2019年10月7日月曜日

2019.10.06 第29回 OYAMAオペラアンサンブル公演-カヴァレリア・ルスティカーナ

白鷗大学 白鷗ホール

● OYAMAオペラアンサンブル公演を拝聴した。今回で29回を数えるのだが,こういうものがあることを知らないでいた。
 今回これを知ることができたのは,けっこう前。どこかの演奏会で配られたチラシを見たからだ。

● この演奏会に限らないのだが,聴衆は高齢者が多い。60歳以下は全体の何割いるだろうか。3割くらいだろうか。
 高齢者は早晩死に絶える(ぼくもまたそう遠くない将来)。そのあとを若い人たちの新規参入で埋めることができるかどうか。そこがどうも心配になる。
 いや,心配には及ばないかもしれない。高齢者も次々に再生産されるからだ。高齢者の後は新たに高齢者になった人たちが埋める。そういう流れかね。

● 開演は午後2時。当日券(2,500円)で入場した。
 チケットは事前に申し込んでおく方式のようで,当日券は販売しないんじゃないかと不安になった。が,そんなことはないのだった。そりゃそうだよね。座席数分を事前に完売できる演奏なんて,普通はない。ただ,その普通じゃないのに二度ほど遭遇したことがあるので,少し不安が兆したということ。
 チケットの入手方法は必ずチラシに書いてあるはずだから,チラシをちゃんと読めばいいんだよね。わかっているんだけど,大きな文字で書いてある日時と会場名しか把握しないのが常。

● 公演は2部構成。第1部は主にはオペラのアリア。
 トスティ “夢” “理想の人”
 モーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」より“恋人の愛の息吹は”
 ヴェルディ 歌劇「椿姫」より“燃える心を”
 プッチーニ 歌劇「妖精ヴィッリ」より“もしお前たちのように小さな花だったら”
 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」より“娘よ お父様”

● 字幕があったのはありがたかった。何度か聴いている曲もあるにはあるし,字幕なしでもこんな歌だろうと推測することはできるのだが,その推測が当たるとは限らない。
 字幕があれば安心だ。字幕を読む分,演奏に向けるこちらのリソースが減るという弊害があるにはある。が,これはもう致し方のないことだ。

● 第2部が「カヴァレリア・ルスティカーナ」。Wikipediaによると“田舎の騎士道”という意味らしいのだが,観終えたあとでなるほどと思った。
 ここまでヴィヴィッドな愛憎劇だったのか。あの有名な“間奏曲”も劇の途中の口直しになくてはならないものなのだな。

● 徹底的な演奏会形式で,バックも管弦楽ではなくピアノと弦楽カルテット。徹底的というのは,演者の動きもほぼ完全に抑えていたからだ。動きを与えてもらった方が演者はやりやすいのだろうけれど,そうなると舞台からの出入りも必要になってくる。
 演奏会形式というのだから,この方が収まりはいいのだけどね。

● それでもとんでもない熱演。愛憎の生々しさに圧倒された。“間奏曲”がほんとに救いになった。
 ストーリーがストーリーだから熱を込めやすいというのはあるんだろうけども,サントゥッツァには途中で怖くなった。トゥリッドゥももう少し上手くあしらえよとか思っちゃうんだけど,リアルに引き寄せてしまうのは,見方としては邪道なのでしょうね。

● 圧巻だったのは弦楽カルテット。舞台よりも近くで見たせいもあるのもしれない。ヴァイオリンもヴィオラもチェロも名人芸で,これで“間奏曲”を聴けたのはもっけの幸い。
 聴いておいて正解。CDも聴きやすくなるはずだ。オペラをCDで聴くというのは,ぼくにはかなりの高ハードルで,持っていてもなかなか気が向かない。
 最大の理由はCDには字幕がないからだが,全体が頭に入れば多少は違ってくるだろう。比較的小さいオペラでもあることも幸いしそうだ。

● でも,この歌劇,どうも既視感(?)がある。「あなたのサントゥッツァが泣いて頼んでいるのよ」という字幕にも見覚えがある。
 5年前の東京大学歌劇団第42回公演でこの歌劇が上演されたのだった。それを観ているのだ。
 そのときにどう感じたのか。今回と同じことを思ったのではないか。憶えていないだけで。

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