2020年2月29日土曜日

2020.02.29 第24回コンセール・マロニエ21 本選

栃木県総合文化センター リハーサル室

● 昨年の10月12日に開催予定が,台風19号によって今日に延期された。ここでまたコロナ・ウィルスで中止なんてことになったら,目もあてられない。
 コンクールなんだから観客を入れないで実施するのはありだと思われるが,予定どおりの開催となった。ありがたい。
 10月12日はぼくも24時間職場に詰めることになったので,延期自体がありがたい。おかげで聴くことができる。

● ぼくはこのコンクールを普通の演奏会として聴いている。ここでしか聴けない曲目ばかりだ。東京に住んでいるなら格別,栃木ではこれを代替できる演奏会はない。かなり貴重な機会なのだ。
 しかも演奏するのはファイナルまで残った人たちなのだから,演奏に文句があろうはずがない。こちらとすればこの催事に便乗して,気持ちよく聴かせてもらうだけだ。

● このコンセール・マロニエにはもうひとつ楽しみがある。それは何かといえば,プログラム冊子に掲載されている審査員長の沼野雄司さんの挨拶文を読むことだ。
 毎回,コンクールの意義についての考察が披露されており,そうだったのかと思うことが多い。今回は,「コンクールは,他者との触れ合いの場であるがゆえに,意義を持つ」とある。「たったひとり,舞台の上で自分の音楽を奏でて,価値観の異なる審査員を説得しなければいけない。いわばコンクールのステージは,徒手空拳で立ち向かう「外国」のようなものです」と。
 この文章を読めただけで,今日ここに来た甲斐があったと,ぼくは思う。コンクールが増えすぎたので,コンクール慣れしてしまって,「外国」にならない場合が増えたかもしれない,というのは,また別の話だ。

● さて,第24回の今回は金管。順に聴いていくことにしよう。
 1人目は田村相円さん。チューバ。国立音大の4年生。ペンデレツキ「無伴奏チューバのためのカプリッチョ」とボザ「コンチェルティーノ」。後者のピアノ伴奏は大川香織さん。
 悠揚迫らざる大人(たいじん)の趣あり。大人の風格にチューバという楽器はまったく違和感がない。

● 2人目は武藤向日葵さん。トランペット。昭和音大の2年生。今回の最年少出場者。アルチェニアン「トランペット協奏曲」。ピアノ伴奏は神永睦子さん。
 小さい頃は名前で苦労したのではないかと,余計なことを思ってしまった。が,おそらく名前のとおり,向日性の性格かと思う。かなり陽性。抑えようとしても,ポロッポロッと陽性が現れでる的な。

● 3人目は芝宏輔さん。チューバ。藝大の卒業生。ペンデレツキ「無伴奏チューバのためのカプリッチョ」とヤコブセン「チューバ・ブッフォ」。ピアノ伴奏は再び大川香織さん。
 チューバにピアノ伴奏の取り合わせは面白い。つまり,ピアノは音の粒がはっきりしていて,粒が粒である時間がけっこう長い(ように感じる)。対して,チューバの音は発せられるとすぐに空気に溶け始める。音の寿命が短いというより,輪郭を保っている時間がピアノに比べればだいぶ短い(ように思われる)。
 芝さんのチューバはクリアでメリハリがあって,その短さに対抗している感があった。が,ぼくは大川さんのピアノに気が行ってしまって。美しくも勝ち気そうな大川さんがピアノから生みだす音の粒たち。見事な伴奏だったと思う。

● 4人目は山川栄太郎さん。トランペット。尚美学園を卒業。タンベルク「トランペット協奏曲」。ピアノ伴奏は下田望さん。なんと,譜めくりを武藤さんが務めた。
 こういうこと,あるんだ。知り合いだったりするんだろうかね。そういう世界なんだろうかな。

● 5人目は岩倉宗二郎さん。今回,唯一のトロンボーン。武蔵野音大を卒業。ヨルゲンセン「組曲」。ピアノ伴奏は城綾乃さん。
 出てきた瞬間にあだ名を付けたよ。ムーミン,だ。たぶん,リアルでもそのあだ名で呼ばれたことがあるに違いない。
 いや,ムーミン,すごいよ。いっぱいいっぱいの表情ながら2割の余力を残していたのではないか。

● 6人目は西本葵さん。これまた,今回唯一のホルン。R.シュトラウス「ホルン協奏曲第2番」。ピアノ伴奏は野代奈緒さん。
 西本さんは東京音大なんだけど,東京音大と武蔵野音大ってのは好一対で,東京音大が山手,武蔵野音大は下町というイメージがある。申しわけない(どちらに対して?)。
 西本さんもそのイメージを裏切らない。お金持ちの家で育ったお嬢様という印象。モデルも務まる。
 演奏も素晴らしい。曲もいいので,曲に引っぱられて感想を作ってしまっているかもしれないのだが,そうだとしても演奏も相当にいい。

● 7人目は石丸菜菜さん。男なのに名前が菜菜とはこれいかに。石丸さんも名前で苦労したかなぁ,幼少時代は。
 チューバ。藝大を卒業。ペンデレツキ「無伴奏チューバのためのカプリッチョ」とヤコブセン「チューバ・ブッフォ」。ピアノ伴奏は城綾乃さん。
 「無伴奏チューバのためのカプリッチョ」は3回聴くことができた。「チューバ・ブッフォ」は2回。この曲を生で聴く機会はおそらくないだろうと思っている。ひょっとすると,このコンセール・マロニエ21の次の金管部門のときに聴けるかもしれないけれど。

