2009年9月30日水曜日

2009.09.27 鹿沼フィルハーモニー管弦楽団第25回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 27日(日)は鹿沼市民文化センターに行ってきた。同センター大ホールで鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会があったので。

● 市民オーケストラってありがたい。彼らに頑張ってもらわないと,こづかいが週8千円のぼくは,オーケストラをライブで聴くことなど叶わなくなる。
 市民オケのメンバーは毎月の会費のほか,演奏会には1~2万円の特別会費を払っているはずだ。自分たちの演奏を聴いてもらうために自腹を切っているわけだ。そうまでしてくれるから,ぼくでもライブ演奏が楽しめるんであってね。
 チケット代は8百円。もちろん,喜んで払います。

● 演しものは次のとおり。
 フンパーディンク 「ヘンゼルとグレーテル」序曲
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
 ドヴォルザーク 交響曲第8番

● ドヴォルザークの第8番。この曲を聴くのは今年3回目になる。宇都宮シンフォニーオーケストラ(5月)と鹿沼高校音楽部(8月)もこの曲を演奏しましたんでね。鹿沼高校の生徒たちの演奏はちょっと懐かしい。
 で,高校生と比べたんでは申しわけないんだけど,やっぱりね,違いますね。演奏に締まりがある。透明度が高い。大きく違ったのは木管。
 それとタイコ。これが締まると全体が締まるんですな。管弦楽というくらいだから,パーカッションは刺身のつまのようなものと思ったら大間違いなんですね。ちなみに鹿沼フィルのパーカッションは髭の男性で,楽団の団長も務めている。

● ドヴォ8ってこんなに素晴らしい曲だったのだと気づきました。もちろん,CDでも聴いている。けれども,CDでこのゾクゾク感を味わうことはできない。
 わが家の音響設備はまことに粗末なものだけども,どんなスピーカをつないでも,どれほど出力を上げようと,生の演奏から伝わってくる波動にとって代わることができようはずがないと思う。

● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。超メジャーなピアノ曲だけど,恥ずかしながら,CDでも聴いたことがない。はるかな昔まで遡ればたぶん一度は聴いているのかもしれないが,記憶の範囲ではちゃんと聴いたのは今回が初めて。
 ピアノは赤澤真由子さん。芸大附属高校から芸大を卒業したその道のエリートだ。まだお若いお嬢さん。ルックスにも恵まれた人だ。

● ぼくからしたら,芸大に行くというだけでとんでもないことなんだけども,そこから先のコンマ何ミリの競争が厳しいんだろうね。トップピアニストと彼女との技術差って,ほんのわずかなんだと思う。けれども,そのわずかな差に才能の壁を見る人たちがたくさんいるんだろうな。
 運も露骨にありそうだな。どんな先生につくか,その先生とうまく人間関係を結べるかっていったあたりの。

● ただね,彼女にその辺の不満や屈託があるようには思えないんですよ。彼女に限らず,音楽に身を投じた人って,そういう人が多い気がするんですけどね。
 好きなことをやっているからなのか。きら星のような才能の持ち主が自分の周りにたくさんいるからなのか。

● フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」序曲も初めて聴く曲。フンパーディンクって名前じたい,初めて聞いた。ワーグナーに師事した人で,代表作がこの童話に材をとった歌劇ということだ。CDにはなっているようだけど,県内のツタヤとかCDショップには在庫がない。

● プログラムも楽しく読めるもの。製本の仕方もお金をかけている感じがする。
 一時,団員と観客の減少によって財政難に陥り,存続が危ぶまれたこともあると紹介されている。定期演奏会も以前は大ホールで年2回行っていたが,年1回しかも小ホールになってしまった。
 今は持ち直してきて,年1回ではあるものの,2年前から大ホールに復帰した。

● いい演奏をするオーケストラは,そのステージがビジュアル的に絵になっているものだと勝手に決めている。奏者のルックスは客席からよく見えるものだが,そういうものでオーケストラのビジュアルが決まるのではない。ピンとした緊張感がビジュアルを作るのだろうね。
 鹿沼フィルはビジュアル的にも鑑賞するに耐えるものだった。奏者の腕や顔の動きを見ながら,彼らが紡ぎだす音に身を任せる快楽を充分に味わわせてもらった。

