2019年8月31日土曜日

2019.08.31 交響楽団魁 第13回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 交響楽団魁東京理科大学管弦楽団のOB・OGが結成したものらしいのだが,拝聴するのは今回が初めて。今回,聴いてみる気になったのも,宿泊先のホテルに会場が近かったからだ。行きがけの駄賃的な感じ。
 開演は午後2時。入場無料。ただし,チケット制でスタッフがチケットを配っていた。ここまでやるなら有料制にできないか。現金の取扱いは手間がかかって,割に合わないんだろうか。

● ぼく一個は,集客を犠牲にしてでも有料にして,招待状といった餌も一切撒かないのがいいと思っている。
 無料だからという理由で来ている人が一定数いる。非常に申しあげにくいのだが(おまえは何様のつもりだという話になる),“無料だから来る人”はいつまで経っても“無料だから来る人”のままだ。

● 内外に問題を抱えていないアマチュアオーケストラはたぶんひとつもないと思うのだが,聴衆問題に関して言えば,無料をやめるというリスクを演奏側が引き受けることができれば,問題の半分は解決するような気がする。
 ちなみに申せば,団員にチケットのノルマを課しているところがまだあるのかもしれないけれど,それをやめれば残りの半分も消滅するだろう。演奏中にカサコソとやっているのは,じつは団員の家族や友人が多いのではないのかと秘かに疑っている。
 ま,しかし,ひとつのモノサシで割り切れるものではない,ということもわかる(つもり)。

● 曲目は次のとおり。指揮は河合良一さん。
 メンデルスゾーン 序曲「ルイ・ブラス」
 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調
 ブラームス 交響曲第2番 ニ長調

● ベートーヴェンの8番とブラームスの2番。どちらの演奏も素晴らしかったのだが,ぼくはブラームスを採る。弦が印象に残った。特にヴァイオリン。
 曲自体の質量もたぶんブラームスが勝る。好き嫌いでいえば,ベートーヴェンの8番の方が好きなんだけどね。

● 社会人になってからもこうした活動を継続している志には敬服する。なかなかできることじゃない。
 こうした大学オケのOB・OGが結集してっていうのもやり方のひとつだし,自分が住んでるところの市民オケに入って活動するのもありだろうし,勤め先に企業オケがあればそこでっていうのもあるんだろう。

● が,企業オケは難しくなっているのかもしれないね。なんか時代じゃないっていうか。
 ぼくが聴いたことがある企業オケは,JR東日本,マイクロソフト,日本IBM,日立,リコーの5つだけど,マイクロソフトはすでになくなっている(発展的解消というやつか)。
 日本ほどアマチュア・オーケストラが活発に活動している国はないとして,その中でも企業オケというのが日本以外の国にもあるものなのかどうか。ので,企業オケの演奏会は気をつけて情報を拾って,できるだけ行ってみようと思っている。

2019.08.25 ユニコーン・シンフォニー・オーケストラ 第10回記念定期演奏会

第一生命ホール

● ユニコーン・シンフォニー・オーケストラの演奏は2回ほど聴いていると思っていた。のだが,実際には1回しか聴いていなかった。5年前に第5回定演を聴いているのだが,それだけだった。
 記憶なんざアテにならないな。自分の記憶を信じるな。

● 開演は午後2時。当日券(1,000円)を買って入場。そのチケットが右の写真のようなもの。QRコードのチケットは初めてだ。
 モギる代わりに,スマホでQRコードを読み取っていく。モギった方が列は速く進むのだが,こうしておけば入場者がすべて入場した時点で,データ処理は完了している。分けたり数えたりする手間は不要になるのだろう。

● これから増えるのかね,こういうの。唯一の問題は,チケットに味も素っ気もなくなることだ。チケットを記念に保存しておく,手帳に綴じこんでおく,アルバムに貼っておく,という人はけっこういそうな気がする。
 ぼくもこうして自分のブログに貼って残しているのだが,そういうことをするのはすでに時代遅れなのかもね。

● 曲目は次のとおり。指揮は神成大輝さん。藝大の学部を終えたばかりのバリバリの若手。
 ニールセン 序曲「ヘリオス」
 芥川也寸志 交響三章
 シベリウス 交響曲第2番 ニ長調

● この楽団は2010年に結成されたのだが,今でも奏者の平均年齢はかなり若いという印象。清新であり,明確に覇気があり,気合が載っていて(空回りするほどには載せていない),しかも技術の裏打ちがある。

● 圧巻は交響三章。芥川也寸志は日本音楽史にしかるべく位置づけられているのだろうが,曲目解説に伊福部昭の影響が見られるとあり,なるほどと思った。といって,語れるほどに伊福部作品を聴いているわけではないので,このくらいにしておく。
 こちらが現代音楽的と捉えられる現代性は1950年までで,それ以降になるともはや訳のわからないものになってしまう。ぼくだけのことかもしれないけれど。

● シベリウスの2番も聴きごたえがあった。シベリウスの7つの交響曲の中で,最も演奏しがいのあるのもこの2番ですか。
 CDはカラヤンで聴いているが,指揮者やオーケストラがどこの誰だろうと,生で聴くのに比べたら,隔靴掻痒の感を免れない。ぼくはWALKMANしか持っていなくて,もっぱらWALKMANで聴くので尚更かもしれないのだが。
 生で聴く醍醐味というのは当然あるわけだが,その醍醐味の多くは視覚から入ってくるものだ。その大半が演奏しているときの,オーケストラの美しさだ。

● 指揮の神成大輝さん,これほど若い指揮者の指揮ぶりを見るのは初めてだ。昔と違って,今は,指揮者と演奏者が演奏する曲に関して持っている情報量に大差はないはずだ。
 自分のパート譜しか見ないという演奏者は少ないだろう。スコアを読むはずだし,読みたければすぐに手に入る時代だ。指揮者以上に深く読める奏者もいるだろう。

