2010年7月31日土曜日

2010.07.25 われら音楽仲間この指とまれ 栃木県立図書館ホール

● 25日は県立図書館のクラシック・ライヴ・コンサートに行ってきた。タイトルは「音楽仲間,この指とまれ」。代表者は村上治夫さん(オカリナ奏者)だが,ほかにもホルンやトランペット,フルート,声楽など次々に登場して演奏を披露する。

● 声楽家は中高年女性の3人組。「川の流れのように」ほかを歌った。専門は3人ともクラシックだという。

● 黙って俺たちの演奏を聴けっていうのではなく,皆さんも一緒に楽しみましょうという趣向だ。

2010.07.11 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2010

ノバホール 大ホール

● 11日(日)にはつくばに行ってきた。東京大学音楽部管弦楽団は毎年,全国5都市でサマーコンサートなる演奏会を開催している。今年は,つくば,東京,豊田,伊丹,鹿児島で開催する。行くとすれば東京だと思っていたのだけど,思い立つのが遅かったので,東京分はすでにチケット完売。つくばだったらまだ残っていたので,速攻ゲット。

● つくばの街並みはといえば,何もなかったところに人工的に街を造ればだいたいこうなるだろうという趣を湛えていた。海に面してはいないけれども,開放感はタップリある。デパート(西武)がありホテル(オークラ)がある。中空に造った広場があり,プランターの花々が飾られ,大きな木も植わっている。ベンチが置かれ,犬を連れた歩行者や自転車に乗った人が行き交う。
 ビルがいくつか目に入ってくるが,高さの程がいいので圧迫感はない。開放感が保たれている。多摩センター駅前の風景を思いだした。デザインの違いはあるけれど,趣はまったく同じだ。こういうふうになるしかないんだろうなぁと思った。

● 学園都市ができたばかりの頃は,つくば病が喧伝された。飛び降り自殺者が多かったっていうアレですね(高島平でも同じことが起きたね)。今では収まっているのだろうか。
 ということは,街としての体裁が整ってきたっていうか,人間くささが行き渡ってきたということなのだろうかね。

● つくばといえば,筑波大学。
 その筑波大学の構内も歩いてみた。かなり広い敷地で,ぼくが歩いたのは春日地区キャンパスという一画。休日のこととでガランとしていた。自転車で構内を移動する学生が数人いた程度。テニスコートではソフトテニスをしている学生たちがいた。体育館から学生たちの声が聞こえてきた。
 若さとか青春とか,そういう言葉を連想させる光景だ。スポーツって若さのシンボルだもんね。
 けれど,「若さ(青春)=スポーツ」ってのも陳腐きわまる発想で,スポーツにうつつを抜かしている若者たちは,青春をムダにすごしているはずだとも思ってしまう。
 ただし,ムダじゃない過ごし方なんてないのだよね,たぶん。人生なんてしょせんはムダの積み重ねに過ぎない。青春に限った話じゃない。

● 敷地内には学生や非常勤講師のための住宅も建てられている。鉄筋造の集合住宅だ。一般のアパートと同じものだ。筑波大学ができたばかりの頃,学生用住宅で同棲している男女学生が多いと報道されたことがあった。羨ましかったものだが。

● さて,東大音楽部管弦楽団である。
 東大の数ある学生オケの中で,東大音楽部管弦楽団だけは東大純正だ。楽員は全員が東大生。こうした催しでは,同窓会もチケット販売に力を貸すらしい。義理のお客さんもいるのかもしれない。応援にやってくる友人や家族が客席の多くを占めるのかもしれない。
 そうであったとしても,地方都市に出向いて演奏会を開催し,そのチケットを完売できる学生オケがどれほどあるだろうか。東大のネームバリューが与って力あるとしても,お客さんの多くは彼らの実力を知っているのだろう。ぼくは車と電車3つを乗り継いで聴きにきたけれど,ぼく以上に遠方から来ているお客さんもいるだろう。

● ぼくがチケットを申し込んだのは7日の水曜日だった。チケットは届かなかった。おそらく当日渡しになっているのだろうと思って,ためらうことなくつくばまでやってきた。
 会場のノバホールの入口には赤字で完売御礼と書かれた立て札が。これを見てちょっと不安になった。ぼくの分はないんじゃないかって。
 が,そんなことはなく,ぼくのチケットは確保されていた。千円と引替えにチケットを受取り,会場へ。

● 指揮者は三石精一氏。国内の重鎮。東京音大の名誉教授でもある。東大オケでは氏に終身正指揮者の称号を与えている。トレーナーも錚々たるメンバーが多数並んでいる。これだけの環境を整えられる東大オケの実力っていったい。
 この環境があるから上達するのか,もともと巧いからこうした環境を作れるのか。いずれが因でいずれが果かはわからないけれども,ここまでの環境を構築できれば,あとはうまく循環していくんだろうな。