● ステージにどうも見覚えのある人がいた。帰宅してから,これまでに聴いた演奏会のプログラムを繰ってみたのだが,その人,真岡市民交響楽団のA氏だった。
 複数のオケに参加している人で,でもけっこういるみたいですね。栃響とダブっている人は何人かいるし,鹿沼フィルには学生もいる。

● 感謝の気持ちを込めて手が痛くなるほど拍手を続けたが,1週間前の栃響のときほど,拍手が響かない。会場の音響効果の違いだとすぐに気づいた。
 致し方がないとはいえ,鹿沼市民文化センターの音響効果は総文センターや那須野が原ハーモニーホールと比べてしまってはいけないようだ。

2009.09.20 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 総文センターのメインホールで行われた栃響の演奏会に出かけた。ありがたいことに無料。整理券が必要になるんだけれど,これはネットで申し込める。何の面倒もない。

● 栃響の演奏会といっても,栃響は脇役で,メインは昨年度のコンセール・マロニエで優勝した人たちだ。今回の演奏会は彼らのお披露目でもある。
 弦楽部門で優勝したヴィオラの金孝珍さん(女性)と声楽部門の優勝者である小林大祐さん(バリトン)が登場。
 会場はほぼ満員。早めに行って前の方の席を確保した。

● 演し物はバルトークの「ルーマニア民族舞曲」「ヴィオラ協奏曲」,ヴェルディ「歌劇リゴレット」(抜粋),レスピーギ「交響詩 ローマの松」。最初の「ルーマニア民族舞曲」と最後の「交響詩 ローマの松」は栃響だけの演奏。
 最も引き込まれたのは「歌劇リゴレット」。もちろん,部分的な演奏だった。であっても,歌劇の片鱗に触れるのは初めてのことだ。イタリア語で歌っているので意味なんかわからない。劇の台本が手に入れば目を通しておいた方がいいだろうけれど,意味がわからないことがステージに没入するのを妨げることはないようだ。
 バリトンの小林氏は富山県出身で現在は芸大院のオペラ科で学びの最中にある。大変な声量。自分には7回生まれ変わっても絶対にできない技を見せてもらえるのは,じつにどうも気分がいい。

● 先日の県立図書館でのコンサートでも思ったことだが,芸大に進むほどの人は実技を極める方に行っている分,たとえば教員採用試験などへの対応においては,教育系大学の音楽科の後塵を拝することが多いのではないか。プロのオーケストラもこの不景気で採用を絞っているだろう。
 しかし,音楽に限らず芸術,芸能の道はいつだって茨に覆われていたはずだ。彼らの将来に幸いあれと祈るしかない。

● 小林氏と同じ芸大院の西谷衣代さん(ソプラノ)が友情出演。じつは彼女のソプラノにノックアウトされた感じ。あの細い身体からどうしてあれだけの声が出るのか。自分の身体を楽器にするってのはどんな具合のものなのか。
 これを機にオペラの舞台にも出かけていくということにはなりそうもないけれど(地元ではなかなか機会もない),声楽の魅力,豊穣さの一端にはたしかに触れ得たと思う。

● ともあれ。今回も満足して会場を後にすることができた。5月9日以降,これが14回目のコンサートになるけれど,コンサートに時間を費やしたことを後悔したことは一度もない。

● バルトークの協奏曲やヴェルディの歌劇のいくつかはぼくのパソコンにも入っているけれども,じつはまだ聴いたことがなかった。レスピーギの名前は今回初めて聞いた。そんなものなのだ,ぼくは。
 コンサートを機に聴きたい楽曲が拡がっていくのも幸運なことだ。

2009.09.11 間奏7:自分の中の批評家や審査員を野放しにしてはいけない


● ちょっと前に茂木健一郎『カラヤン』を読んだ。昔から最も有名な指揮者といえばカラヤンで,しかも知名度は圧倒的だ。
 ゆえに,同じ楽曲をカラヤン指揮のものとそうじゃないものとを聴き比べて,やっぱりカラヤンは滑らかだよねぇなんて言う手合いが昔からいたはずだ。CDを買うときも,カラヤン指揮のものがあればそれを選ぶっていう人も多いでしょうね(と思ったら,今どきはカラヤンを否定する人が多いんだってね)。

