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2025年2月11日火曜日

2025.02.11 東京大学音楽部管弦楽団 第110回定期演奏会

武蔵野市民文化会館 大ホール

● 三鷹に向かっているのだが。快速湘南新宿ライン逗子行きが,古河を過ぎたところで徐行運転。強風のためという。なるほど,畑から土ぼこりが舞いあがっている。
 こと時期の風物詩と言えば言える。もっと北ではもっと強い風が吹いているかもしれない。

● そんな中を東京まで出ていったのは,東大オケの定演があったからね。よほどのことがない限りは聴いておきたい楽団のひとつでしょ。
 開演は13時30分。チケットは2,000円。TEKET で購入。TEKET が普及してほんとに便利になった。ちょっと前までは,メールでのやり取りなんかをしてたんですよ。

● プログラムはオール・ロシア。何かと世界を騒がさているロシアだけれども,それはそれ,これはこれ。指揮は田代俊文さん。
 グラズノフ 祝典序曲
 プロコフィエフ 交響曲第1番「古典」
 ラフマニノフ 交響曲第2番

● 生演奏がいいのはCDでは決して味わい得ない音量と音圧を感じることができることと,視覚情報があることだ。演奏している様をリアルタイムで見ることができること。
 その視覚を満足させるのに,この楽団の右に出るところはそうそうないのではないかと思っている。ピンと張りつめた緊張,過ぎない躍動,没頭している様。

● いずれも間然するところのない見事な演奏。結果を出してくる楽団だ。
 音大ではない一般大学の学生がここまでできることに驚く。何度も驚いているのだが,この驚きは何度味わっても新鮮だ。

● プログラム冊子も学術書かと見紛うほどに硬派なもの。これを読み通せる人がいるんだろうか。
 恥ずかしながら,ぼくは読み通せたことがない。脚注まであって,まるで論文を読んでいるような気分になる。

● にしても,今日は寒かった。風が強いから体温がどんどん奪われていく。
 三鷹駅構内の「いろり庵きらく」に避難して,天ぷらそば。590円。よくこの価格で抑えているとは思うんですけどね,この3年間でずいぶん高くなったねぇ。

2020年2月3日月曜日

2020.02.01 東京大学音楽部管弦楽団 百周年記念シリーズ 第105回定期演奏会 東京公演

横浜みなとみらいホール 大ホール

● わが家からだと横浜はけっこう遠い。これが川崎だと近く感じる。心理的なものなので,確たる根拠などあるわけもないのだが,どうもぼくは川崎は東京の一部だと思っているっぽい。
 横浜はとなると,東京に対峙する独立した文化圏という捉え方をしているのじゃないか。自分のことなのに他人事のように書いて申しわけないのだが,横浜は東京を抜けて行かなければならないところなのだ。それゆえ,遠いと感じる。

● その遠い横浜に来たのは東大オケの演奏を聴くためだ。開演は午後1時30分。チケットは“ぴあ”で買っておいた。
 何せ,この楽団には痛い目に遭わされているのだ。定演ではなくサマーコンサートだったけれども,当日券で聴こうと東京まで出かけたのにソールドアウトになっていて,空しく帰還せざるを得なかったことがあるのだ。前売券を買っておくのは,この楽団の演奏会に関してはほぼ必須と考えておかないとね。

● 指揮は三石精一さん。この人はもはや怪物だ。どこが怪物かというと,誕生日が1932年3月28日なのだ。2ケ月後には88歳になっているのだ。それでもって腕が上にあがる。指揮台はけっこう高いんだけれども,ヒョイと上り,ドカッと下りる。あらゆる補助具を要しない。
 という前に,そもそも指揮をするのだ。すべて暗譜でやっているのには驚かないけれども,精緻きわまるであろう曲を指揮するのだ。ぼくなんぞは88歳になったら耳が遠くなって,もはや聴くことを諦めているだろう。

● で,こういう怪物を目の当たりにして,ぼくは将棋の藤井七段を思いだした。41手詰の詰将棋を25秒で解くという。脳そのものは藤井七段とぼくとでそうは違わないはずだろう。
 いくつかの偶然が揃って,時期を逸せずに耕すことができれば,人の脳はここまで驚異的なことをやってのける。希望になるでしょ,これ。

● 音楽と将棋では,たぶん,使う脳の部位が違うのだと思う。88歳でプロ棋士を続けられる人は,おそらくこれからも出ないだろう。
 音楽では,というか指揮では,70歳は洟たれ小僧と言われることもあるそうだから,現役寿命が長めになる。そうだとしても,もうすぐ88歳でここまで体が動くというのは,これまた希望になるでしょ。

● さらに愚想を続けると,この東大オケを指揮していること,若い大学生との接触を保っていることが,まさに88歳のパワーを支える大きな要因のひとつになっているだろう。
 しかも,頭が良くて礼儀正しい東大生たちだ。彼らと接すること,東大オケを指導することは,三石さんにも楽しみのひとつであろうと思う。
 88歳どうしでつるんでたら救いがないよ。いかな三石さんといえども老けてしまうよ。たぶん,ね。

● 曲目は次のとおり。
 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲
 シューベルト 交響曲第7番 ロ短調「未完成」
 マーラー 交響曲第1番 ニ長調「巨人」

横浜みなとみらいホール
● この楽団の演奏でマーラー1番を聴くのは,これが二度目。東大オケが学生オーケストラ初演をした曲でもあるらしい。
 巧いんですよ。間違いなく巧い。しかし,見ていると,大学に入ってから楽器を始めた奏者もいるように思われる。かすかにたどたどしさを留めている。大学生で始めるんだから,明らかに遅い。スロースターターだ。
 しかし,3年か4年でこのオケに混じって演奏できるまでになるんだよねぇ。そのことがむしろ不思議に思える。その不思議をぼくは解くことができない(楽器も頭脳で弾くものなのか)。
 解くことができないから,次のように考えてお茶を濁す。東大オケが上達を促す場として,有効に機能しているのだろう。その場の上にいるのといないのとでは,同じことをしていても上達の度合いが違うのだろう。場が持つ力というのはあらゆる分野においてある。

● 聴衆をステージに引きつける吸引力は,本邦第一かもしれない(ただし,箱根より西,白河の関より北については,ぼくはまったく承知していない)。この点に関して東大のブランド力が影響しているか。あるとしても,僅かだろう。個々の奏者が迸らせる何ものかがそうさせているのだ。
 その何ものとは何か。たぶんだけれども,練習の質量ということになる。そこに込めてきた思いの総量。
 それをステージで一気に発散する。その発散ぶりから,今日まで費やしてきた時間とエネルギー,苦悩(こんな部活,やめてしまおうか)と喜び,そうしたものの大きさを感じることができる。
 それが聴衆をステージに引きつける吸引力になっているのだろう。つまり,たくらんでできることではない。

● だものだから,聴いているぼくらも聴き終えたあとにかなりのカタルシスを与えられることになる。自分も発散したような気になるのだ。いや,気にはならないけれども,こういうものはウツルのだ。遷移する。
 この楽団の演奏は当日券がなくなるほどに満席になる。OB・OGなり同窓会なりが客席を支えているのだろうとは思うけれども,それだけでこのホールを満席にすることはできない。部外者が来ている。それはなぜかと言えば,客席に座っているだけでカタルシスを味わえるからだろう。
 少なくとも,自分を顧みると,そのように考えないわけにはいかない。

● 終演後,コンミスは泣いていたようだ。コンミスにはコンミスにしかわからない苦労があったに違いない。OB・OGが頼みもしないのに,助言という名のプレッシャーを与えてくることもあったかもしれない。
 それらをすべて越えてきて,こみあげてくるものがあったんでしょう。今回は関西公演もあったんだからね。

● というわけなので,はるばる横浜まで来て,2,500円を払って聴く価値が充分にあると断言する。精根と蘊蓄を込めたプログラム冊子の曲目解説も読みごたえがあるが,これは無理に読まなくてもよい。
 しかし,ホールに自分を運んできて,客席に座って,黙って聴くだけの価値がある。演奏がすべてを語るのだ。こちらは自分の受け取れる範囲で受け取ればよい。そういうふうにしかできないはずだしね。

2019年8月8日木曜日

2019.08.04 東京大学音楽部管弦楽団 サマーコンサート2019 栃木公演

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 東大オケの演奏を聴くのは昨年1月の第103回定演以来。サマーコンサートは2015年以来となる。
 このときのサマーコンサートも栃木公演で,宇都宮市文化会館で開催された。宇都宮のこととて,餃子でだいぶ盛りあげてくれたんだった。浜松市出身の団員がいてね。

● 東大オケのサマーコンサートっていうのは,東京を含む全国4都市でやるものだと思っていたんだけど,今年は東京と那須と札幌の3回。
 そうだった。その代わり,定演を2箇所でやるようになったんだったな。

● 東大オケのサマーコンサートってだいたい満席。当日券で入ろうと思って,ダメだったこともあった。当然,販売開始とほぼ同時に「ぴあ」で購入してた。
 が,今回,けっこう空席があるねぇ。1,200席でこれだけ空いてるっていうのは,ここが那須だから? そうは思いたくないんだが。
 そんなことを思いながら,開演を待ったのだが,開演時には“ほぼ満席”と形容しても嘘にはならない程度の入りになった。よかった,よかった。那須の面目が立った。
 ぼく,那須の生まれなんでね。って,それはどうでもいいんですけどね。

● 開演は午後2時。チケットは800円。曲目は次のとおり。指揮は田代俊文さん。
 ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲
 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

● 過去に聴いたサマーコンサートの中で最も印象に残っている曲は何かと訊かれれば, 2013年につくば市のノバホールで聴いたブラームスの4番だと即答できる。
 しかし,それはその演奏が最も出色だったという意味ではない。こちらのそのときの欲望(?)にピタッとフィットしたということだ。ブラームスの4番を聴きたかったのだと思う。それがまずあっての話だ。

● その伝でいうと,今回,楽しみだったのはストラヴィンスキー「火の鳥」。この楽団がこの曲をどう調理して客席に差出してくるか。
 調理するといったって,楽譜があるわけだから,距離を置いて見た場合の仕上がりに差が出るわけはない。近づいて見たときの肌理の細かさであるとか,盛りつけのきれいさであるとか,そういう差になるわけなのだと思う。

● で,それが細かくてきれいなわけですよね。当然,技術の問題がある。その技術に関しては,不思議なほどに巧すぎる。音大でもここまではできてないところが・・・・・・まぁ,いい。
 では,技術だけの問題かというと,違うような気がする。“気”の入れ方,その“気”の揃い方,自分と場としてのオーケストラとの相性,などなどいくつもの非技術に属する因子があるだろう。
 それゆえ,出来不出来のばらつきが大きいのがアマオケの特徴でもあるはずだと思っているんだけど,このオーケストラはそのばらつきがない(たぶん)。やはり,技術が卓越しているということだろうかなぁ。

