2019年5月14日火曜日

2019.05.11 アウローラ管弦楽団 創立10周年記念 第21回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● アウローラ管弦楽団の演奏は,室内演奏会や特別演奏会も含めて,過去に6回聴いている。が,直近は2016年1月の第14回定期
 3年ほど遠ざかってしまった。理由はない。おそらく,こちらがバタバタしていたからだと思う。

● で,今回,3年ぶりに聴く機会を得た。開演は13時30分。当日券(1,000円)で入場。
 曲目は次のとおり。指揮は田部井剛さん。
 グラズノフ 祝典序曲
 チャイコフスキー バレエ音楽「白鳥の湖」より“情景” “ワルツ” “ハンガリーの踊り”
 ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

● 過去に6度聴いているのだから,この楽団の演奏水準については一応知っているつもりだ。知っているつもりなのだが,グラズノフ「祝典序曲」を聴いて,あらためて驚いた。ここまで巧かったっていうね。
 「白鳥の湖」も圧巻だったと思う。オーボエ,よく息が続くなぁとか思うわけだ。あまりに素人的な感想で申しわけないのだが。

● バレエ音楽って,踊るための音楽だから,その分,制約要因が多い(のだろう)。たんに聴くだけならバレエ音楽ってのはあまり面白いものではない,と言われることがある。
 たしかにそうなんだろうけども,チャイコフスキーの本領は交響曲の6番や5番ではなく,バレエ音楽にあるのかもしれない。ストラヴィンスキーがいるじゃないかと言われるだろうけれど,稀有な例外というかなぁ。

● そうだよ,そのとおりなんだよ,その本領をよぉく味わいなよ,と言われているような気分になった。そういう演奏だ。
 ピントがピタッとあっていて,したがってシャープな映像になるはずなのだが,シャープさを包む情感というのかなぁ。シャープなだけに甘んじていないというか。
 たしかにチャイコフスキーを聴いているというゾクゾクする感じ。得がたいものを得ているという感じ。

● プログラム冊子の曲目解説によると,今回の曲目は1942年4月5日及び8月9日のレニングラードにおける演奏会に因んでいるらしい。ドイツ軍に包囲され,甚大な餓死や凍死を作りつつあったレニングラードで開催された演奏会。そこで演奏されたのが今回の曲目であったようだ。
 曲目解説には,そういう状況にあって演奏会の開催にこぎつけたレニングラード放送交響楽団の奮闘と,その音楽がいかに当時のレニングラード市民を勇気づけたかというファンタジーが綴られている。

● というわけで,今回のメインはショスタコーヴィチの7番ということになるわけだが,この曲は少しく困った曲なのだ。少なくとも,ぼくにとってはということなのだが。
 その困ったことというのは第1楽章にある。「人間の主題」「自然の主題」「戦争の主題」の3つの旋律。「戦争の主題」は“ボレロ”になっているわけだけれども,これが「戦争の主題」に聞こえないんだよね。
 それどころか,“ボレロ”特有の酩酊感があって,聴いていると幸せな気分になってしまうんですよ。困ったものなのだ。

● 第3楽章はショスタコーヴィチのオーケストレーションの妙が冴え渡る。オルガンかと思わせる木管の調べ。宇宙の胎動を連想させるチェロとコントラバスのピチカート。世界が裂けるかと思わせる弦のうねり。
 それらが小気味よく連続し,あるいは断絶して,唯一無二の世界を描きだす。
 その世界は広い解釈を許すもので,ある時代の「レニングラード」に囚われる必要はない。そういう背景からいったん離れて,聴き手がそれぞれの,いうなら勝手な世界観で聴けばよいものだ。

● 最もバカバカしいのは『証言』を入れてしまうことで,それをしてしまってはこの曲をひどく矮小化することになる。
 ぼく一個は『証言』は壮大な捏造だと思っているが(しかも,捏造の仕方が巧いから困る),たとえ作曲家自身がどういう思いで作ったのであれ,聴き手がそれに縛られることはない。

● プログラム冊子の曲目解説に戻ると,“ターニャの日記”が写真で紹介されている。12歳の少女ターニャが綴った家族の死の記録。淡々と,おじさんが死んだ,ママが死んだ,と記録している手帳サイズのノート。
 これについては,この曲目解説で初めて知った。ググれば“ターニャの日記”に関する多くの情報がパソコンの画面に表示されるのだろうが,まったく知らないものは検索できないわけだ。ので,その存在を知り得ただけでも,この演奏会に出かけた甲斐があったというものだ。

● 「レニングラード交響曲の現地初演後に,一人の少女が指揮者エリアスベルクに花束をプレゼントした」という「史実として伝えられる」出来事も紹介されている。その花束には「レニングラードの音楽を守ってくれて,ありがとうございます」というメッセージカードが添えられていたらしい。
 その少女の写真も掲載されているのだが,ここまでできすぎている話は,写真もろとも,後世の誰か(機関であったかもしれない)が捏造したものではないかと疑うのが,まずは順当なところだろう。

● 総じて音楽の力というものを強調する内容になっているが,贔屓の引き倒しはよろしくない。状況を考えないで音楽を持ち込むことは,かえって被災者のストレスになることを,東日本大震災でぼくらは学んだはずではないか。
 「この日,初演を耳にした全ての人たちがその奇跡を共有し,自分たちの街に捧げられた交響曲によって市民に灯された勇気が,900日に及ぶレニングラード包囲を最後まで耐え抜く力に繋がった」というのも誤りだ。演奏会がなくても,耐え抜いたろうからだ。耐え抜けた理由は別にある。
 その演奏会自体,上からの演奏会だった。対外的な政治プロパガンダ以外にどんな意味があったか。それが「クラシック音楽界に名を残す歴史的な偉業」と評価されているなら,プロパガンダの成功を意味する。

● 不可侵条約を破ってドイツが攻めてきたことに学んで,スターリンは太平洋戦争末期に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して,日本側に攻め込んだ。
 結果,北方4島を含む千島列島を占領して,盗人の猛々しさを現在までロシアは維持している。ヒトラーはまったく余計なことをしてくれたものだ。

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