● ヴァイオリンだと諏訪内晶子さん,ピアノなら内田光子さんを偏愛する人もいるね。
 ウチのヨメなんか,同じ飛行機に乗り合わせたことがあるっていうだけの理由で,諏訪内さんのファンになってるから。皇太子妃候補にあがったことがあるっていうのも影響してるね。
 で,諏訪内さんのヴァイオリンは音に深みがあって,ヴァイオリンの音色は好きじゃないんだけど,彼女のヴァイオリンだけは聴けるのよ,なんて言っている。
 どう考えたって,諏訪内さんと他のプロの音を,ヨメが聞き分けられているとは思えないんだけどね。

● 自分の中に住む批評家や審査員を野放しにしてはいけないと思っている。自らの好みに忠実である権利は当然行使するとしても,頭脳が先走った批評や審査はつまらないこと夥しい。そこに行っちゃ終わりだと思っている。
 もっとも,いまのぼくのレベルだと,同じ楽曲について複数の演奏を聴き比べるどころではなく,聴いたことのない曲がメジャーどころに限っても相当あるっていうね,そんなところだからね。

2009.09.10 間奏6:日本は音楽大国だということ


● アマチュアオーケストラが日本ほど活発に活動している国はないんだそうだ。市民オケ,大学オケ,企業オケ。数えきれないほどのアマオケが年に1回か2回の定期演奏会を実施し,それに向けて練習を重ねている。楽器を演奏できる人がたくさんいるってことだよねぇ。
 またそれを聴きにいく人もたくさんいるってこと。真岡市民交響楽団の定期演奏会でも,宇都宮大学管弦楽団の定期演奏会でも,会場の大ホールの7割方(の座席)が埋まる。すごい話だ。

● 日本では全世帯の4分の1がピアノを所有しているらしい。独身の若者や後期高齢者の単身世帯を含めた全世帯の4分の1だ。こんな国は日本以外に世界のどこにもない。
 ピアノに関しては,持っているけど使ってないってのがほとんどだと思うんですよ。家庭内にある諸々のブツの中で日常的に使われているのは,冷蔵庫や洗濯機,テレビなどの家電や電球,蛍光灯程度のもので,滅多に使われないモノの方がむしろ多いんだと思う。
 だけど,ピアノほど場所を占有しながら使用頻度が少ないモノも珍しいかもしれない。昔だったら応接間の書棚に置かれた百科事典がそうだったけど。
 しかし,ま,使わずとも,所有していることの効用ってのもあるんだろうしさ。

● さらに,年の瀬の「第九」。いつからどういう理由で年末に「第九」を演奏・合唱するようになったのか,それが年中行事になるまで普及したのはなぜなのか,そういうことは知らない。
 が,この時期に日本で消費される「第九」がどれほどの量になるか。目が眩むほどではないか。宇都宮市だけでも3回はある。ぼくが知らないだけでほかにもあるかもしれない。
 ポップスでもなくジャズでもなく,クラシック音楽。しかも,ベートーヴェンの第9番といえばシンフォニーの最高峰に位置する楽曲でしょ。それを第1楽章から第4楽章までそっくりぜんぶ消費する。強靱な胃袋を持った人が日本には多数存在するのだ。

● こういうものを支える源は何かっていうと,「お稽古ごと好き」ですよね。子どもができると,小さい頃からピアノを習わせる,ヴァイオリンを習わせる。
 お稽古ごとが好きだっていうパトスはどこから来るものなのかねぇ。なにがしかの効用があると思っているからこそ,時間とお金をかけて子どもにお稽古ごとを授けようとするのだろうからね。
 子どもにピアノを習わせる,そのためにピアノを購入することが,セレブやハイソと称される世界に片足を突っこむことになるという錯覚があるのか。音楽をやることが情操を養うとか,文化・教養を高めることにつながると,思いこんでいるのか。

