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2021年6月30日水曜日

2021.06.27 東京アマデウス管弦楽団 第91回演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 15時開演の東京佼成ウインドオーケストラの演奏会が終演してすぐに(終演後のセレモニー拍手には参加しないで)会場を飛びだし,バス停に向かった。
 ほどなく来たバスに乗って,JR宇都宮駅に着いた。新幹線ホームに立った。

● 新幹線は自分には無縁の乗物だと思っている。新幹線に乗らなければ行けないようなところには行く必要がない,と嘯いてン十年生きてきた。とはいえ,数年に一度は萬やむを得ない仕儀がある。
 今日は19時には川崎に着いていたい。なぜなら,19:30からミューザで東京アマデウス管弦楽団の演奏会があって,何を考えていたのか,チケットを予約してしまったからだ。
 われながら痛恨のミスを犯してしまったのだが(つまり,予約したときには地元で東京佼成ウインドオーケストラの演奏会があるのを失念していたわけだ),自分のミスの落とし前は付けなきゃしょうがない。

● 宇都宮発17:47のつばさの座席指定を受けていたのだけど,1本前のやまびこに間に合ったので,やまびこの自由席に乗車した。新幹線はガラガラだと聞いていたが,そうでもないぞ。JRのためには慶賀に耐えない。
 東京から東海道線で川崎着。全ては順調。宇都宮市文化会館からのバスの時刻をはじめ,新幹線の時刻も事前に調べておいて,予想していたとおりの流れになった。

● しかし,だ。こういうことを人様にお勧めできるかといえば,まったくできない。ほとんどの人は,勧められても従わないと思うけどね。
 ダメなんだよね,こういうのは。なぜか。“聴きに行く” という力が分散されてしまうからだ。1つの演奏会に向けるベクトル量を10だとすると,ダブルヘッダー(しかも1回目と2回目の会場が離れていて,移動するのに時間がかかる)になると,0.5に減ってしまうのではなくて,0.3になってしまうのだ。力の総量が小さくなる。分ければ漏れる,ということね。力の向きも分散されるからね。

● しかも,22日から25日まで都内のホテルにいた。当初の予定ではもっと長く逗留しているはずだったのだけど,26日に地元の那須野が原ハーモニーホールで演奏会があったので,26日の朝に帰途に着いたのだ。
 そうして今日,27日は川崎に来て,19:30開演の演奏会を聴くのだから,今夜は泊まることになる。
 だったら,26日と今日の昼間の演奏会のチケットは放棄して,ずっと東京に泊まっていた方がよかったんじゃないかと,どうしたって思ってしまうわけだよね。
 しかし,ですよ。ともかくミューザに着いたわけです。新幹線の速さは偉大でありました。

● 東京アマデウス管弦楽団は「1973年,当時の東大オーケストラ卒団者を中心に結成された」。ならば聴く価値あり。2013年3月の第78回定演から聴き始めた。
 しかし,室内楽演奏会を含めても,現在まで5回しか聴いていないのだ。直近では2018年6月の第8回室内楽演奏会。コロナ期間を除いて考えても,ポツンポツンとしか聴いていない。どうしてこういうことになったのか。

● 開演は19時30分。全席指定。席種の別はなく,チケットは2,000円。
 プログラムは次のとおり。指揮は石川征太郎さん。
 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番
 ブルックナー 交響曲第6番 イ長調(ノヴァーク版)

● ブルッフのヴァイオリン協奏曲では,プログラム冊子の写真よりはるかに美人の金川真弓さんが登場。しなやかでふくよかで思い切りが良くて。世界水準とはかくもあるか,と思った。
 日本を代表するヴァイオリン奏者といえば,五嶋みどりさんをはじめ,何人もいると思うのだけども,そうした人たちの演奏と今日の金川さんの演奏を聴き比べても,ぼくの耳ではその違いがわからない自信がある。
 それを困ったことだとはあまり思っていない。しょうがないでしょうよ。そこまで耳が開発されてないもん。開発されてるくらいだったら演奏する方に回ってますよ。
 っていうか,その違いってほんとにあるんだろうかと,どこかで疑ってもいるんですよ。その違い,皆さんにはわかるんですか。

