座って鑑賞した。

● 指揮は清水宏之さん。若々しい人だ。プログラムの「指揮者紹介」によれば,15歳で渡米してるんですな。よく思いきれたものだなぁ。自分にはとてもできないことをやっている人は,それだけでたいしたものだと思ってしまう。
 曲目は,ベートーヴェンの「エグモント」序曲,ビゼーの「カルメン」第1・2組曲(抜粋),チャイコフスキーの交響曲第2番「小ロシア」。

● 「エグモント」序曲から引きこまれた。ベートーヴェンを聴いているんだなぁと実感できた。そこを具体的に言ってみろよと言われると困るんだけど,重厚さですかねぇ(ぜんぜん具体的じゃないけど)。観客をピッとステージに引き寄せる吸引力のある演奏だと思いました。

● 「カルメン」は,オーボエ,フルート,クラリネット,ファゴット,トランペットのソロ,あるいは互いの掛けあいが,見どころというか聴きどころ。それぞれ見事で,まったく不満はなし。前回と同様,ぼくは男子学生のフルートに魅せられた。
 この楽団はたぶん女子学生でもっていると思われるんだけど,フルートとトランペットの男子が気を吐いていたっていいますかね。

● チャイコフスキーの2番は初めて聴く曲。
 冒頭のホルンのソロが印象的(こちらは女子学生)。ホルンって,きちんと演奏しててもほめられることが最も少ないっていうか,貶されることが最も多いっていうか,割に合わないパートなんじゃないですかねぇ。まっとうに吹いていても音程を外していると思われがちな楽器っていうか。要するに,取扱いがかなり難しい楽器かなと思えるんですよ。
 今回の女子学生のソロはなめらかで艶やかで,気持ちよく聴くことができた。ということは,相当以上に巧かったってことなのかなぁ。

● アンコールはチャイコフスキーの「眠れる森の美女」のワルツ。
 ということで,2時間弱の演奏会。嬉しい時間だった。

2012年12月10日月曜日

2012.12.09 小山市音楽連盟 モーツァルト「レクイエム」演奏会

小山市立文化センター大ホール

● モーツァルトの「レクイエム」を生で聴いたことがない。ので,この演奏会には行くつもりでいた。主催者は小山市音楽連盟。
 チケットはS,A,Bの3種だけれども,B席はごくわずかで学生専用。実際には,B席で聴いていた学生はあまりいなかったので,一般開放しても特段の問題はないだろう。しっかり聴きたい学生は,がんばってS席を取るだろうしね。
 ぼくはA席で2,500円。当日券だと500円増しなので,前売券を買っておいた。開演は午後2時。

● 管弦楽は東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団。ソリストは荒井こづえ(ソプラノ),栁田明美(メゾソプラノ),池本和憲(テノール),羽渕浩樹(バリトン)。合唱は小山市音楽連盟合唱団。今回だけって人も加わっているらしい。
 指揮は小山市音楽連盟会長を務める荒井弘高さん。音大の声楽科を卒業し,現在は白鴎大学で音楽の教鞭を執っている人ですね。

● 2部構成で,第1部は 「ふるさと」「紅葉」など日本の唱歌をメドレーで。15分間の休憩の後に第2部,おめあてのモーツァルト「レクイエム」。
 が,第1部が終わったところで帰った人もけっこういたようだ。いても別にいいんだけども,チケット代がもったいないなぁって思ったりね。根が貧乏性なんでしょうね。

● 管弦楽が小編成なのに対して,合唱団は大編隊。合唱の音量に管弦楽がかき消されてしまう。企画の趣旨からして主役は合唱団でいいわけなんだけど,もう少し管弦楽を聴きたかったかなという思いも。不満というわけではないんですけどね。
 これだけの曲を演奏に乗せるわけだから,合唱団は相応の練習をしてきたわけだ。それをステージで爆発させたいと思っても不思議はない。多少の走りすぎは許されてよい。

● これが,モーツァルト最晩年の傑作なのか。いまいちピンと来ないところもあった。その理由の一番目は,ボーッと聴いてしまったことですけどね。少なくとも,演奏の出来不出来とは関係がない。

