2020年1月16日木曜日

2020.01.11 アウローラ管弦楽団 第22回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 美しきコンサート・ミストレスが牽引する,ロシア音楽に特化したアウローラ管弦楽団の定演。この楽団の演奏を初めて聴いたのは2012年の室内演奏会だったのだが,そのときの印象と今のアウローラ管弦楽団の印象はずいぶん違う。大人の楽団になったって感じね。
 ロシアに特化した楽団はほかにもあるけれども,この楽団はあまたあるアマチュアオーケストラの中で独自の位置を占めることに成功している。
 お客さんもわかっている。楽団の集客努力も功を奏しているのかもしれないが,すみだトリフォニーの大ホールがほぼ埋まる。

● 開演は13時30分。当日券(1,000円)で入場。指揮は田部井剛さん。曲目は次のとおり。
 プロコフィエフ カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」
 チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調

● まずは,プロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」。この曲が誕生したいきさつについては,プログラム冊子に詳しく解説されている。映画音楽を改編したもの。したがって,カンタータとはいえバッハのそれを連想してはいけない。
 合唱団とソリスト(メゾソプラノ)が必要だ。大がかりな装置を要するこの曲を生で聴くのは今回が初めてだし,おそらくこの先もないと思う。
 その合唱団は「混声合唱団コール・ミレニアム」。ソリストは平井淳子さん。この陣容でこの大がかりな曲をたったの1,000円で聴けるんだから,お得感はかなりのものだ。

● ストーリーのメインはドイツ騎士団(北方十字軍)のロシア侵略に対する抵抗,そして勝利。が,その前に「タタールのくびき」と呼ばれたモンゴルの圧政に対する怨嗟の表現がある。
 けれども,モンゴルは圧政を敷いていたわけではないらしい。出口治明さんの著書で教えてもらったのだが,間に入ったロシアの貴族というのか地主というのか有力者が,揃いも揃って小作人,住民を締めあげた。中間搾取の実をあげるためだ。
 ロシア人には申しわけないけれども,出口さんの説明には説得力がある。搾取するのは,モンゴルよりロシアが似合う。まことに相済まぬ言い方だが。

● 染みてきたのはチャイコフスキーの4番。2楽章冒頭のオーボエのソロ,3楽章冒頭の弦のピチカート。こうすれば聴衆は喜ぶだろうと,エグいほどに知ったうえでそうしているんだろうか,チャイコフスキーって。
 しかし,そうした曲作りの調子による部分は,あったとしてもごく少ない。全体に切なさが満ちている。何度か泣きそうになるんだよね。
 プログラム冊子の曲目解説にも「運命との戦いと勝利への物語」とあるのだが,運命に勝利できたのかどうか,第4楽章まで聴き終えてもなお判然としない。ベートーヴェンの5番を聴くと,ベートーヴェンはとにかく吹っ切れたのだと思える。しかし,ここでのチャイコフスキーは膝を抱えて座りこんだままのように見える。

● しかし,とんでもない質量のカタルシスをぼくらは得ることができるだろう。ぼくらの憂鬱や諦めや見切りや卑小感を全部チャイコフスキーに預けて,身軽になることができる。
 しごく大げさに言えば,ここでのチャイコフスキーはイエスであって,ぼくらは彼の信者だ。イエスがぼくら全員の罪を背負って十字架についてくれた。おかげでぼくらは生きられる。

● 聴き終えた後に残る気分は,ある種の清々しさだ。聴衆とはいい気なものだと言われるかもしれないが,それが聴衆の特権なのだと言えば言える。特権は行使すべしとぼくは思っている。
 というわけなので,いい気分で,錦糸町の街中へ出て行ったのだった。

● 数えたわけではないのだけれども,都内のホールで最も数多く入場しているのは,おそらく,すみだトリフォニーだ。ゆえに,最も足しげく通っている都内の街は錦糸町になるはずだ(次が池袋で,その次が荻窪)。
 最近,都内の定宿が水天宮前のロイヤルパークホテルになったので,なおのことだ。錦糸町なら地下鉄1本でパッと出ることができる。複数の演奏会が同一日時になった場合にどれを選ぶかというと,会場で選んでしまうことが多くなったようにも思う。つまり,すみだトリフォニーで開催される演奏会に行くのだ。

● 影響はそれにとどまらない。そこから墨田区,江東区が自分に近いエリアになった。
 江東区は豊洲のようなウォーターフロントの先端区域を含むから,またちょっと違ってくるのだけれども,墨東という言葉に代表されるイメージを昔から追っかけてきたような気がしていて。
 それが自分を錦糸町に連れてきたわけではないけれども,なんだか落ち着きがいい結果になったなぁとは思っている。

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