2019年9月19日木曜日

2019.09.16 豊島区管弦楽団 第89回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● この日,ミューザ川崎で開催される演奏会に行くつもりでいた。オケ専でチェックしたら,杉並公会堂でも惹かれる演奏会がある。それも良さそうだ。ほかにもいろいろある。さすがは帝都東京なのだ。
 その中で豊島区管弦楽団を選んだのは,何というのかな,会場がすみだトリフォニーだというのが一番大きい。泊まっているホテルが水天宮前にあるので,地下鉄1本で乗り換えなしで行ける。
 ので,ササッと予定を変更してしまった。ザッハリッヒな話でありますね。

● とはいえ,この楽団の演奏は一度聴いている。かなりの水準であることはわかっている。だから,まず後悔することはないだろう。
 開演は13時30分。チケットは800円。当日券を買って入場。

● 曲目にも特徴がある。指揮は和田一樹さん。
 プフィッツナー 付随音楽「ハイルブロンのケートヒェン」序曲
 シュレーカー 組曲「王女の誕生日」
 マーラー 交響曲第7番 ホ短調
 プフィッツナーもシュレーカーも,言うまでもないがぼくは一度も聴いたことがない。CDも持っていない。マーラーを含めたこの3人の組み合わせについては,プログラムの曲目解説によって納得したけれども,音源探しはこれから。

● マーラーという作曲家の名前を初めて聞いたのは,1980年代のサントリーのCMだった。オールドだったかローヤルだったか。こんな男,ちょっといない,っていうやつ。いや,それはランボーだったか。ともあれ,それ以来,マーラーは気になる存在であったのだ。
 が,それから幾星霜。今のぼくはマーラーはつまらないと思うようになっている。

● あの大編成。他ではまず使われない打楽器。あれって必要なんだろうか。ああじゃないとマーラーは自分が表現したかったものを表現できなかったんだろうか。
 ときにこちらの理解がまったく及ばない難解さをぶつけられる。が,あの難解さって何か意味があるんだろうか。難解でなければならない理由は何なんだろうか。
 まぁ,そんなことを思うようになった。CDを含めてマーラーはそんなにたくさん聴いたわけではないんだけども,もう聴かなくてもいいかなと思っちゃってる。

● と言ったあとで申しわけないんだけど,マーラーの7番も大曲の前に難曲だ。それを見事に仕上げてくる。これは曲よりも演奏を聴くべきだ。
 日本のアマオケはここまでやるんだから呆れてしまう。アマオケの全部がそうだというわけではもとよりないのだけども,目下のところは,“CD+アマオケ”でぼくの聴きたい欲はほぼ完全に満たされる。
 今どき,CDは安価だし,アマオケのチケットはだいたい2千円どまりだから,“CD+アマオケ”で満たされるとなると,コスパが良すぎて笑っちゃうほどだ。

● CDはともかく,アマチュアといえどもこれほどの水準の演奏を800円で聴けるのは,世界広しといえども,たぶん日本だけではないか。
 もっというと,東京だけだろう。時々(いや,しばしば)思うのだが,新幹線を使わずとも東京に出るのが億劫ではないところに住んでいてよかった。ほんとそう思う。
 東京に出ることを億劫に感じるようになったら,そのときが自分が完全に老境に入ったときだろう。もはや生きていても仕方がないという段階。そうなる日が1日も遅からんことを。

● それにしても,豊島区管弦楽団。これだけの年齢差があって,これだけの水準を維持しているとは,そのこと自体がただ事ではないと思えてくる。
 学生時代あるいはそれ以前から楽器をやっていた人たちの集団だ(音大卒もかなりいるだろう)。そういう人たちが社会人になってからも活動を続けるという場合,誰とどうやって続けるかというのがわりとシリアスな問題になるものだと思う。

● ありがちなのは出身大学を継承して,同世代の人たちでOB・OG楽団を作るというものだ。世代を超えてというのは簡単だけれど,世代がまとまっていた方が安定感も増す。それは動かしがたい事実のように思われる。
 地方だとそれができない。同世代だけでは人数の絶対数が足りない。が,首都圏なら充分に可能だ。この狭いエリアに日本の人口の3割以上が集中しているのだ。

● が,あえてその方向に行かずに,豊島区を冠して老若相集っているのは,ある種の壮観を呈する。
 おそらくだが,団員の多くはこの楽団に専属しているのではなくて,他にも居場所を確保しているように思う。そこは同世代が多い場所かもしれない。同時に,この楽団を自身のモチベーションを維持する装置として使っている人が多いのではないかと思ってみる。

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