2020年11月30日月曜日

2020.11.29 アズール弦楽合奏団 第11回定期演奏会

豊洲シビックセンター ホール

● 豊洲シビックセンターの5階ホール。ツリーが飾ってありんした。臨海エリア然とした眺望も楽しめる。
 このホールには最近しばしば来ている。室内楽的なものはここに聴きに来ることが多いような。
 ホールにしか用がないので,他の階には行ったことがない。9階と10階が図書館になっている。ちょっと覗いてみたが,図書館は図書館であって,別に変わった光景があるわけではない。
 郊外ではなく,駅の間近のビルにこういう公共施設があるのも都会ならでは。利用しやすいだろうなと思った。が,田舎人としてみると,エレベーターで上下に動くことに,けっこうな億劫感を覚えてしまうということはある。


● アズール弦楽合奏団の定演。2017年9月の第8回,今年1月の第10回に続いて,3回めの拝聴。開演は午後2時。入場無料。曲目は次のとおり。
 ヘンデル 合奏協奏曲 イ長調
 J.C.バッハ Sonata for Flute/Violin and Keyboard より Sonata no5 with violin accompaniment
 モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調
 モーツァルト 交響曲第29番 イ長調


● というわけで,今回はモーツァルト。J.C.バッハのときに,この団の音楽監督を務めている柏木真樹さんのトークというのかレクチャーがあった。
 バロックからモーツァルトにどうつながるのかという話。モーツァルトは,突然変異のようにポコッと現れたわけではなく,モーツァルトの前にモーツァルト的な音楽がすでに存在していたという話ね。これが面白かった。腑に落ちた。
 J.C.バッハは幼少期のモーツァルトのお師匠さんでもあったらしいので,具体的なつなぎ役の代表者なのだろうけれども,そうした具体的な人間関係にとどまらず,時代が作る流れのようなものがあった。


● 受付で配れれるプログラム冊子がそっくり柏木さんの論集(?)のようなものでもあって,アカデミック過ぎてなかなかついていくのが難しくもある。いくつか転載しておく。
 文化が伝播する時には,そのままの状態で新しい土地に定着することは滅多にありません。フランスにいけばフランスとの融合が起こるし,(中略)フランス風のロココとイタリアバロックの融合が,モーツァルトを代表とする古典派の軽快で優美な音楽へと繋がったのです。(p9)
 古典派の音楽は情緒ではなく理性を重視する思想の影響で,楽曲を構造的に捉え合理性をもった展開を好むようになりました。音楽の特徴を理解するためには,このような哲学的な視点がどうしても欠かせない(p10)
 モーツァルトの時代は例外的なものを除いて作曲者の死後も演奏され続ける曲は珍しく,この協奏曲群も「お蔵入り」していました。(中略)19世紀後半にはバロックや古典派の楽曲の多くが再び日の目を見ましたが,当時の演奏習慣に従って演奏されたり楽譜が出版されたりしたので,「ロマン派風」の演奏が一般的になりました。こうした演奏は1960年代まで主流となり,言い方は悪いのですがバロックも古典派もロマン派も同じように演奏する演奏家がとても多かったのです。いずれもたっぷりとヴィブラートをかけて歌い上げたりデタシェなどの近代的な奏法を用いていて,モーツァルトが生きた時代の演奏とはかなり異質のものです。(p19)
 もともと貴族を喜ばせるために音楽が書かれていたのですから,派手な方が効果的で,いわゆる緩徐楽章は短いことが多かった(中略)。モーツァルトの曲には長い緩徐楽章がとても多く,その傾向は長じるに従って強くなります。(p22)
 イスラム圏であるトルコとキリスト圏である欧州との橋渡しに大きな役割を果たしたのは,東欧のジプシー音楽であろうと考えられています。(p22)
 モーツァルトの頃の演奏とはかなり異質ということまでわかるわけですねぇ。録音もないのにどうしてそういうことまでわかるのかと思うんだけども,人間の探究心というのは大したものだな。


● 演奏するのは大人になってから楽器を始めた人たち。プロを目指すのであれば,プロの何たるかを知らない幼い時期に始めていなければならないのだろうが,プロになるというそれだけに照準を合わせると自分の人生が痩せてしまうかもしれない。
 それは,高校生が受験に照準を合わせて,受験とは無関係のことに眼を向けないでいると,高校の3年間が痩せてしまうのと同じ。目標を決めて,それにピタッと照準を合わせて,脇目もふらずにそこに向けて邁進する,というやり方が果たして善なのかというと,やや疑問が残る。それが悪いかと言われれば,じつのところ,何とも言えないのだが。
 当然,そうではない行き方もある。そうではない行き方のそうではない良さというのもある。そういうことをこの演奏を聴きながら思ってみる。


● 柏木さんの指導によって,ロマン派的ではない奏法でモーツァルトを演奏したのだろう。ぼくの耳で,そのあたりがどこまで聴き分けられたかというと,われながら心もとない。
 しかし,いい演奏だと思った。上から眼線的な言い方になってしまって申しわけないけれども,明らかに鑑賞に耐える演奏になっている。

2020.11.28 第11回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 武蔵野音楽大学・桐朋学園大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

ミューザ川崎
● コンサートホールとしては日本一(だとぼくは思っているのだが)のミューザ川崎にやってきた。1階のクリスマスツリーがだいぶ小さくなったんじゃないか? いや,別にいいんだけどさ。
 音大フェスの2日目。今日は武蔵野音大と桐朋学園。


● 全席指定だが,コロナ配慮で座席の半分しか指定していない。そのうえで,座席は完売しており,当日券の販売はなかった。
 が,実際には空席がそれなりにあった。ここ数日,コロナ感染者が急増したのを受けて,外出を見合わせた人が多かったのかと思う。


● コロナに対してどう対応するかは,人それぞれ。自分なりの対応をなさればよいのだと思うが,三密を避け,盛りあがっている集団に近づかず,手指の消毒を億劫がらず,無症状でも陽性かもしれないから人に染さないためにマスクを付け(マスクに防御効果はまったくないわけだよね),外ではとにかく喋らないようにする。
 そうしたうえで感染拡大局面であっても外出する。逆に,落ち着いたからといって,それらを緩めてしまうのは危険極まりない。外部状況がどうなろうと,そのことによって自分の行動を制約されたくない。


