栃木県総合文化センター メインホール
● カフェ・マスターは山田武彦さん。言わずと知れた日本の代表するピアニスト(の一人)にして,洗足学園の教授も務める。
常連マダムが松本志のぶさん。こちらも言わずと知れた元日テレアナウンサー。この二人がホスト役になって,毎回違ったゲストを迎えるという趣向。
といっても,山田なさんは演奏もするわけなので,進行役は松本さんが主に担う形。
● で,今回のゲストは奥村愛さんですよ,と。ぼくはこのシリーズにお邪魔するのは初めてなんだけど,それもゲストが奥村さんだったからですよ,と。
これまた言わずと知れた,日本の代表的なヴァイオリニストにして,ヴァイオリン界を代表する美形でありますね。
● プログラムは次のとおり。
エルガー 朝の歌
クライスラー 愛の喜び
クライスラー 愛の悲しみ
ドヴォルザーク(クライスラー編曲) スラヴ幻想曲
クライスラー 前奏曲とアレグロ
シュトラウス(山田武彦編曲) 「薔薇の騎士」ワルツ
ヘス(加藤昌則編曲) ラヴェンダーの咲く庭で
ブラームス(ハイフェッツ編曲) 5つのリートより第1番
ヴィエニャフスキー 創作主題による華麗なる変奏曲
(アンコール)
チャップリン スマイル
モンティ チャルダッシュ
● 「薔薇の騎士」ワルツのみ山田さんのピアノ独奏。あとは,山田さんの伴奏で,奥村さんのヴァイオリン。
穏やかにあるいは軽やかに始まって,その軽やかさを損ねないようにしつつも,後半から徐々にシリアスさが勝ってくるという感じ。
● が,一気に頂点に駆けのぼった感があるのはアンコールの2曲。
チャップリンの「スマイル」は映画『モダン・タイムス』で使用された曲というのは,事後に知ったこと。初めて聴いた。『モダン・タイムス』も見たことがない。モンティの「チャルダッシュ」は言うにや及ぶ。
最後に頂点が来た。演奏してるほうはまた違うのかもしれないけれども,この組立ては計算されたものであることは言うまでもない。
● 合間合間にトークが入る。奥村さん,サラブレッドですよね。成るべくして成ったという感じ。
もちろん,馬のサラブレッドだって,血統がよければ必ず活躍するかといえば,そんなことはないわけで,音楽界のサラブレッドも途中で消えていった人も多いに違いないとは思うんだけどね。
● 男は美人に弱い。これは間違いない。もっといけないのは,美人は弱いと受けとめがちなことだね。オレが助けてやらなきゃみたいなね。美人=深窓の令嬢=世間知らず=だまされやすい,的に考えてしまうんだな。
実際はそんなことはないわけでね。奥村さんは涼やかな美人だけれども,弱くはない。っていうか,かなり強くてタフ。陽性の人という印象。普段の生活ではあけっぴろげで,あまり構えを作らない人のように思われた。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2015年6月22日月曜日
2015年6月16日火曜日
2015.06.14 宇都宮音楽集団第23回吹奏楽演奏会
栃木県総合文化センター メインホール
● 昨年の第22回に次いで,今回が2回目。裏を返すのは礼儀といいますかね。じつのところ,返していないのもけっこうあったりするんだけど。
チケットは当日券を購入。1,000円(前売券は800円)。開演は午後2時。
● 地元で開催される演奏会に限ってみても,全部をフォローするのはとても無理だ。管弦楽,吹奏楽,ピアノやヴァイオリンのリサイタル。
中学生や高校生の演奏からプロのオーケストラまで。地元の奏者はもちろん,外国からやってくる著名な奏者やオーケストラもけっこう演奏してくれる。
生の演奏に接する機会は,もう充分にある。
● それだけ,音楽好き,演奏好きが多いってことですよね。であればこそ,ぼくらはともかく生演奏を聴くことができるわけだけれども,逆にいうと,管弦楽にせよ吹奏楽にせよ,集客の厳しさっていうのは増すことはあれ,減ることはないように思われる。
おそらく,それぞれに固定ファンがいるのだと思う。この楽団の演奏しか聴かないという頑なな固定ではないだろうけど。
● ともあれ。第1部は吹奏楽コンクールの課題曲から始まった。
ここは毎回,演歌をひとつ,演奏するらしい。今回は八代亜紀の「舟唄」。こぶしまで再現できているような気がした。ブレスの使い方なんだろうか。
● NHK連ドラの主題歌をふたつ。「まれ」と「マッサン」。
ぼくはテレビをまったく見ない生活をしているんだけど,「マッサン」の「麦の唄」のメロディーは何度か耳にしていたんでした。
● 第2部は「こわれた100のがっき」から始まった。新 理恵子さんの語りが入る。絵本の世界(絵+言葉)を音楽と語りで置き換えるという趣向? このパターンもしばらく続いているらしい。
プロコフィエフの「ピーターと狼」があったりするから,この形は吹奏楽ならではってことでもないんだろうけど,そうはいっても吹奏楽の自在性というか,柔軟さが活きる形ではあるんでしょうね。
ずっと続けているということは,この楽団の売りのひとつなのかもしれない。ということは,新さんもこの楽団の重要なメンバーということになる。
● リードの「オセロ」と,ピナの「バミューダ・トライアングル」。
この2曲が聴いてる分には最も面白かった。「バミューダ・トライアングル」は最初のクラリネットのトレモロ(?)が耳に残る。
曲じたいの魅力なんだと思うんだけど,その魅力を体現できる演奏でもあるわけだろう。
● 実際,相当に巧い。この楽団のホームページには,演奏技術は決してほめられたものではないといったことが書かれているけれども,いやいや,なかなかのものでしょ。
って,ぼくが言ってもしょうがないんだけどさ。
● 管弦楽もそうだし,吹奏楽はいっそうそうだと思うんだけども,演奏を楽しむというのが最も高級な聴き方だと思う。
ああだこうだと頭を先行させないで,ただ音の展開を楽しめばいい。身をゆだねればいい。もし,楽しめないような演奏だったら,秘かに苦情を申したてればいい。
なんだか,そういう聴き方ができなくなっているんじゃないかと,少々反省するところがある。
● 昨年の第22回に次いで,今回が2回目。裏を返すのは礼儀といいますかね。じつのところ,返していないのもけっこうあったりするんだけど。
チケットは当日券を購入。1,000円(前売券は800円)。開演は午後2時。
● 地元で開催される演奏会に限ってみても,全部をフォローするのはとても無理だ。管弦楽,吹奏楽,ピアノやヴァイオリンのリサイタル。
中学生や高校生の演奏からプロのオーケストラまで。地元の奏者はもちろん,外国からやってくる著名な奏者やオーケストラもけっこう演奏してくれる。