● チャイコフスキーの5番といえば,誰でも気にする第2楽章のホルンの長いソロ。不安定を安定的に表現しなきゃいけない。
 たとえ名人であっても,迂闊に踏みこむと足下を掬われることがあるのではないかと愚察する。表現された不安定が,天然の不安定の方に傾いてしまう分岐点があるような。
 その分岐点を不安定のどこまで深部に設定できるかが,奏者の腕
那須野が原ハーモニーホール
だとすれば,相当すごいんですよ。このオケのホルン奏者はね。


● そのホルンに絡んでいくオーボエ,第1楽章冒頭のクラリネット,最終楽章終結部の金管など,聴きどころ,聴かせどころはたくさんある。そういうところで決してはずさないんだな。というわけなので,楽しみにしていた「火の鳥」よりもチャイコフスキー5番の方が印象に残った。
 つまり,だ。サマーコンサートの中で最も印象に残っている曲は,依然として2013年のブラームス4番であり続けているということ。

● 演奏についての印象を大雑把にいえば,とにかく端正だ。端正を崩さない。“東大”と知っているので,ならば“端正なはず”というイメージを作っちゃっているのかもしれない。だとすれば申しわけない話だ。“東大=端正”は成立しないはずだからね。
 しかし,演奏はあくまで端正で折り目正しいという印象。奇をてらわないオーソドックス。余計なことをしていないのがいい。端正でありオーソドックスであり夾雑物がないという,そのありようが徹底している。

● 開演前に大田原市長の挨拶があった。なぜ市長が挨拶? おそらく百パーセント善意だよね。東大オケに敬意を表してのことでもあり,この施設の存在をアピールしたくもあり。
 が,可能であれば,この種の善意は毅然と断ってほしい。やっぱり場を冷やすんだよね。市長も短い挨拶で切り上げたのだが,それでも場を冷やす。演奏会には演奏以外のものがあってはならぬと,ぼくは思う。まして,クラシック音楽と市長挨拶なんて,ほとんど水と油だ。
 が,市長側からこの種の申し出があった場合,それを拒否するのは難しかろう。一番いいのは,市長側が自制してくれることなんだがな。ここは田舎だよって言ってるようなものだし。田舎なのは来てみりゃわかるんだから,わざわざ言う必要はないわけだよね。

● 演奏以外のものはない方がいいという場合,恒例になっている「歌声ひびく野に山に」を客席と一緒に歌うという試みはどうなのか。恒例になっているくらいだから,支持されているというわけなのだが,以下に考察する。
 短い歌だから,たんに歌うだけなら短時間で終了する。が,歌い始めるまでが長く,こちらに真骨頂がある。真骨頂の核はコント(?)で,たぶん複数の構成作家が関わっているのではないか。台詞はよく練られているし,話者もしすぎない程度の練習をしているだろう。
 「長めの前奏」も特徴的だ。栃木県民の歌などが折り込まれる。地元をよく研究して,サービスに努める。ソツがない(ほめ言葉になっているか)。これで観客がイヤな気分になるわけはない。というわけだから,このバラエティーは演奏のうちに含めることとする。

2018年1月30日火曜日

2018.01.27 東京大学音楽部管弦楽団 第103回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 一昨年の第101回以来,2年ぶりの東大オケ。この楽団の演奏を初めて聴いたのは8年前。東大生って勉強だけじゃないんだなぁと,わりと強烈に感じたことを記憶している。
 ほかに特徴が2つあって,ひとつは男子比率が高いこと。もうひとつは,女子団員の美人度が高いことだ。育ちの良さそうなおっとりした感じの美女なのだ。君たち,色々と持ち過ぎなんじゃないのかい,と思うんだけどね。

● 開演は午後1時30分。チケットはSとAの2種。今回は当日券もあったようだけれども,この楽団の演奏会に関しては,チケットは前もって購入しておくのが吉。じつは,ぼく自身,当日券頼みで聴きに行ったところ,チケット完売を知らされる憂き目にあったことがある。
 というわけで,“チケットぴあ”を通して2,000円のS席を買っておいた。楽団に直接申しこむこともできるんだけど,前にちょっとした行き違いがあって(ほんのちょっとした行き違い),今回は“ぴあ”を通すことにした。

● 普通,定演といえば,1回だけの演奏だろう。が,この定演は同じ内容で二度開催。14日に東京芸術劇場でもやっているのだ。
 いつからそうなったのかは知らないけれども,おそらくチケットを買えなかったお客さんから,何とかしてくれという要望があったのだろう。あるいは,団員から出た意見かもしれないが。
 とにかく,人気があるということ。で,その人気の淵源は東大というネームバリューではない(と思う)。自分も東大にあやかりたいからとか,自分の子どもを東大に入れたいから子どもと一緒に来たとか,そういうことではない(と思う)。演奏そのものにある。

● 曲目は次のとおり。指揮は松元宏康さん。彼の指揮に接するのは,今回が初めてだ。
 レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」
 リスト 交響詩「レ・プレリュード」
 ブラームス 交響曲第4番 ホ短調

● 「ローマの噴水」はピアノやハープのほかにオルガンまで加わるわけだから,オーケストラを超えると言いたくなるほどの大編隊になる。さすがにオルガンやハープは賛助を仰いでいる。が,この編成で求心点が揺らいでいない。
 それって普通じゃない? そこが揺らぐようじゃこの曲を取りあげちゃダメでしょ,と言われれば,それはそうなのかもしれないけれど,この安定感はただ事ではない。

● リストの「レ・プレリュード」も,ぼくのイメージでは取扱いの難しい曲に属する。ヘタに扱うと散らかりやすい。
 そうさせないためには,アンサンブルが緻密であって,その緻密さに狂いがないことがまず必要だ。ただし,それだけならさほど遠くない将来に,コンピュータがそういう演奏をやってのけてくれるかもしれない。

● 正確さに生気を吹きこまなければいけない。その生気を吹きこむもの。奏者の思いというのか集中というのか,本番までにやってきたこと,上手くいかなくて苦しんだこと,その他の一切合切がそうなのかもしれないけれど,技術ではないところの何ものか。
 それが演奏に乗らないと,演奏に生気が宿らないということがあるのかないのか。ぼくはあると思っているんだけども,東大オケは,その“吹きこむもの”を昇華させるのが巧いという印象がある。それも,図抜けて巧い。

● もっとも,この点に関しては,あまり巧くてはいけないのかもしれない。生気を吹きこむところまで,コンピュータができるようになるのかもしれない。というか,たぶんなるのだろう。
 しかし,囲碁や将棋で,プロ棋士がコンピュータに敵わなくなっても,人間同士の対局が魅力を失うことはないのと同様,生身の人間が演奏するのでなければ聴衆は納得しない。

● メインはブラームスの4番。第3楽章,第4楽章はほぼ完璧で,文句のつけようがない。力が漲っているのに,走り過ぎがみじんもない。音大の演奏ではないことが,にわかには信じがたいほどだ。
 第1楽章と第3楽章が終わったあとに,何ごとかを叫んだ人がいた。外国人だった。It's so cool と言ったように聞こえた。感に堪えたという趣があった。
 ぼくらは楽章間に拍手をしてはいけないというルールに縛られているけれども,この奇声(?)は悪い感じはしなかった。アリだな,これ,と思った。奏者にも力になったかもしれない。気がこもっていたから。

● この楽団のもうひとつの特徴。プログラム冊子の曲目解説だ。3つの解説が,それぞれ論文仕立てになっているところは,さすが東大というべきだろうか。
 これに食いついていける人はそんなに多くないと思われる。ひとつには格調が高すぎるからだ。
 が,無理に食いつこうとしなくてもいいかもね。演奏する側はここまで勉強しているのだ,と知っておくだけでよいのではないか。

2016年1月31日日曜日

2016.01.30 東京大学音楽部管弦楽団 第101回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 開演は午後6時半。座席はSとAの2種で,Sが2,000円。S席チケットを事前に購入していた。

● 今回はオール・フランスで,曲目は次のとおり。指揮は山下一史さん。
 プーランク バレエ組曲「牝鹿」
 ドビュッシー 海-管弦楽のための3つの交響的素描
 フランク 交響曲 ニ短調

● 「牝鹿」の演奏が始まって,気がついたら,自分,笑っていた。声を出さずに(当然だ)笑っている自分に気がついた。
 笑っちゃうほど巧いんだもんね。これだけ巧いと笑うしかないでしょ,的な。

● 昨年11月の「第6回音楽大学オーケストラ・フェスティバル」で,山下さんは藝大を指揮していた。そのときの曲は,R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。
 さすがに藝大と比較されたのでは,東大オケも霞むことになるのだろう。が,山下さんに訊いてみたいと思った。藝大とこの東大オケと,どちらかひとつを1年間預けるから思いっきり鍛えてやってくれ,と言われたとしたら,どちらを引き受けたいと思いますか。

● まぁ,藝大なんでしょう。なんでしょうけど,ひょっとして東大オケのほうが鍛え甲斐があるとお答えになるかもしれないぞ,と思わせるものが,この学生オーケストラにはある。
 何なんだろうなぁ,この本格的な構えは。正統派というのか,正調派というのか,スッと中段に構えて隙がない。そういうイメージなんですけどね。

● ドビュッシーの「海」。この作曲家は数十年前に吉行淳之介のエッセイを読んで知った。が,ドビュッシーのCDは何枚か持っているんだけど,依然として最後まで聴き通せるようにはなっていない。
 ぼくのような,理屈というか既存の仕組みというか,そういうすでにあるものによりかからないと不安を感じるタイプ(基本的に知的に怠惰なのだと思うが)には,苦手な作曲家のひとり。ひょっとすると,“印象派”という言葉に邪魔されているのかもしれない。
 感覚,感性で現実を選り分けて進んでいける人には,面白いあるいは楽しい作曲家なのだろうな。

● 音楽って鑑賞の作法のようなものがあるんだろうか。最低限,これは知っておいたほうがいいというのはあるにしても,いわゆる作法はないのだろうね。
 自分がいいと思う曲を自分なりのやり方で聴いていけばいいものだろう。そうしているうちに,自分でも予想しなかった方向に展開することがあるだろう。それに任せていけばいいものだと思っている。
 苦手を克服しようとあまり思いすぎないほうがいいようだ。

● フランクの交響曲は,プログラムノートの曲目解説が非常に参考になった。そうなのか。当初は不評だったのか。不評の理由はドイツ圏から影響を受けていると思われたところにあるんだろうか。
 たしかに,そう言われれば,フランス的な軽さや華やかさからは遠い位置にあるかもしれないな。
 ただなぁ,フランス的という言い方じたいが,結論の先取りみたいな。フランス的とは何かという検証を経ていない,あるいはきちんと定義していないまま,ぼくも今使ってみたんだけど。