● すでに結果は出ているはずだ。総合文化センターのサイトで見ることができる。ぼくはあえて見ないことにしているが。
 にしても。新しい才能が次々に出てくるものだ。その分,古い才能が出ていくかというと,そういうわけにはいかないので,新旧の才能が滞留してしまう。
 厳しい状況でしょう。聴き手にとってはありがたい状況であるのかもしれないのだが。

● リニューアルなった栃木県総合文化センターに入ること自体,今日が初めて。
 ギャラリー棟のロビー。最も大きな変化点は,椅子とテーブルが増えたことだ。快適性が向上した。
 カウンターの長いテーブルと,4人がけ用の四角いテーブル。お喋りする人は四角いテーブルを,何か食べたりちょっとした作業をしたい人は,左側のカウンター席を使えばいい。パソコンや書籍を置いて使うのにちょうどいい高さだ。自販機でコーヒーを買えば,スタバの代わりにもなるかも。

2020.02.23 オーケストラ・ニッポニカ 第36回演奏会 日本バレエ・舞踊史における1950年

紀尾井ホール

紀尾井ホール
● 宿泊していたホテルの最寄駅である水天宮前から,半蔵門線,丸の内線を乗り継いで,四谷に来た。近いのだよね。以前はJR線しか頭に入ってなかったので,けっこう遠いと思ってたんだけど。
 ソフィア通りを歩いて,紀尾井ホール。が,ちょっと早すぎた。ニューオータニでトイレを借りて,麹町あたりを無意味に散策した。

● さて。開演は午後2時半。この楽団の高名はかねがね聞いているところだけれども,演奏を聴くのは今回が初めてになる。
 チケット(S席3,000円)は予め“ぴあ”で手当しておいた。当日券もあるにはあったが,客席の埋まり具合からすれば,事前に手当てしておくのが吉かと思う。

● この楽団の正式名称は「芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ」という。「芥川也寸志の志を継ぐべく誕生したオーケストラ」で,「日本人の交響作品を積極的に演奏していくこと」と「内外の埋もれた作品に光を当てて紹介していくこと」を「活動の柱としている」らしい。
 芥川也寸志の志とは何か。そこはわからない。だいたい,ぼくは芥川也寸志という人がどんな人だったのか,ほぼ知らないんだよね。

● しかし,曲目には圧倒的な尖りというか主張があるように思われる。
 伊福部昭(構成・編曲 今井重幸) オーケストラの為の交響的舞踊作品「プロメテの火」
 芥川也寸志 舞踊組曲「蜘蛛の糸」
 ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」

● 今回のテーマである“1950年”についてはプログラム冊子に詳細に述べられている。曲目解説と併せて,相当な力作かと思われる。ぼくなんぞが読み進めていくのはちょっと辛いものがある。
 この楽団には相当な学者も筆の立つ文章家もいるようだ。いや,そういう人たちだからこういう楽団を結成するのかもね。

● では,演奏はといえば。セミプロですかねぇ。あるいは,セミを取っちゃってもいいですかなぁ。っていうか,コンマスはプロオケのソロコンマスを務めていたような人だし,プロそのもの,ですかね。
 ぼくはごく普通の音楽ファンで,普通の中でも普通だと思う。ペトルーシュカ以外は初めて聴く。ぼくと同じ人は多いのではないか。
 あと2つの曲も,こんな曲だろうなと何となく予想はできるんだが,何となくっていうのはね,予想できるに入らないっていうかさ。
 ただし,2つはともCDは手元にあったと思う。聴いていないだけで。確認してみよう。

● お客さんの多くは常連なのでしょうかね。この楽団の演奏しか聴かないという人はいないだろうが,この楽団の演奏は必ず聴くという人たちが客席を埋めているのかもしれない。
 そう思って,客席を眺めてみる。でも,大方はぼくと同じ“普通”に見える。

2020年2月27日木曜日

2020.02.22 グース室内楽団 第2回コンサート

ティアラこうとう 小ホール

● 今日はダブルヘッダー。宿泊しているホテルから地下鉄1本で行けるので。開演は19:15。当日券(1,000円)で入場。
 ちょうどホールに着いたときに雨が降り始め,終演したときにはその雨があがっていた。何だかラッキーだね。

● 奏者の個人名はチケットに印刷されているが,ホルンは山口由裕さんの都合が悪くなったらしく,瀬間口涼さんに変更。グース室内楽団というのは,グースフィルハーモニーの木管メンバー。
 では,グースフィルハーモニーとはというと,「2014年9月,渡りの習性のある雁(Goose)のように各地でエキストラ活動をしていた奏者を集めて結成されたオーケストラ」であるらしい。わかったような,まるでわからんような。

● 学生ではないと思うけれども,だいぶ若い。だから,といっていいのかどうか,勢いを感じた。技術もさることながら,鮮度が高いという感じ。
 曲紹介のトークから察するに,頭も良い人たちのようだ。

● 曲目は次のとおり。
 ダンツィ 木管五重奏曲 ヘ長調
 ベートーヴェン ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調
 ファランク 六重奏曲 ハ短調
 プーランク 六重奏曲

● いずれも大曲かと思われたが,4つ聴いて,どれが一番いいかというと,やはりベートーヴェンということになる。調べに馴染みがある。ベートーヴェンだとわかる。そこのところで“いい”と思ってしまうのだ。
 どういうものでしょう。ベートーヴェンだからいいと言っているようなものだよねぇ。われながら,何だかなぁ。