● ブルックナーの6番。ブルックナーを生で聴くのは,ずいぶん久しぶり。緻密さを保った積極果敢という印象になりますか。相当なものでしょ。ブルックナーをここまでやれるところは,首都圏でもそんなにはないでしょ。
 が,ブルッフでの金川さんの存在感に圧倒されたまま(さらには,アンコールのバッハ「パルティータ第1番」 “サラバンド” にとどめを刺されて),メインのブルックナーを聴いてしまった。ので,フワフワしてて記憶が飛んでいる。

● というわけで,ダブルヘッダーの2つめも終了した。今からだと新幹線を使っても今日中にわが家にたどり着くことはできない。銀座のビジネスホテルを予約している。
 このやり方がベストだったか,もっと上手いやり方があったか。先に述べたように,人様にはまったくお勧めできない。のだが,やってしまった。
 やってしまった以上は,おそらくベストだったのだ。思考停止でいいから,そう思っておくのが,それこそベストというものでしょう。

2018年6月30日土曜日

2018.06.24 東京アマデウス管弦楽団 第8回室内楽演奏会

豊洲シビックセンター ホール

● 東京アマデウス管弦楽団の室内楽演奏会。2014年にアマデウス・ノネットの演奏会を聴いたことがあるんだけど,なんか頭がこんがらかりそうなんですが。
 今回の室内楽演奏会とアマデウス・ノネットはどういう関係? ノネットの他にも,ユニットがあるらしいんだけど,そういうものを吸収する形での室内楽演奏会なんだろうか。
 ま,そのあたりはこんがらかったままでも,特段の支障はないんだけどさ。

● 開演は13:30。入場無料。アマデウス・ノネットのときは有料だったんだけどね。
 まず,曲目を。

 シューマン ピアノ四重奏曲 変ホ長調
 ハイドン ピアノ三重奏曲 第21番 ハ長調
 メンデルスゾーン ピアノ三重奏 第1番 ニ短調

 シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調
 モーツァルト 弦楽四重奏曲 第21番 ニ長調
 ストラヴィンスキー 「兵士の物語」三重奏版

 ブラームス 弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調
 ヴィラ=ロボス 「ジェット・ホイッスル」
 イベール 木管五重奏のための3つの小品

 ヴィヴァルディ 『調和の霊感』 第8番 イ短調,第10番 ロ短調
 エルガー 弦楽のためのセレナーデ ホ短調

● これだけやるんだからロングランになる。終演は18:45だった。これほどの長丁場に付き合うのは,2部門開催だった頃の「コンセール・マロニエ本選」以来。
 ほかに,ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第21番も予定されていたが,これはなくなった。出演者体調不良のためとアナウンスされたんだけど,本当にそうなのかね。
 観客も次第に減って,最後の方は出番を終えた団員が客席で聴いていて,それが過半を占めていたかも。中には,厳しい目を注いでいた団員もいたようだ。

● ぼくのような浅い音楽ファンは,こうした室内楽曲を聴くことはあまりない。オーケストラ主体になる。CDでもあまり聴かない。やはり,オーケストラが主体になる。
 したがって,室内楽曲については聴いたという体験の絶対量が圧倒的に不足した状態だ。

● 室内楽曲は聴き手を選ぶんだよね。聴き手が試される。交響曲や協奏曲なら,とっかかりはいろいろありそうだけども,室内楽曲は待ったなし,みたいな。
 ポンと差しだされて,あんたにこれがわかる? と意地悪く訊かれたような。ヘボな聴き手はそう思ってしまう。

● それで困るのは,記憶が次々に上書き保存されてしまうことだ。前の曲の記憶が消えてしまう。ので,憶えているのは最後のエルガー「弦楽のためのセレナーデ」だけだったりする。
 これらすべてを並列保存して記憶にとどめることのできる人は,それだけでも相当な聴き手と言っていいのではないか。

● そこをあえて,印象に残ったものをあげると,まずはストラヴィンスキー「兵士の物語」。曲じたいがアグレッシブ。したがって,演奏も。
 ブラームス「弦楽六重奏曲」。ブラームスならどれを聴いても損はないという安心感。ヴィヴァルディ「調和の霊感」第10番。これ,CDは持っていたろうか。
 中でも「調和の霊感」第10番。これはCDを調達しないと始まらない。