● という思考形式って,法律家的ですかねぇ。そういう形式にとらわれてしまうってこと自体,フランス音楽との相性がよろしくないってことになるのかね。
 いや,そんなことはない。そういう皮相かつ単純な話じゃないでしょうね。

● ともかく,フランクの交響曲,曲としても聴きごたえがある。加えて,この管弦楽団の演奏だ。最初から最後まで間然するところがない。
 ジェットコースターよろしくオオーッと思っている間に終わっていたという感じ。
 アンコールはラヴェル「マ・メール・ロワ」から「妖精の園」。フランスを堪能した。あとは,こちらの堪能能力(?)をあげること。

● にしてもだ。これだけの演奏をやってのける大学オケがある。そのことはもう前から知っているわけだけれども,聴く度に驚きますな。
 定演は年に1回。注力してくる時間と集中が半端ないわけだろう。ギュギュッと圧縮してくるその圧が違う。それでもってこういう演奏を聴けるのであれば,あえてプロの演奏を聴きに行かなくてもいいかなぁとも思ったりする。
 この演奏回は,毎回,満席になる。同じように思っている人は多いはずだ。

2015年8月17日月曜日

2015.08.14 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2015 宇都宮公演

宇都宮市文化会館 大ホール

● 東大オケのサマーコンサートを聴くのは,今回が5回目になる。つくばで2回,大宮で1回,東京で1回。
 毎年,全国5つの都市で開催するようなのだが,今回は4都市。その中のひとつが宇都宮。宇都宮でやるのは15年ぶりになるらしい。

● この楽団の演奏を地元で聴けるのなら,行かない手はない。早くにチケット(1,000円)は買っておいた。
 開演は午後6時半。長蛇の列ができるだろうから,早めに並んでおこうと思って,そのようにした。

● が,意外にそうでもなかったのだった。けっこう空席があった。東大オケのサマーコンサートでこれほどの空きがあるのは,5回目にして初めて遭遇した。
 といっても,この日は平日の夕方。しかもお盆中だ。帰省している息子や弟と家で飲んでいる人も多いだろう。ぼくにしたって,2,3の不義理をして,ここに来ているわけだが。

● ということは,演奏している学生さんたちも帰省せずに活動しているわけだ。16日は札幌で演奏するのだから15日は移動日だろう。まさに,彼らにお盆はない。

● 指揮は三石清一さん。曲目は次のとおり。
 モーツァルト 「魔笛」序曲
 R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
 ブラームス 交響曲第2番

● この楽団の実力は承知しているつもり。
 同時に,自分は洗脳されているのかと思ってみたりもする。他の演奏を聴くときにも,この楽団の演奏を規矩にしてしまっているのじゃないか,っていう。

● 「魔笛」序曲を聴きながら思ったことは,彼らは自分たちが大学生であることを潔しとしていないのではないかってこと。手練れの演奏をしたい,大人の円熟をめざしたいと思っているのかなぁ,と。
 若い人たちが円熟をめざすのは,年寄りが若作りをしようとするのとは真逆のベクトル?
 ではないのかもしれないけれども,これはわりと好意的に受けとめられるものだろう。

● ただ,彼らにそんなつもりがあるとは思われない。上手くなりたいと思って一所懸命に練習し,曲の背景を解説した文献を読んで,解釈を深めたいと思っているだけだろう。
 結果,こういう演奏になる。それができるのを実力があるというのかもしれない。

● 「ドン・ファン」もブラームスの2番も大きな曲だけれども,自家薬籠という言葉を思いださせる。自家薬籠中のものにするっていう言い方。
 破綻は最小限だし,曲に負けて縮こまっている部分は皆無だ。積極果敢に攻める。神経をとがらせて攻めている。

● ある曲を演奏することは,その演奏自体が曲に対する批評であると言ったのは,吉本隆明さんだったか。シュトラウスに対する,あるいはブラームスに対する,彼らの批評。それをぼくらは聴いているのか。
 が,批評は誰にでもできるというものではないだろう。批評が批評たり得るためには,批評する側に懐の深さのようなものがなければならない。それを備えている学生オケの希有な例がこの楽団だという言い方をしてもいい(他にもあることは知っているけど)。

● アンコールはハンガリー舞曲の6番だった。当然,アンコール曲に至るまで,彼らに手抜きはない。
 さらに,恒例の「歌声ひびく野に山に」の“少々長めの前奏”にこめるサービス精神にも。

● ちなみに申しあげれば,この恒例の曲は開催地出身の団員が指揮をする慣わしだ。で,その地元出身の学生が紹介されたときの,客席の盛りあがりは過去5回で最大級のものだった。
 何だろうね,彼の友人や知り合いがたくさん来てたんですかねぇ。あるいは東大崇拝度が他の地域より高いってことか。それは少々考えにくい気もするんだけどね。

2015年1月26日月曜日

2015.01.25 東京大学音楽部管弦楽団第100回記念定期演奏会

サントリーホール 大ホール

● 第100回ということで,プログラム冊子にも指揮やトレーナーを務めている(いた)人たちが手記を寄せている。
 ことがらの性質上,絶賛の嵐になっているわけだけれども,リップサービスだとは思われない。
 いちいちそうだろうなと頷きたくなった。客席に届く演奏と照らし合わせても,たぶんそうなのに違いないと思えるので。

● 以下にいくつかを摘記しておこう。
 早川正昭氏(指揮)
 初心者が約四分の一というオーケストラを,いかに上手く聴かせるかという事に重点を置いた
 「東京に10あるプロオケの中間位。」と,柴田南雄氏が朝日新聞に書かれました。
 田代俊文氏(指揮)
 驚いたのは,休憩になると指揮者の元に行列ができ,団員が質問に来る事です。
 皆さん理解力がとても高く,ヒントを少し与えればすぐに音が変わります。目標を設定すると最短距離でそこに向かっていこうとする力があり,頭がいいですね。
 皆さん音楽が大好きで,楽しんでやろうという気風が増えてきました。昔は,ちゃんとしなくちゃ,精緻にやろうという方向に比重が強くかかっていたように思います。
 青木高志(ヴァイオリン)
 演奏能力の高さと応用力の素晴らしさ
 練習初期はのんびりと・・・本番近くなると俄然まとまってくる気質
 桑田 歩(チェロ)
 常に全力で練習に取り組む姿勢と音楽に対する愛情にはプロの演奏家としても驚嘆さえ感じます。・・・いったい皆さんはいつ勉強しているのでしょう・・・?
 堀 了介(チェロ)
 東大オケと聞いてすぐ思い浮かぶのは,団員の皆さんの集中力,音楽に対するひたむきさです。時には,ここは音楽学校?と錯覚を起こしそうになった事も・・・。
 大森 悠(オーボエ)
 東大オケで学んだことを礎としてプロの世界に飛び込んだ時,プロも結構ユルいことやってんなぁ,と不遜にも思ったものだ。それくらい,東大オケは「厳格・厳密」だった。
 中川鉄也(クラリネット)
 「何よりもまず音楽に」と献身的に情熱を燃やし,その伝統の中で進化しようとする学生諸君の「覚悟」を強く感じます。
 平山 恵(フルート)
 勤勉で,禁欲的である彼らは時に学生としての本分を忘れやしないかと心配になるほど練習に打ち込み・・・・・・
 森田 格(ファゴット)
 皆の理解力の高さには驚きましたが,その場ですぐにできないことでも次の回の分奏では殆どクリアしてきてしまう事にはさらに驚きました。
 和久井 仁(オーボエ)
 驚愕のナンバーは「理解力」。年度が代わってもどんなにメンバーが代わっても楽員達の理解力は何時だって私の想像を超えるもので,上達のスピードが素晴らしい事です。
 通常オーケストラLessonで奏法や音楽的な解釈を説明する時には一つの事を伝える為に何通りかの言い回しで話をします。・・・ですが・・・東大音楽部の楽員たちは,一通りの話し方で殆どを理解してくれるのです。
 須山芳博(ホルン)
 指導を経て行くにつれ,音楽を表現する上でもっと音楽の内容に迫って欲しいと感じる事がありました。それは東大生の教養が邪魔をしている所があるのでは,と感じました。音楽を表現する事は自分の素を出すと云う事でもあります。(中略)楽器を演奏する時は東大生と云うことを忘れ、無の境地で思い切って音楽の懐に飛び込みなさい,と話しています。
 曽我部清典(トランペット)
 頭脳明晰な東大生のレッスンなど務まるのかな?という思いでしたが,こと音楽になると意外と頭使ってないなあという印象でした(笑)。
● 摘記といいながら,少々長すぎた。要するに,集中と長時間を両立した練習と,理解力の高さ。
 以上の評は,ぼくらが抱いている東大生というイメージからあまり離れていないものなので,そのままスッと納得できてしまう
 しかし,それだけだと括られてしまうと,団員からは不満続出かも。

● にしても。トレーナーひとつとっても,とんでもなく恵まれた環境を整えているんだなぁとも思った。これだけの環境はなかなかないものじゃないですか。いくら環境を整えても,ダメなヤツはダメなんだろうけど。
 早川正昭氏の話はだいぶ昔のこと。それ以後,プロアマ含めて,演奏水準はかなり高度化したんでしょうね。特にプロの水準が上がっているわけで,さすがに今は“プロオケの中間位”ということにはならない。

● それでも,技術だけではない何かをこの楽団の演奏会では味わうことができる。聴くたびにそうだ。
 背筋を伸ばしてくれるもの。ひょっとしたらオレも何かできるんじゃないか,と思わせてくれるもの。
 この楽団の第100回の記念演奏会に立ち会えたのは,幸せだった。

● マーラー5番は渾身の熱演。奏者側にも出しきった感があるのではあるまいか。
 臆せず,冷静さを保って,ガンガン行く。じつに小気味がいい。
 マーラーについていくだけでも容易じゃないと思うんだけど,ついていけるようになると,今度は逆に,乗りすぎだとわかっていながらつい乗ってしまうってこともあるんじゃないかと思うんですけどね。
 攻めすぎて駒が足りなくなるなんてことはなかった。きちんとした練習の裏打ちがあるのと,奏者それぞれに,もうひとりの自分がいて,そのもうひとりの自分が自分の演奏を見ているんだろうね。

● 指揮の宜しきを得たのも大きい。田代俊文さんの指揮。神経の行き届いた指揮だったように思われた。
 それから,コンマスがコンマスとして見事だった。この男,ただ者ではない。
 惜しむらくは,ぼくの席が後方すぎた。ちょっと出遅れたために,もうこの席しか残っていない状態だったんだけど,もっと近くでコンマスの仕事ぶりを見たかった。出遅れはいけないねぇ。