● 世の中にはコロナを飯の種にしている人がいて,そうした人たちがまたぞろ,GoToを停止しろとか,東京や札幌,大阪には行くなとか,東京の人はこっちに来るなとか,喧しいことになっているのか。ぼくはテレビを一切見なくなったので,ワイドショー被害は受けずにすんでいるけど。
 これまでの経験でわかっているのは,電車はどうやら安全らしいということ。それゆえ,この状況であっても電車での移動にためらいを覚えることはない。昨日から東京に泊まって,地下鉄であっちに行ったりこっちに行ったりしている。


● ただ,電車の中で喋っている人がいるとイヤだなと思ってしまう。マスクを付けていないのはまったく構わないのだが,マスクを付けていても喋られるとイヤだな,と。
 この状況では,口は最も危険かつ最も汚い排泄器官だ。だから女性の複数連れには距離を置くのだが,70代の爺さんたちもけっこうペラペラ喋っているんだよね。
 コロナの最も厄介なところはここだ。人間の根源的な欲求である Face-to-Face のコミュニケーションや雑談に対して,かなり強力な抑制因子になっているところだ。人間が群生動物であることを,あらためて教えてくれたわけだ。
 言っちゃ何だが,ぼくはそのコミュニケーション欲が微弱なのでまったくといっていいくらいダメージは受けていないんだけど,ストレスを感じている人がけっこうな数いるのではないか。

● 脱線が過ぎた。本題に戻る。武蔵野音大はブラームスの2番。指揮は貴公子が服を着て棒を振っているように見える北原幸男さん。
 正統というか王道というか,正々堂々のこの曲を,武蔵野音大の若きヴィルトゥオーソ(の卵)たちが奇を衒わない堂々の演奏で形にする。
 12月2日にも東京芸術劇場でこの曲を演奏するらしい。平日ゆえ,聴衆も大学関係者がメインになるのかもしれない。おそらく,客席がより客席らしくなるのは今日の方だと思う。


● 今回のぼくの席は,ほとんどP席といってもいいくらいのところ。音の聴こえ方がいつもとは違う。
 見えないところからも聴こえてくる。打楽器や金管の一部がそうなのだが,それが自分の真下から聴こえてくるふうなんですよ。妙な感じがする。
 要は慣れなんだろうけれども,こういう場所に客席があるホール自体がそうそうないから,なかなか慣れることはできそうにない。


● 次は桐朋学園。2曲,演奏。指揮は高関健さん。
 コープランド バレエ組曲「アパラチアの春」
 ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調


● 「アパラチアの春」は小管弦楽用に書かれた。が,今回聴いたのは,コープランド自身がオーケストラ用組曲に編曲したもの。今では「アパラチアの春」といえばオーケストラ版を指すのだろう。ぼくの手元にあるCDも同じ。
 が,問題は,こうして生演奏を聴く機会でもないとCDも聴かないことだ。逆に言うと,こうした機会があると1回はCDも聴くことになる。それっきりで終わることもあれば,ずっと聴くことになる場合もある(ない?)。


● ベートーヴェンの5番は“勁さ” を彫刻したこの世の至宝。人類がこの曲を持てたのはほとんど奇跡だと思えるほどだ。
 途中から泣きそうになった。何というカタルシス。どうしようもない,ここまでの演奏をされては。第1楽章のオーボエ,第3楽章のチェロ,第4楽章のトランペット。
 ほとんどプロ級の演奏で,正直,ぼくの耳ではこの桐朋の演奏とN響の演奏を目隠しで聴いたら,区別はできない自信がある。


● この演奏でベートーヴェンの5番をもう一度聴けるとして,いくらまでなら出せるだろうかと下世話なことを考えた。とりあえず,5,000円までは出すなという結論に至りましたよ。
 で,1月12日の定期は1,500円だ(曲目は違うが)。当然行くでしょというわけで,e+(イープラス)のサイトでチケットを買おうとしてるんだけども,パスワードが違うらしくて買えない。困ったものだ。


● この音大フェス,4回にわたって8団体の演奏がある。当然,指揮者も8人登場する。
 その8人のうち,じつに7人が桐朋で学んでいる。正直,桐朋はちょっと別格という感じがする。 

2020.11.22 第11回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 上野学園大学・昭和音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 10月18日,新交響楽団の演奏を聴くために東京芸術劇場に行った。1階のプレイガイドに置いてあるチラシを見ていたら,音大フェスのチラシがあった。
 今年はコロナで開催されないと思いこんでいた。が,やるんですな,音大フェス。ポッと気持ちに花が咲いた感じ。

● コロナによる演奏会の中止は,ぼくの場合,3月末の音楽大学フェスティバル・オーケストラの中止から始まった。その後に続く,怒涛のチケット払戻し。一番大変だったのはホールのスタッフだろうけど,そこから鬱陶しい時間が流れ始めたのだった。夏まで。
 だものだから,今年も例年と変わらず音大フェスが実施されることを知って,トンネルを抜けたようなホッとした感じを覚えたというわけだった。

● 加えて,4月から晴れて自由の身になった(つまり,サラリーマンを辞めた)ので,時間だけはある。今年は4回とも聴きに行けるだろう。
 というわけで,速攻で通し券を買った。一般席にあまりいい席は残されていないっぽいのだけども,それでも笑っちゃうほど格安だ。1回あたり750円。
 ということは,一般客に費用を負担してもらおうとは主催者は考えていないということだろう。枯れ木も山の賑わいで,来てくれればいいですよ,でもタダってわけにもいかないのでまぁ気持ちだけ乗せときますよ,その代わりいい席は関係者が使いますからね,よござんすね,ってな感じでしょ。

● 藝大は今年も不参加。残念だけども,仕方ないのでしょう。来年3月に予定されている関係大学の選抜チームによる音楽大学フェスティバル・オーケストラには藝大も加わる。

● ということで,4回にわたる音大フェスの,今日は第1回目。
 まず,登場したのは上野学園大学。曲目は次のとおり。指揮は清水醍輝さん。
 ベートーヴェン 「エグモント」序曲
 バルトーク 組曲「ハンガリーの風景」
 ドビュッシー 「管弦楽のための映像」より「イベリア」

