2017年12月11日月曜日

2017.12.07 宇都宮短期大学-まちなかクリスマス・コンサート

宇都宮共和大学 エントランスホール

● 18時開演(入場無料)なんだけど,その30分前に「Mix bell」というボーカルユニットが登場するというのでね,それに間に合うように行ったんですけど。
 その「Mix bell」っていうのがちょっと不思議でね。っていうか,よくわからなくてね。
 知ってる人にはお馴染みなんだろうけど,最初,宇短大と附属高校の学生なんだろうと思ったんですよ。あどけなさを残した子もいるしね。
 それにしては堂に入りすぎてるなぁと思ってね。

● 宇短大とは何の関係もなかったんですね。とちぎTVや栃木放送でレギュラー番組を持ってるらしい。学校に通いながら活動している子もいるんでしょ。頑張ってますなぁ。
 かわいらしい女子4人組のユニット。これからたぶん,何度か目(耳)にする機会がありそうだ。

● お子さんもOK,ケータイの電源切らなくよし,飲み食い禁止もなし(主催者がお菓子を配っていたくらいだ。さすがにビールを飲みながら聴くのはダメだろうけど)。堅いことはなしのアットホームなミニ演奏会。音楽の楽しみ方としては,こちらの方が正統かもしれないね。
 このコンサートは宇短大の広報行事でもあるんだろうけど,音楽科の強みってあるね。わかりやすくアピールできる。

● 演奏したのは宇短大音楽科の2年生と教員。プログラムは次のとおり。
 トランペット独奏(トランペット 福田みなみ ピアノ伴奏 小倉賛子)
  バーナード ウィンター・ワンダーランド

 フルート独奏(フルート 小牧茄央里 ピアノ伴奏 香川瑞葉)
  ハーライン 星に願いを
  坂本龍一 戦場のメリークリスマス

 ピアノ独奏(小倉賛子)
  シューマン 主題と5つの変奏曲

 マリンバ独奏(古川黎菜)
  安倍圭子 愛の喜びのモノローグ
  イギリス民謡 We wish you a merry Christmas

 ソプラノ独唱(ソプラノ 鎌田亮子 ピアノ伴奏 益子徹)
  ヴァヴィロフ カッチーニのアヴェマリア
  バッハ/グノー アヴェマリア
  アダン さやかに星はきらめき

● 知名度があるというか,たいていの人はどこかで聴いたことがある曲の中にあって,シューマン「主題と5つの変奏曲」だけが例外。
 シューマンの遺作と言われているものですね。シューマンの晩年を思うことになる。凄まじいまでの精神の強靱さ。このあと,シューマンは晩年の悲劇に墜ちていくことになるんだけど,梅毒が嵩じた結果だとすると,その梅毒はクララには感染しなかったんだろうかとも思うんだけどね。

● 最後のソプラノとピアノ伴奏は教員によるもの。鎌田亮子さんの“アヴェマリア”はさすがと言いますか,ソプラノって感じがしたと言いますか,柔らかい響きで陶然となっちゃいましたよ。

● 終演後,ホットワインとソフトドリンクがふるまわれた。さすがに,そこは遠慮して帰宅の途についた。ぼくはこの大学の卒業生でもないし,これからこの大学や附属高校に入るかもしれない子どもがいるわけでもないので。
 それ以上に性格でしょうね。ここは甘えた方がいいのかもしれないんだよね。けど,大学のスタッフと喋ることが何もない。この催しについて気の利いたことを話し言葉にできればいいんだけど,そういうのが苦手でね。ぼくはサロンの人ではないのだろうなぁ。

2017年12月5日火曜日

2017.12.03 真岡市民交響楽団 第56回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 開演は午後2時。今までは夜の開催が多かったように記憶しているのだが,今回は昼間。チケットは500円。当日券を購入した。

● 今回は1階右翼席に座ってみた。大ホールの8割は埋まっていたろうか。1階席はほぼ満席。真岡のような地方都市でも,こうしたオーケストラの演奏会にこれだけのお客が入る。
 入場料がワンコインとしても,これってすごいことなんじゃなかろうか(招待客がけっこういるんだろうか)。真岡だけが特別のはずはないから,日本全国,どこでもそうなのだろう。日本以外にこういう国ってあるんだろうか。

● 曲目は次のとおり。指揮は佐藤和男さん。
 ウェーバー オベロン序曲
 シューマン チェロ協奏曲
 ブラームス 交響曲第1番

● 年2回の定演のうち,今年も春の定演は聴きそびれてしまった。ので,比較対象は昨年の冬の演奏会になるんだけど,変わったのは開催時刻だけではない。コンミスが変わっていた。上保朋子さん。ゲストコンサートミストレスってことなんだけど,次回以降はどうなるんだろう。
 コンミス以外にもメンバーの入れ替えがけっこうあったのかもしれない。

● ソリストの佐山裕樹さんは栃木出身のチェロ界の若き新星。栃木県ってチェロ奏者を輩出するところなんですかねぇ。宮田大,金子鈴太郎,玉川克といるんですけどね。
 佐山さんの演奏を初めて聴いたのは,彼が出場したコンセールマロニエ。彼は高校生だった。その後,もう一度,聴いているので,これが3回目。
 ウットリするしかない。ウットリしすぎて,時々,空想の世界に遊んでしまう。
 アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から“ブーレ”。静謐きわまる。

● ところで。パンフレット冊子に楽屋話を載せたチラシが挟まっていた。佐山さんをして“やはり本物は違う”と評しているんだけど,ということは,自分たちは本物ではない? 本物でなければ何なのだ? 偽物?
 それでは訊くが,本物と偽物を分けるメルクマールは何だ? 技術? 才能? 彼と自分たちの間には越えられない壁がある? 広くて深い川の左岸に彼はいて,自分たちは右岸にいる?
 音楽に割ける時間? 彼は好きなだけ音楽に時間を注げるのに対して,自分たちはつまらない仕事や雑事に紛れてしまって,音楽に充てる時間を確保するのが難しい?

● そうだとしても,それが何だと言うのだ? ぼくがこういうことを言っていいのかどうかいささか以上に疑問だけど,と言いながら結局言ってしまうんだけど,技術は演奏の重要な要素であることはたしかで,技術なしに演奏は成立しない。そうではあるんだけれども,技術は演奏のすべてではなくて,要素のひとつにすぎない。
 演奏って楽譜を機械的に音に翻訳する作業じゃないでしょ。れっきとした創造行為でしょ。創造であるなら,技術以外に必ずつけいる隙があるんですよ。
 要するに何を言いたいのかといえば,君たちも本物なんだよってことね。しっかりしなさいよ。謙遜はときに悪徳だよ。

● メンバーが替わっても,真岡オケの身上は“一生懸命”。“一生懸命”を見るのは,それ自体が悦楽だ。
 どんなオケでも一生懸命にやっているんだろうけれども,ここの一生懸命さはわかりやすく伝わってくる。今回はオーボエがそれを代表していた感あり。
 ここまでやってくれればね,あえて結果は問うところではない。ってことにはならないけれど,結果にも文句を付けるところはない。
 強いていえば,ブラームスで金管が音を出しすぎると思うところがあったんだけど,それってCDを聴いて作ってしまったイメージがモノサシになっている。CDの録音がリアルとは違っているかもね。じつはこれくらい出すのが正統なのかもしれない。

● 栃木県にはプロのオーケストラはない。群馬には群馬交響楽団があり,茨城には常設ではない(と思う)けれども,水戸室内管弦楽団という途方もない水準の楽団がある。
 だから,栃木にもプロのオーケストラを作るべきだという意見もなくはないんだけど,これだけ日本は狭くなっているんだから,県域にこだわるなんてまったくナンセンスだ。こちらが県域をまたいで動けばいいだけのこと。

● もうひとつ,アマチュアの演奏活動が圧倒的に隆盛なのが日本の特徴で,その水準には端倪すべからざるものがある。
 真岡市民交響楽団もそのひとつで,この演奏を聴いて何らかの不足感を覚えることは,ぼくの場合はあまりないわけだ。
 あとは,オーディオ環境をそれなりに整えて(といっても,今どきだったらミニコンポで充分だと思うが)CDを聴けばいい。聴く人が聴けば,CDからでも充分な情報を拾えるはずだ。
 急いで付け加えておくんだけど,ぼく自身は「CDからでも充分な情報を拾える」人では,どうやらないっぽい。それゆえ,わりと頻繁に生演奏に接したくなるのだ。

● オケのアンコールは,ブラームスのハンガリー舞曲第1番。これで今年が終わってもいいと思った。
 けど,まだ3日だ。予定ではあと9回,聴きに行く。師走で世の人たちは慌ただしいほどに忙しいだろう。申しわけないようなものだけど,ぼくはそれだけ暇なんだな。
 学生の頃は“旗本退屈男”と呼ばれていたんですよ,ぼく。三つ子の魂じゃないけど,そういうのって年寄りになっても変わらんもんだね。

2017.12.02 第8回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東邦音楽大学・国立音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 12月は忙しい。仕事じゃなくて,休日がね。なぜなら,年末は「第九」がもうこの国の民俗行事になっているけれども,「第九」以外にもコンサートが増える時期ですよね。可能な限り,付き合うことにしているもので。
 まず,今日は首都圏の音大フェス。計4日間で開催されるこの催し,今日が最終日。結局,ぼくが聴いたのは半分にとどまった。

● まず,このホール(ミューザ川崎)について語っておかなければならない。いや,“ならない”ってこともないんだけど,語っておきたい。
 要するに,いいホールですよね。演奏する側にとってどうなのかはわからないけれど,聴く側にすると相当聴きやすい。ぼくの限られた体験の範囲内でいうと,最も聴きやすいホールがここだ。
 勾配があるので,前の人の頭が視界に入らない。ぼくも座高の人なので,後ろの人に気を遣わなくてすむのは助かる。

● 建物じたいの構造が柔らかくできているんだろうか。音の響きも柔らかいと感じる。同じ奏者がこのホールで演奏すると,香車一枚分だけ巧くなったと感じるのではあるまいか。
 要するに,かのサントリーホールよりもここミューザの方がカンファタブルだ。

● さらに。ぼくのような北関東の在住者にとっては,上野東京ラインの開通によって川崎が一気に近くなった。しかも,駅前にあるんだから,物理的にもサントリーホールよりミューザの方が,物理的にも近いのだ。
 聴きたいコンサートを選ぶとき,ホールはどこかっていうのも選択を左右する要素になる。ホールがミューザってことになれば,それだけで聴きに行こうかと思うかもなぁ。

● 開演は午後3時。チケットはお得すぎる1,000円。東京芸術劇場のネット販売を利用。セブンイレブンで受け取る。“ぴあ”を使うより手数料が216円安くなる。セコくてすまんが。
 今回登場するのは,東邦音楽大学,国立音楽大学,洗足学園音楽大学。それぞれ,ドヴォルザーク8番,ブラームス2番,マーラー1番を演奏。

● まずは,東邦。指揮は梅田俊明さん。
 演奏する彼らにしても,同じメンバーで演奏できる機会は,この先二度とないだろう。当然,聴く側のぼくらもこの演奏は二度と聴くことができないものだ。たった一回の巡り合わせ。一期一会を強く思わせる。
 逆にそう思って聴くせいか,妙にセンチメンタルな気分になる。切なくなってくる。

