2016年8月26日金曜日

2016.08.21 やっとかめ室内管弦楽団第3回演奏会

小金井宮地楽器ホール 大ホール

● このホールに来たのは,今回が二度目。この楽団の演奏を聴くのは初めてだ。
 「やっとかめ」とは変わった名前だ。虫歯が疼いて眠れぬ夜を幾晩も過ごしたあげく,ようやく歯医者に行って治療を始め,それが終了した。もう来なくてもいいですよと言われてホッとした。これで「やっとかめ」るぞという喜びが爆発して,それを名前にしちゃったよ。
 というわけではもちろんなくて,“「やっとかめ」とは名古屋弁で「久しぶり」という意味です。関東在住の名古屋にゆかりのある仲間に呼びかけてできたアマチュアオーケストラです”ということだ。

● 名古屋かぁ。ぼく自身は,名古屋には何のゆかりもない。京都や大阪に行くときに通過するところ。
 名古屋城の鯱も見たことがない。「ひつまぶし」も味噌カツも喰ったことがない。「きしめん」と「ういろう」は食べたことがある。「ういろう」はお土産でもらったのだった。「きしめん」は名古屋駅の立ち喰いスタンドで喰ったんだっけかな。
 名古屋の地下街は歩いてみたことがある。輪島の朝市を大規模にすればこうなるんだろうなと思った。名古屋帝国の国民は垢抜けるということを嫌う国民性をお持ちなのかもしれない。

● しかし,名古屋には忘れられない思いでがあるのだ。ぼくが30代に入って間もない頃のこと。だいぶ昔のことだ。
 これも名古屋駅でのことなんだけど,失業者と間違えられたことがあったのだ。ニイチャン,うちで働いてみないかい,と声をかけられた。
 もしあのとき彼について行っていれば,どんな楽しいことが待っていたのかと思う。ま,だいたい,想像はつくんだけどさ。
 間違えられても仕方がないような格好をしていたと思うし,気分も内に籠もっていて,失業者さながらに尾羽打ち枯らしたオーラを出していたんだろうな。
 ぼくと名古屋の関わりは以上ですべてだ。

● しかし,学校で日本史を習った人ならば,名古屋の重要性を疑うことはないはずだ。戦国時代に終止符を打ち,近世日本の礎を築いた3人の人物,織田信長,豊臣秀吉,徳川家康,はいずれも名古屋圏から出ている。日本国の礎石を置いたのは,名古屋圏が輩出した人たちなのだ。
 これに匹敵するのは明治維新の薩長土肥くらいのものだろうけど,薩長土肥の場合はドサクサに紛れた感がけっこうある。戦国末期の名古屋と同列に置くわけにはいかない。

● さて,演奏会だ。開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を買った。
 プログラムは次のとおり。
 メンデルスゾーン フィンガルの洞窟
 モーツァルト クラリネット協奏曲 イ長調
 ブラームス 交響曲第2番 二長調

● 指揮は沖澤のどかさん。青森県出身だそうだけれども,そう聞かされなくても青森の出だろうなとわかる顔立ち。典型的な津軽美人の顔だものね。
 ちなみに申せば,美人度の高い地域を順にあげると,秋田,新潟,青森,岩手だとぼくは思っている。それぞれ,秋田美人,新潟美人,津軽美人,南部美人という言葉がある(厳密には現在の県域とは一致しないんだけどさ)。
 いずれも,実態を伴っている。秋田美人は目鼻立ちがクッキリしたわかりやすい美人。新潟美人は色白でふっくら型。津軽美人は色の白さは他と同じだけれど,ひょうきん度が他より勝る。南部美人は,これはあるいは異論があるかもしれないけれど,都会的な美人が多い。
 唯一,言葉はあるけれども実態がないと思えるものがある。それは何か。「京美人」である。暴言多謝。

● 沖澤さんの細やかな指揮で,まずは「フィンガルの洞窟」。いわゆる初心者がいない。レベルはかなり高い。
 ついでに平均年齢もけっこう高い。少ない数ながら若者もいるので,個々の年齢差はかなりある。こういう楽団をまとめていくのは難しいかもしれない。しっかりした世話役がいるのだろう。

● モーツァルトのクラリネット協奏曲を聴けることが,この日いくつもあった演奏会から,この楽団の演奏会を選んだ理由だ。
 モーツァルトの天才をもってしても,最晩年にならねばできなかった曲だろう。悲しみ色の明るさとでもいうべき色調が全体を覆っている。あるいは,悲観的な楽観とでも言おうか。
 突き抜けてしまった明るさと言ってもいい。明るさをいくら煮詰めても突き抜けた明るさにはならない。強烈な諦観を加えて初めて,明るさを突き抜けることができるのだろう。

● 曲の基調にあるのは明らかに前者(悲しみ)なのに,表面を流れ下っていく音の連なりは後者(明るさ)。このアンビバレンツがこの曲の魅力の第一にくるものだ。
 そして,澄み切った透明感。ひょっとしてこの時期のモーツァルトは,世俗の欲望から自由になっていたのかもしれない。見切れていたのかもしれない。

● 魅力の三番目は,どこで切ったとしてもその断面から溢れだしてくる,何か高貴なるもの。気高いもの。香気を放つもの。
 それが何なのかはわからない。わからないけれども,こちらを敬虔な気持ちにさせるもの。

● であるから,この曲は上手の演奏で聴きたいものだ。特にやりにくい曲ではないと思うんだけど,こちらとしては悲しみ色の明るさを味わいたいわけで,それを表現するにはある程度以上に高度な技術でお願いしたいな,という。
 クラリネットは豊永美恵さん。まずもって文句なし。
 ただ,この曲はソリストよりも管弦楽の比重が高い。演奏の印象は,ほぼ,管弦楽で決まる。その管弦楽の実力は「フィンガルの洞窟」を聴いてわかった。聴く前から,聴きに来て正解だったと思った。

● ブラームスの2番。定番のひとつといっていいだろう。定番には定番である理由がある。
 このあたりは聴き手の成熟度(?)にもよるのかもしれないけれども,ぼくのような熟度の低い聴き手だと,場面が多彩でハッピーエンドであれば,だいたい満足する。
 この曲は,聴き終えたあとに残滓が見えない。まだ聴いていないものがあるといった“残る感じ”がない。

● 豊永さんのアンコールは,ジャンジャン作曲の「月の光」変奏曲。作曲家の名前も曲名も初めて聞くものだ。でも,CDはあるんですね。
 オーケストラのアンコールは,メンデルスゾーン「結婚行進曲」。
 というわけで,盛りだくさんの内容。しかも,この水準の演奏。1,000円はかなり安い。

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