● ぼく程度の聴き手は,CDでこういう曲を聴くことがない。それ以前にベートーヴェンを除いて,CDを持っていない。だから,こういう機会がないとたぶん聴かないで終わるのだ。
 で,これを機にCDを揃えるところまでは行くのだけれど,そのCDを実際に聴くかというと,怪しいものだ。最近は,自分に適切な見切りをつけることができるようになった。

● 去年あたりから,弦楽四重奏曲をちゃんと聴けるようになりたいと思って,生もそうだけれども,CDでも聴くようにしている。最近だと3日間かけて,モーツァルトの1番と14~23番を聴いた。
 でも,どうも弦楽四重奏曲においてはモーツァルトが稀薄のような気がする。聴いていてあまり楽しくないのはどうしたことだろう。
 じつは,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲でも同じなので,つまるところ,自分は相当に重度な耳音痴なのではないかと思っているのだ。

● その弦楽四重奏曲に比べると,木管五重奏曲は耳がはじかないで受け容れているように感じられる。とっつきやすいというか。捕まえどころがあるというか。
 ダンツィもファランクもプーランクもそうだ。やはりここはCDを手当して,実際に聴いてみるところまで行きたいものだな。

2020年2月25日火曜日

2020.02.22 オーケストラ・ミモザ 第2回演奏会

なかのZERO 大ホール

● 開演は午後2時。当日券(500円)で入場。この楽団の演奏は今回が初の拝聴となる。
 なぜこの楽団の演奏を選んだかという話をすると,といってもする必要はあまりないと思うのだが,じつは別の会場に行っていたのだ。ところが,当日券の売場がわからない。ひょっとすると,席が埋まってしまっていて,当日券はなかったのかもしれない(とは思えないのだが)。
 とにかく,グズグズしている暇はない。ササッと方針変更。ここから間に合いそうな演奏会をネットでチェックして,ここなら行けそうだと思ったのが,このオーケストラ・ミモザの演奏会だったのだという次第。
 なので,今回は開演前に滑りこみでセーフという感じだった。これはあまりよろしくない。基本,15分前には着座していたい。
 しかし,ま,こんなことができるのも東京だからだな。

● かなりの程度に失礼な話なのだけども,今回はそういうわけなのだった。しかし,だ。こういう流れには乗ってみるもので,流された先でいいことが待ち受けている場合が多い。今回もそうだった。
 曲目は次のとおり。指揮は喜古恵理香さん。南の島の人っぽい。オケも指揮者も若い。
 ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲
 プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」全曲版より
 ベートーヴェン 交響曲第7番

● 「ナブッコ」序曲は吹奏楽的というか,管,特に金管が活躍するというか出番が多いというか。全員が経験者。まったくの初心者はこの中にはいない。
 プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」で全曲版と断っているのは,組曲版じゃないよということ。全曲を演奏するわけではない。
 この曲は難曲としても知られているが,ぼく程度の聴き手では,難曲の難曲たる所以はなかなかわからない。何度聴いてもわからないと思う。

● ベートーヴェンの7番は久しぶりに聴いた。第4楽章は感涙もの。なだけに,第3楽章に2,3度あった僅かな不揃いが惜しまれる。第4楽章がここまででなければ気にもならないのだが。
 ね。ササッと方針変更して,結果においてここに来たんだけど,来てみるといいことがあるんだよ。この7番を聴けたわけだからね。

● このオケには現役の学生もいるようだ。そのせいかどうか,定演は年1回に抑えている。次回の日程,曲目はすでに決まっている。実務的な手際がいい。
 出身母体はバラバラなのだろうけど,主にはどこの大学オケ出身者が多いのだろう。ちょっと気になった。いや,教えてもらう必要はないのだが。

● なかのZEROには1週間前にも来ている。続くときには続くものだ。駅からの道は既視感どころではない馴染み感がある。妙な気分だ。これからまたしばらくは来ないのだろうけど。
 続くときには続くっていうと,曲目もそうだったりする。同じ曲を続けて聴くことがあり,その後またパタッと聴かなくなる。そういうことがある。

● 演奏会での記憶は文字にしておかないと,記憶一般に溶けてしまう。溶けたあとは,それを取りだすことができなくなる。だから,こうして文字に固定しておく。ここまでやっておかないと聴いたことにならない。
 こうしておけば,ではその記憶を取りだすことができるのかというと,そこはやや不確かであって,ビビッドに取りだせることは,ぼくの場合はあまりない。が,文字化する作業をしておくかおかないかは,やはり大きい。

● が,その文字化する作業がしんどい場合がある。っていうか,たいていはそうだ。初期にはそうじゃなかったんだけど。何が原因か。打開する方法がないか。と思いながら,どうにかこうにか続けている。
 ひょっとしたらマンネリになってしまっているのか。かつてのようなワクワク感が失せたような気はたしかにする。とすると,ここを立て直すのはかなり難しいかな。

2020.02.16 昭和音楽大学短期大学部音楽科バレエコース 2019年度卒業公演

昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

● 昭和音大短期大学部パレエコースの学生さんの卒業公演。これを知ったのは,音大フェスのときにチラシをもらったからだ。
 チケットは事前に手当しておいた。ぼくのはA席で1,000円。

● 昨夜は品川のホテルに泊まったので,品川から山手線にひと駅乗って,大崎。湘南新宿ラインで武蔵小杉。南武線に乗り換えて登戸。小田急線で新百合ヶ丘。というコースを辿ってやって来た。
 武蔵小杉での乗換えが難儀。武蔵小杉で南武線に乗り換えることはまかりならぬ,と言われている気分になった。同じ川崎市内なのだがなぁ。