生の演奏に接する機会は,もう充分にある。
● それだけ,音楽好き,演奏好きが多いってことですよね。であればこそ,ぼくらはともかく生演奏を聴くことができるわけだけれども,逆にいうと,管弦楽にせよ吹奏楽にせよ,集客の厳しさっていうのは増すことはあれ,減ることはないように思われる。
おそらく,それぞれに固定ファンがいるのだと思う。この楽団の演奏しか聴かないという頑なな固定ではないだろうけど。
● ともあれ。第1部は吹奏楽コンクールの課題曲から始まった。
ここは毎回,演歌をひとつ,演奏するらしい。今回は八代亜紀の「舟唄」。こぶしまで再現できているような気がした。ブレスの使い方なんだろうか。
● NHK連ドラの主題歌をふたつ。「まれ」と「マッサン」。
ぼくはテレビをまったく見ない生活をしているんだけど,「マッサン」の「麦の唄」のメロディーは何度か耳にしていたんでした。
● 第2部は「こわれた100のがっき」から始まった。新 理恵子さんの語りが入る。絵本の世界(絵+言葉)を音楽と語りで置き換えるという趣向? このパターンもしばらく続いているらしい。
プロコフィエフの「ピーターと狼」があったりするから,この形は吹奏楽ならではってことでもないんだろうけど,そうはいっても吹奏楽の自在性というか,柔軟さが活きる形ではあるんでしょうね。
ずっと続けているということは,この楽団の売りのひとつなのかもしれない。ということは,新さんもこの楽団の重要なメンバーということになる。
● リードの「オセロ」と,ピナの「バミューダ・トライアングル」。
この2曲が聴いてる分には最も面白かった。「バミューダ・トライアングル」は最初のクラリネットのトレモロ(?)が耳に残る。
曲じたいの魅力なんだと思うんだけど,その魅力を体現できる演奏でもあるわけだろう。
● 実際,相当に巧い。この楽団のホームページには,演奏技術は決してほめられたものではないといったことが書かれているけれども,いやいや,なかなかのものでしょ。
って,ぼくが言ってもしょうがないんだけどさ。
● 管弦楽もそうだし,吹奏楽はいっそうそうだと思うんだけども,演奏を楽しむというのが最も高級な聴き方だと思う。
ああだこうだと頭を先行させないで,ただ音の展開を楽しめばいい。身をゆだねればいい。もし,楽しめないような演奏だったら,秘かに苦情を申したてればいい。
なんだか,そういう聴き方ができなくなっているんじゃないかと,少々反省するところがある。
2015年6月9日火曜日
2015.06.07 栃木県交響楽団第99回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● 今回に限らないんだけど,開場前にはいわゆる長蛇の列。ぼくは列の前のほうに並ぶことが多いんだけど,今回は後のほうになった。
列を作っている人たちを眺めながら,世の中に暇な人って多いんだなぁと思った。当然,自分のことを棚にあげている。ぼくもその暇人のひとりっていうか,ひょっとしたらその筆頭かもしれない。
● 中には寸暇を惜しんでっていう人もいたかもしれないけれども,なんの,ほとんどの人は惜しむ必要もないほどに暇なんだと思うぞ。
暇なればこそ,こういう演奏会に足を運ぶことができる。演奏会に限るまい。人生は暇であってこそ。
● 今回の曲目は次のとおり。指揮者は三原明人さん。開演は午後2時。チケットは1,200円(前売券)。
メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」
リスト 死の舞踏-「怒りの日」によるパラフレーズ
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」
● 交響曲が2つ。最近,こういった重量級のプログラムが多くなったような気がする。
ともあれ,初っぱなはメンデルスゾーンの「イタリア」。CDでは数えきれないほど聴いている。クラシック音楽を聴こうと思っている人に最初に勧める曲として,ホ短調協奏曲は格好なものかもしれない。メンデルスゾーンは入っていきやすいという印象がある。
適度に情緒がこもっている。曲に入っていきやすい気がする。
● 今回は対抗配置。「第九」を別にすれば,栃響が対抗配置を採るのは珍しいように思う。
が,実際のところ,対抗配置だろうとストコフスキー配置だろうと,それによって音の聞こえ方が違ってくるかといえば,どうもぼくにはピンと来ないところもあってね。
並べやすいように並べればいいじゃん,っていうくらいにしか思っていない。まことに聴かせがいのない聴衆(のひとり)であるな。
● 以前は栃響を侮っていたかもしれない。オヤッと思ったのは,2012年の「第九」演奏会から。以後,栃響の演奏水準には一切の文句をさしはさまないことにしている。
今回も同様であって,こういう演奏をしてくれれば,観客が離れていくことはないように思われる。
● リストの「死の舞踏」。ステージの空気が一変した。そりゃそうだ。まったく違う曲調の演奏が始まったんだからね。
ソリスト(ピアノ)は阿久澤政行さんで,彼のピアノはもう何度か聴く機会を得ている。
ぼくなんぞには,ビッグネームのピアニストと彼との違いはわからない。見事に何もわからない。
非常に洗練されているという印象を受ける。緩急自在はさすがにプロという感じ。ときに慈しむように,ときに何者かに挑むように。主張しすぎず,けれども存在感はある。オーケストラとの調和もいい。
何か問題あるのっていう感じだね。
● 愛嬌があるのは天性のものだろう。何もしないでいても笑っているように見える。これ,すこぶる大事。
というわけで,スター性もあるように思うのだが。
● アンコールは一転,カールマン「君のくれた美しさ」。静かで穏やかな曲。静謐っていう言葉はこういうときに使うのかもしれない。
そこにちょっと甘味を加えたような。過ぎ去った私の青春よ,と言ってしまうと少し違うようなんだけど。
● 最後はベートーヴェンの5番。この曲を「運命」と呼ぶのは日本ではあたりまえ。
なんだけど,Wikipediaによれば「これは通称であって正式な題名ではない。この通称は、ベートーヴェンの弟子アントン・シントラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えたことに由来するとされる。しかしこのシントラーの発言は、必ずしもこの作品の本質を表しておらず,現在では「運命」という名称で呼ぶことは適当でないと考えられている」ということ。
● 学術的にはそうかもしれないけれども,“苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ”というストーリーが「運命」という言葉によく絡むんですよね。
