2009年12月31日木曜日

2009.12.31 間奏10:音楽に嫌われないように

● 中学と大学で横笛を吹いていたS君によると,大学の部活では,10分間の演奏のために何ヶ月も練習を重ねるし,それが許されるのだが,大人の楽団では短時日で合わせることができる力が求められるんだそうだ。それこそ初見で合わせていける力。基礎トレーニングがしっかりできてなくちゃいけない。
 自分にはそこまでの力はないので,大人の楽団には入らないでいるのだと彼は言っていた。なるほどと思って聞いた。

● 熱に浮かされたようなライブ元年だった。来年はどうなるか。音楽にもライブにも飽きる気配は今はない。基本的に今年と同じことを繰り返すだろう。
 が,だんだん耳が贅沢になるのかもしれない。凡百の演奏では満足できないようになるのかもしれない。それは大いなる進歩なのだと思うが,ぼくがそこに行くのはまだまだ先になるだろう。
 ぼくの前に拡がっている音楽の沃野は,汲めども尽きぬ深い泉のようなものだ。浅くかつ狭い交際しかできないだろうが,音楽に嫌われないように付き合っていきたい。

2009.12.23 第27回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

宇都宮市文化会館大ホール

● 23日の天皇誕生日には,宇高・宇女高合同演奏会の「第九」を聴きに行った。高校生の演奏は8月の鹿沼高校管弦楽団に次いで二度目。13時半から宇都宮市文化会館大ホール。
 主催は学校ではなくて,両校音楽部のOB会・OG会。

● 両校とも栃木県を代表する名門。どんな演奏を見せてくれるんだろうか。
 加えて,第九である。第九じたいが持つ力は20日に味わった。同じ力に再び包まれる快感を想像して出かけた。唯一の不安は第4楽章しか演奏しないわけじゃあるまいなってこと。

● ところが,結果においてその不安が的中した(→今思えばそれが当然。なぜ第九をそっくり演奏するものと思いこんでしまったのか)。
 3部構成になっていて,第1部は両校合唱部の演奏。どちらも途中から部活動を引退している3年生と卒業生が加わった。宇女高が先。乙女たちの聖なる調べということなのだが,合唱部の部員が数名しかいないのは以外だった。最後に校歌まで歌ってくれた。
 宇高の合唱部は数が揃っていた。こちらは「箱根八里」や「斎太郎節」(宮城県の民謡ですね。マツッシマァアノォってやつ)などを歌った。
 第2部は両校の管弦楽の合同演奏。ビゼーのカルメン組曲から,アラゴネイズなど3つ。
 そして第3部が合唱+管弦楽。が,いきなり第九ではなくて,まずヘンデル「メサイア」からハレルヤを。次がやっと第九になる。ただし,第4楽章のみ。

● ぼくも高校生のとき,ハレルヤにかり出されたことがあった。某高校と合同で合唱した。ぼくは積極的な理由があって音楽を選択したわけではない。美術にはまったく自信がなかったし,書道も何だかなぁというわけで音楽を選んだデモシカ音楽選択生に過ぎなかった。それゆえ,義務感だけでやっていたので,今ではほとんど記憶から脱落している。そのあやふやな記憶を辿って書くのだけれども,音楽の時間以外に練習をやったという記憶はない。お相手との合同練習も1回だけだったような気がする。
 というようなことを思いだしながら,両校のハレルヤを聴いていたのだが,聴いている分にはすぐに終わってしまうねぇ。
 ぼくらは,当時,これだけしかやらなかったわけだが,主催者としてはもっとやらせたかったろうねぇ。こちら側の負担を慮ってくれて,最小限の要求にしてくれてたんだなぁと,今にしてわかる。

● さて,おめあての第九。ソリストは,先生つながりで選んでいる。テノールは菊川祐一さん。宇都宮北高校の先生。バリトンは氏家中の校長さん。合唱団は両校の合唱部と音楽選択の2年生。指揮は宇高の音楽担当教諭の藍原先生(国立音大の出身らしい)。
 男声が幼い。致し方のないことだ。まだ骨格も完全にはできあがっていない男子高校生が歌っているのだから。その点,女声に幼さはない。発育の男女差がクッキリと現れる。
 オーケストラは宇女高の方が駒が多い。両校のオーケストラをガッチャンコしてパート別に配列するわけだから,自分の隣にいるのが女の子だったりするわけだ。嬉しいだろうねぇ,宇高生諸君。

● 特徴的だったのは,相当にゆっくりした演奏だったこと。なぜなのか理由がわからない。何らかの教育的配慮だろうか(テンポを落とした方が,音を合わせやすいから?)
 もっとも,その昔は今よりずっとゆっくりした演奏だったと聞いた記憶もあるんだけど。カラヤンが速くしてしまった,みたいな。
 両校のオーケストラは相当な実力を秘めているのに,その実力を引きだせていないように思えた。じれったさのようなものを感じましたね。
 このオーケストラで第九の全体を聴きたいとの思いも残った。

● しかし。藍原先生の説明によると,新型インフルエンザのために,例年のような練習ができなかったそうだ。例年だと,合唱団とオーケストラの合同練習を5~6回はするのだけれども,今年は一緒に演奏するのは,この本番が初めてなのだという。
 生徒の集中力に脱帽するとおっしゃっていたが,まことに高校生畏るべし。オーケストラの実力を引きだせていないと感じたのも,練習時間がなかったせいか。
 今回の演奏会であらためてわかったことがある。結局のところ,自分は管弦楽を聴きたいのだなってこと。合唱ではなく管弦楽を聴きたいんだ。

● 開場前に長い列ができていた(それでも当日券があったけれど)。大ホールがほぼ埋まった。客席の多くは生徒の父兄なんでしょうね。演奏中にデジカメやケータイカメラで撮影してたり,終演近くなると,壁際に立って写真を撮る人まで出る始末。
 演奏会の性格からして,そういうものじゃないかと言われれば,それまでのことではあるけれど。

2009.12.20 第2回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 20日は午後2時から総文センターメインホールで,ぼくとしては初めての第九。メインホールが満席になった。第九の力,恐るべし。左袖の勾配のある席に座った。早めに着いたので,いい席をゲットできた。

● ソプラノ・菊川敦子,アルト・瀧浩子,テノール・矢古宇好道,バリトン・石野健二。管弦楽は栃響。声楽は県オペラ協会と楽友協会合唱団。

● メインホールが力で満たされた感じ。まずは,楽曲じたいが持つ力ですね。つまりは,作曲家であるベートーヴェンの力。
 次にライブの力。何度かCDで聴いているけれど,これほどの力に包まれることはない。第一次の音源が目の前にあるってこと。目の前のステージで次々に音が生みだされている。さらにそれを生みだしている人たちの,生みだしてる様を目のあたりにできる。これがライブの力なのでしょうね。

● 第4楽章の迫力は圧倒的。ソリストたちも健闘していたのだが,合唱の音量も充分。楽器としての人体の凄さってやつですか。
 これだけの演奏を1,500円で聴けるとは。

● コンサートにはいつだってひとりで出かけている。誰かと一緒だったことはない。かつ,こういうものはひとりに限ると思っている。知っている人が隣にいたら,ステージに集中するのを妨げられそうだ。
 終演後は,そそくさと帰途についている。が,このときだけは誰かと終わったばかりの演奏について語りあいたくなることがある。しかし,と思い直す。嗜好が自分と合わない人だったりしたら,かえって余韻を損ねてしまうかもしれないな,と。
 せめてそそくさと帰るのをやめて,会場の近くの喫茶店(今はカフェというのか)でしばらく余韻に浸る時間を持った方がいいんだろうな。

● このチケット,じつは2枚買ってしまっていた。栃響にネットで購入を申しこんでいたんだけれども,ずっと反応がなかったので,後日,某プレイガイドで現物を買った。ところが,だいぶ後になってから栃響からチケットが送られてきたんだねぇ。相手が栃響じゃ喧嘩するわけにもいかないと思って(これから長いつきあいになるだろうし),代金を払いこんだ。わずか1,500円だし。
 ヨメとふたりで行ければいいのだが,念のために訊ねたところ,自分は行かないという。
 このままでは1枚が無駄になってしまう。ので,職場の同僚に若い順から,要るならやるぞと声をかけてみた。2番目に若いのが行きたぁいというので,彼女に進呈した。無駄にならなくてよかった。

2009.12.12 真岡市民交響楽団第42回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 12日(土)は大恩ある(と,勝手に思っている)真岡市民交響楽団の第42回定期演奏会。午後6時から真岡市民会館。5百円の当日券を買って入場。市民会館大ホールは7割の入り。
 右袖の席に座った。客席も見られるのがミソ。もちろんステージも見やすい。けっこう穴場の席かと思う。
 ぼくの近くに小さい子ども2人(うちひとりは0歳児)を連れた夫婦が座った。困ったなぁと思ったが,子どもたちはおとなしくしてて,鑑賞の妨げにはほとんどならなかった。

● 演しものは,ブラームスの「悲劇的序曲」,ドヴォルザークの「チェコ組曲」,ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。
 「悲劇的序曲」も夏にライブで聴いている。「田園」はCDでは何度も聴いているけれども,生演奏は初めて。素人ながらにこの曲の難易度は高いと思うんだけど,ちゃんと音楽に仕立てている。
 それゆえ,ぼくとしては技術的な部分でケチをつける気持ちはない。っていうか,ぼくの耳だとケチをつけるところも見つからないわけで。

● 残念だったのは,「田園」の3楽章から4楽章に移るときに,客席からケータイの受信音が響いちゃったこと。気を取り直して指揮者が腕を上げ始めたその瞬間,再び響いちゃった。
 ケータイは切る。こんな簡単なことができないやつも数のうちにはいるんですな。開演前にアナウンスもされるのにねぇ。

2009.12.09 宇都宮大学管弦楽団第68回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 12月になった。今月はかねて楽しみにしていた演奏会がたくさんある。まずは宇大管弦楽団の第68回定期演奏会。6日の午後2時から。場所は宇都宮市文化会館の大ホール。
 前回,アンケートに回答したものだから,楽団から招待状が届いた。この招待状で5名様までと書いてあるが,ぼくに一緒に行ってくれる相手はいない。

● 演しものはベルリオーズ「ハンガリー行進曲」(劇的物語「ファウストの劫罰」より),ドビュッシー「小組曲」,ブラームス「交響曲第1番」。
 指揮は海老原光氏。鹿児島ラサール中・高校を出ている人だから,頭も良かったんだろうな。東大ではなく芸大に進み,音楽の道を歩んできた。30代。まだまだ若い。

● オーケストラのライブは久しぶりだ。ライブで聴くのはオーケストラが一番だとあらためて思った。ライブとCDとの落差が一番大きいのがオーケストラだからね。生ならではの迫力を味わうにはオーケストラがいいですな。
 そこに来て若い学生たちの演奏だ。若者の演奏はイキがいい。生命の躍動感っていうか,これから成長していく者しか持たないオーラがステージを覆っている。それだけでこちらとしては何がしかのギフトをもらった気分になる。
 招待状で来ているからお金は払っていない。カンパ箱でもあればとキョロキョロしてみたのだが,そういうものは見あたらなかった。

● 一曲目に行進曲を持ってくるのはいいですね。最低限,客席は盛りあがる。
 ドビュッシーの「小組曲」は,もともとピアノ曲だったのをアンリ・ビュッセルが管弦楽曲に編曲したんですね。管弦楽曲の「小組曲」を聴くのは初めてだし,CDでも聴いたことがない(ピアノ曲の方は聴いてる)。
 吉行淳之介が好きだったという理由で,ドビュッシーにはこだわりを持っているつもりなのだけど,ぼくには難解です。いまだにピンと来ない。

● ブラームスの1番。第4楽章でウワァーッと盛りあがって終わる。交響曲の王道を行ってるっていうか。
 この曲は8月にも東京で聴いているし,2番と4番もライブで聴いている。超メジャーな曲のうえに,今年はブラームスが流行った1年だったのですかね。

● というわけで,今回も充分に満足して帰途につくことができた。帰宅してから,ブラームスを聴いてみた。カラヤンが指揮するベルリン・フィルの演奏なのだが,それよりも宇大管弦楽団のライブの方がずっと迫力がある。

● あえて注文をつけるとすれば,演奏が終わったあともしばらくは緊張を解かないで欲しい。
 オーケストラは演奏のみならず見た目のビジュアルも美しくあってほしい。顔かたちの問題ではない。緊張感が醸しだす凛とした感じが即ち美しさだから。

