2017年12月31日日曜日

2017.12.31 ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2017

東京文化会館 大ホール

● 7年連続7回目の拝聴。もう今年でやめようかと思ったことは以前にもあった。が,今回もこうして聴きに来た。
 っていうか,チケットは7月に販売開始されるんだけれども,その発売初日に“ぴあ”で買っている。要するに,聴く気まんまんだったわけだ。

● 過去6回のうち,4回はヤフオクでチケットをゲットしている。大晦日のことなので,7月時点では行けるかどうかわからない。不確定要素が多い。ので,12月になってからヤフオクでという流れ。正規料金の倍を出してC席を買っていた。
 あとの2回は正規にA席を購入した。やはり12月近くになってからのことなので,その時点ではS席とA席しか残っていないのだ。

● が,今回は発売初日にC席を買ったよ,と。行けなけりゃ行けないでいい,行きたいのならチケットは買っておけ。
 4階右翼席の1列目。C席はおおよそ4階の左翼・右翼席が充てられている。ここは2列あるんだけれども,1列と2列では天国と地獄ほども違う。両方とも経験して,そう思う。
 昨年は3階席の3列目だった。ここはA席になる。それをモノサシにすると4階右翼の1列目がC席なのは,すこぶるお得だ(この演奏をこの席で5千円で聴けるのは,ほとんどタダに近い)。ゆえに狙い目。ただし,発売初日の,しかも早い時間帯に売れてしまうのじゃないか。

● というわけで,ぼくのチケットは5千円。開演は午後1時。
 指揮は今年も小林研一郎さん。管弦楽は「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」。今日1日だけの臨時編成のオーケストラ。コンマスは篠崎史紀さん。この布陣は,ぼくが聴きはじめた7年前からまったく変わっていない。

● この演奏を聴く度に思う。自分はこの演奏を聴くに値する人間だろうか。この演奏を聴いていいだけの1年間を過ごしてきただろうか。
 この問いにイエスと答えられたためしはない(自分だけではないと思いたい)。そんなヤツは家でCDでも聴いとけ,とわれながら思わぬでもない。のだが,年に一度の分に過ぎた贅沢を自分に許してもよかろう,と,ウダウダと考えている。

● だが,今回はどうも乗れなかった。29日,30日と都内のホテルで過ごした。自宅よりもよほど高価で寝心地のいいベッドだったにもかかわらず,どうも眠りが浅かった。少しボーッとしている。
 加齢の然らしめるところかと思うけれども,この状態が4番が終わるまで続いた。ステージと自分の間に一枚の幕が下がっているような感じ。隔靴掻痒感。何度も聴いているはずなのに,初めて聴く曲のような。
 4番が終わったあと45分の休憩があったのだが,それでやっと幕がはずれてくれた気がした。

● そのような状態だったのだが,1番は9つの交響曲の中で最もたおやかというか,女性的というか。ベートーヴェンって両性具有だったのかと思ったりね。
 3番は葬送行進曲が染みた。自分の葬儀のとき,この楽章を流してくれるように遺言しておこうか。いや待て,自分は死んでいるんだから,聴くことはできないじゃないか。それ以前に,自分の葬儀があるかどうかもわからないではないか。孤独死になるやもしれぬじゃないか。

● 三枝成彰の今回のトークは,長調と短調について。といっても,どちらかというとベートーヴェンの以前と以後の作曲家の話の方がメインだった。
 ベートーヴェン以前の作曲家は職人で,世襲される職業だった。作曲は技術だった。だから,たくさんの曲を作ることができた。
 ベートーヴェン以後は,作曲は芸術になった。定型をはずして,今までになかったものを生みだすことが重視されるようになった。ベートーヴェン以後,父親も作曲家だったという作曲家はひとりもいない。聴衆も先が読めない音楽になった(われわれはCDで聴けるからその先がどうなるかを知っているけれども,当時の聴衆はそうはいかない)。それがロマン派の特徴。ま,そういう話だった。

● この演奏会では,9番を別にすれば,5番と7番が熱演になることが多い。曲の性質がそうさせるのかもしれないけれど。
 で,その5番だ。45分の休憩でこちらの体調も整った。どんな演奏をしてくれるのか。
 やってくれるものだ。アタッカでなだれこむ第4楽章冒頭の爆発。圧倒的な爆発なのに,音がいささかも乱れない。はぁぁぁと思うしかなかった。

● 6番は曲そのものがあまり面白くない。というと,自らの未熟を晒すようなものかもしれない。しかし,面白くない。

● このあと90分の休憩。これがまずかった。アメ横の「モツ焼き大統領」でハイボールを飲んでしまったのだ。しかも,ダブルで2杯。われながら何をしているのかと思うんだが。
 ほんと,何をしているんだろう。こんなことをしてたら,このあとの7~9番は捨てたも同然ではないか。いかん,いかん。

