2018年9月18日火曜日

2018.09.17 栃木県交響楽団特別演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● “コンセール・マロニエ21”の優勝者をソリストに迎えて開催する,栃響の演奏会。開演は午後2時。チケットは1,000円。
 当日券もあったようだけど,このチケットは前もって買っておくのが吉。この演奏会の価値はお客さんはみな知っている。

● 今回の主役はピアノの田母神夕南さん。曲目は次のとおり。指揮は荻町修さん。
 ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より ダッタン人の踊り
 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
 チャイコフスキー バレエ「くるみ割り人形」組曲

● で,いきなり結論。今年ぼくが聴いたコンサートの中で,今回が最も出色。その理由は,第一に田母神さんの渾身のピアノにある。全力投球の私を見て,という。名花,咲く,の趣あり。鬼気迫るという形容の仕方でいいのではないかと思う。
 が,それだけでこういう演奏会になるかというと,たぶん,それだけではこうはならない。

● 栃響が彼女を包むわけだが,その包み方がひじょうにいい。企んだことではない。包み方を意図したわけではなく,あくまで結果としてそうなったということなのだが。
 栃響の団員が彼女を好ましく思っているとかいないとか,そういうことではない。そういうこととは別のもの。
 栃響が田母神さんのピアノに見事に応接した,ということとも違う。さすがは栃響で,余裕すら漂わせていたと思うのだけど,そういうこととは微妙に違う。

● 客席も与って力あったかもしれない。要は,“場”がうまい具合にできあがっていた。
 その“場”に乗って,田母神さんが存分に実力を示して,存在感を全開にした。それを栃響(と指揮者の荻町さん)がスッと受けとめて,細かくバックアップ。
 さらにそれを客席が許容するというか,押しあげるというか。そういう三重構造がサッサッサとできあがった。ソリストと管弦楽と客席のひじょうに好ましい関係が具現された。

● それを作る核になったものが何かといえば,“田母神さんの渾身のピアノ”であることは確かだから,その功績をしいて特定の誰かに帰せしめるとすれば,田母神さんということになる。
 田母神さんはこれから,あまたの会場であまたのオーケストラと共演するはずだけれども,今日のこの演奏会は,彼女の記憶に長く残るのではないかと愚察する。また,そうなってくれればいい。

● その田母神さんのアンコールはショパン「練習曲」の第1曲。お土産までもらってありがとう,という感じね。

● このピアノ協奏曲に登場していた,栃響のフルート。新顔かな。ぼくが気づかないだけで,前からいたのかもしれないけど。
 出番が多いからいきおい目立つことになるんだけども,彼女のフルートに瞠目。若い力が入ったのだなと思った。
 あと,「ダッタン人の踊り」のクラリネットにも。

● 休憩時にこんな話をしているお客さんがいた。
 わずか2時間のために,店を閉めるってリスクだよね。
 でも,1回だけのことだから。
 そうだね。1日の売上げだけだもんね。

 いやいやいや,あんまり良くないかもよ。店を閉めるってよくよくのことでしょ。
 1回だけのことっていうんだから,田母神さんの知り合いだろうか。店を閉めてわざわざ宇都宮までやって来た,と。
 こんなお客さんも来てたよ,ってことね。

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