● しかし,錯覚だろうと思いこみだろうと,その結果はかくも凄いことになっている。ぼくもその恩恵を享受させてもらっている。
  親がお稽古ごとをさせてくれたおかげで楽器を演奏できるようになった人たちは,音楽を終生の趣味にできる(嫌いになる人もいるだろうけど)。
 たんに聴くだけではない。演奏する側にあっての趣味だ。このことは相当以上に彼の人生を彩ることになるだろう。辛い人生を押し渡っていくうえで,彼は音楽に何度も助けられることだろう。

● それはともかく。
 日本ではプロに迫るレベルのアマオケもいくるかあるようで,たとえばアマデウス管弦楽団,オーケストラ・ダスビダーニャ,新交響楽団,ブルーメン・フィルハーモニー,ル・スコアール管弦楽団,東京アカデミック・カペレなどが著名な存在のようだ。
 大学オケでは早稲田大学交響楽団,慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ,東京大学音楽部管弦楽団,東京大学フォイヤーベルク管弦楽団のレベルが高いらしい(インターネット情報ですけどね)。
 やっぱりね,入試の偏差値に比例ですね。どうやらミスコンなんかもそうらしんですね。名のない大学のミスコン優勝者よりも慶応とかのメジャーどころの優勝者の方が綺麗だっていうね。妙に納得しやすいところが困るんだよなぁ。

● 日本ではアマオケが活発で演奏者の裾野は相当に広い。しかし,プロとアマトップの差に隔絶したものはないようでもある。
 その点,欧米では裾野は狭いけれども,トップは凄い。ウィーンフィル,ベルリンフィル,ニューヨークフィルなどなど。
 してみると,広く掘れば深く掘れるというのは本当なのかどうか疑ってみる必要があるね。
 日本は貧富の差が少ないとされるが,差が少ないのは貧富に限らず,知性・教養や人生観も然りだ。他を圧して有無を言わさぬ高みに至る人って,日本では少ないようですよね。
 いや,そんなことないよ,おまえが知らないだけだよ,ってか。

2009.09.06 ヴァイオリンとピアノによるコンサート-栃木県立図書館第120回クラシック・ライヴ・コンサート

栃木県立図書館ホール

● 6日は栃木県立図書館が開催している「クラシック・ライヴ・コンサート」に。年間10回程度開催してて,今年は3回目。過去の2回は他のコンサートと重なったり,家族旅行と重なったりで,ぼくが顔を出すのは今回が初めて。
 県立図書館がこういう催しをやっていることは,当然,今年になってから知ったわけだが,通算で120回目になるんだそうだ。

● 今回は「ヴァイオリンとピアノによるコンサート」で,ヴァイオリンは廣瀬麻名さん。ピアノは大岡律子さん。
 大岡さんは栃木県の出身で,県立図書館のこのコンサートの常連的演奏者のようだ。廣瀬さんは大岡さんの学友。
 ふたりとも芸大附属音楽高校から芸大を経て,現在は芸大院の博士課程に在学中。20代後半のお嬢さん方。

● 演しものは,ルクレール「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ長調」,サラサーテ「バスク奇想曲」,ドビュッシー「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」,プロコフィエフ「5つのメロディー」(の一部),ベートーヴェン「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第9番クロイツェル」。
 錚々たる曲目が並んでいるでしょ。とはいえ,この中でぼくがCDで聞いたことがあるのはベートーヴェンのクロイツェルだけなんですけどね。

● ぼくが初めて買ったクラシック音楽のCDがじつはドビュッシー。ドビュッシーは吉行淳之介つながりなんです。若い頃に吉行さんの作品はすべて読んだ。その彼が戦時中,空襲を受けて逃げたときに,自宅から持ちだしたのがドビュッシーのレコードだったと書いているんですね。エボナイトのレコードがずっしりと重かった,と。命に係わる事態にあって,持ちだしたのが何の役にも立たないレコードたったことに,自虐とそれ以上に自負を籠めているんでしょうね。
 とまれ,彼が受け容れていたのであれば,自分も聴いてみようと思ったんですね。が,今に至るまでその1枚のCDを通して聴けたことはない。
 そのドビュッシーの最晩年の作品を生で聴けて嬉しかった。が,生でもいまいちピンと来なかったってのが正直なところ。
 もともと自分の感性をあまり信用しているわけではないんだけれども,いよいよ自信をなくすね。