● もうひとつ感じることがあって,それは受付や案内を担当する学生(1年生なのだろうが)の折り目正しさ,礼儀正しさだ。大学生がここまでサービスマンになれてしまうのは不自然だろうと言いたくなるほどだ。
 受付では「ご来場ありがとうございます」と挨拶され,会場の各入口では女子学生が両方の指を前に組み合わせて立っている。もちろん,とまどっているお客さんがいれば声をかける。演奏が終わって出るときには,「またお越しくださいませ」と送りだされた。ホテルマンかおまえらは,と思った。素晴らしいんだけど。
 これって東大生っていう矜持というか,自負があるからこそ,ここまでできるのかもしれないなぁと下司の勘ぐりをしてしまう。いや,ほんとに下司の勘ぐりでしょうね。

● 曲目は,次のとおり。
 ボロディン 歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」
 スメタナ 交響詩「我が祖国」より「モルダウ」「ボヘミアの森と草原より」
 チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調

● 演奏が始まって数秒後には,電車を乗り継いで栃木まで帰らなければならないことや,ヨメのことやムスコのことも,きれいに忘れていた。今,ここ,に集中できた。
 そうさせるだけの技術が彼ら彼女らにはある。技術だけではない。こめた思いの強さというか,この演奏会にかけてきたエネルギーの質量というか,そういったものがきちんと載っているのだ。一心に演奏に集中している彼らの姿勢が美しい。
 耳を奪われ目も奪われた。オーケストラをライブで聴くことの醍醐味ってこれじゃないか。毎度毎度の感想で申しわけないけれど。

● いろんな楽器の音がミックスじゃなく,ひとつになっている。音楽大学ではない一般大学の学生がここまでできるのか。
 「モルダウ」はCDで何度も聴いている。のだが。涙が出そうになった。
 チャイコフスキーの第4番は今年2月に栃響の演奏で聴いている。ぼくはそのとき寝ていたのか。何も憶えていないから。
 けれども,それもどうでもよくなった。ライブは目の前のこの瞬間がすべてだ。この瞬間に没入できれば,1時間後にそれを忘れたって別にかまわないのだ。

● ちなみに次回(来年1月)の定期演奏会ではマーラーを取りあげる(交響曲第1番「巨人」)。マーラーやブルックナーは後期ロマン派のビッグネームだけれど,ライブで聴いたことはない。
 きちんと仕上げるにはそれなりの力量が求められるのだろう。アマオケでマーラーを演奏できる楽団は限られるのじゃあるまいか。来年1月が楽しみだ。

● この楽団の演奏を聴けることがありがたい。しかも,タダ同然の料金だ(往復の交通費が4千5百円。しかし,おかげで筑波に来れたのだ。筑波までの旅行費用であって,これをチケットに上乗せして演奏会のコストを考えるのは間違いだね)。
 大事にお金はかからないのだ。お金にモノ言わせなくても,幸せな時間は持てるのだ。

2010.07.03 シューベルト:ウィーン・ウィーン・ウィーン

那須野が原ハーモニーホール小ホール

● 3日(土)は宇都宮市文化会館で宇大管弦楽団の定期演奏会があった。が,ぼくは行けなかった。というのは,同じ日に那須野が原ハーモニーホールで「レクチャー・コンサート シューベルト」があって,うっかりチケットを買ってしまっていたからだ。
 それでも最後までどっちにしようかと悩んだ(小さい男だねぇ)。結局はホールの良さに惹かれて,北に向かった。

● このレクチャーはじつにお得だった。内容はシューベルトの歌曲に絞って,館長の丹羽正明さんの講義(スライドを使う。難しい話は出てこない)の後,実際の演技を鑑賞する。演じるのは芸大院の卒業生と在学生。若い人たちの演技は何といっても活きがいい。アヴェマリアや鱒,菩提樹などおなじみの曲も含めて18曲を堪能できた。これでチケット代は千円。
 宇大管弦楽団の演奏会にも思いを残しながらだったけれど,とても満足して帰途につくことができた。

● ちなみに,先月から自転車通勤を始めた。片道29キロを自転車で通う。もちろん,毎日ではない。そんなことをしたら死んでしまう。数日に1回,ね。
 那須野が原ハーモニーホールも自転車で行って行けない距離ではないと思うんだけれど,電車で出かけた。帰りは暗くなっているはず。初めての道路をライトを付けて走るのがイヤだったのですね。
 自転車は自分の翼だと思ってるんだけど,この翼,まだまだ使用可能範囲に限定がありますな。その限定を徐々に外していきたいと思ってはいるんだけど。