● プログラムを摘記しておこうかと思ったが,やめておく。
 管弦楽や吹奏楽なら楽譜があるわけだから,どの楽団でも指揮者が誰でも,基本的には同じ曲を聴くことになる。ああ,これは前にも聴いたなとわかる。
 が,バレエというのは,そういう意味での範例(楽譜にあたるもの)はないように思われる。最も創造的なのは振付であるらしい。他のジャンルでは演出にあたるのだろうが,どう振り付けるかで,同じタイトルの舞台でも,まるで違ったものになるっぽい。

● 語れるほどにはバレエを知らない。何度か舞台は見ているけれども,ぼくのバレエ観はかなり幼稚なものかと思う。
 まず,バレエは女性の身体美の究極的な表現形態だと思っている(男性ダンサーもいるわけだが)。バレエに限らず,ダンスというものは男性より女性に向いているというか,女性の方がキレが出るのだと聞いたことがある。その言葉を疑うことなく,ぼくは受けとめた。そうだろうなと思ったからだ。
 そのダンスによる女性美の動的表現がバレエなのだと思っている。

● 次に,バレエは自然への反逆だと思っている。ポワントが典型的にそうだ。ポワントで立って歩いたり跳ねたりするのが自然であるはずがない。極端な外股もそうだ。
 自然にしていては美にならない。バレエは人工美ではないけれども,自然に逆らうことによって美を生みだすものだ。
 だから,女性なら誰でもできるというわけではない。ここまで不自然な動きを身体に染み込ませるには,相当な鍛錬が要る。

● であるからして,バレエのダンサー生命はかなり短いものになるだろう。極端に言ってしまえば,20歳までではなかろうか。もっと歳を取ってからバレエを習い始める人もいるだろうけれども,おそらくバレエになるところまで持って行くのは無理なのではないか。
 年齢を重ねることでしか出せない風味というのは,バレエにはないような気がする。身体を表現媒介としてここまで酷使するのだから。

● ピアノやヴァイオリンなら,とびきりの才能に恵まれた人なら,死ぬまでそれで喰っていける。喰ってはいけなくても,表現を続けることはできる。
 が,バレエはピアノやヴァイオリンのような自分とは別の道具を持たない表現活動なのだ。自分の身体がピアノでありヴァイオリンであるのだ。身体は脳よりもはるかに早く衰えるのだ。

● 短大生といえば,世間ではやっと大人の仲間入りをしようかというお嬢さんだ。若いというより,あどけなさを残している年齢だ。
 しかし。ことバレエに関しては,そろそろ終着駅にさしかかっているのではないか。残された時間はそんなに多くはない。形にしたいものがあるなら,焦らなければならない。

● という目で見てしまうからか,舞台上の彼女たちに一抹の哀れを感じる。かわいそうという意味ではない。
 残された時間がないという哀れだ。命短し,恋せよ乙女,というときの儚さに通じる哀れだ。もうすぐ小さな死を迎えなければならないという哀れだ。

● 新百合ヶ丘からの復りは新宿行きの小田急快速急行。新宿で乗り換えるのは嫌だったので,代々木上原で地下鉄千代田線に。北千住で東武線。そのまま宇都宮まで。
 これだと新百合ヶ丘から宇都宮まで1,700円くらいですんじゃいます。時間はかかりますが,長く乗っていることができるとも言えますな。ぼく,乗り物に乗ってるのがかなり好きなので(ただし,飛行機を除く)。

2020年2月20日木曜日

2020.02.15 第3回 東京・ヨーロッパ友好音楽祭 チャリティーコンサート

なかのZERO 大ホール

● この演奏会は3回目になるらしいのだけども,自分が聴くのは今回が初めて。開演は午後2時。当日券(2,000円)で入場。

● 友好音楽祭オーケストラは「2017年に発足した,東京大学・早稲田大学・慶應義塾大学の現役,卒業生が中心となったオーケストラ。世界的に活躍するアーティストを迎え,音楽を通した国際交流の推進を図っている」とネットで自己紹介している。
 自分が所属する大学のオケ活動だけでは物足りなくなった人たちの集団だろうか。

● 指揮は中島章博さん。彼の指揮を見るのは昨年末の東京海洋大学・共立薬科大学管弦楽団の定演以来,今回が二度目。異色というか,魅力的な経歴の持ち主。

● 「世界的に活躍するアーティスト」として登場したのはチェロのタマーシュ・ヴァルガ氏。過去に一度だけ,彼の演奏に接したことがある。2013年に宇都宮で。かのウィーン・フィルの首席。
 ウィーン・フィルといえば,まず連想する言葉が純血主義。今はそうではなくなっているのだろうが,それでもウィーン・フィルに黄色い人や褐色の人はいないのではないか。長く女人禁制でもあった。今でも女性奏者は非常に少ない。
 オーストリアの人口は東京のそれより少ない。そこで純血主義だの女人禁制だのをやっていながら,世界のトップレベルを維持できているというのは,奇跡というか奇跡以上というか。

● 長くそうなのだから,何らかの理由というか,システムというか,なるべくしてなっているメカニズムがあるのだと思うが,とにかく非常に不思議な状況だ。
 ところで,ヴァルガ氏はオーストリアの人ではなく,ハンガリー人であるらしい。かつてのハプスブルク帝国はオーストリア=ハンガリー二重帝国だった。今でもその名残のようなものがあるんだろうか。ハンガリーはオーストリアにとって外国ではないというような。