いったんこのストーリーが頭に入ってしまうと,それ以外の聴き方はできなくなる。とすれば,「運命」と命名したのは秀逸なんじゃないかと思ってしまうんですよ。
ベートーヴェン個人の人生が背景にあってのこと。有名すぎるんですよね。聴力を失って「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたこと。けれども,その後,きら星のような多くの実りを世に送りだしたこと。
● 演奏も間然するところがなかった。特に,木管が印象的。弦は巧いに決まっている。「イタリア」のあとに,これだけの集中力を持続できるだけでたいしたものだと思う。
が,ノーミスというわけにはいかない。あたりまえだ。ぼくはミスは咎めない派。オーケストラって森のようなもので,森としてどうかが問題だ。木々の一本か二本が,他とは違うそよぎ方をしたからといって,何ほどのことがあろう。
● アンコールはメンデルスゾーンの“結婚行進曲”。この曲を生で聴く機会はそんなにない(ぼくは初めてだった)。
というわけで,トータルでかなりのお得感。7月にも壬生で同じ曲を演奏するらしい(「死の舞踏」はやらない)。指揮者も三原さん。さて,どうするか。壬生まで行くか。
● 今回に限らないんだけど,開場前にはいわゆる長蛇の列。ぼくは列の前のほうに並ぶことが多いんだけど,今回は後のほうになった。
列を作っている人たちを眺めながら,世の中に暇な人って多いんだなぁと思った。当然,自分のことを棚にあげている。ぼくもその暇人のひとりっていうか,ひょっとしたらその筆頭かもしれない。
● 中には寸暇を惜しんでっていう人もいたかもしれないけれども,なんの,ほとんどの人は惜しむ必要もないほどに暇なんだと思うぞ。
暇なればこそ,こういう演奏会に足を運ぶことができる。演奏会に限るまい。人生は暇であってこそ。
● 今回の曲目は次のとおり。指揮者は三原明人さん。開演は午後2時。チケットは1,200円(前売券)。
メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」
リスト 死の舞踏-「怒りの日」によるパラフレーズ
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」
● 交響曲が2つ。最近,こういった重量級のプログラムが多くなったような気がする。
ともあれ,初っぱなはメンデルスゾーンの「イタリア」。CDでは数えきれないほど聴いている。クラシック音楽を聴こうと思っている人に最初に勧める曲として,ホ短調協奏曲は格好なものかもしれない。メンデルスゾーンは入っていきやすいという印象がある。
適度に情緒がこもっている。曲に入っていきやすい気がする。
● 今回は対抗配置。「第九」を別にすれば,栃響が対抗配置を採るのは珍しいように思う。
が,実際のところ,対抗配置だろうとストコフスキー配置だろうと,それによって音の聞こえ方が違ってくるかといえば,どうもぼくにはピンと来ないところもあってね。
並べやすいように並べればいいじゃん,っていうくらいにしか思っていない。まことに聴かせがいのない聴衆(のひとり)であるな。
● 以前は栃響を侮っていたかもしれない。オヤッと思ったのは,2012年の「第九」演奏会から。以後,栃響の演奏水準には一切の文句をさしはさまないことにしている。
今回も同様であって,こういう演奏をしてくれれば,観客が離れていくことはないように思われる。
● リストの「死の舞踏」。ステージの空気が一変した。そりゃそうだ。まったく違う曲調の演奏が始まったんだからね。
ソリスト(ピアノ)は阿久澤政行さんで,彼のピアノはもう何度か聴く機会を得ている。
ぼくなんぞには,ビッグネームのピアニストと彼との違いはわからない。見事に何もわからない。
非常に洗練されているという印象を受ける。緩急自在はさすがにプロという感じ。ときに慈しむように,ときに何者かに挑むように。主張しすぎず,けれども存在感はある。オーケストラとの調和もいい。
何か問題あるのっていう感じだね。
● 愛嬌があるのは天性のものだろう。何もしないでいても笑っているように見える。これ,すこぶる大事。
というわけで,スター性もあるように思うのだが。
● アンコールは一転,カールマン「君のくれた美しさ」。静かで穏やかな曲。静謐っていう言葉はこういうときに使うのかもしれない。
そこにちょっと甘味を加えたような。過ぎ去った私の青春よ,と言ってしまうと少し違うようなんだけど。
● 最後はベートーヴェンの5番。この曲を「運命」と呼ぶのは日本ではあたりまえ。
なんだけど,Wikipediaによれば「これは通称であって正式な題名ではない。この通称は、ベートーヴェンの弟子アントン・シントラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えたことに由来するとされる。しかしこのシントラーの発言は、必ずしもこの作品の本質を表しておらず,現在では「運命」という名称で呼ぶことは適当でないと考えられている」ということ。
● 学術的にはそうかもしれないけれども,“苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ”というストーリーが「運命」という言葉によく絡むんですよね。
いったんこのストーリーが頭に入ってしまうと,それ以外の聴き方はできなくなる。とすれば,「運命」と命名したのは秀逸なんじゃないかと思ってしまうんですよ。
ベートーヴェン個人の人生が背景にあってのこと。有名すぎるんですよね。聴力を失って「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたこと。けれども,その後,きら星のような多くの実りを世に送りだしたこと。
● 演奏も間然するところがなかった。特に,木管が印象的。弦は巧いに決まっている。「イタリア」のあとに,これだけの集中力を持続できるだけでたいしたものだと思う。
が,ノーミスというわけにはいかない。あたりまえだ。ぼくはミスは咎めない派。オーケストラって森のようなもので,森としてどうかが問題だ。木々の一本か二本が,他とは違うそよぎ方をしたからといって,何ほどのことがあろう。
● アンコールはメンデルスゾーンの“結婚行進曲”。この曲を生で聴く機会はそんなにない(ぼくは初めてだった)。
というわけで,トータルでかなりのお得感。7月にも壬生で同じ曲を演奏するらしい(「死の舞踏」はやらない)。指揮者も三原さん。さて,どうするか。壬生まで行くか。