● この楽団は東京大学音楽部管弦楽団のOB・OGによって結成されているらしいのだが,年代が幅広い。こうした楽団においては,年齢よりも実力が揃っていることの方が重要なのだろう。その意味で年代云々はあまり問題にならないのかもしれない。
 が(それはいったん置いておいて),異なった年代の人たちが集まって一緒にやると,何かいいことがあるんだろうか。つまり,それぞれの年代に属する人たちに裨益するところがあるんだろうか。若い人が割りを喰うことが多いような気がするんだが。
 大きなお世話ながら,そんなことをちょっと思ってみた。

2017年3月31日金曜日

2017.03.20 東京アマデウス管弦楽団 第85回演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● この楽団の演奏会にお邪魔するのは,第78回,80回に次いで,3回目。
 開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入した。指揮は北原幸男さん。

● この楽団の特徴は次の3つだ。第1に男性が多い。特に弦。弦で男性が女性を圧倒しているところは,じつに希有な存在。
 第2に年齢のバラツキが大きい。これも以外に少ない。○○大学OBOGオーケストラっていうような楽団でも,年齢層を異にする楽団が複数あったりする。若い人と一緒にやりたいと思う年寄りはいても,年寄りと一緒にやりたいと考える若者はいないものだ。

● この楽団では若者も大人なのかね。年輩者が決定権を若者に委ねているのだろうか。あるいは圧倒的に巧い年寄りたちで,若者が一目も二目も置いているのか。
 同じ音楽を歩む同志なんだから年齢差なんて関係ないよ,って,それだけはないような気がするんだけどなぁ。

● 第3は,巧いということ。芸達者が揃っている。その代表として,新交響楽団や都民交響楽団などの名はしばしば聞く。ぼくはまだ聴く機会を得ていないのだが。
 東京アマデウス管弦楽団もその一角に名を連ねるのだろう。演奏を聴いていると,プロオケなんて要らないじゃんと,半ば本気で思う。

● 曲目は次のとおり。
 オットー・ニコライ 「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
 R.シュトラウス 交響詩「死と変容」
 ブラームス 交響曲第4番 ホ短調

● 交響詩「死と変容」のはじめの方,オーボエ,フルートの軽やかなメロディーが現れ,独奏ヴァイオリンに受け継がれる。このあたりは,この曲の聴きどころでもあるんだろうけど,聴きどころを確かな聴きどころにできる力量を感じる。

● プログラム冊子の曲目解説によれば,「この交響曲はブラームスが居を定めるウィーンにおいて,もう1つ人気が出なかったそうです」とある。「古風な印象のせい,という見解も見られ」るという。
 あるいはそうかもしれない。が,当時のウィーン市民(音楽の愛好家)がブラームスに付いていけなかっただけだと単純に考えておきたい。
 当時のウィーン市民にとって,ブラームスは決して斬新でも奇妙奇天烈でもなかったろうけど,それでも創造者はフォロアーの先を行く。

● 今のぼくらもそうだ。はたして本当に創造者(作曲家)の意図するところに付いて行けているかどうか。
 時代に洗われて残った楽曲に,つまり時代の評価に,寄りかかって聴いているだけかもしれない。自らを顧みてそう思う。
 ただ,このあたりが難しいところで,あまり頭で聴きたくないっていうか,自分の意識を肥大させて,意識で曲を受けとめるというのも,聴き方としては上等とは言えないように思う。上手く言えないんだけど。

● さて,東京アマデウスが紡ぎだすブラームスの4番。指揮者のどんな要求にもお応えしますよってことなんだと思う。
 おそらくこの楽団の団員たちは北原さんにも物申す人たちだろう。もちろん,喧嘩腰ではなくて和気藹々と。
 腕に覚えがあればこそ。指揮者の要求に応えられるだけの技量があって,初めてその技量に応じた“物申す”ができるわけだろうから。

● これだけの人数がいるのに音がひとつの束になっていて,バラけないのは大したものだ。メリハリ,緩急,GO&STOP,加速の良さ。そういう言葉を思いださせる。
 かなりの性能を持つスポーツカーというかね,そういう演奏をする。