● という中で,指揮者がどうすれば自分の描く音楽を奏者に伝達できるか。説得できるか。考えてみればこれは難題中の難題ではないか。先鋭な議論を避けるという日本人の麗しき(?)慣習もだいぶ変わってきている。
 指揮者が奏者に説得されるという状況だってあり得ると思われる。指揮者にとっては難しい時代だし,昔のように権威をまとう指揮者は出にくい時代だろう。

● 若い神成さんがそのあたりをどう対処しているのかはわからないが,少なくとも統率はできている。自分の意思を伝えて,オケはそれに従っている。
 結局,こういうものは才能ってことになるんだろうか。言語による伝達以前に,従わせるあるいは従いたくさせるオーラやムードのようなものをまとっているということだろうか。
 ひょっとするとオケに擦り寄っている? そういう卑屈さは感じない。指揮台にスックと立っている。

● このオーケストラは「慶應義塾中等部の卒業生有志が集まって2010年に結成した」とある。生粋の慶應人だ。
 慶應を卒業している人は,ぼくの知り合いの中にもいる。が,例外なく,大学からの慶應ボーイ。すなわち,外様。初等部からずっと慶應だという人たちとの間には,それこそ抜きがたいガラスの壁があるのかもしれない。

● ぼくは田舎の貧農の小倅だから,そういう世界とは無縁だ。だから気楽にものを言うのだが,外様ではない親藩・譜代の慶應という世界があるとして,そういう世界に所属することのメリット・デメリットを計算すると,たぶんデメリットの方が大きいのではないかと思っている。
 しょせん,1人で立たなきゃいけないのが世の中ってものだから。出自がその邪魔をすることが稀にあるかもしれない。

● 慶應世界が濃密なものだとして(たぶん,そうじゃないと思うが),その濃密さとは比較にもならないが,ぼくにも高校,大学の同窓会があり,同窓生がいる。
 でもって,今でもつきあいを維持している同窓生は1人もいない。同窓会に出たことなど絶えてない。意図的にそうしたわけではないが,それでいいのだと思っている。

● 誰の言葉だったか,友人にも賞味期限がある。卒業して,住む世界が違ってしまえば,話も合わなくなる。慶應世界でもそれは同じだろう。
 にもかかわらず,慶應世界に絡め取られるような卒業生がもしいるとすれば(いないと思うが),それこそが慶應世界に属することのデメリットだろうと思う。

2019年8月27日火曜日

2019.08.24 ムジークフェライン室内楽団 創立10周年記念演奏会

紀尾井ホール

● 御茶ノ水から四ツ谷まで,中央線は神田川に沿って走る。その間の車窓風景はかなりいい。ぼくは好きだ。これが地上を走る鉄道の強みであって,地下鉄では望むべくもない。
 で,四ツ谷駅から上智大学の脇を抜けて紀尾井ホール。ムジークフェライン室内楽団の演奏会があったので。

● この演奏会を知ったのも,8月11日の豊洲シビックセンターでの演奏会でチラシをもらったからだと思う。
 開演は午後2時。入場無料なのだが,チケット制。予約するのが原則だったらしい。あらためてそのチラシをながめてみると,下の方に小さい活字でそのことが書かれていた。
 フラッとやってきたぼくのような者は,引換券を受け取って,13時45分時点で空いていればチケットと交換となる。ほぼ,100%空いているはずだが。

● 曲目は次のとおり。大曲ばかりだ。
 ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調「アメリカ」
 シューベルト 弦楽四重奏曲第14番 ニ短調「死と乙女」
 ブラームス 弦楽六重奏曲第1番 変ロ長調

● ところで,ムジークフェライン室内楽団とはそも何者か。プログラム冊子によると,「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ,早稲田フィルハーモニー管絃楽団の元コンサートマスター,首席奏者を中心に結成」されたらしい。
 終演後に,団員の1人がこのあたりの事情を説明した。片方が慶應,片方が早稲田という兄弟がいたらしい。その兄弟が結団の発祥とのこと。

● ところで,団員数は10人で,そのうち,上田さんと加藤さんが4人ずついる。兄弟のほかに夫婦になった人もいるんでしょうね。
 団員のプロフィールを見ると,何というのかな,錚々たるものなんですよね。医者だったり,大学の先生だったり,エンジニアだったり,中央省庁の技官だったりね。ひと昔前に流行った,勝ち組,負け組という言葉を使えば,勝ち組の人たちだよね。
 私立の音大は医大の次にお金がかかるでしょ。音楽を学ぶにはお金がかかる。この楽団の奏者たちは,望めば音大にも行けたろうけど,頭も良かったので慶應や早稲田に行った。しかし,小さい頃から楽器を始めていたに違いなく,やはり相当にお金をかけてるんじゃないのかなぁ。

● 昔は貴族が演奏家に演奏させて,音楽を楽しんだ。今は貴族が演奏して,平民がそれを聴くという図式になっている。
 実際のところ,1人の演奏家を作るには,相当なお金が必要になりますよ。しかも,それでもプロとして立っていけるのは,ほんのひと摘まみ。それを承知でなおそちらに軸足を置き続けることができるのは,貴族の子弟に限られるよなと,ぼくなんぞは思うわけですよ。

● 最も印象に残ったのは,シューベルト「死と乙女」。これは感動ものだった。
 奏者は4人とも男子。高度なデリカシーは男の領分? 協調だけじゃなくて,協調しつつ攻め合わないと,デリカシーに魂を入れて,形として具現化させることはできないようで,その作業は男向きかもしれない。
 女子だと協調だけになるか,かりに責め合うとなると,基本にあるべき協調がどこかに飛んで行ってしまうのではないか。叱られるな,こういうことを言うと。

● 自分が世界の中心にいたのではデリカシーは扱えない。その点でもデリカシーは男のもの。と思うのも,自分が男だからなのだろうけど。
 女の気遣い,女の優しさっていうのは,どこまで行ってもある種のガサツさを含んでいると,これまた叱られるのを覚悟で,言ってみたい。それは自分が世界の中心にいるからだ。