● アンコールもマーラーの「花の章」。当然,この楽団に手抜きはない。最後まで完璧に務めて,馥郁たる残り香をおいていってくれた。

2014年5月26日月曜日

2014.05.26 間奏41:東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサートのチケット申込み

● 東大オケ恒例のサマーコンサート。今年も全国5箇所で開催される。1回目が東京で,7月21日。チケットはサイトから申込む。

● ここまでは去年と同じ。そこから先が変わっていた。去年までは振込用紙が郵送されてきた。が,今回はメールで振込先を知らせてきた。それで終わり。
 振込をするのに振込用紙の現物などいらないわけだから,これで何の不都合もない。楽団事務局も手間と費用が省けるだろう。

● 翌日には振込まで終了。全部,ネット上ですませられる。大幅な時間短縮。気持ちいいくらいに速く進む。
 ほかのところではどうやっているんだろう。すべからくこういうふうにやってもらいたいと思いましたね。

● あとは,当日を待つだけだ。よんどころない用事が入らなければいいが。

2013年8月11日日曜日

2013.08.10 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2013

ノバホール 大ホール

● 東大オケのサマーコンサートは今年も健在。今年はすでに終了した東京(7月28日)を皮切りに,今回のつくば,名古屋(12日),神戸(13日),北九州(15日)と5都市で開催。
 3年前にもつくばで催行された。会場も同じノバホール。そのとき,初めてつくばの地を踏んだ。今回,つくばは2回目。こういうことでもないと,つくばに出ることはないですよね。研究学園都市っていうんだから,そうそうぼくに縁のあるはずもないし。

● でね,栃木のわが家からつくばって,地図上ではそんなに離れていないわけですよ。けれども,ゆえあって車が使えない。そうなると,わが家からつくばに出るのは,ちょっとしたイベントになってしまうんですね。
 時間的に一番速いのは,JRで秋葉原に出て,つくばエキスプレスに乗り換える方法だ。いったん南下して,次に北上するという。三角形の二辺往来。しかもこの三角形,二辺が長くて底辺が短い。何だか面白くないわけですね。

● 次なる方法は,宇都宮からバスで真岡に出て,真岡鉄道,関東鉄道常総線,つくばエクスプレスを乗り継ぐというやり方。言っちゃなんだけど,いったん東京に出るよりずっと時間がかかる。わが家からだと,この方法で真岡に出るのがすでに二辺往来になってしまうしね。
 宇都宮線,水戸線,常磐線とJRを乗り継いで,土浦(または荒川沖)からバスで入るという方法もある。やはり二辺往来より時間がかかる。
 ちなみに申しあげますが,東京まで新幹線を使うなんてことは考えていない。在来線だ。それでもいったん東京に出るのが最も時間節約的な方法ってことになる。車以外の方法で北関東を東西に移動するのは,とんでもなく不便だよ,ってことなんですけどね。

● すべて採用したくない。いっそのこと,つくばまで自転車で行ってしまおうかと考えた。
 じつは2年前のこの時期に,土浦まで自転車で往復しようと試みたことがあるんですよ。が,真壁を過ぎたあたりで引き返すことになった。土浦まで行ってしまっては帰りのエネルギーが残らなそうだったので。
 加えて,昨年4月以降,まったく自転車に乗っていない。これでつくば往復は少し無謀かなと思い直した。自転車に乗るのに必要な筋肉が落ちきっているだろうからな。
 無謀だからこそやるべきだとも,チラッとは思ったんだけど。そんなこともできないようじゃ,男廃業しろよ,って。でもさ,すでに廃業しちゃってるかも。

● 結局,真岡まで自転車で行って(片道30㎞),真岡から上記の方法で行くことにした。決めてみると,これが最もまっとうな方法だと思えるんだけど,真岡まで自転車で行くんだったら,つくばまで行ってしまえよ,っていう気持ちもどっかにある。
 真岡鉄道と関東鉄道常総線の共通1日乗車券ってのがあって,普通に切符を買うより千円程度安くなる。費用的にもこれが最安。

● ところが。あろうことか,当日,寝坊。結局,往きは秋葉原経由で,復りは常磐線経由ということにあいなった。
 そうまでして,この東大オケの演奏を聴きたい理由は何かといえば,背すじを伸ばしたいからっていうあたりになるのかなぁ。
 この楽団の演奏を聴くと,背すじが伸びる気がするんですね。演奏そのものはもちろんだけど,案内や誘導のスタッフを含めてね。
 学生がここまでやっているのに,オレもこうしちゃいらんねぇやって思うんですよ。もちろん,終演後,速やかに元の木阿弥になるわけです。言うまでもないけど。なんだけれども,その2時間の快感を買うために,この程度のコストを支払うのは受忍限度の範囲内だと思っている。
 ぼくよりずっと遠方から来ているお客さんもいるに違いない。たとえば,北陸とか東北からも。それだけの吸引力のあるコンサートだと思います。

● 東大オケに限らず,学生がやる演奏会ってだいたいそうですな。ただ,この楽団は演奏レベルも含めて,そこが突出している。隙というものが見あたらない。小憎らしいほどに仕上げてくる。
 その小憎らしさが,まぁ何というか,とても気持ちがいいわけですな。

● 開演は午後2時。チケットは1,000円(自由席)。
 太陽光が皮膚を抉るような暑さの中,きちんとネクタイを締めたスタッフが入口の前に立って,挨拶をして来場者を迎える。このあたりが背すじが伸びる所以なんだけども,こうまで暑いときにはネクタイをはずしてもいいんじゃないのかなぁ。自分たちの熱中症の心配もしないとな。
 と,部外者は思ったりするんだけど,彼らには彼らのこだわりというか考え方があるはずだ。たんに決まりだからこうしてますっていうんじゃなくて(いやいや待てよ,決まりだからしているだけか)。

● 客席は満員御礼。曲目は次のとおり。
 メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲
 ストラヴィンスキー 火の鳥(1919年版)
 ブラームス 交響曲第4番 ホ短調

● この楽団のサマーコンサートを聴くのは,これが4年連続の4回目。どれほどの腕前かはもうわかっている。
 今回も期待どおりの演奏で,こちらとすれば唖然呆然。鬼気迫るほどの集中力。合間に見せるリラックス(余裕だね)。細部をくっきりと描きだす表現力とそれを支える技術。

● 指揮は三石精一さん。サマーコンサートは毎回,三石さんが指揮者を務める。
 勝手な想像だけれども,三石さんにとっても,この仕事は楽しみのひとつになっているのではあるまいか。御年81歳になられるはずだけれども,その三石さんにして,この学生たちとの交流から秘かに学ばれているものがあるのじゃないかと愚察する。

● で,背すじを伸ばしてくれるといえば,学生たち以上に三石さんがそうで,81歳でなんでこんなにパワフルな指揮ができるんだよ,っていうわけです。
 60歳台後半に見えますな。前面の老いは隠せても,背中に現れる老いは隠せないというけれども(言わない? 今思いついたんで書いてみたんだけど),背中も若い。音楽界の三浦雄一郎ですな。
 3日に一度は,ステーキをレアで召しあがっているに違いないぞ。だとしても,だから若いんじゃなくて,若いからそんなことができるんだな。若さの理由というのは,結局,わからないものだ。

● アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲(Op.72)第2番ホ短調。
 最後にドイツ民謡の「歌声ひびく野に山に」を客席と歌ってお開きとなるわけだけど,その前奏に水戸黄門のテーマ?を演奏するというね,このあたりが小憎らしいということだね。しかも,その水戸黄門までしっとりと聴かせてくれちゃう,っていうね。
 「歌声ひびく野に山に」じたい,これで一曲になるし,たっぷり聴けて満足。

2012年11月26日月曜日

2012.11.25 東京大学第63回駒場祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学吹奏楽部・東京大学音楽部管弦楽団


東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 2年前は東大の五月祭と駒場祭,芸大の藝祭と3つの大学祭に出かけていった。タダで高水準の演奏をたくさん聴ける。こんなお得なことはないっていうケチ根性からだ。
 藝祭にしても東大のふたつの大学祭にしても,プチ「ラ・フォル・ジュルネ」じゃないかと思うほどに舞いあがったものだけれども,やはり場違いなところに来ているという感が強かった。藝祭と駒場祭ではそのことを痛感した。
 学生のお祭りなんですよね。若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね。当の学生たちに訊けば,いやそんなことはないですよ,どなたでも来ていただければありがたいですよ,と答えるに違いない。だけれども,場の空気というのは自ずと現れるもので,その空気を乱しては申しわけない。
 ということで,昨年は行かなかった。っていうか,ずっと行かないつもりでいた。

● のだが,今年は駒場祭の最終日にだけ,お邪魔させてもらうことにした。ケチ根性が勝った結果だ。
 それとね,若い学生たちの演奏には,他にはない清々しさっていうか,もっと伸びる芽が見えるっていうか,いわく言いがたい魅力がありますよね。自分が年をとったからいっそうそう思うのかもしれないんだけど。

● 駒場祭の企画の多彩さは目が眩むほどだけれども,ぼくは他のことには興味がない。東大にいくつかある学生オケの演奏を聴きたい。それだけだ。
 ちなみに,東大じゃなくてもいいんじゃないか,複数の学生オケがある大学は東大以外にもあるだろう,と言われるかもしれないんですけどね。なぜ東大か。その理由はひじょうに明解。ホームページなんですよ。
 栃木から行くんでね,事前に予定を立てておきたいわけです,大雑把にでもね。駒場祭のホームページは企画内容とかタイムテーブルをしっかりと出してくれるし,タイミングが早め早めで,その予定を立てやすいんですよ。他大学はこのあたりがわりと不充分なんだなぁ。

● 11:15からフィロムジカ交響楽団(実際には11:30の開演となった)。「今年フィロムジカに入団した初心者の多くがこの曲で初舞台を踏みます」とのこと。駒場祭の性格からして,それはそういうものなのだろうな,と。
 曲目は次の3曲。与えられる時間に限りがあるから,通常のコンサートよりも短めのラインナップになっている。
 グラズノフ 祝典序曲
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」
 チャイコフスキー 交響曲第5番(ただし,3楽章と4楽章のみ)

● なるほど幼顔の学生たちだった。けれど演奏も幼いかというと,そんなことはない。
 今年の秋はチャイコフスキーの5番を聴く機会が多い。もちろん,何度聴いてもOKだ。今日,この場所でしか聴けないものだから。それぞれの演奏が一期一会だから。
 14日に聴いたキエフ交響楽団の演奏をどうしても思いだしてしまう。あのとき,キエフ交響楽団の「ロミオとジュリエット」をぼくは凡庸だと感じた。が,盛りあげ方は巧い,と。
 だが,違った。楽譜どおりに弾いただけだったのだ。今回のフィロムジカの演奏も同じだったから,たぶんそうなのだろう。こんな初歩的な勘違いをわざわざ書くのもどうかと思うんだけど,ぼくの耳はどうもいけない。

