2016年1月13日水曜日

2016.01.10 アウローラ管弦楽団第14回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 東京には数えきれないほどのオーケストラがある。その中のいくつかは毎年一度は聴きに行っていたりする。合奏団ZEROとか,今回のアウローラ管弦楽団とか。
 それ以外にも水準の高いところがいくつもあるに違いない。だけども,ここは縁というものなのだろうな。あるいは,栃木から行きやすい時期(つまり,“青春18きっぷ”が使える時期)に演奏会を実施しているからだろうかなぁ。

● アウローラ管弦楽団の演奏を聴くのは,これが6回目になる。ロシア音楽をもっぱら演奏する楽団というところに惹かれた。それが,行ってみようと思うキッカケになったと記憶する。
 けれども,ロシア音楽を専門にしているところは,アウローラのほかにもあるし,フランスを専門にしているところもあったりするわけで,その中から行くところと行かないところが出るのは,やはり縁と考えるしかないかな。

● もっとも,一度でいいやとならないのは,演奏水準に確たるものがあるからで,それは今回も余すところなく発揮されたように思う。
 今回の曲目は次のとおり。指揮は田部井剛さん。
 グラズノフ 交響曲第7番 ヘ長調「田園」
 チャイコフスキー バレエ音楽「白鳥の湖」
 開演は午後1時半。チケットは1,000円。当日券を購入。

● で,“余すところなく発揮された”のは「白鳥の湖」。こちらは勝手に組曲を演奏するものだと思いこんでいたんだけど,そうではなく全曲を演奏(文字どおりの全曲ではない)。
 プログラムノートにあった言葉によれば「舞踏交響曲 白鳥の湖」。「舞踏交響曲」とは言い得て妙だ。「各幕を交響曲の楽章と見なし,4幕から成るバレエ音楽がまるで4楽章制の交響曲のように構築され」ていると,評されてきたんですか。

● 「情景」で奏される「白鳥の主題」は,オデットが王子に私はここよと懸命に告げている,のに,うまく伝わらないその切なさを,管弦楽が総出で奏でるに足る旋律に置き換えたもの。
 大衆性もあって,これだけでチャイコフスキーは天才と認められて然るべきだと,偉そうに語っておくけれども,同時にここで涙腺が緩むのは俗物の証でもあるのだと思う。
 で,ぼくは紛れもない俗物なのであって,長いこの曲に何度か登場する「情景」のところで,グッと来るのを抑えるのに苦労するのだった。

● やはり,ここでの主役は美しくかそけき乙女であってほしい。イメージの貧困なぼくは,松本零士さんが描くところの「メーテル」とか,石ノ森章太郎さんが描く「サイボーグ003」くらいしか,この場面に似合う女性は思い浮かんでこない。
 「メーテル」はたぶん,スラヴ系ではないかと思うので,まんざらロシアとつながらないわけでもあるまい,ということにしておく(「003」はフランス人だったか)。

● 演奏する団員も全力投球。長丁場でも集中を切らすことなく,抜いてはいけないところで手を抜くことを自ら戒め,自分に鞭を入れ続けたという印象。
 もっとも,ストイックにそうしたというよりも,曲が無言のうちにそうするよう要求してくるわけだろうし,また,そうさせるだけの吸引力も持っているのだろう。

● あと,当然ながら指揮者。身体の全部,表情筋もすべて使って,渾身のリード。
 こういうとき,客席の役割っていうのもあるのだろうな。具体的に何をするということではなくて,演奏をしっかりと客席が受けとめていれば,そのことはステージに伝わるはずだ。それが,ステージの集中を強化するということ。
 演奏の幾ばくかは客席が作るのだと思えないと,聴いてても張りがない。だからそう思うことにする。

● という次第であって,ステージから発せられるエネルギーに気圧され,心地よく会場をあとにすることができた。

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