● いけなかったのは会場到着がギリギリに近かったこと。早めに着いて,開演までの時間を持てあますくらいでちょうどいいかもしれない。会場に到着してから開演までの間に,ゆっくりとプログラムを読んで,一緒に渡されるチラシの束をチェックして,観客の入りを確認して,コントラバスのチューニングの様子をながめて,近くのお客さんの話を聞くともなく聞いて,っていうのがどうも私的な儀式になっているようだ。それらを省略すると,ステージに向かう気持ちがとんがってこないようなんですね。
 CDで何度か聴くことを自分に課した方がいいな。けれども,レクイエムとかミサ曲とかって,ある程度自分に元気が満ちている状態で聴かないと辛いでしょ。かといって,元気なときってこうした曲を聴く気になかなかなれないんですよね。

● ちなみに,この演奏会は演奏会としては明らかに成功した。これは断言できる。観客が満足そうだったからね。
 合唱団員の知り合いが多いのかもしれないけれども,それぞれがそれぞれに自分の感想を言い合っていた(やっぱりソプラノが素敵よね,とか)。終演後に,この種の雑談が活発なのは,観客が演奏に満足した証拠のようなものだから。

2012年12月3日月曜日

2012.12.02 宇都宮フルートオーケストラ第1回定期演奏会


宇都宮市立南図書館サザンクロスホール

● 会場の宇都宮市立南図書館は最近できた施設。宇都宮工業高校の移転にあわせて整備された。初めて訪れたんだけど,これがまぁ立派で驚いた。四周を回廊が囲んでいる。駐車場も広い。入口は北と南,東の3カ所にある。ロビーも広々としてて,会議室や研修室のほか,乳幼児の遊び場と,こぶりながらレストランまである。弁当が390円だったりする。
 サザンクロスホールも間に合わせに設えたものではなく,収容人員400名のちゃんとしたホールだった。もちろん多目的ホールだけれども,まず文句のないところでしょう。
 図書館と名乗るよりは文化センターとでもした方が実態に合いますね。県立図書館よりずっと立派。

● 最寄駅(雀宮駅)から徒歩5分というのもいい。その雀宮駅も橋上駅に変わっていた。
 雀宮の宿は駅の西側。南図書館は東側にある。東側は一段低い土地で住むには適さないけれども(もともとは田んぼだったはず),この施設ができたために東西をつなぐ必要が生じた。エスカレーターが設置されたりして,いやまぁ見違える駅になってたんですね。

● さて,宇都宮フルートオーケストラの1回目の演奏会。開演は午後2時。入場無料。
 2部構成で,第1部は何人かのグループで,第2部は全員で演奏。
 第1部で印象に残ったのは,3番目の「ソナタニ長調」。ジャン・バティスト・ルイエが作曲したもの。って,これはプログラムから転記しているわけで,こういう作曲家がいたこと自体,今回初めて知った。1,4,3楽章を演奏したということだった。
 で,この演奏がなぜ印象に残ったかといえば,曲に惹かれたからだ。ひょっとすると,主催者が聴かせたいのは曲ではなくて音なのかもしれない。音の響き,アンサンブルの精妙さ。そういうところを聴いてほしかったのかもしれない。
 のだが。ぼくの耳が音に照準を合わせられるほどには発達していないんですね。曲に惹かれてしまう。

● 第2部は賛助出演者も含めて,総勢18人がステージに立った。初めてお目にかかるバスフルートもあって(っていうか,楽器の説明をしてほしかったぞ。こんなフルートもあるのかと思った人は大勢いたはず。曲の解説はプログラムに語らせてもいいから,楽器の説明は肉声で聞きたかったような),低音にもきちんと対応する。低音部のないオーケストラって,車輪のない自動車のようなものだもんな。
 最後に演奏したレスピーギの「古風な舞曲とアリア」の第3組曲が印象的。これも先ほどと同じ理由によるんだけど,聴かせどころが色々あって,演奏する方にしても吹きがいがあるんじゃなかろうか,とはフルートをまったく知らないド素人の勝手な感想。

● オーケストラのワンパートとしてのフルートは何度も聴いているし,ソロリサイタルのフルートも不知ではない。が,たくさんのフルートが集合して,フルートだけでアンサンブルを奏でるとこうなるのかってのは,今回初めて知った。
 奏者として演奏したい曲と客席が聴きたがる曲が一致することは,どうもあまりなさそうだ。フルートオーケストラのために作曲された曲もあるのだろうし,そうじゃないのをフルート用にアレンジした曲もあるのだろう。そこをどう選択してプログラムを組み立てていくか。悩ましいけれども楽しい作業なのかもしれないなぁ。