2019年12月31日火曜日

2019.12.31 ベートーヴェン弦楽四重奏曲【9曲】演奏会

東京文化会館 小ホール

● 大晦日に東京文化会館に来るのは,9年連続で9回目になる。人生の黄昏にさしかかってからのぼくの大晦日は東京文化会館とともにある,と言ってもいいくらいのものだ。
 昨年までは大ホールで開催される全交響曲連続演奏会を聴いてきた。ベートーヴェンの9つの交響曲をオールスターチームのオーケストラが小林研一郎さんの指揮で演奏する。
 今年も聴くつもりでいた。そろそろいいかなぁという気分も正直あったんだけども,ベートーヴェンに因んでどうせなら9回聴いてやめよう,と。

● が,交響曲は8回でやめることにした。で,今年はベートヴェンン山脈のもうひとつ,弦楽四重奏曲を聴いてみることにしたのだ。その動機をひと言でいえば,苦手の克服だ。
 つまり,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いても,ぼくはそこにベートーヴェンを感じることができない。弦楽四重奏曲に代表される室内楽について,自分は聴き下手なのだと思っている。それをどうにかしたいな,と健気にも考えたわけなんでした。

● 入場者の列に並んでいると,前の中年男性とお年を召した女性が話を始めた。一緒に来たのではなく,会うのは今日この場所が初めての2人だ。
 この演奏会は2006年から始まっていて,今日で14回目になるらしいのだが・・・・・・

 私,1回目からずっと来てるの。
 ぼくもですよ。疲れますよね。弦楽四重奏曲をこれだけ聴くとね。
 本当。私,席も毎回同じなの。
 えっ?
 今日のうちに予約しておくのよ。そうすると希望がとおるわ。私なんか来年来れるかどうかわからないけれど。

● そこに別の男性が話に加わった。

 終わったあとはどうするんですか。サントリーホールですか。
 ええ,ぼくなんか地方から来てますからね。せっかく来たんだからと思っちゃいましてね。サントリーホールに回ることにしてるんですよ。

 サントリーホール? あとでググってみたら,ジルヴェスター・コンサートのことを言っているようだ。ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の年越し演奏会。サントリーホールで毎年開かれているっぽい。
 21時に開演して,年が明けた頃に終わる。この演奏会が終わってからサントリーホールに移動するのだから,半分も聴けないと思うのだが,凄い人がいるものだ。
 ぼくも栃木の在から9年連続でここに来ているわけで,それなりの入れこみようだと思ってたんだけども,いやいや上には上がいると言うのも憚れるほど,熱烈なファンがいるものだ。

● ともあれ。開演は午後2時。チケットは8,000円。大ホールは当日券はないのが通例だけれども,こちらは当日券があるようだ。いい席は残っていないのかもしれないけれど,ともかく思い立ったのが今日であっても,聴くことは可能だ。
 上に述べたように,弦楽四重奏曲をぼくは聴けていない。その弦楽四重奏曲に対して,これだけの人が集まるのかと少し驚いた。きちんと聴ける人たちなのだろう。東大の受験会場に紛れ込んだ気分。絶対に合格しないだろう自分が,受かりそうな人たちに囲まれている。劣等感を刺激されるなぁ。
 ・・・・・・などと思うわけがない。自分とさほど変わるまい。会場に集まった人たちの顔を見る限りでは,そのように思える。

● まず,登場したのは古典四重奏団(川原千真 花崎淳生 三輪真樹 田崎瑞博)。田崎さん以外は女性。7番,8番,9番を演奏。
 次が,ストリング・クヮルテット ARCO(伊藤亮太郎 双紙正哉 柳瀬省太 古川展生)。男性だけのユニット。都響等の首席が集まっているようだ。12番,13番,大フーガ。
 クヮルテット・エクセルシオ(西野ゆか 北見春菜 吉田有起子 大友肇)。14番,15番,16番を演奏した。

● 大ホールの全交響曲連続演奏会と同様,国内で望み得る最高水準の演奏かと思われる。これを聴いてダメなら諦めるしかない。
 演奏からベートーヴェンの表情が浮かんで来ないかと思ってたんだけど,ぼく,聴き手として相当にヘボかもしんない。先に聴衆に暴言を吐いてしまったのだが,謹んで訂正する。ぼくよりは聴ける人たちのはずだ。

● 演奏する側は消耗するようだ。汗が光ってたりする。印象に残ったのは,ストリング・クヮルテット ARCO の「大フーガ」。その消耗感がひときわでね。試合を終えたアスリートさながらのハァハァ言いながら引きあげるその風情に惹かれた。
 つまり,演奏や曲じゃないんですよね。このあたりが,何というか,ヘボのヘボたる所以ですかなぁ。

● クヮルテット・エクセルシオには華を感じた。若いからだ(といっても,20代や30代ではない)。したたるような華がある。
 そのクヮルテット・エクセルシオが演奏する第16番はベートーヴェンの死の5ヶ月前に完成したらしい。当然だけれど,枯れた感じはまったくない。この時点でベートーヴェンは自分が5ヶ月後に死ぬとは思っていない(たぶん)。

● この先にベートーヴェンが次の弦楽四重奏曲を作曲したとしたらどんなものになったろうか。それを思い巡らす自由はぼくらに残されていると思う。
 つまり,この16番に“途中”を感じるからだ。ひょっとするとそれはベートーヴェンの諦観の表れかもしれないのだが,ベートーヴェンの頭の中にはこの先があったのではないかと思う。
 モーツァルトの場合は,最晩年のクラリネット協奏曲の先を想像することはぼくにはとても覚束ない。極みに到達したように思える。

● 大ホールの交響曲は同じオーケストラをひとりの指揮者が指揮して演奏する。ので,中休止,大休止をはさんでつないでいくのだが,その中休止や大休止がいいメリハリにもなる。
 こちらは奏者が交代するので,15分や20分の休憩を入れて(30分というのが一度だけある)淡々と続いていく。9曲を聴くのはなかなかシンドイかなとぼくも思っていたのだが,終わってみればあっという間だったような気もする。