2015年5月31日日曜日
2015.05.31 作新学院高等学校吹奏楽部 フレッシュグリーンコンサート2015
宇都宮市文化会館 大ホール
● 高校の吹奏楽の多くはこの時期に定期演奏会を行っているようだ。が,作新は定演は10月。その代わりにというか,“フレッシュグリーンコンサート”と銘打って,この時期に演奏会を開催している。
秋の定演はすでに3回聴きに行っているけれども,グリーンコンサートは今回が初めて。
● なにゆえにフレッシュかといえば,1年生が入ってきたばかり,2年生,3年生も進級したばかりだからだろうけど,演奏会の内容や構成は定演と同じ。
この学校では年に2回の定期演奏会を開いているようなものだ。
● で,フレッシュと言いながら,上手すぎる。ここからさらに細部を詰めていって,仕上げを施して,吹奏楽コンクールに臨むというわけなのだろうけど,素人にはどこをどう直していけばいいのかがわからなかった。
わかる人にはわかるわけだ。東関東で勝ちあがっていくには,ここからどこまで行けるかの勝負なんだろうから。
● 第1部で特に印象に残ったのは2つ。ワーグナーの“エルザの大聖堂への行列”。「ローエングリン」の中の一節。
腕に覚えがあるんでしょうね。押しだしがいいというか,堂々としているというか。前に前に出る感じ。それがワーグナーのこの曲には合っているというか。
ま,ワーグナーに限らず,たいていはこれで合うんだろうけど。
● もうひとつは,真島俊夫「三つのジャポニズム」より。これはエキゾチック。ジャポニズムと題された曲を日本人が聴いて,エキゾチックと感じるのもいかがなものか。ワーグナーの後に聴いたからだということにしておこう。
曲が面白い。でも,その面白さを客席に伝えることのできる,ステージ側の技術はやはり大したものと言うしかない。
● 第2部では,まず八木節。和太鼓も入った。当然,日本人にあったノリ。入っていきやすい。曲が蓄えている生命力もすごい。
真島俊夫「カリビアン・サンダンス」ではスティールパンという楽器が登場。カリブの楽器らしいんだけど,このスティールパンをたたいた女子生徒がすばらしかった。
リズム感というのでもなく,運動神経というのでもなく,しかしそのどちらでもあって,かつそれ以上のもの。そういうものを持って生まれてきたんだろう。
● 第2部の最後は,ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」。これは管弦楽で何度か聴いている。CDでも聴いている。ので,馴染みがある。
馴染みがあるものを聴くとホッとする。ホームに戻ってきたな,と。吹奏楽はぼくにとってはまだアウェイであるようだ。
● 第3部はドリルステージ。「千と千尋の神隠し」に合わせた合奏とパフォーマンス。誰がデザインするんですかねぇ,ラインの取り方なんかねぇ。
旗の使い方は各校の特徴がありますね。何というか,その特徴が毎年変わらないっていうか。
● クラリネットを吹いていた部員が,3月に芸大に合格したらしい。おそらく,来年も芸大合格者は出るのじゃないか。たぶん,複数。
● 高校の吹奏楽の多くはこの時期に定期演奏会を行っているようだ。が,作新は定演は10月。その代わりにというか,“フレッシュグリーンコンサート”と銘打って,この時期に演奏会を開催している。
秋の定演はすでに3回聴きに行っているけれども,グリーンコンサートは今回が初めて。
● なにゆえにフレッシュかといえば,1年生が入ってきたばかり,2年生,3年生も進級したばかりだからだろうけど,演奏会の内容や構成は定演と同じ。
この学校では年に2回の定期演奏会を開いているようなものだ。
● で,フレッシュと言いながら,上手すぎる。ここからさらに細部を詰めていって,仕上げを施して,吹奏楽コンクールに臨むというわけなのだろうけど,素人にはどこをどう直していけばいいのかがわからなかった。
わかる人にはわかるわけだ。東関東で勝ちあがっていくには,ここからどこまで行けるかの勝負なんだろうから。
● 第1部で特に印象に残ったのは2つ。ワーグナーの“エルザの大聖堂への行列”。「ローエングリン」の中の一節。
腕に覚えがあるんでしょうね。押しだしがいいというか,堂々としているというか。前に前に出る感じ。それがワーグナーのこの曲には合っているというか。
ま,ワーグナーに限らず,たいていはこれで合うんだろうけど。
● もうひとつは,真島俊夫「三つのジャポニズム」より。これはエキゾチック。ジャポニズムと題された曲を日本人が聴いて,エキゾチックと感じるのもいかがなものか。ワーグナーの後に聴いたからだということにしておこう。
曲が面白い。でも,その面白さを客席に伝えることのできる,ステージ側の技術はやはり大したものと言うしかない。
● 第2部では,まず八木節。和太鼓も入った。当然,日本人にあったノリ。入っていきやすい。曲が蓄えている生命力もすごい。
真島俊夫「カリビアン・サンダンス」ではスティールパンという楽器が登場。カリブの楽器らしいんだけど,このスティールパンをたたいた女子生徒がすばらしかった。
リズム感というのでもなく,運動神経というのでもなく,しかしそのどちらでもあって,かつそれ以上のもの。そういうものを持って生まれてきたんだろう。
● 第2部の最後は,ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」。これは管弦楽で何度か聴いている。CDでも聴いている。ので,馴染みがある。
馴染みがあるものを聴くとホッとする。ホームに戻ってきたな,と。吹奏楽はぼくにとってはまだアウェイであるようだ。
● 第3部はドリルステージ。「千と千尋の神隠し」に合わせた合奏とパフォーマンス。誰がデザインするんですかねぇ,ラインの取り方なんかねぇ。
旗の使い方は各校の特徴がありますね。何というか,その特徴が毎年変わらないっていうか。
● クラリネットを吹いていた部員が,3月に芸大に合格したらしい。おそらく,来年も芸大合格者は出るのじゃないか。たぶん,複数。
ただし,行けるからといって行ってしまうのが賢い選択かどうかは,おのずと別の問題になる。賢かったかどうかは選択してみないとわからないという,究極の厄介さが控えているわけだけど。
● ここまで高い技量を備えた部員を抱えているのが,この学校の強みかもしれない。
スタープレーやヤーだけでは戦えないにしても,スタープレーヤーの波及効果は大きいはずだ。アベレージを引きあげるのに一番いい方法は,トップを伸ばすことらしいから。
● 10月の定期演奏会の前売券を販売していた。必ず行くと思うので,ここで購入。