● ぼくの席はいわゆるP席に近い場所だった。演奏中,指揮者の顔が見える。指揮者って,まず肉体労働者なんだよねぇ。これは,身体を鍛えておかないとダメだわ。
 これだけ動いているんだから汗をかくよねぇ。しかも襟の開いた軽装でやってるんじゃない。しかし,汗を見せない。これは巧妙というべきなのだろうか。
 指揮者って容赦ないものだってのもわかる。奏者とすれば,演奏を止めて,指揮台にツカツカと歩み寄って,指揮者の首を絞めてやりたい,と思うことはないんだろうか。

● この席だと,弦よりも管が近くなるんだけど,それによって聞こえてくる音に違和感を感じることはまったくない。
 フルートの男子学生が目立っていた。木管奏者の動きがよく見えるのは,この席の役得だ。ぼくの席だと,金管は視野から消えてしまうのだが。

● 第3楽章はスウィーティーな舞曲で,自分もどこぞの色白美女と踊っているような気分に染められるんだけど,演奏する方はスウィーティーどころじゃない。弦の奏者は忙しく左指を動かしている。必死こいているというのは失礼すぎる言い方かもしれないけれど,アヒルの水掻きという言葉を思いだした。
 曲の骨格が浮きでてくるような,くっきりとしたクリアな演奏。ノイズがないからくっきりと聞こえる。さすがは音大の高水準。ここまでの演奏を聴ける機会はそんなにない(ぼくの場合は)。

● 国立音大のブラームス2番。指揮は尾高忠明さん。
 1番が苦節20年なのに対して,2番は4ヶ月で仕上がった。だから1番より軽いし,ゴツゴツしていない,おおらかで伸びやかだ,と言われる。
 実際そうなんだろうけど,ぼくの耳ではそのあたりの対比というのが,いまいちピンと来ない。1番も2番もCDを含めれば数え切れないほど聴いているはずなんだけど,その対比を聴き取れていない。
 2番も沈鬱な苦渋を感じるところが多い。時に豪華絢爛もあり,たゆたうような穏やかさを感じる楽章もあるんだけど,全体の印象は1番とさほど変わらないというかなぁ。

● オーボエの女子学生が目立った。プレッシャーもあったろうけど,美味しかったと思うな。
 この曲だとやはりオーボエですか。オーボエが彼女だからこの曲を選んだってことではないんだろうけどね。

● 洗足はマーラー。指揮は秋山和慶さん。尾高さんにしろ,秋山さんにしろ,功成り名を遂げた日本を代表する指揮者。彼らの指揮ぶりに接する機会も,ぼくの場合はほぼないので,この音大フェスはありがたい。
 指揮者って長命でしかも最後まで現役って人が多い印象なんだけど,それもわかる気がする。これじゃ年なんか取ってられないっていうかね。
 指揮者以外の職業に就いている人でも,このあたりは大いに参考になるかもしれない。仕事の細かいことで頭をいっぱいにして,始終動いていればいいのだ。
 もっとも,それをやると老害と言われることが多いのが,ぼくらの職業のほとんどだろう。ひょっとしたら,指揮者でもそう言われているのかもしれないけど,実際問題としてお座敷がかかるんだからね。

● マーラーなんだから,打楽器を中心に編隊が大きくなる。ティンパニが淡々とテンポを刻んで舞台を維持する。淡々というのが,しかし,できそうでなかなかできない(のじゃないか)。
 気持ちをできる限り平らにして,あるいは小さく(細かく)して,時を刻んでいくという。

● 初めてこの曲を聴いたときの印象は,“鄙”だった。田舎びている,素朴である,日向の臭いがする,そういう印象だった。
 じつは今でもそこからあまり出ていないんだけど,その鄙の中に,あるいは鄙と鄙とのつなぎ目に,マーラーの洗練が見えるようにも思える。
 しょせんは,聴き手の器量以上の聴き方はできない。目下のぼくの器量はそんなところだ。

● 彼らのうち,プロの世界に行く人が何人いるのかは知らない。大学の専攻と社会に出てからの仕事の間に関連がある方が珍しいから,音大卒といえども音楽の世界ではないところで生きていくこと自体は,別に異とするに足りない。
 しかし,音大生の場合,どうしてもそこを考えてしまうのも事実であって,それはなぜかといえば,大学での元手のかけ方が違うからだろう。経済学部や文学部の学生が大学で学んでいるとは誰も思っていない。遊んでいるのだと思っている。学んでいるとしても,大したことはやっていない。自分も経験しているからよくわかる。

● しかし,音大生は違う。音楽だけをやっている。実際には違うかもしれないけれど,そういうイメージがある。しかも,音楽なのだ。つぶしが利かないのだ。
 実際はね,藝大を出てソニーの社長になった人だっているんだから,大学で何をやった(やらなかった)とか,つぶしが利くとか利かないとか,そんなのは一切無関係だってのはわかるんだけどね。
 それでも,彼らのこれからの行く末に思いをいたさせるのも,音楽の持つ魔力のひとつなのかと思った。

2017年11月22日水曜日

2017.11.19 宇都宮短期大学管弦楽団 Special Concert-宇都宮短期大学創立50周年記念

宇都宮短期大学 須賀友正記念ホール

● 宇都宮短期大学の学園祭(彩音祭:あやねさい)のメイン行事。開演は午後1時半。チケットは2,000円。

● 曲目は次のとおり。指揮は阿久澤政行さん。
 グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
 ショパン ピアノ協奏曲第1番
 ドヴォルザーク 交響曲第9番

● 宇都宮短期大学管弦楽団は在校生と卒業生と教員で構成。常設のオーケストラではない。もし,常設で年に2回程度の演奏会を開催してくれれば,栃木県内で開催される演奏の幅が上部に向かって分厚くなる。栃木県の光景が少し違って見えるかもしれない。
 ソリスト(ピアノ)も卒業生の西尾真実さん。さすがに,自前で揃えることができるだけの陣容は整っているということでしょう。

● 西野さんのピアノを聴くのは,これが3度目になる。ぼくの耳では彼女のピアノに対してどうこう言うことはできない。拝聴するだけ。
 ただ,ショパンのこの曲については言いたいことがある。ショパンが作曲した作品のほとんどはピアノ曲で,それらに駄作はないという点で,後世の評価は一致していると思う。
 が,唯一,協奏曲だけはどうもショパンは苦手としたようだ。オケとピアノの接点がない。インターフェイスができていない。ピアノはピアノ,オケはオケ。極端にいうと,これ,協奏曲と言えるんだろうか。

● オケの奏者は演奏していて,ぜんぜん楽しくないだろう。ということは,聴いている側も楽しくないということだ。西尾さんが悪いのではもちろんなく,管弦楽が悪いのでもない。ショパンが悪い。
 それでも,この曲が演奏される機会が多いのは,クラシック演奏界の七不思議の一つと言っていいのじゃないか(あとの六つは何なのだっていう突っ込みはなしに願いたい)。

● メインはドヴォルザークの第9番「新世界より」。ショパン協奏曲の鬱憤をはらすかのように,管弦楽が存分に弾けて,密度の濃い演奏になった。
 要となるオーボエが素晴らしかった。オーボエに限らない。フルート,クラリネット,ファゴットの木管陣はさすが。木管がここまでいいと,管弦楽曲はその容貌をクリアに現してくれる。そうだよ,「新世界より」はこういう曲なんだよ。

● 客席にはやはり学校関係者,父兄とか附属高校の生徒とか,が多かったようだ。
 が,他のホールでちょくちょく見かける顔もあった。彼らにしてみれば,ぼくも同じであるはずだが。
 同好の士ってのはいるもんだな。彼らと言葉を交わすことは絶えてないけれども(これからもないはずだ)。

● 彩音祭について申しあげれば,当局の管理がよく言えば行き届いている。高校の文化祭のような感じがする。お行儀がいい。挨拶もする。細かい規則を守って,その枠から出ることがない。
 反面,学生が存分に暴れているという感じは希薄だ。そうでもないんだろうか。今の学生はこんなものなんだろうか。あるいは,今どきだと学園祭以外に発散する場がいくらでもあるんだろうか。

2017年11月21日火曜日

2017.11.18 第8回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東京藝術大学・桐朋学園大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 「音楽大学オーケストラフェスティバル2017」。今日から計4日間の日程。開演は午後3時。チケットは1,000円。
 今日は藝大と桐朋が登場。初日で両横綱が顔を合わせてしまった。

● 藝大はストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。桐朋はプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」(もちろん抜粋)。
 もちろん偶然だろうけれども,バレエ音楽が並ぶことになった。

● 粛然として襟を正さしめる何ものかを,ステージ上の音大生は放っている。四の五の言わせない,強い何ものかを。
 その何ものかを充填しているのが,彼ら彼女らがここまで来るのに払ってきた,膨大な時間であることはハッキリしている。一点に費やしてきた膨大な時間。それはまた,その一点以外の可能性を排斥するものでもあった。
 彼ら彼女らには,今このステージ上に立っているという以外の生活があり得た。客席にいてこの演奏を聴いている人生もあったはずだ。
 が,その一点以外の可能性をすべて捨てて,その結果,今このステージにいるという,圧倒的な事実。

● 息をするのも憚られるような濃密な緊張感が,客席を支配する。その何ものかに圧倒される快感というのがたしかにある。

● まず,藝大。指揮はラースロー・ティハニ氏。ハンガリーの人。
 藝大でも奏者の多くは女子。が,数は少ないながら,男子もしっかりとそこにいる。男子がしっかりとそこにいることの安心感のようなものがある。何だろうね,これ。

● 歌舞音曲は女のものという風潮というか色合いというか,それは今でもあるのか。それとも過去のものになったのか。
 どうも今でもあるのじゃないかと思う。が,楽器を操る男子がひと頃よりは増えているようにも思える。
 それって,男が女に取り込まれている(男女差がなくなってきている。ただし,女寄りの方向に)からで,歌舞音曲は女のものという命題が否定されつつあることの証左にはならないように思う。
 という埒のないことを思ったりしたんだけど。

● 次は桐朋。女子比率は藝大より高い。もちろん,だからダメということではまったくない。何というのかなぁ,東正位の貫禄というのかなぁ,確信のようなものを感じるんですよ。
 これでいいんだ,自分たちのやってきたことは間違っていないんだ,っていう確信。臆せず,グイグイ前に出る迫力。
 この音大フェスは何度か聴いているんだけど,桐朋から感じるのはこのことだ。

● 指揮は中田延亮さん。経歴が面白い。筑波大学の医学部(筑波では学部とは言わないらしいのだが)を途中で飛びだして,音楽の世界に転んだ。医師免許は放棄したのだろう。
 世間一般からすればモッタイナイの典型例。しかし,やむにやまれぬ大和魂。
 ときどき,いるよね。勉強もできちゃったから医学部に行ったけど,やっぱり自分のいるところはここじゃないと気づいて(という言い方でいいんだろうか)音楽の世界に飛びこむ人。

● チケットの1,000円は,このイベントを開催するのに必要な装置と労力を考えれば,ほとんどタダに近いだろう。無料というのも何だから,いくらかいただくことにしましょうか,という感じなんでしょうかね。
 いや,奏者は学生なんだし,指揮者も手弁当なのかもしれない(日本を代表する指揮者が登場するんだけど)。だとすると,チケット収入だけで賄えているはずだ。
 が,その場合は,演奏する側がボランティアということになるわけで,いずれにしても,ぼくらはそのおこぼれに与っている。

● 電車賃が4千円かかるんだけど,これはそれでも聴きに行きたい演奏会。
 来年から東京に出向くのは抑制しようと思っている。最低でも半分にしたいのだけど,どうしても残ってしまうものがあって,これはそのひとつですね。

