2009年8月31日月曜日

2009.08.17 間奏5:ライブの快感は胎内回帰


● 音楽をCDで聴くのとライブで聴くのとはまったく別の行為で,重なる部分はほとんどない。
 CDで聴くときは理性というか頭で聴いている。自分と音との間には充分な距離があって,それゆえ自分の中の批評家や審査員があれこれと口を出しがちになる。
 けれども,ライブだと理性が裏側に引っこむ。感情で聴くというのはおかしいけれども,頭ではなく全身で聴いている。客席にいる自分とステージとの距離がだんだん詰まってきて,ついにはステージと自分が一体になる。それゆえ,自分の中の批評家や審査員は出る幕がなくなる。

● したがって,と言っていいのかどうかわからないけれども,ライブで幸福感を享受するに際しては奏者の技術的な巧拙は問題にならない。もちろん,技術の最低レベルはクリアしてて欲しいけれども,その最低レベルってのはたぶん高校生の上級レベルでいいのではないか。
 それを超えて巧いに越したことはないけれども,越したことはないというにとどまる。ぼく的には真岡市民交響楽団宇都宮大学管弦楽団のレベルであれば充分に幸福感に浸れる。

● 技術的な巧拙でなければ何がライブの質を決めるのだろう。それを特定するためには,ライブでの幸福感の正体を突きとめなければならない。
 暫定的な回答だけれども,どうやら胎内回帰の快感だろうかと推測している。母親の子宮内で羊水に浸っていた胎児に戻る快感。音楽に包まれる感じ。
 始まってから終わるまでずっと変化を続ける音の高低,強弱,響き。いくつもの楽器が奏でるいくつもの音があるいは重なり,あるいは別々に存在して,自分をくるむ。あるときはひそやかに,あるときはしっかりと。あるときは軽く,あるときは強く。
 千変万化する包み方で自分を包んでくれる。ただ音楽の波間に漂っていればいい安心感。これが幸福感の正体ではないか,と。

● 奏者の思い,集中力は大事だ。巧くなくても思いは切らさないでほしい。それが演奏に緊張をもたらす。緊張を欠いた演奏はライブといえども雑音に過ぎなくなる。

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