2012年12月31日月曜日

2012.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2012

東京文化会館大ホール

● 今年も大晦日の今日,東京文化会館で「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2012」が開催される。
 昨年はヤフーオークションでC席チケットを落札して聴きに行った。が,せっかくの演奏会がC席だと隔靴掻痒以上に残念な結果になる。ここはやはりS席でなければならない。
 S席は2万円。この演奏会なら2万円は納得できる。むしろ安い。

● 何度か東京に出ているので,ついでに買える機会はあった。が,見送ってきた。
 もし大晦日に別の用事ができたらどうしようとか思ったりもしてね。代わりに行ってくれる人がいればあげちゃってもいいんだけど,ぼくの回りにはそんな人は見あたらないし。クラシック音楽なんてタダでもパスってのばっかりだから。
 でも,それは言い訳でしてね。要は2万円が工面できなかったんですねぇ。

● で,どうしたかというと。またヤフオクに頼ったんですね。しかも,同じC席。何も学習してないじゃないか,アホかおまえ。どうぞ誹ってやってください。
 こういう状態のとき,行かないっていう決断をスパッとできないんですよねぇ。未練を残してしまう。で,最悪の選択をしてしまう。

● とはいえ。ラッキーなことに4階左翼の最前列。とりあえずは,オケの全体が見えるのではないかと思ったのが,入札した理由でしてね。そうでなかったら行かなかったと思うんですよ。
 ただね,昨年も4階の左翼だったんですよね。最前列だったかどうかまでは憶えていないんだけど(たぶん,最前列ではなかったと思いたいんだけど。といっても,4階左翼は3列しかないんだよな)。
 ステージから遠すぎて「指揮者の小林研一郎さんの後ろ姿が,骸骨の操り人形のように見えた」し,ステージの「左側の一部が切れてしまう」のだった。それは今回も変わらないかもしれない。
 だんだんイヤな予感が増してきたんだけど。

● というわけで,2012年の大晦日も東京に出かけていった。
 ステージの陣容は昨年と変わらない。指揮者は小林研一郎さん。オーケストラは「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」(メンバーの入れ替えは当然あるだろう)。コンサートマスターを務めるのは,N響の篠崎史紀さん。

● 席はですね,昨年よりも左より。ということは,視野から切れる部分が増えるってことですよ。
 しかぁし。最前列の効果は抜群。左よりでもちょっと身を乗りだせばステージはすべて見える。そもそも,ステージとの距離も昨年よりずっと近くなった感じ。ほぼ,ストレスなし。わずか1列前か後かでこれほど違うのかぁ。
 今回はオペラグラスを持参したんだけど,結局,ほとんど使わなかった。ちょうどいい具合にステージがそっくり視野に収まる。肉眼でOKだった。

● 昨年はS席で聴いてこそと思ったんだけど,撤回します。最前列なら4階席でも大丈夫。
 ごめんなさい。武士に二言があってはいけないんだけど,町人や農民だったら,二言,三言は許されていいでしょ。ぼくの先祖は町人か農民だったと思うんですよ。
 C席で5,000円(ぼくはヤフオク経由なので,その5割増しになっているんだけど)。チケット発売開始後,早々に買うことができる人ならば,ここは狙い目のような気がする。貧乏人の味方だ。

● ちなみに,そのオペラグラス(Nikonの3倍率)もヤフオクで購入。何だかねぇ,たいていのものはヤフオクですませちゃってるんですよ。パソコンと周辺機器はほとんどそうだし,サプリメントとかもそう。パソコン以外の電気製品もしかり(ぼくが個人で使う電気製品はということです。ヨメは中古品なんてモッテノホカっていうタイプ)。そのうち,ケータイもそうなるんじゃないかと思う。
 モノを買うために行くリアルのショップは,スーパーとコンビニと百円ショップだけになっている。家電量販店にも行くけれど,まず何も買わないもんね。時々,乾電池とかの消耗品を買うくらいでね。
 呑みにも行かなくなった。旅行もしなくなった。そうなっているのはぼくだけじゃないと思うんですよね(いや,おまえだけだよ,ってか)。不景気なのも当然だよなぁ。

● 開演は午後1時。チケットは完売。
 きちんとよそゆきの服装で来ている人もいれば,普段着の人もいる。ぼくは普段着派。
 よそゆき派の中には,泊まりがけで来ている人もかなりいるんじゃないかと推測する。ぼくも栃木の田舎から出張っているんだけど,新幹線とか飛行機で来ている人もいるんじゃないのかなぁ。
 年齢を問わず男女を問わず,ひとりで来ている人がけっこう多いのも特徴。ぼくもそのひとりなので,おぉ同士よ,っていう気になる。話しかけてみたくなったりもするんだけど,それも迷惑だろうしな。
 ホール内の売店もレストランも普段どおりに営業しているわけで,ここにいると大晦日という感じはまったくしない。休憩時間に,着飾っているご婦人方がコーヒーカップやワイングラスを片手ににこやかに話している様子はなかなかいいものだ。
 ぼくはホールの外に出て,自販機で缶コーヒーを買ってるわけですけど。

● 昨年は,開演時には空席がけっこう目立ったと記憶している。今回はかなり埋まっていた。第1番から第9番まですべて聴かなければいけないという法はない。自分が聴きたいものだけを選んで聴くことの何が悪い。
 それはそうなんだけれども,これだけのオーケストラで第1番から順に演奏するわけだから,全部聴かなきゃもったいないと思うし,通して聴いてこそわかる何ものかがあるとも思う。

● 昨年よりいい環境で聴けたことも大きいと思うんだけど,ステージからもらったものは,今回の方がずっと多かった。
 第1番が始まってすぐに体が熱くなった。体の芯がジワーッとではなくカッと熱くなる感じ。着ぶくれていただけだろ,っていうツッコミはなしでお願いしたい。

● 第3番。ちまたの曲目解説には,壮大であるとか,力強いとか,美しいとか,巨大な山とか,いろんなことが書かれている。だけど,いまいちピンと来てなかった。もちろんCDでは何度も聴いているし,アマチュアオーケストラの演奏も何回かは聴いているんだけど。
 それが,今回の演奏を聴いて初めて腑に落ちたっていうか。そうか,こういうことだったのか,って(錯覚の可能性が高いけどね)。
 クリアでノイズのない演奏を生で聴けたからこそだと思う。

● 第4番が終わったところで,三枝成彰さんと樋口裕一さんのトーク。
 樋口さんは「第九」のCDを272枚持っているとのこと。ご本人は長い間に溜まったものだからとおっしゃっておられたけれども,それにしても272枚。住んでる世界が違う。音楽を聴くことに費やした時間と労力とお金が,ぼくなんぞとはまるで違う。
 世間にはとんでもない人がいるものだ。こういう人がいるんだから,ぼくなんかが「第九」について講釈を垂れてはいけないよなぁ。
 オタク王と呼びたくなったが,ご本人にすればそう呼ばれることは心外かもしれないね。

● 三枝さんによれば,ベートーヴェンの曲はオフビートなのだ。音の裏側にアクセントがある。それがベートーヴェンの躍動感の秘密だという。
 で,実際に,オフビートを口ずさんでくれたんだけど,それを聴いてもぼくの頭の中は???。馬の耳に念仏だった(笑ってやってください)。

● 圧巻は次の第5番。ステージから放出されるエネルギーは凄まじかった。もちろん秩序だっているわけだから,秩序あるエネルギーの奔流と形容しておきたい。
 正直,ぼくには受けとめ切ることができなかった。受けとめ切ることができないと,涙が出てくるんですね,これ。
 老人性涙腺失禁だろうっていうツッコミはなし,ということでよろしく。涙が出るんですよ,ほんとに。受けとめれていないからだと,思っているんです。受けとめれないうちが華だという思いもあります。

● 第6番「田園」では,第2楽章以降にフルートのソロが何度か登場。そのフルートを担った美貌のフルーティストに注目。

● ここで90分間の大休憩。この間に夕食をすませることになる。ホール内のレストラン,この時間帯はもちろん予約制になっているはずだ。
 迷わず,上野駅に入った。駅構内にある「ほんのり屋」でおにぎりを3個,購入。あと,自販機で熱いお茶。これでいいじゃないですか,ねぇ。絶対に間違いのないチョイス。
 おにぎりってのはすばらしい発明品で,冷えても旨いってのはすごいぞ(もちろん,冷えてない方がいいんだけどさ)。海苔でくるむってのは誰が考えたんだろうねぇ,偉大だぁ。

● 大休憩のあと,第7番。ぼくにもわかるほどテンポに緩急をつけていた。第3楽章で特にそれを感じましたね。バーッと行くところと,テンポを落として音をはっきり刻ませるところと。
 若干,ほんの少し,集中を欠いた瞬間があったように思われた。瑕疵ではない。いかな名人上手といえども,人の子だ。一気にベートーヴェンの全交響曲を演奏するわけだから,それはあって当然だ。
 ぼくら観客は,チケットを買って,当日,自分の身体を会場まで運び,あとはずっと柔らかい椅子に座っていればいい。それが仕事のすべてだ。ステージで演奏する方はそうはいかない。

● この1年間,ベートーヴェンの交響曲はCDで何度となく聴いてきた。で,第8番が引っかかってきたのが収穫といえば収穫。第7番と比較して,女性的だとか優美だとか言われることがあるんだと思うんだけど,なかなかどうして。
 CDでは小澤征爾指揮,サイトウキネンオーケストラの演奏をもっぱら聴いている。キレイすぎ,整いすぎという印象も受けるんだけど,別段の不満もない。
 その第8番の生をこのオーケストラで聴けることが,今回の楽しみのひとつだった。で,聴き終えたときには背中にうっすらと汗をかいていた。

● 最後は「第九」。ソリストは,岩下品子さん(ソプラノ),竹本節子さん(アルト),錦織健さん(テノール),青戸知さん(バリトン)。合唱は武蔵野合唱団。これも昨年と同じ。
 合唱の迫力と質感だけは生で聴かないと味わえませんよね。合唱が巻き起こす空気の震えのようなものは,CDからは伝わってこない(現在の録音技術ならできるのか)。
 今回は管弦楽がマーラー版だった。三枝さんが,これを聴けるのはたぶんこれが最初で最後だと言っていたんだけど,その貴重な機会を得ることができたのはラッキーだった。マーラー版はCDでも聴いたことがないので。
 管弦楽が百人の大編隊。だけども,違いがよくわからなかった。こういう場でも限界効用逓減の法則が働くのかもしれない。楽器を増やせば増やしただけの効果があるというわけでもなさそうだと,ぼくには思えた。

 この全曲演奏会はベートーヴェンの交響曲を順番に演奏しているだけで何の演出もないわけだけど(休憩時間のトークは別だけど,演奏そのものについてはね。演出のしようもないしさ),最後が「第九」っていうのは効果的だよねぇ。
 それあればこそ,この演奏会も企まざる演出効果をまとうことができる。

● というわけで,今回は堪能できた。大晦日にベートーヴェンのすべての交響曲を,こうまですばらしいオーケストラと指揮者で聴けるのは,日本に住んでいることの役得ではないかと思えてきた。
 家でテレビなんか見ている場合じゃないぞ。ディズニーランドでカウントダウンなんかしている場合じゃないぞ(ぼくは長らくそっち側にいたんだけど)。海外旅行もダメだ。
 この演奏会を聴かないと損をするぞ。お金のある人はS席で,ない人はC席の最前列で。大晦日はこれに限ると断言してしまおう。

2012年12月30日日曜日

2012.12.30 間奏24:良いお年をお迎えください


● マーラーの全交響曲を聴いてみようと思いたち,29日に実行した。なぜマーラーかというと,あまり聴くことがないから。この際,まとめて聴いてみようかと。
 「大地の歌」を含めて全10曲と,10番の「アダージェット」。作曲順に,1番から8番まで聴いて,「大地の歌」をはさんで9番を聴く,と。
 所要,約13時間。マーラーの全交響曲を1日で聴ききれるのか。聴ききれる。なぜなら,1日は24時間あるのだから。
 が,言うまでもなく,そうはいきませんでしたね。

● CDではなく,DVDを使用。指揮はバーンスタイン。管弦楽は,2番がロンドン交響楽団で,「大地の歌」がイスラエル・フィル。ほかはウィーン・フィル。
 とっ散らかった部屋で,ノートパソコンにスピーカをつないで聴いた(観た)。隣近所の迷惑になるので,大きな音は出さない。かといって,ヘッドフォンで13時間も聴き続けるのはさすがに辛い。というわけで,音量を絞って普通に。

● ちなみに,ぼくのオーディオ環境はこのノートパソコンとスピーカですべてだ。貧弱を極めている。
 ひとつにはあまりモノを持ちたくないってこと。なくてもすむものは,なしですませたい。部屋は殺風景な方がいい。東日本大震災以来,その思いが強くなった。
 重いアンプやスピーカは,場合によっては凶器に変わる。なにせ,あのときはピアノが数十センチほど動いたし,タンスも食器棚もすべて倒れた。実際,倒れる方向がちょっと変わってたら,うちのヨメは死なないまでも重傷を負っていたかもしれない。モノなど持っていていいことは何もない。最小限度にしたい。
 ふたつめには,オーディオに回せるお金がないってことだな。こっちの方が決定的な理由だね。ちなみに,普段はスマートフォン+イヤフォンで聴いている。

● 金聖響・玉木正之『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)を曲目解説がわりに読んで,いざ。
 で,2番まで聴いたら,頭の芯がボーッとした。っていうか,しばらく立てなかった。
 長めの休憩をとって3番,4番と聴いたところで,精根尽き果てた。だめだ,こりゃ。まとめて聴くものじゃない。
 聴き方がどんどん雑になってくる。それでなくても雑にしか聴いていないのに。もはやこれを聴いたと言っていいのかどうか。
 というわけで,年の最後にバカなことを試みて,失敗。あとはゆっくりと聴いていきたい。

● どちらのご家庭でも,人さまには知られたくないと思っている問題,あるいは恥部と思いこんでいる事柄のひとつやふたつは抱えているものでしょう。ぼくにもあります。今年もありました。ここにはとうてい書けないようなこと。
 でもね,何の問題もない,文字どおりの平穏無事な人生なんてものは,望んでも得られないもののひとつだと諦めてしまえば,それなりにいい年でしたよ。

● もしよろしければ,来年もこのブログ,お読みいただければ嬉しいです。
 ただですね,ご覧いただいたとおり,このブログは音楽そのものについてはあまり語っておりません。なぜなら,語れるほどの蘊蓄を持たないからです。

● 鑑賞者としての水準を高めたいと思っている方には,それにふさわしいブログがあります。
 ぼくのわずかな知見では,「こもじゃー」さんの「八畳の視聴空間」はすばらしいものだと思います(タイトルもしゃれてますな。それにひきかえ,ぼくのこのブログのタイトルは何だかなぁ)。野に遺賢はいるものです。釈迦に説法するようで恐縮ですけれども,ぜひこうしたブログをご覧になって勉強されたらよろしいのではないかと思います。

● それでは皆さま,どうぞ良いお年をお迎えください。

2012年12月25日火曜日

2012.12.24 Welcome Happy X'mas 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ&潮あかりミュージカルアカデミー

鹿沼市民文化センター大ホール

● この催しのチラシは,「お嬢ちゃん,いらっしゃい」と誘っている。年端の行きすぎたお嬢ちゃんも含めて。
 そういうものに白髪翁がひとりで行くのはいかがなものか。若干のためらいがなくもなかったんだけど,行ってみればいるものですね,男ひとりの来場者。

● 実際さぁ,中高年男性に向けた催事にしか行かないでいると,自分の世界が狭くなるよねぇ。他の中高年の男どもとの差別化ができなくなる。
 そんな差別化はできなくたっていいとしても,自分のための人生だ。子ども向けのものであっても,女性向けのものであっても,面白そうなら行ってみる。世間体を気にするのはホドホドにすべし(と自分に言い聞かせつつ,鹿沼に向かった)。

