ラベル ルックスエテルナ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ルックスエテルナ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年4月30日日曜日

2017.04.29 ルックスエテルナ 教会のコンサート「ルネサンスの響き」

カトリック松が峰教会 聖堂

● 2013年に続いて2回目の拝聴。開演は午後3時。チケットは1,000円。事前にメールで申しこんでおいて,当日引き換えるという形。当日券もあったようだ。

● 松が峰教会の聖堂,失礼ながら聖堂というにはキッチュな印象を受ける。荘厳品にプラスチック製品があったりするからだ。
 掃除も日本の社寺(の一部)のように浄められたという感じにはなっていない。浄めるということの感覚が欧米と日本では違うのかもしれない。日本の社寺は(いわゆる観光寺社を除くと)“葷酒山門に入るを許さず”的に外界から隔絶されているのに対して,教会は集会所でもあるという性格の違いから来るのでもあるだろう。

● 曲目は次のとおり。
 デュファイ Missa Se la face ay pale(ミサ もし顔が青いなら)
 ジョスカン Missa Pange lingua(ミサ 歌え舌よ)

● プログラムの曲目解説に,簡潔な説明がある。が,これを読んでサッと理解できる人は,ルネサンス音楽に相当詳しい人でしょうね。ぼくは何度か読み返すことになった。

● どちらも合唱曲(と言っていいんだろうか)としては大曲だと思う。これをステージにかけられる合唱団(と言っていいんだろうか)はそんなにないだろう。少なくとも,栃木県ではこのルックスエテルナだけかと思われる。
 それ以前に,この2曲のすべてを生で聴ける機会というのは,極く少ないはずだ。少なくともぼくの場合,今回が最初で最後になりそうな気がする。もっと聴きたければCDで,ってことだ。

● 奏者の一人ひとりが一騎当千。とても巧い。そこだけはぼくにもわかる。特に男声にそれを感じる。テノールは遠くまで届き,バスはしっかりと土台になっている。
 これってたぶんあれだよね,その他の合唱団の多くが男声が弱いからなんだと思いますよ。他との違いの最も明瞭なところが,ここなんだってことなんですよ。
 少数精鋭でもある。少数だから精鋭でいられるのだと思われる。数を増やしてしまってはいけないのかもしれない。

● ジョスカン『Missa Pange lingua』の前に,テノールだけの演奏があった。
 以下は,プログラム冊子からの引き写しになるのだけれど,「『Missa Pange lingua』は,同名のグレゴリアン・チャントをモチーフとした循環ミサ曲であ」るらしく,その「グレゴリアン・チャント『Missa Pange lingua』の一部分を,テノールが演奏」したということ。
 グレゴリアン・チャントとはつまり,グレゴリオ聖歌のことですね。
 
● 松が峰教会の聖堂は,音楽のコンサートにもわりと使われるところで,ぼくもここで何度か聴いたことがある。音響は独特だ。残響が長いのが特徴かもしれない。
 特に今回のように,神に捧げる音楽あるいは神を讃える音楽の場合,それを教会で演奏したいと演奏する側が考えるのは理解できる。そこに何の齟齬があるわけでもない。

● でも,ここはコンサートには向かないところだと思うんですよ。
 まず,固い木のベンチに座っていなければいけない。同じ姿勢を保っているのがけっこう辛い。

● 聖堂内部にアーチを支える支柱が何本もあって,これが視界の邪魔をする。演奏者の全体が視野に入る席は,中央の前3列くらいではないだろうか。それ以外は支柱が視界を遮ってしまう。
 ぼくが座った席も,支柱によって演奏者の半分が見えなくなった。これ,かなりフラストレーションが溜まる。
 その不快感のために,演奏を聴くという行為に没入できなかった感がある。それでは聴いたことにならない。