● 終演は22:50頃だったか。上野駅発22:02の宇都宮行き普通列車に乗った。今日中に家に帰るのは無理だ。新幹線に乗っても間に合わない。宇都宮のカプセルホテルに泊まって,元日に帰宅することになる。
 サントリーホール? 行かないよ。

● 記憶する限り,この9年間の大晦日の天気が悪かったことは一度もない。が,こんなに暖かい大晦日があったろうか。いいんだか悪いんだか。
 年末年始気分というのがなくなっているのは,寒くないのも理由のひとつかもしれないな。

2019.12.30 アーベント・フィルハーモニカー 第22回定期演奏会

国立オリンピック記念青少年総合センター 大ホール

● 今日もオリンピック記念青少年総合センター。アーベント・フィルハーモニカーの定演を聴くため。さすがにこの時期に演奏会を開く楽団はかなり少なくなるようで,オケ専でチェックすると,他にはないようだった。
 せっかく東京にいるんだから,聴けるものは聴いておきたいというスケベ根性もあって,再びこの場所にやってきたというわけだった。

● 開演は午後2時半。入場無料。曲目は次のとおり。大曲を2つ。
 ムソルグスキー(ラヴェル編) 組曲「展覧会の絵」
 ラフマニノフ 交響曲第2番

● 特筆すべきは,無人改札だったこと。入場ゲート(?)に誰もいない。テーブルに1枚紙のプログラムが置いてある。入場者はそれを勝手に取って,ホールに入る。
 その1枚紙も途中でなくなってしまって,たぶん過半の人は空身で着座したのではないか。ぼくもその口だけども,それで何か困ることがあるかといえば,特にない。
 ともかく,この割り切りには好感が持てる。

● この楽団のサイトの自己紹介(?)によると「アーベント・フィルハーモニカーは,プロフェッショナルな演奏家とアマチュア愛好家の協力による,新しいコンセプトのオーケストラとして2012年12月に第1回演奏会を開催。マーラーの交響曲をレパートリーの中心として、年3~4回の演奏会を行っており,短期間の集中リハーサルと低経費による運営によって注目を集め,新たな聴衆の拡大を目標としている」とあるのだが,なるほど無人改札も“低経費による運営”の一環であったか。

● 指揮は小柳英之さん。彼がこの楽団の創設者のようにもサイトでは読めるのだが,確かなことはわからない。これはわかる必要もない事柄に属するのだが,上の紹介文で“新しいコンセプトのオーケストラ”とあるところ,どこがどんな風に新しいのかがよくわからない。ここはもう少し具体的に説明して欲しいという気がする。
 演奏を聴いても,このオーケストラの“コンセプト”が那辺にあるのかよくわからなかったので。

● 「展覧会の絵」はおどろおどろしいというか。小さい子供が聴いたら怖くて泣きだすのではないかと思うような。カラヤンのCDで聴くのとはだいぶ印象が違う。
 どちらがいいかというテーゼは成立しない。どちらを好むかの問題になる。問題は,この楽団のこの演奏はこの1回しか聴く機会がないと思われることだ。

● ラフマニノフの2番も金管の存在感が強調されていた印象。金管の強調はロシアの代名詞的なところがあるのかもしれないのだが,ラフマニノフはその意味でのロシア臭が薄い作曲家だと思っていた。
 ところがどうして。そのことを教えてもらえたっていうかね。

● 明日は大晦日だ。そういう日に演奏会を設定する楽団もあれば,それを聴きに来るお客さんもこれだけいる。
 年末といい,正月といっても,要は365日の中の1日にすぎない。特別感は薄れているんでしょう。
 ぼく一個を取ってみても,年末だからといって何をするわけでもなく,こうして東京をふらふらしている。正月も同様だ。普段と違うことをするわけではない。要するに,休日だというだけ。
 大雑把にいうと,年末年始は旅行に行く日になった。旅行が年末年始の風俗を駆逐した。百貨店もスーパーもコンビニも飲食店もホテルも3が日は休むということになると,その不便さに強制されて何か新しいものが生まれてくるんじゃないかと思ったりもするのだが,そんなことが起こるはずはない。

● というようなことをぼんやり考えながら,代々木公園駅に向けてトボトボと歩みを進めたのでありました。その歩みの先には快適極まるホテルが待っている。そういうもので年末年始は埋め尽くされてしまう。
 ホテルが快適極まるのは年末年始に限らないわけだから,年末年始はやはり365日の中に埋もれてしまっているのだと思うほかはない。そういうことも考えさせてくれる演奏会だった。

2019.12.29 東京海洋大学・共立薬科大学管弦楽団 第84回定期演奏会

国立オリンピック記念青少年総合センター 大ホール

● 東京海洋大学・共立薬科大学管弦楽団というが,共立薬科大学は今現在,この世に存在しない。2008年に慶応が吸収合併し,現在は慶応大学薬学部になっている。
 にもかかわらず,東京海洋大学・共立薬科大学管弦楽団の名を維持しているのは,OB・OGに配慮したものか,歴史と伝統を重んじているのか。いや,それでいいと思うんですけどね。

● ともあれ,この演奏を聴くために国立オリンピック記念青少年総合センターにやってきた。1964年の東京オリンピックの選手村の跡地を利用した施設。国立青少年教育振興機構ってこの施設の管理者だったのね。
 この楽団の演奏を聴くのも,このホールに来るのも,今回が初めて。開演は午後2時。チケット無料。曲目は次のとおり。
 バラキレフ 3つのロシアの主題による序曲
 ボロディン 中央アジアの草原にて
 カリンニコフ 「皇帝ボリス」より“第5幕への間奏曲”
 チャイコフスキー 交響曲第5番

● 指揮者の中島章博さんは,早稲田の理工学部から東大の院に進み,博士後期課程に進学した後に,オーストリアに渡って指揮の勉強をして帰国したという変わり種。
 帰国後,院を修了したようなのだが,スパッと見切っちゃってるともっとカッコよかったのになぁと,他人事だから気楽な感想を抱いてしまった。
 修めたのが建築音響学だそうだから,色々と創造を逞しくすることはできるけれども,勇気のある進路変更だったに違いあるまい。