● 大学に入って初めて楽器に触れた団員もいるらしい。ぼくは大学では硬式庭球部に入ったが,硬式テニスなどそれまでやったことがなかった。音楽の部活でも同じ学生がいても不思議ではない。
 中学と大学で吹奏楽部にいた同僚のA君によれば,演奏会は2年生以上と1年生の経験者が出場することになるんだけれども,初心者でもメキメキと上達する人がいるんだそうだ。
 若い学生たちだから,3年や6年の経験の差は逆転可能な範囲なのだろう。可塑性が高いっていうか,しなやかさを保持しているっていうか。

2009年11月30日月曜日

2009.11.30 間奏9:無料主義


● すでに書いたことの繰り返し。
 数年前から無料主義?を標榜している。大事なものほど無料ですませようという,ケチ体質満載の生き方だ。
 要するに,本は図書館で借りれば無料。CDも図書館で借りてPCに取りこめば無料でコレクションが増える。英会話を勉強したければ,英会話学校に通うよりもNHKのラジオ・テレビ講座を推奨。

● 本でもCDでも借りれば返すことになる。使用後にブツが手元に残らないというメリットも大きい。モノに囲まれて暮らすのは鬱陶しい。家の中のモノは少なければ少ないほどいい。

● コンサートはレベルの高いアマオケを探して聴きに行く。鑑賞力がぼく程度であれば,これはじつに賢いやり方だと思う。チケットが安いから。どれがレベルの高いアマオケかってのは,今どきはネット情報でかなりの程度まで絞りこめる。
 しかし,新幹線で東京まで往復するのでは,チケットが安くても何にもならない。したがって,基本的には地元にならざるを得ない。地元主義だとレベルの高いアマオケを探すといっても自ずからなる限度がある。

● が,仕事や主婦業の傍らに演奏活動をしている人たちの集まりであるアマオケのレベルは高いに決まっている,と擬制すればいいのだ。レベルの低いアマオケなどないのだ,と。

● なぜなら,オーケストラの場合は,CDで聴くのとライブで聴くのとはまったく別物で,重なるところがないからだ。
 CDで聴くと,プレーヤーと自分との間の距離は縮まることがない。常に必ず距離がある。
 という状況だと,頭で聴くことになる。あるいは理性で聴く。自分の中の評論家や自分の中の審査員が頼みもしないのに口を出してくる。
 これがライブだと,演奏しているステージと客席にいる自分,その距離が伸縮する。どんどん距離が詰まっていって,瞬間的にだけれどもゼロになることがある。演奏と自分が一体化する。このときに強烈な幸福感に包まれるわけだ。ときに鳥肌が立つくらいの。

● 重要なのは,ステージと自分との距離を決めるのは,楽団の技術ではないってことだ。少なくとも,技術に比例はしないってことだ。
 では何によって決まるのかといえば,曲じたいだったり,ホールの音響効果だったり,聴いている自分の側のコンディションだったり,いろんな要素があるのだろうとしか言えない。ただ,技術だけではないよってことね。

2009.11.08 木管五重奏-栃木県立図書館第122回クラシック・ライヴ・コンサート

栃木県立図書館ホール

● 8日(日)は三度目になる県立図書館のクラシック・ライブ・コンサートを聴いた。今回は木管五重奏。
  奏者はKUMST WIND QUINTET。KUMSTは5人の名前の頭文字を取ったもの。5人とも栃響のメンバーである。

● 曲目はファルカスの「ハンガリーの古典舞曲」から5つ,チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」,モーツァルトの「魔笛」序曲。休憩をはさんで,ジョプリンの曲をいくつか。ジャズですね。その後に日本の「花いちもんめ」「ふるさと」など4曲。最後にビゼーの「カルメン」から抜粋で。

● 西洋の楽器で日本の曲を聴くのもいいものです。総じて,ずっと聴いていたくなる感じですなぁ。弦はもちろんだけれども,管もいいですね。ピアノは名手の演奏じゃないと飽きるけれど,管・弦は腹に溜まらない。

● 県立図書館のホールはコンサートを想定して造ったものではないだろうけど,大谷石造りでそれなりに趣があるし,広さも小規模のコンサートにはちょうどいい。音響も専用ホールに比べれば劣るのは当然としても,けっこういいんですよ。

2009.11.03 第1回とちぎ音楽祭

栃木県総合文化センター メインホール

● 「とちおん」こと第1回とちぎ音楽祭というのに行ってきた。総文センターのメインホールとサブホールを使って,複数のコンサートを2日間にわたって開催しようという野心的な試み。
 そのうち,ぼくが聴いたのはふたつ。1時半から仲道郁代さんのピアノリサイタル,6時半から趙静さんのチェロリサイタル。時間はそれぞれ90分間の予定だったが,前者は90分を超過し,後者は90分に満たなかった。が,おおよそ時間どおり。場所はメインホール。

● 仲道さんといえば美貌のピアニスト。場数も実績も充分。ベートーヴェンソナタの全曲を収録したCD全集も出していますね。
 ただ,彼女の知名度をもってしても,メインホールはガラガラでねぇ。前方の数列は埋まっていたけど,これは来賓と招待者の席だったようだ。それを除くと空席の方がはるかに多かったですね。
 「仲道郁代オールベートーヴェンピアノリサイタル」という名前のとおりで,仲道さんが演奏したのはベートーヴェンのピアノソナタの中から,「悲愴」「ワルトシュタイン」「月光」「熱情」の4曲。

● 演奏の前に仲道さんが曲の解説をしてくれた。そういうものはプログラムに載せてもらって,ステージでは演奏だけやってもらいたい,奏者はステージではお喋りであってはならない,とも思うんだけど,彼女の肉声で解説を聴けるのはラッキーでありますね。
 っていうか,「とちおん」にはプログラムなどない。
 ちなみに,料金はA席が3千円,B席が2千円。これで仲道さんの演奏が聴けるわけだ。

● 仲道さんの演奏は軽いんですよ。軽々と弾いているんだけれども,吸引力があるんですね。ピアノは飽きる,途中でお腹がいっぱいになると前に書いたけれども,名手の演奏は途中で飽きるなんてことはないんですね。
 
● 午前中は,サブホールで「オールショパン 子供のための音楽会」があったようだ。これも仲道さん。そのせいか,午後の演奏にも子供連れが多かった。
 が,演奏が始まると静かに聴いていた。たいしたものだね。問題は招待客に多かった印象。休憩時間が終わっても席に戻らないとか。

● 5時からサブホールで「音楽祭フォーラム」ってのがあったんで,聞きに行ってみることにした。「音楽と文化,教育,地域振興」をテーマに,「出演者,とちぎ特使,教育・学識経験者,ジャーナリストほか」が話をしあう。ひょっとして仲道さんなんかも出るのかなと思っちゃったんですな。
 ところが,行ってみたらば。壇上には4人の男がいた。国会議員と県会議員。あとはNHKを退職した某氏(学識経験者ということでしょう)と主催者(事務局長)の某々氏。
 間違ったところに来てしまったと思ったものの,途中までつきあった。

● 某々氏はこの催事の自画自賛。たしかに大変な催しを実行したわけで,自画自賛は許されていい。以下は,姑息なあら探しです。
 複数のコンサートを同時進行してコンサートの「はしご」ができるようにしたいんだそうだ。原則出入り自由だ,と。でもね,演奏中の出入りを許したのでは,演奏も鑑賞も成立しなくなる。
 たぶん,「ラ・フォル・ジュルネ」を範例にしているんだろうけども,「ラ・フォル・ジュルネ」でコンサートの途中で出たり入ったりするのまで自由にしているとは聞いたことがない。そういうことをしなくていいように,短時間のコンサートを数多く開催しているはずだ(ひょっとして,途中入退室も認めているのか)。

● 来年は一挙に5日間開催に持っていきたいとおっしゃる。屋台を出して,コンサートの後に気軽に飲んだり食べたりできるようにしたい,許可が出るかどうかわからないけれども,とも語っていた。
 「ラ・フォル・ジュルネ」が開催されるフランスのナント国際会議場は知らず,総文センターのどこに屋台を出す場所があるというのだ。
 総文センターには「オーベルジュ」が運営するレストランが営業しているし,道路を隔てれば喫茶店もある。センターの裏側は泉町だ。酒を呑む場所はいくらでもあるのだ。
 屋台を出して客を囲いこんでどうする。周辺の店が潤うことを考えたらどうか。その方が「とちおん」も地域に歓迎されるだろう。

● さて,6時半から趙静さんのチェロリサイタル。無伴奏で彼女のチェロのみ。バッハの無伴奏チェロ組曲の1番と3番。レーガーとカサドのチェロ組曲をひとつずつ。
 レーガーとカサドは始めて聞く作曲家だ。今回のコンサートで演奏されることはわかっているわけだから,予めCDを聴いておいた方がいいかどうか。
 どっちでもいいでしょうけど,ぼくは予習はしない主義。主義というほど大仰なものでもないが,初めて聴くのが生であるのはラッキーなこと。
 聴衆は前方の招待客以外はほんとにチラホラという程度。同じ時間帯にサブホールで阿久澤政行氏(地元出身)のピアノリサイタルがあった。こちらは開演前から長い行列ができていた。ピアノとチェロの違い,チケット料金の違い(あちらは千円)だろうけれど,会場を逆にした方が良かったろうね(ちなみに,午前中の仲道さんの子供相手のコンサート(サブホール)も満員の盛況だったらしい)。

● しかし,出入り自由なのがね,演奏中に目の前をスタッフに先導されたお客さんが通り過ぎるて行くんですよ。ものすごい邪魔。ステージに集中できない。メジャーリーガー級の奏者が演奏してるっていうのに。
 ということで,印象はちょっと微妙ですねぇ。来年はどうしようか。

2009年10月31日土曜日

2009.10.29 昆劇

真岡市民会館 大ホール

● 29日は音楽ではなく,中国の昆劇ってのを観ました。真岡市と二宮町の合併記念行事として真岡市が仕組んだもので,会場は真岡市民会館大ホール。自由席で観劇料は千円。
 昆劇っていう名前じたい初めて聞く。ここで覗いておかないと,一生縁のないままで終わるだろう。終わっても構わないんだけれど,せっかく音楽でライブづいてきている。音楽以外のライブにも食指を延ばす好機じゃないか。

● というわけで出かけてみた。19時開演だったのだけど,夕刻から行列ができはじめてて,ついには長い長い行列ができた。チケットは自由席だが,間違いなくソールドアウトになったはずだ。ディズニーランドの人気アトラクションの列に並んでいるような気分だった。

● 思っていたより面白かった。これで千円なら文句はない。っていうか,かなりお安いと思う。が,ではもう一度観るかと訊かれると,少なからず微妙なところだ。
 昆劇には2つの方向があるようで,ひとつは,上海雑伎団のようなアクロバティックな身体演技をウリにするもの。もうひとつは,オペラのように歌いながら演技するものだ。当然,巧く歌えなければならない。
 演技者は両方ともできなければならない。どちらかを選んでそれ専門で行くというわけにはいかないのではないかと思う。ということは,演技者にはかなり過酷な世界で,早い話が若いうちしかできないはずだ。役者寿命はかなり短くならざるを得ない。

● 舞台の端に音楽伴奏の奏者が数人固まって,伝統楽器を奏でる。二胡や笛のソロ演奏もあった。充分に楽しめる水準にあるのだけれども,二胡よりもヴァイオリンがいいし,笛よりもフルートがいいんだなぁ,ぼく的には。

2009.10.25 第14回コンセール・マロニエ21 本選

栃木県総合文化センター メインホール

● 総文センターで開催された「第14回コンセール・マロニエ21 本選」を聴いてきました。約6時間に及ぶ長丁場。今回はピアノと木管。来年は弦と声楽。毎年,全部門について実施するんじゃないんですね。
 ここのところ,宇大教員による演奏会と「響」の定期演奏会で,ピアノに食傷気味だった。
 ピアノは飽きる。途中でお腹がいっぱいになってしまう。で,今回も覚悟はしていたんですよ。自分的に聴きたいのは木管で,ピアノは忍耐で乗り切ろうと。

● ところが。そんなことにはならなかった。ピアノ部門が6人。木管も6人で,そのすべてにピアノの伴奏がつく。6時間もの間(途中,3回の休憩はあったけれど),ずっとピアノを聴き続けたわけだけれども(しかも,木管は曲目が指定されていたので,同じ曲を二度聴くことも),飽きはこなかった。
 これはどういうわけか。このコンクールにかける奏者たちの緊張感と真剣さが伝わってくるからか。

