2020年11月30日月曜日

2020.11.29 アズール弦楽合奏団 第11回定期演奏会

豊洲シビックセンター ホール

● 豊洲シビックセンターの5階ホール。ツリーが飾ってありんした。臨海エリア然とした眺望も楽しめる。
 このホールには最近しばしば来ている。室内楽的なものはここに聴きに来ることが多いような。
 ホールにしか用がないので,他の階には行ったことがない。9階と10階が図書館になっている。ちょっと覗いてみたが,図書館は図書館であって,別に変わった光景があるわけではない。
 郊外ではなく,駅の間近のビルにこういう公共施設があるのも都会ならでは。利用しやすいだろうなと思った。が,田舎人としてみると,エレベーターで上下に動くことに,けっこうな億劫感を覚えてしまうということはある。


● アズール弦楽合奏団の定演。2017年9月の第8回,今年1月の第10回に続いて,3回めの拝聴。開演は午後2時。入場無料。曲目は次のとおり。
 ヘンデル 合奏協奏曲 イ長調
 J.C.バッハ Sonata for Flute/Violin and Keyboard より Sonata no5 with violin accompaniment
 モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調
 モーツァルト 交響曲第29番 イ長調


● というわけで,今回はモーツァルト。J.C.バッハのときに,この団の音楽監督を務めている柏木真樹さんのトークというのかレクチャーがあった。
 バロックからモーツァルトにどうつながるのかという話。モーツァルトは,突然変異のようにポコッと現れたわけではなく,モーツァルトの前にモーツァルト的な音楽がすでに存在していたという話ね。これが面白かった。腑に落ちた。
 J.C.バッハは幼少期のモーツァルトのお師匠さんでもあったらしいので,具体的なつなぎ役の代表者なのだろうけれども,そうした具体的な人間関係にとどまらず,時代が作る流れのようなものがあった。


● 受付で配れれるプログラム冊子がそっくり柏木さんの論集(?)のようなものでもあって,アカデミック過ぎてなかなかついていくのが難しくもある。いくつか転載しておく。
 文化が伝播する時には,そのままの状態で新しい土地に定着することは滅多にありません。フランスにいけばフランスとの融合が起こるし,(中略)フランス風のロココとイタリアバロックの融合が,モーツァルトを代表とする古典派の軽快で優美な音楽へと繋がったのです。(p9)
 古典派の音楽は情緒ではなく理性を重視する思想の影響で,楽曲を構造的に捉え合理性をもった展開を好むようになりました。音楽の特徴を理解するためには,このような哲学的な視点がどうしても欠かせない(p10)
 モーツァルトの時代は例外的なものを除いて作曲者の死後も演奏され続ける曲は珍しく,この協奏曲群も「お蔵入り」していました。(中略)19世紀後半にはバロックや古典派の楽曲の多くが再び日の目を見ましたが,当時の演奏習慣に従って演奏されたり楽譜が出版されたりしたので,「ロマン派風」の演奏が一般的になりました。こうした演奏は1960年代まで主流となり,言い方は悪いのですがバロックも古典派もロマン派も同じように演奏する演奏家がとても多かったのです。いずれもたっぷりとヴィブラートをかけて歌い上げたりデタシェなどの近代的な奏法を用いていて,モーツァルトが生きた時代の演奏とはかなり異質のものです。(p19)
 もともと貴族を喜ばせるために音楽が書かれていたのですから,派手な方が効果的で,いわゆる緩徐楽章は短いことが多かった(中略)。モーツァルトの曲には長い緩徐楽章がとても多く,その傾向は長じるに従って強くなります。(p22)
 イスラム圏であるトルコとキリスト圏である欧州との橋渡しに大きな役割を果たしたのは,東欧のジプシー音楽であろうと考えられています。(p22)
 モーツァルトの頃の演奏とはかなり異質ということまでわかるわけですねぇ。録音もないのにどうしてそういうことまでわかるのかと思うんだけども,人間の探究心というのは大したものだな。


● 演奏するのは大人になってから楽器を始めた人たち。プロを目指すのであれば,プロの何たるかを知らない幼い時期に始めていなければならないのだろうが,プロになるというそれだけに照準を合わせると自分の人生が痩せてしまうかもしれない。
 それは,高校生が受験に照準を合わせて,受験とは無関係のことに眼を向けないでいると,高校の3年間が痩せてしまうのと同じ。目標を決めて,それにピタッと照準を合わせて,脇目もふらずにそこに向けて邁進する,というやり方が果たして善なのかというと,やや疑問が残る。それが悪いかと言われれば,じつのところ,何とも言えないのだが。
 当然,そうではない行き方もある。そうではない行き方のそうではない良さというのもある。そういうことをこの演奏を聴きながら思ってみる。


● 柏木さんの指導によって,ロマン派的ではない奏法でモーツァルトを演奏したのだろう。ぼくの耳で,そのあたりがどこまで聴き分けられたかというと,われながら心もとない。
 しかし,いい演奏だと思った。上から眼線的な言い方になってしまって申しわけないけれども,明らかに鑑賞に耐える演奏になっている。

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