● 会場のロビーでもワインやビールが売られている。このコンサートの聴衆は日本全国からやってくる(のだと思う)。S席は2万円なのだ。オペラほどではないにしても,会場には華がある。そのコンサートを聴きに来ている私”を演出するのに,華やかな人たちがごった返すロビーで,ワイングラスを傾けたくなる気持ちはわからないでもない。
 けれど,やめておいた方がいいと思う。ここは演奏に酔う場であって,アルコールはその妨げにしかならないだろう。
 と,先の45分間の休憩のときに思ったのだよ。にもかかわらず・・・・・・よりによって「モツ焼き大統領」だよ。

● それでも,7番は何とかアルコールを退けて聴けたかもしれない。いや,ダメだったか。素晴らしい演奏だ。それはわかる。
 が,わかったその先に自分がいない。ふぬけている。ダメだ,ダメだ。アルコールは全然ダメだ。

● 8番になる頃は,アルコールが暴れだした。ベートーヴェンの中でも8番は独特の味わいがあるのだ。タッタラタララァン,タララララララン,なのだ。
 「モツ焼き大統領」のおかげで,それが台なしになった。しかも,言っちゃなんだけど,ここのモツ焼き,さして旨いわけでもないぞ。って,自分が悪い。何といっても,自分が悪い。

● 45分の休憩のあと,9番。合唱は例年どおり武蔵野合唱団の皆さん。ソリストも昨年と同じ。ソプラノは今年は市原愛さん,アルトは山下牧子さん,テノールは笛田博昭さん,バリトンは青戸知さん。
 この時間帯に声を出すのは,なかなか大変だろうと思う。のだが,結果はそんなものを吹っ飛ばしてくれる。
 オケのスタミナは何ごとか。憑かれたように,飛ばしに飛ばす。飛ばすけれども,精緻さが損なわれることはみじんもない。
 クソッたれが。飲んでさえいなければ。

● いや,飲んで神経を鈍くさせたうえでの,音楽の楽しみ方もあると思うのだ。いろんな聴き方があっていいのだ。
 まるでステージと対峙するような,あるいは演奏を批評しようとするかのような,ギラギラとした聴き方だけが音楽の聴き方ではないのだ。神経を研ぎ澄ませるばかりが能じゃない。少し酔ってユラユラと聴くのもありなのだ。
 ただ,それをするには,ぼくはいささか以上に貧乏性のようだ。そんな聴き方は死ぬまでできないだろう。

● つかぬことを伺いたいのだが,この演奏会って練習はどうしてるんだろう。まさかGPはやらないと思うんだが,年末の忙しい時期に,練習の時間が取れるんだろうか。かといって,ぶっつけ本番でもないと思うんだけど。少なくとも合唱とは合わせなくちゃいけないだろう。
 当日の午前中にすべての練習をやるんだろか。とすると,合唱団は数十分の出番のために,朝から深夜まで拘束されているのか。

● という次第だった。こうして2017年は終わったのだ。まるで今年の自分を象徴するような凡ミスを繰りだしてしまったのだった。
 クラシック音楽を生で聴くのが,ささやかな趣味。今年は65回。ひと頃よりだいぶ減っているが,これでもまだ多すぎると自分では思っている。
 アマオケ中心なんだけど,どうしても東京に引き寄せられる。が,来年はできるだけ地元(栃木)に沈潜したい。
 聴きたい欲を100%は満たさないように自分を抑えたい。ここでも腹八分目がいい。貪ってはいけない。

2017.12.24 第35回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)

宇都宮市文化会館 大ホール

● この演奏会を初めて聴いたのは第27回。その後,30回32回34回と聴いている。ほぼ1年おき。
 今回は初めて2年連続で聴いたんだけど,そのことに気づいたのはつい先程だ。今回も2年ぶりだと思っていた。つまり,前回(第34回)の記憶がスッポリと抜け落ちている。何回か聴いていると,記憶が混ざってしまうのだと思う。
 困ったことだけど,仕方がないんでしょうね。たぶん,こういうことって,誰にでもあるんだと思う。だから,人の記憶ってあまりあてにならない。自分の記憶を頑固に信用してはいけないってことですね。

● 開演は14時。かなり混むことはわかっていたから,かなり早めに並んだ。その甲斐あって,2階右翼席に座ることができた。自分で勝手にここが自分の指定席と決めているところ。
 チケットは1,000円。これまた,当日券は厳しいだろうと思って,数日前に前売券を買っておいた。