裏面に刻印されている番号は00001だった。
● 10月の定期演奏会の前売券を販売していた。必ず行くと思うので,ここで購入。
裏面に刻印されている番号は00001だった。
2015.05.30 Bourgeon Cello Quartet First Recital
宇都宮市文化会館 小ホール
● ブールジョンチェロカルテット。メンバーは次の4人。香月麗,築地杏里,佐山裕樹,濱田遙。4人とも桐朋の1年生。
佐山さんは,昨年度のコンセールマロニエ21本選に出場していた。当然,演奏も聴いている。チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」だった。
そのときから1年経っていないんだけれども,だいぶ大人びているという印象を受ける。この年齢層の若者はすべからくそうですよね。
● 開演は午後7時。チケットは1,500円。
今月,東京で二度の演奏会を行っている。この宇都宮が三回目。これでFirst Recitalは終了となる。なぜ宇都宮が選ばれたかといえば,佐山さんの地元だからでしょ。
● 曲目も,東京のときとは違っていて,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」やフォーレの「夢のあとに」などが加わっている。
気を遣って,わりとポピュラーな曲を入れてくれたんだろうか。宇都宮だからなぁ,って。と考えるのは,自虐が過ぎるというものでしょうね。
ともあれ。そのためにピアノの百瀬功汰さんも登場。彼もまた桐朋の1年生。
● まずは4人で,フィッツェンハーゲン「演奏会用ワルツ」。
フィッツェンハーゲンという作曲家,もちろん知らなかった。チェロに限らず,フルートやクラリネットなど,その楽器のために作られた曲がたくさんあるけれども,ぼくは曲名も作曲家もほぼ知らないと言っていい。
● で,演奏はというと,円熟っていう言葉が浮かんできた。大学1年生の演奏を聴いて,円熟。
中学生には中学生の,大学生には大学生の,30代には30代の,50代には50代の,そして70代には70代の円熟があるような気がするよね。
70歳っていったって,70歳になった人は初めて70歳になったのであって,70歳の経験を前もって知っていたわけではない。70歳としては初心者だ。円熟していない70歳もいるはずだ。何せ,70歳の経験は初めてするものなのだから。
● 円熟ってそもそもどういう状態を指すんだろうか。普通に音楽雑誌に載っている評論(?)に出てくる「円熟」という言葉については,ここでは次のように定義しておきたい。
当該演奏を形容するのに他に適当な語彙を持たない評者が,一定以上の年齢層の奏者に対してしばしば用いる言葉である。適用範囲が無限大であることと,反駁可能性を閉ざすことができるので,便利に用いられる。
● ともあれ,彼らの演奏に円熟を感じてしまいましたよ,と。大学生なりの円熟ってある。そこから脱皮して,また次の円熟を迎えるのだろう。そしてまた次,と。
逆に,そのときそのときで円熟しないと,次の円熟を迎えられないのかもね。
● 次は,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。濱田さんのチェロに,百瀬さんのピアノ伴奏。
これは有名すぎる曲で,いろんな想像をたくましくさせる。たとえば,30歳近くの,自分はもう若くないと思っている女性が,失った恋を回想しているシーンに似合いそうだ。
この場合,その女性が細おもての美人であれば情景としてはピッタリなわけだけど。
ただし,だね。現実世界においては,細おもての美人ってのはぼくなら敬して遠ざけたいね。その前にこっちが相手にされないだろうけどさ。
● このあとは,香月さんがシューマン「幻想小曲集」から第1曲と第3曲を,築地さんがフォーレ「夢のあとに」を,百瀬さんのピアノ伴奏で。
続いて,百瀬さんがスクリャービンのピアノソナタ4番を。
● 佐山さんがカサドの無伴奏チェロ組曲の第3楽章。客席の拍手が最も大きかったのは,ここ。彼が地元出身者であることを知っていたのだろう。あるいは,応援団が来ていたのかもしれない。
佐山さんご自身は,高校の3年間は東京まで新幹線通学をしていたらしい。
● ここで佐山さんがバンド紹介。このチェロカルテットの紹介をした。4人は高校から一緒で,いつか一緒に演奏しようと話してて,それがついに実現したということ。
10年後にはそれぞれ別の道を歩いている。一緒に演奏するなんてあり得ない。こういうのは学生時代にしかできない。学生時代にしかできないことを学生時代にやる。
やりたいと思っていたことが,大学1年のときに実現してしまう。それがかなり羨ましい。経緯はどうあれ,リサイタルを開催できる実力の持ち主たちだったから,というのが一番の理由だろうけど。
● 次は伊藤栄乃さんが作曲した小曲を。彼女も桐朋(作曲科)の1年生。
本人もステージに上がったんだけど,まだ幼さを残したお嬢さん。あと1~2年でれっきとしたレディになるんだから,この時期の若者の変わりようはまばゆいばかりだ。
成長過程にある人が羨ましい。その羨ましさっていうのは,成長過程を目一杯に満喫している感じから受けるのだと思う。
問題は,ではその頃に戻してやるかと言われても,謹んでご辞退申しあげたいことで,なぜかというに,戻されたところで今度はうまくやれるなんていう自信は皆無だからだ。
● 最後はバッハの「シャコンヌ」。チェロでやるとこうなるのか。ピアノ,吹奏楽,弦楽四重奏では聴いたことがあるけれども,この曲を聴いて何らかの不満をもらす人はたぶんいないと思う。
この曲があれば他は要らないじゃないかとまでは思わないけれども,この曲があるのとないのとでは,音楽世界はだいぶ違ってくるのではあるまいか。
CDで繰り返し聴く曲って,そんなに多くはない。この曲はそのひとつ。が,もっぱら管弦楽版を聴いているんだけど。
● 将来の大器の演奏を青田刈りで聴いたっていう感じですかね。そのコストはわずかに1,500円。ありがたい機会だったと思う。
そこを見逃さないで出かけたんだから,オレも偉いなってなもんだ。
● ブールジョンチェロカルテット。メンバーは次の4人。香月麗,築地杏里,佐山裕樹,濱田遙。4人とも桐朋の1年生。
佐山さんは,昨年度のコンセールマロニエ21本選に出場していた。当然,演奏も聴いている。チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」だった。
そのときから1年経っていないんだけれども,だいぶ大人びているという印象を受ける。この年齢層の若者はすべからくそうですよね。