● その代わり,小さな子どもを連れた母親,父親,婆さん,爺さんで会場は埋まるだろうから,始終何らかの騒音が続くはずだ。それは覚悟のうえ。
 開演は午後1時半。入場無料。開演時には空席も多かったけれど,開演30分後にはほぼ満席の状態になった。要するに,開演後にやってきたお客さんが少なくなかった。田舎時間ってのがあるからね。

● 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラと鹿沼市にある潮あかりミュージカルアカデミーの合作。内容は2部編成で,第1部は潮あかりミュージカルアカデミーがメインとなって,歌とダンス。
 第2部は,ジュニアフィルが奏でるチャイコフスキー「くるみ割り人形」に,ミュージカルアカデミーの生徒たちが踊りを添える。

● まずは,小編成のオーケストラをバックに「サウンド・オブ・ミュージック」からいくつかを歌とダンスで。
 2歳くらいの女の子が人気をさらいましたね。ほかの子と同じように右を向いたり左を向いたり,手をあげたりしゃがんだりできてたのでね。タイミングも合ってたし。ちょっと以上の驚き。やるもんだね。

● オーケストラが撤収したあとは,ダンスの披露。音楽は録音で。
 ラインがラインとして成立していると,これほどに快く感じるのかという発見。ラインの展開幅も充分にあって,動きもシャープ。ここまでやってくれれば,理屈抜きで楽しめる

● 「あづみれいか」さんと「潮あかり」さんによる宝塚的というか,宝塚そのものの歌の世界。あづみさんが男役,潮さんが娘役。女性が演じる宝塚的男性のファンタジーとリアル。
 女がきれいだと思う男って,こういうのなんだろうなぁと思わせる。本物の宝塚の舞台は,大道具も照明もとんでもなく華やかで,もっとずっとファンタジックになるのだろう。これは完全に女の世界だね。

● 女の人は年齢を問わず,こういう世界にすっと入っていけるんだと思う。男はどうかといえば,ちょっと手間取るだろう。ぼくのように長く生きてしまった男は,いっそうそうだ。
 逆にいえば,手間取るけれども入っては行けそうだ。で,いったん入ってしまうと,手間取った分,はまる度合いが深くなるかもしれない。はまってみたくもあり,はまってしまうと相当に厄介なことになりそうでもあり。

● 宝塚については,田辺聖子さんのいくつかのエッセイを通じて得た知識がぼくのすべてだ。妙な言い方で申しわけないけれど,女性を相手に結婚詐欺を企もうとしている男性諸氏にとっては,宝塚歌劇は勉強の宝庫のはずだ。
 もっとも,結婚詐欺についていえば,最近は逆パターンが多いらしいから,騙されないための勉強をするのが先かもしれないけどね。

● 20分間の休憩ののちに,第2部。今度はフルオーケストラ。
 プログラムで「私たちは子供のオーケストラです。しかし,「子供なのにここまでやれた」ということは目標にしません。楽器を持ちステージに立ったら,一人の演奏家として本物の演奏をめざしています」と決意を語っている。
 当然,そうでなければいけない。おそらく,どこのジュニアオケでもそうした思いで楽器と音楽に向き合っているのだろう。
 子どもは小さな大人という言われ方もする。曲の解釈にしたって,その年齢に応じていくらでも考えられるはずで,それも含めて,自分を信じて演奏するがいい。
 って,何を偉そうに語ってんだ,オレ。
 実際に巧かったのでね。上の決意表明が一定の説得力を持つ。

● そこにミュージカルアカデミーの生徒たちのダンスが加わる。ポワントで立つことはないわけだけど,「花のワルツ」での優美な踊り,やっぱいいもんだなぁ,と。
 日常で女性のこんな優美さに接することはない。あくまでも創られた優美さだ。鍛錬を重ねたうえでの,人工的な,限定された状況下での優美さなんだけどさ。
 でも,創りこまれている分,力を持つ。輝きを放つ。リアリティを獲得する。

● というわけで,クリスマスイブの(昼間だったけど)華やかな2時間半。これで無料。こちらはサンタクロースから思わぬプレゼントをもらったような気分だった。
 それと,いつもながらの感想なんだけど,ミュージカルアカデミーの生徒は全員が女性だし,ジュニアフィルも女子が圧倒的に多い。客席もおそらく女性が3分の2以上を占めていた。女性の女性による女性のための・・・・・・って感じね。
 男はどこで何をしているんだろう。家でプラモデルでも作っているのか。

2012年12月24日月曜日

2012.12.23 橋本陽子エコール ドゥ バレエ 第15回記念クリスマスチャリティー公演2012

栃木県総合文化センター メインホール

● チケットはA,Bの2種。A席(3,000円)を購入していた。前から8列目。これだとステージ全体が視野に入りきらない。もう少し後ろの席がよかったんだけども,購入先の総合文化センタープレイガイドに割りあてられた席は8列目だけだというので,是非もなかった。
 開演は午後5時半。プログラムは別売で500円。

● 内容は2部構成。第1部はさらにふたつに分かれてて,ひとつは,東日本大震災の復興応援を企図したものとのこと。
 もうひとつは,日系ブラジル人で現在は日本にお住まいのアオキキヨミさん(車いすで生活。生け花の達人)をステージに招いての,やはりこれも応援歌と言っていいんでしょうね,ステージでダンスを繰り広げている間に,アオキさんが花を生けるという趣向のもの。
 当初,ちょっとあざとさが勝ちすぎているのではないかと思ったんだけれども,アオキさんの控えめな佇まいと笑顔にも支えられて,企画として成立していた。

● 途中,ダンサーが通路に降りてきて客席を盛りあげる場面があった。ぼくは通路際に座ってたもんだから,何だかドキドキしてしまいましたよ。年がいもなくね。すぐそばにダンサーのお嬢さんがいるんだもん。

● 第2部は「くるみ割り人形」から「クララの夢 不思議の国へ」。第2幕ということになりますか。
 「花のワルツ」でのコール・ドが見どころの最たるもの。期待以上のものを見せてもらった感じ。凜とした感じがとてもいい。
 それを支える身体能力の高さと稽古の質量。ダンスのデザイン。衣装。どれもこれも水準が高い。

● 構成が当初の予定とは異なったらしい。販促チラシを作り直しているからね。ひとつのステージを作りあげるまでには,多くの細々とした交渉ごとや根回しがあるはずで,裏方の仕事も大変でしょうね。
 ステージに登場する人たちだけでステージが成立しているわけじゃないもんなぁ。

2012.12.23 第30回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

宇都宮市文化会館大ホール

● 開演は午後1時半。会場に到着したときにはすでに長蛇の列。開演直前には文化会館の大ホールが文字どおりの満席となった。生徒の父兄や家族だけで大ホールが埋まるとは考えにくいから,ぼくのような部外者もけっこう来てるんでしょうね。チケットは800円。

● この演奏会を初めて聴いたのは3年前。当時1年生だった生徒もすでに卒業している。まことに光陰矢のごとし。高校生たちはこの3年間で身体も精神も大きく成長して卒業していったに違いないが,こちらはそんなこともないわけでねぇ。ま,こういうのは順繰りだけどね。

● 両校とも栃木県を代表する名門。自分の息子や娘が宇高・宇女高に入ってくれれば,親御さんにしてみれば自慢の息子・娘ってことなんだろうなぁ。
 ただね,こういうご時世ですからね,名門校がその後の安寧を保証してくれるわけじゃないからね(じつは時世に関係なく,いつの時代もそうだったと思うんだけど)。これから先,何が起こるかわからない。
 ゆえに。ご油断めさるな,宇高・宇女高生諸君。くさる必要はないぞ,宇高・宇女高を望みながらも別の高校に入学せざるを得なかった諸君。
 っていうかさ,いい高校とは何かと問われれば,自宅に一番近いところにある高校のことだと,ぼくなら答えるぞ。

● 問題は,しかし,油断していなくても,起きるときには起きる。この世はままならぬとはそういうことだ。
 ぼくなんぞはここで思考停止してしまう。すなわち。今を楽しめ。後のことは考えるな。現在を将来の犠牲に供するな。人生は目先の連続。目先良ければすべて良し。

● まず宇女高合唱部,次に宇高合唱団,両校合同の合唱があって,管弦楽の登場。
 スタートはスメタナの「モルダウ」。さすがに相応のたどたどしさが窺える演奏だったけれども,これはこれで可愛らしいともいえる。
 もちろん素晴らしく巧い子もいる。中学のときに吹奏楽部でみっちり練習してきたか,小さい頃から習っているかでしょうね。
 この年代の若者は短時日でグンと伸びることがあるんじゃないかと思っている。ゆえに,中高年は高校生の集中力とノビシロに対して畏れを持っていなければならないというのが,ぼくの変わらぬ信念だ。短時日で伸びた直後の,その香りを味わってみたいものだ。

● 次に合唱団も加わって,ヘンデルの「ハレルヤ」。2年生の音楽選択生も入るから大合唱団となる。
 そして,この演奏会の標題にもなっている「第九」の第4楽章に移る。単純に聴く側からいえば,第4楽章しかない「第九」は「第九」ではない。かといって,この演奏会にそれを求めるのは典型的なないものねだり。
 両校の合唱部(団)は1週間前の栃木県楽友協会の「第九」本番でリハーサルをすませているんだったな。その成果のほどは訊いてみないとわからないけれども,押しだしのいい(つまり,おっかなびっくり声をだしていない)演奏で,客席も大いに満足した(に違いない)。3年前は男声が幼いと感じてしまったんだけど,今回はそんなこともなくて(3年前の自分の感覚を叱ってやりたい),迫力充分。
 音楽選択生が「ハレルヤ」のみならず,「第九」までカバーする。これが並じゃないことくらい,ぼくにも想像できる。時間をどうやりくりしているのか。

● で,話が前後するんだけど,最初の宇女高合唱部。3年前には部員が少ないことにちょっと驚いたんだけど,その部員も増えたようで,まことに慶賀の至り。プログラムに載っているOG会長の挨拶文によれば,8月の県合唱コンクールで金賞を取り,関東大会に出場したそうだ。
 今回は,クリスマスソングをいくつか。乙女たちによる聖なる調べ。
 ずっと不景気で,閉塞感におおわれて,社会全体が縮こまっているようなきらいがなくもないんだけど,彼女たちを見ていると,日本はぜんぜん大丈夫なんだと思えてくる。型にはまった言い方で申しわけないんですけどね。安心感を与えてくれる少女たちでしたね。

● 宇高合唱団で圧巻だったのは「秋のピエロ」と「齋太郎節」。「秋のピエロ」って詞もいいしね。「身すぎ世すぎの是非もなく」かぁ。しみじみするなぁ。
 もう過去のことになったんだろうけど,「自分探し」ってのが流行したじゃないですか。言葉だけが流行ったのかその実態があったのか,ぼくはよく知らないんだけど,もし後者だとすれば,どんだけ暇なんだよってことだよねぇ。
 もし「自分探し」にはまれば,死ぬまでそれを続けなくてはならなくなるはずだ。そんなことができるのは,要は暇だから。思慮深いからではなくて,愚かだから。丁寧な性格だからではなくて,グズだから。
 「秋のピエロ」を聴きながら,そんな埒もないことを考えた。

● 「第九」終了後に「ふるさと」を歌った。ここでの男声の奮戦が印象的だった。
 これだけのボリュームの演奏会を,これだけの水準で客席に提供できる。たいしたものだ。感嘆しつつ敬意を表する以外に,対応する術を知らない。
 すごいね,君たち。

● 問題はやっぱり客席にあるね。写真撮影は個人情報の侵害になるからやめろと何度も放送しているのに,ビデオを回し続けているのや,フラッシュをたくやつが最後までいたもんな。
 自分の子供や孫を写しておきたいのかもしれない。気持ちは当然わかるんだけれども,それがそのまま許される時代は過ぎた。窮屈といえば窮屈なんだけどさ。
 あるいは,YouTubeに動画と音声をアップするつもりなのかもしれない。そんなものは君がやらなくても,他の誰かが必ずやってくれる。それを見,それを聴けばいいじゃないか。どうせ素人のやることだ。誰がやっても大差ないって。
 というと,それならおまえが書いているこの文章だって,きっと誰かも書いているはず,それを読めばいいじゃないかと返されそうで,ちょっと具合が悪いことになるんだけどね。

2012年12月16日日曜日

2012.12.16 第5回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 中川右介『第九』(幻冬舎新書)の冒頭に次の章句が紹介されている。
 第九交響曲を毎年何度もよくない演奏で聴くよりは,十年に一度よい演奏を聴いたほうが,はるかに有意義である。   ェリックス・ワインガルトナー
 滋味掬すべき言葉であるように思われる。第一,気がきいている。これに正面切って反論するのは難しい。
 しかし,反論しなければならない。かなり無茶な反論になる。十年待つ間に死んでしまったらどうするのか,というのがそれだ。
 明日も生きていられるなんて保障はどこにもない。この局面では刹那主義を採用するのがよいように思う。聴けるときに聴ける演奏を聴いておけ,ということ。

● この時期に日本国内のそちこちで演奏されている「第九」は「よくない演奏」にあたるのかもしれない。
 それでは「よい演奏」とはベルリン・フィルとかウィーン・フィルの演奏になるのかという話だけれども,極東の日本にいてそれを待つわけにはいかないではないか。

● ぼくの手元には「第九」のCDが5枚ある。フルトヴェングラー,カラヤン,バーンスタイン,小澤征爾,佐渡裕のものだ。もっぱら聴くのはカラヤン(1979年の普門館でのライヴ録音)。
 今回の演奏は栃木県交響楽団だけれども,カラヤンのCDと栃響のライヴ,どちらがいいか。ぼく的には検討の余地がない。
 CDの方がいいよと言う人がいるに違いないとも思う。皮肉でも何でもなく,そういう人をぼくは尊敬する。

● ともあれ。この演奏会,今回が5回目になる。節目だからってことなんだろう,指揮者とソリストを外部から招聘することにしたようだ。前回まではいわば内部調達だったんだけど。
 指揮者は井崎正浩さん。ソリストはソプラノが大貫裕子さん,メゾソプラノが小野和歌子さん,バリトンが寺田功治さん。いずれも,コンセール・マロニエの優勝者。テノールだけは予定されていた小貫岩夫さんの都合が悪くなったようで,ピンチヒッターに菊川裕一さん。
 それでもチケットは据え置きの1,500円。開演は午後2時。

● 早めに並んで1階の左翼席に。今回もほぼ満席。ただし,豪華キャストにもかかわらず,1階の最前列と上階席の奥の方には空きがあった。一昨年(昨年は聴きそびれているもので)よりは座席に余裕があった感じ。「第九」人気に衰えなしと言っていいのかどうか。

● それでも客席には熱気が充満。そちこちから黄色い声のお喋りが聞こえてくる。コンサートのお客さんは女性が多い。
 コンサートホールに足を運ぶ人が文化的な暮らし(どんな暮らしだ?)をしているとは限らないし(自分を顧みればすぐにわかる),ミーハーもそれなりにいると思うんだけど,それでも女性の方が男性より彩りのある生活をしていることは認めるしかない。
 なぜかといえば,理由はひじょうに単純だ。男より女の方が欲張りだからだ。衣食住遊学のすべてにおいて女性の方が貪欲。欲望に忠実で,諦めることを知らない。向上心が強くて,生きることにしぶとい。とんでもない高みにわが身を置こうとする。そのくせ,地に足が着いているのだから,これは何とも素晴らしい。

● じつに,今の日本は(日本に限らないのかもしれないが)女性でもっている。それはしばしば感じることだ。元気がいいし,明るいし,行動力がある。しょぼくれていない。それに,日本の女性はほんとにきれいになった。
 何よりいいと思うのは,机上の空論的な理知を生理的に受け付けないと見受けられるところだ。実利に聡いところだ
 まぁね,内面はギラギラしているのに,そんなことはないわよという外見を作ることにこだわるとか,幸せごっこの演出に余念がないとか,そういうところを見せられると,ちょっとなぁと思うことはあるんだけどね。でもさ,それをちょっとなぁと思うのが,男のダメなところかもしれなくてさ。

● それと年寄り。元気だねぇ。お金も持ってるんだろうねぇ。彼らを見ていると,加齢と賢さや品格は関係ないなと思ったりもするんだけどね。
 経験は人を賢くはしないものだ。経験が無意味なんじゃない。人の経験は,ごくごく限られた範囲のものでしかないからだ。限られたパターンを何千回,何万回と繰り返してきたに過ぎないからだ。バラエティーに乏しいのだ。そこから外れたものに対しては無知蒙昧なままなのだ。しかも,あるパターンの経験知を他分野に応用するなんてのは失敗の元でしかない,という厄介な現実もある。
 経験の総体は海ほどもあるのに,人の一生なんて海からバケツに一杯の水をすくうようなもの。バケツ一杯の水でもって海を論じがちなのが,年寄りの通弊だな。っていうか,それが人ってものでしょうね。ぼくもそうだ。

● とはいえ,彼らがいてくれるからこそ,コンサートそのものが成立しているのは間違いない。どうぞ,いついつまでもお元気で。
 でもね,ここでも爺さんより婆さんだよね。婆さんたちは明日から見も知らぬ外国に放りだされても,持ち前の無手勝流で間違いなく生きていけるだろう。爺さんたちじゃ,そうはいかない。

● 露払いは今回も,J.シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲。続いて「第九」。
 「こうもり」が始まったところで,エッと思いましたね。何に? 管弦楽にです。栃響の演奏でこの曲を聴くのは,これが3回目になるんだけども,過去の2回とは違っていたような。
 栃響ってこんなに巧かったか。抑えるべきところできちんと抑制が効いている。これが効いてくると,全体が気品に満ちる。
 「第九」になってから,いよいよその印象が強くなった。

 オーボエの1番,フルートの1番,クラリネットの1番,ティンパニ。じつにどうも匠の技。すべて女性奏者なんだけれども,栃響もまた女性団員でもっているのか。
 「こうもり」でのピッコロの響きも心地よかった。それとヴィオラ。前からこういう演奏をしてたんだっけ?

