宇都宮市文化会館大ホール
● 6月12日は,6月唯一のコンサートに出かけた。栃響の定期演奏会。ベートーヴェンの第7番だったので楽しみにしていた。
会場は宇都宮市文化会館。曲目はストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版),シベリウス「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」,ベートーヴェン「交響曲第7番 イ長調」。指揮は三原明人,ヴァイオリンは木野雅之さん。
● 木野さんはでっぷりと太った漫画っぽい体型の人だが,ぼくのような素人にもレベルの高さは伝わってくる。圧巻。
しかし,最初の2曲は居眠りをしながら聴いてしまった。こういうことが今までになかったとは言わないけれども,ここまで眠かったのは初めてのこと。もちろん演奏のせいではなくて,こちらの体調管理が悪いからだ。極端な寝不足ということはないはずなのだが,何時に寝て何時に起きるかっていうところが週末から乱れていたので。
演奏者には失礼千万なことだし,ぼく自身にとってももったいないことだ。
● 休憩後のベト7は普通に聴くことができた。ライブでベト7を聴くのはこれが5回目になるが,栃響がやるとこうなるのか。
この曲のサビは第3楽章。楽器全体でバーッと盛りあげたところにラッパが合いの手を入れるところ。
初めて聴いたCDはカルロス・クライバー指揮のバイエルン国立管弦楽団の演奏だった(ぼくの中ではそれがモノサシになってしまっている)。その後,ほかのCDやライブを聴いているわけだけど,その合いの手の入れ方が奏者によってだいぶ違っている。栃響では鋭く斬りこむような感じで演奏していた。
● それにしても。ベト7は盛りあがる。キーになる楽器はフルートとパーカッションだと思うのだが,パーカッションが出ずっぱりで休む間がない。始めから終わりまで,ずっと打楽器が参加している。テンションの高い状態が続く。太鼓叩きが汗だくになっていた。演奏する方も大変だろうが,聴いている側も疲れる。しかし,心地よい疲れだ。
● この曲を聴ける人生と聴けない人生のなんと大きな違いのあることか。ぼく一個でいえば,吉行淳之介の作品を読めたこと,モーツァルトやベートーヴェンやメンデルスゾーンを聴けること。これがあるのとないのとでは,人生の色合いが違うはずだ。
● 作品そのものが存在することはもちろん,それがCDになっていて,簡単に聴くことができる。今だとネットでもいくらでも聴ける。そういうものを支えるインフラができあがっていればこそだ。そういう時代に生きていればこそ。こういうのを幸運というのだろう。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2011年6月30日木曜日
2011年5月31日火曜日
2011.05.29 宇都宮シンフォニーオーケストラ第10回定期演奏会
宇都宮市文化会館大ホール
● 5月29日(日)は宇都宮シンフォニーオーケストラの定期演奏会を聴きに,文化会館に行ってきた。
被災地への募金を募っていたので,わずかばかりだけれども募金をしてきた。週8千円のこづかいからなので,ほんとにわずかだったんだけどね。
● 今回の曲目はグリーグの「ピアノ協奏曲 イ短調」とサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調」「交響曲第3番 ハ短調 オルガン付き」の3曲。
● まず,グリーグの「ピアノ協奏曲 イ短調」。この曲をライブで聴くのは二度目。昨年12月に宇大管弦楽団の演奏で聴いているのだが,今回の方が印象に残った。っていうか,前に聴いたのはほとんど忘れてしまっているわけだけどね。
すぐさま引きこまれた。これだけでチケット(千円)の元は取れた気がした。ピアノは鈴木奈津子さん。
● 休憩後,サン・サーンスの2曲。「ロンド・カプリチオーソ」のヴァイオリンは小泉百合香さん。もともとはこのオケのコンサートミストレスを務めていた人で,今はニューフィル千葉に移っている。3曲目の「交響曲第3番」ではコンミスを務めて,故郷に錦を飾った感じ。何はともあれ,慶賀の至りといえる。