2017年11月8日水曜日

2017.11.05 東京フィルハーモニー交響楽団演奏会「ブラームスはお好き?」Vol.1

宇都宮市文化会館 大ホール

● 宇都宮市文化会館で東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会が開催されるのは,2010年6月から2014年11月までに6回あった(それ以前からあったのかもしれない)。
 後半の3回は,地元出身の大井剛史さんの指揮でオール・チャイコフスキーだった。その後,会館の改修工事もあって途絶えていたわけだが,改修後のこけら落としも東京フィルだったのではないか。
 その演奏会には行けなかったので,わりと久しぶりな東京フィル。

● この「ブラームスはお好き?」は,オール・ブラームスで全4回になる予定。大井さんが指揮をとる。大井さんのための演奏会という感じだね。地元出身の有力な指揮者を全面的に支持するぞ,というホール側の決意を感じる。
 もちろん,異議はない。大井さんならば,それで不自然さを感じさせるところは皆無だから。

● 以前,那須野が原ハーモニーホールが,毎年,東京交響楽団を招聘していたけれど,現在は行っていない。宇都宮市文化会館と東京フィルの関係は,栃木県内でプロオケの演奏を聴ける貴重な機会を提供してくれている。
 というわけで,東京フィルの演奏を聴くのは,これで7回目になる。プロのオーケストラの演奏を聴くことはほとんどないんだけど,東京フィルはダントツで多い。
 ちなみに,他には,N響を3回,東響山響日フィル読響兵庫芸術文化センター管弦楽団をそれぞれ1回。国内のプロオケを聴いたのは,これですべてだ。

● 開演は午後3時半。チケットはS・A・B・C。Sが4千円で,以下千円きざみ,C席は千円。ぼくは2千円のB席をかなり早い時期に取っておいた。
 で,そのB席というのが,ぼくが好んで座る2階のウィング席なんでした。そっかぁ,自分の好みの席はBだったのか。でも,1階席の真ん中辺よりここの方がずっといい。前席の人の頭が視界を遮ることがない。ステージをバッと見渡せる。
 逆に言うと,この席をBにしてるってのは,相当に良心的だとも言える。

● プログラムは次のとおり。
 大学祝典序曲
 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調
 交響曲第1番 ハ短調
 クラッシックを聴く人で,ブラームスが嫌いという人はあまり(というか,ほとんど)いないと思う。ブラームスに駄作はない。何を聴いても,ブラームスなら安心このうえない。

● ところが,ぼくときたら鈍というか愚というか,ブラームスがわかったと思えたのは,だいぶあとになってからだった。
 2013年10月に,兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏を聴いたときだ。指揮は佐渡裕さん。演奏したのは交響曲第4番。このときの憑きものが落ちた感じは,もちろん今も憶えている。

● 大学祝典序曲。東京フィルって,プロオケの中では団員の平均年齢がだいぶ若い方なんだろう。いい意味での若さが充満していて,清新な印象を受ける。
 この楽団の持ち味と言っていいんだろか。この曲の曲調に合っている。

● ピアノ協奏曲第1番。ソリストは黒岩航紀さん。この名前は憶えておくべきだ。25歳の天才ピアニスト。彼も栃木(宇都宮)育ち。
 技術的にはすでに頂点に達しているのだろう。ここから先は技術以外のところでどこまでノビシロを拡げていけるかだろうけど,このレベルの話はぼくのような素人が口を出していい部分ではない。本人が色々と試行錯誤を重ねているに違いない。

● 交響曲1番は,ブラームスの4つの交響曲の中でも,こめられたエネルギー量が最も大。エネルギーが迸っているのに破綻が一片もないという,大変な作品だと思うんですが。
 演奏する方はもちろんだろうけど,聴く方もしっかり疲れる。

● 大井さんの指揮ぶりも魅力。指揮者を見ているだけで飽きることがない。
 彼の指揮に初めて接したのは,那須フィルの音楽監督を務めていた頃,7年前か。そのとき,大井さん,36歳。この7年間,着実に月日を充たしてきたんだろう。風格らしきものも漂うようになっていた。
 オーケストラとの関係をどう持っていくか,どうやってオーケストラを掌握するのか,あるいは掌握してはかえっていけないのか。書物で得た知識はぼくにもあるんだけど,すべてを文字にすることはできないものだろう。現場に立つ者にしかわからないことが海のようにあって,その多くは言葉に翻訳することができないに違いない。

● B席チケットが2千円。交通費が770円。たったそれだけのコストで,宇都宮でこれほどの演奏が聴けるとは幸せだ。本当にそう思う。
 3千円足らずで王侯貴族になった気分を味わえるのだ。いい時代に巡り合わせた。
 だいぶ高揚してしまったので,終演後は鶴田駅まで歩いてクールダウンした。東の空にかかっていた満月がきれいだった。予定調和的な終わり方で申しわけないが。

2017年11月7日火曜日

2017.11.03 マーキュリーバンド 25周年記念特別演奏会-ゲーム音楽の夕べ

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後7時。入場無料。「ゲーム音楽の夕べ」と題したプログラムは次のとおり。
 第1部 「ドラゴンクエスト」
  序曲
  街でのひととき
  遙かなる旅路~広野を行く~果てしなき世界
  結婚ワルツ
  戦火を交えて~不死身の敵に挑む
  エーゲ海に船出して

 第2部 「ファイナルファンタジー」
  FFメインテーマ
  FFダンジョンメドレー
  Never Look Back~Dead End
  FFバトル2メドレー

● というわけで,ドラクエとFFのゲーム音楽を演奏。吹奏楽を聴くのは久しぶり。
 女性奏者がカラフルなドレスで登場したのもナイス。女性はやっぱり花だから。花は花として艶やかに咲いているべきで,この点については年齢は関係がない。咲いた者勝ち。
 といっても,咲ける機会はそんなにないのが実情だろうから,こういう場では思いっきり派手にやった方がいいのだ。

● ぼく自身はゲームはやらない人間だ。20世紀タイプだ。
 が,バレエ音楽はバレエと一緒じゃないと楽しめないかというと,そんなことはない。音楽だけを切り離して聴いても鑑賞に耐える曲は多い。映画音楽は映画を見ていないと楽しめないかといえば,そんなことはない。映画から切り離して音楽だけ聴いても,鑑賞を妨げるものは何もない。
 ゲーム音楽もしかり。ゲーム体験なしに聴いても,まず支障はあるまいと思われる。

● もちろん,ゲームをやっていれば,そのときの気分,そのゲームをやっていたときの自分の状況を思いだして,あの頃は仕事がけっこうきつかったなとか,自分の来し方(近過去)を思いだして,それぞれなりの楽しみ方ができるだろう。
 しかし,ゲーム体験は必須ではない。一曲の演奏ごとにゲーム絡みの解説があったんだけど,これはあってはいけないものではないけれども,なくても別によかったかもしれない。

● 楽しい演奏会だった。なくてもよかったかもしれない“解説”も与って力あったか。
 日本のゲーム音楽の水準は相当なものだと気づくこともできた。分野々で,どの世界にも端倪すべからざる職人がいる。下手な現代クラシック音楽など吹っ飛ばされるのではないか,と思わせる。

● ただし,困った状況だなと思った。ぼくに残された時間がない。要するに聴ききれない。
 クラシックに限ってみても,一度も聴いたことのないCDがごろごろある。気に入った曲は繰り返して聴くことになる。ベートーヴェンやバッハ,ブラームスには何度聴いたかわからない曲がある。時間には限りがあるから,いきおい,他の多くの曲は聴かないままになる。
 この世の音楽はクラシックだけではない。ジャズ,ロック,レゲエなどなど。邦楽もあれば,映画音楽もあり,ポップスだって膨大にあるのだ。

● 4月から車通勤になったので,往きも復りも,車内ではNHK-FMをつけっぱにしている。「夜のプレイリスト」を聴きながら運転することもある。
 最近,高橋由美子が越路吹雪を紹介していた。一発でノックアウトされたましたね。越路吹雪,素晴らしい。これを聴かないで生きてきてしまったとは,われながら何を考えていたのか。
 次の週にはジョン・ウィリアムズの映画音楽が紹介された。スターウォーズなどたくさんある。これもあらかたは聴いていない。
 こうして聴きたい音楽は増える一方だ。今回,それにゲーム音楽が加わることになった。

● ぼくに20年の寿命を追加配分してくれないか。寿命だけでは困る。音楽だけを聴いて生きていられるように,衣食住の配給もお願いしたい。
 って,その20年の間にも新しい音楽が生まれ,聴きたい音楽が増えるだろうね。つまり,寿命の追加配分は最終解決にならないんだよなぁ。
 困ったものだなぁと思いながら,会場を後にしたことだった。

2017年10月27日金曜日

2017.10.22 マロニエ交響楽団 第4回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 正直,行くかどうか少し逡巡。台風21号がこちらを直撃する予報なんですよ。ご訪問の予定は明朝らしいんだけど,すでに雨は降っている。これから雨も風も強くなるんだろう。
 けれども,衆議院議員総選挙の投票はいざしらず,この程度の天気で予定していた演奏会に行かなかったとあっては,わが人生の晩節を汚すことになるでしょうよ。

● というわけで,出かけていった。車は使わず。わが家からハーモニーホールまでは,徒歩-電車-徒歩(ここはバスもあるが)となる。
 実際のところ,往きは大したことはなかった。雨の中を歩くことを楽しめる程度のものだった。

● さて,マロニエ交響楽団。2年に1回,演奏会を開催している。宇都宮大学管弦楽団のOB・OGを母体にして発足したらしい。その後,おそらくそうではないメンバーも加わっているだろう。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を買って入場。

● 曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調
 シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
 ベルリオーズ 幻想交響曲
 最近,重量級のプログラムがあたりまえになった感があるけれども,これはベートーヴェンの8番とベルリオーズ「幻想交響曲」という超重量級。演奏する側はもちろんだけれども,聴く方も疲れそうだね。

● もうひとつ。このプログラムでどうして那須で? 宇都宮でよかったんじゃない?
 ハーモニーホールの響きはたしかにいいんだけど,栃木県総合文化センターや宇都宮市文化会館に比べて突出しているというわけでもないと思うんだが。
 演奏する側にすれば,わずかの違いが大きな違いということだろうか。

● 指揮は曽我大介さん。曽我さんの指揮にも何度か接している。楽章間であまり間をとらず,小気味よく進めていく。
 曽我さんの指揮を仰げるということは,それ相応の実力を備えている楽団だと看做していいんでしょうね。宇都宮大学管弦楽団で相当鍛えているということですか。

● まだ若い楽団ゆえ(いや,それだけではないのかもしれないが)反射神経がいいという印象を受ける。軽々とやっているわけでは決してないだろうけど,飲みこみがいいんじゃないだろうか,各々の奏者が。
 ベートーヴェンの8番では第3楽章の木管の呼吸の良さにそれを感じることができる。

● シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストは長原幸太さん。読響のコンサートマスターを務めているんですか。
 このクラスになると,ぼくのような者では彼が生きている世界を想像することすらできない。どんな価値観や人生観で生きているのか,まるでわからない。無理に想像しない方がよろしかろうと思う。

● 協奏曲も管弦楽曲ゆえ,当然といえば当然なのだろうが,主役は独奏楽器ではなくて管弦楽だ。ゆえに,協奏曲を聴くときにソリストが誰なのかはあまり気にしたことがない。
 ただ,この曲は独奏成分が高い。これだけの人を呼べるのもまた,管弦楽に相応の実力があればこそ。