● ベートーヴェンの堂々たる「エグモント」の後,小粋なバルトーク「ハンガリーの風景」。さらにドビュッシーは独特の色彩感。まったく味わいの違う短編を読むような面白さがある。
 「ハンガリーの風景」はたぶん初めて聴く。CDも含めて。なぜなら,この曲,CDも持っていなかったから。元になったピアノ曲のCDはあったと思うんだけど。ドビュッシーの「管弦楽のための映像」も持ってないや。ピアノ曲の「映像」はあるんだけどね。
 ちなみに,プログラム冊子に載せられている “楽曲紹介”,最後の4行はない方がいいと思った。

東京芸術劇場
● 色合いの違った短編を複数重ねるのも決して悪くないと思うんだけども,長編には長編の良さがある。おそらく,ホールとの相性もある。これくらい大きなホールになると,長編の方がしっくり来るのだろう。
 で,次は昭和音楽大学。ショスタコーヴィチの交響曲第5番。長編も長編,大を付けてもいいくらいの長編だ。指揮は時任康文さん。

● 時の政治体制との関係で色々と言われるけれども,実際にショスタコーヴィチにとっては命がかかっていたのだと思うけれども,そうしたこととできあがった作品とは,いったん切り離した方がいいのじゃないかと思う。
 第4楽章の最後の盛りあがりはたしかに体制の賛美するものかもしれないが,“体制” という文字の代わりに “人間” をあてても,“世界” を代入しても,それぞれに成立する。それだけの汎用性がある。
 この世は苦だと説いた仏陀も,最期が近くなった頃にアーナンダにこう言ったという。

 アーナンダよ ベーサーリーは楽しい
 ウデーナ霊樹の地は楽しい
 ゴータマカ霊樹の地は楽しい
 七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
 タフブッダ霊樹の地は楽しい
 サーランダ霊樹の地は楽しい
 チャーパーラ霊樹の地は楽しい

 それをこの曲の第4楽章に見ようとすれば見えてしまう(たぶん)。融通無礙だ。
 汎用性があるとはそういうことで,リアルのショスタコーヴィチが生きた時代に押し留めない方がいいのではないかと,ショスタコーヴィチの作品を聴くたびに思う。
 それがまた,ショスタコーヴィチの才能に敬意を払う所以でもあるような気がする。

● 演奏も素晴らしかった。充分な音圧があり,起伏があり,うねりがあった。終局後もしばらくは興奮冷めやらずの状態が続いた。
 これだよ,これ。これが音大フェスなんだよ,と秘かに悦にいって,ホクホクしながら地下鉄の駅に向かったのだった。

2020.11.15 東京ユヴェントス・フィルハーモニー 特別演奏会

第一生命ホール

● 開演は午後2時。チケットは2,000円。こういう時期だから全席指定で,チケットも事前申込が原則。
 曲目は次のとおり。指揮は坂入健司郎さん。
 シューベルト 交響曲第3番 ニ長調
 ロドリーゴ アランフェス協奏曲
 シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調

● この楽団の演奏を聴くのは,今回が初めて。なぜ今回聴く気になったかといえば,第1にはコロナのせいだ。オーケストラの生演奏には稀少性がある。中止と延期の流れがまだまだ主流の位置を保っているから,聴けるときに聴けるものを聴いておくのを基本姿勢としている。
 第2には,アランフェス協奏曲を聴けるからだ。2016年7月に地元のホールでスペイン国立管弦楽団によるアランフェス協奏曲を聴いた。ギターはパブロ・ヴィレガスだった。ズンズンズンと染み入ってくるように感じられた。それをまた聴くことができる。

● で,まずステージ上に勢揃いしたオーケストラを見て感じたのは若いということだ。平均年齢は20代の前半ではあるまいか。
 シューベルトの3番が始まって,すぐに感じたのは,端正な演奏をするなぁということ。つまり,巧いということなのだけれども,いったいどういう楽団なのかというと,「2008年「慶應義塾ユースオーケストラ」という名称で,慶應義塾創立150年を記念する特別演奏会のために慶應義塾の高校生・大学生を中心として結成されたオーケストラ」とのことだ。2014年に名称を東京ユヴェントス・フィルハーモニーに変更したらしい。慶應が母体なのか。ならば・・・・・・と納得する。

● 指揮者の坂入さんも慶應出身。経済学部を卒業とあるが,大学の経済学部なんか眼を閉じてても卒業できるから,適当に流して音楽に熱中したのだろうと想像してしまいがちなのだが,そういうわけではないらしい。
 この楽団では音楽監督を務めているが,自らが中心になって創った楽団であって,いうならオーナー経営者のようなものだ。才人というのはいるものだ。

● おめあてのアランフェス協奏曲はどうだったか。やはりジンジンと染みてくる。そういうメロディーだもんね。これはもう世界共通でしょ。
 ギターは荘村清志さん。ギターを抱えた壇上の哲学者といった風情。「アルハンブラの思い出」もアンコールで聴くことができた。これだけでも満足感が高い。チケット代の2,000円はタダも同然という気がする。

● こういう人を引っぱって来れるんだから,オケも大したものなのだ。伝手があったのかもしれないが,相手が応じてくれるのだから。
 若い,巧い,の他に,姿がいい,の三拍子が揃っている。追いかけるべき楽団でしょう。事情が許すなら追いかけてみるべきでしょう。

● 荘村さんの師匠である Narciso Yepes の演奏も YouTube で聴くことができる。ありがたい時代にぼくらは生きているのだけれども,しかし,YouTube は YouTube であって,情報量の相当部分が削げ落ちてしまう。
 情報量のすべてを受け取れる形態は生演奏(を聴くこと)しかない。問題があるとすれば,こちらの受け取り方だけだ。これはもう自分の甲羅に似せるより仕方がないわけだが。

2020.11.14 ジェイソン・カルテット 第12回演奏会

すみだトリフォニーホール 小ホール

● こうして聴いた演奏会の記録を律儀に書き残しているのだが,シコシコとそんなことをしている理由は非常に単純だ。そこまでしておかないと聴いたことにならないからだ。
 聴きっぱなしでは,その記憶が記憶一般の中に溶けだしてしまう。溶けてしまった記憶は復元できない。記録を残したところで溶けだすことを阻止することはできないのだが,復元するためのよすがを作っておける。


● それでどの程度まで復元できるかといえば,いいところ半分だろう。できれば8割までは復元できると言ってみたいものだが,そうは問屋が卸してくれない。年月が過ぎれば,いったん復元したものもまた溶けだして,復元率はさらに低下する。
 しかし,それでも0(ゼロ)になることはない。全体を100とした場合,99と1の違いは,1と0の違いに比べれば,さほど問題とするに足りない。と考えているので,記録を残す作業をよく言えばコツコツと続けている。


