2018年8月31日金曜日

2018.08.26 ミューザ川崎市民交響楽祭2018

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● コンサートは相変わらず聴いている。地元で聴くのが少なくなって,首都圏で聴く方が多くなっているんだけど,そのあたりは,ま,流れに任せる。
 問題は,それをブログ化するのに力が入らなくなっていることだ。どうも力が入らない。
 なぜそうなるのか。ひとつのコンサートを聴いて,そこから拾えるものが少なくなっているからだろう。

● 以前から演奏そのものについての記述は少なかったと思う。その曲について,楽譜について,楽章のつながりについて,作曲家について,曲が生まれた時代背景について,演奏の難所について,ペース配分について。そうしたものは,演奏する側の方が圧倒的に勉強している。
 聴く側が口を挟むことではない。演奏じたいについてこちらが言えることは,もともとさほどに多いはずがない。分は弁えなければいけない。

● 以前は周辺の話題を拾えていた(と思う)。が,今はそれすらできなくなった。こちら側の“対する態度”が甘くなっているのだ。
 そこは自覚しているのだけど,ではどうすればそこから脱出できるのかがわからない。もし,今のまま終始するのであれば,聴きに行くのはいいとしても,ブログを書くのはやめなければいけないと思う。
 つまり,益体がないからだ。そんな状態でわざわざブログにするのは時間のムダだ。自分にとっても益がない。

● ブログ化するのに時間がかかるようになった。聴いてから2週間以上も間があくのが普通になった。そんなに長く,記憶にとどめていられるはずがないじゃないか。はずがないことをやっているのは,自分で記憶をでっちあげている可能性も考えないといけない。
 さらに,ブログが短くなっている。短くなっているのに,その過半でお茶をにごしている。それは自分でわかっているから,書いていてイヤになるし,読み返すともっと憂鬱になる。
 何だか,悪循環だな。何が悪いんだか。そもそも,音楽を聴くという行為を必要としなくなっているんだろうかなぁ。

● というようなことを思いながら,今日はミューザに出かけた。演奏するのは“かわさき市民オーケストラ2018”。名前から推測できるように,常設のオケではない。川崎市に4つある市民オケの合同チームらしい。
 ミューザは世界に通用するホールだと思うのだが,オーナーは川崎市。市民オケの振興も仕事のひとつというわけだろう。といって,行政がヘタに介入するとロクな結果にならないから,その辺はうまくやってもらいたいものだと,遠く僻遠の地から祈りたいぞ。

● ともかく,その合同チームの演奏。開演は午後2時。当日券を買って入場。かなりいい席に着座できた。ラッキー。
 曲目は次のとおり。指揮は長田雅人さん。
 ウェーベルン 夏風の中で
 マーラー 交響曲第7番 ホ短調

● ウェーベルンについては,シェーンベルクの弟子というくらいしか知らない。そのシェーンベルクについても,ぼくが知るところはごく少ない。無調だの12音技法だのと言われても。音楽史に画期をなす存在であるらしいのだが。
 ウェーベルンを生で聴くのも初めてだ。彼が21歳のときの作品だろうか。静かな叙情。そこに何か熱いものを秘めているというあざとさもなく,ただただ静かに内省しているような。曲の中に“夏風”を探すのは難しかったが(探せなかったが)。

● 久しぶりにマーラーを聴いた。よくわからんヤツだなぁ,マーラーって。つまり,ぼくでは捉えきれない。
 技巧を凝らしに凝らした壮大な人工構造物。なのに,野暮ったさ,素朴さ,自然さというのがふんだんにあるような。一方で,こんなのどうやって演奏しろっていうんだと言いたくなるような技巧もはめこまれている。

● で,この長い楽曲を全体としてどう捉えたらいいのかとなると,ぼくは途方にくれる。印象をまとめきれない。
 けれども,妙な高揚感に包まれる。この高揚感が何に由来するのかがわからない。まさか,この長い楽曲を無事に聴き終えたからではあるまい。
 もしそうなら,演奏する側は高揚感どころではないだろう。無事に終演を迎えたときには,感極まって倒れてしまうはずだ。

● 合同チームということなら,団員にとっても,これはお祭りなのだろう。プロ野球のオールスターゲームのように,お祭り一色というわけではないだろうけれども。
 でもって,この曲をお祭りでやれるというのは,もともと腕に覚えがある人たちなのだろう。ここまでの演奏で聴ければ,まずもって文句はない。
 コンミスはただ者ではない印象。コントラバスのトップ首席は気合を外に出して演奏するタイプのようで,血圧があがって血管が切れるんじゃないかと心配になった。身体を大事にしろよ。

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