● 自分は世界の欠片に過ぎないとちゃんとわかっている。しかし,欠片であることに居直らないで,縄張りを主張し,せめぎ合う。ただし,基調にある協調を忘れることはない。
 そういう人たちが4人集まって演奏すると,こうなるんじゃないかという。そんなことを思いましたよ,この「死と乙女」を聴きながら。

● このホールが作る空気の質感はただ者ではない。クラシックホテルと言われるホテルのロビーでもここまでの空気を作っているかどうか。
 その紀尾井ホールの格調に負けない演奏といいますか。このホールにブラボーのかけ声は絶対に合わないとぼくは思っているのだが(サントリーホールはOKだ),それでも出たブラボーに文句をつける気にはならなかった。

● 無料なんだけど,終演後は募金箱を抱えたスタッフが,控えめに立っていた。カンパ制ということ。
 ちょっとわけあって,手元不如意。ヘタすると,来たはいいけど帰れなくなるかも,という。でも,ここを素通りはできない。不如意の中から出せるものは出してきた。「死と乙女」のお礼だよね。

2019年8月23日金曜日

2019.08.18 第2回 TCGフルートオーケストラ演奏会

宇都宮市文化会館 小ホール

● 開演は19時。当日券を買って入場。チケットは1,200円。前売券なら1,000円。
 まず,プログラムを書き写しておこう。

 バーンスタイン キャンディード序曲
 ヴィヴァルディ 2本のフルートのための協奏曲(RV533)
 レスピーギ 「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲より“シチリアーナ”
 ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」序曲

 天野正道 天空に舞う6人の天使達
 デュボワ 四重奏曲
 ビゼー 「アルルの女」第2組曲より“メヌエット”
 ベーム グランドポロネーズ

 廣瀬量平 フルオーケストラのための「ブルートレイン」
 久石 譲 ジブリメドレー

● フルートオーケストラなるものが,そもそも成立するのか。これについては,昨年の演奏を聴いて,結論が出ている。
 成立する。フルートといってもピッコロからコントラフルートまでいくつもの種類があるわけだ。担当できる音域は広い。無限といってしまっていいかもしれない。数学的な無限ではなくて,この世に存在する音のほとんどをおそらく,これらのフルート群で表現できそうだ。
 フルートの持つ音色の多様さと多彩さを直に理解するのに,この演奏会はちょうどいい。でも,基本,フルートといえば青白い知的な音を出す楽器だよね。

● 第1部で面白かったのは,ヴィヴァルディ。「2本のフルートのための協奏曲」でありながら,バックもオールフルートというね。原曲は管弦楽なんでしょうからね。
 バックがフルートでも成立するということね。あたりまえでしょ,と言われると,そうですね,あたりまえですね,と応えるしかないわけだけど。

● すべての作曲家の中で,最も才気溢れる作曲家は誰かとなったら,ロッシーニかもしれない。才気がありすぎて,途中で飽きちゃったような。飽きたというか,見切ってしまったというか。
 そのロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲も,フルートでやるとこうなるのかという面白さというんだろうかなぁ,管弦楽を聴いているような気分になった。曲調の然らしめるところだろうか。

● 第2部の「天空に舞う6人の天使達」は石橋高校吹奏楽部のフルート奏者8人が演奏。こういうことを言うのはいかがなものかと自分でも思うんだが,と言い訳しながら言ってしまうんだが,この年代の男女(といっても,男子は1人しかいない)は見た目がきれいだよねぇ。
 贅肉が付いていないって,こんなにきれいなのかって思う。ビジュアルが整う。人体ってそもそもがきれいなものなんだなって。贅肉が付いていなければ。

● このオーケストラを立ちあげたフィクサーは岩原篤男さんで,彼が面倒を見ているのが石橋高校吹奏楽部。となると,石橋高校の生徒たちは事務局とはならなくても,梃子として便利に使われることになるだろう(たぶん)。
 それも勉強だと言われたりするのかな。勉強にはならんがね。勉強にならないのにやらされるわけだから,出番も作ってもらわないと割が合わない。ゆえに,この出番はあって当然。

● 「アルルの女」の“メヌエット”と「グランドポロネーズ」は尚美学園大学で教鞭を執る齋藤真由美さん(芳賀町出身)のソロ。
 「アルルの女」の“メヌエット”はさきほど聴いたばかりだ。同じ宇都宮市文化会館の大ホールで宇女高オーケストラ部の演奏会があって,そこでもこの曲を取りあげていたので。
 何度聴いても,いいものはいいなぁということね。

● 「グランドポロネーズ」の前に,超絶技巧をお楽しみ下さいというアナウンスがあったんだけど,名手がやると超絶技巧が超絶技巧に見えない。超絶技巧を超絶技巧に見せない。
 ぼくらはそのファインプレーになかなか気づけない。

● という次第で,演奏はエンジョイすることができた。
 しかし,今回は,唯一,客層がひどすぎた。・・・・・・以下略・・・・・・。

2019年8月21日水曜日

2019.08.18 宇都宮女子高等学校オーケストラ部 第3回演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 宇女高オーケストラ部の3回目の定演。開演は16時。入場無料。
 演奏した曲目は次のとおり。
 ドヴォルザーク スラブ舞曲(作品46)より第8番
 サン=サーンス 交響詩「死の舞踏」
 ビゼー 「アルルの女」第2組曲より“メヌエット” “ファランドール”

 J.ウィリアムズ 映画「レイダース/失われたアーク」よりレイダース・マーチ
 シャーマン兄弟 映画「メリー・ポピンズ」より
 モリコーネ 映画「ミッション」よりガブリエルのオーボエ
 ウェーバー ミュージカル「オペラ座の怪人」セレクション

 ホルスト 「セントポール組曲」より第1楽章
 チャイコフスキー イタリア奇想曲

● 特徴的なのは映画音楽があるところ。全曲ではなくて抜粋が多いこと。しかし,他品種少量のおかずを揃えた幕の内弁当という感じはしない。
 それぞれアラカルトで,こちらのお料理はいかがですか,という差しだし方になっている。お好みでお召し上がりください,的な。