● この楽団は東大以外の学生も参加しているけれど,多くは東大生。最近になってやっと東大コンプレックスというものから解き放たれたというか,どうでもいいじゃんと思えるようになった。
 ただ,素晴らしい勉強頭のほかに,演奏のたしなみまで持っているってのは,羨ましい。自分との落差を感じてしまう。時代の違いってのもあるんだろうけどね。

● 会場である900番教室は2階席もあって,2階席の背後にはパイプオルガンも設置されている。音楽の演奏も考えて作られていると思われるんだけど,さすがに普通のホールと比べてしまえば見劣りがする。っていうか,比べてはいけないものだね。外の「祭」のざわめきも聞こえてくるし。
 が,その分,全体が小さいから,ステージとの距離は近くなる。音響などはさほど気にならない。そもそも大学祭での演奏会だって承知して聴いてるわけだから。

● 次は13:30から吹奏楽部の演奏。この吹奏楽部は多くが東大以外の学生。そのほとんどは女子。ざっくりいうと,非東大の大勢の女子と東大の少数の男子で構成されている。
 何が言いたいのかっていえば,東大男子が羨ましいぞ,と。

● 2年前の五月祭でも聴いたんだけど,巧いのかそうじゃないのかよくわからなかった(つまり,巧いとは思わなかったってことになりますか)。
 が,3曲目の「ジェラード・コン・カフェ」(真島俊夫作曲)を聴くに及んで,認識を新たにした。巧いです。すみませんでした。今まで気づかなくて。
 4曲目の「ヒロイック・サガ」(ジェイガー作曲)でさらにその感を深くした。聴いてよかったと思った。

● 最後は15時から音楽部管弦楽団。こちらも「毎年1,2年生を中心に結成された駒場オーケストラで駒場祭に臨みます。今年はドイツ系作曲家の以下3曲を演奏します。若さあふれるオーケストラの響きをお楽しみください!」とある。うん,まさにそのために来ているわけでね。
 こちらは次の3曲。
 ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲
 ニコライ 歌劇「ウィンザーと陽気な女房たち」序曲
 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

● たまげましたよ。1,2年生が演奏しても,ここまで完成度が高いってのは何事であるか。入部してくるのはその時点でかなりの腕の持ち主たちなのだろうと思うほかはない。ま,それをいうなら先のフィロムジカも同じだけれど。
 現実に目の前で演奏しているのを聴いているわけだから,それを認めるしかないんだけども,いや,それにしてもね。
 小器用というのでは全然ない。地力がある。本格的に巧い。こなすべきものはこなしている。では,大量に練習しているのかといえば,そうでもないような気がする。そのへんの凄さを感じるというか。

● ステージに段差がないので,1階席に座ると管の奏者は見えない。っていうか,手前のヴァイオリン奏者しか見えないんだけど,ヴァイオリンに関していうと男子がずっと多くて(ただし,コンサートマスターは女子),男っぽい感じの楽団だった。
 その男っぽい楽団が表現は女性的というか,繊細というか,艶っぽいというか,光沢があるというか。変な言い方で申しわけないんだけれども,細い指で背中をなぞられるような感じでゾクッとしたぞ。

● 今回は模擬店を出している学生たちにも声をかけてみた。もちろん,普通に対応してくれる。たいてい混んでいるから,話しこむってところまではいかないけれど,普通に素直ないい子たちだよね。当然っちゃ当然な感想だけど。
 こちらから「若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね」と壁を作ってしまってはいけなかったなと反省しました。
 演奏もそうだけれども,結局のところ,若い学生たちにエネルギーを分けてもらったってことになるんですかね。

2012年7月29日日曜日

2012.07.28 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2012

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 今年もまたこの楽団のサマーコンサートを聴きに来た。田舎から自分の身体を運んでまでも聴くだけの価値があると信じているから,そうするわけね。
 チケットはS席で1,500円。といっても,座席はS席とA席の2区分で,両者の差は500円。予約したのが遅かったので,S席が少し残っているだけだった。きわどいタイミングだったかも(が,わずかに当日券もあったようだ)。開演は午後6時半。

● たとえ1,500円でもお金を取ってくれると,こちらの気分はむしろ楽になる。なにせ,団員の真摯さがビンビン伝わってくるし,技量も確かだ。普通にプロオケの演奏を聴いているときより,こちらの背筋が伸びる。これで無料にされたんじゃ,身の置きどころがなくなってしまう。

● 曲目は次の3曲。指揮者は例年のごとく三石精一氏。
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」
 メンデルスゾーン 交響曲第3番 イ短調「スコットランド」

● とにかく,出だしが勝負。どんな2時間を過ごせるかは,最初の10秒で決まる。この10秒でゾクゾクできるかどうか。だから,息をとめて演奏開始の瞬間を待つことになる。
 この点に関して,この楽団に裏切られたことはたぶんないはずだ。今回もしかりだった。
 何と言うんですかね,要するに穴がないんですね。すべてのパートの粒が揃っているっていうか。どこにゴロやフライが飛んできても,きちんと捕球してアウトにするっていうイメージですね。

● 手堅い守備力だけじゃない。「スコットランド」では表現力の高さも見せてくれちゃった。これも出だしからね。ぼくが聴いているCDはロンドン交響楽団の演奏を収録したものなんだけど,そのCDをそのまま生演奏にしたのかっていう錯覚に一瞬おそわれたくらいで。
 表現のキメが細かいんですよ。もちろん,技術の裏打ちがあるわけですね。加えて,若さゆえの清新さ。

● コンマスがコンマス然としているのもいい。毅然とした佇まいがあるんですな。オケを引っぱっているっていう(本当にそうなのかどうか,それは知らないけどさ)。中には,団員の顔色を窺ってそれに合わせようとしてるんじゃないかと思える人もいるからね。
 コンマスといえば,オケを代表して指揮者とやり合う局面もあるはずでね。強い人じゃないと困るよね。たんに,技術トップというだけでは足りない。この楽団のコンマスが三石氏とやりあうってのは想定しにくいわけだけど,それはそれとして,ね。
 彼,2年前の駒場祭でも,1・2年生だけのオケでコンマスを務めていた。すっかり大人の骨格と顔立ちに変わっていた。ほんとにこの時期の若者の変化って,予測を超えることがあるよねぇ。

● この会場はステージと客席の高さがけっこうある。比較的前の方の席だったこともあって,オケを見あげる形になった。この角度でステージを見るのは初めての体験。
 この角度からは,指揮者の動作がよく見える。三石さん,そろそろ80歳になるんじゃなかったか。髪も黒々としているし(染めているとは思えない),贅肉はついてないし,動作は軽やかだし,肉体年齢は相当若い。ひょっとすると,今でも筋トレとかして体を鍛えているんじゃないか。
 まぁ,ある種の怪物なんでしょうねぇ。節制とか鍛錬も裏側にあるんだろうけど,基本はDNAだよなぁ,こういうのって。
 でも,指揮者って総じて長命ですよね。加えて,生涯現役の人が多い。70歳を過ぎてから円熟期に入ったと言われることもありますもんね。そういう職業って,ほかにはあまりないんじゃないでしょうか。

● すべての演奏が終わったあとに,客席を巻きこんで「歌声ひびく野に山に」を歌うのが,この楽団のサマーコンサートの習わしになっている。
 今年のサマーコンサートは今回をかわぎりに,神奈川,富山,京都,高知で開催されるんだけど,開催地出身の団員が,合唱を指揮する。
 で,今回の指揮者がまぁ,女優にもなれそうな美人。歌っている場合じゃないよなぁ。ステージ上の彼女に見惚れていたことは言うまでもない。

2011年7月31日日曜日

2011.07.18 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2011

大宮ソニックシティ 大ホール

● 18日は東京大学音楽学部管弦楽団のサマーコンサートの埼玉公演。会場は大宮のソニックシティ大ホール。

● 毎年,7~8月に全国5都市(今年は埼玉,東京,松本,神戸,高松)でコンサートを開催している学生オケは,たぶんここだけだ。この行事は東大オケの伝統らしいのだが,まずは東大の知名度があればこそ。全国のどこでもお客さんを集めることができるのは,東大ブランドなればこそだ。
 大学の知名度のみならず,オケの腕前もそれに相応しい。今回も若い彼らの演奏を聴きながら,こいつらの中には,東大に合格できる学力があったから東大に入ったけれども,そうでなければ音大に行っていたってやつがけっこういるんだろうなぁと思った。

● サマーコンサートの指揮者は三石精一さんに決まっているようだ。三石さんといえば,この世界の重鎮というか親分というか,草分け的存在といってよい人だろう。その人を終身正指揮者という肩書で囲っておけるのも東大オケならではだろう。
 三石さんも音大ではない一般大学の学生オケでここまでやれる東大オケに一目置いているというか,力になってやりたいという思いがあるのだろうと思う。

● ソニックシティに入るのは,今回が初めて。昨年はつくばのノバホールだったのだが,そのときは完売御礼の立て札が出ていたんだけど,さすがに今年は震災の影響なのか,2階席にはだいぶ空きがあった。
 会場を待って並んでいるお客さんたちに,東大生が氷を入れたビニール袋を配っていた。如才ないねぇ。ここまでやるかと思いましたよ。配る彼らは半袖だがワイシャツを着てネクタイをしている。
 彼らを見ていると,何をやっても生きていけるな,こいつら,と思ってしまう。頭が切れるうえに,サービス精神があって,どうすれば相手が喜ぶかを想像する力もある。そして,照れずにそれを実行できる。

● 曲目は,モーツァルトの歌劇「魔笛」序曲,シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」,ブラームスの交響曲第3番。
 演奏は文句のつけようのない立派なものだったと思うが,2日連続の2日目で,こちらの聴く体勢に綻びがあったかもしれない。疲れていたとは思わないけれども,感度が低下していたようだ。

2011年1月31日月曜日

2011.01.15 東京大学音楽部管弦楽団第96回定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● さて,次は川崎に出なければならない。西に向かって南武線を使うことも頭をかすめたのだが,ちょっと遠回りになるようだ。素直に新宿まで戻ることにした。

● 川崎。通過することは何度もあるんだけれども,下車することはまずない街のひとつ。この街に降り立つのは30年ぶりだ。今回も演奏会の会場が川崎だったから来たわけで,そうでもなければまずもって訪れる理由がない。横浜にはしばしば行くんだけど。
 川崎というと,京浜工業地帯の中核都市と小中学校で習っていて,そのイメージが強すぎる。公害を連想させる地名でもある。現在の川崎は商業都市に変貌しているんだと思うけど。

