東京文化会館 小ホール
● 大晦日に東京文化会館に来るのは,9年連続で9回目になる。人生の黄昏にさしかかってからのぼくの大晦日は東京文化会館とともにある,と言ってもいいくらいのものだ。
昨年までは大ホールで開催される全交響曲連続演奏会を聴いてきた。ベートーヴェンの9つの交響曲をオールスターチームのオーケストラが小林研一郎さんの指揮で演奏する。
今年も聴くつもりでいた。そろそろいいかなぁという気分も正直あったんだけども,ベートーヴェンに因んでどうせなら9回聴いてやめよう,と。
● が,交響曲は8回でやめることにした。で,今年はベートヴェンン山脈のもうひとつ,弦楽四重奏曲を聴いてみることにしたのだ。その動機をひと言でいえば,苦手の克服だ。
つまり,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いても,ぼくはそこにベートーヴェンを感じることができない。弦楽四重奏曲に代表される室内楽について,自分は聴き下手なのだと思っている。それをどうにかしたいな,と健気にも考えたわけなんでした。
● 入場者の列に並んでいると,前の中年男性とお年を召した女性が話を始めた。一緒に来たのではなく,会うのは今日この場所が初めての2人だ。
この演奏会は2006年から始まっていて,今日で14回目になるらしいのだが・・・・・・
私,1回目からずっと来てるの。
ぼくもですよ。疲れますよね。弦楽四重奏曲をこれだけ聴くとね。
本当。私,席も毎回同じなの。
えっ?
今日のうちに予約しておくのよ。そうすると希望がとおるわ。私なんか来年来れるかどうかわからないけれど。
● そこに別の男性が話に加わった。
終わったあとはどうするんですか。サントリーホールですか。
ええ,ぼくなんか地方から来てますからね。せっかく来たんだからと思っちゃいましてね。サントリーホールに回ることにしてるんですよ。
サントリーホール? あとでググってみたら,ジルヴェスター・コンサートのことを言っているようだ。ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の年越し演奏会。サントリーホールで毎年開かれているっぽい。
21時に開演して,年が明けた頃に終わる。この演奏会が終わってからサントリーホールに移動するのだから,半分も聴けないと思うのだが,凄い人がいるものだ。
ぼくも栃木の在から9年連続でここに来ているわけで,それなりの入れこみようだと思ってたんだけども,いやいや上には上がいると言うのも憚れるほど,熱烈なファンがいるものだ。
● ともあれ。開演は午後2時。チケットは8,000円。大ホールは当日券はないのが通例だけれども,こちらは当日券があるようだ。いい席は残っていないのかもしれないけれど,ともかく思い立ったのが今日であっても,聴くことは可能だ。
上に述べたように,弦楽四重奏曲をぼくは聴けていない。その弦楽四重奏曲に対して,これだけの人が集まるのかと少し驚いた。きちんと聴ける人たちなのだろう。東大の受験会場に紛れ込んだ気分。絶対に合格しないだろう自分が,受かりそうな人たちに囲まれている。劣等感を刺激されるなぁ。
・・・・・・などと思うわけがない。自分とさほど変わるまい。会場に集まった人たちの顔を見る限りでは,そのように思える。
● まず,登場したのは古典四重奏団(川原千真 花崎淳生 三輪真樹 田崎瑞博)。田崎さん以外は女性。7番,8番,9番を演奏。
次が,ストリング・クヮルテット ARCO(伊藤亮太郎 双紙正哉 柳瀬省太 古川展生)。男性だけのユニット。都響等の首席が集まっているようだ。12番,13番,大フーガ。
クヮルテット・エクセルシオ(西野ゆか 北見春菜 吉田有起子 大友肇)。14番,15番,16番を演奏した。
● 大ホールの全交響曲連続演奏会と同様,国内で望み得る最高水準の演奏かと思われる。これを聴いてダメなら諦めるしかない。
演奏からベートーヴェンの表情が浮かんで来ないかと思ってたんだけど,ぼく,聴き手として相当にヘボかもしんない。先に聴衆に暴言を吐いてしまったのだが,謹んで訂正する。ぼくよりは聴ける人たちのはずだ。
● 演奏する側は消耗するようだ。汗が光ってたりする。印象に残ったのは,ストリング・クヮルテット ARCO の「大フーガ」。その消耗感がひときわでね。試合を終えたアスリートさながらのハァハァ言いながら引きあげるその風情に惹かれた。
つまり,演奏や曲じゃないんですよね。このあたりが,何というか,ヘボのヘボたる所以ですかなぁ。
● クヮルテット・エクセルシオには華を感じた。若いからだ(といっても,20代や30代ではない)。したたるような華がある。
そのクヮルテット・エクセルシオが演奏する第16番はベートーヴェンの死の5ヶ月前に完成したらしい。当然だけれど,枯れた感じはまったくない。この時点でベートーヴェンは自分が5ヶ月後に死ぬとは思っていない(たぶん)。
● この先にベートーヴェンが次の弦楽四重奏曲を作曲したとしたらどんなものになったろうか。それを思い巡らす自由はぼくらに残されていると思う。
つまり,この16番に“途中”を感じるからだ。ひょっとするとそれはベートーヴェンの諦観の表れかもしれないのだが,ベートーヴェンの頭の中にはこの先があったのではないかと思う。
モーツァルトの場合は,最晩年のクラリネット協奏曲の先を想像することはぼくにはとても覚束ない。極みに到達したように思える。
● 大ホールの交響曲は同じオーケストラをひとりの指揮者が指揮して演奏する。ので,中休止,大休止をはさんでつないでいくのだが,その中休止や大休止がいいメリハリにもなる。
こちらは奏者が交代するので,15分や20分の休憩を入れて(30分というのが一度だけある)淡々と続いていく。9曲を聴くのはなかなかシンドイかなとぼくも思っていたのだが,終わってみればあっという間だったような気もする。
● 終演は22:50頃だったか。上野駅発22:02の宇都宮行き普通列車に乗った。今日中に家に帰るのは無理だ。新幹線に乗っても間に合わない。宇都宮のカプセルホテルに泊まって,元日に帰宅することになる。
サントリーホール? 行かないよ。
● 記憶する限り,この9年間の大晦日の天気が悪かったことは一度もない。が,こんなに暖かい大晦日があったろうか。いいんだか悪いんだか。
年末年始気分というのがなくなっているのは,寒くないのも理由のひとつかもしれないな。
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