● ぼくの勘違いならぬ「耳違い」かもしれない。けれども,狐につままれたような感じで最後まで聴いてましたね。
 っていうか,終演後もボーッとしてて,しばらく立てなかった。

● ぼくの「耳違い」じゃないとすれば,その功績は指揮者の井崎さんに帰せられるべきもの。しかし,井崎さんが栃響を指揮するのは今回が初めてではない。直近では昨年2月の定演でも振っている。そのときは今回のような演奏はしていなかったと思うのだが。
 栃木には栃響をはじめいくつものアマチュアオーケストラがあるわけだが,その中で栃響が図抜けた存在だと思ったことはない。のだが。うーん・・・・・・,来年2月の定演まで判断保留。

● 第2楽章が終わったところで合唱団と4人のソリストが登場。プログラムによれば,合唱団は総勢179名。詰め襟学生服の高校生もまとまった数で登壇。宇都宮高校と宇都宮女子高校の合唱部も参加したらしい。
 これだけの数になると,さすがに迫力がある。ありすぎた。

● ちなみに,宇都宮で開催されるもうひとつの「第九」(日フィル)は,指揮者が西本智実さんであることから,チケット入手は最初から諦めていた。実際,数日間で完売になったらしい。
 負け惜しみを言わせてもらえば,西本さんめあてで集まるような人たちと一緒に「第九」を聴くのは,あまりゾッとしない。
 というと,なに様のつもりだ,おまえ,ってことになるんだけど,負け惜しみですから。本当は行きたかったんですから。

2012年12月15日土曜日

2012.12.15 宇都宮大学管弦楽団第74回定期演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

● 幸いにして天気が良かった。前回の演奏会は雨だったからね。今回は2階席は空席が目立ったものの,1階席は前の方を除くとほぼ埋まっていた。
 開演は午後2時。チケットは800円なんだけれども,ぼくは招待ハガキ組なので無料。空いている方の2階席に座って鑑賞した。

● 指揮は清水宏之さん。若々しい人だ。プログラムの「指揮者紹介」によれば,15歳で渡米してるんですな。よく思いきれたものだなぁ。自分にはとてもできないことをやっている人は,それだけでたいしたものだと思ってしまう。
 曲目は,ベートーヴェンの「エグモント」序曲,ビゼーの「カルメン」第1・2組曲(抜粋),チャイコフスキーの交響曲第2番「小ロシア」。

● 「エグモント」序曲から引きこまれた。ベートーヴェンを聴いているんだなぁと実感できた。そこを具体的に言ってみろよと言われると困るんだけど,重厚さですかねぇ(ぜんぜん具体的じゃないけど)。観客をピッとステージに引き寄せる吸引力のある演奏だと思いました。

● 「カルメン」は,オーボエ,フルート,クラリネット,ファゴット,トランペットのソロ,あるいは互いの掛けあいが,見どころというか聴きどころ。それぞれ見事で,まったく不満はなし。前回と同様,ぼくは男子学生のフルートに魅せられた。
 この楽団はたぶん女子学生でもっていると思われるんだけど,フルートとトランペットの男子が気を吐いていたっていいますかね。

● チャイコフスキーの2番は初めて聴く曲。
 冒頭のホルンのソロが印象的(こちらは女子学生)。ホルンって,きちんと演奏しててもほめられることが最も少ないっていうか,貶されることが最も多いっていうか,割に合わないパートなんじゃないですかねぇ。まっとうに吹いていても音程を外していると思われがちな楽器っていうか。要するに,取扱いがかなり難しい楽器かなと思えるんですよ。
 今回の女子学生のソロはなめらかで艶やかで,気持ちよく聴くことができた。ということは,相当以上に巧かったってことなのかなぁ。

● アンコールはチャイコフスキーの「眠れる森の美女」のワルツ。
 ということで,2時間弱の演奏会。嬉しい時間だった。

2012年12月10日月曜日

2012.12.09 小山市音楽連盟 モーツァルト「レクイエム」演奏会

小山市立文化センター大ホール

● モーツァルトの「レクイエム」を生で聴いたことがない。ので,この演奏会には行くつもりでいた。主催者は小山市音楽連盟。
 チケットはS,A,Bの3種だけれども,B席はごくわずかで学生専用。実際には,B席で聴いていた学生はあまりいなかったので,一般開放しても特段の問題はないだろう。しっかり聴きたい学生は,がんばってS席を取るだろうしね。
 ぼくはA席で2,500円。当日券だと500円増しなので,前売券を買っておいた。開演は午後2時。

● 管弦楽は東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団。ソリストは荒井こづえ(ソプラノ),栁田明美(メゾソプラノ),池本和憲(テノール),羽渕浩樹(バリトン)。合唱は小山市音楽連盟合唱団。今回だけって人も加わっているらしい。
 指揮は小山市音楽連盟会長を務める荒井弘高さん。音大の声楽科を卒業し,現在は白鴎大学で音楽の教鞭を執っている人ですね。

● 2部構成で,第1部は 「ふるさと」「紅葉」など日本の唱歌をメドレーで。15分間の休憩の後に第2部,おめあてのモーツァルト「レクイエム」。
 が,第1部が終わったところで帰った人もけっこういたようだ。いても別にいいんだけども,チケット代がもったいないなぁって思ったりね。根が貧乏性なんでしょうね。

● 管弦楽が小編成なのに対して,合唱団は大編隊。合唱の音量に管弦楽がかき消されてしまう。企画の趣旨からして主役は合唱団でいいわけなんだけど,もう少し管弦楽を聴きたかったかなという思いも。不満というわけではないんですけどね。
 これだけの曲を演奏に乗せるわけだから,合唱団は相応の練習をしてきたわけだ。それをステージで爆発させたいと思っても不思議はない。多少の走りすぎは許されてよい。

● これが,モーツァルト最晩年の傑作なのか。いまいちピンと来ないところもあった。その理由の一番目は,ボーッと聴いてしまったことですけどね。少なくとも,演奏の出来不出来とは関係がない。

● いけなかったのは会場到着がギリギリに近かったこと。早めに着いて,開演までの時間を持てあますくらいでちょうどいいかもしれない。会場に到着してから開演までの間に,ゆっくりとプログラムを読んで,一緒に渡されるチラシの束をチェックして,観客の入りを確認して,コントラバスのチューニングの様子をながめて,近くのお客さんの話を聞くともなく聞いて,っていうのがどうも私的な儀式になっているようだ。それらを省略すると,ステージに向かう気持ちがとんがってこないようなんですね。
 CDで何度か聴くことを自分に課した方がいいな。けれども,レクイエムとかミサ曲とかって,ある程度自分に元気が満ちている状態で聴かないと辛いでしょ。かといって,元気なときってこうした曲を聴く気になかなかなれないんですよね。

● ちなみに,この演奏会は演奏会としては明らかに成功した。これは断言できる。観客が満足そうだったからね。
 合唱団員の知り合いが多いのかもしれないけれども,それぞれがそれぞれに自分の感想を言い合っていた(やっぱりソプラノが素敵よね,とか)。終演後に,この種の雑談が活発なのは,観客が演奏に満足した証拠のようなものだから。

2012年12月3日月曜日

2012.12.02 宇都宮フルートオーケストラ第1回定期演奏会


宇都宮市立南図書館サザンクロスホール

● 会場の宇都宮市立南図書館は最近できた施設。宇都宮工業高校の移転にあわせて整備された。初めて訪れたんだけど,これがまぁ立派で驚いた。四周を回廊が囲んでいる。駐車場も広い。入口は北と南,東の3カ所にある。ロビーも広々としてて,会議室や研修室のほか,乳幼児の遊び場と,こぶりながらレストランまである。弁当が390円だったりする。
 サザンクロスホールも間に合わせに設えたものではなく,収容人員400名のちゃんとしたホールだった。もちろん多目的ホールだけれども,まず文句のないところでしょう。
 図書館と名乗るよりは文化センターとでもした方が実態に合いますね。県立図書館よりずっと立派。

● 最寄駅(雀宮駅)から徒歩5分というのもいい。その雀宮駅も橋上駅に変わっていた。
 雀宮の宿は駅の西側。南図書館は東側にある。東側は一段低い土地で住むには適さないけれども(もともとは田んぼだったはず),この施設ができたために東西をつなぐ必要が生じた。エスカレーターが設置されたりして,いやまぁ見違える駅になってたんですね。

● さて,宇都宮フルートオーケストラの1回目の演奏会。開演は午後2時。入場無料。
 2部構成で,第1部は何人かのグループで,第2部は全員で演奏。
 第1部で印象に残ったのは,3番目の「ソナタニ長調」。ジャン・バティスト・ルイエが作曲したもの。って,これはプログラムから転記しているわけで,こういう作曲家がいたこと自体,今回初めて知った。1,4,3楽章を演奏したということだった。
 で,この演奏がなぜ印象に残ったかといえば,曲に惹かれたからだ。ひょっとすると,主催者が聴かせたいのは曲ではなくて音なのかもしれない。音の響き,アンサンブルの精妙さ。そういうところを聴いてほしかったのかもしれない。
 のだが。ぼくの耳が音に照準を合わせられるほどには発達していないんですね。曲に惹かれてしまう。

● 第2部は賛助出演者も含めて,総勢18人がステージに立った。初めてお目にかかるバスフルートもあって(っていうか,楽器の説明をしてほしかったぞ。こんなフルートもあるのかと思った人は大勢いたはず。曲の解説はプログラムに語らせてもいいから,楽器の説明は肉声で聞きたかったような),低音にもきちんと対応する。低音部のないオーケストラって,車輪のない自動車のようなものだもんな。
 最後に演奏したレスピーギの「古風な舞曲とアリア」の第3組曲が印象的。これも先ほどと同じ理由によるんだけど,聴かせどころが色々あって,演奏する方にしても吹きがいがあるんじゃなかろうか,とはフルートをまったく知らないド素人の勝手な感想。

● オーケストラのワンパートとしてのフルートは何度も聴いているし,ソロリサイタルのフルートも不知ではない。が,たくさんのフルートが集合して,フルートだけでアンサンブルを奏でるとこうなるのかってのは,今回初めて知った。
 奏者として演奏したい曲と客席が聴きたがる曲が一致することは,どうもあまりなさそうだ。フルートオーケストラのために作曲された曲もあるのだろうし,そうじゃないのをフルート用にアレンジした曲もあるのだろう。そこをどう選択してプログラムを組み立てていくか。悩ましいけれども楽しい作業なのかもしれないなぁ。

2012年11月26日月曜日

2012.11.25 東京大学第63回駒場祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学吹奏楽部・東京大学音楽部管弦楽団


東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 2年前は東大の五月祭と駒場祭,芸大の藝祭と3つの大学祭に出かけていった。タダで高水準の演奏をたくさん聴ける。こんなお得なことはないっていうケチ根性からだ。
 藝祭にしても東大のふたつの大学祭にしても,プチ「ラ・フォル・ジュルネ」じゃないかと思うほどに舞いあがったものだけれども,やはり場違いなところに来ているという感が強かった。藝祭と駒場祭ではそのことを痛感した。
 学生のお祭りなんですよね。若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね。当の学生たちに訊けば,いやそんなことはないですよ,どなたでも来ていただければありがたいですよ,と答えるに違いない。だけれども,場の空気というのは自ずと現れるもので,その空気を乱しては申しわけない。
 ということで,昨年は行かなかった。っていうか,ずっと行かないつもりでいた。

● のだが,今年は駒場祭の最終日にだけ,お邪魔させてもらうことにした。ケチ根性が勝った結果だ。
 それとね,若い学生たちの演奏には,他にはない清々しさっていうか,もっと伸びる芽が見えるっていうか,いわく言いがたい魅力がありますよね。自分が年をとったからいっそうそう思うのかもしれないんだけど。

● 駒場祭の企画の多彩さは目が眩むほどだけれども,ぼくは他のことには興味がない。東大にいくつかある学生オケの演奏を聴きたい。それだけだ。
 ちなみに,東大じゃなくてもいいんじゃないか,複数の学生オケがある大学は東大以外にもあるだろう,と言われるかもしれないんですけどね。なぜ東大か。その理由はひじょうに明解。ホームページなんですよ。
 栃木から行くんでね,事前に予定を立てておきたいわけです,大雑把にでもね。駒場祭のホームページは企画内容とかタイムテーブルをしっかりと出してくれるし,タイミングが早め早めで,その予定を立てやすいんですよ。他大学はこのあたりがわりと不充分なんだなぁ。

● 11:15からフィロムジカ交響楽団(実際には11:30の開演となった)。「今年フィロムジカに入団した初心者の多くがこの曲で初舞台を踏みます」とのこと。駒場祭の性格からして,それはそういうものなのだろうな,と。
 曲目は次の3曲。与えられる時間に限りがあるから,通常のコンサートよりも短めのラインナップになっている。
 グラズノフ 祝典序曲
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」
 チャイコフスキー 交響曲第5番(ただし,3楽章と4楽章のみ)

● なるほど幼顔の学生たちだった。けれど演奏も幼いかというと,そんなことはない。
 今年の秋はチャイコフスキーの5番を聴く機会が多い。もちろん,何度聴いてもOKだ。今日,この場所でしか聴けないものだから。それぞれの演奏が一期一会だから。
 14日に聴いたキエフ交響楽団の演奏をどうしても思いだしてしまう。あのとき,キエフ交響楽団の「ロミオとジュリエット」をぼくは凡庸だと感じた。が,盛りあげ方は巧い,と。
 だが,違った。楽譜どおりに弾いただけだったのだ。今回のフィロムジカの演奏も同じだったから,たぶんそうなのだろう。こんな初歩的な勘違いをわざわざ書くのもどうかと思うんだけど,ぼくの耳はどうもいけない。