● 第1部。「死の舞踏」はコンミスのヴァイオリン・ソロ,「アルルの女」はフルートやオーボエなど,いくつもの独奏が目立つ。そのための選曲であったかもしれない。
 過去2回の演奏を聴いて,宇女高オーケストラの水準は心得ているつもりだから,たいていのことは想定内ということになる。驚きたいのに驚けない,というね。
 オーボエの巧さがぼく的には最も出色。彼女のオーボエはこの後,何度も堪能できたわけだが。

● 第2部の中では,どうしたって「オペラ座の怪人」ってことになる。吹奏楽で聴くことが多い印象。悪くいえば,曲じたいに鬼面人を驚かすところがある。悪くいえば。
 そういうストーリーなんだから,音楽はそれに添っているわけなのだが,これだけの大編隊で音がバラけないでまとまっている。驚くべきだと思う。

● 第3部。まずは弦だけでセントポール組曲。第2部は“弦は休んでいてね”的なところもあったから,ま,これはこれで。
 イタリア奇想曲は決して与しやすい曲ではないと思うのだが,破綻がないという水準を超えて,この楽団の色があることに更に驚く。たくらんで出している色ではない。自ずから出ているもの。であればこそ,色になる。たくらんでしまっては雑味になる(だろう)。

● お盆中も練習してたんでしょうねぇ。お盆中に甲子園で試合をしている高校生もいるんだから(作新,残念だったなぁ。勝ててた試合なんだけど,勝てる試合を勝ちきることの難しさ),お盆は高校生にはかき入れ時なのかねぇ。
 昔からそうだったんだろうかなぁ。今の高校生は忙しいなぁとしばしば思うんだけどね。

● あと,感じるのは羨ましさだな。羨ましい。部長には部長の,コンミスにはコンミスの,そしてすべての奏者のそれぞれに,葛藤や諍いや辞めちゃおうかと思うような出来事があって,それでもこれだけの演奏を残して,満期出所を迎えたっていうね(3年生の話ね)。
 それだけで栄えある高校生活のはず。栄えなんてまるでなかった自分の高校3年間と比べちゃうわけだ。羨ましい。

2019.08.17 ティアラ室内楽シリーズ 2019夏

ティアラこうとう 小ホール

● 何度もお邪魔しているティアラこうとう。が,小ホールは初めてだ。ほんとに小ホールだ。すみだトリフォニーの小ホールもそうだった。
 これに比べたら宇都宮市文化会館の小ホールは中ホールと呼ぶのが正しい。それくらい,小規模なホールだった。

● ティアラ室内楽シリーズは今年から始まったのではないが,ぼくは初めての拝聴になる。11日の豊洲シビックセンターの演奏会でもらったチラシで知った。
 室内楽と総称される小規模な演奏をできるだけ聴いていきたい。苦手を克服するなどという大仰なことではなく,室内楽を楽しめるだけの鑑賞能力はありません,という状態を脱しておかないとな,っていうね。

● CDを聴くという手はもちろんあるが(少しは聴いているのであるが),プロの演奏を録音で聴くよりも,アマチュアの演奏を生で聴く方がはるかに勝るというのは,オーケストラに限るまい。
 生演奏でガッと捕まれてから,CDに入っていった方が入って行きやすいというか,挫折が少ないというか,まぁそんなサックリとした印象を持っている。

● 開演は13時30分。入場無料。室内楽で入場料を取るのは難しいんだろうか。
 オーケストラに比べればコストがかからないのは確かだとしても,お金を払って室内楽を聴くという人は,やはり少ないんだろうかなぁ。

● 曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第2番 イ短調
 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番 イ短調
 ブラームス 弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調
 ハイドン 弦楽四重奏曲第38番 変ホ長調
 シューマン 弦楽四重奏曲第1番 イ短調

横百間川から見るティアラこうとう
● 弦楽四重奏曲を5つ聴くというのは,なかなかの重量。約3時間。骨が折れる。
 印象に残ったのはやはりベートーヴェンの15番で,何というのか実がある。身体を張ってる。骨身を削っている。それに比べると,メンデルスゾーンは才気に頼りすぎの感がある。と,まぁ,偉そうなヘラズ口を叩いてみた。
 ブラームスは11日も聴いているわけだが,そのときとはまた違った印象。11日にはこれを聴いたあとに五重奏曲を2つ聴いて,そちらに印象が引っぱられてしまったようだ。この曲だけを聴くと,曲の華やぎやふくらみが際立って感じられるのだった。

● 11日に出てた人も一組登場。彼らが演奏したのがハイドン。ハイドンが弦楽四重奏曲をいくつ残しているのか知らないが,少なくとも38はあるわけだろう。
 よくベートーヴェン以前の作曲家は職人,ベートーヴェンから芸術家になった,と言われる。ベートーヴェン以前の職人は部品をたくさん持っていて,それを組み合わせて曲を作っていた,と言われる(ことがある)。
 そのとおりなのだろう。が,それにしてはハイドンのこの曲におざなり感は1ミリもない。弦楽四重奏曲の骨格はハイドンが余すところなく作りあげたのかもしれない。

● シューマンは最後は精神を病んでしまう。それを知っているせいか,どうもぼくらは,シューマンの作品に危うさ,頼りなさ,壊れやすさ,のようなものを探してしまいがちなのかもしれない。
 この曲にそんなものは微塵も感じない。今にも倒れてしまうのではないかと思わせる弱い構造体ではなく,しっかりと建っているという印象だ。

● 聴き手として歯が立たない弦楽四重奏曲が,霧の中から楚々とした姿を現すのももうすぐだと思いたい。その手応えは,今回あった。 
 次は24日のムジークフェライン室内楽団の演奏を聴きに行くことにしている。紀尾井ホールで開催されるのに入場無料。これで完全に霧が晴れてくれるといいんだけどね。

