2020年10月28日水曜日

2020.10.18 新交響楽団 第251回演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● 久しぶりに東京芸術劇場に来た。新交響楽団の定演を聴きにきたのだけれど,こういう時期なのでチケットの予約あるいは代金の支払い方法が特異というか,普段はないやり方になる。
 事前にメールで申し込んでおいて,当日,チケットを受け取る形になった。できれば,料金は現金で受け取ってもらいたかったのだけども(20分前に別のコンサートのチケットを,このホールのプレイガイドで買っている。現金で),コロナ感染を避けるために後日振込。要は,お金を払わないで入場することになった。

東京芸術劇場
● コロナでキャッシュレスが進展したんだろうか。どうなんだろう。ぼく自身はあまり感じないのだが,クレジットカードとかQRコードで支払うのが増えているんだろうか。
 けれども,銀行振込となると昭和に舞い戻ったような気分になる。2,000円を送金するのに手数料は300円くらいになるのじゃないか。濡れ手に粟の丸儲けとはこういうことで,昭和の御代では(平成になってからもだが)特に疑うこともなく,それに従っていたんだね。銀行にはいい時代だったろう。
 もっとも,当時は銀行にお金を預けておけば,6%とか7%の利息が付いたから,その程度の手数料はしょうがないかってのもあったんですけどね。

● さらに脱線するんだけども,去年だったか,金融庁が,老後を送るには年金の他に2千万円の金融資産が必要という試算を出して,物議をかもした。
 これって,昔なら退職金を銀行に預けておくだけでよかったんだよね。利率5%でも,退職金が2千万円とすれば年に百万円の利息をもらえた。定年退職後20年生きれば,利息だけで2千万円になったのだ。それと年金でやっていけた。
 元金はそっくり残って,子孫に引き継ぐことができた。今は利息がないのだから,元金に手を付けるしかない。元金がなくなるのと同時に死ねたとしても,スッカラカンになっていて,子どもに残せるものなど何もなくなっている。
 年金だけでは暮らせないといっても,それは年金政策の問題ではないということだよね。マクロ経済の変動を年金が吸収できるはずもないわけで。

● 開演は午後2時。全席指定でS席とA席の2種。Sが3,000円でAが2,000円。ぼくの席はA。
 曲目は次のとおり。指揮は湯浅卓雄さん。
 シベリウス カレリア組曲
 芥川也寸志 交響三章
 シベリウス 交響曲第1番

● 新交響楽団はその出自からして,芥川也寸志を取り上げるのは約束事になっているのだと思うが,どうしてもここはシベリウスの1番が印象に残る。とりわけ,第4楽章。
 序盤のクラリネットの幽玄。終盤の,音が重なる毎に透明感が増していくオーケストラの不思議。いや,ほんとに不思議。重なっても濁らないんだから。
 アマオケNo.1の世評はダテではない。こういう演奏をアマオケにされては,なまじなプロオケは顔色を失うのではないか。

● プログラム冊子の曲目解説に,「音楽は感覚の数学,数学は理性の音楽」というシルベスター(数学者)の章句が紹介されている。こういう巧すぎる表現には気をつけろと思いつつも,音楽愛好家にはよく知られているこの言い方に説得されてしまう。特に交響曲は論理の塊なのだろうと思うことがあるから。
 が,数学音痴のぼくにこの点について語る資格があるはずもない。ただ,数学と音楽の距離は非常に近いのだろうなと感じるだけだ。演奏者に理系の人が多いのも,何となく理解できる気になっている。

● これほどの楽団でも,いや,これほどの楽団だからこそかもしれないが,団員募集中だ。「常に新しい視点をもって活動をしていくために新しい力を必要としています」というのは,どんな組織でも必要なことでしょうね。
 メンバーが固定してそれがずっと続くようでは,その組織なり集団は必ず病む。新陳代謝がどうしたって必要だ。人体と同じこと。細胞の入替えがなくなれば,人は死ぬ。いや,死ぬとは細胞の入替えがなくなることだ。

● 8月以降,演奏会の催行自体は行われるようになりつつある。当日券は販売しないとか,チケットのもぎりはしないとか,満席にするわけにはいかないとか,ステージでも奏者間の距離を取らなければならないからマーラーを演奏するのは難しいとか,そういう制約は残っているので,まだまだ復旧したとは言えないけれども,中止や延期はグッと減ってきたような。
 ので,生の演奏を聴けない空虚さ(?)のようなものは,ぼくに関しては払拭されている。開催する方がそうした諸々の制約を引き受けてくれているからだ。ありがたいことである。

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