2020年2月25日火曜日

2020.02.16 昭和音楽大学短期大学部音楽科バレエコース 2019年度卒業公演

昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

● 昭和音大短期大学部パレエコースの学生さんの卒業公演。これを知ったのは,音大フェスのときにチラシをもらったからだ。
 チケットは事前に手当しておいた。ぼくのはA席で1,000円。

● 昨夜は品川のホテルに泊まったので,品川から山手線にひと駅乗って,大崎。湘南新宿ラインで武蔵小杉。南武線に乗り換えて登戸。小田急線で新百合ヶ丘。というコースを辿ってやって来た。
 武蔵小杉での乗換えが難儀。武蔵小杉で南武線に乗り換えることはまかりならぬ,と言われている気分になった。同じ川崎市内なのだがなぁ。

● プログラムを摘記しておこうかと思ったが,やめておく。
 管弦楽や吹奏楽なら楽譜があるわけだから,どの楽団でも指揮者が誰でも,基本的には同じ曲を聴くことになる。ああ,これは前にも聴いたなとわかる。
 が,バレエというのは,そういう意味での範例(楽譜にあたるもの)はないように思われる。最も創造的なのは振付であるらしい。他のジャンルでは演出にあたるのだろうが,どう振り付けるかで,同じタイトルの舞台でも,まるで違ったものになるっぽい。

● 語れるほどにはバレエを知らない。何度か舞台は見ているけれども,ぼくのバレエ観はかなり幼稚なものかと思う。
 まず,バレエは女性の身体美の究極的な表現形態だと思っている(男性ダンサーもいるわけだが)。バレエに限らず,ダンスというものは男性より女性に向いているというか,女性の方がキレが出るのだと聞いたことがある。その言葉を疑うことなく,ぼくは受けとめた。そうだろうなと思ったからだ。
 そのダンスによる女性美の動的表現がバレエなのだと思っている。

● 次に,バレエは自然への反逆だと思っている。ポワントが典型的にそうだ。ポワントで立って歩いたり跳ねたりするのが自然であるはずがない。極端な外股もそうだ。
 自然にしていては美にならない。バレエは人工美ではないけれども,自然に逆らうことによって美を生みだすものだ。
 だから,女性なら誰でもできるというわけではない。ここまで不自然な動きを身体に染み込ませるには,相当な鍛錬が要る。

● であるからして,バレエのダンサー生命はかなり短いものになるだろう。極端に言ってしまえば,20歳までではなかろうか。もっと歳を取ってからバレエを習い始める人もいるだろうけれども,おそらくバレエになるところまで持って行くのは無理なのではないか。
 年齢を重ねることでしか出せない風味というのは,バレエにはないような気がする。身体を表現媒介としてここまで酷使するのだから。

● ピアノやヴァイオリンなら,とびきりの才能に恵まれた人なら,死ぬまでそれで喰っていける。喰ってはいけなくても,表現を続けることはできる。
 が,バレエはピアノやヴァイオリンのような自分とは別の道具を持たない表現活動なのだ。自分の身体がピアノでありヴァイオリンであるのだ。身体は脳よりもはるかに早く衰えるのだ。

● 短大生といえば,世間ではやっと大人の仲間入りをしようかというお嬢さんだ。若いというより,あどけなさを残している年齢だ。
 しかし。ことバレエに関しては,そろそろ終着駅にさしかかっているのではないか。残された時間はそんなに多くはない。形にしたいものがあるなら,焦らなければならない。

● という目で見てしまうからか,舞台上の彼女たちに一抹の哀れを感じる。かわいそうという意味ではない。
 残された時間がないという哀れだ。命短し,恋せよ乙女,というときの儚さに通じる哀れだ。もうすぐ小さな死を迎えなければならないという哀れだ。

● 新百合ヶ丘からの復りは新宿行きの小田急快速急行。新宿で乗り換えるのは嫌だったので,代々木上原で地下鉄千代田線に。北千住で東武線。そのまま宇都宮まで。
 これだと新百合ヶ丘から宇都宮まで1,700円くらいですんじゃいます。時間はかかりますが,長く乗っていることができるとも言えますな。ぼく,乗り物に乗ってるのがかなり好きなので(ただし,飛行機を除く)。

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