● この楽団は東大以外の学生も参加しているけれど,多くは東大生。最近になってやっと東大コンプレックスというものから解き放たれたというか,どうでもいいじゃんと思えるようになった。
 ただ,素晴らしい勉強頭のほかに,演奏のたしなみまで持っているってのは,羨ましい。自分との落差を感じてしまう。時代の違いってのもあるんだろうけどね。

 会場である900番教室は2階席もあって,2階席の背後にはパイプオルガンも設置されている。音楽の演奏も考えて作られていると思われるんだけど,さすがに普通のホールと比べてしまえば見劣りがする。っていうか,比べてはいけないものだね。外の「祭」のざわめきも聞こえてくるし。
 が,その分,全体が小さいから,ステージとの距離は近くなる。音響などはさほど気にならない。そもそも大学祭での演奏会だって承知して聴いてるわけだから。

● 次は13:30から吹奏楽部の演奏。この吹奏楽部は多くが東大以外の学生。そのほとんどは女子。ざっくりいうと,非東大の大勢の女子と東大の少数の男子で構成されている。
 何が言いたいのかっていえば,東大男子が羨ましいぞ,と。

● 2年前の五月祭でも聴いたんだけど,巧いのかそうじゃないのかよくわからなかった(つまり,巧いとは思わなかったってことになりますか)。
 が,3曲目の「ジェラード・コン・カフェ」(真島俊夫作曲)を聴くに及んで,認識を新たにした。巧いです。すみませんでした。今まで気づかなくて。
 4曲目の「ヒロイック・サガ」(ジェイガー作曲)でさらにその感を深くした。聴いてよかったと思った。

● 最後は15時から音楽部管弦楽団。こちらも「毎年1,2年生を中心に結成された駒場オーケストラで駒場祭に臨みます。今年はドイツ系作曲家の以下3曲を演奏します。若さあふれるオーケストラの響きをお楽しみください!」とある。うん,まさにそのために来ているわけでね。
 こちらは次の3曲。
 ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲
 ニコライ 歌劇「ウィンザーと陽気な女房たち」序曲
 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

● たまげましたよ。1,2年生が演奏しても,ここまで完成度が高いってのは何事であるか。入部してくるのはその時点でかなりの腕の持ち主たちなのだろうと思うほかはない。ま,それをいうなら先のフィロムジカも同じだけれど。
 現実に目の前で演奏しているのを聴いているわけだから,それを認めるしかないんだけども,いや,それにしてもね。
 小器用というのでは全然ない。地力がある。本格的に巧い。こなすべきものはこなしている。では,大量に練習しているのかといえば,そうでもないような気がする。そのへんの凄さを感じるというか。

● ステージに段差がないので,1階席に座ると管の奏者は見えない。っていうか,手前のヴァイオリン奏者しか見えないんだけど,ヴァイオリンに関していうと男子がずっと多くて(ただし,コンサートマスターは女子),男っぽい感じの楽団だった。
 その男っぽい楽団が表現は女性的というか,繊細というか,艶っぽいというか,光沢があるというか。変な言い方で申しわけないんだけれども,細い指で背中をなぞられるような感じでゾクッとしたぞ。

● 今回は模擬店を出している学生たちにも声をかけてみた。もちろん,普通に対応してくれる。たいてい混んでいるから,話しこむってところまではいかないけれど,普通に素直ないい子たちだよね。当然っちゃ当然な感想だけど。
 こちらから「若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね」と壁を作ってしまってはいけなかったなと反省しました。
 演奏もそうだけれども,結局のところ,若い学生たちにエネルギーを分けてもらったってことになるんですかね。

2012.11.24 宇都宮シンフォニーオーケストラ秋季演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 一昨年,昨年と,この時期は「ベートーヴェン・チクルス」と銘打ってベートーヴェンの交響曲などを演奏してたんだけど,今年は「秋季演奏会」。別段,文句は何もないんだけどね。
 開演は午後5時。当日券(1,000円)で入場。
 会場前には文字どおりの長蛇の列ができていた。メインホールが8割以上は埋まった。盛況ですな。

● 曲目は次のとおり。
 ワーグナー 歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
 モーツァルト 交響曲第40番 ト短調
 ブラームス 交響曲第4番 ホ短調

● 演奏を聴きながらぼんやりと考えたことふたつ。
 ひとつは,自分でも楽器をやっているのでなければ,演奏を聴いていても気づけないことがたくさんあるだろうってこと。ところが,ぼくは楽器をいじれない。したがって,ぼくの鑑賞眼は盲点だらけのはずだ。その盲点を何とかしなきゃとは全然思わないんだけど,盲点があるってことはわきまえておいた方がいいよね。

● もうひとつは,客席のマナー。いえ,べつに今回のお客さんのマナーが悪かったってことではないんですよ。ぼんやりと考えただけです。
 ケータイの電源を切るとか,ホール内で飲食をしないとか,演奏中に出入りしないとか,フラッシュ撮影をしないってのはマナー以前の問題。ときに,演奏中の写真を掲載している鑑賞者のブログがあったりもするけれど,何を考えているのかと,ま,思うわけで。

● 客席のマナーはふたつしかないと思う。ひとつは拍手を惜しまないこと。上手だったから拍手をする,さほどでもなかったから拍手は控えめにするという小賢しいことをしないで,とにかく拍手を惜しまないこと。アマチュアオーケストラの場合はね。
 観客はステージの出来を判定する者であってもいいと思うけれど(判定する快感ってあるからね),それ以上に応援者であった方がいい。育てるっていうとおこがましいけどさ。けなすんじゃなくて,とにかくステージで演奏するところまで漕ぎつけた努力をねぎらおうじゃないか。
 それを拍手にこめる,と。オーケストラもおだてりゃ木に登る(かもしれない)。登ってくれれば,客席側にとっても利益になる。
 どこまで行っても,鑑賞している人よりも演奏している人の方が偉い。相互作用はもちろんあるにしても,究極は演奏あっての鑑賞だもんな。踊る阿呆と見る阿呆だったら,踊る阿呆が上。

● ふたつめ,小さなミスはおおめに見るってこと。上に書いたこととかぶるんだけどね。
 どの楽器でもミスると目立つ。特に管なんかだと演奏自体を止めちゃうんじゃないかと思わせるようなことになる。目立つから,ミスは鑑賞者が初心者であっても,たいてい気づくものだ。
 奏者はもちろんわかっている。わかっているんだから,いちいち指摘するには及ばない。そんなのはオーケストラの中の問題だ(オケの中でも,ここをあんまりいじってはいけないように思うけどね)。
 今回の演奏で小さなミスが目についたということではないから,念のため。

● ブラームスはぼくにとっては難解な作曲家のひとり。ブラームスが難解って何なんだよって言われるかもしれないんだけど,良さがよくわからないっていいますかね。もっと聴きこまないといけないのかもしれない。ブラームスでいいなと思うのはハンガリー舞曲しかなくて。
 こういう演奏会を機に,もっとCDも聴くように自分を持って行ければと思うんですけどね。

● エキストラの中に,ヴィオラの中川玲美子さんがいた。県北のモーツァルト合奏団を指導している人。
 ということで,入口で渡されたチラシの中にモーツァルト合奏団の演奏会の案内もあった。来年2月。バッハの「シャコンヌ」弦楽合奏版を演奏するらしい。

2012年11月19日月曜日

2012.11.18 宇都宮短期大学第46回彩音祭:東京藝術大学大学院弦楽五重奏団とのジョイントコンサート


宇都宮短期大学 須賀友正記念ホール

● 京都にも同じ名前のイベントがあるらしいけど,こちらは宇都宮短期大学の学園祭。
 宇短大には音楽科がある。たぶん,北関東の大学・短大で唯一の音楽科ではないかと思う(群馬県にもあったけど,解散することになっちゃったからね)。その音楽科が芸大院の学生を呼んでコンサートを開くというので,聴きに行った。

● 宇短大の音楽科,県内でも地味な存在かも。ぼくにしたって,今回が初めてだからね,学生たちの演奏を聴くのは。
 いろいろと活動はしているんだと思うんだけど,学外に公開しているのはこの彩音祭でのコンサートくらいか。他にもあるんだったら,ホームページで情報発信してもらえると嬉しいかなぁ。って,ぼくが見落としているだけかもしれないんだけど。

● 小さい短大だから,学園祭の規模も可愛らしいもの。模擬店で豚汁(200円)とミネストローネ(250円)を買った。これが昼食。昨夜はけっこう呑んでしまって,胃が大弱り。固形物は入りそうにない(朝は何も食べられなかった)。といって,スープを二杯も飲むと腹がガボガボした。
 味? 旨かったですよ。っていうか,こんなものじゃないですか。豚汁はもうちょっと具だくさんで,もうちょっとダシを効かせてもよかったかなぁと思いましたけど。作ってみなきゃわかんないでしょ。こういうのって,ね。

● 開演は12:30。須賀友正記念ホールは立派なホールで,小ぶりながら小規模のオーケストラは載せることができる。客席の勾配もほどよくて,快適に演奏を楽しめそうな感じ。
 まずは芸大側の五人でモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。ヴァイオリンの澤亜樹さん,どこかで見たことがある。帰宅後に確認したら,2009年9月に那須野が原ハーモニーホールで開催された「ハイドン没後200年記念コンサート」に出演していたのだった。
 あのときはかすかにあどけなさを残していたと記憶しているのだが,今は立派な淑女。この時期の若者の成長の速さってのはなぁ。三日会わざれば刮目して待つべしってのは,男子に限ったことではないな。

● 次は,宇短大の卒業生であるオーボエの原田梨沙さんが加わって,バッハの「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調」。原田さん,若干,緊張があったか。
 今回,最も印象に残ったのがこの曲。こういう演奏を聴くと,バッハも聴かなきゃなぁと思わされる。家でBGM代わりに流しておく曲っていうと,バロックって人がわりと多いのかもしれない。ぼくはベートーヴェンは普通に聴けるんだけど,バロックを聴くときには腹に力を入れないとダメ。

● 3曲目はシューベルトの「ピアノ五重奏曲 イ長調」。ただし,1~4楽章だけで,5楽章はなし。ピアノは宇短大の学生が楽章ごとに交代して担当。
 最後に4楽章を担当した小堺香菜子さんの演奏がよかった。技術云々ではなくて,芸大院生を相手にぜんぜん臆していない感じがね。そうでなきゃいけない。

● 次は宇短大で准教授を務める崎谷直さんがフルートで参加。モーツァルトの「フルート四重奏曲 ニ長調」。
 熟練の技というんでしょうねぇ。安心して聴いていられる。身を任せてボーッと聴いていればいいっていう。

● 最後はピアノに宇短大生の中莖美晴さんが加わって,ピアソラの「リベルタンゴ」で盛りあげた。さらに,出演者全員で盛りあげるというサービスぶり。
 というわけで,休憩を含めて1時間半の充実したコンサート。

● 2日前に宇都宮市文化会館にいた車いすの女の子を思いだした。文化会館ではなく,このコンサートに連れてくればよかったのに。彼女も落ち着いて聴いていられたろうに。言っても詮ないことだけれども。

2012.11.17 栃木フィルハーモニー交響楽団第41回定期演奏会

栃木市栃木文化会館大ホール

● 栃木フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴きに行った。栃木県内のアマチュアオーケストラはこれですべて一度は聴いたことになる。
 県北人にとって県南はなじみが薄い。宇都宮の南は東京っていう感じだからね。県南人にとっては,宇都宮の北は,何もないところにまばらに人が住んでいるっていうイメージかもしれないね。

● ともあれ,栃木フィルハーモニー交響楽団。楽団のホームページには「1971年に栃木南中学校のオーケストラクラブのOB達によって創設され」,「それぞれの生活を乱さない範囲での活動で,週一回(月曜日)の練習と年一回(9月)の合宿,年一回(11月)の演奏会が活動のすべて」だとある。
 週一で練習し,合宿もやって,年に一度,その成果を披露する。たいしたもんですよ。それを40年も継続しているわけだからね。
 他のオケとかけ持ちしている人もいるに違いない。家庭や仕事を持ちながらだからねぇ。時間のやりくりとかどうしてるんだろうか。
 団員によって温度差もマチマチだろうから,軋轢や離合集散もいろいろあって,立場によっては辛い思いをすることもあるのだろうと,部外者は気楽に予想するんだけど,ともあれ,それが40年続いているというところに価値がある。

● 開演は18時30分。チケットは1,200円(前売券は1,000円)。当日券で入場した。
 曲目はブラームスの「大学祝典序曲」と「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調」,ドヴォルザークの「交響曲第9番 ホ短調」。

● 「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」のソリストは,小山啓久さん(ヴァイオリン)と谷口宏樹さん(チェロ)。ふたりとも東京音大の卒業で,磯部周平室内合奏団のメンバー。
 小山さんの立ち姿がサマになってましたねぇ。格好よかった。

● ドヴォルザークの9番も聴きごたえがあった。フルートもオーボエもクラリネットも,一番奏者の上手さは特筆もの。それから,ティンパニも的確で。
 副指揮者も務める神永さんがオーボエのすみっこにいたけれども,彼はちょっと特別ね。そういう特別な人がほかにもいたかもしれない。

● ちゃんとここまでの演奏をするアマチュアオーケストラがここにもあったんだなぁ,と。
 栃木県内だと,栃響のほかに,那須フィル鹿沼フィル宇都宮シンフォニーオーケストラ真岡市民交響楽団野木交響楽団足利市民交響楽団,そして今回の栃木フィル(あと,古河フィルは本拠地は茨城県だけれども,演奏会はずっと栃木県でやっているので,ぼく的には古河フィルも栃木県のオーケストラだと思っている)。これだけの市民オケがあって,それぞれ活動し,演奏会もやってるっていうのが,不思議に思えてきたりも。
 演奏する側の人がこんなにいるのかっていうね。これって栃木県に限ったことではないわけだから,考えてみたらすごい話ですよ。日本ほどアマオケの活動がさかんな国はないって聞いたことがあるんだけども,なるほどそうかと思いますね。

● 終演後,指揮者の大浦さんと団長たちがお客さんを見送るために会場の出口に整列していた。面映ゆいですな。
 アンコールが終わったあとの,団員総礼?で客席への挨拶は完結していると思うんだけど,サービス精神なんでしょうねぇ。

● たまにしか来ないホールでは,催事告知のチラシを見るのが楽しみのひとつ。ここ栃木文化会館だと,高崎や桐生,館林で開催されるコンサートのチラシが多い。もちろん,宇都宮のもあるけれど。
 そうか,ここではこんなことをやっているのかっていうね。その中で実際に行ってみたものはまだない(と思う)んだけど,そのうち,そんなのに巡り逢うかもしれない。なくても,チラシを見ていくだけでもけっこう楽しいものですよ。

2012.11.16 栃響チェンバーオーケストラ演奏会

宇都宮市文化会館小ホール

● チェンバーオーケストラとは室内管弦楽団のことですね。小編成のオーケストラ。栃木県交響楽団がチェンバーオーケストラを編成して演奏会を催すのって,今回が初めてなのか今までにもあったのか。この情報は栃響のホームページにも出てこない。これからも継続的に演奏会をやっていくのかどうかもわからない。
 ただね,栃響って年2回の定演のほかに,9月の特別演奏会(前年度のコンセール・マロニエの第1位入賞者をソリストに迎えて開催)と年末の「第九」が定番になっている。今年は「椿姫」もあった。
 アマチュアオーケストラとしては限界に近い(ひょっとすると限界を超えている)演奏回数になっているからね,今回の演奏会は単発と考えておくべきでしょうね。

● っていうか,単発ですね。この行事は,宇都宮市文化会館を運営する「うつのみや文化創造財団」の自主事業のひとつである「ムジカストリートシリーズ」の4回目の催事になる。
 「ムジカストリートシリーズ」とは何かといえば,同財団の事業計画書では「学校及び市内に活動拠点を置く文化団体等と連携し,芸術文化の担い手を育成する事業」のひとつとして位置づけられているのだが,つまるところ,よくわからない。
 ただ,「ムジカストリートシリーズ」として栃響チェンバーオーケストラが演奏するのは今回が初めてだ。中身は毎回変わっているらしい。