地方のアマオケでもこのレベルの人がいるってのが,すごいと言えばすごい。
オルガンは石下有美さん。宇短大の音楽科を出て,地元で活動しているらしい。もちろん電子オルガンだったけれども,こちらも楽しめました。
● このオケはベートーヴェンチクルスと銘打った演奏会も開催していて,昨年は芳賀町民ホールで交響曲の1番と3番を演奏した。今年も10月に2番とヴァイオリン協奏曲を演奏するようだ。もちろん,行くつもりだけどね。
● 5月29日(日)は宇都宮シンフォニーオーケストラの定期演奏会を聴きに,文化会館に行ってきた。
被災地への募金を募っていたので,わずかばかりだけれども募金をしてきた。週8千円のこづかいからなので,ほんとにわずかだったんだけどね。
● 今回の曲目はグリーグの「ピアノ協奏曲 イ短調」とサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調」「交響曲第3番 ハ短調 オルガン付き」の3曲。
● まず,グリーグの「ピアノ協奏曲 イ短調」。この曲をライブで聴くのは二度目。昨年12月に宇大管弦楽団の演奏で聴いているのだが,今回の方が印象に残った。っていうか,前に聴いたのはほとんど忘れてしまっているわけだけどね。
すぐさま引きこまれた。これだけでチケット(千円)の元は取れた気がした。ピアノは鈴木奈津子さん。
● 休憩後,サン・サーンスの2曲。「ロンド・カプリチオーソ」のヴァイオリンは小泉百合香さん。もともとはこのオケのコンサートミストレスを務めていた人で,今はニューフィル千葉に移っている。3曲目の「交響曲第3番」ではコンミスを務めて,故郷に錦を飾った感じ。何はともあれ,慶賀の至りといえる。
地方のアマオケでもこのレベルの人がいるってのが,すごいと言えばすごい。
オルガンは石下有美さん。宇短大の音楽科を出て,地元で活動しているらしい。もちろん電子オルガンだったけれども,こちらも楽しめました。
● このオケはベートーヴェンチクルスと銘打った演奏会も開催していて,昨年は芳賀町民ホールで交響曲の1番と3番を演奏した。今年も10月に2番とヴァイオリン協奏曲を演奏するようだ。もちろん,行くつもりだけどね。
2011.05.08 宇都宮ジュニアオーケストラ15周年記念演奏会
宇都宮市文化会館大ホール
● 8日は宇都宮市文化会館で宇都宮ジュニアオーケストラの15周年記念演奏会があった。曲目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲,バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」,チャイコフスキーの「交響曲第5番」。
ヴァイオリンのソリストは松本花菜さんと渡邊弘子さん。
● プログラムによれば,小学生から20代の青年までで構成されているとのことだが,今回のステージに小学生はいなかったようだ。中高生がメインで,あとはOB・OGと栃響メンバーが賛助出演。
演奏はしっかりしたもので,充分に鑑賞に耐えた。ちなみに入場料は無料なのだが,有料にしてもいいのではと思った。
1階席は7割,2階席は3割程度の入りだった。
● 毎年,定期演奏会を開催しているようだ。迂闊にもぼくはそのことを知らないでいた。そもそも宇都宮ジュニアオーケストラという存在そのものを知らなかった。が,その分,今後の楽しみが増えた。
2011.05.01 くろいそオペラをつくる会第10回記念公演 喜歌劇「メリー・ウィドウ」
栃木県総合文化センター メインホール
● 5月1日。この日,総合文化センターで「くろいそオペラをつくる会」による喜歌劇「メリー・ウィドウ」の公演があった。3月13日公演予定だったのが,この日に延びたものだ。
総監督は荻野久一氏。高校で音楽の教鞭を執っていた先生。指揮は奥さんの荻野治子さん。
お客さんはかなり入っていて,メインホールがほぼ満席になった。途中で帰ってしまう人もけっこういたけどね。
● そもそもオペラってのを観るのはこれが初めてだから,ぼくに評価する力はない。その前提での感想。
