2020年2月19日水曜日

2020.02.11 宇都宮大学 ウィンドアンサンブルプロジェクト 2019

宇都宮大学 峰ヶ丘講堂

● 日本人ってわりと学校を大事にしないよね。ときに,迷惑施設扱いする。
 近くに幼稚園だか保育所が設置されるとなったときに,昼寝の邪魔になるからと反対した年寄りがいたっていうからね。話にならない。
 大学が迷惑施設扱いされることはないんでしょうけどね。

● さて,今日は宇都宮大学に来た。吹奏楽の演奏会があったので,聴きに来たのだけど。
 開演は午後2時。入場無料。

● この吹奏楽の催しがそもそもどういうものなのか。宇都宮大学に管弦楽団はあるけれども,合唱団もあるけれども,吹奏楽団があるとは聴いたことがない。
 このあたりは,担当教師の髙島章悟さんから説明があった。宇大には『管打合奏演習』という授業がある。基盤教育科目の1つらしい。基盤教育科目とは何なのかは知る必要のない事柄に属する。
 ともあれ,その授業の最後がこの演奏会になるようだ。

● 曲目は次のとおり。
 アルフレッド・リード エル・カミーノ・レアル
 リスト ハンガリー狂詩曲第2番
 ジョー・ガーランド イン・ザ・ムード
 カルデロン ファンタンゴ
 真島俊夫編 カーペンターズ・フォーエバー

 アンコール 真島俊夫編 セプテンバー
       東海林修 ディスコ・キッド

● この授業を選択した学生さんの多くは,中学校や高校で吹奏楽をやっていたんでしょうね。正真正銘,この授業で初めて楽器に触れたという人はいないでしょう。
 最も印象に残ったのは,初っ端のリード「エル・カミーノ・レアル」。超初心者がいてはこういう演奏にはならないような気がするのでね。

宇都宮大学 峰ヶ丘講堂
● 担当の髙島先生は熱い人。熱いゆえに話が長くなる。こういう熱い先生を持てた学生は,何だかんだ言って,幸せ者でしょうね。
 地元の自治会にチラシを配った話をしていたけれど,この演奏会を演奏会として成功させるために,ドブ板選挙的な人集めも厭わないようだ。主催者が用意したパイプ椅子はほぼ埋まった。満員になったといっていい状態。
 何かを立上げて定着させるには,こうした地味な作業が,好むと好まざるとにかかわらず,避けては通れないのだろう。

● カルデロン「ファンタンゴ」のトランペット独奏は藤島さゆりさん。この授業から巣立ったといっては言いすぎだろうけれども,宇大から藝大別科に進んだ。
 髙島先生は大きく成長してくれた人と紹介していたけれども,実際,演奏に関してはそのとおりに違いないと思うのだが,しかし,それが彼女の人生にとって吉とでるか凶とでるかはわからない。好きなことを仕事にできれば,経済的には多少恵まれなくてもそれで本望だと思って,それを選ぶのだが,あとから悔いることになるかもしれない。

● それを言ってしまうと,ぼくらがしてきた選択はすべて“賭け”でしかないことになる。当然だ。未来のことはわからない。わからない状態で,未熟な自分が判断するのだ。
 中高年はだいたいが安定志向だろう。だから若者が危なっかしく見えて仕方がない。しかし,若者の選択に意見を述べてはいけないような気がする。第1に,安定志向の中高年のものの見方には,盲点がたくさんできているだろうから。第2に,選択の結果は本人が背負うものだからだ。

● しかし,逆に背中を押すことに対しても,慎重でなければならないと思う。ここで必要なのは,頑張れば道は開けると何の根拠もないことを言って,若者の背中を押す人ではなくて,才能を見てやめておけと言える人のような気がする。
 本人の意向に棹さすわけだから,それをやれば恨みをかうことが多いだろうし,自分の見立てが間違っていたかもしれないと執拗に反芻することもあるだろう。多大なエネルギーの消費を余儀なくされるから,なかなかできないものだが,どちらかといえば指導者に求められるのはそちらの方ではないか。

● と,ここまで言うと,藤島さんに才能がないと言っているように聞こえてしまうかもしれないけれども,そうではない。そんなことがぼくにわかるわけがない。一般論を述べてみたに過ぎない。
 なおかつ,若い人たちの選択に口をだすのは御法度だと思う以上に,その選択を支持したいとも思っている。背中を押すことには慎重であるべきだとしても,本人が選んだ選択肢を尊重するのは,若い人に接する場合の基本的な姿勢であるべきだろう。

● もうひとつ。現在は未来のための準備期間ではない。現在は現在で完結するものと考えた方が良くて,未来を想定して現在を決めてしまうのは,むしろぼくらが陥りやすい通弊なのかもしれない。
 所詮,人生は目先の連続。目先良ければすべて良し,とぼくなんぞは思っているのだけれども,そこを徹底すれば,将来のことなど考えても仕方がない,となる。
 刹那主義とは少し違うと思っているのだが,それを刹那主義,快楽主義というのだと言われれば,そういうものかと受け容れる。

● これから巣立とうとしている若い人たちの演奏を聴いていると,どうしても演奏とは関係のない,そんなところに思いが飛んでしまうんですよね。

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