● ところで,この室内楽の奏者は「アマチュアオーケストラ「ザ・シンフォニカ」有志と仲間たち」であるらしい。
 ザ・シンフォニカといえば,先月,初めて定演を聴いた。あのオケの“有志”ならば,無条件で信頼するよ。

2019年8月19日月曜日

2019.08.12 NIONフィルハーモニー管弦楽団 第8回演奏会

彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール

● 久々のダブルヘッダー。池袋から埼京線に乗って与野本町にやってきた。さいたま芸術劇場でNIONフィルの定期演奏会。
 開演は18時30分。チケットは500円。当日券を購入。

● この楽団の演奏を聴くのはこれが4回目。第2回,第4回,第5回を聴いている。以後,ちょっと間があいたけれども,どうしてこの数になっているか。
 埼玉のオーケストラは,他には,文教大学,埼玉大学,埼玉フィル,それと先月28日の大宮シンフォニーオーケストラの演奏を1回ずつ聴いているだけなのだ。

● この楽団が好きなんだろうか。好きというか好もしく思っている。なぜかというところがうまく言語化できないんだけども,アマオケのひとつの理想形を体現しているような気がしているからだ。そのあたりを含めてうまく言語化できないんですけどね。
 技術が突出しているというわけではないと思うし,選曲に特徴があるというわけでもない(ベートーヴェンを主に取りあげていた)。のだが,これでいいのだと納得させる何ものかを保有している。

● 今回の曲目は次のとおり。指揮は平井洋行さん。
 ベートーヴェン エグモント序曲
 シューベルト 交響曲第5番
 シューマン 交響曲第3番「ライン」

● 演奏を聴きながら,上に書いたことをどうにか言語化できないものかと試みてみた。
 ひょっとしたら妙な野心を持っていないからじゃないかと思ってみた。野心というのも変だとすると,向上心という言葉に置き換えてみたらどうか。
 妙な向上心を持っていない。というと,まるで別の意味になってしまう。そういうことではない。

● 発足時のメンバーは浦和西高校管弦楽部のOB・OGだったようだ。そこのつながり,まとまりの良さが然らしめるものか。
 もっというと,ここで演奏しているときの彼ら,彼女らは,高校生に戻っているからではないか。不安はたくさんあったけれども,今ほど邪気はなかったであろう高校生に戻っている。その高校生にしか持ち得ない素直さ,一生懸命さ(に近いもの)が自ずと表出される。
 と括ってしまうのも少し以上に乱暴だし,奏者に失礼にあたるか。ひょっとすると,そういうこともあるのかもしれないのだが,それだけで説明するのは無理っぽい。

● それ以上の妄想は湧いてこない。まぁ,いいや。
 シューベルトの5番にせよシューマンの3番にせよ,程がいいと感じる。程がいいとはどういうことなのか説明せよと言われるだろうか。
 聴いてて心地いい演奏なんですよ。心地いいというのはいろんな心地よさがある。ここで心地いいと感じるのは,程がいいからだ。って,何の説明にもなっていない。
 これ以上何かを加えてはいけないような気がする。極論すると,これ以上巧くなってしまってはいけないと思う。そういう程のよさ。
 逆に,これ以上崩してしまうのもいけない。何かを引いてもいけない。そういう危うさの上に成りたっている心地よさ。

● ま,しかし。すべてはお客様のために,とアマチュアが考えてしまったら終わりだろう。すべては自分たちのために,だ。客はついでだ。どうせ何もわかっちゃいない。何もわかってないから,こんなことも書けるのだ。
 すべては自分たちのために。どうか,自愛のうえにも自愛をもって,この道を継続されんことを。

2019年8月16日金曜日

2019.08.12 オーケストラ・ダヴァーイ 第13回演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● オーケストラ・ダヴァーイの定演。今回初めて聴く。
 この楽団のプロフィールはサイトを見ればいいわけだけども,要は「2007年にロシアをこよなく愛する者たちが集まって結成したアマチュアオーケストラです」ということ。キッパリしている。そういうだ。紛れは何もない。
 この演奏会でも在日ロシア連邦大使館とロシア連邦交流庁が後援している。ちなみに,後援というのは実質的な援助をすることではなくて,名義貸しのようなものだな。しかし,ともかく,在日ロシア連邦大使館が後援しているのだ。

● 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を買って入場した。
 曲目はプロコフィエフの交響曲第5番とカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」。指揮は森口真司さん。森口さんの指揮にはすでに何度か(いや,そんなに多くはないか)接していると思う。京大文学部を経て藝大に転じた人。

● プロコフィエフの変わっているところは,パリに住んでいたのに,わざわざソヴィエトに帰国していることだ。海外生活作は20年に及んでいるので,やはり水が合わないという理由で帰国したとは思えないのだが,でもそういうことなんだろうか。故郷忘れがたく候という単純な話なんだろうかなぁ。
 ヒトラーのドイツ第3帝国がソ連に攻め入る現実を見て祖国愛に目覚めた,っていう単純な話ではないような気がするんだが,まぁ,こういうものは本人にしかわからないものだ。

● まず,交響曲5番。作曲の動機はショスタコーヴィチの7番と重ねてしまっていいものなんだろうか。このあたりもよくわからない。
 演奏に関してはわかったことがひとつある。東京にはとんでもないレベルのアマオケがいくつもあることは知っているのだが,また1つリストに加わった,ということだ。管が咆哮するようなロシア音楽の迫力はもうズンズンと伝わってくる。
 ロシア音楽だけを取り上げている楽団は,ここ以外にもある。ぼくが知っているのはアウローラと,ショスタコーヴィチに特化しているダスビダーニャ
 どちらも大変な力量を保持するオーケストラだけれども,ダヴァーイもすごいぞ,と。

● カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」。管弦楽のほかに合唱団とメゾソプラノが入る。合唱団は「東京トリニティコール」と「オーケストラと歌うロシア合唱団」。
 メゾソプラノが山下裕賀さん。コンセール・マロニエで優勝したときの演奏も聴いているので,おっかけるのは無理だけれども,彼女の名前をチラシとかで見かけたときには,一応,手帳に控えておくというかさ。今回は,彼女の出番はそんなに長くはなかったわけだけど。

● この曲を聴くのはまったく初めて。CDでも効いたことはない。持ってはいるんだけど,聴いたことはない。
 主催者は「アレクサンドル・ネフスキーは物語の各場面の情景を想像しながら聴くとおもしろい」と言うんだけど,そこまでの準備ができていなかった。聴き手としてまるでヘボ。ヘボで悪いとは思っていないところが,いよいよヘボ。

● 東京のホールで行った回数が多いのを3つあげると,この東京芸術劇場とすみだトリフォニー,杉並公会堂。サントリーホールや紀尾井ホールは少なめ。
 でね,東京といえども,こうしたホールが使われるのは土日祝日に集中すると思うんだけどさ,使われる密度の濃さっていうのは,田舎とは違う感じね。
 逆にいうとさ,演奏する側にとっても聴くだけの人にとっても,田舎って恵まれた環境かもなぁ。ま,今回の演奏とは何の関係もないんだけどさ。

2019年8月14日水曜日

2019.08.11 ブラームス・ツィクルス Ⅰ

豊洲シビックセンター ホール

● “異素材コラボレーション”というよくわからない名前の,ブラームスの弦楽奏。と言ってしまうと,失礼の趣を呈する。「アマチュアでの室内楽,特に「弦楽四重奏曲」の向上,普及を目指しているプロジェクトです」とある。
 “異素材コラボレーション”という名前そのものには,あまりこだわらなくていいだろう。

● 今年の1月にも,同じ会場で“モーツァルト後期弦楽四重奏曲”を聴いているのだ。そのときにも思ったものだ。
 オーケストラだけを聴いてたんじゃダメだよね。室内楽も聴かないとね。その中でも弦楽四重奏曲だよね。それを聴かないとクラシック音楽を聴いてるとは言えないよね。

● 大晦日に東京文化会館で,ベートーヴェンの9つの交響曲を全部演奏するという破天荒なコンサートが開催される。
 8年連続で聴いている。ベートーヴェンにあやかって9回聴いて終わりにしようかと思っていた。のだが,まだチケットを買ってない。安い席は発売とほぼ同時に売り切れるから,C席はもう残ってないかな。

● じつは,これはもういいかなと思っているのだ。同じ大晦日に同じ東京文化会館の小ホールで,同じベートーヴェンの弦楽四重奏曲のコンサートも開かれる。全交響曲連続演奏会に比べると地味だけれど,今年はこっちに行ってみようかなぁと思っているわけなのだ。
 さすがに16ある弦楽四重奏曲を一度に演奏するわけではないが,前期と後期の曲を半々で演奏するんじゃなかったかな。2回連続して聴けば,全部聴けるんじゃなかったか。

● ベートーヴェンだけではない。チャイコフスキーもスメタナもショスタコーヴィチも,弦楽四重奏曲を無視することは許されない。
 ということだから,できるだけ機会を捉えて聴いていかないとね。

● で,今回はブラームス。開演は午後1時。入場無料。
 演奏されたのは,弦楽四重奏曲の1~3番と,弦楽五重奏曲の1番と2番。つまり,かなりの質量になる(終演は午後4時半)。
 これだけのものをずっと同じ集中力で聴ける人は,そうたくさんはいないと思う(東京文化会館の演奏会はかなり長い休憩を入れているのではないか)。この会場の中にいる聴衆をザッと見ると,たぶん1割いるかどうかじゃなかろうか。その1割には,遺憾ながら,ぼくは入っていない。
 という聴き方になってしまった。まったく遺憾ながら。

豊洲シビックセンター
● ブラームスはメロディーを紡ぐ人で,ベートーヴェンのように緻密に構築する人ではないような気がする。ベートーヴェンよりモーツァルトとの親和性が高い。
 だから,と繋いではいけないのだが,四重奏より五重奏の方がブラームス色が濃いと感じる。聴いてて面白いのは五重奏の方だった。

● 特に最後の五重奏曲第2番。ブラームスが残した弦楽器による室内楽曲の最後のもの。晩年期の作品なのだろうが,この曲は非常に若々しい。
 華やかでもあって,時々,オーケストラを聴いているのかと錯覚しそうになる。ブラームスの晩年は悪いものではなかったのだろうか。
 とつないでしまうのも凡人の浅はかさで,作品と作家の実人生はまったくの別物だ。いや,実際にブラームスの晩年は穏やかなものであったのかもしれないけれども。

● 客席は冷房が効いていて,すこぶる快適なんだけども,ステージは暑いらしい。汗をダラダラと流している人もいてね。
 照明の温度が冷房を相殺してしまうんだろうか。演奏じたいが相当な運動量になってもいるんでしょうね。
 見てる分には,それはそれでひとつの絵になるのだが,やってる方は大変だ。演奏家にデブが少ないのは,ひとつにはこういうことでしょうか。

● 入場時にドサッとチラシをもらうのだが,同じ室内楽のものが多い。こういう情報はあんがい貴重。ネットで探しだすのは意外に難しいのだ。ぼくのネットリテラシーが低いからかもしれないんだけど,オーケストラの演奏情報はひっかかってきても,室内楽は釣れない(?)ことが多い。
 こうしたチラシの中のひとつに行ってみると,またそこでチラシをもらって・・・・・・とつながり,その環の中でしばらく聴いてると,だいたいどの時期にどの団体が演奏するのだなということが頭に入ってくる。

● 豊洲シビックセンターのホールで聴くのはこれが3回目になる(たった3回)。小ぶりでいいホールだ。かなりいいと思う。
 オーケストラを載せるのは想定していないだろうから,少人数のリサイタルに使われることが多いのだろう。このホールの催事案内に注意してると,室内楽の演奏会を発見しやすくなりそうでもある。

