2021年2月28日日曜日

2021.02.11 林真理子の劇場で愉しむ “オペラ” なるもの

栃木県総合文化センター メインホール

● 昨年の5月17日に開催されるはずだったもの。大規模改修工事が終わったあとのお披露目公演のひとつになっていた。
 が,新型コロナのため今日に延期。正直,よく今日やったなと思う。先月13日に栃木県にも緊急事態宣言が出され,3日前の8日に解除されたのだが,その間にこの公演も中止されることもあると思っていた。

● 水面下でいろいろとやり取りがあったのかもしれないが,一番割を喰ったのはホールのスタッフだろう。チケットの払戻しや再販売,座席指定のやり直し,チケット購入者への連絡といった,通常ならやる必要のない,しかも事後処理的な業務をせざるを得なかったのはお気の毒としかいいようがない。
 その代わりと言ってはなんだが,通常業務はずっと閑散期が続いていたろう。それはそれでやるせないものだろうけれど。

● この種のコンサートに家人と一緒に出かけたことは一度もない。小学生の頃からピアノを習っていたというし,高校生のときにはクラリネットを吹いていたそうなのだけれども,管弦楽にも室内楽にもまるで興味を示さない。
 その方がありがたいのだけどね。夫婦で趣味が同じというのは,決していいことではない。それぞれが好きなことをやっていて,互いに邪魔をしないというのが最も好ましい。
 今回もチケットは1年前に1枚だけ買っていた。

● が,家人は『ルンルンを買っておうちにかえろう』からの林真理子ファンであるらしい。小説は読んでないけどエッセイはすべて読んでいる,という。たしかに,トイレにも林真理子のエッセイ集が3冊ほど置かれている。ずいぶん長い間,同じものが置かれているようではあるんだけど。
 ので,今日のコンサートの話をすると,珍しく(初めてなんだけどね)私も行きたいと言う。当日券もあるらしかったので,ではそうしようかとなったんだけども,結局,彼女は休日のこの日も仕事に出て行った。休みなどあってないような日々がこのところ続いている。ブラックな職業なのだ。

● 開演は午後2時。S席のチケットを持っている。4列ほど後ろの席に指定替えされていたのは,少々残念だったけど。
 プログラムは次のとおり。パンフレットからそのまま書き写してみる。
 第1部 トーク・ステージ
 林真理子さんが語る-本とオペラのある人生

 第2部 コンサート・ステージ
 ビゼー:《カルメン》より「ハバネラ」(メゾ・ソプラノ)
 ジョルダーノ:《アンドレア・シェニエ》より「祖国の敵」(バリトン)
 プッチーニ:《ラ・ボエーム》より「冷たき手を」(テノール) 「私の名はミミ」(ソプラノ) 「愛らしい乙女よ」(ソプラノ&テノール)
 ヴェルディ:《リゴレット》より「美しい恋の乙女よ」(四重唱)

 第3部 クロストーク・ステージ
 オペラに生きる人たちとの対話

 第4部 プレゼント・ステージ 作家に贈るプレゼント曲
 ロッシーニ:《セビリアの理髪師》より「それじゃ私なのね?」(メゾ・ソプラノ&バリトン)
 カタラーニ:《ラ・ワリー》より「さよなら故郷の家よ」(ソプラノ)
 プッチーニ:《トゥーランドット》より「誰も寝てはならぬ」(テノール)

● 出演者は林真理子さんの他に,進行役の浦久俊彦さん。ソプラノが小林沙羅さん,メゾ・ソプラノが山下裕賀さん,テノールが西村悟さん,バリトンがヴィタリ・ユシュマノフさん。でもって,伴奏ピアノが河野紘子さん。
 登場人物は絢爛と言っていいだろう。小林さんと西村さんはもはや日本の声楽界を代表するビッグネームになっているし,山下さんとユシュマノフさんは2016年の「コンセール・マロニエ21」(声楽部門)の1位と2位なのだが(このコンクールも客席で聴いている。どちらが1位になってもおかしくないくらいの僅差であったろう),若手の実力者として認知されている。

