2019年3月31日日曜日

2019.03.31 第8回 音楽大学フェスティバル・オーケストラ

カルッツかわさき ホール

● 川崎で音大フェスオーケストラの演奏会があるので,川崎に向ってたのだが,途中で大事なことを思いだした。チケットを忘れてきた。
 チケットの定位置は,システム手帳のホルダーの中。その手帳を職場に置いたまま帰宅してしまったのだ。

● ちなみに申しあげると,当日券を買って入場して,着座するまでの間に紛失してしまって,スゴスゴと帰ってきたこともある。座席指定だったのだ。自分の座席番号など憶えられるわけがない。
 年のせいだとは思いたくないんだけどねぇ,手帳を忘れたり,スマホを忘れること,この1年でグンと増えた気がするんだよなぁ。

● チケットは財布に入れておいた方がいいかなぁ。さすがに財布は忘れないだろうからな。あるいは,前売券を買うのは一切やめてしまうか。当日券が残っていないコンサートなんて滅多にないんだから。
 さて,どうすべえ。といっても,そのまま川崎に向かう一手だ。代替プランなど思いつかなかったし(チラッと銀座に出ようかとも思ったのだが),川崎までの切符を買ってしまっているんだからね。
 いや,そういう問題ではない。これを聴かないで平成30年度を跨いではいけないでしょ。

● というわけでカルッツかわさきにやってきた。チケットを買い直して(S席 2,000円),無事に着座とあいなった。
 首都圏9つの音大と,今回は札幌大谷大学と沖縄県立芸術大学からそれぞれ1名が加わっていたようだ。

● 開演は午後3時。曲目は次のとおり。指揮は小林研一郎さん。
 ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」
 チャイコフスキー 祝典序曲「1812年」
 ベルリオーズ 幻想交響曲

● 何も知らないで失礼なことを申しあげるのだけれども,日本の奏者のプロフィールを見ると,学ぶ期間が長すぎるんじゃないかと思うことがある。日本の音大を出て,大学院を出て,オーストリアだのイタリアに留学して,さらに数年間学ぶ。今どき,留学なんぞに意味があるのか。それ以前に,いつまでも学んでばかりじゃいけないのじゃないか。ひょっとして,職を得るのが難しいので,学を延ばさざるを得ないという事情があるんだろうか。
 ということを思うのも,こういう演奏を聴くと,日本の音大のレベルの高さを感じるからだ。

忘れて使えなかったチケット。くそったれ。
● ステージには大編隊が組まれている。これだけの編隊では一本化が大変なのでは,ととりあえず思うけれども,そんなことはない。
 「1812年」のドが付くほどの迫力は,この編隊だからこそ生まれたものだ。

● 幻想交響曲を初めて聴いたときは(痩身の美少年だった頃だ),何が何だかまったくわからなかった。この曲はやはり曲目解説を読んでから聴かないと,爪を立てることもできない。
 そうして聴いてから,さて何を感じるか。そこから長い旅が始まるのだろう。が,聴き手としては,その旅をあまり長いものにしてはいけないようにも思う。向かないと思ったら見切ることも必要だ。

● 聴いて良かったと思う。この演奏に関しては代替者がいない。同じ演奏を同じ時刻に同じ会場でプロのオーケストラで聴けば,これ以上の感興を得られるかといえば,まったくそうは思わない。
 彼らにしかできない演奏だろう。1年後の彼らにもできないだろう。1年前の彼らにもできなかったろう。
 そう思わせるだけの,高密度かつ高質量。奇跡のようなタイミングの合致があって生まれた演奏が,今,目の前で展開されていて,そこに自分がいるという,あり得べからざる偶然。

● たぶん,指揮者の小林さんも感じるところがあったのだろう。何度も奏者を立たせる場面を作った。自ら語るシーンも作った。
 が,後者は感興に棹さすものだ。余計である。指揮者は黙していた方がよい。饒舌は要らない。

● ところで。来年度の音大フェスには藝大が参加しない。参加しないのはそれなりの理由があってのことだろうから,部外者が意見を言うべきではないが,大きなピースが欠けることになる。
 ちなみに,武蔵野音大はベートーヴェンの荘厳ミサ曲を持ってきているのだが,全曲演奏するんだろうか。今年度は「第九」だったんだから,全曲演奏のような気もするんだが。

● 会場の裏側に東京フィルハーモニー交響楽団と大書されたトラックが停まっていた。この演奏会の楽器を搬入したのだろう。
 といって,東京フィルが関わったわけではない。このトラックは東京フィルの持ち物ではなくて,運送業者のものだ。このあたりのことは,岩城宏之さんの著書で教えてもらった。日本の運送業者はプロ中のプロなのだ。

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