2014年9月24日水曜日

2014.09.23 東京アマデウス管弦楽団第80回記念演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 東京アマデウス管弦楽団の演奏を聴くのは,昨年3月に続いて二度目。あきれるほどの水準の高さは一度聴けば忘れない。
 今回は記念演奏会で「カルメン」全曲をやるという。行かずばなるまい。

● というわけで,チケットはネット(チケットぴあ)で購入していた。多少の手数料はかかるとしても,近くのコンビニで受け取れるのは,すこぶる便利。
 ネット以前を知っている世代としては,いろんなところでネットの便利さを実感するんだけど,チケット予約もそのひとつだ。ネットはすでに生活インフラになっている。しかも,インフラの重要な部分を担っている。

● 指揮は三石精一さん。カルメンが米谷朋子さん,ドン・ホセが渡辺大さん,ミカエラに石原妙子さん,エスカミーリョに米谷毅彦さん。
 合唱はアンサンブル・ヴォカル・リベルテと東京荒川少年少女合唱隊の皆さん。
 まずもって不満がないというか,堂々たる布陣といっていいでしょうね。

● もちろんコンサート形式なんだけど,これでチケットは3,000円(自由席)。格安というほかない。であるからして,ミューザのシンフォニーホールが満席になった。お客さんはよくわかっている。
 開演は午後1時。開場前から並んだ。2階席のけっこういい席を確保できた。

● 出だしの数小節で納得。前回とメンバーがまったく同じということはないんだろうと思う。しかし,水準は変わらず維持されている。
 歌い手が登場すると,管弦楽の場所は暗くなり,歌い手に照明があたる。当然のことだ。が,奏者の顔も動きも視界から消えるのは,少し残念に思えた。

● 劇中人物の年齢は10代の半ばから後半だと思う。読み書きもできないはずだ。工場勤めが終わると,煙草を喫う女の子たちだ。酒も飲む。教養もヘッタクレもあったものではない。ただ,奔放な野生とでもいうべき魅力を強烈に放っているはずだろう。
 それをリアルに表現するには,ソリストも合唱も上品すぎるわけで。リアルに表現しちゃいけないんでしょうけどね。そこは表現の作法というものがあって,それに則っているわけだろう。
 それ,わかるんだけど。

● 出演者が芸達者であること。それがオペラの説得力を支える一番目のものだと思った。演出上の小賢しい理屈じゃなくて。
 説得力といっても,専門家が考えるものと,客席が受けとるものとでは,違うのかもしれないな。
 客席からステージを見ていると,劇の進行にそっていろいろ考えるわけですよ。女の腰の据わり方はスゲーなぁとか,恋愛って惚れた度合いの強い方が負けるよなぁとか,特にそれが男だと無様なことになるなぁ,とか。ドン・ホセって究極のストーカーだからさ。

● そういう埒のないことを思いながら,ここぞというときのアリアに圧倒される快感。埒のない思考拡散と圧倒される快感の合計が,つまりオペラの説得力だと思ってるんですよ。
 ぼくのみならず,お客さんの大半はそうではあるまいか。まさか,オペラを人生を考えるよすがにしたいと思っている人はいないと思うんだよね。

● であれば,オペラはやっぱり歌い手で決まりますよねぇ。石原さんのソプラノが最も印象に残った。
 石原さんは4年前の“コンセール・マロニエ21”に出場したのを見ているせいもあるかもしれない(そのときの優勝者が石原さん)。
 歌手,よし。管弦楽,よし。満足のいく3,000円。

● あとはその満足感をいつまで保持していられるかっていう勝負になるね。3日も4日も保持するのは不可能だとしても,パッと忘れてしまうか,1日,2日は反芻していられるか。人生の幸せなんて,案外こういうもので決まるんじゃないかと思うんですよ。
 で,ぼくはここに課題を残していると思っているんです。ホールを出てから,わりとセカセカしちゃうっていう些細なことなんですけどね。

2014年8月3日日曜日

2014.08.02 アマデウス・ノネット第5回演奏会

JTアートホール アフィニス

● 上野から銀座線で虎ノ門へ。虎ノ門で降りるなんて少なくともこの30年間はなかった。まず縁のないエリアだ。
 官庁街がすぐ近く。あとは銀行。それでも,ありがたいことに吉野家がある。ネギ玉丼を食しましたよ。宇都宮と同じ400円。
 地代や家賃はぜんぜん違うだろうに,元は取れるのかとか,余計なことを考えたくなりますな。中国からの留学生のアルバイトでまかなっているようだった。