● プログラム冊子の「顧問ご挨拶」には「年々,現役団員が減ってきております。小さな大学の宿命ですが,アンバランスな編成での練習には様々な障害が付き物です」とある。たしかに,OB・OGと賛助を除いてしまうと,楽団として成立しない。団員の確保は大きな課題のように思われる。
 が,年の瀬の開催にもかかわらず,客席はほぼ満席になった。客席にもOB・OGが多いんだろうかね。だとすると,それぼどの求心力を持っているのは大したもの。ぼくも大学時代に部活はやっていたけれども,卒業後は一顧だにしたことがない。
 84回を数えるのだから,然るべき長さを経てもいる。こういうところはしぶといものだよね。

● 特にカリンニコフ「皇帝ボリス」の間奏曲を聴いてみたかった。今月8日に調布フィルハーモニー管弦楽団の演奏で交響曲第1番を聴いて,カリンニコフに興味を惹かれたのが主な理由だ。
 今日のこの曲に感じたのはある種の華やかさだ。カリンニコフ,CDを集めてみようと思う。
 チャイコフスキーの5番は全軍躍動。そういう曲ではある。木管,特にクラリネットとフルート,が記憶に残った。

● プログラム冊子のこちらは「指揮者ご挨拶」によると,「数年前に比べだいぶ人数が減っており,さらに大学に入学してから担当する楽器を始めた,という学生が非常に多いオーケストラ」だそうだ。そう見える奏者もたしかにいなくはなかった。
 けれども,それでもここまで持ってこれる。OB・OGと賛助の功績だとしても,それはそれ。

● 東京海洋大学とあっては,講義や実験を放擲して部室に入り浸りというわけにもいくまい。法学部や経済学部の学生とは違う。
 使える時間は限られる。あまり多くを求められては辛かろう。

2019.12.28 東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団 第42回定期演奏会

ティアラこうとう 大ホール

● 開演は19時。この楽団の冬の定演は毎回,このスケジュール。ので,冬はまだ一度も聴いたことがない。なぜというに,終演は21時を過ぎることになるからだ。
 つまり,その日のうちに自宅に帰り着くことができなくなる(新幹線を使えば可能だろうが)。

● が,今回は都内に宿を取っている。ゆえに,後顧の憂いなく(?),今夜は会場にやってきた。しかも,その宿が地下鉄で2駅という距離だ。
 開演は19時。入場無料(カンパ制)。ただし,チケット(整理券)が必要。が,当日も配っているので諦めるには及ばない(事前に取っておいた方がいいとは思うが)。

● 曲目は次のとおり。指揮は原田幸一郎さん。常任指揮者のような位置づけですかね。
 チャイコフスキー 歌劇「エフゲニー・オネーギン」より“ポロネーズ”
 スーク 弦楽セレナーデ
 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

● じつは,ここに来る前にホテルのラウンジでハイボールを3杯飲んでいる。ほんわか快適。こういう状態で演奏を聴くのはどうなのよという意見もこれあり。
 でも,たいていのホールでは酒を売るからね。休憩時間にワインやらビールを飲んでいる人はさほどに珍しくはない。相撲や歌舞伎じゃないんだけど,“楽しむ”にはアルコールがあった方がよいってことですかね。
 普段はそれをしないんだけど,今夜はどうも安心感ゆえ気がふわーっと緩んでいる。

● この楽団のアンサンブルはほとんどプロ級。ってか,第4楽章の迫力に満ちた重厚さは何事ならん。軽やかな重厚さっていうかね。疾走する様が小気味いい。
 ほんわか酔った状態でいるのだから,気分は王侯貴族だ。でもって,これだけの「新世界」を聴けるんだからたまらない。
 最高の年末だ。こんな過ごし方ができるのは,世界でも日本の東京だけと勝手に決めておく。

● ところで,オーボエの山本楓さんが賛助出演していたようなのだが,気づかなかった(ヴァイオリンに奥村愛さんがいたのはわかった)。山本さんが登場するくらいなのだから,レベルの高さも宜なるかな,でしょ。
 同じコンセールマロニエ21の弦楽器部門で第1位だった金孝珍さん(ヴィオラ)がやはり奏者に加わっていたことがあった。
 そういう楽団なのだということ。指揮者の原田さんが,学生オーケストラの中では一番上手,と言っていたけれども,まったくもって異存はない。

● 終演後,住吉の駅に向かう人たちが話す会話を聞いていても,満足して家路をたどっている様子だ。中には興奮さめやらぬという人も見受けられる。その気持ちはとてもよくわかる。
 絵画や彫刻でも,演劇でも,音楽でも,鑑賞するという行為に現世利益があるとすれば(あるのだが),おそらくはここに帰着するのだろう。
 これだけ多くの人をここまで高揚させるのだから,この楽団には力があるということになる。さよう然り,力があるのだ。

● ぼくは客席に1人でポツンと座っているのだが,客席の様子をうかがっていると,夫婦で来ている人,親子で来ている人もわりといるようで,その夫婦の片方と親子の片方が知り合いだったりするケースもある。そこに別の知り合いが絡んできて,ここはサロンかと思うような光景が展開する。
 ぼくは最近までこういう光景に接するのがかなり嫌だったんだけどね。今日に限っては,こういうのもアリかなぁと寛容な気分が最後まで続いたね。

2019.12.28 横浜国立大学管弦楽団 創立60周年記念第113回定期演奏会

カルッツかわさき ホール

● JRの上野東京ラインができて,宇都宮から乗換えなしで行けるようになった川崎。その川崎にやってきた。横浜国立大学管弦楽団の定演を聴くため。初めての拝聴になる。
 何せ,今日からぼくは9連休なのだ。晴々とした気分で,電車を降り,晴々とした気分で年末の川崎の街を“カルッツかわさき”まで歩いたわけなのだ。