第一に日本語をオペラに乗せるのはそもそも無理なんじゃないかってこと。オペラの節回しというか発声法と日本語は馴染まないように思えた。つまり,何を言っているのかわからないのだ。日本語が日本語に聞こえない。はやりイタリア語とかドイツ語でやってもらって,日本語は字幕で伝えるというのがいいようだ(ただ,これはドイツ語なんかでも同じだそうですね。日本語だけの問題ではないようです)。
● 「くろいそオペラをつくる会」は「殺生石物語」とか「巻き狩り」とか,地元の風物を題材にしてオペラに仕立ててきた。そうであれば言語も日本語でしっくりくるのかもしれないけれど,「メリー・ウィドウ」に日本語は無理という印象だ。
もっとも,そんなことは百も承知であえて日本語でやっているのだろうけどね。
● 舞台の設えはチャチなのは致し方がない。アマチュアが自分たちで経済的な負担を引き受けてやっているのだ。だからこそ2千円という安い料金で観覧できるわけだ。
● 観客を笑わせる台詞を安易に取りこみすぎているという印象を持った。ぼくを含めて,客席はオペラに慣れていない人たちが多いのは間違いない(と思う)。客席もまた素人の集団だ。それゆえ,飽きさせない工夫をしたってことなんだろうと理解はできる。
ひょっとしたら,本場のオペラも同じようなやり方を採り入れているのかもしれない。オペラは重厚な芸術ではなく,エンタテインメントとして楽しめるものでなければならないものだろう。観客に対して敷居を低くする努力は,そもそもオペラに内在されているものなのかもしれない。
しかし,だ。あまり多くの際物的要素を入れてしまうと,逆にオペラから離れていく人が出るのではないかと思う。
● バックの管弦楽は「くろいそオペラをつくる会管弦楽団」が務めたが,奏者のほとんどは栃響のメンバーのようだった。
ちなみに,7月には「椿姫」の公演があるのだが,オケピットに入るのは栃響だ。年2回の定期演奏会のほかに,9月の特別演奏会,12月の第九,そして「椿姫」とこなすのだから,栃響は相当に生産性の高いアマオケってことになりますねぇ。よくここまでできるものだと思う(→後刻,「椿姫」は地震のため公演中止が決定していることを知った)。
● 5月1日。この日,総合文化センターで「くろいそオペラをつくる会」による喜歌劇「メリー・ウィドウ」の公演があった。3月13日公演予定だったのが,この日に延びたものだ。
総監督は荻野久一氏。高校で音楽の教鞭を執っていた先生。指揮は奥さんの荻野治子さん。
お客さんはかなり入っていて,メインホールがほぼ満席になった。途中で帰ってしまう人もけっこういたけどね。
● そもそもオペラってのを観るのはこれが初めてだから,ぼくに評価する力はない。その前提での感想。
第一に日本語をオペラに乗せるのはそもそも無理なんじゃないかってこと。オペラの節回しというか発声法と日本語は馴染まないように思えた。つまり,何を言っているのかわからないのだ。日本語が日本語に聞こえない。はやりイタリア語とかドイツ語でやってもらって,日本語は字幕で伝えるというのがいいようだ(ただ,これはドイツ語なんかでも同じだそうですね。日本語だけの問題ではないようです)。
● 「くろいそオペラをつくる会」は「殺生石物語」とか「巻き狩り」とか,地元の風物を題材にしてオペラに仕立ててきた。そうであれば言語も日本語でしっくりくるのかもしれないけれど,「メリー・ウィドウ」に日本語は無理という印象だ。
もっとも,そんなことは百も承知であえて日本語でやっているのだろうけどね。
● 舞台の設えはチャチなのは致し方がない。アマチュアが自分たちで経済的な負担を引き受けてやっているのだ。だからこそ2千円という安い料金で観覧できるわけだ。
● 観客を笑わせる台詞を安易に取りこみすぎているという印象を持った。ぼくを含めて,客席はオペラに慣れていない人たちが多いのは間違いない(と思う)。客席もまた素人の集団だ。それゆえ,飽きさせない工夫をしたってことなんだろうと理解はできる。
ひょっとしたら,本場のオペラも同じようなやり方を採り入れているのかもしれない。オペラは重厚な芸術ではなく,エンタテインメントとして楽しめるものでなければならないものだろう。観客に対して敷居を低くする努力は,そもそもオペラに内在されているものなのかもしれない。