● さて,ここまで聴いたうえで,さらに「幻想交響曲」を聴くことになる。聴く方にも,各人による大小はあるだろうが,聴くことにさけるリソースに限りがある。薄い聴き方にならざるを得ない,と言い訳をしておこう。
 初めて「幻想交響曲」を聴いたときのことを思いだす。10代の後半だったと思う。何がなんだかぜんぜんわからなかった。これ,何で「幻想」なんだと思った。
 ところが,今は高校生が「幻想交響曲」を演奏する側に回っていたりするんですよね。どうにも当時の自分が哀れというか。

● 中学生とおぼしき少女たちもまとまって聴きに来ていた。その年齢でオーケストラの生演奏を聴けるのが羨ましい。ほんと,つくづく羨ましい。
 ぼくが高校生の頃はホールといえば栃木会館しかなかった。生演奏を聴くってことを現実の問題として考えることができなかった。
 かといって,レコードで聴くのもなかなか。高くて買えなかったからね。今は音源はネットにいくらでも落ちているんだもんな。好きなだけタダで聴けるんだもん。
 という,いい時代にぼくも間に合ったので,時代の恩恵を遠慮なく享受したいと思っている。

● 唯一,たぶん天気のせいだろうけど,ホールの響きがいつもと違う気がした。ありていに言うと,響きが悪い,というか弱い。やっぱり空気が重くなるんでしょうね。
 楽器が湿るってこともあったりするんだろうか。

2017年10月23日月曜日

2017.10.15 毛利文香ヴァイオリンリサイタル

真岡市民会館 小ホール

● 毛利文香という名前は憶えておくべきだと思う。いや,憶えておくべき名前の筆頭に来るかもしれない。若きヴァイオリニストの一人として。
 その若き名手が真岡くんだりまで来てくれるんだから,これはもう行かざるべからず。というわけで,前売券を買っておいた。2,000円。開演は午後2時。
 惜しむらくは,天気がよろしくなかった。雨。

● 彼女,栃木で演奏するのは二度目とのこと。以前,小山で演奏したことがある,と。その小山での演奏をぼくは聴いているのだ。ので,彼女の栃木県での演奏を聴くことに関しては,ぼくは十割打者なのだ。
 それ以外にも一度聴いている。2015年8月に日立フィルハーモニー管弦楽団の定演に招かれて,ミューザ川崎でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏したとき。

● 今回の曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ第3番
 エルガー 愛の挨拶
 ラフマニノフ ヴォカリーズ
 サラサーテ 序奏とタランテラ
 R.シュトラウス ヴァイオリンソナタ 変ホ長調

● 最初と最後が大きな曲で,間の3つは小品。この小品がしかし,聴き応えがあったというか,気持ちが良くなってきたというか。
 ヴァイオリンが歌うっていうのはこういうことをいうのか,っていう。彼女ほどの名手の手にかかると,ヴァイオリンが気持ち良く歌っているように見えてくる。彼女が鳴らしているんじゃなくて,ヴァイオリンが勝手に鳴っている,みたいな。

● 彼女,現在はドイツで修行しているそうだ。留学生は世界中のいろんなところから集まってきているので,彼ら彼女らと話すときには英語になる。で,ドイツに住んでるのにドイツ語が上手くならないという話をした。
 慶応大学の独文科にも在籍しているらしい。休学してドイツに行ったんだけど,今は復学している。単位を取り終えたらまたドイツに戻る。

● 授業に出て試験を受けてっていうのをやりながら,コンサートもやるっていうのはなかなかに大変なようだ。
 でも,どうして大学なんだろう。ぼくなんか単純に,それってムダなんじゃない? と思ってしまうんだけど,そういうものではないんだろうか。
 音楽だけの人にはなりたくないってことなんだろうかなぁ。各界のいろんな人と話す機会があって,やはり教養とか知識とかっていうのが必要になるのかねぇ。だとしても,教養とか知識を得るのに大学っていう場は必ずしも相応しいかどうか。
 音楽漬けの毎日にメリハリを付けたいってことなんだろうかなぁ。とにかく彼女が選んだのは,音大ではない大学を卒業するっていうこと。

● 伴奏のピアノは稲生亜沙紀さん。彼女のピアノも鬼気迫るものがある。自分を曲に埋めこむようにする集中の高め方がね,すごいものだな,と。
 シュトラウスのヴァイオリンソナタは,むしろピアノの方に聴かせどころが多いかもしれない。ここまでの演奏を聴けると,何だかニンマリしてしまう。

● 前売券を買っておいてよかった。ほぼ満席だったからね。真岡のどこからこんなに人が湧いてきたのかと思うほど。
 ただし,お客さんの平均年齢はかなり高い。ゆえに,と続けていいのかどうか,楽章間の拍手が起きてしまう。毛利さんにしても稲生さんにしても,これは想定の範囲内だろう。
 楽章間の拍手はしちゃいけないってことになっているけれど,実際はどうなんだろう。奏者にとってイヤなものなんだろうか。集中を削がれたりするんだろうか。
 ぼく一個は,これ,解禁してもいいんじゃないかと思っているんだけど。拍手したくなったら拍手していいんじゃないかなぁ,と。

2017年10月20日金曜日

2017.10.14 ザ・メトロポリタンミュージック創立四周年記念演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● 今日はダブルヘッダー。総文センターでもうひとつ。ザ・メトロポリタンミュージック創立四周年記念演奏会。開演は午後6時15分。チケットは2,500円(前売券)。
 こちらは,完全なるプロのピアノ・トリオ。玉川克(チェロ),佐久間聡一(ヴァイオリン),桑生美千佳(ピアノ)の3人。

● ザ・メトロポリタンミュージックとは,そも何者? 名前からすると東京にある音楽事務所かと思いきや,若い演奏家の支援を目的とする栃木ローカルの財団法人らしい。
 「音楽を通じた社会貢献を目的とし,次世代を発掘(コンクール等),育成(セミナー講演等),支援するための活動に取り組み,真のクラシック音楽普及を目指しています」とある。

● 以下,小理屈を捏ねる。
 クラシック音楽を普及させることは「社会貢献」になるか。ならないと思う。クラシックを聴く人が増えたからといって,それで社会の何が変わるのか。
 社会貢献などと言わないで,こう言えばいいのだ。
 いやぁ,私ねぇ,クラシックが好きなんですよぉ,こう見えてもね。でね,私が好きなものを多くの人たちに聴いてもらいたいなと,こう思うわけなんですよ。ついては皆さん,私の好きなものに付き合っていただけませんかねぇ。付き合っていただけると,めっちゃ嬉しいんですけど。よろしくお願いしますよ。
● よく言われるのが,クラシック音楽は情操を培うということ。嘘こきやがれ。そんなことはない。髪の毛一本ほどもない。
 もしそうなら,演奏する側にいる人たち,音楽を教える立場にいる人たち,ザ・メトロポリタンミュージックを運営する側にいる人たちは,一人残らず豊かな情操をまとっているはずだ。
 実際にはどうか。そっち側にいる人たちがよくわかっているとおりだ。笑っちゃうほどそんなことはない。音楽と無縁に過ごしてきた人と比べて,まったく違いはない。
 ま,情操っていう言葉が意味曖昧なまま使われているので,以上の言い方にはけっこう以上の反論があるかもしれないけどね。

● 結局,操作主義なんでしょうね。音楽や美術をやれば情操が伸びるはずだ,ではこの子の情操を伸ばすために音楽を聴かせよう,楽器を習わせよう,というのは操作主義。操作主義と褌は向こうから外れるとしたものでしょ。
 わが子を情操豊かに育てるための手立ては,親には与えられていないんですよ。祈ることしかできない。というか,祈ることはできる。祈ってください。

● さて。このコンサートは2部構成だった。まず,プレ・コンサートがあった。宇短大附属高校音楽科からこの春,芸大に進んだ早川愛さん(ソプラノ)と,同高校3年の大野紘平さん(ピアノ)のミニコンサート。主催者としてはこちらを聴いてもらいたかったのかも。
 トスティ 薔薇
 木下牧子 竹とんぼに
 小林秀雄 すてきな春に
 バルトーク ルーマニア民族舞曲
 ドニゼッティ オペラ「連隊の娘」より“さようなら”
 プッチーニ オペラ「ジャンニ・スキッキ」より“私のお父さん”

● 「ルーマニア民族舞曲」のみ,大野さんのピアノソロ。あとは,大野さんの伴奏で,早川さんが歌う,と。
 二人ともすでにこういう場には慣れしている。観客の捌き方は堂に入ったものだ。早川さんの歌唱もさることながら,大野さんのピアノに注目。この先,プロとして立っていくためには,なお峻険を極める道が待っているんだろうけど,ここまでに費やしてきたものの大きさは充分にうかがうことができた。

● 幸あれと祈るしかないのだが,平坦とは無縁の10年間をこれから味わうことになるんだろうか。彼や彼女が自分の子どもじゃなくて良かったというか,親御さんは気がかりだろうねぇ。
 しかし,どの道を行くかは本人が決める。しかも,どんな道かは見通せないままに決める。
 彼らほど先鋭ではなくても,ぼくらは誰もがそうして生きてきた。そうして多くの人は諦念か後悔の中にいる。つまり,それが人生というものだと達観するしかないのだろうね。

● 19時から玉川さん,佐久間さん,桑生さんによるピアノ・トリオ。桑生さん,キュートな人。チラシの写真より美人。ひじょうに珍しい事例ですなぁ。
 曲目は次のとおり。
 ハイドン ピアノ・トリオ第39番
 ブルッフ コル・ニ・ドライ
 サラサーテ 序奏とタランテラ
 スーク エレジー
 ベートーヴェン ピアノ・トリオ第7番「大公」

● スーク「エレジー」は初めて聴いた。いや,過去に聴いたことがあるのかもしれないけれど,憶えていない。
 しかし,以後,この曲を忘れることはないだろう。日本人にもスッと入っていける。ジンワリ染みてくる。もっとも,名手が弾けばこそだろうけど。
 念のために確認してみたんだけど,CDはどうやら持っていない。しばらくはネット(Tou Tube)のお世話になるか。

● 「大公」は大曲にして難曲。3人は何度も演奏経験があるんだろうけど,何度やってもこれはと思うんだろうかなぁ。自分のものにできたっていう感想を持つことがあるんだろうか。
 聴く方もこれは大変でしょ。ドッと疲れが来た。

● ベートーヴェンってとんでもないヤツだよねぇ。「第九」を聴いてもそう思うし,ヴァイオリンのクロイツェルソナタを聴いてもそう思うし,ピアノコンチェルトの3番を聴いてもそう思うし,弦楽四重奏曲の14番を聴いてもそう思う。まったく,とんでもないヤツだよ。
 ということはつまり,ベートーヴェンの作品がない世界に生きているとしたら,だいぶ味気ないんだろうなぁ,と。ぼくらはそのことに感謝しないといけないんだろうな,と。

● 同時に思うことは,ベートーヴェン以後の作曲家はすべて,ベートーヴェンとの格闘を余儀なくされてきたのだろうなってことですよね。
 9つの交響曲を始め,とんでもない量の作品があって,しかもそれらが越えがたい壁,というより山脈を形成しているもんね。ため息をつくしかない思いにかられるんだろうな。

