2018年9月10日月曜日

2018.09.01 オーケストラハモン 第39回定期演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● “青春18きっぷ”で池袋にやってきた。池袋で降りるのは何だか久しぶりの感じ。っていうか,できるだけ降りないようにしてますからね。新宿と渋谷と池袋では。
 何せ,人が多すぎるし,駅の構内が複雑すぎて迷うのが常だから。ボーッとしていることが許されない感じね。

● オーケストラハモンの演奏を聴くのは,今回が初めて。開演は午後2時。チケットはS,A,Bの3種。B席が残っていたので,それを買って入場。
 曲目は次のとおり。指揮は冨平恭平さん。
 ウェーベルン 夏風の中で
 マーラー 交響曲第6番 イ短調

● 「夏風の中で」は1週間前に聴いたばかりだ。あるね,こういうこと。生で聴く機会はさほどに多い曲ではないのに,短期間に続けて聴くことになるってこと。
 調べてみたら(調べるってほどじゃないんだけど),この曲のCD,ぼくは持っていなかった。ので,手当てした。実際にCDを聴くかどうかはわからない。わからないけれども,聴きたくなったら速攻で聴けるようにしておこうと思った。ネットで聴けるはずだけれど。

● マーラーの6番を「悲劇的」と呼ぶことにはまったく同意できない。むしろ,アジテートするっていうか,気持ちを高ぶらせるところがあると思う。ぼくの聴き方が浅いんだろうか。
 浅いついでに,マーラーは管楽器の奏者を立たせたり,上を向かせたりするんだけど,これって何か意味があるんだろか。音の聴こえ方が違ってくるとは思えない。
 見た目に変化をつけたいということだろうか。オーケストラは聴くだけのものじゃない,と。
 でもさ,これがあるんだったら,“のだめカンタービレ”のチェロの回し弾きだってあっていいんじゃないかと思ってしまうんだよねぇ。技術的に可能かどうかは別にしてね。

● 毎度思うことだけれども,東京のアマチュアオーケストラの層の厚さに驚く。地方とは隔絶している。これほどのアマオケがどれほど存在するのか。それこそ,雲霞のごとく東京に蝟集しているんだろうか。ちょっと呆然とする。
 これほどの演奏のマーラーを千円で聴けることの不思議さ。妙な気分だ。

● 東京集中はね,オーケストラに限らないわけでね。あらゆるものが東京に集中している。人口集中が根底にあるわけだけれども,ぼく一個は一極集中を人為的にどうにかしようとすることには反対だ。
 集中するには集中するなりの理由があるのだ。そこをそのままにして東京圏に人を入れないようにするのは,江戸時代の人返し令と同じだ。基本的人権の侵害だ。
 東京が元気でいることは日本の生命線だ。地方がダメになっても,東京が元気なら日本はどうにかなる。が,その逆はあり得ない。

● 首都機能移転はとうに忘れ去られたトピックだけれど,もともと無理だったのだ。国会議員は東京と選挙区を参勤交代すればいいのだし,官僚は霞ヶ関にいればいいのだ。東京を離れて,どうやって政策を立案するというのだ?
 個人もしかりだ。ビッグになりたいのなら,東京に出るしかない。インターネットがあるんだからどこにいても同じだ,というわけにはいかない。情報も東京に集中している。

● というわけで(どういうわけだ?),演奏のレベルは高い。どのパートがということではない。どのパートもレベルが高い。
 そこをあえて言うと,要の位置にいたオーボエの女子奏者を第一にあげたい。ぼくの席からだと顔かたちは見えないのだけど,絵になる奏者だ。何ていうんだろ,演じるべきところできちんと演じていたという印象だ。

● プログラム冊子の“代表挨拶”も面白かった。就職氷河期に大学を卒業した悲哀を,上司からもらった名刺入れを素材に語っているのだが,わずか40数年しか生きていなくても,人に歴史あり。そういう上司に出会えたことは,本人が思っている以上に幸運なことであったに違いない。
 そうした悲哀は誰もが持っているんだろうな。順風満帆な人生なんて,どこにもないだろう。人生は苦と喝破した釈迦は正しい。それでも笑って生きているのが人間でね。愛おしいものだよね,人間って。

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