● ともあれ,聴くに値する内容だったと思う。もちろん無料だ。メインホールを使わせているのは,主催者の出演者に対する敬意かもしれないが,客席ははまばらだった。2階席は進入禁止になっており,1階のいい席で聴くことになる(2階席には審査員が陣取っていたようだ)。
 ぼくが言うのも変なものだが,もっと多くの人が聴きに来てくれればと思いますね。しかし,6時間はさすがに長いね。普通のコンサートって2時間だものね。

● ピアノ部門。トップは榊原涼子さん。芸大院の2年。ピアノ部門は何を演奏するかはきめられていない。自分で選べる。彼女が演奏したのはシューマンの「謝肉祭」。
 次は石井絵里奈さん。同じく芸大院2年。プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」からいくつかを抜粋して演奏。
 棟方真央さん。芸大4年。ベートーヴェンの「ピアノソナタ第31番」とラモーの「アルマンド(新クラウザン曲集より)」。彼女の演奏がラモーの聴き初めとなった。

● 片野和紀さん。東京音大を卒業してハンガリー国立リスト音楽院で修行した。リストの「婚礼(巡礼の年第2年より)」とヴァインの「ピアノソナタ第1番」を演奏。
 ヴァインの曲は1990年に作られた。もちろん,ぼくは聴いたことはないし,ヴァインという名前も初めて聞いた。ピアノの端から端まで使って演奏する。いろんな弾き方があるものなんだな。
 ぼくはこの人が1位を取るのではないかと思ったのだが,結果は2位なしの3位だった。

● 小瀧俊治さん。東京音大の院生。ラフマニノフの「前奏曲」と「ピアノソナタ第2番」。ラフマニノフはピアノ協奏曲第2番が突出して有名で,それ以外はあまり聴く機会がない(ぼくだけか)。おとなしい弾き方だと思って聴いていたんだけど,彼が第1位を取った。

● 見崎清水さん。桐朋学園大学3年。ラヴェルの「夜のガスパール」を演奏。
 音楽では芸大が図抜けて実績をあげているって感じでもないですね。他学部における東大ほどには突出していない印象がある。私立の音楽大学が健闘しているともいえるわけで,その代表が桐朋。
 私立の音大は医学部に次いで学費が高い。マンツーマンのレッスンがあるのだから当然だけど,いいところのお坊ちゃんやお嬢ちゃんじゃないと入学できない。本格的に音楽をやれるのはもともとそうした階層の子弟だけ?

● さて,木管。ピアノに飽きなかったとはいえ,6人のピアノが終わって木管に移ったときには,なにやらホッとした気分にはなりましたね。
 本選に残ったのはクラリネットが2人,フルートが3人,ファゴットが1人。
 堀菜々子さん。クラリネット。今回唯一の地元出身者。現在は芸大の3年。木管部門は曲目が指定されており,クラリネットはモーツァルト「クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」。管弦楽の代わりをピアノが務める。

● 続いて,同じクラリネットの椏木亜裕美さん。桐朋学園大学4年。今年の東京音楽コンクールで第1位を取っている。曲目は堀さんと同じなわけで,こちらとしては同じ曲を二回続けて聴くことになるわけだ。ま,ぼくらはいいけれど,本選に至るまで審査を続けてきた先生方は大変だったろうねぇ。
 ところで,椏木さんのバック演奏を務めたの方は松山玲奈さんと申しあげる。彼女のピアノに感動。ひょっとして,今回のすべての演奏の中で最も良かったのは,松山さんのピアノではあるまいか。もちろん,彼女は出場者ではないんだけど。

● 濱﨑麻里子さん。フルート。芸大院の1年。曲目はモーツァルトの「フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314」が指定されている。東京音楽コンクールでは椏木さんの後塵を拝して3位だった。
 ぼくだったら彼女を1位に推すなと思った。で,結果も彼女が1位。自分の予想が当たるって嬉しいね。って,たんなる偶然にすぎないことはわかっているよ。

● 寺本純子さん。フルート。京都市立芸大から東京芸大に転じて,ヨーロッパで修行。たぶん,今回の出場者の中では最年長だと思う。その美貌と相まって大人の女性の色気を発散していた(そんなことを感じていたのはぼくだけかも)。曲目は濱崎さんと同じ。ここでも二度続けて同じ曲を聴くことになった。

● 蛯澤亮さん。木管部門で唯一の男性出場者。国立音大を卒業。ウィーン音楽院修士課程2年。曲目はモーツァルト「ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191」。

● 井坂実樹さん。フルート。芸大2年。曲目はモーツァルト「フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313」。第2番と比べて,フルートの独奏時間が長い。彼女はよく弾きこなしていて,これも上位入賞だと思われた。結果,彼女が2位。

● これほどモーツァルトを続けて聴いたことはない。飽きなかった。どころか,帰宅後,CDで聴き直したくらい。
 コンクールとはいえ,これだけのレベルの演奏をこれだけまとめて聴けるのは,そうそうあることじゃありません。来年は声楽と弦。行きますよ。これ,行かなきゃ損。

2009.10.20 間奏8:聴きたいのはオーケストラ


● コンサートに行って一番嬉しいのは,自分が聴いたことのない楽曲(たくさんある)を演奏してくれて,その曲が気に入ったときだ。当然,CDを探して,何度も聴けるようにしたくなる。

● 今はITのおかげで,CDの内容をそっくりパソコンに取りこめる。しかも,1時間のCDでも数分で取りこみが終了する。
 なので,図書館からCDを借りだして,自分のパソコンに取りこむってのをずっとやっているんだけど,これって業界にとってはけっこうな打撃であるに違いない。
 けれども,生来のケチ根性が幅をきかせて,タダで手に入るものを,お金をかけて購入する気にはなれないでいるんです。
 ともあれ,ありがたい時代になりましたよ。IT様々,図書館様々です。しかも,図書館では借りる方が礼を言われるんだもの。

● 自分がどんな形態の演奏を好むのかってのもわかってきた。オーケストラをメインにしていくことになりますね。おそらく,多くの人がそうだと思うんですけどね。
 CDとライブとの違いが最も大きいのがオーケストラだ。
 ピアノやヴァイオリンのリサイタル的なものは,もちろんライブの方が身体に入りこんでくるものが多いのだけども,CDで聴くこととの距離はオーケストラほど大きくはない。

2009.10.18 サックスによるバッハ無伴奏チェロ組曲-栃木県立図書館第121回クラシック・ライヴ・コンサート

栃木県立図書館ホール

● 18日(日)は午後2時から県立図書館で無料のコンサート。今回は那須町在住の木村義満さんのサクソフォン。

● バッハの無伴奏チェロ組曲をサクソフォンで演奏するという趣向だったのだが,アルトサックスのほかにテナーサックス,バリトンサックス,ソプラノサックスの音色も聴かせてくれた。サックスが木管に属するってのも初めて知った。リードを使って吹くのは木管になるんだそうですね。

● 無料だからといって,県立図書館を舐めてはいけませんね。90分足らずの演奏会だったが,満足感を抱いて帰途につくことができた。
 県立図書館はコンサート会場としてはわが家から一番近いし,時間もかからない。そういう場所で無料のしかし内容のしっかりしているコンサートが年に何回も開かれるってのは,じつにどうもありがたい。

2009.10.17 響 第34回定期演奏会

宇都宮市文化会館 小ホール

● その8日後(17日の土曜日),再び宇都宮市文化会館小ホールを訪れた。今度は「響」という団体の定期演奏会。今年が34回目になる。
 どういう団体なのか皆目見当がつかなかった。当日のプログラムで西洋音楽(クラシック)の演奏会であることを知った。会員は11名。全員女性。声楽が2名,あとはピアノの演奏者だった。
 チケットは千円。

● 受付で渡されたものはプログラムだけなのが小気味良かった。つまり,アマチュアの演奏会にありがちなアンケート用紙がなかったのだ。このアンケートにはかなり疑問を持っているので(何かの役に立っているのかね。アンケートのためのアンケートじゃないのか),それがないと潔さを感じる。

● プログラムの表紙に「貴族のための音楽から市民の愉しみの音楽へ」というスローガン?が踊っている。ちょっと時代錯誤じゃないかい。
 とっくの昔に,日本では音楽は市民のものになっているんではないかい。アマチュアオーケストラの数の多さと活動の活発さはたぶん世界でも群を抜く。全世帯の4分の1がピアノを所有する。年末には全国のあちらこちらでベートーヴェンの第九を大量に消費する。いずれも,音楽が市民の愉しみのためのものになっていなければありえない現象だろう。

● その前に,日本では貴族が名実ともに消滅してしまった。天皇家は別として,近衛家とか冷泉家とか旧大名家とかの生き残りはまだあるけれども,ひとつの階層を構成できるほどの量ではない。
 現在の日本には新興成金はいても貴族はいない。このスローガンはちょっと見直して欲しいぞ。

● 演し物は全部で7つ。まずは,クーラウの「序奏とロンド(フルートとピアノのために)」。フルート奏者は賛助出演者(ひょっとすると元会員なのかもしれない)。
 作曲者のクーラウは初めて聞く名前。こういうのが音楽鑑賞初心者にとってはありがたい。生の演奏を聴いて好印象を持てばCDコレクションに加えればいい。コレクションが充実する端緒になる。ただし,クーラウのCDは地元の図書館にはなかった。CDショップでもたぶん扱ってないだろう。扱っているところがあるとすれば,ネット販売ですかね。

● 会員の新陳代謝があまりないようだ。34年前は若かったり女盛りだったりした女性たちで構成されている。
 ピアノと声楽しかいないってことは,うがった見方をすれば,全員が主役になりたいと思っている人たちだろう。主役願望者の集まりってことになると,団体の運営もなかなか一筋縄では行かないかもしれないなぁ。
 新陳代謝が進まないとすれば,それが理由のひとつになっているのではあるまいか。下司の勘ぐりか。

● 次はベートーヴェンのピアノソナタ第27番。宇大の小林功教授による演奏を聴いたばかりだけれども,比べても仕方がない。

● 今回もいろんな人がいろんな所で音楽と関わりをもっているのだなぁと思わされた。層が厚い。恐るべし,日本。
 が,ピアノは飽きる。ピアノ曲が2つ続いただけで,お腹がいっぱいになってきた。

● 3つめはシューベルトのヴァイオリンソナタ第2番。ヴァイオリン奏者は賛助出演者。
 シューベルトのヴァイオリンソナタは聴いたことがなかった。これまた新しい世界への導入になるかもしれないのだが,このあたりからやっぱりオーケストラを聴きたいという思いが,目の前の演奏を凌駕し始めた。

● 休憩のあと,4つめの演しもの。初めて声楽が入った。メンデルスゾーンの二重唱曲集から3曲。ソプラノとメゾソプラノ,それと伴奏のピアノ。メゾソプラノ以外は賛助出演者。
 次はまたピアノソロ。メンデルスゾーンの無言歌集から4曲。この時点でピアノには完全に食傷してしまった。

● 次は,シュテックメストの「歌の翼による幻想曲」。メンデルスゾーンの「歌の翼に」の変奏曲。
 今回,メンデルスゾーンがしばしば登場するのは彼の生誕200年を踏まえて曲を選んだからだと,プログラムにある。
 フルートとピアノの曲。フルートでもヴァイオリンでも,ピアノ以外の楽器が入ってくれると気持ちが軽くなる。

● 最後はロッシーニの「約束 音楽の夜会から」と「猫の二重唱」。ソプラノ,メゾソプラノにピアノの伴奏。これは会員のみの演奏だった。
 最後の「猫の二重唱」がユーモラスで客席の笑いを誘った。これを最後に持ってきたのは正解だったのだろう。
 ただ,「猫の二重唱」がロッシーニの作だというのは俗説だから,作者不詳としておくのがよかったかも。

2009.10.09 宇都宮大学教育学部音楽教育講座の教員による演奏会 魂の果実たち

宇都宮市文化会館 小ホール

● 病みあがりの9日(金),コンサートに行ってきた。場所は久しぶりの宇都宮市文化会館。今回は小ホール。
 何のコンサートかというと,宇大教員による演奏会。プログラムには「宇都宮大学教育学部音楽教育講座の教員による演奏会」とある。今回が4回目になるらしい。今後も続けていくのだろう。
 チケットはわずかに千円。

● まずはブラームスの「4つの厳粛な歌 バリトンと弦楽四重奏のための」。弦楽四重奏は宇大で非常勤講師を務めている人たち(全員女性)が演奏。芸大など音楽大学で修行?した人たちばかりだ。それぞれ,本業は別にある。いろんな人たちがいろんなところで音楽との関わりを保っているのだなと思わされる。
 バリトンは石野健二教授。学内の管理職も務めている。仕事のメインは管理業務に移っているのだろう。そういう年齢だ。