● ところでアマデウス・ノネット。“フロイデ”には「東京アマデウス管弦楽団メンバーによる九重奏他の演奏会です。普段あまり耳にする機会がない九重奏を,素敵な響きのJTアートホール アフィニスにてお楽しみ下さい」とあった。
 東京アマデウス管弦楽団の演奏は昨年の3月に聴いて,度肝を抜かれた。そのメンバーの九重奏ならば,わざわざ東京まで行っても行った甲斐は必ずあるだろう。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。

● 曲目は次のとおり。
 オンスロウ 九重奏曲 イ短調
 シュペルガー 独奏コントラバスとフルート・ヴィオラ・チェロのための四重奏曲 ニ長調
 ラハナー 九重奏曲 ヘ長調

● 言うも愚かながら,いずれも初めて目にする作曲家だ。それぞれ,CDは出ているようだけれども,ぼくは持っていない。
 「あまり耳にする機会がない」どころか,ひょっとしたら一期一会になるかもしれない。

● 笑っちゃうしかないほど上手だってのはわかるんですよ。でも,そこから先がね。こちらが音楽に分け入っていけない。
 こうしたあまり知られていない曲を聴かせると,聴衆の鑑賞レベルがわかりますなぁ。ぼくには難解に過ぎたというのが正直なところ。

● シュペルガーの曲で一番美味しいところを持って行くのは,コントラバスではなくてフルート。音色的に目立つし,いろんなことする(させられる)し。どんな演奏にするかの主導権を握っているのはフルートなんじゃないかと思った。
 そのフルートがお見事。おそれいりましたという感じ。
 
● CDを手当してまでこれらの曲を聴くことがあるか。ないと思う。耳にする機会がないのについては,ないなりの理由があるんだなと思った。
 こちらの感度の悪さを棚にあげたうえでの妄言かと思うんだけど。

● 小さなお子さんが何人か,親に連れられて来てたんですけど。演奏が始まると静かに聴いていた。たいそう感心した。っていうか,驚いた。
 大人の世界に紛れこんで,彼らなりにほどよい緊張感のなかで過ごしてたんだろうなぁ。 

● 終演後,外に出るとミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきた。セミ,いるんだねぇ。樹木が多いもんな,東京って。公園の面積はどうなのか知らないけれども,緑の総計は相当なものになるだろう。
 帰りは新橋まで歩いた。この暑いなかをスポーツ自転車をこぐ人がけっこういる。パワフルだな。栃木でも増えているけどね。

● で,新橋まで来れば,ついでに銀座を見てみようかと思うわけで,ふらふらと歩きましたよ。新橋と銀座って道路一本隔てるだけなのに,雰囲気がガラっと変わる。その不思議感は,田舎者には慣れることがない。
 本を1冊買って,帰ってきた。

2013年3月21日木曜日

2013.03.20 東京アマデウス管弦楽団第78回演奏会

新宿文化センター 大ホール

● プログラムに載っている楽団紹介によれば,東京アマデウス管弦楽団は,「1973年,当時の東大オーケストラ卒団者を中心に結成された」。「団員の大半は音楽をこよなく愛するサラリーマンで,年代は20代から60代までと幅広い」とのこと。
 水準の高いアマチュアオーケストラのひとつとして,その評判を耳にすることが何度もあった。今日まで聴く機会を得なかったのは,ひとえにぼくが地方の片隅で息をしているからだ。

● 男性奏者が圧倒的に多い。ゆえに,黒っぽい感じの楽団だ。なるほど年齢にばらつきがある。
 が,女性奏者に限れば若い人が多かった。女性の場合,結婚して子どもができると,オケ活動を継続するのは事実上不可能になるだろうからね。

● 演奏したのは交響曲2つ。シューマンの4番とマーラーの1番。指揮者は石川星太郎さん。開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。

● シューマン4番の演奏が始まってすぐ,居ずまいを正した。端正にして流麗。熟成してるのに鮮度抜群。極めつけに腕のいい職人の集合体だ。それぞれ,一家言を持っていそうだな。
 こういう人たちを統べなければならない立場にある指揮者も,並では務まらないだろうな。石川さん,まだ30代の半ば。今後,彼の名前を目にする機会がしばしばあることになりそうな予感あり。