2017年10月17日火曜日

2017.10.14 第22回コンセール・マロニエ21 本選

栃木県総合文化センター メインホール

● コンサートにはわりと出かけているけれども,1年で最も楽しみなのがこのコンクールだったりする。普段なかなか聴く機会のない曲を聴けるし。
 特有の緊張感があって,こちらにも真剣に聴く構えができる。もっとも,奏者はこういう場には慣れているんでしょうね。評価されることに慣れている。だから,ガチガチに緊張しているという風はまったく見受けられない。

● 今年はピアノ部門。ピアノってあまり上手じゃない演奏だと,ちょっとでお腹いっぱいになってしまうんだけど,コンセール・マロニエのファイナルに残るような人たちの演奏ならば,間違ってもそんなことはない。
 今回もショパン,シューマン,ベートーヴェンのソナタや,ラヴェルやリストなど,たっぷり聴いて,なお聴き飽きることはなかった。

● トップバッターは香月すみれさん。桐朋の2年生。ショパン「スケルツォ 第4番」とリスト「死の舞踏」を演奏。
 当然といえば当然なのだろうが,ていねいに演奏している。彼女がこれまでピアノに費やしてきた時間と労力,お金,そのために犠牲にしてきたであろう諸々のものたちの大きさ。そういうものを想像すると,気が遠くなる思いがするが,ステージ上の彼女は淡々と気を込めている。

● 梨本卓幹さん。藝大の4年生。今回のファイナリスト6人のうちの唯一の男性。ショパンの「ピアノ・ソナタ第3番」。
 前回から1部門ごとの開催になり(それ以前は2部門ごと),その分,一人あたりの持ち時間が増えたようだ。審査するだけならこれほどの時間は要らないだろうと思うんだけど,長く弾かせないと見えてこないものがあるんだろうか。しかし,こちらとすれば,おかげでソナタ全部の演奏を聴くことができるわけだ。
 少し集中を欠いたところがあったろうか。あるいは客席に集中を妨げるものがあったろうか。
 そんな印象を受けた。彼とすれば,少々不本意な出来だったかもしれない。

● 坂本リサさん。藝大の4年生。福岡県出身。
 ひょっとして福岡顔っていうのがある? 乃木坂46の橋本環奈が福岡県出身だったと思うんだけど,顔の枠(?)から受ける感じが似ている。ま,演奏にはまったく関係のない話なんですが。
 入念に椅子の高さを調節して,演奏したのはシューマン「ピアノ・ソナタ第1番」。
 曲への思いを表情に出して演奏するタイプ。いい悪いの問題はないと思うが,好き嫌いの問題はあって,ぼくはこういうのがあまり好きじゃない,と自分では思っていた。
 が,これが似合う人っていうのはいるね。彼女はそっち側の人。あ,これもいいかも,とか思ったんでした。

● 石川美羽さん。藝大附属高校の3年生。6人のうち,最も若い17歳。演奏したのは,ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第18番」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」。
 曲調のまったく違うこの2曲を弾きわける技量の見事さ。いたって伸びやかで,屈託のない演奏だと,ぼくには映った。
 あざとさというものが皆無。スクスクとした,あるいはハキハキとした演奏。素直さが持つ強さとでもいうべきものが,ステージから発散された。

● 内田野乃夏さん。桐朋の2年生。演奏したのは,シューマン「クライスレリアーナ」。
 彼女からも素性の良さを感じた。今日に至るまでにもちろんいろんなことがあったんだろうけど,そうしたいろんなことが,今の彼女に痕跡を残していない。一心にピアノに向かって過ごしてきて,今に至る。そういう印象になる。
 といえば,彼女とすれば反論したいことが山ほどあるに違いない。そうした事柄もすべて呑みこんだような演奏だった。ケレン味や企みなどというものは1パーセントもなし。

● 田母神夕南さん。東京音楽大学大学院に在学。ストラヴィンスキー(アゴスティ編)「火の鳥」より“凶悪な踊り” “子守歌” “フィナーレ”。それと,リスト「ノルマの回想」。
 今回の最年長。それでも23歳ですか。ダイナミックな演奏の迫力には気圧された。こんなの初めて見た。23歳とは思えない存在感。
 ダイナミックって,ややもすると表層に流れるというか,ダイナミックだけが他から浮いてしまうことがある。彼女の演奏にはそういうことがなくて,ダイナミックが地に足をつけている。大変なものだと感じ入った。

栃木県総合文化センター
● 6人のファイナリストのプロフィールを見ると,全員が3~5歳の間にピアノを始めているんですよね。それくらいで始めないと,なかなかここまでは来れないってことなんでしょうね。
 しかも,当然,これから先がある。大変な世界に進んじゃった人たちですよね。

● 奏者と奏者が発する音は切り離して,音だけを聴くべきなのかもしれない。ところが,素人はなかなかそれができない。奏者の動きや表情に引きずられて,その結果としての印象を作ってしまう。
 しかし,聴き方としては正しくなくても,そうして聴く方が楽しい。ぼくは楽しい方を選びたい。

● 今回で理解不能だったのは客席の設定。前4列を着席禁止にした。これはいい。
 が,その後ろの3列を“ご招待者席”として,同じように着席できないようにしていた。コンクールにどうしてこれほどの“ご招待者席”が必要なのかと思った。空席はいくらでもあるんだから,わざわざ“ご招待者席”を作らなくても,と。
 どうも,誰も招待していないのに“ご招待者席”を設けたらしい。結果,最もいい席が誰にも座られない状態で封印されてしまった。

● ただ,このコンクールを聴きに来る人が年々増えていることは間違いない。以前は本当にガラガラだった。客席にはチラホラとしか人がいなかった。
 今でも,空席の方がずっと多いんだけど,それでも観客がいると言っていい状態にまでなっている。今回はピアノを習っているらしい少女たちがまとまった人数で聴きに来ていたようだ。

2017.10.09 丸の内交響楽団 第23回定期演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● 池袋は東京芸術劇場へ。丸の内交響楽団の定演。開演は午後2時。チケットは1,000円(前売りは500円)。当日券で入場。
 曲目は次のとおり。指揮は横山奏さん。奏はカナデと読むが,男性だ。
 フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲
 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 ニールセン 交響曲第4番「不滅」

● が,開演前にトラブル発生。ぼくが座っている席に,そこは私の席なのですがというお客さんが来た。たしかに,同じ席番号のチケットを持っていた。
 その人のチケットは“ぴあ”が発行したもの。前売券を買ったのだろう。おそらく,前売券の販売情報が当日券売場に伝わらなかったのだろう。伝わっていたのに当日券売場で取り違えが起きたのかもしれないが。
 こちらが先客だったこともあって,その人がスタッフに掛け合いに行った。スタッフの女性が来て,ぼくのチケットを持っていった。
 もちろん,そのまま聴けることにはなったんだけれども,はなはだ後味がよろしくない。

● そもそもが,これ指定席にしなければいけないものなのか。自由席でも問題はないような気がするんだが。料金は一律なんだからね。SだのAだのっていう区分はないんだから。
 おそらくだけれども,指定席にすることがこのホールの利用条件になっているんだろうね。自由席にするんじゃお貸しできませんよ,ってことになっているのではないかと想像する。
 自由席にするとなにか混乱が起きるのかねぇ。案内するのが大変だってことだろうか。

● あと,隣に座った男性がちょっと変わった人で,一切,拍手をしない。それが気になって仕方なかった。拍手するしないは各人の自由といえば自由で,その自由を行使しているだけと言われれば,それ以上に返す言葉はない。
 が,アンタにできることって拍手をすることだけだよ,と言ってやりたくもあり,どうにもこうにも聴くことに集中できなくて。

● しかも,席がだいぶ後方のしかも右端に近いところ。件の男性氏が右端の壁際で,ぼくはその隣。この席だとさすがに,直接音しか届かないのかもしれなかった。
 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」のソリストは平山慎一郎さんで,どうやら相当な熱演のようなのだが,ぼくのところに届いてくる音はその何分の一に過ぎないようなのだ。さすがの東京芸術劇場でも死角はできてしまうということか。

● もうひとつあった。ぼくの前の席も男性で,なんだか座高の高い人だったのだ。彼の頭で視界も遮られてしまう。これもストレスになる。重なるときには重なるものだなぁ。
 ま,ぼくも同じ理由で人様にストレスを発生させているのかもしれないんだけどね。

● 休憩後,右隣の男性は消えていた。で,彼の席に移動して,ニールセンの4番を聴いた。ら,音の通りがまるで違う。聴こえてくる。ステージの臨場感も伝わってくる。
 こんなことがあるのか。ホールの構造,造作からはこういうことが起こるとは考えにくい。
 座高氏の遮りがなくなって視界も開けたのが効いているんだろうか。つまり,こちら側の心理に依拠するんだろうか。ひょっとすると,座高氏が音を吸い取ってしまっていたのか。
 いや,戯れ言はともかく,こういうことがあるんだねぇ。寸でのところでこのホールに誤った印象を持ってしまうところだった。

東京芸術劇場
● そのスッキリした状態で「不滅」を聴くことができた。生では聴いたことがなかった曲。いや,CDでも聴いたことはなかったな。
 2番「四つの気質」は2012年に当時のマイクロソフト管弦楽団の演奏で聴いたことがあるんだけど,結局それがニールセンの交響曲を聴いた唯一の経験になってしまっている。

● ニールセンがこの曲に「不滅」と題を付けたことの時代背景は,プログラム冊子の曲目解説にある。が,このタイトル,要らないような気もするんだが。
 いや,このタイトルがニールセンの曲想の元にあるもので,発火点になっているのかもしれないんだけど。

● 演奏にはいささかの不満もなし。これほど巧いアマチュアオーケストラが東京にはいくつあることか。いつも思うことを今回も思った。圧倒的な東京一極集中。
 この席でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をあらためて聴き直してみたいと思った。それだけが後ろ髪を引かれる思い。

2017.10.08 カメラータ・ムジカーレ 第56回演奏会-バロックの午後

東京オペラシティ 近江楽堂

● オペラシティは新宿駅から京王線でひと駅,初台が最寄駅になる。が,新宿から歩いてみることにした。甲州街道を東に。さほどの距離ではないしね。
 新宿はあまりに人が多くて,その人圧に気圧されて,ぼくはどうも新宿を苦手にしている。新宿を歩いたことはあまりない。
 だからこういう機会に歩いてみたい。というよりも,新宿駅で乗り換えるのが億劫だったんですよねぇ。それくらいだったら歩いてしまえ,というわけだったんでした。この駅を自在に動ける人ってすごいと思うんですよ。

● オペラシティに来るのは今回が初めて。夏場は,ぼくはTシャツ+短パン+素足にサンダルというイデタチでそちこちに出没しているんだけど,その恰好でここに来るのは,少し憚られる雰囲気。お洒落をして出かけるハレの場になっているらしい。
 新国立劇場と併せてひとつのエリアになっているから,オペラやバレエ,演劇,管弦楽曲のコンサートなど,この国で鑑賞できる最高レベルのものがたくさん催行されるのだろう。

新国立劇場側から
● そういうところへ,Tシャツ+短パン+素足にサンダルで現れてしまっては,顰蹙を買うでしょ。つまり,夏にぼくが来てはいけないところ。いや,それ以外の季節でもぼくが来てはいけないかもね。
 っていうか,来ませんよ,こういうところ。雰囲気を壊してはいけないってことくらい,いくらぼくでもわかってるんでね。