● 次は邦楽。長沢勝俊氏作の「萌春」なる曲を狩野嘉宏氏(篠笛)と和久文子氏(箏)が演奏。二人とも宇大には非常勤講師で教えにきている。
 めったに聴くことはないであろう篠笛の音色に接することができた。篠笛ってだいぶ高い音が出るんですね。

● 次は「ゆがんだ十字架のヴァリアント ピアノ独奏のための」を石田修一教授が演奏。ピアノが体の一部になっている感じ。手練れである。
 ところで,「ゆがんだ十字架のヴァリアント」なんていう曲名は聞いたことがないでしょ。それも道理で,この曲は宇大の木下大輔准教授が作曲したものなのだ。

● 休憩をはさんで,シャブリエの「5つの遺作(ピアノのための5つの小品)」を新井恵美氏が演奏した。彼女は専任講師の職にある。スタッフの中で唯一,宇大出身。

● 次はヴェルディの歌劇「エルナーニ」から。石田教授のピアノ伴奏で,小原伸一准教授のバリトン。 最後は小林功教授がベートーヴェンの「ピアノソナタ悲愴」を演奏。巧い。トリに相応しい曲目を完璧に演奏しきった。

2009年9月30日水曜日

2009.09.27 鹿沼フィルハーモニー管弦楽団第25回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 27日(日)は鹿沼市民文化センターに行ってきた。同センター大ホールで鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会があったので。

● 市民オーケストラってありがたい。彼らに頑張ってもらわないと,こづかいが週8千円のぼくは,オーケストラをライブで聴くことなど叶わなくなる。
 市民オケのメンバーは毎月の会費のほか,演奏会には1~2万円の特別会費を払っているはずだ。自分たちの演奏を聴いてもらうために自腹を切っているわけだ。そうまでしてくれるから,ぼくでもライブ演奏が楽しめるんであってね。
 チケット代は8百円。もちろん,喜んで払います。

● 演しものは次のとおり。
 フンパーディンク 「ヘンゼルとグレーテル」序曲
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
 ドヴォルザーク 交響曲第8番

● ドヴォルザークの第8番。この曲を聴くのは今年3回目になる。宇都宮シンフォニーオーケストラ(5月)と鹿沼高校音楽部(8月)もこの曲を演奏しましたんでね。鹿沼高校の生徒たちの演奏はちょっと懐かしい。
 で,高校生と比べたんでは申しわけないんだけど,やっぱりね,違いますね。演奏に締まりがある。透明度が高い。大きく違ったのは木管。
 それとタイコ。これが締まると全体が締まるんですな。管弦楽というくらいだから,パーカッションは刺身のつまのようなものと思ったら大間違いなんですね。ちなみに鹿沼フィルのパーカッションは髭の男性で,楽団の団長も務めている。

● ドヴォ8ってこんなに素晴らしい曲だったのだと気づきました。もちろん,CDでも聴いている。けれども,CDでこのゾクゾク感を味わうことはできない。
 わが家の音響設備はまことに粗末なものだけども,どんなスピーカをつないでも,どれほど出力を上げようと,生の演奏から伝わってくる波動にとって代わることができようはずがないと思う。

● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。超メジャーなピアノ曲だけど,恥ずかしながら,CDでも聴いたことがない。はるかな昔まで遡ればたぶん一度は聴いているのかもしれないが,記憶の範囲ではちゃんと聴いたのは今回が初めて。
 ピアノは赤澤真由子さん。芸大附属高校から芸大を卒業したその道のエリートだ。まだお若いお嬢さん。ルックスにも恵まれた人だ。

● ぼくからしたら,芸大に行くというだけでとんでもないことなんだけども,そこから先のコンマ何ミリの競争が厳しいんだろうね。トップピアニストと彼女との技術差って,ほんのわずかなんだと思う。けれども,そのわずかな差に才能の壁を見る人たちがたくさんいるんだろうな。
 運も露骨にありそうだな。どんな先生につくか,その先生とうまく人間関係を結べるかっていったあたりの。

● ただね,彼女にその辺の不満や屈託があるようには思えないんですよ。彼女に限らず,音楽に身を投じた人って,そういう人が多い気がするんですけどね。
 好きなことをやっているからなのか。きら星のような才能の持ち主が自分の周りにたくさんいるからなのか。

● フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」序曲も初めて聴く曲。フンパーディンクって名前じたい,初めて聞いた。ワーグナーに師事した人で,代表作がこの童話に材をとった歌劇ということだ。CDにはなっているようだけど,県内のツタヤとかCDショップには在庫がない。

● プログラムも楽しく読めるもの。製本の仕方もお金をかけている感じがする。
 一時,団員と観客の減少によって財政難に陥り,存続が危ぶまれたこともあると紹介されている。定期演奏会も以前は大ホールで年2回行っていたが,年1回しかも小ホールになってしまった。
 今は持ち直してきて,年1回ではあるものの,2年前から大ホールに復帰した。

● いい演奏をするオーケストラは,そのステージがビジュアル的に絵になっているものだと勝手に決めている。奏者のルックスは客席からよく見えるものだが,そういうものでオーケストラのビジュアルが決まるのではない。ピンとした緊張感がビジュアルを作るのだろうね。
 鹿沼フィルはビジュアル的にも鑑賞するに耐えるものだった。奏者の腕や顔の動きを見ながら,彼らが紡ぎだす音に身を任せる快楽を充分に味わわせてもらった。

● ステージにどうも見覚えのある人がいた。帰宅してから,これまでに聴いた演奏会のプログラムを繰ってみたのだが,その人,真岡市民交響楽団のA氏だった。
 複数のオケに参加している人で,でもけっこういるみたいですね。栃響とダブっている人は何人かいるし,鹿沼フィルには学生もいる。

● 感謝の気持ちを込めて手が痛くなるほど拍手を続けたが,1週間前の栃響のときほど,拍手が響かない。会場の音響効果の違いだとすぐに気づいた。
 致し方がないとはいえ,鹿沼市民文化センターの音響効果は総文センターや那須野が原ハーモニーホールと比べてしまってはいけないようだ。

2009.09.20 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 総文センターのメインホールで行われた栃響の演奏会に出かけた。ありがたいことに無料。整理券が必要になるんだけれど,これはネットで申し込める。何の面倒もない。

● 栃響の演奏会といっても,栃響は脇役で,メインは昨年度のコンセール・マロニエで優勝した人たちだ。今回の演奏会は彼らのお披露目でもある。
 弦楽部門で優勝したヴィオラの金孝珍さん(女性)と声楽部門の優勝者である小林大祐さん(バリトン)が登場。
 会場はほぼ満員。早めに行って前の方の席を確保した。

● 演し物はバルトークの「ルーマニア民族舞曲」「ヴィオラ協奏曲」,ヴェルディ「歌劇リゴレット」(抜粋),レスピーギ「交響詩 ローマの松」。最初の「ルーマニア民族舞曲」と最後の「交響詩 ローマの松」は栃響だけの演奏。
 最も引き込まれたのは「歌劇リゴレット」。もちろん,部分的な演奏だった。であっても,歌劇の片鱗に触れるのは初めてのことだ。イタリア語で歌っているので意味なんかわからない。劇の台本が手に入れば目を通しておいた方がいいだろうけれど,意味がわからないことがステージに没入するのを妨げることはないようだ。
 バリトンの小林氏は富山県出身で現在は芸大院のオペラ科で学びの最中にある。大変な声量。自分には7回生まれ変わっても絶対にできない技を見せてもらえるのは,じつにどうも気分がいい。

● 先日の県立図書館でのコンサートでも思ったことだが,芸大に進むほどの人は実技を極める方に行っている分,たとえば教員採用試験などへの対応においては,教育系大学の音楽科の後塵を拝することが多いのではないか。プロのオーケストラもこの不景気で採用を絞っているだろう。
 しかし,音楽に限らず芸術,芸能の道はいつだって茨に覆われていたはずだ。彼らの将来に幸いあれと祈るしかない。

● 小林氏と同じ芸大院の西谷衣代さん(ソプラノ)が友情出演。じつは彼女のソプラノにノックアウトされた感じ。あの細い身体からどうしてあれだけの声が出るのか。自分の身体を楽器にするってのはどんな具合のものなのか。
 これを機にオペラの舞台にも出かけていくということにはなりそうもないけれど(地元ではなかなか機会もない),声楽の魅力,豊穣さの一端にはたしかに触れ得たと思う。

● ともあれ。今回も満足して会場を後にすることができた。5月9日以降,これが14回目のコンサートになるけれど,コンサートに時間を費やしたことを後悔したことは一度もない。

● バルトークの協奏曲やヴェルディの歌劇のいくつかはぼくのパソコンにも入っているけれども,じつはまだ聴いたことがなかった。レスピーギの名前は今回初めて聞いた。そんなものなのだ,ぼくは。
 コンサートを機に聴きたい楽曲が拡がっていくのも幸運なことだ。

2009.09.11 間奏7:自分の中の批評家や審査員を野放しにしてはいけない


● ちょっと前に茂木健一郎『カラヤン』を読んだ。昔から最も有名な指揮者といえばカラヤンで,しかも知名度は圧倒的だ。
 ゆえに,同じ楽曲をカラヤン指揮のものとそうじゃないものとを聴き比べて,やっぱりカラヤンは滑らかだよねぇなんて言う手合いが昔からいたはずだ。CDを買うときも,カラヤン指揮のものがあればそれを選ぶっていう人も多いでしょうね(と思ったら,今どきはカラヤンを否定する人が多いんだってね)。

● ヴァイオリンだと諏訪内晶子さん,ピアノなら内田光子さんを偏愛する人もいるね。
 ウチのヨメなんか,同じ飛行機に乗り合わせたことがあるっていうだけの理由で,諏訪内さんのファンになってるから。皇太子妃候補にあがったことがあるっていうのも影響してるね。
 で,諏訪内さんのヴァイオリンは音に深みがあって,ヴァイオリンの音色は好きじゃないんだけど,彼女のヴァイオリンだけは聴けるのよ,なんて言っている。
 どう考えたって,諏訪内さんと他のプロの音を,ヨメが聞き分けられているとは思えないんだけどね。

● 自分の中に住む批評家や審査員を野放しにしてはいけないと思っている。自らの好みに忠実である権利は当然行使するとしても,頭脳が先走った批評や審査はつまらないこと夥しい。そこに行っちゃ終わりだと思っている。
 もっとも,いまのぼくのレベルだと,同じ楽曲について複数の演奏を聴き比べるどころではなく,聴いたことのない曲がメジャーどころに限っても相当あるっていうね,そんなところだからね。

2009.09.10 間奏6:日本は音楽大国だということ


● アマチュアオーケストラが日本ほど活発に活動している国はないんだそうだ。市民オケ,大学オケ,企業オケ。数えきれないほどのアマオケが年に1回か2回の定期演奏会を実施し,それに向けて練習を重ねている。楽器を演奏できる人がたくさんいるってことだよねぇ。
 またそれを聴きにいく人もたくさんいるってこと。真岡市民交響楽団の定期演奏会でも,宇都宮大学管弦楽団の定期演奏会でも,会場の大ホールの7割方(の座席)が埋まる。すごい話だ。

● 日本では全世帯の4分の1がピアノを所有しているらしい。独身の若者や後期高齢者の単身世帯を含めた全世帯の4分の1だ。こんな国は日本以外に世界のどこにもない。
 ピアノに関しては,持っているけど使ってないってのがほとんどだと思うんですよ。家庭内にある諸々のブツの中で日常的に使われているのは,冷蔵庫や洗濯機,テレビなどの家電や電球,蛍光灯程度のもので,滅多に使われないモノの方がむしろ多いんだと思う。
 だけど,ピアノほど場所を占有しながら使用頻度が少ないモノも珍しいかもしれない。昔だったら応接間の書棚に置かれた百科事典がそうだったけど。
 しかし,ま,使わずとも,所有していることの効用ってのもあるんだろうしさ。

● さらに,年の瀬の「第九」。いつからどういう理由で年末に「第九」を演奏・合唱するようになったのか,それが年中行事になるまで普及したのはなぜなのか,そういうことは知らない。
 が,この時期に日本で消費される「第九」がどれほどの量になるか。目が眩むほどではないか。宇都宮市だけでも3回はある。ぼくが知らないだけでほかにもあるかもしれない。
 ポップスでもなくジャズでもなく,クラシック音楽。しかも,ベートーヴェンの第9番といえばシンフォニーの最高峰に位置する楽曲でしょ。それを第1楽章から第4楽章までそっくりぜんぶ消費する。強靱な胃袋を持った人が日本には多数存在するのだ。