● 今日はジェイソン・カルテットの演奏会。昨年に続いて2回めの拝聴。開演は午後2時。入場無料(カンパ制)。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を第3番,6番,15番と並べてきた。前期,中期,後期からひとつずつという。ベートーヴェン・イヤーゆえだろうけれども,ベートーヴェンを3本いっぺんに本番の舞台にかけるのがどれだけ大変かは,想像できるつもり。昨年は10番を演奏している。


● ベートーヴェンの弦楽四重奏曲という大きな山脈については,前期,中期,後期それぞれの特徴が説かれている。特に後期作品については,内面の掘下げが究極のとろこまで行っているとか言われるわけだが,なるほどそうだなと思って聴けたことはまだ一度もない。
 ぼくにとっては依然として難解な作品群だ。聴きこみがまるで足りないせいでもあろうけれども,聴きこむという行為は鑑賞者がやるにはあまり上品だとは思われない。
が,ここから入っていく以外に方法論はないのだろう。

● 電気のない,したがって蓄音機もレコードもない時代にこの作品群に接した人たちは,どうやって受けとめていたのだろう。
 楽譜を読むことが唯一の鑑賞法だったはずだ。音符の連なり具合から内面の掘下げを感じることができたんだろうか。できたんだろうな。

● 毎年,大晦日に東京文化会館の小ホールでベートーヴェン弦楽四重奏曲演奏会が開催されている。昨年,初めて客席に着座する機会を得た。
 今年もコロナ禍にもかかわらず開催されるようだ。チケットを購入済だ。聴く機会を増やさないとね。でないと,“自分にとっては難解だ” のままで終わってしまうから。機会を増やしても,“難解だ” で終わってしまうかもしれないのだが。


● 識者によれば,後期の作品群はシューベルトが一連の弦楽四重奏曲を書いた後に作曲されており,シューベルトを消化した後のベートーヴェンの水準を示すものであるらしい。
 永井豪の「ハレンチ学園」を見て,「やけっぱちのマリア」を描いた手塚治虫のようなものか。手塚治虫はかなりの負けず嫌いだったように思われるのだが。

● ところで,ジェイソン・カルテット。純度が高いというか雑味がないというか,没入しやすい演奏。
 おそらく本気でプロを目指したことのある人たちだろう。目指して叶わなかったのであれば,実力ではなくて,巡り合わせというか,時節の歯車がたまたまうまく噛み合わなかっただけのことかと思う。
 アマチュアではあり得べからざる水準の演奏。大晦日に東京文化会館で聴く演奏とさほどの差はないと感じる。


● 以前はあったけれども,今はなくなったもの。演奏中に鳴るケータイの着信音。この場面に最近は遭遇したことがない。
 高齢者がケータイ・スマホの取扱いに習熟してきたんでしょうね。慌てふためくことがなくなった。

● その代わり,相対的に目立つようになったのが,開演後に入場してくる人だ。キリのいいところで入ってくるのはいいのだが,入ってから席を探してウロウロしてしまう。
 まずはどこでもいいから空いてる席に座り,休憩時間になってから自分の席を探す(指定席の場合)というのを教えていかないといけなくなってきたか。今回感じたのはそのことだ。

● 一番いいのは開演前に着座することだが。開演までにプログラム冊子に眼を通して,書いてある内容を自分の脳内メモリにコピー&ペーストできるくらいの余裕を持つのが望ましい。
 というか,それがあたりまえだ。この余裕の有無が,聴くという体験の質を大きく左右することは明白なので。

2020年11月16日月曜日

2020.11.13 とちぎの若手アーティスト集まれ! Webコンサート

● 9月12日と13日の2日間,栃木県総合文化センターのメインホールで,「とちぎの若手アーティスト集まれ! Webコンサート」が開催された。
 そのリンク(YouTubeにアップされている)が10月23日に総合文化センターのサイトに掲載された。「新型コロナウイルスの影響で音楽活動の機会が減少する中,若手アーティストの活動を支援するとともに,県民の皆様に心の癒しと元気をお届けすることを目的として実施した」という。

● その総合文化センターのサイトを見て,初めてそういう催事があったことを知ったわけなのだが(11日の夜に知った),リアルタイムでストリーミング配信されたようだ。
 当然,リアルタイム配信には対応できなかったのだが,その動画はライブ終了後も残っている。11日から今日までの3日間ですべての演奏を視聴した。

● いや,大変な質量だ。その全貌は次のとおり。まず9月12日開催分
1 上田純子(ソプラノ) 坪山恵子(ピアノ)
 村松崇継 いのちの歌
 ジョン・ニュートン Amazing Grace
 プッチーニ オペラ「トスカ」より “歌に生き愛に生き”

2 Queue Croche(佐藤友香 クラリネット 髙坂彩乃 ヴァイオリン 八巻聖美 ピアノ)
 バルトーク ルーマニア民族舞曲1,2,5,6
 シューベルト 岩の上の羊飼い

3 下司愉宇起(テノール) 阿部 葵(ピアノ)
 小林秀雄 落葉松
 川島 博 栃木県民の歌
 山田敬三 ミュージカル「砂浜のエレジー」より “林蔵のアリア”

4 Kastanien-Trio(直井紀和 トロンボーン 久保井雅樹 ホルン 人見由以 ピアノ)
 ブラームス 「2つの歌」より “聖なる子守歌”
 ブルッフ 「8つの小品」より “夜の歌”

5 音と言葉の間(荒井雄貴 バリトン 手呂内愛翔 ピアノ)
 シューベルト 魔王
 根本卓也 心に太陽を持て

6 古澤悠子(サクソフォン)
 西村 朗 水の影

7 横山 博(クラヴィコード)
 バッハ 前奏曲とフーガ ハ長調
 モーツァルト きらきら星変奏曲

8 鈴木孝佳(ピアノ)
 ショパン エチュード ハ長調(作品10-1)
 リスト 超絶技巧練習曲 第4番「マゼッタ」

9 Duo Akuzawa(阿久澤政行 ピアノ 打保早紀 ヴァイオリン)
 コダーイ アダージョ
 阿久澤政行 伝えたい音

10 大嶋浩美(ピアノ)
 ショパン アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ

11 髙橋詩織(フルート) 齋藤文香(ピアノ)
 チャイコフスキー バレエ「くるみ割り人形」より ダイジェスト版

12 藤本江理(ソプラノ) 安良岡平(バリトン) 手呂内愛翔(ピアノ)
 ドニゼッティ オペラ「ドン・バスクアーレ」より “用意はいいわ”
 レハール オペレッタ「メリー・ウィドウ」より “唇は語らずとも”
 ヴェルディ オペラ「椿姫」より “乾杯の歌”