● ミューザ川崎シンフォニーホールにも初めて足を踏み入れる。いや立派なホールだ。正面にパイプオルガンが設置されているのは当然として,すり鉢型で,大きさのわりに座席数を抑えている感じ。高級感あふれる仕様。
 東大音楽部管弦楽団って,前回は東京芸術劇場で今回はミューザ川崎。会場に相応しい力量と集客力を持っていることをぼくは認めるので,おまえら生意気だぞなんてケチをつけるつもりはさらさらないけどね。

● 指揮者は客演の高関健氏。日本を代表する指揮者のひとりといっていいだろう。現在は札幌交響楽団の正指揮者で芸大で教鞭も取っているそうだ。

● 曲目はショスタコーヴィチの交響曲第9番とマーラーの交響曲第1番。第2楽章から,クラリネット,フルート,ファゴットと管の独奏がとっかえひっかえ続くのだが,素人目にもこれに耐えるのはけっこうな技量がいると思う。その技量を持っているのだ。この学生たちは。

● マーラーをライブで聴くのは初めて。これがあったから,わざわざ川崎まで行く気になったのだと言ってもいいくらいだ。大編隊を組まなくてはマーラーにならない。その大編隊が息をピタッと合わせないといけない。
 ちゃんと形にして客席にどうだと投げてくるんですね,この学生たちは。
 参りました。わざわざ川崎まで来た甲斐があったと正直思う。今年も県外限定などやめて,時々は東京に来ることにしようかと思ってしまった。

● チケットはS席が2,000円,A席が1,500円。500円の違いしかないのであれば,S席の一択となる。
 ぼくの席は前から7列目。これほどステージの近くに座ったことはない。奏者の息づかいまで聞こえてきそうだ。ライブ感が強くなる。

● ところで,ここまで来る途中,『茂木健一郎の脳力のヒミツ』(中経出版)をいう本を読んでいたのだが,その中に,「脳科学の観点から言うと,いちばんいい成績や突出している成果が,その人の本当の実力なのです」という文章があった。
 主要5教科ともまんべんなく80点取る人よりも,数学は95点でほかは20点という人の方が,実力は上ってこと。
 ぼくでいうと,高校は315人中307番の成績で卒業しているとしても,世界史だけはできた。好きだったしね。2年生のときクラスで一番だった。推測すれば,学年でもたぶん一番だったろう。さらに想像を逞しくすれば,世界史だけで勝負させてくれるのならば東大くらいは合格できたかも。
 当時,社会科は地理,世界史,倫理社会,日本史,政治経済の5科目があった。ぼくができたのは世界史だけだ。あとの4つはダメだった。まして,社会科以外の英語や物理やその他諸々の科目はまるでできなかった。数学にいたっては0点以外は取った記憶がない。
 でも,ぼくは実力トップで高校を卒業したのだ。この考え方だと,トップで卒業した人が何人もいることになるが,それはそれでいいのだ。
 そして,ずっと東大生に対しては劣等感を抱いてきたんだけど,また,自分の学歴は二流(あるいは三流)であって,地頭もたいしたことない,佃煮のひとかけらにすぎないと思ってきたんだけど,そんなに卑下することもなかったのだ。
 と思えてきた。っていうか,思ってしまうのが吉。そのうえで,この演奏会の客席に座り,ステージ上で演奏している東大生を眺めると,どういう変化があるか。 ・・・・・・別に何の変化もないのでした。

● 通路をはさんでぼくの隣にいたオッサン。演奏が始まっても本を読んでいた。何だこいつ。そのうち本を閉じて目をつむった。目を閉じて音に集中しようとしているふうではない。寝ているのだ。ぼくも人のことをあれこれ言える筋合いはないんだけど,この珍獣の様子が気になって,演奏に集中できなくなってしまった。
 集中を妨げる想念は自分の中からも湧いてくる。オレはこれから普通列車で宇都宮に戻り,そこからは自転車を1時間ほど漕いで家に辿りつくんだそ,お前らのなかにそんなヤツはいないだろう,お前らの中で今現在一番お金を持っていないのはオレだぞ,と客席を見回して思ったりするわけです。

● どうしてそんなことを思ったのかというと,自分でもよくわからないんだけれど,おそらく客席の行儀の良さが一因かと思う。
 何となくセレブっぽいんですね。とり澄ました感じといいますか。演じてもいるんだろうけど,こぎれいなオバサマ方(ぼくよりは若い)が挨拶を交わし合ったりとかしているわけですよ。彼女たちへの反発があったかもしれない。幼いなぁ,オレ。

● 帰りにちょっと異変が。宇都宮に着いたら外が白い。まさかの雪だった。しかもけっこう積もっているではないか。
 ぼくの自転車も雪に覆われていた。が,迷う余地はない。普通に乗りだした。転けないように,地面に対して直角状態を維持する。車体を曲げてはいけない。そろそろと走った。慎重に慎重に。
 深夜の0時20分頃,無事にわが家に着いた。

● ちょっと酒を呑んで,風呂に入って,就寝。ライブを堪能したほかに,雪道を自転車で走ることもできた。充実した一日になった。

2010年11月30日火曜日

2010.11.23 東京大学第61回駒場祭-東京大学ブラスアカデミー・東京大学音楽部管弦楽団


東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 23日も東大の駒場祭へ。
 この日の演奏会は2つ。東大ブラスアカデミーと東大音楽部管弦楽団。
 駒場祭のプログラムは立派な冊子になっているが,これを無料で配っている。この日が駒場祭の最終日。どんどん配らないと余ってしまう。余ったプログラムなどゴミになるだけだ。だから,入場者にどんどん配る。
 のだが,学生さんたち,ぼくにはくれる気配を見せないのだった。声をかければくれるんだろうけどね。ぼくの目的は音楽のコンサートだけで,それ以外には興味がない。それゆえ,プログラムは要らないものなんだけど,やっぱり自分は場違いなところにいるのかなぁと感じさせられて,少し気落ちした。

● 12:45からブラスアカデミーの演奏会。吹奏楽である。東大吹奏楽部が少数の東大男子学生と多数の非東大女子学生で構成されているのに対して,こちらのブラスアカデミーは東大純正。五月祭では聴く機会がなかったので,今回が初めてになる。
 吹奏楽と管弦楽は楽器編成が違う以上にまったくの別物ですね。吹奏楽は軍楽隊がルーツですか。管弦楽は古代ギリシアの演劇の伴奏に発するらしいんだけど,中世の宗教音楽の流れも汲んでいる。そこから現在の管弦楽につながっているんだろうから,出自が違いますよね。
 ステージと客席の距離も吹奏楽の方がずっと近い感じ。客席側もノリを要求されるところも管弦楽とは大きく違う。ジャンルが違うという感じ。

● ブラスアカデミーでは演奏会ごとにテーマを決め,それによって演出を考えるのだそうだ。今回のテーマは「世界旅行」。それゆえ,取りあげた曲目は,Made in Europe,At The Mambo Inn,The Lion King,We're all alone,Orient Expressの5曲。演奏は間違いなく高位安定。安心して聴いていられる。
 ブラスアカデミーの演奏会で初めて立ち見客が出た。吹奏楽ってぼくが思っている以上に人気があるんですねぇ。

● 次は音楽部管弦楽団なんだけれども,2時間の空き時間がある。駒場キャンパスをウロウロするのはちょっと抵抗がある。っていうか,ぼくがウロウロしては申しわけないかもっていう思いがある。大学祭は若者の祭典。ロートルは目立たなくしているべし。
 で,近辺を歩いてみた。近代文学館や日本民藝館が近くにある。この辺は戦災を免れたのだろうか,車が何とかすれ違えるくらいの道路に駒場通りという名前が付いている。地名でいうと,駒場3丁目,4丁目あたりですね。
 道の両側には立派な邸宅が並んでいる。閑静な住宅街と形容される場所がらなのだろう。お金持ちが集まっているようだ。BMWが無造作に置かれていたり。
 でも,凄いなとは思ったけれど,羨ましいとは不思議に思わなかった。ここに住むかと訊かれたら,答えはノーだ。なぜかと言われると説明に窮するんだけど,何とはなしに住みづらそうな感じといいますか。

● 15時半から東大音楽部管弦楽団の演奏会。これだけは通常のコンサートと同じ時間が確保されていた。特別扱いという感じがする。15時ちょうどの開演だと勘違いしていたもので,14時半には駒場キャンパスに戻った。
 ら,すでに長蛇の列ができていた。ディズニーランドの人気アトラクションよろしく,蝶ネクタイの男子団員が「最後尾」と書かれた立て札を手にして立っていた。その最後尾に付いたが,果たして入れるだろうかと不安になってきた。ぼくの後にも次々に並ぶ人がやってきて,列は長く長く延びた。

● ぼくは何とか座れたが,当然にして立見客も現れた。しかも大勢。女子団員が声をからして前から順に詰めて座るようアナウンスしていた。皆,知っているんだと思う。この楽団の演奏は立ち見であっても聴くに値する,と。

● ただ,駒場祭では1~2年生の団員だけで演奏するのが習わしになっているらしい。下級生のデビューコンサートというわけだ。
 コンマスは理科Ⅱ類の男子。いわゆるイケメンに属する。芸能人を思わせる無造作な(しかし,手入れはきちんとしている)長髪。もちろん眼鏡なんかかけちゃいない(コンタクトはしているに違いないが)。細心の身体にヴァイオリンがよく似合うこと。弾く姿勢も良い。体を動かすその動きも様になっている。
 頭が良くて,容姿が良くて,小さい心から楽器を習えるほどに裕福な家に生まれて,自分を知って流行を追う余裕があって。持てる者はすべてを持っているのだ。これじゃぁ,持たざる者は救いがない。自分を納得させる引っかかりすら見つからない。

● セカンドヴァイオリンのリーダーは理科Ⅲ類の男子。受験の頂点に立つ男。そのくせ,パートリーダーを取るほどにヴァイオリンを弾きこなす。おまえたち,色んなものを持ちすぎじゃないのか,と僻みたくなってくるなぁ。
 女子団員もしかり。美人で屈託がない。陽気で明るいんじゃないかと思われる。東大に合格できたうえに美人なんだよ。東大オケで演奏できるほどに楽器も旨いんですよ。それで只今現在も無邪気に人生を謳歌しているようなんですよ。

● 曲目は次のとおりだった。
  ベートーヴェン 「エグモント」序曲
  シベリウス 「カレリア」組曲
  ブラームス 交響曲 第2番ニ長調
 1~2年生の演奏ではあっても,しっかりと東大音楽部管弦楽団のDNAが受け継がれているようだ。
 巧いオーケストラは見た目も美しい。この東大オケ・ジュニアも美しかった。若い生命力の躍動を感じさせてくれた。
 拍手を惜しまないことが客席のマナーのアルファにしてオメガだとぼくは心得ているが,そうした心得がなくてもここは拍手が涌き起こったはずだ。