● 同財団の理事長を務める臼井佳子さんが「総合司会」。観客代表として指揮者の荻町修さんに質問を投げかけるという形で進行したのだけれども,その臼井さんによれば,この催しはクラシック音楽ファンの裾野を広げるためのものとのことだった。

● ま,そういうことはどうであれ,ぼくとしては地元で生の演奏を聴ける機会が増えることは,単純にありがたい。
 開演は19時。チケットは1,000円。当日券もあるに違いないけど,事前に購入しておいた。
 曲目は次のとおり。
 モーツァルト ディヴェルティメント K-136
 モーツァルト フルートとハープのための協奏曲 ハ長調
 ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」

● モーツァルトの2曲は室内管弦楽でいいとして,ベートーヴェンの5番を小編成で演奏するとどんな感じになるのか。それを確かめてみたかった。
 が,これは問題になりませんでした。5番の演奏はチェンバーという枠には収まらない程度の編成になったのでね。普通に交響曲を演奏できるだけの陣容だった。

● 荻町さんによれば,N響が観客の拍手を問題にしているらしい。要するに,拍手が早すぎるということ。曲によっては終曲後もしばらく静かにしていたいときがある。けれども,終わるか終わらないかのうちに拍手が起こる。あるいはブラボーの声が飛ぶ。
 大きな拍手は嬉しいけれども,早い拍手は嬉しくない,指揮者が客席の方を向いてから拍手をしても遅くはない,と。
 同感ですね。これは客席にいてもしばしば感じることで,何とかならないのかと思うことがある。

● フルートとハープのための協奏曲のソリストは,梶彩乃さん(ハープ)と川村尚巳さん(フルート)。梶さんは芸大院の学生で,川村さんは栃響のメンバー。
 プログラムにはそう紹介されているんだけれど,栃響にこんなに上手で美人のフルート吹きがいたっけ。ぜんぜん気づかなかったぞ。
 っていうか,この後,ベートーヴェンの5番では,川村さん,着替えて奏者の列に加わったんだけども,それが彼女だと納得するのにしばらく時間を要した。なぜなら髪型が変わってたから。

● 前の方に車いすの女の子がいた。4,5歳だろうか。彼女は別の障害も持っているようで,ときどき,アーッという声を発する。母親とおぼしき女性ともうひとりが付き添っていた。その様子がとてもほほ笑ましくて,演奏の途中で彼女が声をだしてもOKだなと思った。
 けれども,「運命」になると彼女の様相が変わってきた。彼女には音圧が強すぎるのだろう。音量と音質に耐えられないのだろうと思われた。何度も声を出そうとして,その都度,ハンカチで口を押さえられる。
 障害者だろうと健常者だろうと,4,5歳の子どもに「運命」の生演奏を聴かせるのは過酷だ。まさか音楽療法になると思っていたわけではないと思うのだが,もしそうだとすれば,無知はときに犯罪である。
 っていうほど深刻な状況ではなかったと思うんだけど,彼女の様子は拷問に耐えているがごとくに思われた。「運命」の演奏が早く終わってくれればいいと,ぼくは思った。

2012年11月15日木曜日

2012.11.14 華麗なるロシア音楽-キエフ国立交響楽団

栃木県総合文化センター メインホール

● 今年,栃木県総合文化センターに来る海外オーケストラ3つの最後が,キエフ国立交響楽団。開演は18時30分。S席チケットを購入していた。5,000円。

● 主催者のホームページには,「大作曲家ショスターコーヴィチを驚嘆せしめたオーケストラの美しい響きをご堪能ください」とある。
 S席を取ったくらいだから,当然,こちらの期待は高い。言われるまでもなく,「堪能」したい。しかし,この楽団の演奏はCDでも聴いたことがないし,ぼくにはまったくの未知数。あまり期待が過ぎて,聴いたあとにモヤモヤ感が残るのもイヤだしなと思ったり。

● S席で5,000円だから,国内のプロオケのチケットと金額は違わない。そう考えると,海外オケだからといって構えたり過剰に期待するのも変なものだけれども,どうしても期待しちゃうんですよね。
 栃木県に住んでいると,海外オーケストラの演奏を聴ける機会ってそうはないからね(12月に小山市立文化センターでモスク・フィルハーモニー交響楽団の演奏会があるから,今年はぜんぶで4つか)。

● たとえ公営のホールであっても,コンサートに出かけるときは,それなりの格好で行くのが,演奏者に対する礼儀だと思う。思うんだけれども,ぼくはこの辺がまったくダメで,たいていは普段着で行く。
 今日は平日だ,昼間は仕事をしてたんだろ,それならネクタイ着用で上着くらいは着てたんだろ,と言われるかもしれないのだが,ネクタイは1本だけ職場に置いて,通勤はノーネクタイで通している。上着もしかり。ブレザーを一着,職場のロッカーに入れてあるが,通勤は今の季節ならユニクロのフリースだ。なぜならその方が楽だから。要するに,お洒落マインドというものがない。ズボラといってもいいし,だらしがないといってもいい。
 しかし,この日は頑張った。下はユニクロのチノパンだけれども,ネクタイをして上着を着ていった。ホールの品格を下げては申しわけないからな。
 が,普段着で行っても,別段浮くこともなかったようだ。

● 平日の夜の演奏。ビジネスマンなら普通に仕事をしている時間だ。なかなか時間の都合がつかない人も多いと思う。
 それだけが理由ではないだろうけれども,空席が目立った。1階の右翼席,左翼席と2階席はガラガラ。ぼくはそのガラガラの1階左翼席を取っていたので,ゆっくり聴くことができたんだけど,もうちょっと埋まって欲しかったかなぁ。

● 指揮者のヴォロディーミル・シレンコがにこやかに登場。さぁ,見せてもらうぞ,スラヴ魂。
 曲目は次のとおり。
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 「ロメオとジュリエット」は縦笛から始まる。
 あれっ,普通じゃん。ありていにいえば,凡庸じゃん。
 管で唯一の女性奏者だったフルート奏者のブロンドの髪と透きとおるような白い肌,けれども勝ち気そうな顔だちの方が印象に残ってしまった。勝ち気そうな顔って嫌いじゃないもので。
 っていうか,そういう問題じゃないね。チケットはたかだか5,000円だ。ひと晩呑んだら,こんな金額じゃすまない。それを思えばこの演奏は金額だけの価値は充分にある。それを何度か自分に言い聞かせなければならなかった。
 盛りあげ方は巧い。盛りあがるところはガーッと行く。でも,それだけ。疲れているのか。遊び半分で流しているのか。俺たちが本気だしたらこんなものじゃないんだぜ,というんだったらいいんだけれど。

● ラフマニノフのピアノ協奏曲に移っても印象は同じ。ステージと客席の間に薄い膜がかかっているような感じ。ひょっとすると,ぼくが勝手に作ったなのかもしれないけど。
 ピアノはウラジーミル・ミシュク。ガタイがあるので,彼が座るとピアノが小さく見えた。指も太い。その太い指が繊細に鍵盤上を行き来する。ぼくの席からはそれがよく見えた。

● 15分の休憩の後,チャイコフスキーの5番。この曲も木管から始まる。
 あれっ,さっきと違うじゃん。違うぞ,さっきと。何でだ,どうしてだ。
 ステージから伝わってくるオーラが違うっていいますか,曲にのめり込んでいる度合いが違うっていいますか,休憩前のと同じオーケストラとは思えなかった。
 曲の持つ力がオーケストラをそうさせるのか。それはあるにしても,それだけでは腑に落ちない。この落差は何なのか。ぼくの耳がよほどおかしいのか。

● 終曲まで一気呵成。すごい集中力。息もつかせないほどにピーンと張りつめた演奏。「堪能」した。脱帽。
 たぶん,同じように感じたのはぼくだけじゃない。客席の拍手がそれを表していた。前二回の拍手とは拍手の濃度が違っていたような気がする。曲の持つ力はある。拍手を呼びやすい曲って当然あるんだけれども,演奏が素晴らしかったことに客席が素直に反応した結果だと考えた方が得心がいく。

● アンコール曲もまた同じ。チャイコフスキーの「道化師のダンス」とミロスラフ・スコリクの「メロディ」を演奏してくれた。迫力充分。客席をガッと掴んで引きずりこむような感じ。
 文句あるかと言われれば,まったく,一切何も,文句のない演奏。

● セカンドヴァイオリンの二列目の女性奏者二人がきれいだったなぁ。ひとりは典型的なスラヴ美人。もうひとりは中南米から来たと思われる精悍な感じの乙女。たぶん,ベネズエラかなぁ。それがウクライナの楽団に入って,日本に演奏に来る。世界をまたにかけて活躍。格好いい。
 そんなことにも前半では気づかなかった。いい演奏を聴けて目の保養もできて,いやいや5,000円は安かった。
 ただし,ひとつだけコンマスに苦言を呈したい。ステージに立つときは,もっと長いソックスをはきなさい。脛毛は見たくないからね。

● プログラムに今回の来日公演のスケジュールが載っている。10,11日は千葉,13日は仙台,14日が栃木で15日が東京(武蔵野市),16日が再び千葉,17日が東京(オペラシティ),18日が大阪。こんなものなんだろうな,たいてい。でも,時差もあれば長旅の疲れもあるもんな。
 もっと大変だと思うのは,プロモーターの光藍社。今回の来日コンサートのチケットは3,000~7,500円。栃木は5,000円だけれど,これだけでやれるはずはないと思うので,おそらく主催者の「とちぎ未来づくり財団」もお金を出しているに違いない。そうであっても,はたしてプロモーターの儲けがどの程度出るものなのか。
 ま,事情を知らない素人の推測だ。ひょっとすると,それなりに旨味があるのかもしれないけれど,プロモーターがポシャってしまっては,催行じたいが叶わなくなる。
 かといって,そんなにお金は出せないんだけどさ。

2012年11月12日月曜日

2012.11.11 第66回栃木県芸術祭 バレエ合同公演


栃木県総合文化センター メインホール

● 県芸術祭のバレエ公演。開演は13時30分。入場無料。
 栃木県洋舞連盟という名前の団体があって,そこが県芸術祭のバレエ部門をいわば請け負っているようだ。洋舞連盟とは何者かといえば,栃木県内にあるバレエ学校の連合体。

● が,そんなことはどうでもいいですよね。ぼくらはバレエを観に来た。バレエを観て,すごいなぁ,きれいだなぁ,と驚きたい。ステージでどんなダンスを見せてくれるのか。それがすべて。

● まずは「ダンスセンターセレニテ」の生徒さんたちのダンス。ソロの「笑う風」から始まって5つのダンスを披露。創作ダンスってことになるんですか。
 いずれも見事な動き。刻々と変わっていくラインも見応えがありましたね。
 ただですね,創作ダンスっていうのは,絵画でいえば抽象画のようなものなのですかねぇ,どこを鑑賞すればいいのかがよくわからないんですよ。身体能力の高さが生みだす動きを,すげえやと思って観てればいいんだろうか。それとも,演出者が何を表現したいのか,そのテーマを感じるという心構えで観た方がいいんでしょうか。
 要するに,難解なんですね。ぼくが勝手に難解にしちゃってるだけなのかもしれないんだけどね。

● 次は「みどりバレエスタジオ」。
 最後のふたつのソロ(「白鳥の湖」より パ・ド・トロワ 第1ヴァリエーション,「眠れる森の美女」より フロリナ王女のヴァリエーション)の印象が強くて,最初の「謝肉祭」の記憶がおぼろになってしまった。
 魅せてくれますよね。当然,相当に鍛錬しているんだろうけど,ステージで表現するときには,その鍛錬の跡を消さなければならない。消せてるもんなぁ。軽々とやってるように見える。

● 着地がぐらついたぞとか,中心がちょっとずれたなとか,そういう審査員(いじわる爺さん)的見方をしてしまうこともあるんだけど,そんな見方をしているのは,見る方が未熟なんでしょうね。
 公園に行ってわざわざ落ちているゴミを探して,それだけを見て帰ってくるようなものだ。阿呆としか言いようがない。そうならないようにしないとね。

● 15分間の休憩の後に,「髙久舞バレエスタジオ」。
 「デフィレ」,見応えあり。ダンサーのレベルが高い。恐れ入りましたって感じ。
 けど,印象に残ったのは「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の方でした。有名なモーツァルトのセレナード第13番にどんなダンスを合わせてくるのか。この曲に合わせて踊るって,難しくないですか。素人考えですけどね。どこで入るのか,どこで変えるのか,けっこう合わせづらいような気がする(そんなこともない?)。
 それに対するひとつの解答を見せてもらったってことですね。

● 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とは小さな夜の音楽,文字どおりの小夜曲ってことだけど,1楽章には弾むような明るさがある。ねぇねぇ,これから楽しくお喋りしましょうよ,っていう。2楽章は落ち着いた幸福感が漂う。しかもかなり上品な。
 ぼくなんぞは,夜はメシ喰って風呂入ってテレビ見て寝るだけなんだけど,モーツァルトが描いた夜は貴族の夜だもんな。働かなくても喰えていた特権階級の人たちの夜。早起きなんかする必要ないから,夜を長く過ごせたんだろうね。
 その曲をダンスと一緒に味わえるのは,当時の貴族以上の贅沢だよねぇ。ま,貴族たちは大きなホールじゃなくて,自分の家でそういうことをしてたんだろうけどさ。

● 最後は「クラシカルバレエアカデミーS.O.U.」。
 演しものは「Bersagliere」「Sing Sing Sing」「ナポリ」の3つ。いずれも8月の発表会で観させてもらっている。が,3ヶ月以上も前のことで,細部は憶えていない。したがって,初めて観るような新鮮さで観れるわけですね。

● 8月のこの団体の発表会がぼくのバレエ開眼になった。バレエを観ることの楽しさ,面白さを教えてもらったと思っている。
 じつはその前に,ロシア国立サンクトペテルブルグ・アカデミー・バレエの「白鳥の湖」公演を観てるんですよ。でも,そのときはあまりピンと来なかったんだよねぇ。
 高級すぎたのかもしれないけれど,それ以前に,こちらの受入れ準備がまったくできていなかったんでしょうね。真珠を与えられた豚のようなものだったってことね。バレエなんて自分には無縁のものだと思っちゃいましたからね。
 それを修正する機会を得たのは,じつにどうもラッキーだった。これほどきれいなものを観ないままで死んでいったかもしれないんだからさ。

● で,あらためて3つのダンスを観て,いいものだなぁ,と。水準高いですよね。これだけの数をこれだけのレベルで揃えられるということが,言うならひとつの驚き。

● 最後のあとに,特別サービスっていうか,「全国バレエコンクール入賞者によるエキシビション」があった。
 4人登場。本橋周子さんの印象が強い。ソロのモダンダンス。高く跳び,ピタッと停まり,不安定な姿勢を維持する。それを支えるものを身体能力と呼ぶとすると,彼女の身体能力は相当なもので,要は選ばれた人にしかできないダンス。しかも,今の彼女にしかできないはずのもの。

● 芸術っていうけれど,すべての芸術の起源はエンタテインメントのはずだ。芸術は娯楽成分を持つ。その成分が皆無のものは消滅するしかない。
 だから,鑑賞者として芸術なるものに向かう場合,「勉強」するという姿勢だけでは辛すぎる。っていうか,それじゃ芸術とはつきあえない。楽しむという下世話な部分がないと。そのためには,芸術なるものに対して,どこかでタカを括っていないといけないような気がする。
 でも,同時に,自分にはとうていできないというものじゃないとね。自分にもできそうなものにかかずらうのは時間の無駄だもん。
 4人のステージを観ながら,そんなことをぼんやり考えていた。終演は16時。幸せな2時間半でしたね。