● こういうものを支える源は何かっていうと,「お稽古ごと好き」ですよね。子どもができると,小さい頃からピアノを習わせる,ヴァイオリンを習わせる。
 お稽古ごとが好きだっていうパトスはどこから来るものなのかねぇ。なにがしかの効用があると思っているからこそ,時間とお金をかけて子どもにお稽古ごとを授けようとするのだろうからね。
 子どもにピアノを習わせる,そのためにピアノを購入することが,セレブやハイソと称される世界に片足を突っこむことになるという錯覚があるのか。音楽をやることが情操を養うとか,文化・教養を高めることにつながると,思いこんでいるのか。

● しかし,錯覚だろうと思いこみだろうと,その結果はかくも凄いことになっている。ぼくもその恩恵を享受させてもらっている。
  親がお稽古ごとをさせてくれたおかげで楽器を演奏できるようになった人たちは,音楽を終生の趣味にできる(嫌いになる人もいるだろうけど)。
 たんに聴くだけではない。演奏する側にあっての趣味だ。このことは相当以上に彼の人生を彩ることになるだろう。辛い人生を押し渡っていくうえで,彼は音楽に何度も助けられることだろう。

● それはともかく。
 日本ではプロに迫るレベルのアマオケもいくるかあるようで,たとえばアマデウス管弦楽団,オーケストラ・ダスビダーニャ,新交響楽団,ブルーメン・フィルハーモニー,ル・スコアール管弦楽団,東京アカデミック・カペレなどが著名な存在のようだ。
 大学オケでは早稲田大学交響楽団,慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ,東京大学音楽部管弦楽団,東京大学フォイヤーベルク管弦楽団のレベルが高いらしい(インターネット情報ですけどね)。
 やっぱりね,入試の偏差値に比例ですね。どうやらミスコンなんかもそうらしんですね。名のない大学のミスコン優勝者よりも慶応とかのメジャーどころの優勝者の方が綺麗だっていうね。妙に納得しやすいところが困るんだよなぁ。

● 日本ではアマオケが活発で演奏者の裾野は相当に広い。しかし,プロとアマトップの差に隔絶したものはないようでもある。
 その点,欧米では裾野は狭いけれども,トップは凄い。ウィーンフィル,ベルリンフィル,ニューヨークフィルなどなど。
 してみると,広く掘れば深く掘れるというのは本当なのかどうか疑ってみる必要があるね。
 日本は貧富の差が少ないとされるが,差が少ないのは貧富に限らず,知性・教養や人生観も然りだ。他を圧して有無を言わさぬ高みに至る人って,日本では少ないようですよね。
 いや,そんなことないよ,おまえが知らないだけだよ,ってか。

2009.09.06 ヴァイオリンとピアノによるコンサート-栃木県立図書館第120回クラシック・ライヴ・コンサート

栃木県立図書館ホール

● 6日は栃木県立図書館が開催している「クラシック・ライヴ・コンサート」に。年間10回程度開催してて,今年は3回目。過去の2回は他のコンサートと重なったり,家族旅行と重なったりで,ぼくが顔を出すのは今回が初めて。
 県立図書館がこういう催しをやっていることは,当然,今年になってから知ったわけだが,通算で120回目になるんだそうだ。

● 今回は「ヴァイオリンとピアノによるコンサート」で,ヴァイオリンは廣瀬麻名さん。ピアノは大岡律子さん。
 大岡さんは栃木県の出身で,県立図書館のこのコンサートの常連的演奏者のようだ。廣瀬さんは大岡さんの学友。
 ふたりとも芸大附属音楽高校から芸大を経て,現在は芸大院の博士課程に在学中。20代後半のお嬢さん方。

● 演しものは,ルクレール「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ長調」,サラサーテ「バスク奇想曲」,ドビュッシー「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」,プロコフィエフ「5つのメロディー」(の一部),ベートーヴェン「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第9番 クロイツェル」。
 錚々たる曲目が並んでいるでしょ。とはいえ,この中でぼくがCDで聞いたことがあるのはベートーヴェンのクロイツェルだけなんですけどね。

● ぼくが初めて買ったクラシック音楽のCDがじつはドビュッシー。ドビュッシーは吉行淳之介つながりなんです。若い頃に吉行さんの作品はすべて読んだ。その彼が戦時中,空襲を受けて逃げたときに,自宅から持ちだしたのがドビュッシーのレコードだったと書いているんですね。エボナイトのレコードがずっしりと重かった,と。命に係わる事態にあって,持ちだしたのが何の役にも立たないレコードたったことに,自虐とそれ以上に自負を籠めているんでしょうね。
 とまれ,彼が受け容れていたのであれば,自分も聴いてみようと思ったんですね。が,今に至るまでその1枚のCDを通して聴けたことはない。
 そのドビュッシーの最晩年の作品を生で聴けて嬉しかった。が,生でもいまいちピンと来なかったってのが正直なところ。
 もともと自分の感性をあまり信用しているわけではないんだけれども,いよいよ自信をなくすね。

● ルクレールやプロコフィエフの作品はぼくには未知。まだまだ聴くべき曲があるってこと。何がなし,嬉しくなる。長生きしなきゃって思う。

● このコンサートは設えられた舞台がない。当然,舞台の袖もない。演奏を終えて引っこんだ奏者の様子が見える。楽屋もないから,休憩時間に外にでると彼女たちがノビをしてたりくつろいでる様子が見える。その屈託のなさを見ていると,芸大の院生といえども,普通のお嬢さんなんだなぁと(当然のことを)感じる。

● その屈託のなさを眺めて思った。彼女たちも千人にひとりの才能の持ち主に違いない。しかし,それほどの才能を持ってしても,音楽でメシを喰っていくのは並大抵のことじゃなさそうだ。
 実力以外に運も味方にできなきゃいけないんだろうし,その実力にしても紙一重のところに雲霞のごとくきら星たちが蝟集している。
 今はとにかく好きな音楽に打ち込んでいられる。しかし,博士課程を終えたあとはどうなるのか。中学や高校の音楽教師への道も,実技に打ち込んできたがゆえに,難しいかもしれない。
 しかし,事前にそんなことを考えてビビっているようなヤツは,何ごとも為すことはできないとしたものだ。安定志向を捨てないと,ひとかどの仕事はできないのがこの世の仕組だ。たいていの人はビビリなので,ぼくのようになってしまうのだ。

2009.09.04 ハイドン没後200年記念コンサート

那須野が原ハーモニーホール 小ホール


● 9月4日には三度目の那須野が原ハーモニーホール。小ホールでハイドン没後200年記念コンサート。7月にはメンデルスゾーン生誕200年記念コンサートがあった。それと同じシリーズのもの。
 ホール館長の丹羽正明氏によるハイドン解説が18:30からあって,19:30から演奏が始まった。

● 演奏された曲目は弦楽四重奏曲変ロ長調「狩」,ピアノ三重奏曲ト長調,ピアノ・ソナタ第49番変ホ長調(第1楽章のみ),弦楽四重奏曲ハ長調「鳥」。
 ハイドンっていうと多作で長生きした作曲家という程度のイメージしかない。代表作が何なのかもよく知らなかった。中学校の音楽の時間にハイドンのどれかを聴いたことがあるはずだが,それ以来の再会である。
 それゆえ,だいぶ蒙を啓かれましたね。ハイドンってイギリスの人だと思っていたくらいだからね。

● 演奏するのはヴァイオリンが澤亜紀と古賀智子,ヴィオラが青野亜紀乃,チェロが山澤慧,ピアノが大伏啓太の諸氏。全員が芸大,芸大院の学生さん。この日から芸大の大学祭(藝祭)が始まっている。忙しい学生さんたちである。
 あどけなさをかすかに残す若い学生っていいね。ぼくのごとき初老のじいさんから見れば,みんな可愛い。チェロの山澤君はちょっと生意気そうな感じが良かった(実際には生意気じゃないんだと思うけど)。通常の商取引のように,サービスする側がお客に媚びるのはやらないでほしい。ステージ上では,ふんっ,あんたらにこの音楽がわかるのかい,っていうくらいのふてぶてしさを醸しててほしい。

● アンコール演奏の後も拍手がやまず,彼女たち,「鳥」の一部を再演奏してコンサートを終えた。
 弦の奏者ってスタイルがいいよね。オーケストラでも一番観客に近い場所を占める。見られる仕事だってのがわかっているのだろうかねぇ。

● 芸大の学生だというだけで,音楽のレベルは問題なしと信じてしまうのがぼくのレベル。芸大まで辿りついた人たちは尊敬の対象。千人にひとりでしょ。東大や国立医学部より難関だ。
 才能に恵まれた少年少女が小さい頃からたくさん練習し,その中の一部が芸大に進む。その先もいろんな形で選抜があるんだろうけど,その位になるとぼくの耳は文字どおりの馬の耳だ。その違いなど聴いたってわからない。

● そういう人たちが演奏してくれて,ホールで聴くことができる。その代価,わずかに2千円。今回もまた元は取った。

2009年8月31日月曜日

2009.08.21 NHK交響楽団宇都宮公演

栃木県総合文化センター メインホール

● 8月21日は総合文化センターのメインホールにNHK交響楽団宇都宮公演を聴きに行ってきた。初めて,プロのオーケストラの演奏を聴く機会を得た。
 総文センターのホールに入るのは初めて。メインホール,いいホールですね。座席の勾配が適度にあるので,前の人の頭が邪魔にならない。那須野が原ハーモニーホールの小ホールに次いで,気に入りました。

● S席とA席には売れ残りがあったようだ。それでも1,600人収容のホールがほぼ満席。これほどのクラシックファンがいるのだと,あらためて妙な感慨にひたった。ぼくが来ているくらいなのだから,これだけの人がいても何ら不思議はないわけだけど。
 ぼくの右は若いカップル。左はひとりで来たお嬢さん。前は就学前の女の子を連れた母親。女の子にヴァイオリンでも習わせているのだろう。一番目立ったのは60代の女性のグループかなぁ。特に教師あがりと思われるオバサマたち。後期高齢者もけっこういる。平均年齢は高い。
 楽員の皆さん,前夜は前橋で同じ内容の演奏会を催行し,宇都宮は2日目になる。ご苦労さまです。

● 演しものはシベリウスのバイオリン協奏曲ニ短調とチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調の2つ。にわか音楽ファンのぼくは,どちらも初めて聴く曲だ。協奏曲のソリストはエリック・シューマン。母親はピアニストの日本人とのこと。
 6月の栃響の定期演奏会にソリストで来ていたファッゴトの菅原恵子さんがいた。N響の楽員なんだから,あたりまえなんだけど。

● ソリストのヴァイオリンはストラデバリウスの「ジュピター」とのことだが,その音色はぼくにはまさに猫に小判。
 しかし,プロオーケストラの技は充分に見せてもらった。疲れてもいるだろうし,慣れもあるだろう。油断が入り込んだり,緊張が途切れたりしがちなものかとも思うのだが,そこはプロ。楽器を持てば緊張と集中に入りこむのが習い性になっている(のだろう)。

● 唯一,残念だったのがお金をケチってB席にしてしまったこと。一応2階席なのだが,高さ的には4階相当で,ステージははるか下。楽員はみな俯いている。上から見下ろすのだから当然だ。表情は見えた方がいいね。次はケチらずにS席にしようと思った。
 こんな席がなんでSなのというくらいS席が多いから,早めに予約していい席を確保することが基本ですな。

2009.08.17 間奏5:ライブの快感は胎内回帰


● 音楽をCDで聴くのとライブで聴くのとはまったく別の行為で,重なる部分はほとんどない。
 CDで聴くときは理性というか頭で聴いている。自分と音との間には充分な距離があって,それゆえ自分の中の批評家や審査員があれこれと口を出しがちになる。
 けれども,ライブだと理性が裏側に引っこむ。感情で聴くというのはおかしいけれども,頭ではなく全身で聴いている。客席にいる自分とステージとの距離がだんだん詰まってきて,ついにはステージと自分が一体になる。それゆえ,自分の中の批評家や審査員は出る幕がなくなる。

● したがって,と言っていいのかどうかわからないけれども,ライブで幸福感を享受するに際しては奏者の技術的な巧拙は問題にならない。もちろん,技術の最低レベルはクリアしてて欲しいけれども,その最低レベルってのはたぶん高校生の上級レベルでいいのではないか。
 それを超えて巧いに越したことはないけれども,越したことはないというにとどまる。ぼく的には真岡市民交響楽団宇都宮大学管弦楽団のレベルであれば充分に幸福感に浸れる。