● ヴァルガ氏から感じるオーラが心地いい。気さく。世界のトッププロなのに(トッププロだからかもしれないが)周囲に壁を作らない人のようだ。呼ばれれば,そして日程が許せば,世界のどこにでも出かけていく人っぽい。
 そのヴァルガ氏を迎えての曲目は,エルガーのチェロ協奏曲。彼のチェロを十全に味わえるだけの鑑賞能力が自分にないことを遺憾に思う。

● オケの演奏はドヴォルザークの8番。誠実な演奏で,好感度はかなり高い。技術も相当なものと見る。聴きに来て良かったと思った。
 ところが,ここでもヴァルガ氏がチェロパートの首席奏者を務めるというサービスぶり。これねぇ,チェロパートのメンバーはもとより,コンミスや指揮者にとっても,なんて言うんだろ,緊張と興奮が相半ばする貴重きわまる体験だったでしょうねぇ。
 でも,ヴァルガ氏も日本の,若い団員が多い清新なアマチュアオーケストラと一緒に演奏するのが楽しそうだったな。彼にとっても楽しいひとときだったのではないかと思う。

● チャリティーコンサートになっているのは,東日本大震災や昨年の台風で被害を受けた被災地に,復興支援金として今回の収益金が贈られるということのようだ。募金箱が置かれていた。大人の義務を果たしてきた。ただし,半分か3分の1くらいだけど。
 募金箱の置き方もどこか控えめでね。もっと図々しくしてもいいかもね。可能ならば単に置くんじゃなくて,人が持った方がいいでしょう。可能ならば,だけれど。

● というわけで,ヴァルガ氏とオケの性格の相乗効果のゆえか,とても気持ちのいい演奏会だった。チャリティー云々とは関係なく,清々しさに満たされた。
 にしてもだよ,どういうツテをたどって,どういうプレゼンをして,これだけのスターを引っぱって来れるんだろうかねぇ。

2020年2月19日水曜日

2020.02.11 宇都宮大学 ウィンドアンサンブルプロジェクト 2019

宇都宮大学 峰ヶ丘講堂

● 日本人ってわりと学校を大事にしないよね。ときに,迷惑施設扱いする。
 近くに幼稚園だか保育所が設置されるとなったときに,昼寝の邪魔になるからと反対した年寄りがいたっていうからね。話にならない。
 大学が迷惑施設扱いされることはないんでしょうけどね。

● さて,今日は宇都宮大学に来た。吹奏楽の演奏会があったので,聴きに来たのだけど。
 開演は午後2時。入場無料。

● この吹奏楽の催しがそもそもどういうものなのか。宇都宮大学に管弦楽団はあるけれども,合唱団もあるけれども,吹奏楽団があるとは聴いたことがない。
 このあたりは,担当教師の髙島章悟さんから説明があった。宇大には『管打合奏演習』という授業がある。基盤教育科目の1つらしい。基盤教育科目とは何なのかは知る必要のない事柄に属する。
 ともあれ,その授業の最後がこの演奏会になるようだ。

● 曲目は次のとおり。
 アルフレッド・リード エル・カミーノ・レアル
 リスト ハンガリー狂詩曲第2番
 ジョー・ガーランド イン・ザ・ムード
 カルデロン ファンタンゴ
 真島俊夫編 カーペンターズ・フォーエバー

 アンコール 真島俊夫編 セプテンバー
       東海林修 ディスコ・キッド

● この授業を選択した学生さんの多くは,中学校や高校で吹奏楽をやっていたんでしょうね。正真正銘,この授業で初めて楽器に触れたという人はいないでしょう。
 最も印象に残ったのは,初っ端のリード「エル・カミーノ・レアル」。超初心者がいてはこういう演奏にはならないような気がするのでね。

宇都宮大学 峰ヶ丘講堂
● 担当の髙島先生は熱い人。熱いゆえに話が長くなる。こういう熱い先生を持てた学生は,何だかんだ言って,幸せ者でしょうね。
 地元の自治会にチラシを配った話をしていたけれど,この演奏会を演奏会として成功させるために,ドブ板選挙的な人集めも厭わないようだ。主催者が用意したパイプ椅子はほぼ埋まった。満員になったといっていい状態。
 何かを立上げて定着させるには,こうした地味な作業が,好むと好まざるとにかかわらず,避けては通れないのだろう。

● カルデロン「ファンタンゴ」のトランペット独奏は藤島さゆりさん。この授業から巣立ったといっては言いすぎだろうけれども,宇大から藝大別科に進んだ。
 髙島先生は大きく成長してくれた人と紹介していたけれども,実際,演奏に関してはそのとおりに違いないと思うのだが,しかし,それが彼女の人生にとって吉とでるか凶とでるかはわからない。好きなことを仕事にできれば,経済的には多少恵まれなくてもそれで本望だと思って,それを選ぶのだが,あとから悔いることになるかもしれない。

● それを言ってしまうと,ぼくらがしてきた選択はすべて“賭け”でしかないことになる。当然だ。未来のことはわからない。わからない状態で,未熟な自分が判断するのだ。
 中高年はだいたいが安定志向だろう。だから若者が危なっかしく見えて仕方がない。しかし,若者の選択に意見を述べてはいけないような気がする。第1に,安定志向の中高年のものの見方には,盲点がたくさんできているだろうから。第2に,選択の結果は本人が背負うものだからだ。

