2016年12月28日水曜日

2016.12.23 Christmas Concert 2016 Fantastic4

栃木県総合文化センター サブホール

● 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。主催者はThe Metropolitan Music。
 これを聴こうと思ったのは,出演者の一人が渡邊響子さんだったこと。今年の9月に「渡辺響子&南部由貴デュオリサイタル」を同じ栃木県総合文化センターのサブホールで聴いて,機会があればもう一度聴いておきたいと思ってた。

● その渡邊さんが一番バッターで登場。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から“おもちゃの兵隊の行進曲”や“花のワルツ”などいくつか。ピアノは滝本紘子さん。
 ぼくの鑑賞能力はライヴを聴くようになってからもほとんど変わっていない。低位安定。彼女の水準になれば,もうぼくの鑑賞能力を超える。誰の演奏も同じに聴こえる。
 ほかの人はどうなのだろう。渡邊さんの演奏とたとえば諏訪内さんの演奏をCDで聴いて,区別がつく人っているんだろうか。

● 次は滝本さんのピアノソロ。演奏したのは次の曲。
 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲
 モーツァルト トルコ行進曲
 チャイコフスキー 「四季」より“12月”
 カッチーニ アヴェ・マリア
 坂本龍一 戦場のメリークリスマス

● 今回のこのコンサートはクリスマスコンサートというくらいだから,肩の凝らない,よく知られた曲を選んでいるのだろう。聴く側が畏まったり構えたりしないですむような曲。
 けれども,ぼくなんかはわりと息をつめて聴くのが好きだったりする。クラシックとはそういうものだと刷りこまれているのかもしれないけれど。

● ところで。この部分は曲ごとに滝本さんのMCが入った。彼女の口から発せられる話し言葉のイントネーションが妙に懐かしいのだ。理由は考えるまでもなかった。栃木弁のイントネーションだったからだ。語尾が独特なわけだよね。
 彼女は茨城県の出身だったのだ。そうかぁ,ぼくらと同類かぁ。

● 群馬,栃木,茨城は北関東という括りで括られる。ところが,言葉に関する限り,群馬は栃木,茨城とは違っている。訛り方が別もの。
 その点,茨城と栃木はよく似ている。一衣帯水といってもいいのではないかと思う。地名は群馬が上野,栃木が下野なのに対して,茨城は下総と常陸。だけど,言葉からだけ判断すると,栃木は群馬より茨城に近い。

● 弘前の旅館に泊まったことがある。地元民どうしの話を聞いていると,意味不明ってことはけっしてないけれども,これも日本語なのかと思う程度には独特だ。が,彼や彼女がぼくと話すときには,標準語になる。東京人も喋らないような完璧な標準語。
 しかし,ぼくら北関東の人間は,どうやっても標準語を話すことはできない。栃木人や茨城人の中に,自分は標準語を話せると思っている人がもしいるとすれば,何の躊躇もなく断言しよう。それはキミの勘違いだよ。

● 次はソプラノの西口彰子さんが登場。ピアノは滝本さんで,滝本さん,ここまでずっと出ずっぱり。
 ヘンデル 「メサイア」より“喜べ,シオンの娘よ”
 エリック・サティ あなたが欲しい
 ドビュッシー 家のない子のクリスマス
 プッチーニ 「ラ・ボエーム」より“私が街を歩くと”
 フレデリック・ロウ 「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”

● たとえば銀座のクラブでナンバーワンになるホステスは美人ではないと言われる。美人でなければ,どういうのがナンバーワンになるのかといえば,明るいブスだ,と。明るいブスは明るい美人に勝る。ましてや,暗い美人より断然いい。すなわち,最強である。
 ということらしいんだけど,これは眉ツバだと思うね。何らかの劣等感を克服して,ひと皮むけた感じの女性がいれば,それはモテるはずだけれど,明るいブスという括りは大雑把に過ぎるでしょ。

● 西口さんは美人で笑顔。声楽の人って,表情筋が発達しているというか柔らかいというか。職業柄だろうけどねぇ。
 美人で笑顔なんだから,天下に敵なし状態になる。客席からの支持も集めやすい。
 美人だ笑顔だっていうその前に,実力があってのことだけれどもね(いや,美人だ笑顔だっていうのが実力の前にあるのかもしれない)。

● 次はチェロの宮地晴彦さん。ピアノ伴奏は室塚佳子さん。曲目は次のとおり。
 チャイコフスキー アンダンテ・カンタービレ
 チャイコフスキー ノクターン
 チャイコフスキー 奇想的小品

● つまり,オールチャイコフスキー。「アンダンテ・カンタービレ」をチェロ&ピアノで聴くのは,これが初めて。
 Wikipediaの解説によれば,「チャイコフスキーの隣に座っていたトルストイは(この曲を聴いて)感動のあまり涙を流した」とある。こういうエピソードを知ると,そこまでの感性を持ちあわせていない自分を歯がゆくも思ったりするけれどね。このあたりはでも,しょうがないね。

● 弦楽四重奏曲第1番の第2楽章。クラシックの楽曲の中でも,よく知られた名曲ということになるのだろう。もちろん,CDで何度も聴いてはいる。
 が,高い水準の演奏を生で聴くのと,CDで聴くのとでは,やはり印象が違ってくる。ここでもやはり鑑賞能力の問題になるんだと思う。CDでビシッと印象を作れる能力の持ち主なら,ライヴは聴かなくてもいいのかもしれない。しかし,ぼくはその能力を持っていない。

● 最後は,西口,渡邊,宮地,滝本のオールキャストで,シューベルトの「鱒」。これも贅沢な体験になるでしょ。
 シューベルトが生きていた時代,彼を助けるというか彼を認める仲間がいて,シューベルトを囲んで小さな演奏会を開いていたらしい。そこで演じられていたのはこんな感じだったかと思いながら聴いた。ま,違うんだろうけどね。

● 芸術を仰ぎ見る(仰ぎ聴く?)という感じではなかったんだと思うんですよね。むしろ,ポップスに対するがごとくの距離感だったのではないか,と。
 だとすると,そこまで距離を詰めるのはなかなかってことになりますかね。これまた,致し方がないところだろうな。

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