● この演奏会が行われた近江楽堂にいた人たちも,ちゃんとした恰好だった。ぼくの隣に座ったのは着物を着たご婦人。
 着飾って行ける場所っていうのが,どんどん減ってきてるのかもしれませんね。着物を買ったはいいけど,着ていく場所がないっていう。ホテルだってカジュアル化がどんどん進んでいる。サントリーホールだって,さほどに敷居の高い場所ではなくなっている。行ったことはないけど,歌舞伎座も同じではないか。
 着飾って行けるところは貴重なのかもしれない。だとすれば,そこは大事にしてあげないとねぇ。

● ところで,カメラータ・ムジカーレ。今回が56回目の演奏会になるというから,長く活動を続けているわけだけれども,ぼくは今回初めて聴く機会を得た。開演は午後2時。チケットは1,000円。
 曲目は次のとおり。
 サンマルティーニ リコーダー協奏曲 ヘ長調
 ラモー コンセール第5番
 テレマン 組曲第2番 ロ短調
 ヴィヴァルディ 室内協奏曲 ハ長調
 ルクレール ソナタ第5番 ホ短調
 テレマン 「食卓の音楽」より四重奏曲 ト長調

● 以上は,プログラム冊子から引き写したわけで,すべて初めて聴く曲だ。CDでも聴いたことがない。っていうか,CDは持っていない。
 バロックといえばバッハしか知らないレベルだ。バッハだけ知ってればいいとも思っていた。うぅぅむ,どうなのだ,これは。
 幸いにして,こうした楽曲もYouTubeにはアップされているようだ。聴こうと思えば聴けるのだ。しかも,タダで。ありがたい時代に生きているのだから,この恵みを活かさねばとも思うんだけど。バロック,本腰を入れて聴かないといけないかなぁ。「聴かないといけない」と思って聴くものじゃないけど。

● メンバーは男ばかりの7人組。平均年齢はけっこうなもので,ぼくより上かもしれない。つまり,“いなくてもいいよね世代”。
 しかし,つむぎだす音色はかなり繊細なのだった。楽器も今のじゃなくて,当時のもの(古楽器)を使用している。
 演奏で食べているわけではないという意味でアマチュアなんだけども,長年,探求と練習を重ねてきている。自負するところもあるだろう。

● 聴衆の拍手もかなり熱っぽかった。固定ファンがいるようだった。母体は慶応バロックアンサンブルらしいから,慶応つながりだろうか。たぶん,そうではないと思うんだけど。

2017年10月16日月曜日

2017.10.07 レイディエート・フィルハーモニック・オーケストラ 第27回定期演奏会

大田区民ホール アプリコ 大ホール

● 最近(といっても,だいぶ前から),コンサートに出かけてもフワッと聴いてしまっているような気がする。一期一会というとさすがに大げさになるけれども,この一回という真剣さが目減りしている。
 開演前の緊張感を聴衆のひとりとして共有しなければいけないのだけど,その構えにも欠けるところが出ているように思う。

● 馴れてしまったということか。そういう態度でしか聴けないのであれば,奏者に対して失礼だから,聴きに出かけてはいけないとも思うのだが。
 聴き巧者になる必要は必ずしもないと思っている。ただし,真剣な聴き手である必要はある。これがないと自分の人生もないと思えるくらいの場に仕立てることができればいいのだが。

● さて,レイディエート・フィルハーモニック・オーケストラの定演。拝聴するのはこれが2回目。前回聴いたのは,2014年の第21回
 開演は午後2時。チケットは1,000円。

● ホールに入ってみると,ステージには何も置かれていない。オーケストラはといえば,ピットに入るようだ。ということは,ステージではバレエダンサーが華麗に踊りを繰り広げるのだろう。
 おいおい,1,000円でこんな贅沢をさせてもらっていいのかい?

● ということにはならず,ステージ上には奏者が座る椅子が並べられていた。コントラバスもスタンばっていた。バレエなしの,あくまで音楽を演奏するのだった。そりゃそうだよね。
 曲目はグラズノフ「バレエの情景」とプロコフィエフ「シンデレラ(組曲版)」。指揮は小倉啓介さん。

● 演奏の前にプレトークがあった。話者は団長の山崎慎一さん(クラリネット)とチェロの山野雄大さん。山野さんの本業は音楽ライターだそうだ。っていうか,そちこちで健筆を振るっている人ですよねぇ。そりゃあ,蘊蓄を蓄えているはずだ。そういう人がここでチェロを弾いていたのか。
 曲とその背景を解説したんだと思う。だけど,ぼくが憶えているのは,シンデレラのストーリーにとらわれず,自分が振付師になったつもりで,自分ならこの音楽にどういう踊りを振り付けるか,そこを想像しながら聴いてみれくれ,というところだけ。
 が,それはなかなかに高度な技だね。音楽からリズムとストーリーを紡ぎだして,それをダンスに置き換える。かなり高度な技だな。

● どちらも初めて聴く。「バレエの情景」はCDも持っていない。「シンデレラ」も演奏されたのは組曲版だったんだけど,組曲版のCDはやはり持ってない。
 チャイコフスキーやストラヴィンスキーのような例外はあるにしても,バレエ音楽って,音楽だけ聴いてもさほど面白いものではないという先入観があった。
 踊るための音楽だから,リズム重視で,他はないがしろにされている,という理由による。が,ぼくが思っている以上に例外が多いのかもしれない。

● 「バレエの情景」のうち,第4曲「スケルツィーノ」は演奏されず。山野さんによれば“大人の事情”による。つまり,難解で本番までに形にするには時間が足りなかったということのようだ。
 「シンデレラ」は曲目解説によれば「深い叙情と透明感」とあるんだけど,“金管の咆哮”的な場面も登場する。あぁ,やっぱりロシアなんだなぁとは思うんだけど,それ以上にはなかなかいかないね。
 これにどんな踊りを合わせるか,まったく見当もつかないや。いや,それ以前に踊りについて知らないものね。

● バレエ音楽では,オケはピットにいて,舞台ではダンサーが華やかに踊っているっていうのがいいね。その方が受け身の気楽さを享受できるというわけですよね。
 それを生で観るというのは,とんでもない贅沢ではあるんだけどね。

● ところで,指揮者の小倉啓介さん。彼もまたユニークというか破天荒というか,面白い人なんですね。彼が半生を語っているインタビュー記事がネットにあるんだけど,これが無性に面白い。
 藝大付属高校を卒業したのに藝大に落ちた話。部外者はアッハッハと笑えるんだけど,本人は複雑だったろうねぇ。

● ここに書かれているところがその通りなのだとすれば,藝大の教授陣にもケツの穴が小さすぎる男たちがいて,そういう男たちが若者の生殺与奪の権を握っていたってことだよね。つまらん大学だね,藝大って,という印象になってしまう。
 小説かドラマになりそうな話ですよ。ま,今だったら同じことをやってもセーフだったかもしれない。時代が小倉さんに追いついてきたってことでしょうかね。

2017年10月10日火曜日

2017.10.01 グローリア アンサンブル&クワイヤー 第25回演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を買って入場。

● 今回の演目は「レクイエム」の2本立て。モーツァルトとフォーレ。指揮は片岡真理さん。ソリスト陣は藤崎美苗(ソプラノ),布施奈緒子(アルト),中嶋克彦(テノール),耒徹(バリトン)の諸氏。

● こうしたキリスト教音楽を聴いて味わうには,キリスト教が身に染みていなければいけないのではないかと思っていた。
 身に染みているというのは,キリスト教の教え(戒律?)が生活律になっているというか。そうなっていて初めて,こうした音楽を肌で味わえるのではないか,と。

● となると,ぼくらの大多数はその条件を満たしていない。キリスト教を理解するといっても,頭で理解するしかない。
 せめて聖書くらいは読んでいなければいけないのではないか。そうして,自分なりのキリスト教理解を前提にしてこそ,こうした音楽が味わえるのではないかと考えていた。

● のだが,それはかなり初歩的な間違いだったらしい。今回はそのことを感じた。
 小さな自分を超えるはるかに大きな存在。それに帰依する,すがる,任せる,“南無”する。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと覚悟を決める。
 その帰依する先はイエスでもキリスト教の神でも,それ以外でも,そこから敬虔と呼ばれる人間の心性は生じるだろう。

● 西洋の宗教音楽はそうした敬虔さを表現するものであって,神のイメージを音楽に翻訳しようと努めた結果ではないと解してよろしいか。
 であるとすれば,何らの翻訳装置なしに,ぼくら日本人にもストレートに染みてくるものであると解してよろしいか。
 音楽の普遍性というのは,こういうところでこそ,それが真であることを証明するものであろうか。

栃木県総合文化センター
● モーツァルトの「レクイエム ニ短調」は,モーツァルトが完成させた部分はごくわずか。あとは弟子のジュースマイヤーが補筆して完成させた。
 それでも三大レクイエムのひとつとされて,今日に至っているのは,ジュースマイヤーの功績なのか,モーツァルトが一部とはいえ示したベクトルの向きが然らしめるところなのか。

● フォーレは,よく言われることだけれど,レクイエム人気投票があれば,ダントツの第1位になるのじゃないかと思う。
 ひとつには小体であること。スマートでクールな印象がある。さらに,なめらかで美しい。ヴィーナスの彫像のようだ。

● 合唱団の中にとんでもなく上手い人が数人いる。ぼくの耳でそれとわかるのは,ソプラノ,アルト,テノール。たぶん,バスの中にもいるに違いない。
 ソリスト陣については言うにや及ぶ。まずもって文句はない。

● 合唱団と管弦楽。大がかりな装置が必要な楽曲を,地元で,しかも2千円で聴けるとはありがたい。
 来年はグノー「聖チェチーリアミサ」とヴェルディ「聖歌四篇」。どちらもCDすら持っていない。持っていても聴かないだろう。つまり,グローリアの演奏会がないと聴かないで終わる。
 かつまた,この演奏会で聴くことが,“CDでも聴く”につながるかもしれない。グローリア,貴重な存在だ。

2017年9月30日土曜日

2017.09.24 那須フィルハーモニー管弦楽団 名曲コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後2時。チケットは500円。当日券を購入。
 じつに安い料金でありがたい。が,わが家の最寄駅から西那須野駅までは片道580円になる。そこからホールまでバスに乗ると200円。チケット代の何倍かの交通費がかかる。

● というセコい話を始めたので,つまらない話を続けることにする。わが家からハーモニーホールに行くのに一番便利な手段は車だ。時間帯を問わず渋滞はない。スムーズに着ける。時間も最短ですむ。
 が,ぼくはあまり車の運転が好きじゃないんだろうと思う。毎日,往復で60㎞を通勤のために走っているだけで,休日にまで運転をしたいとは思わなくなる。

● というわけで,電車で出かけることになるんだけど,電車の良さっていうのは他にもある。車内で何でもできるってことだ。自分で運転していると,せいぜいラジオかCDを聴くことくらいしかできないけれども,電車なら居眠りできる。
 本を読んでもいいし,音楽を聴いてもいいし,何もしないでピープルウォッチングをしてもいいし,妄想の世界に遊んでもいいし,ビールを飲むことだってできる。もちろん,その他大勢の一員になって,スマホをいじっていてもいい。とにかくやれることが多い。自由度が高い。
 なので,どこかに行くためではなくて,電車に乗るために切符を買うことが,じつはわりとある。

● 西那須野駅からハーモニーホールまでは歩くことが多い。片道30分。天気が良ければ,まずバスに乗ることはない。
 バス代を節約するとか,健康にいいからとか,そういうことではなくて,ウォークマンのイヤホンを耳に突っこんで歩くのが,そのまま音楽を聴く時間になるからだ。
 歩いているときが,唯一,音楽を聴ける時間だ。家では聴かないんだから。