● しかし,逆に背中を押すことに対しても,慎重でなければならないと思う。ここで必要なのは,頑張れば道は開けると何の根拠もないことを言って,若者の背中を押す人ではなくて,才能を見てやめておけと言える人のような気がする。
 本人の意向に棹さすわけだから,それをやれば恨みをかうことが多いだろうし,自分の見立てが間違っていたかもしれないと執拗に反芻することもあるだろう。多大なエネルギーの消費を余儀なくされるから,なかなかできないものだが,どちらかといえば指導者に求められるのはそちらの方ではないか。

● と,ここまで言うと,藤島さんに才能がないと言っているように聞こえてしまうかもしれないけれども,そうではない。そんなことがぼくにわかるわけがない。一般論を述べてみたに過ぎない。
 なおかつ,若い人たちの選択に口をだすのは御法度だと思う以上に,その選択を支持したいとも思っている。背中を押すことには慎重であるべきだとしても,本人が選んだ選択肢を尊重するのは,若い人に接する場合の基本的な姿勢であるべきだろう。

● もうひとつ。現在は未来のための準備期間ではない。現在は現在で完結するものと考えた方が良くて,未来を想定して現在を決めてしまうのは,むしろぼくらが陥りやすい通弊なのかもしれない。
 所詮,人生は目先の連続。目先良ければすべて良し,とぼくなんぞは思っているのだけれども,そこを徹底すれば,将来のことなど考えても仕方がない,となる。
 刹那主義とは少し違うと思っているのだが,それを刹那主義,快楽主義というのだと言われれば,そういうものかと受け容れる。

● これから巣立とうとしている若い人たちの演奏を聴いていると,どうしても演奏とは関係のない,そんなところに思いが飛んでしまうんですよね。

2020年2月12日水曜日

2020.02.08 オーケストラ・ノット 第9回演奏会

豊洲シビックセンター ホール

● 初めての拝聴。オーケストラ・ノットとはそも何者?
 この楽団のサイトはある。が,FBなので,FBをやっていない人には見づらくてしょうがないだろう。ちなみに,ぼくはFBを2年あまり捏ねくって,今はやめている。
 ので,設立の動機が書かれているこちらをあげておく。

● 今回が9回目なんだから,できてから9年になるのかと思いきや,そうではない。だいぶマメに演奏会を開催しているのだ。
 今月2日には旧東京音楽学校奏楽堂で特別演奏会,1月31日にはやはり旧奏楽堂でMatthias Glander氏還暦誕生日祝賀音楽会,昨年11月12日に杉並公会堂で第8回演奏会,7月20日に豊洲シビックセンターで第7回演奏会,という具合。
 普通のアマチュアオーケストラではないようなのだ。どういう人たちが集まっているのかというのもよくわからない。

● ともあれ。開演は13:30。入場無料。
 「これまでオーケストラ・ノットの演奏会で一緒に演奏した大学生さんがご卒業になられます。それを記念して特別プログラムでの演奏会をお送りします。卒業後,様々な道に進まれることになりますが,卒業前の皆さんの素晴らしい演奏をお楽しみください」とある。
 卒業する人たちが個々に紹介されている。上野萌華(ヴァイオリン 藝大),村田詩織(コントラバス 藝大),吉本萌慧(ヴァイオリン 藝大),森下邑里杏(チェロ 藝大),山上紘生(指揮 藝大),石井希(作曲 中央大学),の諸氏諸嬢。
 あらかた藝大生なのだが,藝大生の有志が結成したオーケストラというわけでもないようだ。社会人もいるからだ。その社会人も藝大OBかもしれないのだけど。

● 次回(4月5日なのだが)がファイナル演奏会となっている。なくなってしまうのかというと,そうではなくて,秋には「法人化記念第1回演奏会」が予定されている。「アマチュア奏者・学生奏者・プロ奏者の音楽交流による人材育成とクラシック音楽の普及を目的とした法人化を目指します」とのこと。

● プログラムは次のとおり。“交響的断章ハ短調”のみ作曲者が指揮したが,他は山上紘生さん。
 石井希 交響的断章 ハ短調
 サラサーテ ツイゴイネルワイゼン
 ボッテジーニ パッシオーネ・アモローサ
 ブラームス ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲
 ブラームス 交響曲第1番

● 石井さんの「交響的断章 ハ短調」。「プロであれアマチュアであれ,本気で音楽に取り組むならば,必ず既存の作品だけでは飽き足らなくなるはずです」と書いているんだけど,そういうものなのか。
 飽き足らなさを感じる人と感じない人がいて,前者から作曲家が生まれる。そういうことなんでしょうね。感じるか感じないかは,たぶん,そういうものを持って生まれてくるかそうでないかによるのだろう。

● 悪くないと思った。知的だ。冷静だ。作っているときに,作っている自分が曲に飲まれることがあるかと想像するんだけど(それは望ましいことかもしれないとも思ってみるのだが),作者が作品を適度に突き放せているという印象。
 これ以上の駄弁は自分の足元を掬ってしまうから,弄すべきではないでしょうね。

● ブラームスの1番,素晴らしかった。目隠しして聴いたなら,プロの演奏だと思ったに違いない。特にオーボエが手練。これを無料で聴いていいのか。
 っていうか,藝大生がメインで演奏しているのだとすれば,それとプロのオーケストラを目隠しで聴いて,両者を分別できる自信はまったくない。
 1番でのブラームスはけっこう以上に無理をしているのではないかと思っているのだけれども,ひょっとしたら違うのかもしれない。これはこれで,ブラームスの本領なのかもねぇ。演奏もだけど,曲も素晴らしいのだ。