しかし,だ。あまり多くの際物的要素を入れてしまうと,逆にオペラから離れていく人が出るのではないかと思う。
● バックの管弦楽は「くろいそオペラをつくる会管弦楽団」が務めたが,奏者のほとんどは栃響のメンバーのようだった。
ちなみに,7月には「椿姫」の公演があるのだが,オケピットに入るのは栃響だ。年2回の定期演奏会のほかに,9月の特別演奏会,12月の第九,そして「椿姫」とこなすのだから,栃響は相当に生産性の高いアマオケってことになりますねぇ。よくここまでできるものだと思う(→後刻,「椿姫」は地震のため公演中止が決定していることを知った)。
2011年4月30日土曜日
2011.04.17 古河フィルハーモニー管弦楽団 東北地方太平洋沖地震チャリティー演奏会
小山市立文化センター大ホール
● 4月17日,久しぶりのコンサートを聴くことができた。古河フィルハーモニー管弦楽団。会場は小山市民文化センター。今回は定期演奏会の看板を降ろして,災害チャリティーコンサートと銘打っての開催となった。最初に鎮魂歌を演奏し,黙祷をしてから,本番の演奏会に入った。曲目のメインはブルックナーの交響曲第7番。
● 昨年の春から3回連続でこの楽団の演奏会を聴きに行っている。ともかくブルックナーを形にしてくるのだから,力量のあるアマチュア楽団なのだと思う。
生のオーケストラを聴くのは2月6日の栃響以来。CDは毎日聴いているけど,やっぱりライブは体に食いこんでくる度合いが違う。ブルックナーを聴くのは初めてだったけど,初めてなりに堪能できた。
● 宮城や岩手で被災した人たちは音楽どころではないだろう。わが家も被害を受け,屋根の修理で3百万円,すべて直すとどれほどかかるのか。けれでも,そんなのはモノの数にも入らない。あれだけ多くの人が亡くなったのに自分が生きていていいのかと,多くの人が思ったに違いない。
● 楽団としても催行していいものかどうか悩んだとプログラムに告白していた。こういう状況だから自粛したくなるだろうし,それが世の指弾を浴びないですむ無難な選択に映ったに違いない。よく催行に踏み切ってくれたというのが,ぼくの率直な気持ち。
● 入場料は無料にするかわりに,募金を募ってその全額を寄付するということだった。ぼくも大海の一滴にもならないだろうけれど,募金してきた。ほんとにね,貧者の一灯といいますけど,ぼくが出した額は一灯にも届いていなかったかも。
ソフトバンクの孫社長は100億円を寄付したし,SMAPのメンバーも5人で4億円を寄付している。そういうのに比べると,っていうか,比べることじたいがおかしいわけだけど。
● 4月17日,久しぶりのコンサートを聴くことができた。古河フィルハーモニー管弦楽団。会場は小山市民文化センター。今回は定期演奏会の看板を降ろして,災害チャリティーコンサートと銘打っての開催となった。最初に鎮魂歌を演奏し,黙祷をしてから,本番の演奏会に入った。曲目のメインはブルックナーの交響曲第7番。
● 昨年の春から3回連続でこの楽団の演奏会を聴きに行っている。ともかくブルックナーを形にしてくるのだから,力量のあるアマチュア楽団なのだと思う。
生のオーケストラを聴くのは2月6日の栃響以来。CDは毎日聴いているけど,やっぱりライブは体に食いこんでくる度合いが違う。ブルックナーを聴くのは初めてだったけど,初めてなりに堪能できた。
● 宮城や岩手で被災した人たちは音楽どころではないだろう。わが家も被害を受け,屋根の修理で3百万円,すべて直すとどれほどかかるのか。けれでも,そんなのはモノの数にも入らない。あれだけ多くの人が亡くなったのに自分が生きていていいのかと,多くの人が思ったに違いない。
● 楽団としても催行していいものかどうか悩んだとプログラムに告白していた。こういう状況だから自粛したくなるだろうし,それが世の指弾を浴びないですむ無難な選択に映ったに違いない。よく催行に踏み切ってくれたというのが,ぼくの率直な気持ち。
● 入場料は無料にするかわりに,募金を募ってその全額を寄付するということだった。ぼくも大海の一滴にもならないだろうけれど,募金してきた。ほんとにね,貧者の一灯といいますけど,ぼくが出した額は一灯にも届いていなかったかも。