● 技術的な巧拙でなければ何がライブの質を決めるのだろう。それを特定するためには,ライブでの幸福感の正体を突きとめなければならない。
 暫定的な回答だけれども,どうやら胎内回帰の快感だろうかと推測している。母親の子宮内で羊水に浸っていた胎児に戻る快感。音楽に包まれる感じ。
 始まってから終わるまでずっと変化を続ける音の高低,強弱,響き。いくつもの楽器が奏でるいくつもの音があるいは重なり,あるいは別々に存在して,自分をくるむ。あるときはひそやかに,あるときはしっかりと。あるときは軽く,あるときは強く。
 千変万化する包み方で自分を包んでくれる。ただ音楽の波間に漂っていればいい安心感。これが幸福感の正体ではないか,と。

● 奏者の思い,集中力は大事だ。巧くなくても思いは切らさないでほしい。それが演奏に緊張をもたらす。緊張を欠いた演奏はライブといえども雑音に過ぎなくなる。

2009.08.16 Seven☆Star Orchestra第1回演奏会

ティアラこうとう 大ホール

● 16日も同じ「ティアラこうとう」に行った。今度は「SevenStar Orchestraの第1回演奏会である。第1回の演奏に立ち会えるのも何かの縁と思って,数ある中からこれを選んだ。チケットは無料。受付でプログラムを受け取る。なんか申し訳ないような後ろめたさを感じますな。
 お客の入りは前日より多く,8割は入っていたのではないかと思う。

● 「SevenStar Orchestra」の名前の由来は,「7」にこだわることをコンセプトにして設立したからだという。たとえば,初回の今日の演しものはベートーヴェンの序曲「コリオラン」と交響曲第7番,モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」なんだけど,6番でも9番でもなく7番だ,と。
 何故に「7」にこだわるのかは不明。またその程度のこだわりでメンバーを集められるのかとも思うが,実際に集まって演奏会をやるんだからねぇ。
 プログラムにも,前提となる団体があるわけではなく出身大学もバラバラで,とあったけど。

● しかし。演奏のレベルは今まで聴いたオーケストラの中でトップ。
 まず,序曲「コリオラン」でグイグイ引き込まれた。もちろん,曲自体の力もあるだろう。1回目の演奏会の1番目に序曲「コリオラン」を持ってきたのは正解だったろう。けれども,それだけのはずがない。音が美しいのだ。

● 演奏がきれいなオーケストラはビジュアルも美しい。女性楽員のステージ衣装が色とりどりでカラフルだった。
 が,そういうことではないね。演奏中の姿や動きがいちいち絵になるのだ。ファーストヴァイオリンの奏者たちの腕の動き,肩や肘の動き,手首の動き,上半身の揺れ方,顔の向きの変化に目が釘付けになる。綺麗だなぁと思って見とれてしまう。管楽器はさすがにこのあたりは見えにくい。客席に近いところに弦を配していることには理由があるのだなぁと思いましたね。
 つまり,ビジュアルを決めるのは,生まれもった顔かたちの問題ではないってことね。

● モーツァルトの「プラハ」を経て,再びベートーヴェンの第7番。圧巻だった。3楽章の途中で涙がでた。雑念は湧いてくるんですよ。だから,曲を聴くことに集中しようと思いながら,それでも涙がでてくる。何なんだろうなぁ。
 この世に音楽ってものがあること。音楽を演奏し表現することの才に恵まれた人たちがいて,彼らが膨大な時間とエネルギーを注いでその表現に取り組んでいること。そして,その鍛錬の結果をぼくたちに見せてくれること。これらのことに,ありがとうって言いたくなる。
 この演奏会が午後2時からでよかった。もし夜だったら,朝まで眠れなくなるところだった。

● ベト7はCDで何度も聴いている。17日も帰宅してから,CDを聴いたことは言うまでもない。翌日の出勤時にはカーオーディオのボリュームをいつもより5割方あげてベト7を聴いた。
 しかし,いくらボリュームをあげようとも,あのライブで味わったときめきと幸福感は再現されない。それゆえライブには価値がある。

2009.08.15 西池袋管弦楽団第6回定期演奏会

ティアラこうとう 大ホール

● 15日から2泊3日で東京にやってきた。家族旅行である。ホテルに泊まって美味しいものを食べようというわけだが,ムスコも中学生になって,親にべったり付き添われるのは迷惑らしい。
 というわけで,ぼくは都内で開かれるコンサートに行くことにした。自慢ではないが,ぼくのこづかいは週8千円だ。5月以降,コンサートの費用もこの枠内でやりくりしている。しかし,この度は自宅から東京までの旅費は家計から出る。都内の移動費だけ自分で出せばいい。

● アマチュアオーケストラの活動状況を集めた「Freude」というサイトがありますね。演奏会の日程などもまとめて載っている。もちろん,アマオケのすべてを網羅するなんてことはできるはずもなく,載っているのは一部の団体だけなんだけども,とにかく世界に冠たる帝都東京であって,15日も16日もあちこちで演奏会は行われているのだ。

● その中から15日は西池袋管弦楽団の演奏会に行ってみることにした。19時から。場所は「ティアラこうとう」。
 西池袋管弦楽団は,立教大学のOB・OGが中心になって作った楽団。であれば,演奏レベルは信頼できると見た。
 ホテルが恵比寿なので,まず山手線で渋谷に出,渋谷から半蔵門線に乗り換えて住吉で下車。住吉駅から3百メートルの距離。初めてだったので早めに向かった。

● チケットは5百円。ホームページの演奏会告知のページを印刷して持参すれば無料になる。ということは,要するに無料ってこと。ぼくは印刷する暇がなかったので5百円を払って入場した。
 5百円くらい取っても焼け石に水だろうし,無料にした方がお客さんが増えるのは確かだろうけれども,アマチュアといえどコンサートを無料でやるってのはよろしくない。5百円でも千円でも取るべきだと思う。

● ティアラこうとう大ホール。収容人員は千人に満たないが,流麗なホールだった。今どきのホールはどこもすごいんだけどね。
 ぼくの中のスタンダードってのは,中学校の体育館,せいぜい昔の栃木会館の大ホールだから,どこに行ってもすごいもんだなぁと思うことになっている。

● お客さんの入りは6~7割といったところだったろうか。
 曲目は3つともブラームスだった。悲劇的序曲,ハイドンの主題による変奏曲,交響曲第1番。
 2つが同一作曲者ってのはわりとあるパターンだけど,3つとも同じってのは初めてですね。もとより文句があるわけではないけれど。

● 演奏終了後,指揮者がパートごとに立たせて観客に紹介するわけだけど,ティンパニ(女性奏者)に対する拍手がひときわ大きかった。素人にはパーカッションが何気に格好良く映るのですよね。それと,彼女が美人だったこと。
 コントラバス弾きの男性で目立つのがいた。動作が大きいのですね。一生懸命に弾いているのが伝わってくる。のだが,無駄な動きがありすぎないか。しかし,彼はあれがウリなのかも。

● 帰りはJR錦糸町駅まで歩いてJRで帰ってきた。その方が70円安くなるのと,ぼくが田舎者ゆえか,同じ電車でも地下鉄は疲れるので。JRの方が体を固くする度合いが少なくてすむっていうか。
 総武線の各駅に乗り,代々木で山手線に乗り換え。新宿のひとつ手前で乗り換えられるのがありがたい。新宿の殺人的な雑踏は閉口だ。昔はそんなことなかったんだけどね。スイスイ泳いでいたような気がするのだが。

2009.08.09 鹿沼高等学校音楽部管弦楽団第14回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 鹿沼高校の定期演奏会に行ってきました。8月9日(日)の13時開場,13時30分開演。入場料は無料。

● 演しものは次の3本。
  ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」
  新見徳英 管弦楽組曲「森は踊る」
  ドヴォルザーク 交響曲第8番

● ハチャトゥリアンも新見徳英もぼくは全然知らなかった。「仮面舞踏会」については,浅田真央がを自身の演技に採用して知られるようになったとプログラムに紹介されていた。こっちは浅田真央にもあまり興味がないからねぇ。

● 過去に演奏した曲目もプログラムに載っているんだけど,あまりポピュラーではないとんがった曲を採用しているようだ。高校生らしいというか(ぼくがあまりに曲を知らないために,とんがった曲と思ってしまうだけかもしれないけどね)。
 ドヴォルザークの第9番は6月に宇大管弦楽団の演奏で聴いた。感銘を受けたものだから,そのあとCDで何度か聴いた。第8番(ドボ8というんだそうだ)は今日初めて聴く。
 と書いたところで気がついた。5月に宇都宮シンフォニー・オーケストラの演奏で聴いていました。

● 文化センター大ホールの座席は3分の2が埋まったろうか。多くは生徒の保護者とか親戚,学校関係者だと思うんだけど,単独で来ていた若者もいた。
 じつは,ぼくのように鹿沼高校はおろか鹿沼市とも何のゆかりもない人間が行くと,お邪魔してすみません的な居心地の悪さを味わうことになるかもしれないとちょっと不安だったんだけれども,そのようなことは微塵もなく,普通に楽しむことができた。
 ぼくの隣のオバサン(ぼくよりは若いが)は演奏中は寝ていたくせに,拍手は人一倍熱心にしていた。ありだよな。

● 「森は踊る」の演奏は(少なくとも高校生の演奏では)日本で初めてだったらしい。新見氏本人が演奏の指導もし,この日も本人が指揮をした。生徒にとっては緊張の中にも晴れがましい体験だったろうねぇ。
 演奏前に氏の肉声を聞くことができた(インタビューがあって)。東大工学部を卒業してから芸大作曲学科に進んだ。東大も工学も惜しげもなく捨てたんだろう。かっこいいねぇ。

● 「森は踊る」はややこしい曲で,よく演奏するなぁと感心した。ドボルザークもしかり。総じて高校生は可愛らしかった。一生懸命さが伝わってきた。
 高校に入ってから初めて楽器に触ったという生徒も相当数いるに違いない。それでもここまで音を作って合わせてくる。勉強の合間にここまでできれば立派なものだと思った。高校生,恐るべし。

● もちろん,難点を指摘することはできる。たとえば演奏に固さがあった。野球にたとえれば球をあてに行っている感じ。バットを思いきりよく振りきっていないから,音にキレが出ない。ミスを怖れてのことだと推測するが,あてに行く態度がかえってミスを呼びこむ。実際,ぼくの耳でもそれとわかるミスがあった。
 しかし,そういうことはあっても,オーケストラとしてちゃんと成立していたし,あの大曲をともかく演奏しきれるんだから。

● 生徒たちは大きな達成感を味わったことだろう。自分の高校時代に照らしてみると,彼らの高校生活はとても充実したものに映る。羨ましい。
 彼らの中にプロの演奏家になる人はたぶんいないと思う。そういう意味では将来に直接つながるものではない。が,そういう形でつながるかどうかなんてどうでもいいことだ。将来のための現在ではない。今ここをどれだけ充足した場にできるかだ。

● その日の夜,ドヴォルザークの第8番をCDで聴いてみた。プロのオーケストラの演奏をCDで聴くよりも,高校生の演奏をライブで聴く方がずっと体に染みてくるんだなぁ。オーケストラをライブで聴くってのはとても贅沢なことなんだと,あらためて知ることになった。
 今回の演奏を聴くためのコストは往復の電車賃だけ。それで贅沢な2時間を過ごせる。そういう環境にいることを有難いと思う。ずっと以前から同じ環境にいたのに,こちらの準備が整っていなかったために,その贅沢を享受しないできてしまった。もったいないことをしてきたなぁ。

2009年7月31日金曜日

2009.07.31 間奏4:東大生は頭がいいだけじゃない


● アマオケといえばその代表選手は大学のサークルだ。その多くはホームページを持っている。そのホームページを見て行くのも楽しい。
 それでですね,それぞれの大学のホームページを見ているとですね,ホームページの出来のよしあしも,活動のレベルも,その大学の入試偏差値に比例しちゃってるようなんですよねぇ。
 もちろん,活動のレベル云々は想像でしかないわけだけれども,ホームページから受ける印象は偏差値比例なんですよ。

● やっぱりね,東大って凄そうなんですよ。東大のオーケストラは東京大学音楽部管弦楽団東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団東京大学フィルハーモニー管弦楽団東京大学フィロムジカ交響楽団と,4つもあるようで,東大学生のみが楽員のところもあれば,東大学生がメインだけれども,それに限らず他大学の学生や社会人も参加している楽団もある。
 普通の大学オーケストラは年2回の定期演奏会が活動のすべてってところが多いのに対して,東大のこれらの楽団は地方に出張しての演奏会も多いし,小中高への音楽指導とか,かなり活発にやっているっぽい。

