2017年9月30日土曜日

2017.09.24 那須フィルハーモニー管弦楽団 名曲コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 開演は午後2時。チケットは500円。当日券を購入。
 じつに安い料金でありがたい。が,わが家の最寄駅から西那須野駅までは片道580円になる。そこからホールまでバスに乗ると200円。チケット代の何倍かの交通費がかかる。

● というセコい話を始めたので,つまらない話を続けることにする。わが家からハーモニーホールに行くのに一番便利な手段は車だ。時間帯を問わず渋滞はない。スムーズに着ける。時間も最短ですむ。
 が,ぼくはあまり車の運転が好きじゃないんだろうと思う。毎日,往復で60㎞を通勤のために走っているだけで,休日にまで運転をしたいとは思わなくなる。

● というわけで,電車で出かけることになるんだけど,電車の良さっていうのは他にもある。車内で何でもできるってことだ。自分で運転していると,せいぜいラジオかCDを聴くことくらいしかできないけれども,電車なら居眠りできる。
 本を読んでもいいし,音楽を聴いてもいいし,何もしないでピープルウォッチングをしてもいいし,妄想の世界に遊んでもいいし,ビールを飲むことだってできる。もちろん,その他大勢の一員になって,スマホをいじっていてもいい。とにかくやれることが多い。自由度が高い。
 なので,どこかに行くためではなくて,電車に乗るために切符を買うことが,じつはわりとある。

● 西那須野駅からハーモニーホールまでは歩くことが多い。片道30分。天気が良ければ,まずバスに乗ることはない。
 バス代を節約するとか,健康にいいからとか,そういうことではなくて,ウォークマンのイヤホンを耳に突っこんで歩くのが,そのまま音楽を聴く時間になるからだ。
 歩いているときが,唯一,音楽を聴ける時間だ。家では聴かないんだから。

● 往復で1時間歩くんだから,ブルックナーだろうがマーラーだろうが,聴こうと思えば聴ける。歩きながら聴くのに,ブルックナーやマーラーが相応しいかどうかは別にして。
 さらにいうと,歩きながら聴くのは聴いたことになるんだろうか,という疑問もある。歩きながらじゃ,聴くことに集中するってできないからね。

● そんなことは家でもできるじゃないかと言われるかもしれないけれど,家で本を読んだり音楽を聴くのって,できない。ぼくはできない。
 家には同居人がいるからってのもあるかもしれない。けど,同居人が不在のときでも,家で本を開いたりCDをかけたりする気にはならない。どういうわけのものかわからないんだけど,“家にいる=何もしない”が成立してしまう。
 ちなみに,家の付近を散歩するという習慣はない。

● ぼくはこうして生演奏にはしばしば出かけるんだけど,それ以外に音楽を聴くための時間を取ることをしていない。これで音楽好きといえるんだろうかと,自分でも時々思う。聴く範囲が広がらないし,理解も深まらない。忸怩たる思いはある。
 生活スタイルの抜本的見直し(?)が必要かなぁ。そのための資材も揃えてみるか。といって,モノが増えるのを極端に嫌がる自分。ミニコンポすら持ちたくない。

● というわけなので,電車賃は自由を得るための代償。チケット代の何倍になろうと,これは致し方がない。できれば,電車賃が安くなってくれるとありがたいんだけど。

● 曲目は次のとおり。指揮は田中祐子さん。
 ドヴォルザーク スラブ舞曲第1集より第1番 ハ長調
 ヨハン・シュトラウス 雷鳴と電光
 プッチーニ オペラ「ラ・ボエーム」より“ムゼッタのワルツ”
 ヨハン・シュトラウス オペレッタ「こうもり」より“公爵様,あなたのようなお方は”
 ブラームス ハンガリー舞曲第6番 ニ長調
 ボロディン ダッタン人の踊り
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」

● 曲間に田中さんのサービス精神に満ちたMCが入る。当意即妙。身についているところがすごい。これは指揮者だからできるもの。
 こういうのは,もうやめちゃうのと思われるところでやめておくのが吉。やりすぎると一転してうるさいだけのものになってしまうのだが,その辺も心得たもの。

● “ムゼッタのワルツ”と“公爵様,あなたのようなお方は”では,ソプラノの長島由佳さんが登場。
 また,どうでもいい話。公爵様というのは,公爵なのか侯爵なのか。日本の爵位は明治期に,“公爵-侯爵-伯爵-子爵-男爵”と定められた。が,この爵位ってどの程度世の中に通用したんだろ。最初から最後まで認知度は低いままだったのではないか。
 で,爵位は欧州にもあるけれども,日本の5位制にピタリとはまってくれるわけではないもんね。公でも侯でも,そんなのはどっちでもよい。早い話が,公爵と侯爵の違いを説明できる日本人なんて,専門家を覗くとほとんどいないでしょうしね。

● 白眉は,ストラヴィンスキーの「火の鳥」。那須フィルには挑戦だったと思う。挑戦してこれだけの結果を出せれば,大したものだ。
 挑戦する場を持っているって,それだけでも凄いことだよね。ぼくなんか,こんなふうにコンサートを聴いた感想を書いたりしてるんだけど,聴く側より演奏する側の方が,位が上。蘊蓄の差も大きいはずだ。
 演奏する人って,ひょっとすると,聴衆よりも他の奏者に向けて,弾いているのかもしれないな。演奏をきちんと評価できるのは,自らも奏者である人に限られるような気がするよ。

● ともかく,「火の鳥」は良かったと思う。バレエでも,体の柔らかい人が足をあげる動作より,固い人が努力して上がった足のほうが美しいという。
 プロの楽々とした演奏より,努力した結果の演奏の方が,たとえ到達点は低くても,客席に届くものは大きいことがある。

● 「火の鳥」を聴くたびに思うのは,これにどういうダンスを振り付けたんだろうってこと。バレエ曲なんですよねぇ。
 「火の鳥」を取りあげるバレエ団が今どきあるのかどうか知らないけれど,DVDを探せばあるんだろうか。
 と思っていたら,ちゃんとあるんですね。YouTubeで,ゲルギエフ指揮のマリンスキー劇場管弦楽団の演奏で踊っている「火の鳥」を見ることができるんでした。
 なるほど,ちゃんと踊れるんだ。バレエといえば「白鳥の湖」しか知らない人間が,あれこれ想像しても仕方がないということですなぁ。

● 初めて那須フィルの演奏を聴いたのは2010年だったか。当時の那須フィルと今の那須フィルを比べてみれば,だいぶ腕が上がっているのは間違いないように思える。
 それが田中さんの手腕によるものか,前任者の大井剛史さんが仕込んだ酒麹がちょうど発酵の時期を迎えたものなのか,そこはわからない。

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