● 往復で1時間歩くんだから,ブルックナーだろうがマーラーだろうが,聴こうと思えば聴ける。歩きながら聴くのに,ブルックナーやマーラーが相応しいかどうかは別にして。
 さらにいうと,歩きながら聴くのは聴いたことになるんだろうか,という疑問もある。歩きながらじゃ,聴くことに集中するってできないからね。

● そんなことは家でもできるじゃないかと言われるかもしれないけれど,家で本を読んだり音楽を聴くのって,できない。ぼくはできない。
 家には同居人がいるからってのもあるかもしれない。けど,同居人が不在のときでも,家で本を開いたりCDをかけたりする気にはならない。どういうわけのものかわからないんだけど,“家にいる=何もしない”が成立してしまう。
 ちなみに,家の付近を散歩するという習慣はない。

● ぼくはこうして生演奏にはしばしば出かけるんだけど,それ以外に音楽を聴くための時間を取ることをしていない。これで音楽好きといえるんだろうかと,自分でも時々思う。聴く範囲が広がらないし,理解も深まらない。忸怩たる思いはある。
 生活スタイルの抜本的見直し(?)が必要かなぁ。そのための資材も揃えてみるか。といって,モノが増えるのを極端に嫌がる自分。ミニコンポすら持ちたくない。

● というわけなので,電車賃は自由を得るための代償。チケット代の何倍になろうと,これは致し方がない。できれば,電車賃が安くなってくれるとありがたいんだけど。

● 曲目は次のとおり。指揮は田中祐子さん。
 ドヴォルザーク スラブ舞曲第1集より第1番 ハ長調
 ヨハン・シュトラウス 雷鳴と電光
 プッチーニ オペラ「ラ・ボエーム」より“ムゼッタのワルツ”
 ヨハン・シュトラウス オペレッタ「こうもり」より“公爵様,あなたのようなお方は”
 ブラームス ハンガリー舞曲第6番 ニ長調
 ボロディン ダッタン人の踊り
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」

● 曲間に田中さんのサービス精神に満ちたMCが入る。当意即妙。身についているところがすごい。これは指揮者だからできるもの。
 こういうのは,もうやめちゃうのと思われるところでやめておくのが吉。やりすぎると一転してうるさいだけのものになってしまうのだが,その辺も心得たもの。

● “ムゼッタのワルツ”と“公爵様,あなたのようなお方は”では,ソプラノの長島由佳さんが登場。
 また,どうでもいい話。公爵様というのは,公爵なのか侯爵なのか。日本の爵位は明治期に,“公爵-侯爵-伯爵-子爵-男爵”と定められた。が,この爵位ってどの程度世の中に通用したんだろ。最初から最後まで認知度は低いままだったのではないか。
 で,爵位は欧州にもあるけれども,日本の5位制にピタリとはまってくれるわけではないもんね。公でも侯でも,そんなのはどっちでもよい。早い話が,公爵と侯爵の違いを説明できる日本人なんて,専門家を覗くとほとんどいないでしょうしね。

● 白眉は,ストラヴィンスキーの「火の鳥」。那須フィルには挑戦だったと思う。挑戦してこれだけの結果を出せれば,大したものだ。
 挑戦する場を持っているって,それだけでも凄いことだよね。ぼくなんか,こんなふうにコンサートを聴いた感想を書いたりしてるんだけど,聴く側より演奏する側の方が,位が上。蘊蓄の差も大きいはずだ。
 演奏する人って,ひょっとすると,聴衆よりも他の奏者に向けて,弾いているのかもしれないな。演奏をきちんと評価できるのは,自らも奏者である人に限られるような気がするよ。

● ともかく,「火の鳥」は良かったと思う。バレエでも,体の柔らかい人が足をあげる動作より,固い人が努力して上がった足のほうが美しいという。
 プロの楽々とした演奏より,努力した結果の演奏の方が,たとえ到達点は低くても,客席に届くものは大きいことがある。

● 「火の鳥」を聴くたびに思うのは,これにどういうダンスを振り付けたんだろうってこと。バレエ曲なんですよねぇ。
 「火の鳥」を取りあげるバレエ団が今どきあるのかどうか知らないけれど,DVDを探せばあるんだろうか。
 と思っていたら,ちゃんとあるんですね。YouTubeで,ゲルギエフ指揮のマリンスキー劇場管弦楽団の演奏で踊っている「火の鳥」を見ることができるんでした。
 なるほど,ちゃんと踊れるんだ。バレエといえば「白鳥の湖」しか知らない人間が,あれこれ想像しても仕方がないということですなぁ。

● 初めて那須フィルの演奏を聴いたのは2010年だったか。当時の那須フィルと今の那須フィルを比べてみれば,だいぶ腕が上がっているのは間違いないように思える。
 それが田中さんの手腕によるものか,前任者の大井剛史さんが仕込んだ酒麹がちょうど発酵の時期を迎えたものなのか,そこはわからない。

2017年9月26日火曜日

2017.09.23 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 16時から栃木県交響楽団の特別演奏会。前年度のコンセール・マロニエの優勝者をソリストに迎えて,毎年,行っているもの。今回のソリストは,メゾ・ソプラノの山下裕賀さん。
 チケットは1,000円。当日券を購入。

● 栃響の演奏を聴くのは久しぶりの感じ。今年の2月に第102回定演を聴いている。それ以来。
 第103回を聴いていないんだな。それゆえの久しぶり感。

● 曲目は次のとおり。指揮は荻町修さん。
 ビゼー 歌劇「カルメン」より “前奏曲” “ハバネラ” “セギディーリャ” “間奏曲” “シャンソン・ボエーム” “アラゴネーズ
 ドニゼッティ 歌劇「ラ・ファヴォリータ」より“ああ,私のフェルナンド”
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調

● さて,山下裕賀さん。昨年のコンセール・マロニエ本選も聴いている。彼女の優勝は,おそらく審査員の全員一致によるものだったろう。
 異能の持ち主だなぁ。楚々とした華やかさがあり,雄々しくもあり。すでにして大物感もある。
 自分が逆立ちしてもできっこないことを,軽々とやってのける人を見るのは,気持ちがいい。けれども,この分野でも,毎年,新しい才能が登場する。大変な世界なんでしょうねぇ。

● 山下さんのアンコールは,武満徹「小さな空」。この曲はもともと無伴奏なんですかね。生で聴くのは初めて。

● 栃響のポテンシャルにも注目。2012年の「第九」を聴いて,栃響への認識を改めたつもりなんだけど,まだ足りなかったかもしれない。
 ドヴォルザークの8番になって,いよいよそれを感じることになった。栃響の核は木管陣にあるのかも(いずれのパートもエースは女子)。
 この曲は木管が前面に出ることが多い曲のひとつだと思うんだけども,そういう曲で栃響は本領を発揮する。

● いや,この言い方だと木管以外はダメっていうふうに聞こえてしまう。そうではない。
 たいていのオーケストラは,木管が隘路になることが多いのではないかと思っている。ここがよく通れば,音の流れはスムーズで,詰まったり溢れたりしない。
 栃響はここで詰まることがないから,今日のような曲だと,木管,すごいじゃないか,って印象になるんだな。

● アンコールの「アルルの女」第2組曲“メヌエット”もぬかりはなかった。ほとんどフルートの独壇場。そのフルートがこれだけすごいんだからね。

● 今日のような演奏を聴けると,栃響が地元にあることの恩恵は大きいなぁと実感する。栃響が月に1回の演奏会を開いてくれれば,東京に出かける必要もなくなるだろうな。
 まさかそんなアマチュアオーケストラがあるわけもないから,年に何度かの東京行きが続くことになる。できれば栃木に沈潜したいんだが。

2017.09.16 川井郁子ヴァイオリンコンサート(ゲスト 秋川雅史)

芳賀町民会館ホール

● 開演は16時。チケットは3,000円。当日券は200円増しの3,200円。その当日券を購入。全席指定。できれば前の席で聴きたかったけど,さすがに半ばより前の席は残っていなかった。
 もっとも,このホールは小ぶりだから,いわゆる悪い席はないと思う。音響も問題なし。人口が1万5千人の町がこれだけのホールを持っているのは,大げさにいえばちょっとした驚きだ。HONDA様のお陰でしょうなぁ。

● 旧岩舟町にはコスモスホールがあるけど,岩舟の場合は,コスモスホールのみの一点豪華主義。芳賀町は図書館やら他の施設も立派。HONDAの外部効果はすごいよ。もしHONDAがこけてしまうと,っていう心配を今からしても仕方がない。そのときはそのとき。
 当然,HONDAは内部と周辺に雇用を作りだしている。こういう場合,内部よりも周辺にいて,HONDAの恩恵を享受する方向で動くのが賢いだろうな。ぼくならそうするね。つまり,HONDAの社員にはならない(なれないだろうけど)。

● 川井さんの実演に接するのは初めて。スタートはピアソラの「リベルタンゴ」。川井さんを象徴するレパートリーなのだろう。
 この曲はいくつかの楽器で聴いているけれど,こんな妖艶な「リベルタンゴ」は初めてだ。身体の線がハッキリ出るドレスを着ていたのは,当然,意識してのことだろう。

● 日本の代表的なヴァイオリニストであり,作曲家であり,大阪芸術大学教授であり,女優でもある。というのを知ったのはあとのことで,この時点ではそうした無粋な知識は幸いにも持ちあわせていない。
 普通のいわゆるクラシックとは違うステージを目指しているのだろうと思った。淡々と演奏するのではなくて,衣装や照明を効果的に使って,演劇的な要素を高める努力をしているように見えた。
 ジプシー的なもの,スペイン的なもの(と日本で受け取られているもの。たとえば,フラメンコ)を取り込んで,「劇」的なステージにする。その努力をずっとしてきた人なのかなと思えた。

● その結果,どうなるのかといえば,ステージが大人向けのショーになる。大人の上質なお楽しみ会という感じ。
 子供がいてはいけないというわけではないけれども,子供には少しおどろおどろしいものに映るかもしれない。

● で,川井さんはぼくが想像できる世界に住んでいる人ではないなという印象を持つことになる。いわゆる芸能界よりの世界っていいますかね。
 が,この印象は最初の「リベルタンゴ」のときが最高潮で,だんだん彼女が普通に見えてきた。こちら側の慣れの問題なのでしょうね。

● このあと,ビジョルドの「エル・チョクロ」。これもアルゼンチン・タンゴ。エル・チョクロとはトウモロコシという意味らしい。
 次はイタリア音楽メドレー。ソフィア・ローレンが主演した「ひまわり」のテーマも演奏された。この映画は,はるかな昔,大学生だったときに,当時の名画座で見ている。当時の自分にこの映画の機微をどこまで理解できたかは覚束ない。でも,印象は今に至るも強烈で,テーマ音楽も映像と相まって,一度聴けば忘れることはない。

● 川井さんのヴァイオリンを聴きながら,甘酸っぱい感傷が溢れてきた。自分は何者にもなりうると思えた若い頃。同時に,自分のダメさ加減に押しつぶされそうになっていた若い頃。
 あの頃には絶対に戻りたくないけれど,こうして「あの頃」が感傷を誘ってくる。これも音楽効果なのでしょう。

● 川井さんが作曲した「パッション・イン・ブルー」。チャイコフスキーの原曲に川井さんがアレンジを加えた「ホワイト・レジェンド」。これも川井さんが作った「時の彼方に」。ロシア民謡の「黒い瞳」。最後がモンティの「チャルダッシュ」。
 曲の合間に川井さんのMCが入る。こういうふうに進んで,前半のプログラムは終了した。

