2015年3月10日火曜日

2015.03.08 那須野が原ハーモニーホール合唱団第9回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● この合唱団のメンバーは,ハーモニーホールを運営する那須野が原文化振興財団が実施している合唱団養成講座の受講生でもある。したがって,これは那須野が原文化振興財団の主催事業になる。
 それかあらぬか,チケットは200円。開演は午後2時。

● ともあれ,9回目にして初めて聴きに行くことになった。なぜ今回行くことにしたのかといえば,演目がフォーレの「レクイエム」だったからだ。
 1月末に,同じハーモニーホールで宇都宮合唱倶楽部の「レクイエム」を聴いているけれども,一回聴いたから気がすむということではない。何度でも聴けるときに聴いておきたい。

● その「レクイエム」。宇都宮合唱倶楽部のときはピアノ伴奏だったけれども,今回は管弦楽が入った。
 地元のモーツァルト合奏団。弦以外はすべてエキストラになるのは仕方がないところ。
 オルガンはジャン=フィリップ・メルカールト氏。ソプラノは袴塚愛音さん。バリトンは押川浩士さん。指揮は片岡真理さん。

● 管弦楽が入るか入らないかで,印象がぜんぜん違ってくる。当然だ。音の色がモノクロからカラーになる。それ以前に音の厚みだ。まったく違ってくる。管弦楽なればこそ,オルガンも映える。
 ステージで演じられる以上,オーケストラであれ室内楽奏であれピアノやヴァイオリンのリサイタルであれ,聴くだけで完結することはない。観る楽しみがある。管弦楽が入ることによって,この観る楽しみが何倍にもなる。

● 合唱団は洗練されているとは申しあげにくい印象だ。が,神を讃える,あるいは神の前に跪くのに,さほどに洗練が必要だとも思われない。
 伝わるべきもの(とこちらが勝手に判断しているところのもの)は充分に伝わってきた。

● 山高きがゆえに尊からず。合唱も巧けりゃいいというものではない(のだと思う)。
 拙より巧がいいに決まっている。それはそうなんだけれども,そして巧であればそれ以外の傷の大半は覆い隠されるものだと思うんだけれども,巧において不充分であっても,真摯さであったり素朴さであったり,そういうものが巧における不充分を補うことはある。
 むしろ,そういう場合のほうが,客席に届くものが大きくなることがある。もちろん,聴衆が求めるものとの相関がある。求めるものはそれぞれ違うから,一概に場合分けはできないのだけれど。

● 一番の収穫は袴塚さんのソプラノを聴けたこと。
 栃木県のしかも大田原市の出身とのことなんだけど,おそらく生まれたのがたまたま大田原だったってだけで,栃木県の空気を吸った期間はそんなに長くはないのではあるまいか。
 なんでかっていうと,雰囲気がアーバンだったからね。栃木がどっかに染みているって感じは皆無だったから。

● それはともかく。透きとおるようなっていうのは,彼女の声のためにある言葉じゃないですか。今まで存じあげないままで申しわけありませんでした,っていう気分になった。
 という次第で,フォーレ「レクイエム」を満喫できた。楽しませてもらったなという感じ。

● その前に野口雨情の童謡がメドレーで披露された。「七つの子」など全部で9曲。ピアノ伴奏は藤本美玲さん。
 こういうのを聴くと,自分は自分で思っている以上に日本人なんだなと実感する。ここでこう反応するのは自分が日本人だからなんだろうなと思うことは,じつにしばしばある。ところが,自分が意識できないところにも日本が詰まっているんだなぁ,っていう。

● 野口雨情って,童謡の歌詞から想像されるのとは違って,相当以上に不羈奔放というか勝手気儘というか,周りに迷惑をかけることを厭わないというか,直情径行の人だったように思う。
 名家に生まれて,なに不自由なく育って,東京の大学に入って,文学にかぶれて,反体制に入れあげて(半ば以上は気分でやっていたのではないかと思う),結婚して,芸者に入れあげて,人妻といい仲になって,離婚して。そして,後世に名を残す。
 ま,彼だけが特別ということではないんだけど。それくらいの人じゃないと,作品を結晶化させることはできないのだろうけど。

● が,ぼくらにとっての問題は,彼の人がらとか性格ではなくて,彼が残した詩(詞)だ。ある時代の日本の一断面がぎゅっと圧縮されてこめられている。それができるのは,ごく限られた人だけだ。
 こうして童謡になって,今でも聴くことができる。聴けば自分に染みいってくるのを感じることができる。あってくれてよかったと思える公共財のひとつだ。

● 「花は咲く」も。震災復興応援歌という前提で聴いてしまうので,「叶えたい夢もあった」というところでグッとくる。津波に吞まれた幼稚園児や小学生,中学生,高校生。
 プロのサッカー選手になりたい。宇宙飛行士になりたい。看護師になって人の役に立ちたい。きれいなお嫁さんになって元気な赤ちゃんを産みたい。
 それこそ,叶えたい夢が亡くなった人の数だけあったに違いないのだ。

● モーツァルト合奏団も,バッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏。以前,自治医大管弦楽団の演奏会で,「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」を聴いたことがあった。かなりのお得感があった。
 今回も同じ。バッハのこの種の曲って,生で聴ける機会があまりない。けれども,聴いてみると何ともいえない充実感がある。

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