● ルクレールやプロコフィエフの作品はぼくには未知。まだまだ聴くべき曲があるってこと。何がなし,嬉しくなる。長生きしなきゃって思う。

● このコンサートは設えられた舞台がない。当然,舞台の袖もない。演奏を終えて引っこんだ奏者の様子が見える。楽屋もないから,休憩時間に外にでると彼女たちがノビをしてたりくつろいでる様子が見える。その屈託のなさを見ていると,芸大の院生といえども,普通のお嬢さんなんだなぁと(当然のことを)感じる。

● その屈託のなさを眺めて思った。彼女たちも千人にひとりの才能の持ち主に違いない。しかし,それほどの才能を持ってしても,音楽でメシを喰っていくのは並大抵のことじゃなさそうだ。
 実力以外に運も味方にできなきゃいけないんだろうし,その実力にしても紙一重のところに雲霞のごとくきら星たちが蝟集している。
 今はとにかく好きな音楽に打ち込んでいられる。しかし,博士課程を終えたあとはどうなるのか。中学や高校の音楽教師への道も,実技に打ち込んできたがゆえに,難しいかもしれない。
 しかし,事前にそんなことを考えてビビっているようなヤツは,何ごとも為すことはできないとしたものだ。安定志向を捨てないと,ひとかどの仕事はできないのがこの世の仕組だ。たいていの人はビビリなので,ぼくのようになってしまうのだ。

2009.09.04 ハイドン没後200年記念コンサート

那須野が原ハーモニーホール 小ホール


● 9月4日には三度目の那須野が原ハーモニーホール。小ホールでハイドン没後200年記念コンサート。7月にはメンデルスゾーン生誕200年記念コンサートがあった。それと同じシリーズのもの。
 ホール館長の丹羽正明氏によるハイドン解説が18:30からあって,19:30から演奏が始まった。

● 演奏された曲目は弦楽四重奏曲変ロ長調「狩」,ピアノ三重奏曲ト長調,ピアノ・ソナタ第49番変ホ長調(第1楽章のみ),弦楽四重奏曲ハ長調「鳥」。
 ハイドンっていうと多作で長生きした作曲家という程度のイメージしかない。代表作が何なのかもよく知らなかった。中学校の音楽の時間にハイドンのどれかを聴いたことがあるはずだが,それ以来の再会である。
 それゆえ,だいぶ蒙を啓かれましたね。ハイドンってイギリスの人だと思っていたくらいだからね。

● 演奏するのはヴァイオリンが澤亜紀と古賀智子,ヴィオラが青野亜紀乃,チェロが山澤慧,ピアノが大伏啓太の諸氏。全員が芸大,芸大院の学生さん。この日から芸大の大学祭(藝祭)が始まっている。忙しい学生さんたちである。
 あどけなさをかすかに残す若い学生っていいね。ぼくのごとき初老のじいさんから見れば,みんな可愛い。チェロの山澤君はちょっと生意気そうな感じが良かった(実際には生意気じゃないんだと思うけど)。通常の商取引のように,サービスする側がお客に媚びるのはやらないでほしい。ステージ上では,ふんっ,あんたらにこの音楽がわかるのかい,っていうくらいのふてぶてしさを醸しててほしい。

● アンコール演奏の後も拍手がやまず,彼女たち,「鳥」の一部を再演奏してコンサートを終えた。
 弦の奏者ってスタイルがいいよね。オーケストラでも一番観客に近い場所を占める。見られる仕事だってのがわかっているのだろうかねぇ。

● 芸大の学生だというだけで,音楽のレベルは問題なしと信じてしまうのがぼくのレベル。芸大まで辿りついた人たちは尊敬の対象。千人にひとりでしょ。東大や国立医学部より難関だ。
 才能に恵まれた少年少女が小さい頃からたくさん練習し,その中の一部が芸大に進む。その先もいろんな形で選抜があるんだろうけど,その位になるとぼくの耳は文字どおりの馬の耳だ。その違いなど聴いたってわからない。

● そういう人たちが演奏してくれて,ホールで聴くことができる。その代価,わずかに2千円。今回もまた元は取った。