● 終演は16時を回っていた。3時間近いボリュームの演奏会になった。
 募金を募っていた。これだけの演奏を聴かせてもらったのだから,素通りするのはルール違反ということでしょうねぇ。些少ながら募金箱に投入したけれども,申しわけないくらいの額でしかない。

● こうしてまた聴くべき楽団を知ってしまった。知ってしまえば,演奏会に行きたくなる。
 とはいっても,ぼくが住んでいるところは栃木の在なのだから,百発百中などということはあり得ない。行けないことの方が多い。行けなければいけないで,あれこれ考える。良いオーケストラを知ることは,したがって,煩悩を増やすことでもある。

● 今回,藝大を卒業する人たちは,2人が大学院に進むほかは,フリーの演奏家になると紹介された。
 経済的にはなかなか厳しそうだ。暮らしていけるんだろうかと思ってしまうんだが。
 よしんばプロになったとしても,オーケストラの給料だけでは食べていけない(N響以外は)。

● が,そんなことは折込済みか。それをわかったうえで,音楽を選んだ人たちだ。藝大に入学した時点で退路を絶っている。
 というほどの悲壮感はないかと思うんだけど,踏み込みがいいというか,思い切りがいいというか,清々しさを感じさせる人生行路だと思う。なかなかできないわけでね,これが。

2020年2月4日火曜日

2020.02.02 栃木県交響楽団 第108回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 栃響の定演。開演は午後2時。チケットは前売券(1,200円)を買っておいた。
 プログラムはオール・ブラームス。大学祝典序曲,ヴァイオリン協奏曲,交響曲第2番。指揮は三原明人さん。

● 今回はヴァイオリン協奏曲に尽きた感じ。ソリストの関朋岳さんの貢献が大きい。ルックスを含めた見映え,舞台袖に引きあげるタイミングや歩き方,そういった事どもから,スター誕生を予感させた。
 というより,すでにして若きスターなのかもしれない。

● 第1楽章が終わったところで拍手が起きた。指揮者もそれを折込済みだったようだ。
 楽章間では拍手をしないのがマナーあるいはルールであることは知っているが,ここでブラボーがかかったとしても,ぼくなら許容する。
 まぁ,何というか,それくらいにインパクトのあるヴァイオリンだったということだね。

● 関さんのアンコールはミルシテイン「パガニーニアーナ」。もちろん,聴いたことはない。後刻確認したらCDはあって,聴こうと思えばすぐにも聴ける状態なんだけども,CDがあるということすら忘れていた。
 アンコールにしてはけっこう長い曲。こういうところで得したと思ってしまうんだよねぇ。この貧乏性,何とかならんか。

● ブラームスの交響曲は2番から始まるといってもいいでしょ。1番はね,西に向かって然るべき人間が,間違って東に行こうとしちゃったっていうか。ブラームスのことだから東に行こうとしても結果はきちんと残すわけだけれど。
 ブラームスって,何ものかを裡に秘めて,人生に雄々しく立ち向かうというベートーヴェン的な生き方は似合わないというか,もっと軽やかな人っていうか。
 ブラームスの真骨頂は美しい旋律にあると思う。交響曲の人ではないのかもしれない。

● というようなことを思いながら,第2番を聴いていた。今言ったことを撤回したくなった。正々堂々の布陣。中段に構えて,どこからでもかかってきなさいと言っているような。
 自分にはやましいところは一点もないから,文句があるなら出るところに出ようじゃないか,という一歩たりとも退かない不退転の決意。

● ベートーヴェンは女性にもてたらしい。最近の研究(?)ではそうなっているらしい。貴族の女性を好きになっても身分の違い云々で泣く泣くということではなく,身分の違いなどものともせず,女性たちの方からベートーヴェンになびいたらしい。
 これ,わかる気がする。そうだったはずだと思う。風に立つ孤高のライオンを女性たちが放っておくはずがない。

● ブラームスにはそのベートーヴェン的な魅力は感じられない。自ら相手に寄り添っていくというふうであったに違いない。両性具有の精神っていうか,女性的なものも感じる。
 だけど,ここから先は譲れないというのはキチッとあった人なんでしょう。人を見るときの足切線はあったのだろうな。
 2番を聴いてて浮かびあがってくるブラームス像っていうのは,そういうものだ。半ば,無理に浮かびあがらせているのだが。

● オケのアンコールはハンガリー舞曲第5番。昔,ブラームスがよくわからなくて,ブラームスといえばハンガリー舞曲しか聴かない(聴けない)時期があった。
 こちらが何もしなくても,勝手に飛びこんで来てくれるっていうか。現実に存在していた旋律なのだろうから,脳を介在させないでスッと入ってくる感じね。

2020年2月3日月曜日

2020.02.01 東京大学音楽部管弦楽団 百周年記念シリーズ 第105回定期演奏会 東京公演

横浜みなとみらいホール 大ホール

● わが家からだと横浜はけっこう遠い。これが川崎だと近く感じる。心理的なものなので,確たる根拠などあるわけもないのだが,どうもぼくは川崎は東京の一部だと思っているっぽい。
 横浜はとなると,東京に対峙する独立した文化圏という捉え方をしているのじゃないか。自分のことなのに他人事のように書いて申しわけないのだが,横浜は東京を抜けて行かなければならないところなのだ。それゆえ,遠いと感じる。