● 後半はエルガー「愛のあいさつ」から。このあと,秋川雅史さんが登場。次の4曲を川井さんの伴奏で。
 サミー・フェイン 慕情
 新井満 千の風になって
 カッチーニ アヴェ・マリア
 ロルフ・ラヴランド You Raise Me Up

● 曲のジャンルなんかどうでもいいですな。ほんと,どうでもいいわ。
 この中で,テレビで聴いた,CDで聴いたというのは,「千の風になって」と「アヴェ・マリア」だけ。歌詞の意味がわかればもっと楽しめるのかもしれないけれども,なんかそれも大したことじゃないような気がする。
 秋川さんの歌唱には問答無用の説得力があった。

芳賀町民会館
● 亡くなった人が「千の風になって」,空を吹き渡っていてくれるのなら,残された人はどれほど救われるだろう。
 死んだ後,人はどうなるのか。天国や地獄があるのか。生まれ変わりはあるのか。そんなことは,つまるところ誰にもわからない。わからないから,生きている人はあれこれと死後の世界とシステムに思いを巡らす。
 死とは無に帰すものであってほしい。天国だの地獄だので自意識を持って存在しなければならないのは,勘弁してほしい。生まれ変わらなければいけないなんて,なおさら勘弁してほしい。人生は一度で充分だ。

● でも,死んだ後,「千の風になって」空を吹き渡っていられるなら,それは悪くないかもしれない。身体もなく心もなく,ただ風になる。
 新井満さんの詩に描かれている風とは違うのだと思うんだけど,自分が風だと思うこともなく,ただ風になっている。それならいい。

● 秋川さん,はっきり陽性の人。川井さんもそうだろうと思う。音楽家って,陽性で運動神経が良くて,活発に動いて,周囲に無頓着で,細かい計算をしないで,っていう人が多い。
 いや,具体的に音楽家の知り合いがいるわけじゃないんで,想像だけで言ってるんだけど,そういうイメージがある。特に陽性であることは,音楽家であるための必須の要件ではないかと思えるんだよね。

● アンコールは「浜辺の歌」(作詩:林古渓 作曲:成田為三)。
 この演奏を3千円で聴けたとは,お得でしたよ。ぼくは細かい計算をしちゃう方なんで,そう思っちゃう。

2017年9月25日月曜日

2017.09.10 アズール弦楽合奏団 第8回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 小ホール

● ひっさびさのダブルヘッダー。2回目のが上書き保存されるから,1回目の印象が消去されてしまう。
 ので,ダブルヘッダーは避けた方がいいと思いながら,ときどきやってしまうんだよね。
せっかく電車賃をかけて行くんだからっていう,ケチ根性がなせる業ですなぁ。

● アズール弦楽合奏団。開演は午後5時。入場無料。
 すみだトリフォニーの小ホールで聴くのは,今回が初めて。さすがはすみだトリフォニー。小ホールも風格のある空間だった。

● プログラム冊子によれば,アズール弦楽合奏団は「大人になってから弦楽器を始めたメンバーだけの合奏団」であるらしい。いわゆる「レイトスターター」の合奏団。
 率いるのは柏木真樹さん。この柏木さんがユニークというか,変わった人というか,「成長期までに始めないと上達しない,楽しめない」という「常識」に抗って,「ヴァイオリンを弾くための身体の作り方・使い方」を考究してきたらしい。何だか素敵な人のようなのだ。

● 曲目は次のとおり。
 アルビノーニ オーボエ協奏曲
 ヘンデル ヴァイオリンソナタ ニ長調
 テレマン ヴィオラ協奏曲
 バッハ 管弦楽組曲第3番より「Air」
 C.P.E.バッハ   シンフォニア第2番 変ロ長調
 ハイドン 弦楽四重奏曲「皇帝」第2楽章より主題
 アンゲラー おもちゃの交響曲

● 合間に柏木さんのトークというかレクチャーが入る。というか,トークの合間に演奏が入る。
 それがまた面白いというかタメになるというか。柏木さん,話し好きなんでしょうね。話したくてしょうがないっていうか。伝えたいことがたくさんあってもどかしいといった感じ。

● トークの中身はプログラム冊子に掲載されている。プログラム冊子の文書も饒舌で,しかも面白いのだ。いくつか転載してみよう。
 (バロックの)時代としての音楽の共通点はあります。それは「音楽に何を求めたか」ということです。(中略)簡単に言うと,「音楽が音以外の何かを示すことができた(言葉としての機能を持った)時代が終わり,音の心地よさだけが求められるようになった」ということなのです。
 17世紀のイタリアバロックでは,楽譜に書かれていなくても習慣として装飾をつけたり変奏にすることは珍しくありませんでした。17世紀の楽譜には,装飾音符がほとんど書かれていませんが,実際に演奏する時には「派手に」装飾を施すことが普通に行われていました。それが,18世紀になると,「楽譜に書かれていない装飾をつけない」「楽譜に書かれていることを勝手に変奏しない」という演奏習慣が広がっていきます。
 (バッハがメンデルスゾーンに再評価されるまで埋もれていたのは)18世紀までは音楽は基本的に「地産地消」のものだったのがその理由のひとつです。ハイドンやモーツァルトですら,再評価が始まったのは19世紀中盤以降なのです。(中略)音源が楽譜を正確に残せるようになった現代でも,最も人気があるのは現在の音楽です。脈々と受け継がれていく民族的な音楽以外,丼楽とは本来そのようなものだったのです。
 エマニュエルは現在ではあまり演奏されない「過去の人」になってしまいましたが,直後の作曲家に与えた影響は非常に大きく,ハイドン,モーツァルト,ベートーヴェンなどもエマニュエルの作曲形式と技法を学びました。まさに,古典派の音楽を先導した立役者なのです。
 というような叙述が散りばめられている。無料の演奏会で,こんな冊子をもらえるんだから,それだけでもかなりお得。

● アルビノーニの「オーボエ協奏曲」。オーボエ独奏は小林彩子さん。端正な演奏。
 ヘンデルの「ヴァイオリンソナタ」は,柏木さんが楽器を変えて二度演奏した。バロック風とロココ風の違いを味わってほしいということだったんだけど,正直,ぼくにはその違いがピンと来なかったんですよね。聴き手としてあまりにお粗末?

● テレマンの「ヴィオラ協奏曲」。ヴィオラはこれも柏木さんが担当。とんでもなく多くの曲を書いた人だってことはぼくも知っていたけれど,なかなか聴く機会はないね。自ら分け入っていかないといけないでしょうね。
 バッハの管弦楽組曲第3番より「Air」。「G線上のアリア」として有名。ニ長調からハ長調に移調するとG線のみで演奏できるっていうやつ。が,柏木さんによると,そうしてしまったのでは,旋律の美しさはともかく,こぼれ落ちるものが多すぎるということ。

● 「おもちゃの交響曲」はレオポルド・モーツァルト作とされていた。が,近年,アンゲラーの作と確定されたようだ。
 小林さんも水笛で参加。この曲を聴いて面白いと思えるかどうか。それが,クラシック音楽との親和性が自分にあるかどうかの試金石になるかもしれない。ならないか。

2017年9月12日火曜日

2017.09.10 グローバル・フィルハーモニック・オーケストラ 第58回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 東京に演奏会を聴きに行くのは,久しぶりな感じがする。と思ったんだけど,7月に聴いてたんでした。さほどに久しぶりでもないのか。
 東京は大好きな街だ。おかげでニューヨークにもロンドンにもパリにもシンガポールにも,あまり行ってみたいとは思わなくなった。東京に住んでいる人の中には,田舎に引っ越したいと思っている人も少なくない数,いるのかもしれないけれど。

● 田舎に住んで,たまに東京に出る。その東京体験はけっこう贅沢なものになる。
 といって,東京に住むのはどうもね,とは思っていない。住む機会があれば住んでみたいものだ。
 が,東京で働きたいとは思わないね。それだけはイヤだ。何がいやかといえば,通勤時の電車だ。あれに毎日乗ることの消耗を考えたらね。東京で働いている人たちは偉いと思う。

● 8日から今日まで,上野の藝大の大学祭(藝祭)が開催中。今まで二度ほど行ったことがある。もっぱら音楽の方なんだけど,さすがは藝大で,藝大版ジュルネといいたいほどにメニューが豊富だ。
 けど,整理券が必要だったり,抽選で入場できるかどうかが決まったり,手続きが面倒になった。それだけ人気があるということ。
 ただね,それが面倒なのと,ロートルが紛れこんでは申しわけないと思うのとで,しばらく行っていない。今年も結局,見送ることにした。

● で,東京は錦糸町,すみだトリフォニーホールに参りましたよ,と。グローバル・フィルハーモニック・オーケストラの定期演奏会。ぼくは初めて拝聴する。
 毎度の感想だけれども,東京のアマチュアオーケストラの層の厚さを痛感する。これ,ただものじゃない。田舎に住んでいると,ホントそう思う。
 人口も大学も経済も文化も東京に集中しているからだと頭ではわかるんだけど,その頭を越えて圧倒される思いがする。

● 開演は午後1時半。チケットは2千円。当日券を購入。
 曲目は次のとおり。指揮は三石精一さん。
 R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
 R.シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
 サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」

● シュトラウスの2曲は木管が活躍する。オーボエ,フルート,クラリネット,ファゴット。それぞれ凄いんですわ。
 弦もそうなんだけど,音大出が相当いるんでしょうね。あるいは音大ではなくても,○○大学の△△学部ではなくて○○大学管弦楽団の卒業生だ,というような人。

● ぼくごときがこの演奏に対して,あそこで小さな事故があったとか,終曲のところでやや足並みが乱れたとか,やれ縦の線がどうのっていうのは,チャンチャラおかしい。われながらそう思う。
 もともとパワーがあるプレイヤーが,心をこめている。その結果として生まれる演奏に,多少の事故など疵にもならない。そういうものをはね飛ばすだけの,何というのか,ギュッと詰まった高密度な演奏だったと思う。

● 指揮者の三石精一さん。東大オケの演奏会をはじめ,三石さんの指揮には何度か接している。
 85歳になる。客席から見る分には,とてもその年齢には見えない。まだ60代なのじゃないかと思える。
 暗譜で指揮をし,身体は柔らかく十全に動く。動作も敏捷。舞台袖を往復するときの表情の豊かさも印象的(指揮中の表情は見えないわけだけども)。
 演奏家や指揮者に長命な人は多いし,高齢になっても現役で活躍している人も少なくないから,そのこと自体には格別驚くこともないんだけれども,三石さんはルックスが若い。いわゆるひとつの奇跡を見ているような気分になった。

● もうひとつ。プログラム冊子で三石さんの経歴を見て,羨ましいと思うことがあった。芸大の指揮科一期生。しかも,指揮科の学生は三石さんただ一人。つまり,上がガラガラに空いているから,スイスイと上がっていけた。
 今の若い指揮者は空きがないから,食べていくための労働量が,三石さんの頃とはだいぶ違うのじゃないかと思う。
 もちろん,上に重石がないという理由だけじゃなくて,三石さんの才能や資質が与って力あったんだろうけれど。

● コンサートホールで婆さまの集団が隣に来た。婆さまに限らないんだけど,女の集団というのはねぇ。
 あとから来る人のために席取りをする。あとから来た人を見つけると,大きな声で呼びかける。○○さん,こっちこっち。うるさい。べつに固まって聴かなくてもいいじゃないか。