2019.08.10 ボヘミアン・フィルハーモニック 第3回定期演奏会

北とぴあ さくらホール

● 先月13日に続いて「北とぴあ」に来た。この楽団の演奏を聴くというそのために来たわけだけれども,当然,帝都東京においてはここ以外にも各地で演奏会が催されているだろう。
 その中からこれを選んだのは,王子にまた行けるなと思ったこともある。王子神社と飛鳥山公園,かなり気に入っている。猛暑ではあるけれども,コンサートの前に王子神社に参って,飛鳥山公園の渋沢庭園を歩いてみたい。
 ので,そうしてから汗だくの状態で会場に入った。さすがにちょっと申しわけないなと思った。

● 開演は午後2時。ありがたいことに入場無料だ。
 これは事後の感想になるんだけども(事前の感想なんてあるわけもないがね),これだけの演奏を無料にしてはいかんと思う。聴衆が減る,徴収コストで相殺される,ということかもしれないけれど,無料はダメだ。
 第1に来てはいけない人を呼んでしまう。来てはいけない人の多くは,暇をもてあましているらしい年寄りだ。特にジジイだ。ずっと寝ているのがいる。一番暑い時間帯だ。避暑をかねた休憩の仕方としてはなかなかいい方法だとは思うんだけどね。
 第2に,千円でも2千円でも払っていると,こちら側に参加者意識が生じる。アマオケだと最後に指揮者とコンマスに花束を贈るなんて儀式をするところが多い。そのときに,あの花束の花1本は俺が払った入場料だなと思うことができる。

● 無料だと疎外感を覚えるということではないんだけども,何かおかしい。
 インターネットのおかげで音源はタダで手に入るようになった。ぼくに関していうと,CDショップに行くことはほぼない。田舎のショップでは品揃えもアカンタレブーだからだけども,タダで手に入るものをわざわざ買うことはないからだ。
 結局,音楽の何に対してお金を払うかといえば,ライヴのチケットしかない。そこから先は財布と相談して行くべき演奏会を決めることになるんだけども,そのライヴまで無料ということになると,自分は一切対価を払わないで果実だけ得ているコツジキではないかと思えてくる。

● 同様の理由で,これまた多くのアマオケでやっている“招待状”の対象者になるのも潔しとしない。あれもやめるべきだと思うが,決定権は催行する側にある。その決定には従うけれど,自分がその対象になるのはイヤだ。
 ので,アンケートに名前を書くことはしなくなった。そのうち,アンケートじたいを書かなくなった。

● 曲目は次のとおり。指揮は松本宗利音さん(シューリヒトと読むらしい)。
 バラキレフ 交響詩「ボヘミアにて」
 ドヴォルザーク チェコ組曲
 ドヴォルザーク 交響曲第6番
 なかなか生では聴けない(聴く機会が少ない)曲が並んだ。これが,数ある中からこの演奏会を選んだ理由の1番目だ(2番目の理由は冒頭で述べた)。

北とぴあ
● さて,バラキレフの「ボヘミアにて」。CDは持っているし,何度かは聴いてもいるはずだが(いないかもしれない。このあたり,かなり記憶がいい加減),これを聴いてボヘミアの風景が浮かぶかというと,そういうわけには参らない。音楽という抽象的なものから具体的な風景を脳内で作りだすという作業,ぼくは苦手とする。できる人はすごいとも思う。悠揚迫らぬゆったりとした流れ,昔からこの地方にあったのであろう素朴な踊りのリズムなど,入ってくる情報は多いと思うんだけどね。

● チェロ協奏曲と勘違いした。そうではなくて,チェコ組曲ね。
 ぼく程度だと,聴きどころだと思うのは,最後の“フィナーレ”。やっとドヴォルザークが登場したと思うんだよね。スラヴ舞曲とか8番の第3楽章がドヴォルザークだと思ってるのかなぁ。
 だったら,“フィナーレ”まで待たずとも,“ポルカ”や“メヌエット”で感得できないかねぇ。・・・・・・細かい突っ込みは受け付けないということで,はい,次。

● 交響曲第6番。この曲を生で聴くのはこれが2度目。2016年4月に関東学院中学校高等学校オーケストラ部の演奏で聴いている。立派な演奏だったと記憶している。
 正直,2度目があるとは思っていなかった。木管が分厚い。濁りのないクリアな演奏。松本さんの明晰な指揮が与って力があるか。松本さん,若手指揮者の注目株ですかねぇ。

● ところで,そもそもボヘミアン・フィルハーモニックとはどのような楽団であるのか。サイトによれば,「Bohemian Philharmonicはボヘミア出身の作曲家に魅せられたことをきっかけに,首都大学東京・慶應義塾大学・一橋大学・横浜市立大学・電気通信大学・横浜国立大学の学生とOBOGが集まって,2016年に結成されたばかりのオーケストラで」あり,「ドヴォルザークやスメタナなどのボヘミアの作曲家の楽曲を中心に演奏活動するアマチュアオーケストラ」だとある。
 過去2回の演奏会ではドヴォルザークを演奏してきた。交響曲の7番と8番と4番。あと,「自然の中で」「謝肉祭」「オセロ」。

● なるほど。ドヴォルザーク以外の楽曲を演奏したのは今回が初めてなのか。演奏会を重ねるうちに,演奏する曲がなくなってしまう? その心配はない。フィビフもヤナーチェクもいるんだし,フェルステル,オストルチル,ノヴァーク,スク,ネドバルなどなど,この地が生んだ作曲家はたくさんいる。
 とはいっても,巨星はスメタナとドヴォルザーク。管弦楽曲となると,やはり限られてきちゃうだろうか。でも,同じ曲を二度三度と演奏したっていいんだしね。

● この楽団,何というのか,男性優位。ヴィオラ奏者が全員男性という楽団を見るのは,今回が初めてだ。
 てもって,2度目はないと思う。貴重な光景を見たのかなぁと思っている。