● CDではなく生を聴くことのアドバンテージは,奏者が見えるところにある。視覚から入ってくる情報の多さ。その情報を曲解したり誤解したりできる自由さ。そこがライヴの生命線だと思っている。その生命線が,この会場ではまったく担保されない。
 ゆえに,この会場で聴くのは今日をもって最後にすると決めた。例外は作らない。

2013年5月18日土曜日

2013.05.18 ルックスエテルナ ミニコンサート「ルネサンス 教会の響き」

カトリック松が峰教会聖堂

● プログラムノートによれば,ルックスエテルナは「1999年に誕生したアンサンブルグループ」で,「ルネサンス期のラテン語テキストによる音楽を中心に取り組んで」いるとのことだ。
 といわれてもよくわからないんだけど,披露された曲目は次のとおりだ。

● 2部構成で,1st Stage では全日本合唱コンクールの過去の課題曲を並べている。
 ウィリアム・バード Cibavit eos(良い麦で養ってくださる)
 パレストリーナ Ego sum panis vivus(私は命あるパンである)
 グレーロ Sancta Maria(聖マリア)
 ヴィクトリア O magnum mysterium(偉大な神秘)
 ヴィクトリア Ne timeas,Maria(マリア,畏れるな)
 2nd Stage はパレストリーナの「Missa brevis(小ミサ)」。

● 開演は午後2時。チケットは500円。観客は女子高生から爺さままで。ほとんど満席。
 今までにも,器楽+声楽の演奏は,数は少ないものの何度かは聴いている。けれども,器楽なしの合唱のみの演奏会は,ルネサンス期も何も,今回が初体験。CDでもまず聴くことのない分野だ。
 予備知識ゼロで松が峰教会の堅い木のベンチに座った。

● そういうものになぜ出かける気になったかといえば,じつにどうも立派ならざる理由で,このコンサートのチラシをたまたま手に取ったのがきっかけ。宇都宮市文化会館だったろうか。
 チラシのデザインに惹かれたんですよ。白地に黒文字で必要事項が書かれているだけの単純なものなんだけど(あと会場内部の写真があった),そこはかとなく上品な仕上がり。気になったので,捨てないでとっておいた。
 それが理由。ほかにはなし。

● 少人数のグループなんですな。少数精鋭。ぶらさがっているヤツなんかいない。大人数の合唱団にはときどき見られるよね。
 昨年は関東大会をも突破して全国大会に出場したそうだ。ということは,相当なもの。合唱を聴くのが好きな人たちの間では,知らない人はいないくらいのものなんでしょう。

● 大人の女性が歌うと,どうしたってビブラートがかかってしまう,そうすると生体の生々しさが出てしまって,聖歌にふさわしくない,そういうときのためにボーイソプラノがあるのだ,という言われ方をすることがある? どうなんだろ。
 ほどよい生々しさは必要条件で,それがなかったら合唱を聴く醍醐味は失われるという意見もありそうだ。たとえ聖歌でも。大人の合唱である以上,声に生々しさ(=セクシーさ)を乗せてほしい,と。
 っていうか,以上はぼくの意見。で,抑制されたセクシーさを耳で味わえて,相当以上に満足。

● もっとわかりやすかったのは,テノールが達者であること。バスもしっかりと全体を支えていた感じ。男声もいいものですよねぇ。
 あとね,女性陣の粒が揃っている。歌唱もだけど,ルックスの話。これ,得点大きい。オヤジ的視点が過ぎるかもしれないけどね。

● プログラムに載っているメンバー表を見てると,どうやら夫婦で出ている人たちもいるようだ。ここで知り合って結婚したんでしょうかね。
 ということは,夫婦の趣味が同じか。どうなんだ,これ。大変じゃないかなぁ。一般論は成立しないものだけれど,夫婦で趣味が同じって,うぅむ,逃げ場がない感じ。
 暴言多謝。余計なことを言いました。大きなお世話だ。

● アンコールを含めて,約90分のコンサート。こういう曲をこんなふうに歌っているグループが栃木県にあったんだねぇ。
 遅ればせながら,うれしい発見。