2010年7月31日土曜日

2010.07.11 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2010

ノバホール 大ホール

● 11日(日)にはつくばに行ってきた。東京大学音楽部管弦楽団は毎年,全国5都市でサマーコンサートなる演奏会を開催している。今年は,つくば,東京,豊田,伊丹,鹿児島で開催する。行くとすれば東京だと思っていたのだけど,思い立つのが遅かったので,東京分はすでにチケット完売。つくばだったらまだ残っていたので,速攻ゲット。

● つくばの街並みはといえば,何もなかったところに人工的に街を造ればだいたいこうなるだろうという趣を湛えていた。海に面してはいないけれども,開放感はタップリある。デパート(西武)がありホテル(オークラ)がある。中空に造った広場があり,プランターの花々が飾られ,大きな木も植わっている。ベンチが置かれ,犬を連れた歩行者や自転車に乗った人が行き交う。
 ビルがいくつか目に入ってくるが,高さの程がいいので圧迫感はない。開放感が保たれている。多摩センター駅前の風景を思いだした。デザインの違いはあるけれど,趣はまったく同じだ。こういうふうになるしかないんだろうなぁと思った。

● 学園都市ができたばかりの頃は,つくば病が喧伝された。飛び降り自殺者が多かったっていうアレですね(高島平でも同じことが起きたね)。今では収まっているのだろうか。
 ということは,街としての体裁が整ってきたっていうか,人間くささが行き渡ってきたということなのだろうかね。

● つくばといえば,筑波大学。
 その筑波大学の構内も歩いてみた。かなり広い敷地で,ぼくが歩いたのは春日地区キャンパスという一画。休日のこととでガランとしていた。自転車で構内を移動する学生が数人いた程度。テニスコートではソフトテニスをしている学生たちがいた。体育館から学生たちの声が聞こえてきた。
 若さとか青春とか,そういう言葉を連想させる光景だ。スポーツって若さのシンボルだもんね。
 けれど,「若さ(青春)=スポーツ」ってのも陳腐きわまる発想で,スポーツにうつつを抜かしている若者たちは,青春をムダにすごしているはずだとも思ってしまう。
 ただし,ムダじゃない過ごし方なんてないのだよね,たぶん。人生なんてしょせんはムダの積み重ねに過ぎない。青春に限った話じゃない。

● 敷地内には学生や非常勤講師のための住宅も建てられている。鉄筋造の集合住宅だ。一般のアパートと同じものだ。筑波大学ができたばかりの頃,学生用住宅で同棲している男女学生が多いと報道されたことがあった。羨ましかったものだが。

● さて,東大音楽部管弦楽団である。
 東大の数ある学生オケの中で,東大音楽部管弦楽団だけは東大純正だ。楽員は全員が東大生。こうした催しでは,同窓会もチケット販売に力を貸すらしい。義理のお客さんもいるのかもしれない。応援にやってくる友人や家族が客席の多くを占めるのかもしれない。
 そうであったとしても,地方都市に出向いて演奏会を開催し,そのチケットを完売できる学生オケがどれほどあるだろうか。東大のネームバリューが与って力あるとしても,お客さんの多くは彼らの実力を知っているのだろう。ぼくは車と電車3つを乗り継いで聴きにきたけれど,ぼく以上に遠方から来ているお客さんもいるだろう。

● ぼくがチケットを申し込んだのは7日の水曜日だった。チケットは届かなかった。おそらく当日渡しになっているのだろうと思って,ためらうことなくつくばまでやってきた。
 会場のノバホールの入口には赤字で完売御礼と書かれた立て札が。これを見てちょっと不安になった。ぼくの分はないんじゃないかって。
 が,そんなことはなく,ぼくのチケットは確保されていた。千円と引替えにチケットを受取り,会場へ。

● 指揮者は三石精一氏。国内の重鎮。東京音大の名誉教授でもある。東大オケでは氏に終身正指揮者の称号を与えている。トレーナーも錚々たるメンバーが多数並んでいる。これだけの環境を整えられる東大オケの実力っていったい。
 この環境があるから上達するのか,もともと巧いからこうした環境を作れるのか。いずれが因でいずれが果かはわからないけれども,ここまでの環境を構築できれば,あとはうまく循環していくんだろうな。

● もうひとつ感じることがあって,それは受付や案内を担当する学生(1年生なのだろうが)の折り目正しさ,礼儀正しさだ。大学生がここまでサービスマンになれてしまうのは不自然だろうと言いたくなるほどだ。
 受付では「ご来場ありがとうございます」と挨拶され,会場の各入口では女子学生が両方の指を前に組み合わせて立っている。もちろん,とまどっているお客さんがいれば声をかける。演奏が終わって出るときには,「またお越しくださいませ」と送りだされた。ホテルマンかおまえらは,と思った。素晴らしいんだけど。
 これって東大生っていう矜持というか,自負があるからこそ,ここまでできるのかもしれないなぁと下司の勘ぐりをしてしまう。いや,ほんとに下司の勘ぐりでしょうね。

● 曲目は,次のとおり。
 ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」
 スメタナ 交響詩「我が祖国」より「モルダウ」「ボヘミアの森と草原より」
 チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調

● 演奏が始まって数秒後には,電車を乗り継いで栃木まで帰らなければならないことや,ヨメのことやムスコのことも,きれいに忘れていた。今,ここ,に集中できた。
 そうさせるだけの技術が彼ら彼女らにはある。技術だけではない。こめた思いの強さというか,この演奏会にかけてきたエネルギーの質量というか,そういったものがきちんと載っているのだ。一心に演奏に集中している彼らの姿勢が美しい。
 耳を奪われ目も奪われた。オーケストラをライブで聴くことの醍醐味ってこれじゃないか。毎度毎度の感想で申しわけないけれど。

● いろんな楽器の音がミックスじゃなく,ひとつになっている。音楽大学ではない一般大学の学生がここまでできるのか。
 「モルダウ」はCDで何度も聴いている。のだが。涙が出そうになった。
 チャイコフスキーの第4番は今年2月に栃響の演奏で聴いている。ぼくはそのとき寝ていたのか。何も憶えていないから。
 けれども,それもどうでもよくなった。ライブは目の前のこの瞬間がすべてだ。この瞬間に没入できれば,1時間後にそれを忘れたって別にかまわないのだ。

● ちなみに次回(来年1月)の定期演奏会ではマーラーを取りあげる(交響曲第1番「巨人」)。マーラーやブルックナーは後期ロマン派のビッグネームだけれど,ライブで聴いたことはない。
 きちんと仕上げるにはそれなりの力量が求められるのだろう。アマオケでマーラーを演奏できる楽団は限られるのじゃあるまいか。来年1月が楽しみだ。

● この楽団の演奏を聴けることがありがたい。しかも,タダ同然の料金だ(往復の交通費が4千5百円。しかし,おかげで筑波に来れたのだ。筑波までの旅行費用であって,これをチケットに上乗せして演奏会のコストを考えるのは間違いだね)。
 大事にお金はかからないのだ。お金にモノ言わせなくても,幸せな時間は持てるのだ。

2010年5月31日月曜日

2010.05.30 東京大学第83回五月祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学フォイヤーベルク管弦楽団・東京大学音楽部管弦楽団・東京大学吹奏楽部


東京大学本郷キャンパス 安田講堂

● 5月は29~30日の2日間,東大本郷キャンパスで「五月祭」が行われる。東大にいくつもある管弦楽団や歌劇団がそれぞれ演奏会を実施する。2日間とも出かけてみたいと思っている。
 昨年11月の「駒場祭」はヨメの入院騒ぎなどがあって,とても東京に行くなんて許されなかったけど,今度は行くぞ,と。

● 東大音楽部管弦楽団の演奏を1月に聴いているのだが,これはわざわざ聴きに行く価値のあるものだった。それをもう一度聴けるのだと思うと,ちょっと気持ちが浮きたつ。
 日本でもラ・フォル・ジュルネ的なものが根づいたかのようだけれども,「駒場祭」や「五月祭」はミニ・ジュルネといってもいいんじゃなかろうか。管弦楽から室内弦楽,ピアノやホルンの演奏まで,さまざまなアンサンブルがある。ぼくは管弦楽を中心に聴きたいと思っているけれど,聴きたいものが何であれ,リクエストに応じてくれる品揃え。

● 今の時点(5月11日)で各企画の内容と日程が固まっているようで,サイトで検索できるようになっている。このスピードもたいしたもので,たぶん東大ならではの段取りの良さだと思う。これだけ大規模な催事をこうまで手際よくまとめていく実行委員会の学生たちはたいしたものだ。ノウハウのストックが膨大にあるのだろうけどね。
 ちなみに,他の大学ではギリギリまで載らない。あるいは当日になっても載っていないってこともあるからね。

● 結局,29日は出かけられなかった。休日出勤したので。ま,休日に出勤してもさほど能率は上がらないってのは,これまでの経験から鉄壁の法則だと思っているんだけれども,どこかに甘さがあるんでしょうね。休日にやればいいやっていう。

● 30日には行ってきました。50歳を過ぎた男がひとりで行くとかなり目立つかと多少の不安があった。杞憂だった。上野公園の雑踏がそのまま東大構内に平行移動したような様相を呈していた。
 まず,来場者の数が半端じゃない。相当な人口密度でまっすぐには歩けない。

● 来場者の様相も上野公園にあるものはすべて揃っている。まず目立つのは女子高校生のグループ。東大を目指したいと思っているわけではなさげ。

● それらの人たちが構内のそちこちで写真を撮りあっている。東大は一大観光名所なのだ。
 若い男女のカップルもいるし,小さい子供を連れた親子連れもいる。熟年の夫婦も多い。東大生の父兄なのかもしれないし,OB・OGなのかもしれない。そのどちらでもないのかもしれない。数人で連れ立っている中学生や小学生も。
 ぼくのような単独行動者も年齢を問わずに存在する。ホームレスとおぼしき人までいる。

● また,これらの雑多な来場者の要求に応えられるだけの種々雑多なアトラクションを東大(学生)側が用意していることにも驚いた。ぼくは上野駅から歩いて裏口から入学したので,受け取ることはなかったのだけど,この大学祭のプログラムはかなりの厚さの冊子になっている。

● 外に出ている模擬店は東大だからといって変わったところはない。着ぐるみやメイドカフェのコスチュームを着た女子学生が呼びこみをしていたり,男子学生が大声を出していたり。若者が思い思いにエネルギーを発散している。
 けれども,路地を避けて建物に入ると,そこでは模擬裁判とか学術講演会とか公開実験とか,東大ならではの催しが(たぶん,ひっそりと)行われている。

