2019年6月3日月曜日

2019.06.02 栃木県交響楽団 第107回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 昨夜から東京のホテルに泊まっている。せっかく東京に来たからには目一杯,東京を満喫したい。東京を満喫するとはつまり,ホテルでマッタリするというのと同義だったりするわけだけども。
 が,朝食を時間をかけて食べただけで,すぐ宇都宮に向かう東武電車に乗った。午後2時から栃響の定演がある。前売券を買っている。

● というわけで,午後には宇都宮市文化会館にいた。チケット(前売券)は1,200円。曲目は次のとおり。指揮は末廣誠さん。
 ベートーヴェン 交響曲第8番
 R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

● 演奏もこの順番。メインはシュトラウスの大曲ということなのだが,どちらかというとベートーヴェンの方が印象に残った。特に第1楽章。
 この曲は生でも何度も聞いているし,CDでもしかりだ。その視聴記憶というか,ぼくの耳に残っているベト8より,今回はわずかにテンポが速かった(と感じた)。その“わずか”の効果はわずかではない。

● 楽章間にあまり間を入れず,一気呵成に走り抜けたのも与っているのかもしれないのだが,緊迫感に満ちた演奏だった。ステージから目を離せない。つまりは吸引力が強いということ。
 栃木県内の他のオーケストラを聴くとそれぞれに届くものがあって,別に栃響なくてもいいかも,などと思うことがあるのだけども,こうして栃響の演奏を聴いていると,この曲をこんな形に造形できるのは栃響だけかもなと思う。
 ま,このあたりはかなりいい加減だ。ご都合主義というかね。

● ベートーヴェンはこの後に第9番という途方もないものを残してくれた。それゆえ,8番が陰に入ってしまっている感がある。
 が,もし彼が第10番を完成させることができたとしたら,おそらくそれは8番の系譜に連なるものではなかったかという気がする。9番の延長線上にあることはないだろう。あのテーマで9番の先があるとは考えられないからだ。

● ベートーヴェンにあと数年の寿命が与えられたら,モーツァルトが最晩年に見せた俗塵の全くない透明感を醸すに至ったろうか。至ったとすれば,その素地となるのは8番しかない。
 いや,ベートーヴェンはそこには行かなかったろうな。慟哭するような無垢な悲痛を見せたのではあるまいか。人間的な,あまりに人間的な。晩期の弦楽四重奏曲を聴くと,おそらくそうだったろうと思われる。

● ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」は各国語に翻訳されて,日本でも岩波文庫をはじめ文庫だけでも数種出ている。読もうと思えば今からでも読める。実際,中学生でこれを読んだという早熟な人もいるだろう。
 そういうおまえはどうなのだと言われれば,ぼくは読んだことがない。若い頃,最初にヘーゲルに手を出してしまったのだ。これがいけなかった。
 タイトルも忘れたが,『法哲学』ででもあったろうか。1行もわからなかった。翻訳が悪いのだろうと思ったが,ドイツ人がドイツ語で読んでもわからないらしいから,翻訳者の責めに帰すのは申しわけない。
 ともあれ,以来,ニーチェにもハイデガーにも手を出すのはやめることにして,今日に至る。

● ということになると,シュトラウスのこの曲を聴いても,隔靴掻痒になるのかならないのか。
 ニーチェの作品を読んでなければ,シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を味わうことはできないとは決して思わないが,しかし,何やらモヤモヤ感は残る。読んだからといって消えるとも限るまいがね。

● ともあれ,シュトラウスは読んでいるわけだ。哲学科の学生だったのだから当然だということではない。
 Wikipediaによれば「1883年2月にわずか10日間で第1部が執筆され,同年6月に出版。続いて,同年夏に2週間で第2部、翌1884年1月に10日間で第3部が執筆され,4月に第2部,第3部が合わせて出版されたが,ほとんど売れず反響もなかった。最後に1885年に第4部が執筆されたものの,これは引き受けてくれる出版社がなく私家版40部が印刷され,その一部が親戚や知り合いに配布されただけであった」とある。が,その時点でシュトラウスはすべて読んでいる(らしい)。
 やはり,わかるかわからないかは別にして,目を通しておくべきかねぇ。指揮者の末廣さんは読んでいるだろうね,当然。

● こういうのって他にもある。「ペール・ギュント」にしたって,イプセンの戯曲を読んでる人は少ないだろう。
 それで何か困ることがあるのかといえば,ないかもしれないのだが(粗筋を知っていればいい),それでも読んでるに越したことはないだろう。原作はたぶん,退屈かもしれないのだが。
 「カルメン」もメリメの小説を読んで,オペラではストーリーをどう変えているのかを知っておいた方が解釈の役に立つかもしれない(立たないかもしれない)。

● というようなことを考えているうちに演奏は終わった。
 むむぅ,これで聴いたといえるのか。

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