● 一階席はかなり埋まっていた。子供たちが多数出演するから,親や家族,親戚が集まる。鉄板の客層がいるってことだよね。
 ということはつまり,乳幼児も付いてくるというわけで,泣き声やママ,ママって声が絶えないことをも意味する。さすがに誰かが主催者に苦情を申したてたようだ。後半が始まる前に,「小さなお子さまをお連れの方」に対して,泣いているときはロビーで休ませてくださいとアナウンスしてたから。
 しかし,それで止むほとヤワじゃないわけでね。そういうものだと諦めてしまえば,さほど気にもならなくなる。

2012年11月5日月曜日

2012.11.04 宇都宮バレエスクール第15回発表会


宇都宮市文化会館大ホール

● 今年の夏からいくつかバレエ公演を見る機会があって,バレエの面白さ(観る側にとっての)が少しわかってきたような気がしている。理解するというより感じるものなのでしょうけどね。

● で,たまたま宇都宮バレエスクールの発表会があるのを見つけたので,観に行ってみた。開演は午後6時。入場無料。プログラムは別売で500円。

● 中身は「くるみ割り人形」全幕。
 クララ役の女の子が印象に残った。たぶん小学生だと思う。少女真っ盛り。といっても,大人の芽を内包してて,そこの塩梅が絶妙というか。危ういほどの均衡が醸しだす美というものを感じさせるというか。
 神聖にして犯すべからずという感じだし,一方で得も言われぬセクシーさを漂わせているというね。
 トーマス・マンの『ヴェニスに死す』に出てくる美少年は,ひょっとしたらこんな感じだったのか。違うな。あれとはまた別だ。

● 第2幕では,次々に繰りだされる踊りを彼女が観ているという設定なんだけど,観ている彼女をぼくはずっと観ていたことを,ここに告白します。

2012.11.04 第66回栃木県芸術祭邦楽部 三曲演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 邦楽に関しては,大げさにいうと,先月7日に宇都宮市文化会館で聴いた「第8回学生邦楽フェスティバル」が画期になった感じ。古くさいとか,後ろ向きとか,地味とか,年寄りっぽいとか,世襲とか,何の根拠もなく持っていたそうした固定観念を払拭できたと思っている。
 考えてみれば(考えるまでもなく),箏や尺八を演奏する人たちは,面白いから,興味深いから,楽しいから,やってきたはず。いやいややっているのであれば,いくらやったところで,すぐに天井にぶつかるだろうし,第一,長く続けることなんてできないだろう。

● というわけで,今回の県芸術祭の邦楽も覗いてみる気になった。開演は午前10時20分。チケットは1,000円。当日券を購入。
 終演は午後3時半になった。その間,休憩なし。もちろん,昼休みもなし。ぼくも昼食抜きでつきあった。一度だけ,トイレに行かせてもらったけど。

● 県内にある演奏団体が総出演したのだろうと思う。それぞれの団体の発表会のようなもの。もちろん,ひとりで複数の団体に所属している場合もあるから,何度も登場する人がいる。尺八に多かったようだ。

● 曲目は全部で18曲。トップバッターは双調会栃木県支部。「八千代獅子」を演奏。箏の奏者の中に若い男性が一人いた。その彼の姿勢がきれいでうっとりした。

● 4番目に登場したのが沢井箏曲院宇都宮研究会。先月の「第8回学生邦楽フェスティバル」のときと同じメンバーが同じ「石橋」(しゃっきょう)を演奏。垢抜けているという言い方は変なんだけど,泥くさくないっていうか,軽いっていうか,不純物がないっていうか,そんな感じね。って,どんな感じなんだ?
 司会者がメンバーの全員が芸大邦楽科の卒業生か現役生だと紹介していた。

● 5番目に登場したのは坂本玉宏会。江戸信吾さんが作曲した「虹の彼方に」を演奏。ひたすら典雅。
 作曲した江戸さんも演奏の列に加わった。その江戸さん,坂本玉宏会の家元に就任し,就任披露の演奏会を東京の日経ホールで開催するそうだ。
 この世界にも家元があることを,恥ずかしながら初めて知った。正確には,家元という言葉がある,あるいは家元という言葉を使っている,ということですかね。

● 8番目に再び,沢井箏曲院宇都宮研究会。沢井忠夫作曲「独奏箏と箏群のための詩」。
 度肝を抜かれるほどにダイナミックな曲。前衛的と言っていいんでしょうか。西洋のクラシック音楽でいう幻想曲のような印象をぼくは受けた。箏の奏法のほぼすべてを見せてくれたのではないかと思えた(いえいえ,ほんの一部ですよ,って言われるのかもしれないけど)。
 司会者が主宰者である和久さんのエピソードを紹介した。沢井さんの内弟子を経験したこと。料理しながらも本を読んで勉強していたこと。そこまでやらなくても,いつ寝るのか,と周囲に言わしめたこと。芸大を受験する弟子を自宅に泊めて指導すること。熱い人なんだね。

● 最後(18番目)は三曲協会の役員が,福田蘭童作曲の「夕暮幻想曲」と「笛吹童子」を演奏。福田蘭童は芳賀町ゆかりの人。名前くらいはぼくも聞いたことがある。が,何をした人なのかってのは,今回初めて知るに及んだ。

● どの団体も礼の仕方が美しいのはさすが。胸をせりだすようにしながら腰を折ると,きれいに見えるのかなぁ。
 箏をやってる人って,茶道とか華道の心得も普通に持っているものなのか。初歩的な質問で申しわけないけれど,機会があったら訊ねてみたい。

2012.11.03 東京フィルハーモニー交響楽団演奏会 vol.3

宇都宮市文化会館大ホール

● 恒例になった感のある宇都宮市文化会館での東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会。わざわざ東京に出向かなくてすむだけでもありがたいというものだ。
 開演は午後3時半。財布と相談してB席にした。2千円。B席でも2階席の前の方の中央。まずまず文句はない。

● 今回はオールチャイコフスキー・プログラム。
 イタリア奇想曲
 ヴァイオリン協奏曲 二長調
 交響曲第4番 へ長調

● 指揮は大井剛史さん。地元出身者っていう身びいきもあるのかもしれないんだけど,大井さんの指揮ぶりを見るのも楽しみのひとつ。
 オケにも茶目っ気を振りまいている感あり。オケとの関係も良好なのではあるまいか。大事なことですよね,これ。
 指揮者である以上,言うべきことは言っているはず。言うべきことを言えるためにも,オケとの関係を良好に保っておくことは重要でしょ。もちろん,それだけじゃいけないんだろうけど。

● ヴァイオリン協奏曲は「ノダメ」で認知度があがったのかもしれないけれど,ノダメ効果なんてのは瞬間的なものだろうね。もともと超メジャーな曲だし。
 ソリストは川久保賜紀さん。彼女が出るからこの演奏会を聴きに来たって人も多いかもしれない。
 バーガンディのドレス。長い髪をカチューシャでおさえて登場。遠くからでも美しさがわかる。あまり外見のことを言われるのは,たとえほめられている場合であっても,いい気分はしないものかもしれないけれど。
 ステージに立つ以上,外見を整えることに手を抜くのは論外。そんなことは百も承知,二百も合点のはずで,一切手抜きなしの外見で登場されると,こちらとしてはひれ伏すしかないというありがたい状況になる,と。
 圧倒的な拍手でアンコール。フリッツ・クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」から「スケルツォ」を。

● 交響曲第4番にも満足。アンコールも当然ながらチャイコフスキー。「白鳥の湖」の「ワルツ」。
 6月に聴いたベルリン交響楽団の演奏を思いだしていた。あのときのベルリン交響楽団の演奏より,今聴いている東京フィルの方が巧いよなぁと思ってたんですね(曲目は違うんだけどね)。
 技術はともかくとしても,活きがいいというか躍動感があるというか。あのときはこちらの期待が大きすぎたのかもしれないし,団員がたまたま不調だったのかもしれないんだけど(そもそも,ぼくの耳がおかしいということも考えられる)。でも,けっこうな有意差で今回の東京フィルの方がいいな,と。

● クラシック音楽はヨーロッパで生まれているから,舶来信仰から自由になりにくいところがある。向こうが上で,こちらは合わないサイズの洋服を無理に着ているのじゃないか,みたいな。
 しかし,これだけ地球が狭くなって行き来が自由にできるようになり,インターネットまで登場しているのに,舶来などと考えることじたいが時代錯誤なのかもしれないなぁ。
 音楽は世界共通語だから,洋の東西を問わず,また今昔を問わず,普遍的に誰にでも一様に通じるはずだとは,さすがに思わないけれども。

2012年11月4日日曜日

2012.11.02 青森山田中学・高等学校ミュージカル「楢山節考」


栃木県総合文化センター サブホール

● 青森山田中学高等学校演劇部の宇都宮公演。今月23日に「リンクステーションホール青森」で行われる公演の,今回は総合リハーサルも兼ねてのものか。
 開演は午後4時。入場無料。

● 受付で名前と連絡先を書く。結婚披露宴に来たようだ。プログラムも何も渡されなかったので,そういうものかと思って(無料だしな)会場に入って空席を探した。が,空きがない。すべての席に荷物が置かれている。どうしたものかとウロウロした。
 が,その荷物がみな同じもの。どうやらプログラムもその中に入れて,あらかじめ客席に置いておいたようだ。

● 招待者席もあったのだが,サブホールがほぼ埋まっていた。平日の午後4時からの公演でこれだけ入ればたいしたものだ。
 今回の公演にはNPO法人日本ケアフィットサービス協会ってのが噛んでいたようで,公演前にそこが主催したシンポジウムがあった。それに参加した人たちがこちらにも来ていたろう。

● プログラムには「青森山田版ミュージカル」とある。吹奏楽が舞台下にスタンバっていたし,ダンスシーンや歌うシーンも多かったから,ミュージカルと言われればそうかなと思うんだけど,印象としては純粋演劇に近いもの。
 という印象になったのは,主役のおりん婆さんの存在感が圧倒的だったからだ。発声も動作もじつにリアル。役と演技者の間に隙間がない。役に没入する集中力もハンパない。これだけは生徒じゃなく,セミプロを持ってきたのだなと思っていた。
 のだが,彼女も生徒なのだった。嘘だろっと思いましたね。今でも,あのおりん婆さんを高校生が演じていたってことが,なかなか腑に落ちてこない。

● 多くの生徒たちにとっては,やりたいのは演技よりダンスなのかなぁ。ざっくり言うとモダンダンスってことになるんだと思うんだけど,動きに切れがあって,きちんと鑑賞に耐えるダンスになっていた。身体能力の高い子が多い。

● 発声も鍛えられている感じ。冒頭の舞台口上も,山入り前夜に辰平に作法を指南するところも,聴きごたえがあった。お見事。

● それと簡潔極まる舞台デザインも好印象。ひとつの台が家にもなりお山にもなる。日本の演劇はこうじゃないとね,とぼくなどは思ってしまう。
 あと,プログラムの表紙の絵。舞台を観たあとにこの絵をながめていると,しみじみしてくる。ずっとながめていられる。

● 終演後に,生徒たちが整列して観客を見送るのだが,そのときに生徒たちが発散しているエネルギーに圧倒された。ぼくにはそのエネルギーを受けとめることができなくて,そそくさと通過してしまった。申しわけないことだ。
 泣いている子もいた。ここまで投入した時間と労力。それをこの2時間で出しきった。いかばかりの達成感であることか(ただし,ここは泣いていい局面ではないと思うぞ。まだ本番が残っているじゃないか)。
 あとは23日の地元での公演。成功を疑わないね。

● ちなみに,おりん婆さんを演じていたのが生徒だったことに気づいたのは,ここに彼女も並んでいたからだ。そのときの驚きときたら。

2012年10月29日月曜日

2012.10.28 足利市民交響楽団創立60周年記念定期演奏会

足利市民会館大ホール

● 栃木県で最も風格のある落ち着いた街をあげろと言われれば,ぼくならまず足利を推す。街としての風格と落ち着きにおいて,宇都宮など足利にはるかに及ばない。
 足利には世界に冠たる足利学校があった。真言密教の名刹にして足利氏の氏寺でもある鑁阿寺がある。妙なる調べの織姫神社がある。気持ちを伸びやかにさせる渡良瀬川がある。
 なにがある,かにがあるという以前に,地形がたおやかなのだ。古都の風情と言おうか。足利織物の長き伝統も,足利の空気を独特たらしめている要因かもしれない。
 街がコンパクトで歩いていて楽しい。森高千里は良いところを見つけたものだ。

● もうひとつ,足利が莞爾として誇ってよいことがある。食文化が洗練されているのだ。おしなべていうと,県南の栃木~佐野~足利ラインは,美味しい食べものをだすお店が多いような気がしている(栃木県ではね)。両毛文化圏の特色のひとつというべきだろう。
 佐野はラーメンが有名だ。実際,佐野ラーメンは旨いとぼくも思っている。どこで食べても大きくはずれることはない。何といっても,あの麺ね。素晴らしい。
 それとの対比でいえば,足利は蕎麦が旨い。が,蕎麦に限らない。たいていのものが旨い。これまた,どのお店に入っても大きくはずれることはない。
 これは不思議である。食文化の底が高いといってしまえばそれで終わるのだが,なぜ底が高いのか,ぼくには皆目わからないのである。

● 行くたびにこの街に魅了される。けれども,かすかな違和感も覚える。ここは栃木県なのか。
 まず言葉が違う。U字工事が使っているような栃木弁は足利にはない。プライドの高さを感じる。よそ者を受け入れないような感じ。
 栃木のほとんどは農民が生活を営んでいたところなのに対して,足利だけは職人と商人の街だったのか。農民の末裔であるぼくは,商人の末裔である足利市民に対して,大いなるコンプレックスを持ってしまっているのかもしれない。

● しかぁし,いい大人(っていうか老人)がいつまでもそういうことではいかんじゃないか。ぼくだって,そうは思っているのである。
 そのための一番いい方法は,足利に住んでしまうことだ。足利って上に書いたとおりの街だし,東京に出るにも便利だ。宇都宮からだと東京まで新幹線で1時間。足利だったら東武特急で同じく1時間。しかし,運賃は新幹線の半分以下ですむ。便利なところなのだ。
 しかし,それは叶わぬこと。

● 次善の策は,とにかくしばしば訪れること。足利のいろんなところにヒッカカリを作ることだ。足利って東京よりも遠いところなんだけどね。もちろん心理的にはってことだけど。
 でも,まぁ,そんなことばかり言ってたんでは一歩も進まない。その心理的な遠さを何とかしないとね。
 そこで,今回の足利市民交響楽団の定演というわけなんでした。ぼくとしては,これを自分の足利観を壊すための第一歩にしたいかな,と。

● 早くに到着して,足利の街のそちこちを歩きまわるつもりだった。のだが。残念ながら雨だった。ぼく,嫌いなもののベスト5に入るほど傘が嫌いなんです。少々の雨なら濡れた方がいい。傘を持つくらいだったらね。
 というわけで,散策は次回に回すことにして,寄り道しないで会場の足利市民会館に向かった。293号をまっすぐに行けばいい。相当な方向音痴を自認しているけれど,ま,迷う余地はない。

● 開演は午後2時。チケットは1,200円。着いたときには長蛇の列ができていた。当日券の売場を探すのにちょっと手間取ってしまったが,無事に入場(っていうか,これは手間取る方が悪い)。
 曲目はマーラーの2番。アマチュアオーケストラが取りあげることはまずないものだろう。けれども,足響は創立60周年記念の定演にとんでもない大物を持ってきた。上にいろいろ書いたけれども,マーラーの2番をやるのでなければ,わざわざ足利まで出張ることはなかったろう。