ソフトバンクの孫社長は100億円を寄付したし,SMAPのメンバーも5人で4億円を寄付している。そういうのに比べると,っていうか,比べることじたいがおかしいわけだけど。
2011年3月31日木曜日
2011.03.31 間奏19:東日本大震災
● 東日本大震災。とんでもない大災害だったことに地震の直後は気づかなかった。日にちが経つにつれて災害の全容が明らかになって,迂闊なぼくもやっと事の重大さに思い至った。
弟が仙台にいる。泉区のマンションに住んでいるのだけれど,たいした被害はなかったと数日後に実家に連絡があった。被害の大きさはわが家より少なくてすんだらしい。
● ぼくの生活も震災後は大きく変化した。まず,休日がなくなった。さして重大な用務を果たしたわけでは全然ないんだけれど,職場に泊まり込むという経験を初めて味わうことができた。
年度末で通常業務も立てこんだ。昨年とは様変わりだ。連日,残業を続けた。朝4時に起きて6時から職場で仕事にかかる。こういう早朝出勤も初めての経験だった。でもさほど苦にはならなかったですね。まぁ,年度末を何とか乗り切れた。
● わが家の被災もそれなりのものだったが,ぼくが不在を続けたので,ヨメが奮闘してくれた。散乱した瓦だけは指定された捨て場に二人で運ぶことができた。乗用車なので10往復くらいした。
屋根の修理は3百万円ほどかかりそうだ。4社から見積もりを取った。こういうことは,この時点で専業主婦だったヨメがやってくれた。もちろんのこと,地震保険などには入っていない。しかし,家はそのまま住める状態で残り,思いでの品(ほとんどがパソコンに入っているが)も残り,家族全員が無事だったのだから,ツイていたのだと思う。
家族を亡くしたのに被災後の処理に追われている人たちが大勢いるんだから。
● コンサートの中止も拡大してますね。3月4月の催行は中止せざるを得ないとしても,5月予定のコンサートもいくつか中止が決まっている。まずは,5月14日に予定されていた真岡市民交響楽団の定期演奏会。ホームの真岡市民会館が被災を受け,今のところ復旧のめどが立っていないためだ。団員たちが一番ガッカリしているだろうけど,ぼくも残念。
21日開催予定だった自治医大管弦楽団の演奏会も中止。こちらは会場が栃木市なので,会場が被災したとは思えない。別の理由によるのだろう。
● それ以前に,この間,こちらの生活が普段とは別のものになった。コンサートなんてたとえ開催されていも行くことはかなわなかった。多くの人がそうだろう。
こういうとき,いつものルーティンを継続できる人が強い人だと思うんだけど,ぼくは強い人たり得なかった。
2011.03.15 間奏18:東日本大震災
● とんでもない事態が発生しましたね。どうでしたか,被害は。
地震のあとはすぐにケータイが使えなくなって,家にも連絡がつかなかったのだが,メールは大丈夫で,とりあえず家族の無事は確認できた。しかし,弟が仙台にいるのだが,こちらは確認できていない。14日現在で電話もケータイも(仙台には)つながらない。
● わが家も大きな被害を受けた。帰宅したらムスコが出てきて,靴のままあがれという。ガラスの破片が散らばっていて危険だから,と。瓦がだいぶ落ちていたのはわかったのだが,あとは電気も来ていないので確認しようもなかった。
ムスコがいつになく饒舌で,いかに揺れたか,いかにこの家が地震に弱いかと力説した。おまえはそういうけれども,この家を建てたのはオレだぞ,そこまでいうかと,ムスコには言わなかったけれども,思ったくらい。
● 翌朝,ザッと見たところ,2階のタンスが倒れていたのと,1階の食器棚が中身共々壊滅状態。壁にヒビが入った箇所があり,壁の一部が落ちたところもある。ピアノが数十センチ動いていた。棚やカウンターに載っていたものはすべて落下しており,ガラス製品は欠片の集合体になった。
せめてもの救いは水槽で魚を買うのをやめていたことだとヨメに話したら,じつは水入りの水槽がムスコの部屋にあったらしい。もちろん,壊滅した。
● 屋根の瓦は四方に散乱。逃げるのがもう少し遅れたら,瓦が自分の頭に落ちてきたかもしれないとヨメがいう。たしかに,危険だ。瓦屋根を修復するか,いっそスレート葺きにしてしまうか。