● 開演は午後7時。チケットは1,500円。
今月,東京で二度の演奏会を行っている。この宇都宮が三回目。これでFirst Recitalは終了となる。なぜ宇都宮が選ばれたかといえば,佐山さんの地元だからでしょ。
● 曲目も,東京のときとは違っていて,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」やフォーレの「夢のあとに」などが加わっている。
気を遣って,わりとポピュラーな曲を入れてくれたんだろうか。宇都宮だからなぁ,って。と考えるのは,自虐が過ぎるというものでしょうね。
ともあれ。そのためにピアノの百瀬功汰さんも登場。彼もまた桐朋の1年生。
● まずは4人で,フィッツェンハーゲン「演奏会用ワルツ」。
フィッツェンハーゲンという作曲家,もちろん知らなかった。チェロに限らず,フルートやクラリネットなど,その楽器のために作られた曲がたくさんあるけれども,ぼくは曲名も作曲家もほぼ知らないと言っていい。
● で,演奏はというと,円熟っていう言葉が浮かんできた。大学1年生の演奏を聴いて,円熟。
中学生には中学生の,大学生には大学生の,30代には30代の,50代には50代の,そして70代には70代の円熟があるような気がするよね。
70歳っていったって,70歳になった人は初めて70歳になったのであって,70歳の経験を前もって知っていたわけではない。70歳としては初心者だ。円熟していない70歳もいるはずだ。何せ,70歳の経験は初めてするものなのだから。
● 円熟ってそもそもどういう状態を指すんだろうか。普通に音楽雑誌に載っている評論(?)に出てくる「円熟」という言葉については,ここでは次のように定義しておきたい。
当該演奏を形容するのに他に適当な語彙を持たない評者が,一定以上の年齢層の奏者に対してしばしば用いる言葉である。適用範囲が無限大であることと,反駁可能性を閉ざすことができるので,便利に用いられる。
● ともあれ,彼らの演奏に円熟を感じてしまいましたよ,と。大学生なりの円熟ってある。そこから脱皮して,また次の円熟を迎えるのだろう。そしてまた次,と。
逆に,そのときそのときで円熟しないと,次の円熟を迎えられないのかもね。
● 次は,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。濱田さんのチェロに,百瀬さんのピアノ伴奏。
これは有名すぎる曲で,いろんな想像をたくましくさせる。たとえば,30歳近くの,自分はもう若くないと思っている女性が,失った恋を回想しているシーンに似合いそうだ。
この場合,その女性が細おもての美人であれば情景としてはピッタリなわけだけど。
ただし,だね。現実世界においては,細おもての美人ってのはぼくなら敬して遠ざけたいね。その前にこっちが相手にされないだろうけどさ。
● このあとは,香月さんがシューマン「幻想小曲集」から第1曲と第3曲を,築地さんがフォーレ「夢のあとに」を,百瀬さんのピアノ伴奏で。
続いて,百瀬さんがスクリャービンのピアノソナタ4番を。
● 佐山さんがカサドの無伴奏チェロ組曲の第3楽章。客席の拍手が最も大きかったのは,ここ。彼が地元出身者であることを知っていたのだろう。あるいは,応援団が来ていたのかもしれない。
佐山さんご自身は,高校の3年間は東京まで新幹線通学をしていたらしい。
● ここで佐山さんがバンド紹介。このチェロカルテットの紹介をした。4人は高校から一緒で,いつか一緒に演奏しようと話してて,それがついに実現したということ。
10年後にはそれぞれ別の道を歩いている。一緒に演奏するなんてあり得ない。こういうのは学生時代にしかできない。学生時代にしかできないことを学生時代にやる。
やりたいと思っていたことが,大学1年のときに実現してしまう。それがかなり羨ましい。経緯はどうあれ,リサイタルを開催できる実力の持ち主たちだったから,というのが一番の理由だろうけど。
● 次は伊藤栄乃さんが作曲した小曲を。彼女も桐朋(作曲科)の1年生。
本人もステージに上がったんだけど,まだ幼さを残したお嬢さん。あと1~2年でれっきとしたレディになるんだから,この時期の若者の変わりようはまばゆいばかりだ。
成長過程にある人が羨ましい。その羨ましさっていうのは,成長過程を目一杯に満喫している感じから受けるのだと思う。
問題は,ではその頃に戻してやるかと言われても,謹んでご辞退申しあげたいことで,なぜかというに,戻されたところで今度はうまくやれるなんていう自信は皆無だからだ。
● 最後はバッハの「シャコンヌ」。チェロでやるとこうなるのか。ピアノ,吹奏楽,弦楽四重奏では聴いたことがあるけれども,この曲を聴いて何らかの不満をもらす人はたぶんいないと思う。
この曲があれば他は要らないじゃないかとまでは思わないけれども,この曲があるのとないのとでは,音楽世界はだいぶ違ってくるのではあるまいか。
CDで繰り返し聴く曲って,そんなに多くはない。この曲はそのひとつ。が,もっぱら管弦楽版を聴いているんだけど。
● 将来の大器の演奏を青田刈りで聴いたっていう感じですかね。そのコストはわずかに1,500円。ありがたい機会だったと思う。
そこを見逃さないで出かけたんだから,オレも偉いなってなもんだ。
2015年5月28日木曜日
2015.05.24 宇都宮シンフォニーオーケストラ第14回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● クラシック音楽の愛好家(聴くほうの)は世の中にあまたいらっしゃる。クラシックに特化したブログも数えきれないほどにネット上に存在している。
じつは,それらを読まないようにしている。なぜというに,読んでしまうと,自分がこういうブログを書いている意味が疑わしくなってくるからだ。もっというと,書く資格が自分にあるのかどうかも。
● ところが,ときどきは読んでしまう。そうすると,存分に劣等感が刺激されることになる。
そもそもの耳の感度。鑑賞能力。曲とその背景に対する理解。音楽を聴いている期間の長さ(キャリア)。聴き始めた年齢。語彙の豊富さ。文章表現の巧みさ。
自分はそのどれにおいても劣るというのはわかるわけでね。さて,ではどこに立ち位置を求めればいいのか。そんな場所は残っていないのじゃないか。
● その隙間を地元密着に求めて,ノラリクラリと今まで書いてきたんだけどね。そろそろ年貢の納め時かもしれないなぁ。ま,何とかしぶとく,しがみついていたいとは思うんだけど。
などと思いながらこれを書き始めた。