● 合唱団も必要だし,普段はあまり使う機会のない楽器も取り揃えなければならない。もちろん,ソリストも招聘しなきゃいけない。要するにお金がかかる。それゆえ,トヨタの援助を引っぱりだした。この定演は,第1399回目のトヨタ・コミュニティ・コンサートでもある。
 オーケストラは大編隊。特にパーカッションは壮観。おそらく,自前の団員だけでこれらをまかなえるアマオケなど存在しないだろう(いや,数の内にはあるのかもしれないが)。当然,エキストラの協力も仰がなければならない。
 指揮者は田部井剛さん。ソリストは岩下晶子さん(ソプラノ)と高橋ちはるさん(メゾソプラノ)。充分すぎる陣容だ。合唱団は足利市民合唱団を核とした集まったメンバー。

● 前方の席はそれなりに空いていたものの,大ホールが9割近くは埋まっていた。団員の家族や親戚が多いのかもしれないけど,人口十数万人の街にあるアマチュアオーケストラがこれだけの観客を動員できるのは立派なもの。しかも,この日は「足利そば祭り」もあったからね。
 観客の平均年齢がだいぶ高い。大学オケを別にすれば,これはだいたいどこでもそう。これから難しくなっていくかもね。若い人たちに来てもらうのは難しいだろうしね。今の高齢者にいつまでも達者でいてもらうしかないのかねぇ。
 という悲観に浸りたくはなるんだけれど,これだけ集まっていると,よく集めたなと思う。

● かつては足利が両毛地域の中核だったのではあるまいか。今ははっきり太田に移っている。最も活気があるのは太田。例として適切かどうかわからないけど(と言いながら書いてしまうわけだが),高校の偏差値の高さでも太田がトップだ。太田高校・太田女子高校が圏域きっての名門。
 ところがだ。音楽に関しては,足利はかなり活発に動いている。群響のほかに,毎年N響の演奏会があるし,オペラなんかも海外の本格的なのを引っぱってきてる。回数では宇都宮に及ばないとしても,質が高いっていう印象だね。
 市民会館においてあるチラシを見ていたら,市民会館専属の「足利オペラ・リリカ」なるオペラ制作・実演団体を立ちあげているのがわかった。ほんとかねと思うわけだが,来年の11月には「蝶々夫人」を演奏するところまで決まっているようだ。すごいものだ。あんまり無理はするなよ,とも言いたくなるんだけどさ。
 そもそも,この足響が,現存する栃木県内の市民オケの中では最古参だからね。

● 指揮者が入場してからコンマスが退席するというハプニングがあった。何事があったのかと思ったら,照明の具合がおかしいので,コンマスが修正を依頼に行ったらしい。足利市民会館,だいぶ年代物の建物だから,ひょっとするとあちこちに不具合があるのかもしれない。
 ともあれ,仕切り直して,演奏開始。1楽章が終わったあとにソリストと合唱団がステージに登場。マーラーは1楽章のあとは5分間空けて第2楽章を始めるように指示しているらしいから,ここで合唱団が登場するのが普通なのだろう。
 2楽章では民謡チックで素朴な旋律が登場する。このあたりをいいと感じるかオヤッと思うか。こんなところで,マーラーが好きか嫌いかが決まったりするのかも。散らかってるっていう印象を持つ人もいるかもしれない。

● で,足響の演奏はどうだったか。いや,相当なものだと思いました。マーラーの付託によく応えていたというか。
 木管・金管は忙しかったろうね。インターバルトレーニングをやっているようなものだよねぇ。何度も全力疾走を強いられる。けれども,きちんと走ってきちんと曲を作ってましたもんね。マーラーの2番で曲を作れる,それだけですごいでしょ。特にホルンは難しかったと思うんですけどね。
 これだけの編成になってしまうと,チームワークを保つことが難しくなりませんか。そこをよくまとめたもんだと思いましたね。コンマスが苦労したんじゃないかなぁ。
 相当に練習もしたろうしね。終わったあとの達成感,大きかったでしょうね。

● というわけでね,わざわざ足利まで出向いた甲斐がありました。充分以上に満足しました。1,200円でこれだけの演奏を聴かせてもらえるんですからね(ただし,電車賃が2,500円かかる。セコくてすまんが)。
 足利をはじめ,両毛地域に疎いということは,近くに旅するに値するところがあるってことでもあってね,楽しみが残っていると考えることもできる。うん,そう考えると,ちょっと楽しくなってきた。

2012年10月28日日曜日

2012.10.27 第17回コンセール・マロニエ21 本選


栃木県総合文化センター メインホール

● 昨年は行けなかったが,今年はコンセール・マロニエ21のファイナルを聴きに行くことができた。開演は12時半。終演は17時15分。
 観客はメインホールにしてはあまりに少ないのだが,主催者はこのイベントの会場をメインホールから動かすことはない。案内は今回もプロのアナウンサーに来てもらったようだ。

● とはいえ,2年前に比べると,多少は(観客が)増えていた。2年前は雨だったのに対して,今回は秋晴れだったせいもあるかも。
 ただね,増えればそれでいいかといえば,そういうものでもなくてね。演奏中に席を立つ人もいたし,演奏が始まっても私語をやめない人もいたのでね。2年前にはこれはなかったから。
 どういうわけか,そういう人って前の方に座るんですな。であるからして,後部座席に座った方がいいかもしれない。
 以上は,自分を勘定に入れない話ですけど。

● コンクールとはいえ,栃木でこれだけの水準の演奏を聴ける機会ってそんなにない。しかも,たっぷり半日。会場はまず文句のない総合文化センター。それでもってガラガラに空いているわけだから。聴く側の環境とすれば申し分ない。
 けれども演奏する側にとっては緊張の舞台のはず。と思いきや,さほどの緊張感は伝わってこないのだった。わりとリラックスしてる感じ。ま,こちらはお気楽極まる客席側の人間だ。出場者とは賭けているものがまるで違う。要は,こちらの感度が鈍いだけなのかもしれないんだけど。

● 今年度は弦と声楽。弦では7人,声楽では6人がファイナルに残った。
 弦の内訳は,チェロが3人,ヴィオラが2人,コントラバスとヴァイオリンが1人。ヴァイオリンが1人というのは少ないか。全員が男性。
 弦部門の演奏曲は「演奏時間が15分以上20分程度の自由曲」となっている。

● トップバッターはヴィオラの松井直之さん。国立音大を卒業。ウォルトンのヴィオラ協奏曲を演奏。
 ピアノ伴奏は草冬香さん。彼女が可愛らしい人で,一生懸命にヴィオラに合わせようとしていた。文字どおり女房役に徹しようってね。
 自分が鑑賞者として欠陥商品であるのを,こういうときに自覚する。伴奏者が可愛らしいってことに気が行ってしまうってのがねぇ。

● ウォルトンのヴィオラ協奏曲を聴ける機会なんてまずないし,CDは持っていてもやはりそうそうは聴かないから,ピアノ伴奏といえども生で聴けるのはありがたい。
 せつなそうな表情で演奏する。松井さんに限らず,皆さんそうだ。集中を高めようとすれば,自ずとそうなるのでしょうね。

● このコンクールは「新進音楽科に発表の機会を提供し,今後の活躍を奨励する」ために開催される。したがって,参加資格には年齢制限がある。16歳以上32歳未満ということになっている。
 松井さんはギリギリでセーフなのだけれど,30歳を過ぎている出場者が第1位を取るのはほとんどないのではないかと思う。審査員の先生に訊けば,そんなことはない,問題は演奏の中身だ,と仰るに決まっている(と思う)が,審査の基準に将来性ってのも入っているだろう。どうしたって年長者には不利に作用する。
 松井さんは新進というよりは,すでに演奏家として完成の域に達しつつあるという感じ。文句なしに巧いんだけど,読響に属するプロ奏者だし,すでに最優秀の受賞歴がいくつもあるわけで,今さらこのコンクールに出てくるような人ではないと思った。

● 山澤慧さん。チェロ。芸大院を修了。演奏したのはカサドの無伴奏チェロ組曲。
 今回の出場者の中で唯一,緊張していることが客席からわかった人。この程度には緊張していた方が印象点が良くなるんじゃないですかねぇ。けれども,演奏を始めてしまえば,集中が緊張を蹴散らすわけでね。
 チェロの音色の多彩さを知ることができましたね。意外に高音も出せる楽器なのだっていう初歩的なことも含めて。ありがたかったです。当然,奏法も色々あるわけですね。

● ヴァイオリンの戸原直さん。芸大の2年生。イザイの無伴奏ヴァイオリンソナタの3番と2番を演奏。これまた,滅多に聴く機会のない曲を聴けたことになる。
 唐突なんだけど,弦の音は一切受け付けないって人が世の中にはいるはずだ。「はずだ」と言っておきながら何なんですけど,じつはウチのヨメがそうでしてね。ガラスを引っ掻くような音だというわけです。どんな名人名手でも弦を弓で擦るんだから,「ガラスを引っ掻くような音」と言われてしまうと,何とも。

● 続いて,ヴィオラの七澤達哉さん。芸大4年。演奏したのはウォルトンのヴィオラ協奏曲。
 どうしたって松井さんの演奏と比較することになってしまうわけだけど,同じウォルトンでも,こちらは直線的というかダイナミックな感じ。
 理由はふたつあって,ひとつはピアノ伴奏の違い。ピアノは森下唯さんが務めた。女性名だけれどじつは男性。彼のピアノがガンガン行く感じだったんですね。もうひとつは,途中でチューニングの間を入れなかったこと。

● 藤原秀章さん。チェロ。芸大附属高校の3年生。ドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調の2楽章と3楽章を演奏。ピアノ伴奏は日下知奈さん。
 最年少の出場者。一芸に秀でた人って,高校生でもすでに大人オーラを出しているものですな。いい意味でふてぶてしい。普段は違うんだと思うんだけどね。自分のフィールドに入るとそうなる,と。
 次の休憩のときに,彼がチェロ(もちろんケースにいれて)を提げて会場の外を歩いていくのが見えたんだけど,格好良かったなぁ。若様が通るって感じでね。

● コントラバス。廣永瞬さん。国立音大の4年生。演奏したのはヒンデミットの「コントラバス・ソナタ」。ピアノ伴奏は山崎未貴さん。
 これも聴ける機会はごく限られていると思われる曲で,それを聴けるのがこの「コンセール・マロニエ」のありがたいところ。

● 最後はチェロの山本直輝さん。芸大4年。演奏したのは,ドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調の1楽章と3楽章。ピアノ伴奏は鳥羽亜矢子さん。
 伸びやかで艶がある。しっとりと聴かせる感じといいますか。文句のつけようがなくて,弦楽器部門の第1位は山本さんで決まりでしょ。ぼくの耳だからあてにはならないんだけどさ。 (→1位はヴァイオリンの戸原さんで,山本さんは3位だった。めったなことは書くものではない)

● 続いて声楽部門。ソプラノが5人でメゾソプラノが1人。男声のファイナリストはなし。エントリーからしてソプラノが圧倒的に多くて,他は少ない。
 こちらは「演奏時間が10分以上20分以内の2曲以上の自由曲」となっている。

● こちらのトップバッターは前川依子さん。武蔵野音楽大学大学院を修了。ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」より“あたりは沈黙に閉ざされ”。プーランク「ティレジアスの乳房」より“いいえ旦那様”。ピアノ伴奏は長町順史さん。彼女の先生なんですな。
 4年前のこのコンクールにも出場しているらしい。表情豊かで聴いているとほっこりしてくる感じ。

● 谷垣千沙さん。芸大博士課程1年。ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」より“もし私にあわれみを感じでくださらないのなら”とデラックァ「牧歌」。ピアノ伴奏は中桐望さん。
 器楽以上に声楽はわからない。巧いなぁという以上の感想はなかなか持てないんですよね。そこを無理に書くと,谷垣さんの声は柔らかくてふくよかさがある。
 前川さんもそうなんだけど,体型はスレンダーなんですね。声楽家っていうと豊満な体型っていう思いこみがあるんだけど,これは修正しないとね。体型がスレンダーだから声まで痩せているなんてことは全然ないんだ。

● 谷原めぐみさん。芸大院修了。マイアベーア「アフリカの女」より“さらば,故郷の岸辺よ”。ヴェルディ「椿姫」より“ああ,そはかの人か~花から花へ」。ピアノ伴奏は高木由雅さん。
 谷原さん,たしか2年前にも出場していた。実力派。けれども,松井さんと同じで,新進の域は脱しているのじゃないだろうか。すでに活躍している人ですよね。

● 茂木美樹さん。芸大院を修了。唯一の地元出身者。ドニゼッティのオペラから3つ。「シャモニーのリンダ」より“ああ,この心の光”と「ドン・パスクワーレ」から“この眼に騎士は”。それと,「ランメルモールのルチア」より“あたりは沈黙に閉ざされ”。ピアノ伴奏は久住綾子さん。
 茂木さんは「20歳から声楽を始める」と紹介されている。スタートが普通より遅かったってことですね。大学も一流大学の文学部を出てから芸大に入り直している。異色の経歴。

● 秋本悠希さん。ただひとりのメゾソプラノ。芸大院1年。ショーソンの「ナニー」と「蜂雀」。マスネの「ウェルテル」から“手紙の歌”。ピアノ伴奏は羽賀美歩さん。
 彼女もスレンダーで,フルートの高木綾子さんに似た美人。こう書くあたり,鑑賞者として欠陥商品だよな。
 腕前は文句なし。圧倒された。

● 最後は飯塚茉莉子さん。武蔵野音楽大学大学院を修了。リスト「ペトラルカの3つのソネット」より“平和を見いだせず,さりとて戦をすることもわたしはできない”とシャルパンティエ「ルイーズ」より“その日から”。ピアノ伴奏は清水綾さん。
 お隣の群馬県の出。そう思ってみるせいか,なにがなし親近感が湧く。

● 秋本-谷垣-前川と予想しておくが,まったく自信がない。さてさて,結果は? (→3位は飯塚さんだった。予想屋の真似事はやめよう)
 一芸に賭けている人たちの存在感ってやっぱりすごくて(あるいは,すごいと思いたくて),それがために出かけているのかもしれない。今回もその欲求は満たされて,満足してわが陋屋に帰還した。

2012年10月15日月曜日

2012.10.13 慶應義塾大学医学部管弦楽団第36回定期演奏会


川口総合文化センター・リリア メインホール

● この日のふたつめは,慶應義塾大学医学部管弦楽団開演は午後6時。
 チケットは1,000円だとぼくは思ってて,当日券の売場を探したんだけど,そんなものはない。皆さん,どんどん入場していく。ぼく,指をくわえてそれを見ていた。
 ま,受付で訊けばいいやと思って入ってみたら,プログラムを渡してくれて,そのまま通過できた。つまり,入場無料だったわけですね。
 こういう勘違いが最近ちょっと増えている。年のせいというより,私生活がややバタバタしているからだと思っている。バタバタしてていいことなんか何もないってことですね。

● 会場の川口総合文化センターリリアは初めて。巨大なホールだった。メインホールのステージは呆れるほど広い。どんなに大規模なオーケストラでも問題なく乗せることができる。
 これだけ広いと,バレエやオペラを上演するんでも,自由にレイアウトを描けるでしょうね。

● 医学部管弦楽団といっても,医学部の学生だけで構成されているわけではない。他学部や他大学の学生もいる。っていうか,数はそちらの方がずっと多い。
 それでは,看板に偽りありかというと,そんなこともない。構成割合で見れば,他学部や他大学のどこよりも慶応医学部の学生が多いから。

● 週に3回練習しているそうだ。熱心な学生は自主練習もしているだろう。
 ぼく,大学時代は行きつけの喫茶店のマスターから「旗本退屈男」と呼ばれていた。とにかく暇だった記憶しかない。その暇さかげんを全身で発散してたんだと思う。
 けれども,医学部の学生は,講義,実験,実習で相当忙しいだろう。その合間をぬって週に3回の練習に参加するのは,かなり大変なのじゃないか。