● その遠い横浜に来たのは東大オケの演奏を聴くためだ。開演は午後1時30分。チケットは“ぴあ”で買っておいた。
 何せ,この楽団には痛い目に遭わされているのだ。定演ではなくサマーコンサートだったけれども,当日券で聴こうと東京まで出かけたのにソールドアウトになっていて,空しく帰還せざるを得なかったことがあるのだ。前売券を買っておくのは,この楽団の演奏会に関してはほぼ必須と考えておかないとね。

● 指揮は三石精一さん。この人はもはや怪物だ。どこが怪物かというと,誕生日が1932年3月28日なのだ。2ケ月後には88歳になっているのだ。それでもって腕が上にあがる。指揮台はけっこう高いんだけれども,ヒョイと上り,ドカッと下りる。あらゆる補助具を要しない。
 という前に,そもそも指揮をするのだ。すべて暗譜でやっているのには驚かないけれども,精緻きわまるであろう曲を指揮するのだ。ぼくなんぞは88歳になったら耳が遠くなって,もはや聴くことを諦めているだろう。

● で,こういう怪物を目の当たりにして,ぼくは将棋の藤井七段を思いだした。41手詰の詰将棋を25秒で解くという。脳そのものは藤井七段とぼくとでそうは違わないはずだろう。
 いくつかの偶然が揃って,時期を逸せずに耕すことができれば,人の脳はここまで驚異的なことをやってのける。希望になるでしょ,これ。

● 音楽と将棋では,たぶん,使う脳の部位が違うのだと思う。88歳でプロ棋士を続けられる人は,おそらくこれからも出ないだろう。
 音楽では,というか指揮では,70歳は洟たれ小僧と言われることもあるそうだから,現役寿命が長めになる。そうだとしても,もうすぐ88歳でここまで体が動くというのは,これまた希望になるでしょ。

● さらに愚想を続けると,この東大オケを指揮していること,若い大学生との接触を保っていることが,まさに88歳のパワーを支える大きな要因のひとつになっているだろう。
 しかも,頭が良くて礼儀正しい東大生たちだ。彼らと接すること,東大オケを指導することは,三石さんにも楽しみのひとつであろうと思う。
 88歳どうしでつるんでたら救いがないよ。いかな三石さんといえども老けてしまうよ。たぶん,ね。

● 曲目は次のとおり。
 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲
 シューベルト 交響曲第7番 ロ短調「未完成」
 マーラー 交響曲第1番 ニ長調「巨人」

横浜みなとみらいホール
● この楽団の演奏でマーラー1番を聴くのは,これが二度目。東大オケが学生オーケストラ初演をした曲でもあるらしい。
 巧いんですよ。間違いなく巧い。しかし,見ていると,大学に入ってから楽器を始めた奏者もいるように思われる。かすかにたどたどしさを留めている。大学生で始めるんだから,明らかに遅い。スロースターターだ。
 しかし,3年か4年でこのオケに混じって演奏できるまでになるんだよねぇ。そのことがむしろ不思議に思える。その不思議をぼくは解くことができない(楽器も頭脳で弾くものなのか)。
 解くことができないから,次のように考えてお茶を濁す。東大オケが上達を促す場として,有効に機能しているのだろう。その場の上にいるのといないのとでは,同じことをしていても上達の度合いが違うのだろう。場が持つ力というのはあらゆる分野においてある。

● 聴衆をステージに引きつける吸引力は,本邦第一かもしれない(ただし,箱根より西,白河の関より北については,ぼくはまったく承知していない)。この点に関して東大のブランド力が影響しているか。あるとしても,僅かだろう。個々の奏者が迸らせる何ものかがそうさせているのだ。
 その何ものとは何か。たぶんだけれども,練習の質量ということになる。そこに込めてきた思いの総量。
 それをステージで一気に発散する。その発散ぶりから,今日まで費やしてきた時間とエネルギー,苦悩(こんな部活,やめてしまおうか)と喜び,そうしたものの大きさを感じることができる。
 それが聴衆をステージに引きつける吸引力になっているのだろう。つまり,たくらんでできることではない。

● だものだから,聴いているぼくらも聴き終えたあとにかなりのカタルシスを与えられることになる。自分も発散したような気になるのだ。いや,気にはならないけれども,こういうものはウツルのだ。遷移する。
 この楽団の演奏は当日券がなくなるほどに満席になる。OB・OGなり同窓会なりが客席を支えているのだろうとは思うけれども,それだけでこのホールを満席にすることはできない。部外者が来ている。それはなぜかと言えば,客席に座っているだけでカタルシスを味わえるからだろう。
 少なくとも,自分を顧みると,そのように考えないわけにはいかない。

● 終演後,コンミスは泣いていたようだ。コンミスにはコンミスにしかわからない苦労があったに違いない。OB・OGが頼みもしないのに,助言という名のプレッシャーを与えてくることもあったかもしれない。
 それらをすべて越えてきて,こみあげてくるものがあったんでしょう。今回は関西公演もあったんだからね。

● というわけなので,はるばる横浜まで来て,2,500円を払って聴く価値が充分にあると断言する。精根と蘊蓄を込めたプログラム冊子の曲目解説も読みごたえがあるが,これは無理に読まなくてもよい。
 しかし,ホールに自分を運んできて,客席に座って,黙って聴くだけの価値がある。演奏がすべてを語るのだ。こちらは自分の受け取れる範囲で受け取ればよい。そういうふうにしかできないはずだしね。