2018年6月27日水曜日

2018.06.23 上智大学管弦楽団 第106回定期演奏会

新宿文化センター 大ホール

● 新宿文化センターにはすでに3,4回は行っている。が,それでも新宿駅から文化センターまで迷わずに行くことができない。田舎者にとって,新宿はまさしく魔都。
 だいたい人が多すぎるのだ。人の動きでメインストリートを嗅ぎ分けるのに,どの道路も人,人,人だから,訳がわからなくなるのだ。

● とにかく辿り着いたんだけど,最短距離をササッと通ってきたのか,だいぶ遠回りをしてしまったのか,それすらよくわからない。
 この街を自在に泳ぎ回れる人は,すごいと思う。ぼくはもう諦めている。

● この楽団の演奏を聴くのは,今回が初めて。事前に名声を聞いていたのでぜひ一度は聴いておきたいと思っていたということもない。東京でポッカリと空き時間ができることがわかったので,“オケ専”を眺めて決めたという,どうにも締まらない理由による。
 ただし,若い人たちの演奏っていうのは,それだけでこちらに届くものがある。大学オケなら聴いて後悔することがないのはわかりきっている。

● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。曲目は次のとおり。指揮は汐澤安彦さん。
 モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調
 ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調

● チェロ協奏曲。プログラム冊子にも「非圧迫民族ニグロの音楽」という言葉が出てくるんだけども,この曲は,黒人霊歌やアメリカ先住民の音楽をドヴォルザークのホームであるボヘミア音楽と融和させた作品,として評価が定着しているらしい。
 つまり,交響曲9番と同じく,ドヴォルザークがアメリカに行ってなければ生まれることのなかった作品。

● が,黒人霊歌はともかく,ぼくにはどこがアメリカ先住民の音楽を引いているところなのかがわからない。何というお粗末。
 まぁ,あれだ。蟹が自分の甲羅に似せた穴を掘るしかできないのと同じで,聴き手も聴き手のレベルを超えた聴き方はできないという,あたりまえのことを感じたわけだ。いくら曲や演奏が良くても,それをどう受けとめるかは,聴き手の問題でね。
 その聴き手の問題であるものを,曲や演奏のせいにしないようにすることは,こちら側のせめてものエチケットだろうね。

● しかし,このチェロ協奏曲が今回の白眉だったろう。ソリストのドミトリー・フェイギン氏に負うところが大きいのだが,管弦楽もよく健闘していたと思う。
 チェロ独奏に絡むことの多かったオーボエとフルートが印象に残るのは当然。絡むというより,そちらの方がむしろ主役だと思えるところもあるわけで。

● ドヴォルザークの7番。8番と並んで,9番の次に演奏される機会が多いらしいのだけど,この曲を生で聴くのは,これが二度目か三度目か。8番に比べるとずいぶん少ないよねぇ。
 全体的にコンミスの存在感が圧倒的だった印象。最も目立つ位置にいるから,そうなりがちではある。もちろん,コンミスだけでオーケストラが成立するはずもないので,2ndヴァイオリンにもヴィオラにも名手がいる。
 個々の奏者間のばらつきは比較的少ない楽団だと思えた。

● こういうコンサート,ぼくはほぼ百パーセント,一人で聴きに行く。終演後にカフェやバーに立ち寄って,聴いたばかりの演奏を肴にして,誰かと何ごとかを語り合いたいと思ったことは,ただの一度もない。
 そんなことをしなくても,こうやって感想を書き留めておくことはできる。が,それ以上に,語り合えるほどの感想を持ち得る自信がないからだ。良くいえば,自らの分を弁えているのだね。
 それからもひとつ。語り合うという形にしてしまうと,話が具体的・瑣末的になりすぎるきらいがあると思っているゆえでもある。あそこでちょっと事故っちゃったねぇ,とかね。それは感想かね。バカバカしい。

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