2018年10月29日月曜日

2018.10.27 栃木フィルハーモニー交響楽団 第47回定期演奏会

栃木市栃木文化会館 大ホール

● この楽団の演奏を聴くのは,これが2回目。6年前に第41回定演を聴いている。なにゆえこれほどに間が空いたのかといえば,栃木市は遠いからだ。
 ぼくのような県北で呼吸をしている人間にとっては,栃木,佐野,足利というのは,別世界のエリアになる。宇都宮線(東北本線)で動けるところは距離に関係なく近い。が,小山で乗り換えなければならなかったり,東武電車を使わないと行けないようなところは,極端な話,東京よりも遠い。

● 別世界なのだ。栃木に着いてもこの別世界感がついて回る。自分の住んでいるところの県名が栃木県であることが,すこぶる妙な具合に思えてくる(県名なんてどうでもいいのだけど)。
 なにゆえ別世界と感じてしまうのか。東京でこの別世界感を味わうことはないのだ。大宮でも横浜でもそんなものを感じることはない。

● ひょっとすると,劣等感のせいかもしれないと思ってみる。栃木や足利は栃木県における上方であり,文化の先進地域であって,栃木県では南西から北東に向かって文化の風が吹いてきたのである,と。
 巴波川の水運の残り香がかすかに漂う栃木の市街地を歩いたり,足利の悠揚迫らぬ余裕を感じさせる,たとえば足利女子高の前の通りを歩いていると,宇都宮などただの小汚い田舎町に過ぎぬと思えてくる。まして,ぼくの住む県北エリアなど,場末も場末,化外の地だ。

● そのような理解はたぶん間違っているはずだ。そんな単純な文化史は聞いたことがない。
 であっても,そのあたりが別世界感の所以ではないか。とすれば,その別世界感はぼくが勝手に作ったものだという結論になる。
 ではなぜ,そんな勝手なものを作ってしまうのかといえば,このエリアは,東京や横浜以上に自分にとって遠いものだからだ。こうして円環構造が完成してしまう。滅多に行かない→別世界→遠い→滅多に行かない・・・・・・という具合だ。

● というわけで,別世界感に包まれながら,栃木文化会館の片隅に背中を沈めたのだった。
 開演は午後6時半。チケットは1,200円(当日券)。
 曲目は次のとおり。オール・ロシア。指揮は大浦智弘さん。
 チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より抜粋
 グラズノフ ヴァイオリン協奏曲 イ短調
 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調

● よく練られたアンサンブルであることはすぐにわかる。偉そうな言い方をしてしまうと,栃木県内にそれなりの数がある市民オケの中でも,ここは水準の高い部類に入るだろう。
 対外的な活動は年に1回の定期演奏会だけらしいのだけども,1年なんてすぐに過ぎる。今年ももう11月になるのだ。

● グラズノフ「ヴァイオリン協奏曲」のソリストは横山奈加子さん。この曲はソリストの比重が高いというか,ほぼ出ずっぱりになるというか。管弦楽を黙らせての数分間に及ぶ独奏部分があったりする。
 こういうのって,緊張するのは当然として,かえってやりやすかったりするんだろうか。逆に,いやなものなんだろうか。

● 何気に超絶技巧を要求してくる。困ったことに(いや,困ったことでは決してないんだけれど),名手が弾くと,超絶技巧が超絶技巧に見えないという現象が起こる。なんか普通にやってるね,って感じになる。
 横山さんもそう。その横山さんのヴァイオリンを聴けたのもラッキーだった。

● 野球でも内野の名手はファインプレーをファインプレーに見せないのと同じだ。見る人が見ればわかるけれども,大向こう受けはしない。だから意外に人気がでない。
 同じようなことが音楽の世界でもあるんだろうか。この世界,芸の追求の場でもあるけれども,一方ではショービジネスの要素も色濃くある。そこを高次元で統合できる人って,でもいるんでしょうねぇ。

● ロシアを代表する作曲家は,チャイコフスキーではなくショスタコーヴィチであるべきだと思っている。生きた時代が時代で,少し取っつきにくいのが困るし,中公文庫から出ている『証言』のような偽書(ではないという説もいまだにあるが)が大手を振ってまかり通れる余地があることが,少々以上に厄介ではあるのだが。
 何といっても量がすごい。ここまで量産できた(させられた?)理由はあえて問う必要がない。どんな理由だとしても,それができたことは才能によるとしか言いようがない。

● 中でも今回の5番は演奏される機会が多い。ショスタコーヴィチの代表作だろう。向こう受けする数少ない楽曲だということかもしれない。“よく演奏される曲=名作”とは限らないという留保ははずすわけにいかないけれども,この5番は名作だということにしておきたい。
 パンフレット冊子の曲目解説にも「3か月間で作曲した」と紹介されているけれど,3か月もあればショスタコーヴィチには充分だったろう。拙速が名作を生む例は,音楽に限らず,いろんなところにあるのではないか。

● 地方の小都市にこういう演奏をする市民オケがあるということにも,驚いた方がいいのかもしれない。
 この楽団は栃木市にとどまっていて,外にアピールしようとはしていない(たぶん)。市民オケはそれでいいのかもしれない。というか,そうあるべきなのかもしれないのだが(どこの市民オケもそうだ),実力に比して知名度が低いのでは。機会を見て外に打って出てみてはどうか。
 彼らからすれば,ぼくが別世界にいる人間なので,そのように見えてしまうのかもしれないんだけどね。それに,知名度など得たところで,いいことは何もないかもしれないのだけど。

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