● 管弦楽は今月10日に宇都宮ジュニアオケを聴いたばかり。なんだけど,ずいぶん昔のことのような気がする。この感覚って,久しく味わったことがない。この間,何があったってわけでもないんだけどね。
開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。曲目は次のとおり。
ブラームス 大学祝典序曲
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ブラームス 交響曲第1番
● ブラームスの1番。ブラームスが長年かけて完成させたわけだけれども,彼の4つの交響曲の中でも最も高揚感に満ちていると思われる。
偉大すぎるベートーヴェンの背中が眼前にあったはずだ。ベートーヴェンと自分の間には誰もいない。途方にくれるのと光明を見いだすのと,その繰り返しだったかもしれない。放り投げようと思ったこともあったか(いや,それだけはなかったか)。
● ベートーヴェンとの格闘に注がざるを得なかったエネルギーの総量は,凡人の想像が及ぶところではないけれども,その熱が曲の全体に充満していると,こちらは勝手に受けとめる。
この曲の4つの楽章が保持している質量たるや,とんでもないものだということくらいは,ぼくでも感じる。朝,ちょっと聴いてみようかとCDをかけるとエラい目にあう。この曲を聴くんだったら,それ相応の覚悟を要する。
● ベルリオーズのように競技ルールを変更することを自らに許さなかった。ベートーヴェンが敷いたレールのうえで勝負したいと思ったのか。
律儀という単語を思いだす。シューマン夫妻への献身や,ドヴォルザークへの細やかな対応をみると,いっそうその感を強くする。宮沢賢治的な気配を感じたりもする。
まぁ,勝手な受けとめ方ではあるんだけどね。
● この曲は高揚感に満ちていながら,基本姿勢はいたって端正だ。ゆえに,演奏もまた端正であってほしい。突き抜けていいところなど,この曲の中には1ヶ所もない。ピシッと統制がとれた演奏であってもらいたい。
波やうねりはもちろんある。どこまであがるんだと思うところもある。が,基本は抑制でなければならないと,これまた勝手に思っている。どんな曲でもフライングは厳禁だろうけど,この曲ではいっそうそうだ。
● と偉そうに語っているんだけどねぇ,演奏する側はどんな気持ちで演奏してるんだろうか。こういう容易ならざる曲に対して。
2楽章のコンミスのソロ。3楽章の木管の連弾(という言葉をここで使っていいのか?)。4楽章のステージがせりあがるかのような重厚な高揚。
聴きどころはいくつもあった。奏者側からすれば聴かせどころ。そのどれもが聴かせてくれるものだった。たいしたものだ。
いや,実際,疲れると思うんですよねぇ。聴いてる側がこれだけ疲れるんだからねぇ。文字どおりの意味で,体力って大事なんだろうな。
● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ピアノは越田美和さん。彼女のピアノを堪能すればいいわけだ。が,協奏曲はやっぱりバック(管弦楽)が締まっていることが大事だよね。
ソリストと指揮者とオケが三つどもえになって押したり引いたりってのもあるのかもしれないし,ソリストがオケを引っぱるってこともあるのだろうけれども,押そうが引こうが引っぱろうが引っぱられようが,演奏の出来を決めるのは管弦楽のような気がする。
● であればこそ,ソリストも乗っていけるのではあるまいか。乗ってオケを引っぱることもできる。オケがこけちゃってたら,引っぱる気にもならないもんね,たぶん。というわけで,このオーケストラであればこそ。
高名なピアノ協奏曲を生で聴いている,今ここに自分はたしかに存在しているっていう,自分に対するリアリティーのようなものを感じることができた。
● クラシック音楽の愛好家(聴くほうの)は世の中にあまたいらっしゃる。クラシックに特化したブログも数えきれないほどにネット上に存在している。
じつは,それらを読まないようにしている。なぜというに,読んでしまうと,自分がこういうブログを書いている意味が疑わしくなってくるからだ。もっというと,書く資格が自分にあるのかどうかも。
● ところが,ときどきは読んでしまう。そうすると,存分に劣等感が刺激されることになる。
そもそもの耳の感度。鑑賞能力。曲とその背景に対する理解。音楽を聴いている期間の長さ(キャリア)。聴き始めた年齢。語彙の豊富さ。文章表現の巧みさ。
自分はそのどれにおいても劣るというのはわかるわけでね。さて,ではどこに立ち位置を求めればいいのか。そんな場所は残っていないのじゃないか。
● その隙間を地元密着に求めて,ノラリクラリと今まで書いてきたんだけどね。そろそろ年貢の納め時かもしれないなぁ。ま,何とかしぶとく,しがみついていたいとは思うんだけど。
などと思いながらこれを書き始めた。
● 管弦楽は今月10日に宇都宮ジュニアオケを聴いたばかり。なんだけど,ずいぶん昔のことのような気がする。この感覚って,久しく味わったことがない。この間,何があったってわけでもないんだけどね。
開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。曲目は次のとおり。
ブラームス 大学祝典序曲
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ブラームス 交響曲第1番
● ブラームスの1番。ブラームスが長年かけて完成させたわけだけれども,彼の4つの交響曲の中でも最も高揚感に満ちていると思われる。
偉大すぎるベートーヴェンの背中が眼前にあったはずだ。ベートーヴェンと自分の間には誰もいない。途方にくれるのと光明を見いだすのと,その繰り返しだったかもしれない。放り投げようと思ったこともあったか(いや,それだけはなかったか)。
● ベートーヴェンとの格闘に注がざるを得なかったエネルギーの総量は,凡人の想像が及ぶところではないけれども,その熱が曲の全体に充満していると,こちらは勝手に受けとめる。
この曲の4つの楽章が保持している質量たるや,とんでもないものだということくらいは,ぼくでも感じる。朝,ちょっと聴いてみようかとCDをかけるとエラい目にあう。この曲を聴くんだったら,それ相応の覚悟を要する。
● ベルリオーズのように競技ルールを変更することを自らに許さなかった。ベートーヴェンが敷いたレールのうえで勝負したいと思ったのか。
律儀という単語を思いだす。シューマン夫妻への献身や,ドヴォルザークへの細やかな対応をみると,いっそうその感を強くする。宮沢賢治的な気配を感じたりもする。
まぁ,勝手な受けとめ方ではあるんだけどね。