● 9月13日開催分
1 西口彰子(ソプラノ) 知久絵里香(ピアノ)
 ヘンデル オペラ「エジプトのジュリアス・シーザー」より “優しい眼差しよ” “つらい運命に涙はあふれ”

2 金田桃子(フルート) 遠藤尚子(ホルン) 高鳥 舞(ピアノ)
 ポニ 「森の情景」より第3曲「祈り」
 ドップラー リギの思い出

3 渡邊弘子(ヴァイオリン) 渡邊洋邦(ギター)
 パガニーニ カンタービレ ニ長調
 サラサーテ ツィゴイネルワイゼン

4 トリオ・ダンシュ(山本 楓 オーボエ 木主里絵 クラリネット 柿沼麻美 ファゴット)
 モーツァルト きらきら星の主題による変奏曲

5 玉川 克(チェロ)
 バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番

6 福田智久山(尺八)
 尺八独奏曲「幻の四季」より “夏”

7 藤舎雪丸(小鼓)
 小鼓独奏曲「重陽」

8 前川智世(箏)
 沢井忠夫 讃歌

9 渡邊響子(ヴァイオリン) 佐藤洋(テノール) 黒岩航紀(ピアノ)
 ジーツィンスキー ウィーンわが夢の街
 信長貴富 ヴィヴァルディが見た日本の四季 より「夏」城ヶ島の雨
 プッチーニ オペラ「トゥーランドット」より “誰も寝てはならぬ”

10 小嶋千尋(ピアノ)
 ショパン 幻想曲 ヘ短調

11 ヴェルデ会(島田瑛子 ソプラノ 橋本由香 ソプラノ 田代直子 メゾソプラノ 加藤紗耶香 ピアノ)
 ヴェルディ オペラ「椿姫」より “乾杯の歌”
 モーツァルト オペラ「魔笛」より “復讐の炎は地獄のようにわが心に燃え”
 プッチーニ オペラ「ラ・ボエーム」より “私が街を歩くと”
 山田耕筰 赤とんぼ
 チマローザ オペラ「秘密の結婚」より “喧嘩の三重唱”

● 音声も画像も解像度が高い。Webなんてと思ってたのだけど,認識を改めます。ただし,この高音質,高画質を享受するには,こちら側の受信設備を整えなければならない。
 音質だけを問題にするのなら,YouTubeから音声をダウンロードして(プレミアムに移行しなくてもダウンロードはできる)ウォークマンに転送して聴けば,ソニーの技術によってかなりの高音質で聴くことができる。
 が,それだと高画質が死んでしまう。視も聴もというなら,スマホで聴くのが最善ですか。が,ぼくのスマホはオーディオはまるでダメ。
 結局,ノートパソコンに外付けスピーカをつなぐという最低限の装置で,自宅の隅っこで聴くことになった。

● まず,「渡邊響子・佐藤洋・黒岩航紀」から視聴。プッチーニ「トゥーランドット」の “誰も寝てはならぬ” にゾクッとする。
 続いて,「渡邊弘子・渡邊洋邦」を。「ツィゴイネルワイゼン」は鳥肌ものでしょう。超絶技巧を目のあたりにすることができるのは,Webだからこそ。リアルではあり得ない特等席で見れるってことだよね。

● このあとは,配信順に視ていった。
 上田純子さんは Amazing Grace も披露した。Amazing Grace で一番いいのは,本田美奈子ってことになってる。おそらく,それを超えるものは出ないのではないか。もうしょうがないんですよ,これは。声量だとか音程だとか,そういう問題じゃないですから。
 ただ,本田美奈子が歌うのは2番以降の歌詞が岩谷時子訳の日本語なんですよねぇ。日本語に訳すとなると,意訳にならざるを得ないのはわかるんだけれども,それにしても岩谷時子訳は日本語としてあまりといえばあまり。

● 以下,いちいち感想を書いていくととんでもない長さになるので,全部省略。
 全体的な印象を述べておく。まず,ここでいう「若手」とはかなり幅のある概念で,老人じゃなければすなわち若手ということになっている。中年は若手に含まれる。

● 演奏後に短いインタビューがある。他県出身者もいるので,全員が全員というわけではないのだけれども,栃木弁のイントネーションを最初から最後まで味わうことができる。いいねぇ,栃木弁。
 ぼくらは,“標準語は話せない星” に住む “標準語は話せない星人” なのだ。これはもう笑ってしまうくらいにそうなのだ。
 大学時代を東京で過ごしたくらいで補正されるものではないらしい。総じて,男性よりも女性に,栃木訛りは深く巣食うようだ。

● 画像の解像度が高いということは,たとえば女性奏者の化粧の具合までわかっちゃうということだ。シワの出方までわかってしまう。
 画像の解像度が高いって,どうなのよ。ここまでの解像度が必要なんだろうか。はるかな昔,テレビがハイビジョンになるときにも同じことが言われたものだが。
 すでにこの解像度があたりまえになっているんだろうけど,ちょっと怖いよね,これ。ステージに立つんだからそれくらい細密に描かれるのはあたりまえじゃないか,という意見もあるかもしれないけれども,ほんとに容赦ないですよ,これは。

● こういう時期だから音楽の力で元気になってもらえれば,と話す奏者の方が何人かいらっしゃったが,この動画の再生回数はそんなに多くはない。
 理由は2つ考えられる。第1に,今困っている人たちは経済的に困っているので,音楽よりもお金が欲しい。残念ながら,音楽が力になれるシチュエイションではない。
 第2に,それ以外の多くの人たちはじつはさほど参っていない。上手く対応できている。3月からなんだから馴れてもきた。
 参っているように見えてしまうのは,マスコミ報道を通してしか社会を見ていないからだ。じかに社会を見る術をぼくらは持っていないからだ。