● こういうときは,たいていのことは許せる気分になっている。矢でも鉄砲でも持ってこい,というのではなく,寛容の気に満ちているというかね。
 早く毎日が日曜日にならないかねぇ。そうなれば毎日こういう気分で過ごせるのかねぇ。
 ま,そうなったら収入も減るわけだから,電車賃を使って川崎に出るというそれ自体ができなくなるかもしれないけれども,そうなればなったでやりようはいくらでもある。

● ともかく,今日は川崎に来たのだ。まぁだ稼ぎがあるんでさ。開演は13:30。入場無料(カンパ制)。ただし,整理券が必要。が,心配無用。当日,配布しているのでね。
 曲目は次のとおり。指揮は栗田博文さん。
 モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 シベリウス 「カレリア」組曲
 マーラー 交響曲第1番「巨人」

● 音大でもない普通の大学の部活のオーケストラが,マーラーをほぼ破綻のない水準で演奏してのけるんだからねぇ。どうなってんのよ,と訊きたいくらいだ。
 正確にいうと,破綻がないという水準を超えている。この楽団独自の色がついている。結果的についた色ではなくて,つけた色のように思われる。
 基本,弦のレベルの高さがあってのことかと思うんだけれども,木管も金管もパーカッションも相当なもの。
 大学オケのレベルの高さって,入試偏差値と相関しているようで,そこがイマイチ面白くないわけだが。

● ここのところを敷衍すれば,首都圏の大学オケ(音大は除く)についていうと,早稲田大学交響楽団東京大学音楽部管弦楽団,インカレ団体では東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団。この3つがとにかく凄いと思っていた(噂に聞く慶應のワグネルはまだ聴く機会を得ていない)。
 そこに,学習院輔仁会音楽部管弦楽団の演奏を聴いて4つめが来たと感じ,今回が5つめだ。

● ところで,この楽団も横浜国立大学純正ではなくて,他大学の学生も参加しているインカレ団体のようだ。明治学院大学や鎌倉女子大学などの学生もいるけれど,最も多いのはフェリス女学院大学の学生で,名簿を数えてみたら17人いる。おそらく,音楽学部の学生さんではないか。
 演奏の水準が高いのは,こうしたことも一因であるだろう。内に向けて閉じているのではなくて,外に開かれていること。

● 那須室内合奏団の演奏会で何度かお顔を拝見している白井英治さんも1st.Vnの列に加わっていた。トレーナーも参加していたってことね。これも水準の高さを作った理由のひとつであるかもしれない。
 けれども,そういうことは理由の一部であってね。ともかく演奏の水準は相当なものですよ,と。

● 顧問の先生がプログラム冊子に載せた“ご挨拶”の中で,滝廉太郎の「憾み」を紹介している。「23歳のうら若き天才が死と向き合いながら,神の領域まで駆け上がった感があります」。
 本当か。ならば,聴いてみなければなるまい。この曲を教えたもらったことも,今回川崎に来て得られた成果のひとつになるかもしれないではないか。

● いくら冬の日でも,終演後はまだ明るい。9連休といっても,あっという間に過ぎてしまうことは何度も体験してわかっている。
 が,今日はまだ始まったばかり。まだたんと残っている。若い学生さんたちの演奏を聴いて,エネルギーもチャージできた。駅に向かう足取りは軽い。

2019年12月25日水曜日

2019.12.22 第12回栃木県楽友協会「第九」演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 風物詩というものがおしなべて訴求力を失っているように見える。それは昨日今日の話ではない。正月に羽をついたり,書き初めをしたり,凧をあげたりする風景は,田舎でも相当な昔に消えている。双六で遊ぶこともとっくになくなっているだろう。
 それがさらに進んで,今や,正月そのものが解体されつつあるように思える。第1の理由はインターネットだろう。時間の過ごし方を徹底的に個別化する装置がインターネットだ。

● 正月に限らず,バレンタインデーだの,エイプリルフールだの,クリスマスだの,年越しそばだのというのも,大衆の行動を支配する力をほぼ失っている。
 風物詩としては新参者のハロウィンもすでにピークは越えているように思える。渋谷のハロウィンの悪しき(?)盛りあがりぶりが話題になって,どうすればよいかが新聞種になったりもしているけれども,良くも悪くもあれだけのパワーがいつまでも維持されるわけはないと見る。

● 「第九」も年末の風物詩になって久しいのだが,はやり徐々に観客動員力を落としているように感じる。けっこう空席があるようになっている。ひょっとしたら「第九」が飽きられてきたのかもしれない。
 が,それ以上に年末行事だからではないかと思う。それでも,他の風物詩,たとえばクリスマスなどに比べれば,まだ衰勢は微弱ではある。

● ともあれ。年に1回の栃響の第九を聴きに来た。開演は午後2時。チケットは1,500円。事前に購入しておいた。
 付け合わせは,今回はモーツァルト「フィガロの結婚」序曲。

● 今回はヴァイオリンが対抗配置でなかった。だから何だというと,まぁ,何でもないのだが。
 第九は第1楽章がすべてだと思っていた時期がある。宇宙のビッグバンの音楽的表現だ,と。ビッグバン以前なのだから神も存在しないはずなのだが,ここにおいては神がビッグバンを司る。その神も一発では決めることができず,何度かやり直す。ビッグバンは難産だったのだ。

● しかし,今回,最も印象に残ったのは第2楽章だった。ベートーヴェンが意図したわけではないと思われるのだが,楽章全体から滴るような気品。その滴りまでも具現化した演奏でね。
 栃響は素晴らしい。今更で申しわけないんだけどさ。首都圏の名だたるアマオケと比べても,引けを取るまい。

● 罰あたりなことに,第4楽章はなくてもいいんじゃないかと思っていたことがある。愚かにもほどがあるというべきでしょうね。
 この楽章なくして第九はないですわねぇ。特に声楽が入る前の,歓喜のテーマの絢爛はどうしたって必要でしょ。歓喜のテーマが,チェロ・コントラバスから始まって,管弦楽全体で歌いあげるところまでが,第九の核心。
 特に,ここでヴィオラが奏でる歓喜のテーマを聴くと,ヴィオラという楽器はこのためにこそ生まれてきたのではないかと思ってしまうんですよ。