● トレーナーや指揮者も何かレベルの高そうな人で,音楽大学と比べても遜色ないような感じなのですよねぇ。
 早稲田や慶応もそうなんですねぇ。やっぱり偏差値の高い伝統校は強いというか,活発に動いているようなんですよ。

2009.07.26 トリオ・ラ・プラージュのファンタスティック・コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 那須野が原ハーモニーホールで「トリオ・ラ・プラージュによるファンタスティック・コンサート」があった。チケットは千円。
 「トリオ・ラ・プラージュなるユニットは,ピアノの渚智佳,ヴァイオリンの田口美里,クラリネットの近藤千花子のトリオ。渚さんのピアノと田口さんのヴァイオリンは、先日の「メンデルスゾーン生誕200年記念コンサート」で聴いている。充分に堪能できたので,今日のこのコンサートも聴いてみようと思ったわけだ。

● 今回のは夏休みに親子でクラシックを聴く機会を提供しようという催しで,花王が協賛している。大田原市と那須塩原市で母子検診を受けた母親には招待状を2枚ずつ配ったそうだ。ゆえに客席には親子連れ,未就学児が多い。
 大ホールで行われたのだが,座席は半分以上空いていた。

● 子供対象のコンサートは6月に真岡市民会館で経験している。全然無問題だった。今回もうるさく騒ぐこともなく,子供たちはおとなしく聴いていた。
 演奏者もひじょうに真面目に務めを果たしていて,その態度には好感が持てた。彼女たちは演奏のプロではあっても,授業の先生はやったことがないだろう。今回のコンサートは,いうならクラシックコンサートバラエティ版を主宰するようなものだから,普段の演奏とはだいぶ勝手が違ったはずだ。
 とはいえ,彼女たちはこのコンサートをすでに何度も重ねているようだ。

● しかし,上記のような趣旨なので,音楽のお勉強の時間があったりして,音楽そのもの,演奏そのものに沈潜するには不適な環境だった
 千円以上の価値は間違いなくあったし、素敵な90分間を過ごすことができたんだけど,ちょっと食い足りなさが残った。
 典型的なナイモノネダリなんですけどね。今回はそういう趣旨のコンサートだったわけだし,そのことは承知のうえで行っているんだから。

● それに,ぼくの音楽に対する知識は3歳の子供と変わらないので,今日の話を聞くまで全然知らなかったこともいくつもあった。そういう意味で実際,勉強になっているんですけどね。

2009.07.10 メンデルスゾーン生誕200年記念コンサート

那須野が原ハーモニーホール 小ホール


● 大田原市にある那須野が原ハーモニーホールに行ってきた。この施設は平成5年に大田原市と西那須野町(現在の那須塩原市)が共同で設立。開館は平成6年12月。
 ここの小ホールで「メンデルスゾーン生誕200年記念コンサート」があった。チケットは全席指定で2千円。小ホールの座席数は399なのだが,事前に売り切れることは通常ないんでしょうかね。当日,後ろの方の席だったけど,無事にチケットを購入できた。

● ハーモニーホールというくらいだから,音響効果に配慮して設計・建築され,「音響家が選ぶ優良ホール百選」に選ばれているそうだ。
 平成6年というとバブルがはじけ始めた頃ですかね。建物は前衛的な建築で,バブルの残り香をそこここに残している。設置者にとっては最も悪い時期に建ててしまったのかもしれないが,利用者にとってはラッキーこのうえないといっていいかも。

● ロビーも天井が高くて気持ちがいい。休憩用の椅子とテーブルもたくさん置かれている。床から高い天井まで壁はガラスになっている。人工の川が設えられていて,所々に氷の模造品が置かれている。
 正直,この模造品には疑問を持った。それから感じるものは涼しさより鬱陶しさだ。どうしてこんなものを置いているのかと思ったんだけど,夜は印象が一変する。氷がライトアップされて,今度は間違いなく涼しさを演出するのだった。
 ぼくは3時間も前に着いたので,この椅子に座ってコーヒーをすすりながら本を読んで過ごした。他に誰もいない。いい時間を過ごすことができた。
 ロビーも音響効果抜群で,クシャミをするとエコーがかかる。隣でお喋りされると辛いかもね。

● 18時半からホールの館長を務めている丹羽正明氏によるメンデルスゾーン解説があった。スライドを使って解説する。本人は後期高齢者になったと語っていたが,張りのある声で若々しい感じの人。
 19時半から演奏。曲目はヴァイオリン協奏曲ホ短調の第1楽章,ピアノ三重奏曲第1番ニ短調など。奏者はピアノ,ヴァイオリン,チェロがそれぞれ一人。
 奏者も書いておこう。ピアノが渚智佳,ヴァイオリンが田口美里,チェロが金子鈴太郎。丹羽氏によると,金子さんは栃木県出身,3人とも「コンセール・マロニエ」の優勝者とのことだ。

● 田口さんのヴァイオリンが音を発した瞬間に脳がふるえた。鳥肌が立つ感じがした。鳥肌が立つって言い方は比喩かと思っていたんだけど,そうじゃなかったんだね。ほんとに鳥肌が立つんですよ。
 来て良かった,元は取れた,と思った。あとは奏者について行くだけだ。
 が,それが意外に難しいんですね。日常茶飯の雑念が次々に湧いてきて,気持ちがそちらに行ってしまう。気づいて演奏に重心を戻す。その繰り返し。ぼくは経験がないが,座禅をするとこんな感じになるのかと思った。

 メンデルスゾーンでぼくがよく聴くのは,交響曲の3番と4番だが,これを機にほかの作品も聴いていこうと思う。
 豊かな金曜日の夜になった。9月4日には「ハイドン没後200年記念コンサート」があるので,そのチケットも買っておいた。今から楽しみだ。

2009.07.07 間奏3:茂木健一郎さん


● ぼくをライブに導いてくれたものは,地元図書館ロビーの壁に貼られていた真岡市民交響楽団の定期演奏会のポスターだった。今年の4月のこと。
 そのポスターに反応したのは,ぼくの音楽の聴き方が変わりつつあったことが背景にある。変わったというより,量的に拡大していたこと。その拡大を可能にしてくれたのがiTunesであり,カーナビのハードディスクだった。

● 音楽を聴く時間を増やす方向に導いてくれたものが,じつはもうひとつあって,それは茂木健一郎氏のいくつかの音楽本だ。
 対談であったり,エッセイであったりするが,江村哲二氏との対談本『音楽を考える』(ちくまプリマー新書)と『すべては音楽から生まれる』(PHP新書)の2冊を読んだことだ。読んでいるときには,自分が音楽にここまで傾くとは思ってもいなかったけれども,影響を受けていたんですねぇ。
 しかし,これも読んだのが仮に数年前だったら,こうはなっていなかったろう。それやこれやいろんな理由が絶妙に重なって,この変化を作ってくれた。

● その茂木さんが次のような発言をしている。
 「あくまでも経験則で申し上げるのですが,音楽CDで名演奏を繰り返し聴く行為は,様々に比較して分析するという意味で,とても「知的な営み」だと思います。その点,生演奏は「全身が圧倒されるような感情の経験」で,極端な話,演奏は多少下手でも問題ないと思います」
 まったく同感。っていうか,まずこの発言を読んでいて,それが頭に刻まれていたために,アマチュア楽団のライブでも心おきなく感激できているのかもしれない。
 実際,CDを聴くのとライブを見るのとでは,反応する脳の部位が違うように感じる。

2009.07.04 宇都宮大学管弦楽団第67回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 7月4日(土),夕方6時から宇大管弦楽団の定期演奏会があった。入口で当日券を買った。8百円。週8千円のこづかいからでも痛みを感じずに出すことのできる金額だ。
 しかし,チケットで入場する人は少なくて,多くの人がハガキを手にしている。どういういことなのかわからなかったが,その謎はすぐに氷解した。演奏会についてのアンケートに答えると,次回の招待状が送られてくるのだ。
 観客の入りは宇都宮シンフォニー・オーケストラよりはずっと多く,栃木県交響楽団のときよりもやや少なめ。

● 若い学生の演奏はどうだったか。充分に堪能できた。知らない世界へ連れていってもらえた。
 彼らの技量の巧拙はわからない。でも,たとえ技術はイマイチであったとしても,訴えてくるものはある。音楽じたいが持つ何ものかと演奏に向かう学生たちの姿勢が,技術の巧拙を相対化してくれる。
 今度は高校生の演奏を聴いてみたい。音楽科のある高校じゃなくて普通の高校の生徒たちの演奏。技術的に巧いはずもないが,たぶんそれは聴くうえでの妨げにはならない。10代の若者がどんな表現をしてくれるのか,実際に確かめてみたくなった。

● メインの出しものはドヴォルザークの第9番「新世界より」。学生の演奏を聴きながら,アメリカの風物が中欧人のドヴォルザークの耳目にはどのように映っていたのか,とりとめなく想像をめぐらせた。
 ほかにはサン・サーンスの「チェロ協奏曲第1番」。招待演奏者はチェロの上森祥平さん。彼のチェロ独奏を聴けただけでも,来た甲斐があったと感じた人も多いだろう。
 指揮は村中大祐さん。

● パーカッションは何気にカッコいい。叩いた直後,さっと素手で抑えて音の振動をとめる仕草に惹かれる。最後列の一番高いところに立っているから,指揮者の次に目立つしね。

● ともあれ。若い学生さんに幸せな時間をもらった。次の演奏会は12月になる。今から楽しみだ。

● 今となってはこの年齢になるまでオーケストラと無縁できたことが悔やまれるばかりだ。
 でもね,しょうがないってこともわかってる。こういうのって縁だから。ベストのタイミングで会っているのだと思うしかない。

2009年6月30日火曜日

2009.06.30 間奏2:聴き方の変遷

● 音楽がこんな感じで自分の生活の一部になるとは思ってなかった。ぼくの興味・関心が変わってきたというより,ハード・ソフトの技術まわりの進歩の恩恵を受けているというのが実情に近い。

● 昔,レコードをレコードプレーヤかステレオで聴く時代,だったらこうはならなかったと思う。レコードじたいが贅沢品だったし,そんなにたくさん買い集めることはできなかった。
 プレーヤーがある部屋で聴くしかなかった。音楽を聴くための時間をわざわざ作らなくてはならない。音楽は謹んで聴くものだった。
 第一,レコードって高くて,滅多には買えないものだったからね。

● ラジカセが出たのは大きかった。30年以上も前の話ですね。FMが放送する音楽をノイズなしにカセットテープに録音できるようになった。FMラジオを音源にすることができるようになった。

● そして,ソニーのウォークマンの発売。場所を選ばず音楽を聴けるようにした画期的な商品だった。が,食指が動かなかった。
 外で音楽を聴くという習慣が(その時点では)なかった。外で音楽を聴く自分を想像できなかったから。音楽を聴くこと以前に外でやることはたくさんあると思っていた。

● レコードからCDに変わった。CDウォークマンやCDラジカセも出た。CDをレンタルする店が現れた。CDを借りてCDラジカセでカセットテープにダビングする。ここでまた音源が大きく増えた。コレクションが作りやすくなった。
 しかし,この時点でもぼくはあまり動かなかった。つまるところ,当時の音楽への興味はその程度だったんですね。

● 2001年にiPodが発売された。当初の予想を覆してiPodは世界を席巻した。コレクションのすべてを持ち歩けるってのは,これほどまでに快適なものだったのか。
 テープにしろディスクにしろ,1時間足らずしか持たない。別な曲を聴きたければ,テープやディスクを入れ替えなければならない。些細なことながらこれが煩わしい。iPodはそれを無用にした。

● iPodはパソコンを介して使うものだから,iPodの以前にパソコンが普及している必要があった。ハードディスクの小型化・軽量化,CDの音楽データを吸いあげて,音質を損なわずにその容量を圧縮する技術(もちろんまったく損なわないわけにはいかないが,ぼくの耳だとほとんど判別できない)など,デジタル技術の進展が背後にあって,初めて可能な変化だ。
 そのおかげで,コレクションのすべてを持ち歩けるようになったのだし,温度や使用頻度によって延びてしまうこともあるカセットテープから解放されたのだ。

● iPodを管理するためのソフトがiTunes。iTunesがあれば,iPodを持っていなくてもパソコンで音を鳴らすことができる。ワープロや表計算を使いながら,BGMがわりにモーツァルトを聴くことができるようになった。
 しかも,画面をクリックした後は何もしなくていい。3時間でも4時間でもパソコンからモーツァルトの楽曲が流れてくる。ぼくにとっては,これが最も大きな画期になった。

● 画期になった理由があとひとつ。1時間のCDをカセットテープにダビングするには1時間を要する。CDのデータをパソコンに吸いあげるのをダビングと呼ぶとすれば,デジタルはダビングに要する時間も大きく短縮した。