● この楽団,楽器ごとにトレーナーを付けている。普通,トレーナーって管・弦・打で一人ずつってところが多いよねぇ。
 練習環境には恵まれているといっていいんでしょうね。そこに惹かれてこの楽団に参加している他学部・他大学の学生もいるんじゃないのかなぁ。
 ぼくなんぞは慶応医学部っていうと,逆差別の目で見てしまいがちになる。どうせお金持ちのボンボンなんだろうって。実際,そういう眼を感じることがしばしばあるのじゃないかと推測する。それってけっこう辛いかもしれないね。普通だよって返したくなるだろうなぁ。
 でも,楽器ごとにトレーナーを付けられるって,ねぇ,すごくない? やっぱり,お金持ちなのか。

● 曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン レオノーレ序曲第3番
 ショスタコーヴィチ 交響詩「十月革命」
 チャイコフスキー 交響曲第5番

● 「学生オケらしい熱い演奏を来てくれた皆さまに届けられるよう精一杯演奏します」という言葉に嘘はなし。集中,集中。懸命さは客席にも届いていた。大げさにいうと,その様は神々しいほど。
 演奏の水準も並みの学生オケをはるかに凌駕するもので,高校生のときから,あるいはそれ以前から,楽器に触ってきた団員が多いのではないかと思われた。木管が巧かったとか弦の響きが素晴らしかったとか,個々のパートがどうのこうのではない。オケとしての全体水準が高い。
 ということはつまり,下手がいないってことですね。最も下手な奏者のレベルが下手という範疇ではない,っていいますかね。

● チャイコフスキーの5番はわずか数時間前にマグノリアオーケストラの演奏で聴いたばかり。比べるものではない。このオケにはこのオケのチャイコフスキーがあるということ。
 きっちりと仕上げてきた。コントラバス8人の陣容はダテじゃない。底から盛りあがってくるような迫力。
 コンマスは一曲ごとに交替。どのコンマスも懸命にオケを引っぱったが,この曲のコンマスもコンマスとして大健闘。絵になるコンマスでしたね。

● 指揮者は佐藤雄一さん。指揮者もパフォーマーのひとり。っていうか,最も目立つ位置にいるわけだからね,指揮者の指揮ぶりって重要ですよね。これでぜんぜん印象が違ってくるものな。
 で,佐藤さんの指揮ぶりも見所のひとつだった。大いなる満足感を持って帰途につけたんだけど,その理由のひとつは佐藤さんの指揮ぶりにあり。
 飄々とした方なんですかね。客席にもユーモアを振りまくんだけど,オケに鞭を入れるときの動作にはさすがに力があって,それがピッとオケに伝わる小気味よさを味わえた。それも,オケが優秀なればこそなんだけどさ。

● アンコールはハロウィンの乗りで。学生オケならではですかねぇ。当然,客席に和みを提供することになる。
 その和み効果も,本番での演奏がペケだったらオイオイってことになってしまうかもしれないよね。もちろん,この楽団はそんなことにはならなかったわけですけどね。

● 開演前,来場者の世間話を聞いていると,オレは千葉から,オレは名古屋からっていう声が聞こえてきた。ぼくも栃木から来てるわけだけど,名古屋ってのはちょっと驚き。
 医学部どおしのつながりのようなものがあるんだろうか。あるいは,この楽団の名声が遠くまで届いているってこと?

2012年10月14日日曜日

2012.10.13 マグノリアオーケストラ第9回定期演奏会

大田区民プラザ大ホール

● 昨年はこの時期にマロニエ交響楽団の創立記念演奏会があった。年に一度は定期演奏会を開催するのかと思っていたら,次回は来年の予定だという。
 となると,今月は地元(栃木)で管弦楽の演奏を聴くことができない。厳密にいうと,28日に足利市民交響楽団の定期演奏会があるんだけれども,足利はあまりに遠い。心理的には東京よりもずっと遠い。行けるかどうか。

● というわけで,13日に東京に出た。困ったときの東京頼み。東京に行けば,必ず何かあるからね。
 わざわざ東京に出るからには,ふたつは聴いて帰りたいというケチ根性。この日もふたつの演奏会を聴くことができた。

● ひとつめは,マグノリアオーケストラ。「東京学芸大学附属高校音楽部のOB・OGが中心となって活動しているアマチュアオーケストラ」とのこと。
 この学校から東大を卒業した人が,知り合いにいるんだけど,その人は,高校の方が大学より面白かったっていう。つまり,高校の友だちの方が東大の友だちよりすごい人たちだったってこと。
 勉強そっちのけで音楽にのめりこんでいたのに,楽勝で東大に合格したとか,受験勉強なんか歯牙にもかけないで,好きな分野を原書で勉強していたとか,そういった型破りな人がけっこういたのかなぁと推測してるんですけどね。
 つまりですね,育った環境から何から,ぼくとは全然違う人たちのはずなんですね。ぼくに言わせれば雲の上の人たちね。彼らがどんな演奏をするのか。

● 開演は午後2時。入場無料。曲目は次のとおり。
 J.シュトラウス 「こうもり」序曲
 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調
 
● 指揮者は山中一宏さん。学芸大学附属の50期生。昭和62年生まれにあたるそうだ。25歳ってこと。若いねぇ。現在は東大の大学院で原子時計の研究をしている。とはプログラムの紹介による。
 「こうもり」序曲の途中で楽譜を落とすってハプニングがあったんだけど,平然と指揮を続けた。何度も練習してるから,自然に暗譜してるんでしょうね。

 ヴァイオリン協奏曲のソリストも卒業生。巽大喜さん。こちらは51期とのこと。6歳からヴァイオリンを始めた。やはり東大院で菌根菌の研究をしているそうだ(菌根菌って何だ?)。
 というわけで,指揮者もソリストも自前。したがって,仲良し同好会的な雰囲気を醸すことになる。手作り感が濃厚だと表現してもいい。
 団員も若い人が多かったようだ。平均年齢は間違いなく20代。若い人たちが和気藹々とやっているっていう印象でしたね。
 30代以上は企業や役所の中枢で忙しくしているんでしょうね。練習する時間も取れなくなるんだろうな。

● この演奏会に行こうと思ったのは,メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴けるから。この曲はあまりに有名だけれども,初めて生で聴いたのは3年前。田口美里さんのヴァイオリンだった。鳥肌がたつ思いがした。
 ただし,あのときはピアノ伴奏だったし,第1楽章だけだったので,ちゃんとした管弦楽でフルに聴くのは今回が初めてだ。

● しかぁし。あろうことか,演奏の途中で寝てしまったんですよ。短い眠りだったけど断続的に。前夜は職場の呑み会があって,けっこう呑んだような。遅くまで起きてたんだけど,朝は早くに目が醒めてしまう年齢になってしまったような。
 要は,体調管理がまったくなってなかったってこと。もったいないし,演奏者に失礼だし,何をしてんだかまったく。
 演奏する方は,年に1回のこの演奏会に照準を合わせてくる。すべての練習は今日のためにあったというのに,聴く側が客席で居眠りするとは。失礼という言い方では足りない。そういうときには出かけないという戒律を自分に課すべきなんですけどね。
 この曲が終わった後の客席の拍手は,ブラボー成分が濃いものだった。しかし,ぼくの印象はそんなわけで,非常に散漫なものになってしまった。本当にごめんなさい,です。

● これで意識がスッキリしたんで,チャイコフスキーの5番は普通に聴くことができた。
 木管から始まるし,2楽章ではホルンの独奏が続き,クラリネットやファゴットが絡んでいく。だからこの曲については演奏の出来を決めるのは管である,というほど単純ではないんだろうけど,その管が安定してて,こちらも安心して聴いていられた。
 っていう言い方はじつは失礼であって,要するに相当以上に巧いのです。急停止も急発進もピタッと揃うしね。
 そんなに練習時間は取れないはずだと思うのでね,少ない練習時間を効果的に使っているってことになるんだけど,それ以前に,効果的に使えるだけの技量を持っているってことですよね。

● もちろん,客席からはブラボーの声が飛んだ。これ,ステージ側には嬉しいらしいね。そりゃそうだよな。
 でもね,ぼくは,このブラボーは禁止すべしという意見だね。4楽章が終わったその刹那にブラボーと叫ばれると,余韻まで吹っ飛ばされてしまうものな。ほんの2秒か3秒,余韻に浸っていたいじゃないですか。それを許さないのがあのブラボーなんだな。
 よろしく禁止すべし(どうやって?)。ブラボーの思いは拍手に込めればいいじゃないか。

● 高校生がまとまって聴きに来ていた。この学校の音楽部の現役生だろうか。これだけまとまって先輩の演奏を聴きに来るんだねぇ。求心力が強いのかなぁ,この学校。あるいは音楽部の特徴なのか。
 高校生以外にも観客の多くは,この学校に何らかの関係がある(あった)人たちのように思われた。

● ぼくは不幸な高校時代を過ごしてしまったので(誰のせいでもなく,自分がそうしてしまったんだけど),高校に関しては愛校心ゼロ。同窓会など行ったこともないし,これからも行かないだろう。部活も何もしてなかったから,友人も少なかったし,その少なかった友人とも今では行き来が絶えている。
 それでいいと思ってるんだけど,こうして卒業後も学校を軸にした活動を続けている人たちを見ると,何だかちょっと複雑な気持ちにもなってくる。正直,羨ましさも混じりますな。

● 今回は開演までにだいぶ時間があったので,下丸子駅から多摩川まで歩いてみた。天気も良かったしね。
 河川敷のグラウンドでは少年野球の試合が行われていた。堤防はサイクリングロードになっているんでしょうね(その業界の人は多摩サイって呼ぶんだったかな),ロードバイクが何台も行き交う。走っている人もいる。歩いている人もいる。思い思いに土曜の昼を過ごしている。目に入ってくる風景は,何もかもが平和だった。
 音楽を演奏する人もいれば,それを聴く人もいる。自分もまたその平和な光景の一点なのだろうなと思った。

2012年10月9日火曜日

2012.10.08 作新学院吹奏楽部第47回定期演奏会

宇都宮市文化会館大ホール

● 作新学院高校の吹奏楽部の定期演奏会に行ってきた。5月に宇都宮北高校の演奏会を聴いて大いに感心した。機会があれば他校の演奏会も聴いてみたかった。
 ほとんどの高校に吹奏楽部はあると思う。公開演奏会も多くの高校で行っているはずだと思うんだけど,なかなかアンテナにひっかかってこない。こちらの情報収集の仕方に問題があるんでしょうけどね。

● そんな中で,宇都宮市文化会館のサイトを見てたら,この作新学院の定期演奏会があることを発見。開演は午後3時。チケットは当日券が1,000円(前売券だと800円。ぼくは当日券を購入)。OB・OG会,父母会の主催となっている。

● プログラムには「作新学院吹奏楽部の2012年の活動について」と題するレポートが載っている。これを読むと高校の吹奏楽部が何を目標にしているのかがわかる。「普門館への出場」なんだね。この全国大会に出場するためには,県,東関東のコンクールを勝ち抜かなければならない。
 「東関東支部は全国一レヴェルの高い激戦区」で,「たいていは150~200人,最低でも100人以上の部員がいる団体が出場する中で,初心者を含めわずか70人の我がバンドが挑戦するのですから,それなりの努力と覚悟が求められます」ということ。そのため「休日を返上し,連日早朝から遅くまで,ひたすら練習に打ち込みました」とある。

● ぼくはね,自分が何かに打ち込んだという経験を持たないものだから,打ち込みましたと言われると無条件で平伏してしまう。すごいねぇ,と。いや,実際ね,部員たちは得難い経験をしたんだと思いますよ。
 高みを目指して長期間集中して取り組むって経験は,誰にでもできるものじゃないからね。それを経験できる資格を備えていないとね。彼ら彼女らはその資格を備えていたわけですよねぇ。

● 結果は東関東吹奏楽コンクールで金賞。金賞=第1位=全国大会出場,かというと,そういうわけではないようで,残念ながら作新学院吹奏楽部は全国出場の枠(3つ)には入れなかった。
 県のコンクールでは,作新のほかに,真岡,石橋,宇都宮北の4校が金。東関東の出場枠は3つで,作新,真岡,石橋の3校が出場した。
 東関東で作新は金。真岡と石橋は銅だった。ということはつまり,只今現在,栃木県内の高校吹奏楽部のトップはこの作新学院ということ。
 コンクールで力量のすべてを掬えるのかといえば,もちろんそうではないんだろうけどもね。

● 開演後しばらくは,場違いなところに来てしまったかなと思った。
 校内行事なんですよね,これ。作新学院の関係者には馴染みのある雰囲気なのだと思うんだけど,部外者にはちょっと違和感があるなぁ的な。一般公開して入場料も取ってるんだから,もうちょっとユニバーサルにしてくれないかなぁ的な。

● けれども,3曲目の「CLARINETICS」を聴くに及んで,そんな気分も吹っ飛んだ。個々の技量の確かさがよくわかった。
 クラリネットはもちろん,フルート,サックス,トランペットなどなど,どの奏者も伸びやかに音を出しているんでした。メリハリもある。こなれている。けれども,弛みはない。ピンと張りつめているんだけれど,固さはない。
 理想的じゃないでしょうかねぇ。練習の裏打ちも伝わってくる。並みじゃここまでできない。

● ずっとティンパニを担当していた女子部員にも注目。残響を消すための鼓面を払うしぐさが格好よかった。ティンパニってこれがあるから,けっこう目立つんですよね。
 そのしぐさが美しい人は技量も優れているものだと,ぼくは単純に思いこんでいる。
 もっとも,彼女に限らず,パーカッションのレベルの高さは,このあとにもたっぷり味わう機会があったんですけどね。

● 演奏前に部員が曲を紹介する。こういうものはプログラムに掲載して,プログラムに語らせればいいと思う。この水準の演奏をするのであれば,余計なことはさせないで演奏に集中させた方がよかったのではないか。
 と思ったりもしたんだけど,観客サービスですな。部員たちのサービス精神は旺盛で,随所にそれは発揮された。喜ぶ人もいるだろうし,うるさいと感じる人もいるだろう。が,喜ぶ人の方が圧倒的に多かったから,彼らのやり方は正しかったのだ。
 っていうか,吹奏楽ってどこでもそうなのかもしれないね。それが吹奏楽の風土なのかもしれない。

● 第2部はポップスステージ。そっくり観客サービス。ディズニーメドレーとかカルピスソーダ学園応援曲とか。
 その演奏を聴きながら,これでジャズをやったら面白いのになぁと思っていたら,「ビッグバンド・ショーケース」と称して懐かしのジャズナンバーをメドレーで演奏してくれた。そうだよね,たいていジャズは入れますよね。
 気持ちよさそうに吹いてたなぁ。ジャズ,好きなんだろうなぁ。

● これだけの技術と表現力を持っているバンドであれば,それを使って今度は何をしようかと考えるのは楽しいだろうね。
 そのひとつの答えがこれ(ポップスステージ)なんだけど,これはこれでいいとして,ほかにもいろんなことができそうだ。

● 第3部は「屋根の上のヴァイオリン弾き」メドレー。ステージドリルショーとあるけれども,さてステージドリルとは? 鼓笛隊にして動きを入れる。人のラインを作り,そのラインの変化を楽しませるもののようだ。
 パーカッションのレベルの高さをたっぷり味わったのは,この第3部。

● 最後に部員代表があいさつ。気持ちのこもった立派なあいさつだった。最後まで感心させられた。
 ただ,ちょっと長すぎたかも。もっと言葉を刈りこんだ方が,かえって伝わるものが多くなるのでは。
 って,こういうダラダラした文章を垂れ流しているぼくが言っちゃいけないな。

● ZARDの「負けないで」を合唱して終わった。部員たちの客席への入り方が上手でスマート。またまた感心。

● に,しても。この水準でも東関東を突破できなかったとなると,「普門館への出場」を果たしたところはいったいどんな演奏をするのだろう。
 これに大差をつけている演奏というのは,ぼくの頭ではイメージできない。おそらく僅差のはずだと思うんだけどね。