2016年11月29日火曜日

2016.11.23 第7回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-桐朋学園大学・昭和音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 今年で7回目になる音楽大学オーケストラ・フェスティバル。首都圏の9つの音楽大学の競演(あるいは協演)。4回に分けて行われる。会場は東京芸術劇場とミューザ川崎が受け持っている。ぼくは4回目から拝聴している。
 過去3回は通し券を買っていた。1回あたり750円という驚愕の安さ。もっとも,1回券でも1,000円なので,1回でも行けない日があると,通し券の旨味(?)は消し飛ぶことになる。セコい話で申しわけありませんがね。
 で,ぼくは栃木の在から出かけていくわけで,4回とも行けることはあまりないってのが体験してみてわかった。ので,今回は通し券は買っていない。

● ということではない。今回は,たぶんこの日しか行けそうにない。じつは,この日も行けるかどうかわからなかった。要するに,家庭の事情というやつだ。
 今までは,そういうものを相方に押しつけて,自分は気楽にコンサートに出かけていくといった図式を貫いてきたんだけど,そうしたお気楽をいつまでも続けるわけにも行かない。

● でも,今日は相方のお許しが出たので,一路,川崎へ。途中,自治医大駅で下車して,「休日おでかけパス」を購入。
 上野東京ラインができて,川崎は宇都宮から乗換えなしで行けるようになった。たかが乗換えなんだけど,その“たかが”を省略できるのはとてもありがたいのだった。

● クラシック音楽の消費の旺盛さという点で世界一なのは,ドイツでもオーストリアでもイタリアでもフランスでもなく,極東のわが日本ではないかと思うことがある。
 カラヤンの全盛期に,日本はカラヤン帝国の忠実な植民地だと揶揄する人がいたようだ。つまり,カラヤンのCDが最も売れるのが日本だったから。
 しかし,それだけのCDを買う人がいたという事実の重さをこそ,思うべきだろう。誇らなくてもいいけれども。

● のみならず,夥しい数のコンサートやリサイタルが催されていて,その多くにかなりのお客が入っている。
 その夥しい数のコンサートの中でも,この音楽大学オーケストラ・フェスティバルはかなり美味しいコンサートではないかと思う。

● まず,演奏水準が素晴らしく高い。数あるプロオケにはたぶん技術では及ばない。しかし,1回の演奏にかける時間と“思い”の質量はプロオケの比ではないだろう。それが演奏に現れる。音大生が今の年齢だからこそできる演奏というのもあるはずで,その演奏を聴ける貴重な機会となる。
 指揮者もこの国を代表する錚々たる人たちが登場する。秋山和慶,高関健,下野竜也,井上道義さんなど。
 それなのに,チケットは1,000円。ほとんどタダみたいなものだろう。したがって,万難を排してでも聴きに行くべきものだと,ぼくは思う。

● わが家に関していえば,排すわけにもいかない事情があってね,という煮えきらない態度になってしまうんだけど。
 個別事情と一般論は合致しないことがしばしばある。合致しない場合は,必ず個別が一般に勝つ。

● ともあれ。今日は桐朋学園大学と昭和音楽大学。
 桐朋は,モーツァルト「ディヴェルティメント ニ長調 K.136」とバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。昭和音大は,チャイコフスキーの5番。
 指揮は桐朋がジョシュア・タン。中国系シンガポール人。昭和音大は渡邊一正さん。

● モーツァルトのディヴェルティメントをこれだけの人数で演奏しても,音にブレが出ない。
 あまり技巧に走るところもないし,多くの人に知られている曲だから,逆にごまかしが利かない。妙なネタの仕込み方をすると,すぐにバレる。直球勝負で行くしかない。
 桐朋なればこそ,こういう演奏ができる。

● プログラム冊子の解説によれば,バルトーク「管弦楽のための協奏曲」の初演は1944年,ニューヨーク。その初演は大成功だったらしい。この曲が初演で成功を収めたとは,少々意外だ。
 と思ってしまうのは,ぼくが“クラシック音楽=古典派的調和”を前提にしてしまっているからで,ピカソの抽象画を訳がわからないものと受け取ってしまうのと同じだろう。
 こう来たんだから次はこうなるという予測を裏切ってくれる。そのうち,予測じたいが立てられなくなる。振り回されるという感じになる。その振り回され方が小気味いいから聴いていられる。

● 演奏する側にとっても,バルトークのこの曲はかなり難易度が高いと思われる。しかし,そこは演奏するのが桐朋学園オーケストラだからね。乱れがないとか安定感があるとかそういう水準を超えて,こういうふうに演奏したい,ここはこう表現したいという,オーケストラの意思が感じられる。
 まぁ,こちらの思い入れがそう思わせる部分があるのかもしれないけれど。
 指揮者とオケの関係も良好。学生にしてみれば,ジョシュア・タン氏は兄貴のような存在なんだろうか。

● 桐朋学園の演奏が終わったところで帰る人がいる。一方,それを見計らったように入ってくる人もいる。それぞれの大学の関係者,あるいは演奏者の友人なのだろう。
 ぼくは全部聴かないとチケット代がもったいないと思ってしまうケチな性分だし,栃木の在から来ているわけだから,途中で席を立つことはあり得ない。
 が,自由な聴き方でいいよね,とは思う。おいおい,全部聴いてから帰れよ,などどは思うまい。

● チャコフスキーはこうすれば聴衆は喜ぶだろう,こうすれば聴衆の腑に落ちるだろう,ということをよくわかっていて,そのとおりに曲を仕上げていったのではないかと思うことがある。
 こうなってくれたら嬉しいなと思っていると,実際にそのとおりになっているという感じなんだよね。

● 演奏したのは昭和音楽大学管弦楽団。さらに洗練させる余地があると感じた。それはそうだ。音大といえど学生の時点でその余地がないまでに洗練されていたら,それは伸びしろがないということにもなりそうだ。
 彼らの多くは普通の企業に就職していくのだろう。ずっと演奏に携わる道に行く人は少数派に違いない。4年生なら,音楽三昧の日々を送れるのはあと少しだ。

● その思いをぶつけるような,迸りと言いたいほどの勢いを感じさせる演奏だった。奏者にも出し切った感があったのではないかと推測する。
 チャコフスキーの5番は,とにかくポピュラーだ。それもあってのことと思うけれども,ブラボーッの声が何度も客席にこだました。

● というわけで,幸せな時間を過ごすことができた。やはり,音楽大学オーケストラ・フェスティバルは可能な限り出かけていくべきだなぁ。
 もうひとつ。ミューザ川崎のホールスタッフのホスピタリティーが素晴らしい。これもまた,幸せ度をあげる要因のひとつになっている。

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