● 「管弦楽が前の3つの楽章を回想するのをレチタティーヴォが否定して歓喜の歌が提示され,ついで声楽が導入されて大合唱に至るという構成」であるわけだけれども,歓喜のテーマさえレチタティーヴォは否定しているように聴こえるんだけどねぇ。
 いったんは否定しても,やはりこれだってことになったんですかね。

● ソニーがCDの生産を開始したのが1982年10月。それ以前からレコードがあったわけだけれども,昨今のクラシック音楽の大衆化現象はCDなしにはあり得なかったろう。
 その理由は複数あるけれども,第1にレンタルに向いた音源だったこと。買わずに借りてすませることができるようになった。CDラジカセでカセットテープにダビングして,ウォークマンで聴く。第2にiTunesがリッピングを可能にしたことだ。
 おかげで,第九も日常的に聴くことができるようになった。この1年で第九を何度聴いたか。たぶん,30回を下回ることはないと思う。

● となると,第九はもう日常品だ。生活必需品の範疇に入ってくる。
 けれども,CDをリッピングしてウォークマンで聴くのはそうであっても,ライヴで聴くということになると,今なお第九は特別な曲なんだろうかな。
 来年はベートーヴェン生誕250周年。第九を聴ける機会が増えるかもしれない。さっそく,5月には宇都宮シンフォニーオーケストラが第九を上演(?)する。

2019年12月19日木曜日

2019.12.15 新日本交響楽団 第103回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 新日本交響楽団は100回を超える定演を重ねているのだから,東京に数あるアマチュア・オーケストラの中でも重鎮というのか,名の知られたオーケストラなのだろう。
 が,ぼくは今回が初めての拝聴になる。

● 開演は13時30分。当日券(1,500円)で入場。曲目は次のとおり。指揮は橘直貴さん。
 ロット "ジュリアス・シーザー"への前奏曲
 ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調
 ブラームス 交響曲第2番 ニ長調

● ハンス・ロットについては,ぼくは何も知るところがなかった。曲を聴いたこともなければ,CDも1枚も持っていない。
 今回の曲目解説によって,「"ジュリアス・シーザー"への前奏曲」は,25歳で亡くなったロットが19歳のときに作曲した曲であることを知った。
 Wikipediaによれば「不幸なことに,ロットはマーラーの堅忍不抜の精神を持ち合わせておらず,マーラーが生涯において数々の困難に打ち勝つことが出来たのに対して,ロットは精神病に打ちひしがれてしまう」と解説しているが,堅忍不抜の精神を持っているかいないかと精神病に罹患するかどうかは,ほぼ無関係だろう。こういう解説は害をなす。

● ともあれ,今回,初めてロットの曲を聴く機会を得たわけだが,ぼくにはいまいちピンと来なかった。が,彼の曲は演奏される機会が増えているらしい。
 CDを揃えるところから始めてみようかと思う。ネットで聴けるはずだと思うのだが,CDというユニットから自由になることが,なかなかできないでいる。

● ブラームス「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」のソリストは,石田泰尚さん(ヴァイオリン)と阪田宏彰さん(チェロ)。
 石田さんは不良高校生の学ランを連想させる恰好で登場。“石田組”と称して各地で演奏会を行っているのだが,ぼくは聴く機会を逸している。
 ヤクザ路線でのアピールは今のところ,巧くいっているんだろうかな。が,観客もいずれ飽きるだろうし,その前に自身が飽きてしまうかもしれないな,と思いながらステージを見ていた。喧嘩も弱そうだしなって。

● しかし,腕の方は,ぼくにはため息しかでない。はぁぁ・・・・・・という感じね。阪田さんと2人で盛りあげる,盛りあげる。
 けれども,オーケストラのレベルの高さがはっきりわかって,そちらの方にむしろ驚いた。ここのところをもう少し掘りさげてみると,驚きたいから驚いているのかもしれないんだけどね。
 ソロの名人芸より管弦楽に惹かれる性癖があるのだと思う。バレエでも花形ダンサーのウルトラCよりコール・ドを見たい。コール・ドがバレエの華だと思っている。
 ちなみに,石田さんと阪田さんのアンコールは,服部良一「蘇州夜曲」。

● ブラームスの2番。ベートーヴェンばりの“風に立つライオン”をやめたブラームスの,初めての交響曲といっていいだろう。
 ブラームス交響曲の真骨頂は20年を費やした1番ではなく,2番以降にあると思う。1番があるから2番以降があるのだと言われるだろうけどね。

● 勝手に溢れてくるように思われるメロディーが,細やかなラインでそちこちに散りばめられている。と,ぼくは勝手にそういう聴き方をしているのだが,ハイレベルな技術の演奏で聴くと,そのあたりがクッキリするように思われる。
 演奏は技術だけではないとは言いながら,技術だけではないのであって,技術を欠いた演奏など演奏ではないってことですか。

● ブラームスというと,ドヴォルザークにも親身なアドバイスを与えるなど,人の面倒見を惜しまなかった人という印象があるのだが,この演奏会の曲目解説で,そのブラームスがハンス・ロットには「才能がない」とこき下ろしたというエピソードが紹介されている。
 こき下ろされたのはロットの交響曲第1番なのだが,となるとその曲がどんな曲なのか聴いてみたくなるではないか。

● この時代,ブラームスは楽譜を見て,才能がないという最も厳しい言い方をしたのだろうが,ブラームスをもってしてもロットの才能を見抜けなかったのか,いややっぱりブラームスに共感するねとなるのか,聴いてみなきゃしようがないね。
 一度聴いたくらいでおまえにわかるのかと問われると,わからないだろうな。でも,とりあえず聴いてみないとね。こういう楽しみを得たのも,今回の収穫のひとつだ。

2019年12月18日水曜日

2019.12.14 昭和音楽大学 第44回メサイア

昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

● 東武宇都宮線を起点に,北千住でメトロ千代田線,代々木上原で小田急小田原線に乗換え,新百合ヶ丘に降り立った。東武を使うとかなり遠いと感じる。
 それが嫌なのではない。たくさん電車に乗っていられるのだから。