● オペラやバレエなどもDVDで見ることができるようになっている。音楽をCDで聴けるのと同じだけれど,芸術は基本的に一回性のものというか,複製できないものでしょ。
 CDで聴ける,DVDで見れる,それも技術の進歩がもたらしてくれた恩恵であって,その恩恵を享受できるのは幸せというしかないが,生の演奏や演技に接することで得られるゾクゾク感はCDやDVDでは得られない。

● 音楽(の演奏)や演劇(の演技)は一回性ゆえに,それに接することにはある種の贅沢性,貴族性がある。
 それゆえ,昔だったらぼくのような者が音楽のライブに出かけることなどできなかったはずだ。
 ここでも外部環境に助けられている。あちこちの市町村に市民会館・文化会館と名のつく箱物が建てられ,市民オーケストラが次々に生まれた。演奏活動の裾野が広くなった。
 その果実を味わうことができるようになった。

2009.06.26 「音楽職人が創るステージ」(JASRAC)

真岡市民会館 大ホール

● 6月26日(金)は18時30分から真岡市民会館で日本音楽著作権協会(JASRAC)による「音楽職人が創るステージ」なるコンサートがあった。協会のホームページで開催を知った。
 無料なのだが整理券が必要で,その整理券はホームページから申し込んでいたんだけど,「少年少女のための音楽鑑賞会」というサブタイトルが付いていたことに入場してからに気づいた。

● 気づかずにいて幸いでしたね。気づいていたら,たぶん申し込むことはなかったろうから。要するに楽しかったんですよ。無料でこんな豪華で高度なコンサートを味わってしまっていいんだろうかと思うような。
 著作権協会の意図は別のところにあったのかもしれないけれど,コンサートとしての出来は出色のもの。

● 2時間余の後,満足感に包まれて家路につくことができた。これほどの満足感を持って帰宅するなんて何年ぶりだろう,ひょっとしてなかったのではないか,初めてじゃないか,と思いましたよ。

● 「少年少女のための」と附されているし,真岡市教育委員会が共催している催事なので,小中学校を通して来館を募ったのかもしれない。就学年齢前のお子様も含めて,ガキンチョが多かったね。途中から騒ぎだす子が出るのは仕方ないとして,概ね気になるような事態には遭遇しなかった。

● 内容は5部に分かれていた。
 まず,「クラシックの名曲をはじめ,絶妙のアンサンブルとソロ演奏」と題して,『歌劇フィガロの結婚より「序曲」』『歌劇トゥーランドットより「誰も寝てはならぬ」』『ジャカランダの樹の上で』『チャルダッシュ』『ダニー・ボーイ』。クラシックあり外国民謡あり。小ぶりの室内管弦楽といった趣。ぼくにはこれが4回目のライブなのだが,奏者はレベルは今までとは段違い。ぼくにわかるくらいなのだから,だいぶ違うのだろうと思う。

● 第2部は「家族で楽しめるアニメメドレー」。崖の上のポニョ,ゲゲゲの鬼太郎,あんぱんまん,など。

●  第3部は「世界中で愛されているミュージカルナンバーより」。『サウンド・オブ・ミュージックより「私のお気に入り」』と『「美女と野獣」テーマソング』。ダンスと歌は劇団四季出身の石橋ちさとさん。

● 第4部は「お話と音楽の切ってもきれない関係」。音楽を背景にして絵本の朗読が行われた。朗読したのは佐野啓子さん。この朗読が素晴らしかった。朗読ってテレビなんかでは接する機会があったけれども,ライブだと迫力が全然違う。プロの力量に圧倒された。心地よい圧倒のされ方だ。
 たぶん,落語や綾小路きみまろがやっている漫談のようなものも,CDで聴いただけで判断しちゃいけないんだろうね。

● 第5部は「スイングするオーケストラ」。ジャズナンバーをいくつか演奏した。ライブを経験して間もないぼくの評価点は,他の人より甘いのかもしれないけれども,いやいや素晴らしかったですよ。ジャスも聴いてみたくなったね。

● この催しは26日が真岡で,27日に矢板,28日に黒磯で行われるが,毎年栃木県内でやると決まったものでもない。われながらよく気づいて,間髪を入れずに整理券を申し込んだものだ。

2009.06.14 栃木県交響楽団第87回定期演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

● 6月14日は3度目のオーケストラライブに行ってきた。今度は栃木県交響楽団の定期演奏会。会場は2週間前と同じ宇都宮市文化会館大ホール。
 チケットは前売券を買っておいた。栃響ではネット販売もしているので便利っちゃ便利だ。ネットで申し込むとチケットと振込用紙を送ってくる。振込用紙で代金を支払う。中には踏み倒すやつもいるのかもしれないが,そこはチケットを申し込んでくれた人を信頼することにしているのだろう。ぼくもすぐに代金は払い込みましたよ。

● どこへ連れて行ってくれるんだろうとワクワクした。
 その辺はお客さんもわかっているようで,入場者も多かった。

● 演しもののメインはブラームスの第4番。ほかには,ウェーバーのファゴット協奏曲。ソリストは菅原恵子さん。地元出身でN響の団員らしい。
 指揮は山下一史さん。菅原さんの演奏や山下氏の指揮ぶりについて,ぼくはどうこう言えるはずもない。しかし,堪能させてもらった。満足度は大きい。
 こういう音はこういう場から生まれるのかとわかるのもライブならではだ。音に集中しようとしてか眼を閉じて聴いている人がいるのだが,これは賛成できない。しっかり眼を開いてステージを見ているべきだ。

● ところで,前日にヨメと宇都宮に買物に出かけたんだけど,駅前の金券屋にこのライブのチケットが出ているのをヨメが見つけた。5百円で売られていた。来年からは先に買うんじゃありませんよと注意を受けた。
 だが,栃響にしてみれば,年に2回の定期演奏会のチケット収入だけで楽団を維持できるはずもない。団員は手弁当で練習し,その結果をお客さんに披露する。タダでもいいから見てもらいたいと思っているだろう。
 それに対する心遣いとしてチケットを買う。とすれば,金券屋で5百円のチケットを買ってしまうのには抵抗がある。

2009年5月31日日曜日

2009.05.31 宇都宮シンフォニー・オーケストラ第8回定期演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

● 5月31日は午後2時から宇都宮市文化会館の大ホールで宇都宮シンフォニー・オーケストラの定期演奏会があった。千円の入場料を払って聴いてきた。
 曲目はチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」&マーラー「アダージェット」(交響曲第5番第4楽章)&ドヴォルザークの交響曲第8番。
 指揮は石川和紀氏。

● 今回は客席は3分の1程度しか埋まっていなかった。曲目のせいか,会場が大きすぎるのか。

● 奏者でかっこいいのは,っていうか,かっこよさがわかりやすいのは,パーカッションだね。最後列で立っているから目立つしね。パーカッションの女性を見ている時間が一番長かったですね。
 それとヴァイオリンとかヴィオラが,自分たちのパートが近づいてきたときにサッと構える,そのサッという感じがとてもいいですね。緊張感が伝わってきて。ライブは目を閉じて音に集中するのではなく,目を開いて見るべきものですな。

● 5月9日の真岡市民交響楽団の定期演奏会以来,クラシックのコンサートに関する情報が自分のもとに洪水のように(と言うのは大げさだが)流れ込んでくるようになった。今までだって同じ情報が入ってきていたはずだけど,こちらに関心がないために,目の前をスルーしていたわけだ。
 今はできるだけライブを聴く回数を増やしたいと思っている。とにかく初心者なので,質より量の段階だろう,と。
 こちらの懐具合もあるので(週8千円のこづかいでやりくりしないといけないんで),チケット代が2千円以下ってのがいわゆるひとつの壁になるね,ぼくの場合。映画と同程度の料金というのが。

● いきおい,アマチュア楽団が公共ホールで開く演奏会に限られてきちゃうんですねぇ。S席で2万円とか3万円もするコンサートもあって,おそらく金額だけの価値はあるんだろうけど,これは将来の楽しみにとっておくしかなさそうだ。

● ところで,クラシックのCDは昔に比べると値崩れといっていいほどに安くなっているね。ネットオークションを覗くと,ほんとに笑いたくなるような値段でオファーが出ている。いい時代になったというべきか。ちょっと以上に複雑な心境になる。

2009.05.21 間奏1:コストゼロの楽しみ


● 通勤中に車のなかで音楽を聴いている。車通勤だと運転以外何もできないから,通勤時間が死んだ時間になってしまうと思っていた(事実,過去においてはそうだったから)。
 が,これが最も幸せな時間になった。カーオーディオの音響効果はたいしたもの。コンサートホールのS席に座って移動しているようなものだ(と思うことにする)。

● この幸せがコストゼロで手に入っているんだからありがたい。
 つまり,地元の図書館からCDを借りて,車のナビのハードディスクに録音したものだからね。
 よほど指揮者や楽団や奏者にこだわりがあるのでなければ,聴きたい曲はたいてい図書館にある。

● 散歩は歩くだけだからコストゼロ。家族や友人との語らいもコストゼロ。生活を快適にしてくれるうえで肝心なものは,すべてコストゼロ。

2009.05.09 真岡市民交響楽団第41回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 初めてクラッシックコンサートを体験した。クラシックをライブで聴きました。
 真岡市民交響楽団の定期演奏会を聴いたってことなんだけど。年2回,定期演奏会をやっている。アマチュアのオーケストラだ。ぼくに演奏のレベルを評価する能力はないけれども,充分なレベルにあるのじゃないかと感じた。

● 常任指揮者は高根沢町出身の佐藤和夫氏。演しものはベートーヴェンの命名祝日序曲,ピアノ協奏曲第3番,ブラームスの交響曲第2番。約2時間のライブだった。
 5月9日(土)の午後6時から真岡市民会館の大ホールを使ってのライブだったんだけど,客席はガラガラかと思いきや,8割は埋まっていた。こんなに人気があったとは知らなかった。クラシックファンって多いんだねぇ。テレビドラマの「のだめカンタービレ」効果が今に至るも尾を引いているのだろうか。んなわけないよなぁ。

● チケットは前売り・当日の別もなく,全席自由席で,500円。500円でライブを味わえるのだから,ありがたいというしかない。アマオケに寄付したという意識はなく,あくまで対価として支払った。

● この演奏会があることは地元の図書館で知った。館内にこの演奏会のポスターが貼られていたのでね。このポスターを見かけたことが,ぼくの生活を大きく揺さぶってくれた。クラシックの演奏をライブで聴くという初めての体験に結びついたのだから。

● と書くからには,このライブ,聴いて良かったと思っているわけです。CDで聴く場合は破綻がないことが予めわかっているから安心していられるけれど,ライブだとドキドキしますね。迫力もCDとは大差がある。ベルリンフィルやウィーンフィルの演奏をCDで聴くより、真岡市民交響楽団の演奏をライブで聴く方がいいですね。
 大げさにいうと,美というものがヴィヴィッドに伝わってきた初めての体験かもしれない。絵画とか彫刻とか陶磁器とかにはイマイチぼくの感性は反応しなかった。鈍いんだろうと思う。モノに仮託されたものについては,自分には美意識が欠落しているのではないかと思うほどだ。
 ところが,真岡市民会館の大ホールで真岡市民交響楽団の演奏が始まって間もなく,鳥肌が立つようなゾクゾク感に襲われた。

● 演奏が始まると,ぼくの脳内に見たこともない風景が現れた。次々に浮かんでは消えていく。行ったことのないところへ連れていってもらっているような感覚。ひょっとすると,麻薬をやるとこんな感じになるのかと思いながら,それに身を任せていた。
 地方のアマオケくらいで何を大げさなと言われるか。ぼくはそうは思わない。

● 500円でこんな体験ができるとは。今までの人生で最も使いでのあった500円ではあるまいか。
 こうなると,何で今までこういう機会を逸し続けてきたのかと後悔の念にかられる。CDだけですませてきたことを悔やむ。ライブの迫力が圧倒的だなんてことは,実際に体験するまでわからないような話じゃない。あまりにも当然のことがらに属する。
 でも,これは仕方がないですね。機が熟さなかったんでしょう。第一,CDだろうとテープだろうとFMラジオだろうと,浴びるように音楽を聴きだしたのはここ1年足らずのことだもの。もっと厳しくいえば,この4月からのことだから。

● これからはアマチュア楽団の演奏をできるだけ数多く聴いていこうと考えている。こづかい(週8千円。これで昼食から家で晩酌する酒代までまかなう)の範囲内でやらないといけないからね。いつまでかといえば飽きるまで。飽きない楽しみになってくれればいいのだけどね。