2019年8月8日木曜日

2019.08.04 東京大学音楽部管弦楽団 サマーコンサート2019 栃木公演

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 東大オケの演奏を聴くのは昨年1月の第103回定演以来。サマーコンサートは2015年以来となる。
 このときのサマーコンサートも栃木公演で,宇都宮市文化会館で開催された。宇都宮のこととて,餃子でだいぶ盛りあげてくれたんだった。浜松市出身の団員がいてね。

● 東大オケのサマーコンサートっていうのは,東京を含む全国4都市でやるものだと思っていたんだけど,今年は東京と那須と札幌の3回。
 そうだった。その代わり,定演を2箇所でやるようになったんだったな。

● 東大オケのサマーコンサートってだいたい満席。当日券で入ろうと思って,ダメだったこともあった。当然,販売開始とほぼ同時に「ぴあ」で購入してた。
 が,今回,けっこう空席があるねぇ。1,200席でこれだけ空いてるっていうのは,ここが那須だから? そうは思いたくないんだが。
 そんなことを思いながら,開演を待ったのだが,開演時には“ほぼ満席”と形容しても嘘にはならない程度の入りになった。よかった,よかった。那須の面目が立った。
 ぼく,那須の生まれなんでね。って,それはどうでもいいんですけどね。

● 開演は午後2時。チケットは800円。曲目は次のとおり。指揮は田代俊文さん。
 ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 過去に聴いたサマーコンサートの中で最も印象に残っている曲は何かと訊かれれば, 2013年につくば市のノバホールで聴いたブラームスの4番だと即答できる。
 しかし,それはその演奏が最も出色だったという意味ではない。こちらのそのときの欲望(?)にピタッとフィットしたということだ。ブラームスの4番を聴きたかったのだと思う。それがまずあっての話だ。

● その伝でいうと,今回,楽しみだったのはストラヴィンスキー「火の鳥」。この楽団がこの曲をどう調理して客席に差出してくるか。
 調理するといったって,楽譜があるわけだから,距離を置いて見た場合の仕上がりに差が出るわけはない。近づいて見たときの肌理の細かさであるとか,盛りつけのきれいさであるとか,そういう差になるわけなのだと思う。

● で,それが細かくてきれいなわけですよね。当然,技術の問題がある。その技術に関しては,不思議なほどに巧すぎる。音大でもここまではできてないところが・・・・・・まぁ,いい。
 では,技術だけの問題かというと,違うような気がする。“気”の入れ方,その“気”の揃い方,自分と場としてのオーケストラとの相性,などなどいくつもの非技術に属する因子があるだろう。
 それゆえ,出来不出来のばらつきが大きいのがアマオケの特徴でもあるはずだと思っているんだけど,このオーケストラはそのばらつきがない(たぶん)。やはり,技術が卓越しているということだろうかなぁ。

● チャイコフスキーの5番といえば,誰でも気にする第2楽章のホルンの長いソロ。不安定を安定的に表現しなきゃいけない。
 たとえ名人であっても,迂闊に踏みこむと足下を掬われることがあるのではないかと愚察する。表現された不安定が,天然の不安定の方に傾いてしまう分岐点があるような。
 その分岐点を不安定のどこまで深部に設定できるかが,奏者の腕
那須野が原ハーモニーホール
だとすれば,相当すごいんですよ。このオケのホルン奏者はね。


● そのホルンに絡んでいくオーボエ,第1楽章冒頭のクラリネット,最終楽章終結部の金管など,聴きどころ,聴かせどころはたくさんある。そういうところで決してはずさないんだな。というわけなので,楽しみにしていた「火の鳥」よりもチャイコフスキー5番の方が印象に残った。
 つまり,だ。サマーコンサートの中で最も印象に残っている曲は,依然として2013年のブラームス4番であり続けているということ。

● 演奏についての印象を大雑把にいえば,とにかく端正だ。端正を崩さない。“東大”と知っているので,ならば“端正なはず”というイメージを作っちゃっているのかもしれない。だとすれば申しわけない話だ。“東大=端正”は成立しないはずだからね。
 しかし,演奏はあくまで端正で折り目正しいという印象。奇をてらわないオーソドックス。余計なことをしていないのがいい。端正でありオーソドックスであり夾雑物がないという,そのありようが徹底している。

● 開演前に大田原市長の挨拶があった。なぜ市長が挨拶? おそらく百パーセント善意だよね。東大オケに敬意を表してのことでもあり,この施設の存在をアピールしたくもあり。
 が,可能であれば,この種の善意は毅然と断ってほしい。やっぱり場を冷やすんだよね。市長も短い挨拶で切り上げたのだが,それでも場を冷やす。演奏会には演奏以外のものがあってはならぬと,ぼくは思う。まして,クラシック音楽と市長挨拶なんて,ほとんど水と油だ。
 が,市長側からこの種の申し出があった場合,それを拒否するのは難しかろう。一番いいのは,市長側が自制してくれることなんだがな。ここは田舎だよって言ってるようなものだし。田舎なのは来てみりゃわかるんだから,わざわざ言う必要はないわけだよね。

● 演奏以外のものはない方がいいという場合,恒例になっている「歌声ひびく野に山に」を客席と一緒に歌うという試みはどうなのか。恒例になっているくらいだから,支持されているというわけなのだが,以下に考察する。
 短い歌だから,たんに歌うだけなら短時間で終了する。が,歌い始めるまでが長く,こちらに真骨頂がある。真骨頂の核はコント(?)で,たぶん複数の構成作家が関わっているのではないか。台詞はよく練られているし,話者もしすぎない程度の練習をしているだろう。
 「長めの前奏」も特徴的だ。栃木県民の歌などが折り込まれる。地元をよく研究して,サービスに努める。ソツがない(ほめ言葉になっているか)。これで観客がイヤな気分になるわけはない。というわけだから,このバラエティーは演奏のうちに含めることとする。