● 新百合ヶ丘に来たのは,昭和音大の「メサイア」演奏会を聴くため。ところで,ここは行政区域でいうと川崎市麻生区になるのだな。
 洗足学園は同じ川崎市の高津区だった。川崎には音大が2つもあったのだな。川崎市が音楽の街を標榜する理由のひとつはここにあったのか。

● しかし,と思う。洗足のある溝ノ口からはJR南武線で1本で川崎駅に行き着くことができるが,新百合ヶ丘からは登戸で乗り換えなくてはならない。新宿までは乗換えなしで行く。溝ノ口からだって,川崎よりは渋谷の方が近いかもしれない。
 東京近郊都市の宿命だが,名目上は川崎だけれども,かなりのエリアが準東京になっているだろう。

● この演奏を知ったのは,11月30日の音大フェスでもらったチラシから。ネットでチケットを買っておいた。が,当日券もあったようだった。
 安いB席(1,700円)にしたのだが,ぼくの席からはステージの左半分が切れてしまうのだった。ここはケチるところではなかったかなぁ。
 開演は午後3時。

● 指揮は星出豊さん。ソリストも合唱団も管弦楽も当然,自前。佐藤寛子さん(ソプラノ),髙橋未来子(アルト),髙橋大さん(テノール),市川宥一郎さん(バス)。
 管弦楽は昭和音楽大学管弦楽団で,合唱は昭和音楽大学合唱団。

● イエスの一生と住民の関係を綴ったものだが,“ハレルヤ”で興奮は絶頂に達する。イエスこそ万軍の主であり,王の中の王だ。けれども,自分たち(民衆)はそのイエスを笑いものにした。
 その負い目を埋めようとするかのごとく,怒濤の勢いで,音楽は天上に駆けあがる。“ハレルヤ”が単独で演奏される機会が多いのはゆえなしとしないのだった。

● 全曲を生で聴くのは今回が初めて。その“初めて”がこの演奏だったことは,ラッキーだったのだと思う。管弦楽,ソリスト,合唱のいずれもね,この水準で聴ければね,ぼくからすると何の不満もない。
 全体を把握できた。これでCDを聴くことができる。

昭和音楽大学
● ぼくの隣はひとりで来ていた高齢の女性。たぶん,80歳にはなっているのではあるまいか。足も少し不自由そうだったが,真剣に耳を傾けておられた。
 率直に申しあげて,聴覚もだいぶ衰えていて不思議はない。それでもこの会場に来るのは,ひょっとして彼女はクリスチャンなのか。あるいは,この大学か「メサイア」という楽曲に何らかの思い入れがあるんだろうか。それにしては飄々とした感じだったけど。
 自分が彼女の年齢まで生きたとして,さてこうした会場に足を運んでいるかどうか,まったく自信はない。

● 終演する頃はすでに暗くなっている。新百合ヶ丘の駅前,ペデストリアンデッキにもクリスマスのイルミネーション。少し冷やかしてみたかったけれども,まっすぐ改札に向かってしまった。
 余韻を引きずらずに,すぐに娑婆に戻るのは,いいことなのかもったいないことなのか。

2019年12月10日火曜日

2019.12.08 調布フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会

調布市グリーンホール 大ホール

● 調布に来た。新宿で乗換。ため息が出るほど鬱陶しいね,新宿で乗換えるのはさ。渋谷での乗換もイヤだけど。
 ともあれ,初めての調布。新宿から準特急で4駅目,運賃はたったの250円。けど,だいぶ遠い。東京都下には違いないけども,東京とは別の文化圏でしょうなぁ。
 国立に住んでいる人は,都心に出ることを「東京に行く」と言うのだと,山口瞳さんのエッセイで読んだことがある。調布市民も同じだろうか。国立よりはだいぶ近いはずだが。

● 駅前広場が開放感を作っている。その広場を挟んでパルコが威容を誇る。チェーン店が軒を連ねる地方都市の趣。
 ぼくが知っている東京の街はそんなに多くはないけれども,それらの街とははっきり違う。ここは地方だという気がする。

● 京王で新宿まで行き,さらに電車を乗り換えて大手町や丸の内まで勤めに出てる人もいるんだろうかなぁ。考えただけで怖じ気をふるいたくなるな。ぼくには絶対できないね。
 ここに住んで働くなら地元がいい。それが無理なら西に向かうのがいいねぇ。電車が空いてるもんね。
 実際のところ,都心に出る必要に迫られることはあまりないはずだよね。だいたい地元で用が足りる。食べるのも飲むのも買うのも装うのも。

● 少子高齢化が進み人口減少が加速しても,東京の人口はさほど減らないと予測されている。その東京に調布が含まれるか。東京の西部,八王子や立川はもちろん,三鷹,吉祥寺から杉並,世田谷,練馬あたりまでは人口減少を免れまい。
 都庁が新宿に移転して,東京は西に向かって発展すると言われた時期もあったけれど,ウォーターフロントと羽田空港の国際線復活で,流れは変わった。
 東京は狭くなると思う。コンパクトシティの流れになるはずだ。都内の人口格差が進行することになる。

● 徒し事はさておき。調布に来たのは,調布フィルハーモニー管弦楽団の定演を聴くためだ。初めての拝聴になる。
 開演は午後2時。当日券(1,000円)で入場。曲目は次のとおり。指揮は尾崎晋也さん。
 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調
 カリンニコフ 交響曲第1番 ト短調

● 都内の地名を冠した市民オケでは,豊島区管弦楽団の水準に驚いたが(都民響は聴きそびれている),今日,2つ目の驚きに遭遇した。立派なものだ。ベト4で感嘆し,カリンニコフで圧倒された。
 寄せては返す波のような弦のゆらぎ。強弱とか緩急というより,寒暖のつけ方が巧いという印象。何を言っているのだ。言っている側もよくわかっていない。
 音には温度がある。状況に応じて相応しい温度を与えなければならないのだが,当然,状況は常に変化する。時に大きく変わる。その変化にピッタリ寄り添って,的確な温度を維持している。そういう印象なんですけどね。いよいよわからんな。