● マーラーもねぇ,まったく乱れのない収束。曲の中に入りこむのと,曲を外から眺めるのと,同時にやっているんだろうけど,その塩梅が的確というか。お見事としか言いようがない感じ。
 楽々とやっているわけではない。当然だ。精魂を込めている。
 破綻はない。守って破綻を防いでいるんじゃない。守りに入ったら曲が死んじゃうもんね。
 攻めて攻めて,なお攻めて,ギリギリ攻めすぎないっていう,そこから立ちあがってくるオーラの濃度と大きさが客席を圧倒した。おそらく聴き巧者のお客さんも多かったに違いないが,彼ら彼女らからも何の文句もでないだろう。
 
● プロとアマの違いって何だろうと考えさせられた。国内には30前後のプロオケがあるんだろうか。いずれも運営は楽ではないだろう。
 公的援助の拡大を求める声を聞くこともあるけれども,一方でここまでの演奏をやってのけるアマオケがあるとすると,公的援助を求めてはいけないプロオケも数のうちにはあるのじゃないかと思えてくる。

● 観客のためにだけオーケストラが存在しているわけではない(と思う)が,観客がオーケストラに対して第一に求めるものは何か。「良い演奏」に決まっている。では「良い演奏」とは何か。これが一筋縄ではいかない。厄介な問題だ。
 けれども,技術がすべてではないというのは絶対で,ここは譲るわけにいかない(技術じたい,その外延を定義することは難しいと思うんだけどね)。気迫とか,若さとか,老練とか,奏者の人生そのものとか,数え切れない多くの要因が絡み合って,個々のステージができあがる。

● 小さい頃から楽器を始め,高校,大学でも音楽を専攻し,プロの演奏家として立っている人の中には,一芸を究めてそこを突き抜けている,とんでもない人がいるのかもしれない。
 一方で,中途半端なプロってのもいたりするのかなぁ。単純に音楽以外は何も知らないっていうやつ。そういう人の演奏よりは,背後にいろんなものを抱えている人の演奏の方が面白いのかも。
 いや,ちょっと言葉が上滑りしてますな。演奏だけしてればすむなんて,プロの世界でもあり得ないだろうからね。世間に普通にあるものは,音楽界にもあるんだろうから。
 ただ,今回のようなアマチュアの演奏を聴いてしまうと,そんなことが頭をよぎるんですよねぇ。

● 少ない数の女性奏者が,それぞれ存在感を放っていた。結婚なんかしないで,ずっと活動を続けてもらえるとありがたいと,こちらとしては思うわけですけどね。
 身勝手すぎるお願いですな。

● ただねぇ,結婚して家庭を持つってそんなに魅力があることかなぁ。特に女性にとっては。現状では,結婚は男に得で,女に損。
 相手の男性の性格とか職業とかを超えて,メカニカルにそうならざるを得ないところがありますね。この点,よくよく熟慮あられたい,と。

● たとえば,夜遅くに帰ったとき,部屋の灯りがついていないって寂しいんだよね。そういう具体的リアルに打ち克つのってけっこう難しいし,友人の結婚式に出ると,虚飾とわかっていても,それに惹かれてしまう気持ちを統御するのもなかなかの難事だ。
 それらは充分に理解できるんだけれども,いっときの気迷いによる軽挙妄動は慎んだ方がよろしいかと。

● そんなことをしてたら少子化に拍車をかけてしまうじゃないか,って? いいじゃないですか。少子化ってそんなに悪いことじゃないと思いますよ。
 少なくとも,少子化が続いている間は,日本国が戦争を起こすことはない。戦闘要員がいないんだから。
 尖閣で何かあったときに,中国海軍を蹴散らすくらいは,海上自衛隊にとっては朝飯前だと思うんだけど,こちらから攻めこむ形の戦争なんてできるはずがない。悪くないじゃないですか。

● ぼくの隣に座ったのは中国語を話す夫婦とその知り合いのグループだった。だから何だってことはないんだけど,隣が外国人ってのは初めての経験だったもんだからね。
 外国人も来てるんですね。これからはこういう人たちとも仲良くしなきゃいけないのかなぁと思ってね。