● この曲は高揚感に満ちていながら,基本姿勢はいたって端正だ。ゆえに,演奏もまた端正であってほしい。突き抜けていいところなど,この曲の中には1ヶ所もない。ピシッと統制がとれた演奏であってもらいたい。
波やうねりはもちろんある。どこまであがるんだと思うところもある。が,基本は抑制でなければならないと,これまた勝手に思っている。どんな曲でもフライングは厳禁だろうけど,この曲ではいっそうそうだ。
● と偉そうに語っているんだけどねぇ,演奏する側はどんな気持ちで演奏してるんだろうか。こういう容易ならざる曲に対して。
2楽章のコンミスのソロ。3楽章の木管の連弾(という言葉をここで使っていいのか?)。4楽章のステージがせりあがるかのような重厚な高揚。
聴きどころはいくつもあった。奏者側からすれば聴かせどころ。そのどれもが聴かせてくれるものだった。たいしたものだ。
いや,実際,疲れると思うんですよねぇ。聴いてる側がこれだけ疲れるんだからねぇ。文字どおりの意味で,体力って大事なんだろうな。
● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ピアノは越田美和さん。彼女のピアノを堪能すればいいわけだ。が,協奏曲はやっぱりバック(管弦楽)が締まっていることが大事だよね。
ソリストと指揮者とオケが三つどもえになって押したり引いたりってのもあるのかもしれないし,ソリストがオケを引っぱるってこともあるのだろうけれども,押そうが引こうが引っぱろうが引っぱられようが,演奏の出来を決めるのは管弦楽のような気がする。
● であればこそ,ソリストも乗っていけるのではあるまいか。乗ってオケを引っぱることもできる。オケがこけちゃってたら,引っぱる気にもならないもんね,たぶん。というわけで,このオーケストラであればこそ。
高名なピアノ協奏曲を生で聴いている,今ここに自分はたしかに存在しているっていう,自分に対するリアリティーのようなものを感じることができた。
2015年5月14日木曜日
2015.05.10 宇都宮ジュニアオーケストラ第19回定期演奏会
栃木県総合文化センター メインホール
● 昨年は聴けなかったけれども,これが4回目になる。開演は午後2時。入場無料。
● 団員名簿を見ると,下は小6で上は大学2年生まで。20歳まで在籍できるんだろうか。一昨年に比べると,年少組が減って高校生クラスが増えたような感じを受ける。
自然淘汰ってあるんだろうかなぁ。巧い人が残ったっていう印象があった。同時に,一昨年はいたあの子,なんでいなくなっちゃったんだろ,もったいないなぁ,っていうのも。
● 曲目は次のとおり。
エルガー 「威風堂々」第1番
ビゼー 組曲「アルルの女」より
第1組曲からは“前奏曲”,“メヌエット”,“カリヨン”
第2組曲からは“パストラーレ”,“間奏曲”,“ファランドール”
ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト短調
● 「威風堂々」なんか文字どおりに堂々たるものだ。自信を持って演奏してたっぽいのが良かった。充分に練習してたんですかねぇ。
大人のエキストラもけっこうな数いたんだけどね。
● サクソフォンが一人入って,「アルルの女」。これも安心して聴いていられた。
管弦楽を聴くのは久しぶりな気分なんだけど,やっぱいいものだなぁと素朴なことを感じながら聴いていた。
● メインのドヴォルザーク8番。今回のプログラムはどの曲も木管の出番が多い。フルートの巧さは格別だと思えたけれども,オーボエ,クラリネットもそれぞれ健闘。っていうか,巧いよねぇ。
3楽章はスィーティーでやや憂愁をおびた短調の舞踏曲(じゃないかもしれないけど,要するにワルツ)。ここが好きだという人は多いと思うんだけど,なんかねぇ,ジュニアなのに色気がありましたねぇ,この部分。
4楽章の始まりを告げるトランペットのファンファーレもハモっていたし,透明感があったしね。
● 一昨年より明らかにレベルが上がっているという印象。が,ジュニアってそんなに巧くなくてもいいような気もする。
そもそもが小学生から大学生までいたんじゃ,個々の奏者のレベルなんて揃いっこないわけで,揃わなくたって別にかまわないんじゃないか。
そうでもないのかね。技術の追求って,求心力があるんだろうとは思うけど。ブラックホールのようなものでね。
● 昨年は聴けなかったけれども,これが4回目になる。開演は午後2時。入場無料。
● 団員名簿を見ると,下は小6で上は大学2年生まで。20歳まで在籍できるんだろうか。一昨年に比べると,年少組が減って高校生クラスが増えたような感じを受ける。
自然淘汰ってあるんだろうかなぁ。巧い人が残ったっていう印象があった。同時に,一昨年はいたあの子,なんでいなくなっちゃったんだろ,もったいないなぁ,っていうのも。
● 曲目は次のとおり。
エルガー 「威風堂々」第1番
ビゼー 組曲「アルルの女」より
第1組曲からは“前奏曲”,“メヌエット”,“カリヨン”
第2組曲からは“パストラーレ”,“間奏曲”,“ファランドール”
ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト短調
● 「威風堂々」なんか文字どおりに堂々たるものだ。自信を持って演奏してたっぽいのが良かった。充分に練習してたんですかねぇ。
大人のエキストラもけっこうな数いたんだけどね。
● サクソフォンが一人入って,「アルルの女」。これも安心して聴いていられた。
管弦楽を聴くのは久しぶりな気分なんだけど,やっぱいいものだなぁと素朴なことを感じながら聴いていた。
● メインのドヴォルザーク8番。今回のプログラムはどの曲も木管の出番が多い。フルートの巧さは格別だと思えたけれども,オーボエ,クラリネットもそれぞれ健闘。っていうか,巧いよねぇ。
3楽章はスィーティーでやや憂愁をおびた短調の舞踏曲(じゃないかもしれないけど,要するにワルツ)。ここが好きだという人は多いと思うんだけど,なんかねぇ,ジュニアなのに色気がありましたねぇ,この部分。
4楽章の始まりを告げるトランペットのファンファーレもハモっていたし,透明感があったしね。
● 一昨年より明らかにレベルが上がっているという印象。が,ジュニアってそんなに巧くなくてもいいような気もする。
そもそもが小学生から大学生までいたんじゃ,個々の奏者のレベルなんて揃いっこないわけで,揃わなくたって別にかまわないんじゃないか。
そうでもないのかね。技術の追求って,求心力があるんだろうとは思うけど。ブラックホールのようなものでね。
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