● 木管ではまずオーボエ。どのパートもかなり凄いんだけれども,まずはオーボエ。1本の縦笛から繰りだされる七色の変化球。たとえが古すぎて,どうもいかんな。
 わずかな風のそよぎ。そのわずかの多彩さ。そよぎの幅の大小とそよぎが通る小径のありよう。
 こうなると,演奏を聴いて曲を聴いていないと言われそうだが,これは仕方がないね。ライヴで良い演奏を聴く醍醐味のひとつは間違いなくここにあるものな。

● 調布といえば,桐朋学園のお膝元。レベルが高いのはそのためかと思ってみる。桐朋の卒業生がけっこう入っているんだろうか。
 って,それは考えづらいよね。卒業後に何が悲しくて調布に残らなくちゃいけないんだよってね。全国に散るはずだよね,普通はね。あるいは,現役の学生が団員になっていたりするんだろうか。

● ところで,カリンニコフ。これ,曲もいいんだよねぇ。CD持ってたかな。この曲のCDだけ持っていた。カリンニコフで演奏される機会があるのは,この交響曲第1番だけなんだろうか。
 プログラム冊子の解説によると,35年の生涯。作品じたいが少ない。
 交響曲第1番も2番も「もほとんど病床で作曲されたものであるが,生への希望に満ちた明るさが感じられる」というのが,定まった評価であるらしい。ロシアの正岡子規のような感じかなぁ。過労がたたっての結核だったようだ。

2019年12月9日月曜日

2019.12.07 第10回ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会

音楽の友ホール

● ヒエーッ,こんなのがあったんですか。1日でベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲演奏しちゃう。しかも今年で10回を数えるという。
 11:00に始まって20:45に終る。7日は東京に泊まることになっているんですよ。行くしかないなぁ。

● 6部構成で約10時間の長丁場。1部ごとに感想や印象を書き留めておいが方がいいかもしれない。大晦日に東京文化会館で開催される全交響曲連続演奏会でもそんなことはしたことがないんだけれども,弦楽四重奏曲については曲ごとの独自性を捉えられる自信がないのだ。
 1曲聴くたびに上書きされてしまいそうだ。ので,メモしておこうかと。

● にしても,この演奏会,今年で10回目になるのに,今までその情報をキャッチできなかったのは,ぼくの目が弦楽四重奏曲に向いていなかったからだ。
 自分に無関係と思っている情報は,たとえ入ってきてもスルーしてしまう。そういうことだったのだろう。

● 以上のようなことを行く前には思っていたのだが,どうもそうではなかったようだ。過去の9回は一般公開はしていなかったっぽい。演奏する人たりが互いに聴きあうということだったのか。
 今回の10回目でこの企画は終了するようでもある。1回だけ一般公開した今回の演奏会を運よくキャッチできたということだ。ラッキーだったかも。

● 会場の音楽の友ホールは神楽坂にある。音楽の友社が運営しているんでしょ。大仰な看板は出ていないので,うっかりすると通り過ぎてしまう。ぼくも通り過ぎた組だ。
 だいぶ歴史を重ねてきたホールっぽい。古いホールだ。今となっては使い勝手に難があるかもしれないが,音楽界の文化遺産として保存すべきですかね。

● 演奏が始まっても騒々しさが収まらない。1楽章が終わるごとに客席に移動が発生する。どうも,客席にいる人の多くは奏者らしいのだ。
 ホールに楽屋がないんでしょうね。あるいはあったにしても,客席で聴きましょうということらしい。

● すると,どうなるか。客席が楽屋になるんだね。
 演奏が始まっても私語がやまない。演奏中にケースからヴァイオリンの弓を取りだして磨き始める人がいる。演奏中に立ちあがって後ろの席に置いた荷物からガサゴソと何かを取りだす人がいる。

● 観客も奏者の知り合いが多いらしい。知り合いの演奏が終わると帰って行く。
 だから何ということではないんだけれども,これは客席の水準をダダ下がりにする最大要因だというのが,ぼくの経験則だ。
 この時点で長居無用という結論に至った。せっかくだから20:45までいようと思っていたのだが,とても無理。

● とはいえ,聴けるだけは聴いていく。作曲順に演奏するらしい。第1部は3番,2番,1番。第2部は5番,4番,6番。第3部は7番,8番,9番。第3部ではその前にHess34(弦楽四重奏曲 ヘ長調 ピアノソナタ第9番の編曲)。
 以上で会場を後にした。後期を聴かずに帰るのでは何しに来たのかと思わぬでもないのだが,ま,このあたりが限界だった。客席が楽屋になっているというのを別にしても,このあたりが限界だったか。

● 大晦日に東京文化会館で開催される全交響曲連続演奏会では,1番から9番まで指揮者もオーケストラも変わらない(メンバーの変更は一部あるが)。ので,小休止,中休止,大休止と休憩を挟みながらつないでいくのだが,こちらは1曲ごとにメンバーは交代する。
 のだが,プログラム冊子によると,1~9回は2日かけてやっていたようだ。

● 今までに聴いた演奏の中で最も印象に残っているのは,2013年10月に宇都宮で聴いた兵庫芸術文化センター管弦楽団のブラームス4番だ。
 われながらヘボな聴き手だと思うのだが,それまでブラームスがわからなかったのだ。わからないというか,ブラームスの曲を聴いても,これのどこにブラームスがいるのか,ベートーヴェンの曲だと言われたら信じちゃうよ,みたいな。
 それが,この演奏を聴いている途中でこれがブラームスだっていうのが掴めたというか,パッとわかったというか。心臓がバクバクし始めた。ユーレカってなものだ。

● それと同じことをベートーヴェンのカルテットについて味わいたいのだ。つまり,現時点でぼくは16番まである弦楽四重奏曲について爪を立てられるところまで行っていない。
 何が何だかわからない。ベートーヴェンの表情がまったく見えない。「千と千尋の神隠し」のカオナシが作曲したのかと思う水準にとどまっている。