● この動画と音声はこのあとも残してもらえるんだろうか。ずっとクラウド上にあり続けてくれれば,何度でも聴き,視ることができる。
 栃木県でもやったくらいなんだから,各県でこうした催しが行われたろう。有料チケット制を採用して時間限定で購入者にのみ配信したものも,いずれは一般公開される可能性が高いだろう。それらを全部足し合わせれば,膨大な量になるのではないか。
 こういうものに対してデータベースという言葉を使っていいのかどうかわからないけれども,データベースの蓄積が一気に進んだ感がある。

● ちなみに,演奏家が個人的に行っている配信は,録画や配信に関しては素人ゆえに,データベースになるだけの確度を欠く。
 だから価値がないということではまったくないが,演奏家は演奏だけに特化し,それ以外はその道のプロや専門家が担ったものが,データベースとして保存しておくには適する。今回のWebコンサートも,現在の栃木県の演奏水準を記録するデータベースになる。

● しかも,誰でもデータベースにアクセスできる。アクセスしてデータベースをどう使おうとかまわない。完全なる自由が保証される。
 黒岩航紀さんのピアノや渡邊響子さんのヴァイオリンや山本楓さんのオーボエを動画付きのBGMにしつつ,モツの煮込みを肴にハイボールを飲んでたっていいのだ。ホールでかしこまって聴くのもいいものだが,それだけが聴き方のスタイルではない。

● 要するに,だ。永遠に遊んでいられる玩具を(文字どおりの永遠はあり得ないわけだが),ぼくらはもらったようなものだ。ありがたくいただいておいて,自分の一身をもって遊び倒せばいいのだと思う。
 遊び倒せる対象に冠する日本語はこの2文字しかない。貴重,がそれだ。

2020年11月11日水曜日

2020.11.08 第25回 おがわオカリーナフェスティバル in 宇都宮2020

栃木県総合文化センター サブホール

● オカリナという楽器に触れたことはない。が,オカリナのオモチャはいじったことがある。
 半世紀以上前,小学生の頃。学研の『学習』の付録に付いてきたんですよ。数回いじって飽きちゃったんだと思うけど。

● あの頃の『学習』とか『科学』ってなかなか頑張っていたんだなぁと,今なら思うんですけどねぇ。
 当時は付録をぞんざいに扱ってしまってましたね。あまり感心しない小学生だったかな。

● そのオカリナの演奏会を聴いてみた。開演は13時30分。入場無料。
 2部構成。第1部は5つのグループのアンサンブル。第2部は全員による合奏。第2部の曲目はヘンデル「水上の音楽」からの抜粋。第1部も,ラプソディ・イン・ブルーとかリベルタンゴとかカヴァレリア・ルスティカーナ「間奏曲」とか,クラシックの楽曲。
 2部では小川堅二さんが指揮をした。小川さんの指導を受けている人たちの発表会のようなものか。

● オカリナの音自体は初めて聴くものではない。くぐもるような,包みこむような音であることは知っていた。いくつも重ねれば,オルガンのような響きを作れるのかもしれないと思った。
 演奏は聴衆に聴かせることによって完結する。したがってコンサートホールかそれに類する施設は必須と思われるところ,オカリナは聴き手を必要とせず,奏者だけで完結できる楽器かもしれないと思った。くぐもるような包みこむような音を自分で出して自分で聴く。それで完結できるのかも。

● フルートだと息を吹き込んでも音が出るとは限らない。オカリナはそういうことはない。小学生が使っている縦笛と同じで,必ず音は出る。
 ので,フルートと比べれば,スタート時点でのハードルは格段に低いように思えてしまう。が,実際のところはどうなのか。

● 小川さんはなかなかに辛辣で,音合わせをしてから演奏を始めているが,合ってないのに始めちゃってる,と言う。もちろん,それを言えるだけの信頼関係を確保しているからだろうけどね。
 たしかにそうかもしれないのだけど,ここで1つの音になれれば,もう終着点に到達したようなものかもねぇ。
 っていうか,相当な使い手ということでしょうねぇ。趣味でやっているというレベルを超えてるでしょう。

2020年11月10日火曜日

2020.11.03 作新学院高等学校吹奏楽部 第55回定期演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 超絶久しぶりの栃木県総合文化センター。
改修工事成った総文センターのホールの客席に座るのは,今日が初。改修工事は3月には終了していたはずだが,そこから先はコロナが開演を塞いできた。
 8月から生演奏に接することができるようになっている。が,これは首都圏での話だ。地方は方向転換が中央より遅れる。これはもう,そういうものだと考えておくより仕方がないだろう。

● 開催されるとなると,しかし,さっそく宇都宮市文化会館と重なってしまうんだな。東京フィルハーモニー交響楽団演奏会「ブラームスはお好き?」Vol.4が市文化会館であったんですよね。時間帯もほぼ重なる。
 大井剛史さんが指揮するこの演奏会,チャイコフスキーから数えると7回目になるんだけれど,過去6回はすべて聴いている。数ある演奏会の中でもこれは聴き逃してはいけないというものがある。この演奏会はそれに属するものなのだ。もちろん,自分的にはということだが。
 加えて,今回はチェロの宮田大さんがソリストで登場する。いよいよ聴き逃してはいけない演奏会になるわけだ。

● が,そちらではなく,作新学院吹奏楽部の定演に来た。検討の結果,作新を選んだ,のではじつはない。
 東フィルのチケットを取りそびれてしまった。どうして取りそびれたのかといえば,延期か中止に違いないと思いこんでしまったからだ。

● 作新のチケットを取るのもバタバタしてしまった。開催されることもネットで知ったんだけど,これが躓きの元だった。
 ちなみに,演奏会情報を何で得るかというと,ぼくの場合はなのだが,チラシだ。楽団やホールのサイトに情報を取りに行くことは,まずやらない。
 原始的というかアナログというか,ホールに置いてあるチラシや演奏会のときにドッサリもらうチラシをチェックする。
 チラシが一番情報量が豊富だし,パソコンやスマホの画面で見るより一覧性が高い。チケットの入手方法もパッとわかる。

栃木県総合文化センター
● ところが,地元のホールへは行ってなかったんだよね。だって,用がなかったから。中止か延期が続いていたので。ホール側も “用がないなら来るなオーラ” を出していたしね(今も出している)。結果,チラシという情報収集の最良の手段を放棄することになってしまっていた。
 ま,今回はネットで知りましたよ,と。そのときにチケットの入手方法も出ていて,ネットで申し込む,と。代金は郵便振替で払え,と。郵便振替かぁ,昭和チックだなぁ,と思ったのだが,それで申し込んだ。2,000円のチケットに対して発送手数料が300円。振込料が203円。
 ここでミス。手数料を失念して代金の2,000円だけを振り込んでしまったわけですよ。後から300円を振り込んだんだけども,300円でも振込料が203円かかるのね。