● せっかくこのメンツが揃ったのだから,各地で公演するのかというと,そうではない。それをするには,それぞれが忙しすぎるだろう。
 が,同じようなものが,2018年5月(横浜),2019年11月(高崎)にも開催されていて,今年3月には名古屋でも開催されるらしい。毎年,どこかでやっているっぽい。
 いずれの場合も,林-小林-河野浦久 ラインは不動。そこにその都度,ソプラノ以外のオペラ歌手が加わって,ユニットを作っている。

● そういうことはともかく,これだけのメンバーが揃っているんだから,おそらく東京からわざわざ宇都宮まで聴きに来た人が,けっこうな数いたのではないか。
 今回に限っては,客席にいたのは地元民ばかりではなかったはずだ。それだけの吸引力があるでしょ。

● 第1部は林さんのトーク。話の引出し役が浦久さん。
 原稿は万年筆で書いているらしい。恋愛小説の人は手書きで,ミステリーやノンフィクションの人はパソコンで書いている,という。たしかに,たとえば森博嗣さんに手書きのイメージはない。
 分野によって,テンポやリズムが手書きに馴染むものとパソコンに合うものとがあるのだろう,ということ。なるほどと説得されそうになったのだけれども,そうなんだろうかねぇ。

● 宇都宮美人なんぞという言葉も飛びだした。地元にそういう言葉はないんだよね。だってね,初めて聞いたからね,宇都宮美人って。いや,リップサービスをありがとうございます,ってことなんだけどさ。
 餃子の話もねぇ,無理にしてくれなくていいんだけどねぇ。浦久さんに至っては,小京都と言われていて・・・・・・と言いだしちゃって。栃木市と混同してるよねぇ。
 そんなものだと思っているので,そこは別にいいんだけれども,要は開催地をそんなに持ち上げようとしてくれなくてもいいよ。

● 第3部は林さんと浦久さんが,4人の歌手から話を引きだす趣向。
 ユシュマノフさんが初めて日本に降り立ったときに,ここは自分がいるべき場所だと直感したという話をしていたのが印象的。日本を好きになってくれてありがとうということではなくて,そういうことってあるよね,と。
 逆もあるでしょうね。ここにいてはダメだと直感すること。着いたばかりで,誰とも話していないし,何も食べていないんだけど,そう感じることがあるでしょ。
 とはいえ,ロシアから地球を半周して日本に来て,ここは自分がいるべきところだと感じたってのは,ロマンに満ちているなぁと思って,少し以上に感動した。

● アンコールはヴェルディの《椿姫》から「乾杯の歌」。曲自体が綺羅びやかなところにきて,この4人で歌うわけだから,客席は竜宮城と化すわけだよね。
 さらに,ヨハン・シュトラウス2世の《こうもり》から「シャンパンの歌」。歓喜の絶頂で終演。

● 小林沙羅さんのソプラノをたっぷり聴けて幸せだった。この世のものとは思えないっていうか。
 何だか凄いんでした。“何だか凄い” を別の言葉に換えてみようとジタバタしてみたんだけど,きちんとした言葉が見つからない。
 天は二物を与えずというのは,逆の意味で本当にそうだなと思う。天は二物なんてケチなことは言わない。三物でも四物でも与えるんだよね,特定の人に。
 小林さんはまさにそうで,音楽の才と声を持って生まれ,なみはずれたルックスを与えられ,経済的にも恵まれた環境を用意され,強運まで授けられ,何より努力できる才能を天から分与された。これだけでいくつになる?

● しかし,多く与えられたから幸せで,与えられなかったから不幸かというと,それはまた別の問題になる。与えられたがゆえの苦悩というのが,当然あるだろう。
 ほとんどの人は一物も与えられていないはずだが,だから自分は不幸だ,神様は不公平だ,と考えるのは短絡が過ぎるというものだ。与えられなかったことが,そのまま神の恩寵であるやもしれぬ。ラッキーだったのかもしれぬ。

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