2021年1月14日木曜日

2021.01.09 アウローラ管弦楽団 第24回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 昨日から東京都,埼玉県,千葉県,神奈川県の1都3県にコロナの緊急事態宣言が布告された。個人的には仰々しいことであるという以上の感想は持たないが,それですませることができるのは,自分がコロナに直接的な影響を受ける位置にいないからだ。
 コロナがもたらす制約は,畢竟,フェイス・トゥー・フェイスのコミュニケーションを禁じることに帰着する。個対個であれ個対多であれ多対多であれ,面と向かってするコミュニケーション(その大半は会話)を許さない。
 したがって,コミュニケーションを促進するために利用される酒場やレストランは存在基盤を失う。デートの場として選ばれるところは軒並み厳しい。

● ヒトは群生動物だ。群れなければ生きられない。だから集落や都市を作ってきたのだし,会社のような組織も作ってきたのだ。
 そのヒトが群れることができなくなった。群れてはいけないと言われる。リモートワークに代表されるネットを介したつながりも群れの形態の1つではあるのかもしれないが,そうだとしてもそれに慣れるには時間がかかるだろう。
 群生動物が群れることを許されないのだから,当然,ストレスになる。ある程度以上のストレスに長期間耐えることなどできない相談だし,コロナについての情報量も増えているから,今回の二度目の緊急事態宣言に対しては,一度目ほどの律儀な対応はしないだろう。

● そうした中で演奏会はどうなっていくのか。クラシック音楽の演奏会のように観客が喋らないところでは,満席にして催行してもクラスタは発生しないことがこれまでの経験でわかっている。
 だから,思うように練習できなくて演奏会を開催できるレベルまでアンサンブルを整えることができなかったのなら格別,そうでないならば中止したり延期したりする必要はないということになるのだが,現実はそう単純ではないだろう。
 早い話が,ホール側が貸さないと言えば,それまでのことだ。ホールの多くは公営だから,そうなる可能性は高い。地方に行くほどその傾向は強くなるはずだ。

● プロであれアマであれ,演奏する側はやりたいはずだ。アマなら収入の問題ではない。演奏会の本番をやらない(できない)というのは,大きな欠落を作ることでもある。この欠落を埋めるのは生半なことではない。
 ルーティンを崩すと代償が大きい。もし,本番を催行できない状態が1年で収まらず,2年,3年と続くようなら,楽団の維持そのものが難しくなるだろう。

● アウローラ管弦楽団はこれまで通常どおりの演奏会を開催できている。第1の理由は,開催時期が最悪の時期を免れていたこと。つまり,運が良かった。今回も緊急事態宣言があと2週間前に出ていたらどうだったか。
 いや,やったろうな。開催したろう。

● この問題については,プログラム冊子の「ごあいさつ」の中で,楽団の団長(たぶん)が短いながらも力をこめた考察を披露している。
 私の本職はITエンジニアであり,リモートワークの恩恵を最も受けている職種でもありますが,一方で人間というのはやはり現実の空間で,お互いが触れ合うほどの距離感で群れることでしか社会的な生活を維持できない生物であるとも考えています。クラシックの演奏体験も同じであり,(中略)皆でひとつの場所に集まって,お互いの息遣いを感じながら練習する喜び,お客様を身近に感じながら演奏する喜びは,何物にも代えがたいものです。多くのお客様の前で演奏して,拍手喝采を浴びたいというのは演奏者としての本能でもあります。
 いちいちごもっともだ。いずれはコロナを克服して,以前の状況に復することができるだろう。が,それは当分先のことになる。今は臥薪嘗胆と自らに言い聞かせて,先に備えて縄をなうべき時期だ。

● ともかく。こういう時期であってもやるというのだから,こちらも千里の道を遠しとせず,聴きに行く以外の選択肢はないではないか。意気に感ずということがなくては,人生は面白くない。こういう些やかすぎる符合であってもおろそかにすべきではない。
 開演は13時30分。チケットは1,000円なのだが,招待券をもらっていた。曲目は次のとおり。指揮は田部井剛さん。
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 ショスタコーヴィチ 映画音楽「馬あぶ」組曲より
 ショスタコーヴィチ 交響曲第12番 ニ短調「1917年」

● チャイコフスキーとはどういう作曲家なのですかともし訊かれたら,「ロメオとジュリエット」を聴けばわかりますよと答えますかね。短いこの曲にチャイコフスキーのすべてが詰まっているような気がする。
 ある種のおどろおどろしさ。ドラマチックな場面転換。演芸やお笑い芸でいう “つかみ” の上手さ。視聴者サービスと呼びたくなるような金管の使い方。

● この楽団はロシアを専ら扱う楽団として,知る人ぞ知る存在。ゆえに,と言っていいのかどうか,自分が聴いたことのない楽曲が取りあげられることはしばしばある。
 ショスタコーヴィチが映画音楽をたくさん残していることは知っている。が,聴いたことはなかったし,CDも持っていない。
 旧ソ連と映画と作曲家の関連については,プログラム冊子にしっかり解説されている。ともかく,「馬あぶ」を含めて,CDを入手するところから始めるよりしょうがない。

● ショスタコーヴィチを聴くのはときに億劫だ。その理由のひとつ(というか,その筆頭)が裏読み解釈に煩わされることだ。
 “Es-B-C” の音型をスターリンの頭文字と見立てて,ショスタコーヴィチはそれに対する異議申し立てをしているのだと言われると,少々以上に鼻白むではないか。それを演奏会のプログラム冊子で読まされる身にもなってほしい。
 ショスタコーヴィチをスターリン体制批判の哲人(あるいは聖人)に仕立ててしまう愚鈍さはどこから来るのか。陰謀論に傾倒するのと同種のもので,この種の愚鈍さは義務教育終了までに克服しておいてもらわないと困る。

● その点,この演奏会のプログラム冊子の曲目解説では,そういう解釈(?)を理由を付してバッサリ切っているので,溜飲が下がる思いがする。
 総じて,この演奏会の曲目解説やコラムは,楽団の中の誰かが書いているのであろうけれども,ペダンチックと言いたくなるくらいに(言わないが)掘下げて詳しく書かれている。相当な勉強好きがいるのだろう。読みごたえがある。ありすぎてなかなか噛み砕けない。

● ショスタコーヴィチのこの多作さはどうだ。交響曲と弦楽四重奏曲が15もあって,他にヴァイオリン協奏曲やピアノ曲,ジャズ組曲,そして映画音楽。
 強いられた多作という側面があるのだろうが,誰かここを論じてくれないだろうか。誰かというのはつまり,この楽団の中の人を想定しているのだが,ひょっとすると過去に論じているのかもしれないね。

● 演奏は大変な熱演。第1に個々の奏者の技量が高く,第2にコンミスがオケをしっかりグリップできているゆえだろう。これだと指揮者も楽ではないか。
 女性奏者のドレスがカラフルだからではなく,見た目も美しいオケだ。

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