● というわけで,二度も郵便局に行くことになった。まずこの時間と手間が呪いたくなるほどに面倒。しかも,2,000円のチケットを買うのに,購入費用が706円。いずれも自分のミスが絡んでいるんだけどさ。
 というわけで,けっこうモヤモヤ感を抱えて,当日,会場に向かったわけ。当日券もあったけど,これは結果論ね。こういう時期だから,事前に手当しておいた方がいいでしょう。

● 前ふりが長くなりすぎた。開演は午後3時。座席はSとAの2種で,Sは2,000円。全席指定。
 指定なんだけれども,ひとつ空けて指定するというわけでもなく,ベタに指定していったようだ。ずらっとお客さんが並んでいるところもあれば,まとまって空いているところもある。
 座席使用の50%制限はすでに撤廃されている。撤廃されていなくても,ベタに使ったところで何の問題もないと思う。が,思い切ったものだなとは思った。

● いつもながらの開演前のプレ演奏もあり。このプレ演奏を聴くだけで,モヤモヤ感などポンと消える。何度も聴いているのだから,そのあたりは予めわかっている。
 そうして定刻に開演。以下に曲目を列挙しておく。プログラム冊子からの書き写し。
 ジェイムズ・スウェアリンジェン 喜びの音楽を奏でて!
 ジョン・ウィリアムズ ニューイングランド讃歌
 宮下秀樹 吹奏楽のための「エール・マーチ」
 真島俊夫 三つのジャポニズム

 宮川成治編 ファンタズミック!
 鈴木英史編 コンパス・オブ・ユア・ハート
 三浦秀秋編 ジャパニーズ・グラフィティⅩⅣ
 佐橋俊彦編 ディープ・パープル・メドレー
 和泉宏隆(真島俊夫編) 宝島

 ステージドリル:ミュージカル「CATS」より

● 出来はいかにといえば,盤石の作新クォリティー。高校生たちの一途さ,一所懸命さが何の衒いもなく,ビンビンに伝わってきた。
 ぼくごときがああだこうだとあげつらう話でもあるまいと思う。彼ら,彼女らのこれからに,幸多かれと祈るだけだ。

● と言いながら,ひとつだけ申しあげると,第3部のドリルが例年以上の圧巻の出来。
 石川県の珠州実業高校からユニフォームを譲り受けた感動のストーリーもあるけれども,圧巻と感じさせた第一の理由は,ダンスにある。
 ダンスのレベルが例年以上に高かった感じ。身体能力がどうのこうのではなく(それもあるのかもしれないが),ダンスを添えものとしていなかったことだ。今までだってダンスの手を抜いてるなんて感じたことは一度もなかったけれど,今回は,指先のさらにその50cm先まで神経を通わせて踊っていると思える子がいて,ちょっと感動してしまった。

● アンコールは桑田佳祐(三宅祐人編)「みんなのうた」。「栄冠は君に輝く」など野球応援関連も。例年だと第2部の終わりにやっていたのだったか。
 初めてこれを見たときは(2012年の第47回定演だったが),有料で一般公開している演奏会にここまで校内行事的なものを持ち込むのはどうなのだろう,と思ったものだった。
 浅はかでありましたね。理由は2つあって,ひとつはこれが高い水準でエンタテイメントとして成立していること。もうひとつは,この作新応援歌はひとり作新学院のものというにとどまらず,栃木県内に浸透しているように思われることだ。栃木県の無形文化財的なものになっていると見ていいのかもしれない。

● コロナの影響は高校生にも大きく作用した。何せ,学校が閉鎖されて登校できなかったわけだから。その間,作新吹奏楽部では「コーチが部員たちに課題を出し,その出来映えをコーチに動画で送り返し,さらにコーチがそれにアドバイスを与えるというスタイルで活動を」継続したらしい。
 県内高校の吹奏楽部でそんなことをやったのは(できたのは),おそらく作新学院だけではないか。

● プログラム冊子に記載されている部員名簿には出身中学校名が記載されているのだが,矢板東高校付属中から来ている子がいる。大学進学を考えて中高一貫校に入学したに違いない。ならば,そのまま矢板東高校に進学するのが大学進学には便宜が多いとしたものだろう。
 にもかかわらず,作新に入学したのは,作新で吹奏楽をやりたかったからに決まっている。その子以外にも同じ理由で作新に来ている生徒が多いだろう。それだけの吸引力を持っている。

● 優秀な生徒を集めて,しかも他校よりも濃密な練習を重ねるのだから,吹奏楽においては作新一極集中が進行あるいは定着するのが必然。
 一極集中が悪いことだとはまったく思わない(そもそも,いい悪いを問題にしても仕方がない)。日本が衰えたりといえども経済大国の一角にとどまっているのは,東京一極集中があればこそだ。ここがおかしくなったら,日本の屋台骨が揺らぐ。実現しなくて幸いだったが,首都機能移転など愚策中の愚策であった(あれはバブル期の発想で,金があり余るとロクなことを考えないという例証になるだろう)。
 しかし,かりに作新吹奏楽部がコケるようなことがあると,作新一校の問題にとどまらなくなることもまた,事の必然となる。責任も大きくなる。

● そんなことは百も承知二百も合点のうえで,その責任を担っていくのだろう。その覚悟は関係者に共有されているのではあるまいか。
 というわけなので,吹奏楽はこれを聴いておけばいいという,“これ” にあたるのが作新学院高等学校吹奏楽部の定期演奏会とグリーンコンサートということになる。

2020年11月7日土曜日

2020.11.01 オルケストラ・クラシカ 特別演奏会2020

神奈川県立音楽堂

● 昨夜は横浜市内のホテルに泊まった。ので,ちょうどいい場所で開催されるコンサートはないものかと物色したところが,神奈川県立音楽堂でもみなとみらいホールでも,お誂え向きのが開催されるではないか。
 まだコロナ禍の渦中にあるが,候補が複数あって選択できるところまで来ているということだ。主には首都圏でしか実現しない贅沢だけれども,これはコロナ以前からそうなので,日本においてはコロナの全盛期は過ぎたと見ていいのだろう。