● ぼくは管弦楽を聴きに来た。まっすぐ安田講堂に向かった。ちょっとドキドキしましたね。中に入るときに。安田講堂は東大の象徴で,劣等生だったぼくには永遠の憧れってところがあったから。
 その安田講堂の赤絨毯を踏んで2階席へ。何か,自動的に2階に導かれたような感じなのだが,もちろん1階席にもお客さんが座っている。

● 正午過ぎから東京大学フィロムジカ交響楽団の演奏会。20分ほど前に着席した。団員がステージで最後の練習をしていた。公開練習になってましたね。めったに見られない光景なので,ありがたく拝見させていただいた。
 演しものはロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲,シューベルト「未完成」とシベリウス「交響曲第2番」をそれぞれ抜粋で。時間枠が1時間なので,抜粋なのは仕方がない。6月20日に定期演奏会があるので,今回はそのための模擬演奏会でもある。
 指揮者は小笠原吉秀氏。プログラムによれば国立音大から日大芸術の院に進んで指揮を勉強したとある。

● さて,その演奏である。東大では音楽部管弦楽団とフォイヤーベルク管弦楽団の2つがすごいと聞いていた。が,このフィロムジカ交響楽団も相当なものだ。凛とした演奏を堪能した。東大が中心だけれども,他大学の学生も含めて,現在150名の団員を抱えているらしい。レベルの高い学生が集まっている東京ならではの集合体だろう。

● 次は東京大学フォイヤーベルク管弦楽団。この楽団も東大の名を冠してはいるけれども,他大学の学生も加わっている。その数は決して少なくない。今年は楽団代表からして東大生ではない。
 開始予定が30分遅れて2時ちょうどに始まった。演奏時間は45分。こちらはあまり気合いが入っていない様子。ほかの楽団も出るからウチもお付き合いしておくかっていうところか。普段着でステージに登場した。
 演しものはモーツァルト「交響曲29番」の第1楽章,シュトラウスの「13楽器のためのセレナード 変ホ長調」,ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」の第2楽章と第3楽章。こちらも6月27日に定期演奏会を予定しており,ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はそちらの演しものにもなっている。

● 「交響曲29番」はモーツァルトが18歳のときに,「13楽器のためのセレナード」はシュトラウスが17歳のときに作曲した。この世界には早熟の天才が雲霞のごとく存在しますね。天才が最も見えやすい世界なのではあるまいか。
 指揮者はなし。「13楽器のためのセレナード」は室内管楽だから指揮者なしでいいし,「ヴァイオリン協奏曲」もソリストが指揮者を兼ねればいい。でも,交響曲まで指揮者なしで演奏できるんですな。
 ソリストは前田尚德氏。東大を1年で中退し,桐朋に転じた人。東大をパッと捨てられるところが格好いい。

● フォイヤーベルクについては,今年度からぼくは賛助会員になっている。年会費6千円を納めた。それで2回の定期演奏会の指定席チケットと録音CD,会報が送られてくる。6千円では申し訳ないようなサービスが受けられるわけだが,要はこの楽団に対して勝手に思いをこめているってことですね。
 それで,今回も期待とともに開演を待ったのだが,上記のような次第で,ちょっと期待をはずされたかなという印象。とはいえ,素敵に上手いのは確かなこと。

● ところで,安田講堂の前に野外ステージが設えられていた。フィロムジカの演奏が終わった後,その野外ステージの回りが騒々しい。何事かと思って出てみれば,ステージ上に矢沢永吉がいるではないか。
 来場者は大喜び。ぼくも自分のラッキーを喜んだ。テレビでしか見たことのないロックシンガーのライブに立ち会えるとは。
 翌日の新聞が報道していたのだが,それによれば,サプライズ出演だったようで,プログラムには掲載されていなかった(掲載してたらパニックが起きそうだ)。

● 隅っこから遠巻きに見たにとどまるけれど,60歳を過ぎても矢沢にはとんでもないオーラがあった。圧倒的な声量と声域。今まで,アイドル歌手のコンサートで熱狂しているファンが映しだされると,何だこいつらと小馬鹿にしていたけれども,同じ状況に置かれればぼくも同じ反応をするのだな,と。
 早々に彼は帰っていった。時間にすれば30分もあったかどうか。新聞によると彼は4曲歌ったようだ。ぼくが聴いたのは3曲。充分に満足させる何かを矢沢は確かに持っていた。
 それにしたって,東大価格ってのがあるのかもしれないけれど,東大側は相当なお金を支払っているのだろうし,大学祭に矢沢を呼べる大学って,そんなにないよねぇ。

● さて,次は東京大学音楽部管弦楽団。
 1月に定期演奏会に行った。彼らの実力はわかっている。お客さんも同じと見えて,先の2つに比べて客の入りが違う。安田講堂の座席がほぼ埋まった感じ。
 先の2つは空席がまとまって存在したんだけれど,今度はそれがなかった。集客力はこの楽団が随一。
 この楽団は東大純正で,そのせいか気合いの入り方も随一で,高い水準の演奏を楽しむことができた。

● 曲目はバーンスタイン「キャンディード序曲」,ベートーヴェンの第7番第1楽章,チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」から抜粋,運動会メドレーと題して「地獄のオルフェ」「クシコス・ポスト」「ウィリアムテル」の「スイス軍の行進」,マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」,ディズニーメドレー。
 運動会メドレーが圧巻の演奏。聞き慣れている曲も,きちんとした演奏で聴くと,こういう曲だったのかと蒙が啓かれる思いがする。ディズニーメドレーも同じだ。聴くに堪える曲だったってことがわかる。

● 指揮者はこの楽団の副指揮者の田代俊文氏。学生オケなのに名誉指揮者と終身正指揮者とふたりの副指揮者がいる。トレーナーも錚々たるメンバーで,これって東大っていうネームバリューだけでできることじゃない。実力が伴ってこそ,叶えられる。
 背筋が伸びたファーストヴァイオリンの女子奏者の佇まいも印象に残っている。背中しか見えなかったんだけど,ゆるみのないその姿勢に,こういうふうに人生を生きていればなぁと五十翁は嘆息まじりに思うのだった。

● 最後は東京大学吹奏楽部。プログラムに掲載されていた部員名簿によると,少数の東大男子と多数の他大学女子で構成されている(ごく少数だけれども,他大学男子と東大女子も存在する)。
 管弦楽と吹奏楽の違いは,弦楽器があるかどうかにとどまらず,文化の違いもあるようだ。軍隊調というか体育会系気質というか,動きがキビキビしている。吹奏楽を聴くのは今回が2度目で,前回聴いたのが自衛隊音楽隊だったから,それに引き寄せて見てしまっているのかもしれないけれど。
 また,吹奏楽がよく取りあげる曲目もあるんですね。管弦楽用の音楽を吹奏楽用に編集しなおしてっていうのではなくて,初めから吹奏楽を想定して書かれた楽曲があって,そういうものが演奏される機会が多いようだ。ま,そんなことも知らなかったってわけで。

● 電車賃をかけて行く価値はあったと思う。矢沢永吉のサプライズがなくても。満足して帰途についた。目下のところは仕事には憂いはない。家庭には大きな問題を抱えているけれども,これとて考え方次第だ。満ち足りた思いで不忍池のほとりを歩き,上野駅に向かった。

2010年1月31日日曜日

2010.01.23 東京大学音楽部管弦楽団第95回定期演奏会

東京芸術劇場大ホール

● 東大音楽部管弦楽団の第95回定期演奏会。18:30からで,場所は東京芸術劇場大ホール。
 東京芸術劇場,立派な施設ですなぁ。長い長いエスカレーターの終点が大ホールの入口。しかし,ホールに入るにはここからさらにエスカレーターに乗らなければならないのだった。ステージ正面にはパイプオルガンが偉容を誇る。3階席まである。収容人員はさてどのくらいなのだろう。

● その大ホールがほぼ満杯になっていた。ぼく以上に遠くから来ている人もいるだろう。東大のネームバリューもあるだろうし,このオケの技量の高さが広く知られているためでもあるだろう。
 帝国大学音楽部からの歴史がある。大学オケとしては圧倒的な古さを誇る。

● ぼくの席は3階の左翼側(自分の席がどこかわからず,スタッフのお姉さんに教えてもらった。こんなことは初めてだ)。この演奏会では席はS席(2,000円)とA席(1,500円)の2つにしか区分されていない。ならば,当然,S席をゲットすべきところだけれども,ぼくが申し込んだときにはすでにS席は完売,A席も3階の右翼と左翼しか残っていなかったのだ。
 チケットは楽団のホームページから申しこめる。ぼくもそうした。チケットと郵便振替用紙が送られてくる。振込手数料はこちらが負担することになるが,わずかに120円だし,チケットの郵送料は向こうが負担してくれるのだから,相当に良心的なやり方だと思う(栃響も同じやり方)。行けなくなったときは払い戻しにも応じるという。徹底的に良心的だ。

● 東大にはオーケストラがいくつもあるが,この音楽部管弦楽団だけが東大純正である。東大生だけで構成されている。
 受付で渡されたプログラムも充実。大学オケなのに広告がない。

● 3階席からステージは遠いけれども,全体を一望できる。すべてのパートの動きがよくわかる。
 この楽団,ビジュアルもきれいだった。パーカッションは出番が来るまでに座って待っているわけだけど,この待ち方がきれいじゃないアマオケってけっこうあるように思う。ここは神経の通った待ち方だった。
 ステージだけではなく裏方のスタッフも,明日からサービス業で稼げるんじゃないかと思えるほどの対応をする。変にねじ曲がっていない。伸び伸びと育ってきた坊っちゃん嬢ちゃんという感じ。

● 客席も若い人たちが多かった。ぼくの右隣は女性の,左隣は男性の若者だった。どちらもひとりで来ていた。他大学のオケスタッフが聴きにきてたりもするんだろうな。

● 曲目は,エルガー「序曲コケイン」,ヴォーン=ウィリアムズ「ノーフォーク・ラプソディ第1番ホ短調」,ラフマニノフ「交響曲第2番ホ短調」。いずれも,今回,初めて聴く曲だ。
 驚いたのは笛とラッパが上手なこと。途切れない,ふるえない,かすれない,ぶれない。木管と金管がしっかりしていると,演奏全体がビシッと締まる。チケット代のほかに電車賃が4千円ほどかかったけど(新幹線は使わず。っていうか,使えず),これだけの演奏を聴かせてもらえれば必要経費として割り切れる。

● アンコールは聴かないで退出。それでも,宇都宮から先の最終電車には間に合わず。夜中に10㎞以上の道のりを歩くことになった。タクシー代なんて持ってないからね。

● というわけで,この日は初体験をたくさんした。1日に2回のコンサートも初めてなら,荻窪と池袋西口に降りるのも初めて。初めて聴いた楽曲が4つあった。おまけに長距離の散歩もできた。