● まとめて聴くことによって,少なくとも曲間の違いくらいは見えてくるかもしれない。作曲順に演奏するとなれば,変化も時系列で見えやすくなるのではないか。
 CDでそれを試みたことがあるんだけれども,ダメだった。3日間で全部聴いたのだが(Hess34は聴かなかったけどね),何を聴いたのかすらわからないくらいの体たらく。3日もかけたんじゃダメなのかもね。

● 1日でしかも生で聴かせてもらえれば,どうにかなるのではないかという期待があった。第2部の途中で,それが来たかと思えた刹那があったんだけどね(4番の演奏が素晴らしかった)。でも,それを掴み切ることができなかった。指の間からさらさらと砂がこぼれるように消えてしまった。
 第3部では9番の演奏が印象に残ったのだが(特に1st.VnとVc),その第3部でもその刹那が再びやってくることはなかった。

● ので,もう少し粘ってみようかとも考えたんだけど,ここはいったん退くことにした。この演奏会は次はないのだから,ここで退くと敗者復活戦もない。
 のだが,大晦日は8年連続で聴いてきた全交響曲連続演奏会ではなく,弦楽四重奏曲の方のチケットを手当している。そこで何とかリベンジを。

● 結局ね,弦楽四重奏曲に限らず,室内楽曲というのは聴き手の質を問うてくるところがありますよね。何だよ,おまえヘボじゃん,ってね。
 自分でもわかっているんだけどさ,それを自分以外の何者かに指摘されるとまったく面白くない。

● プログラム冊子もA5で本文68ページという大部なもの。定価350円とあるのはユーモアか。
 今回の奏者は72名にのぼるわけで,彼ら彼女らがそれぞれの思いを綴るとこの量になる。
 サッと目を通しただけだけれども,それぞれの人に歴史ありという感がして,面白かった。といっては失礼かもしれないけれども,催行する側にとってのメモリアル冊子になっているのだろうね。

2019年12月3日火曜日

2019.12.01 第10回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京音楽大学・武蔵野音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 音大オケフェスについて感じることのあれやこれやについては,昨日,述べた。ので,今回は,単純に演奏について。あと,若干はどうでもいことに駄弁を弄するかもしれない。
 開演は午後3時。昨日の東京芸術劇場もそうだけれど,駅から近いのは助かる。それで最も困るのがサントリーホールだよね。地下鉄駅からだってけっこう歩くもんね。
 と,さっそく駄弁を弄してしまったけれど,開演は午後3時。

● まず,東京音大。バルトーク「管弦楽のための協奏曲」。指揮は石﨑真弥奈さん。
 女性の指揮者の活躍も,たとえば沖澤のどかさんとか,増えていると思うんだけど,スカートで指揮をしている女性指揮者ってまだ見たことがないよね。必ず,パンツ。
 これって,何でなの? そういう規則があるわけではないだろうから,スカートではまずい理由が何かあるんでしょうかね。スカートでは追いつけない運動量があるとかそういうこと? まさか女性性が強調されすぎるからなんてことではないんだろうからね。

● プログラム冊子の「楽曲紹介」が役に立つ。最初の8行。なるほど,そう考えればいいのか,と思った。
 ここまで割り切ってくれると小気味いいや。説得力もある。

● 武蔵野はじつにベートーヴェン「荘厳ミサ曲」。指揮は飯守泰次郎さん。昨年は「第九」だった。4日の演奏会が本番。今日はそのリハーサルというか,本番前の本番(?)。
 東京音大の「管弦楽のための協奏曲」もそうだけれども,冥途の旅の一里塚が今日のプレ本番ということのようだ。

● 4日は水曜日だから行けるはずもなく,今日聴けるのはとてもラッキーだ。
 当然,ソリスト,合唱団も自前。音大ならではの総合力の具現化。

● これはもう教会で神に捧げるために演奏するミサ曲ではないでしょ。世俗のミサ曲というか,ミサ曲を結界で守られる教会から巷に引きずり出したという感じですよね。
 そこにベートーヴェンの面目を見るかどうかは,その人のベートーヴェン観の問題だけれども,ベートーヴェンが生きた時代というのは,そういう時代だったのかもしれない。よくわからんが。

● 洗足はチャイコフスキーの4番。指揮は秋山和慶さん。
 絶品と申しあげておく。聴きながら何度も脈が速くなったり遅くなったりした(?)。
 第2楽章冒頭のオーボエが完璧に近い。どこで息継ぎをしたのか。息継ぎなしであれをやりとげたのか。
 ロシア音楽を形容するのに「金管の咆哮」という語句がわりと使われる。そのとおりなのだけれども,金管をあそこまで全開にすると音が割れるのが普通にあると思うのだが,そういうことが皆無。
 第3楽章の弦のピチカートも見事なもので,色気を感じた。

● チャイコフスキーは5番と6番がいいと思うのだが,今日よりしばらくは,「チャイコフスキー? 4番が一番だよ。4番を聴かなきゃダメだよ。ムラヴィンスキーでもカラヤンでもいいからさ,とにかく聴かなきゃダメだよ」てなことを言いそうな気がする。

● クラシック音楽→芸術→勉強しないとわからないもの=高尚なもの,という図式があるとして,いやそうでもないよというのをわかりやすく示してくれるのがチャイコフスキーだと思う。エンタテインメント性が濃いというかね。
 しかし,チャイコフスキーが見ていた何か深いものがあったはずで,その何かを抉りだすようにして,ほら,これでしょ,と差しだされたような,そういう感じの演奏ね。

● 差しだされて,なるほどこれか,とぼくが思えたのなら,“感じの”は省略していいのだが,聴き手がそこまでの水準には達していないので,“そういう感じの演奏”という表現になった。
 しかし。こういう演奏が聴けるのだから,このイベント,来年もあって欲しい。

● 3月には例によって,各大学を横断するオールスターチームで,ストラヴィンスキー「春の祭典」を演奏する。
 生とCDとの落差が大きい曲だ。ぜひ,聴いておきたいが,じつはチケットを買いそびれた。“ぴあ”で買っておくか。当日券もあると思うが。