天井が落ちるなんてのはなかったが,壁の2箇所に大きな亀裂が入った。細かいのを入れればもっと多いかもしれない。
● ぼくの書斎は一面に本が散乱。机のうえにあったスキャナやカラーボックスに入っていた外付けのハードディスクやソフトのCDなどがその中に埋もれていた。書庫の方は見る気にもならなかった。
● 電気と上水道がストップしており,ガス(プロパンだが)も使えない状態。風呂のボイラーもやられた。灯油タンクの脚が折れて,蓋がはずれて中の灯油が流れだしてしまったらしい。電話もつながらない。ケータイも依然としてつながらない状態(13日にはすべて復旧した)。
● わが家には塀がないのだが,大谷石のブロック塀の多くは崩壊していた。が,これも崩壊しないのもあって,職人の仕事がしっかりしていたんでしょうね。こういうことがあると,職人の仕事ぶりがハッキリする。次はあそこには頼まないっていうことになるんだろうなぁ。
● しかし,直すべきものは直さなければならない。地震保険なんて入っていなかったので,全額自費になる。予想外の出費だけれども,宮城や岩手の被害に比べれば,この程度ですんで良かったと思うしかない。命があっただけで感謝に値する,と。
今回の地震で得た教訓のひとつは,要らざるモノは持たないに限るってこと。食器にしても本にしても各種の電気製品にしても,要らざるモノを持っていると,瓦礫が増えることになる。場合によっては,そうしたモノが危険を作る。
● そんな状態なのだが,ぼくは(ぼくに限らず,大人は誰でもそうだが)仕事には出なければならない。ヨメも事情をわかっているので,文句は言わない。
信号も動いていないので,12日は自転車で出勤。
● 宇都宮とか壬生に住んでる同僚の話では,物的被害はほとんどなかったらしい。コップがひとつ割れた程度という。少し離れているとだいぶ違うのだね。
● 13日以降,福島原発で次々に起こる事故が大きく報道されていた。南三陸町の行方不明者1万人のニュースも。
職場でもわが家でも電気と水道は復旧したが,日が経つほどに被害の甚大さが明らかになってくる。甚大という言葉では足りない。
● 14日の朝日新聞の一面に載った写真には胸を突かれた。「大津波で壊滅的な打撃を受けた宮城県名取市閖上地区で,道路に座り込んで涙を流す女性」の写真だ。茶髪の女性が長靴を脱いで道路に座りこみ,両手で太ももを抱え,ひとり泣いている。一瞬のうちに家族も失い,何もかも失って,なす術もなく,童女のように泣いている。後ろには文字どおりの瓦礫の山が。喪失感。茫然自失。世界に自分ひとりしかいない不安と恐怖。
「恒成利幸撮影」とあるが,よくこんな写真を撮れたものだ。この光景を見つけて構図を決めたとき,恒成利幸氏はしめたと思ったに違いない。後世に残る1枚だと思う。
この写真を素晴らしいと思う自分の中の酷薄さ。
● ここまでの惨事を見てしまうと,人生なんてうたかたの夢,生きてる間はせめて面白おかしく生きなきゃ損っていうふうに,ペシミスティックかつ刹那的な思いに染まりたくなる。
でも,それはたぶん間違いなのだろう。新聞記事には津波の被災地で「でもみんなで元気になるためにも,下を向いていられない」と語る68歳の男性が登場する。この男性には「みんな」がいるのだ。こういう認識に至れる彼の脳の素晴らしさ。ぼくらが見習うべきは,こちらの方であることは間違いない。
● 12日(土)は宇都宮市文化会館で「青少年の自立を支える会コンサート」が,13日には総合文化センターでくろいそオペラを作る会の「メリー・ウィドウ」が,20日には教育会館で宇女高OGオーケストラの定期演奏会が行われる予定だったが,すべて中止か延期になった。
「青少年の自立を支える会コンサート」では昨年も聴いた島田絵里さんのフルートをもう一度聴きたかった。宇女高OGオーケストラではモーツァルトのクラリネット協奏曲を聴けるはずだった。
しかし,そうしたことは本当に小さな些事に過ぎない。東北の被災地の人たちを思えば,そんなことを言ってる場合か,と。
しかし,こういう些細なことが生きる支えになってくれるのでもある。
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