● マスコミは依然としてPCR検査の陽性者が100人を超えたとか,十年一日のごとき報道を飽きもせず繰り返しているけれど,PCR検査などにもはや何の意味があるのかと思う。
 欧州では再びロックダウンを実施してたりするが,それは遠い国での話であって,4~5月の深刻な状況に日本が再び見舞われるとはどうも考えにくい。どういうわけでそうなのかはわからないが,玄関で靴を脱ぐとか,キスやハグをしないとか,そういうことのほかに何かもっと根源的な理由があるのじゃないのかねぇ。

● 複数の選択肢の中からオルケストラ・クラシカを選んだのは,最も早く知ったから。たまたまTwitterを開いたら,オルケストラ・クラシカの演奏会の告知がパッと目に入ってきたからだ。それ以外に理由はない。
 ので,チケットを予約してから,オルケストラ・クラシカってどういう楽団なのだろうと調べることになった。同楽団のサイトには「大阪フィルハーモニー交響楽団首席オーボエ奏者・大森悠の提唱のもと,2013年12月に発足した。東京大学音楽部管弦楽団のOBを中心に,優れたプロ奏者の支援を得て演奏活動を行っている」とある。

● ここで,東大オケの第100回定演のプログラム冊子に書かれていたことを思いだした。恐ろしいことを書いていた人がいるのだ。その人が大森悠さんだった。
 東大オケで学んだことを礎としてプロの世界に飛び込んだ時,プロも結構ユルいことやってんなぁ,と不遜にも思ったものだ。それくらい,東大オケは「厳格・厳密」だった。
● 東大を卒業してプロの演奏家に転向するというところで,只者じゃない感がすごいやね。一方の頂点から別の頂点にポンと跳べるところがね。
 本人に跳んだという意識はないのかもしれないけれど。東大ではなく東大オケの卒業生だというつもりでいるだろうし。
 ともあれ,オルケストラ・クラシカは東大オケを基礎にしている。となれば,これは相当な水準のはずだと予想できる。

● 開演は13時30分。チケットは2,000円(招待扱いされていた。ありがとうございました)。
 曲目は次のとおり。指揮は大森さん。
 ベートーヴェン 序曲「レオノーレ」第3番
 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 シューマン 交響曲第2番 ハ長調

● で,予想どおり。かなり巧いマチュア・オーケストラの1つに数えられている楽団なのだろうな。今まで知らないでいたことを恥じなければいけないでしょ。
 まずは「レオノーレ」。フルートのクールで青白い音色が,ピーッと空気を横に切り裂いていく。
 横に切っていくイメージなんだよね。ステージから客席の方に迫ってくるんじゃなくて,ステージを横に切る。

● フルートの音色って,オーケストラの中では異色だとも思っていて。基本的には抑制的に使わなくてはいけないものじゃないですかねぇ。そのフルートが「レオノーレ」では重要な位置にある。
 空気は切っても音楽は切らない。楽曲の部品というのでもない。水先案内人の役割を果たしているようでもあるが,全然そんなことはないようでもある。ただずっと聴いていたいんですよねぇ,「レオノーレ」におけるフルートはね。

● ヴァイオリン協奏曲というとメンデルスゾーンやチャイコフスキーが人気先行の感あり。けれども,ベートーヴェンのニ長調もねぇ。これなくしてメンデルスゾーンもチャイコフスキーもあったものではないというかさ。
 川畠成道さんの圧倒的に正確無比な独奏。正確なだけではなくて,表現力とか芸術性とか情感という言葉が含意するところにおいてもピカイチなのであろうけれども,ぼくにはとにかく正確無比と映った。

● その表現力とか芸術性とか情感とか色艶というものも,いずれはゼロとイチに置き換えるプログラミング言語で捉えられることがあるんだろうか(ぼくはあると思っているのだが)。そうなった暁には,AIが情感溢れる演奏を正確にやってのけることになるんだろうか。
 AIがする演奏をホールで聴いてみたいと思うかどうかはさておき,もしAIがそういう演奏をすることがあるとすれば,それは今,目の前で川畠さんが紡ぎだしているのとそっくり同じ演奏になるのではないかと思ったことだった。

● という浮世離れした妄想を抱きながら聴いていたのだけども,管弦楽の応接もピタリと決まって,濃厚な味わいになった。高密度で質量が大きい。個々の奏者が籠めるエネルギー量が半端ないから,その総合体である演奏が生命を持ち始めているような,そういう印象になる。
 帰宅後,CDを聴きなおしてみた。平板でのっぺりと聴こえてしまう。装置の貧弱ゆえもある。それ以前に,CDと生を並列させて比較するのがそもそもの誤り。生を聴いたあとにCDを聴いて,やっぱりCDは平板だと言うのは,阿呆にもほどがあるというものだ。
 それはそうなのだが,特にこれだけの演奏を生で聴いた後ですからね。ちょっと言いたくなってしまった。

● シューマンの2番。プレトークで大森さんも仰っていたけれど,1番「春」と3番「ライン」は何度もホールで聴いている。4番も1番・3番に比べると回数は少ないが,聴いたことがある。しかし,2番を聴くのは今日が初めてではないか。
 精神病との関連で語られることが多いのだが,この曲を聴いてそうした不安定さを感知することはできない。正々堂々の交響曲のように思われる。

● シューマンを聴くと,吉田秀和氏が書いた「シューマンの指揮者は,いわば,どこかに故障があって,ほっておけばバランスが失われてしまう自転車にのって街を行くような,そういう危険をたえず意識し,コントロールしなければならない」という文章を必ず思いだすのだけれども,客席にいてこの文章に共感できたことがない。
 聴いているだけの人間がわかることには自ずからなる限界があるだろう。何度も楽譜を睨んで演奏する立場からすると,吉田氏の指摘に首肯できるところがあるんだろうか。伺ってみたいものだ。

● 4月29日の定演がコロナで延期になったので,今日はその代替かと思ったのだが,そうではなかった。そちらは曲目もソリストも全く同じまま,ピッタリ1年後の来年4月29日に開催する。
 今回は文字どおりの特別演奏会。ステージ上でもソーシャルディスタンスを確保しているから,弦も譜面台は1人に1台。その “特別” さも見慣れた光景になった。
 しかし,そうではあっても,最悪期は脱して,徐々にコロナ以前の日常に戻れるのだろう。まったく完全にというわけにはいかないのかもしれないけれども。