東邦はモーツァルトの41番。端整かつ清新な「ジュピター」だった。指揮は大友直人さん。
● モーツァルトから離れてしまってはいけないんじゃないか,と思った。生では意外に演奏されないからね,モーツァルトって。尚のことですよ。
クラシック音楽はモーツァルトに始まってモーツァルトに終わる,かどうかはわからない。「モーツァルト」のところにバッハを代入してもブラームスを代入しても,ことごとく成立しちゃうから。
● オオトリは洗足。ベートーヴェンの「第九」。仕組んだわけではないんだろうけど,絵に描いたような大団円ね。この音大フェスで第九が演奏されるのは2018年の武蔵野以来。
洗足の学生をもってしても第九は難関のようだなと思って聴いてたんだけど,終わってみればとてつもない演奏になっていた。山場のひとつである歓喜のテーマの盛りあがりもだけども,合唱団がレベル高すぎ。いかに音大でもここまでとは。
● 指揮は秋山和慶さん。存在自体が凄い。80歳を3つ過ぎておられるのか。スッと立って長大な第九を事もなげに指揮する。日本で最もダンディな83歳だろう。
秋山さんの指揮とあっては,合唱団もソリストも途中から入場というわけには参らない。第1楽章が始まる前にスタンバイ。
● 第1楽章はビッグバンの音楽的表現だと勝手に思っている。宇宙創生の音楽。昔は,第1楽章を聴けば第九を聴いたことになる,と思ってましたよ。
第九はやっぱり途方もない曲だな。
● これに比べたら,マーラーがやったことなど児戯に類する。と,余計なことを言って,ヤな顔をされたこと,数知れず。マーラーって,知が勝ちすぎてません?
才能は欠落だと思っていてさ。これがなかったら死ぬか狂うかしかないっていう人が,「これ」をやらないとダメなんだよね。マーラーは指揮や作曲じゃない他の仕事でもスマートにやって行けた人なんじゃないかな,と思えるんですよ。欠落がない。
● ま,それは余計なこと。この第九でフェスの環は閉じた。今年もこのフェスに皆勤。
齢をとってできた暇をこういうことに使えるとは,どこにおわしますかは知らねども,神に感謝したくなりますよ。
というわけで,今年が終わった。