● 例年,宇女高合唱→宇高合唱→両校合唱→両校管弦楽→両校管弦楽&両校合唱&両校2学年音楽選択生,の順での演奏になる。
 まずは,宇女高合唱部。「キャロルの祭典」から4曲。“入場”,“来たれ喜びよ”,“四月の朝露のごとく”,“この小さな嬰児”。「キャロルの祭典」は女声合唱の定番であるらしい。たしか昨年も。

● 初めて聴いた第27回のときは,部員が少ないのに少し驚いたものだった。が,最近は事情がだいぶ変わってきたらしい。
 アンダーソン「雪だるまをつくろう」など4曲を,ミュージカル仕立てにして演奏した。それができるためには,第一に数が揃っていなければならない。
 4つの曲をはめこむためのストーリーや場面設定にも無理がなく,ひょっとすると,定型があるのだろうかと思った。たぶん,そういうものはないんだろうけど。

● 次は,宇高音楽部合唱団。「じゆびれえしよん」から“雪景”,“独唱”,“りんごよ”。「父のゐる庭」から“紀の国”。「鴎」「斎太郎節」。
 今回は少々手こずってる印象を受けたんだけどね。高音部に苦戦していたような。期して次回を待て,ということでしょう。
 そのあと,両校の合同演奏があって,第1部は終了。

● 第2部は両校合同の管弦楽。かなりの人数になる。デュカスの「魔法使いの弟子」を演奏。
 なぜ「魔法使いの弟子」かといえば,このあと日本青年館で「全日本高等学校オーケストラフェスタ」というのがあるらしく,宇女高オーケストラがこの曲を引っさげて参戦する。そういう事情があったようだ。

● この演奏会の白眉はもちろん,最後の「両校管弦楽&両校合唱&両校2学年音楽選択生」にある。ヘンデル「メサイア」から“ハレルヤ”,それと「第九」の第4楽章。つまり,これが第3部。
 音楽選択生の中には合唱部員よりも巧い人もいるはずだ。合唱よりもバスケットがもっと好きだからバスケット部員になっているというような。あるいは,部活の意義に自分は疑問を感じるから合唱部には入らないけれども,歌わせたらかなりの腕前だ,というような。そういう人が音楽選択生の中にはいるだろう。

● 一方で,口パクの人も散見された。責めているのではない。当然,あっていい対応だ。たぶん,この演奏会への参加希望は問われずに,音楽選択生は全員参加することになっているのだろう。それなのに口パクも許さないというのでは,すでにして小さなファシズムだ。だから,口パクはあっていいのだ。ここで良心の呵責など感じてはいけない。
 しかし,だね。明らかにわかる口パクはダメだよ。ここは演技力を見せるところだからね。(観客に)口パクと悟られないような口パクを演じて見せてくれ。この点で言うとね,男子の宇高生より女子の宇女高生の方が,演技力は上のような気がしたね。

● 管弦楽については,宇高と宇女高の実力差が相当あるなと思っていた。正直,宇高生が可哀想に思えることもあったんだけどねぇ。
 このあたりも様相が変わっているようだ。宇高管弦楽団の名簿を見ると,1年生の部員がかなりいる。技量も向上しているようだ。
 「第九」は宇高生がコンマスを務めた。その彼にコンマスとして見劣りするところは,まったくなかったと思う。

● この演奏会に備えるのに与えられた時間は限られていたはずで,両校の合同練習ができたのは2回程度じゃないかと思う。もっとも,管弦楽は,那珂川町の「第九を歌う会」(12/10)でも演奏しているので,そこで総合リハーサルは済んでいるのかもしれないけど。
 “ハレルヤ”を仕上げるだけでも,けっこう大変でしょ。それに加えて「第九」だからね。
 管弦楽も合唱も自前で,しかもこの水準まで持ってくることができるのは,栃木県内でもこの両校だけだろう,たぶん。たいしたもんです。
 ぼく的には,「第九」よりも“ハレルヤ”の素晴らしさを称揚したい。主には合唱についてなんだけどね。

● 客席は“ほぼ”のつかない満席状態で,とにかく人圧がすごかった。これはちょっと入り過ぎだろう,と。人圧に押されて,居心地の悪さを感じることがある。
 が,その人圧も途中から感じなくなった。高校生のパワーはかくも凄い。

2017年12月27日水曜日

2017.12.23 宇都宮大学管弦楽団 第84回定期演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後6時。チケットは800円。ぼくは招待状で入場させてもらったんだけど。

● メインホールが満席。ほぼ空席なし。この楽団の定演でこれだけお客さんが入ったのを見るのは初めてのこと。17日の栃響「第九」でももう少し空きがあった。
 何があったのだろう。演奏される曲目に奇をてらったところはないし,下手に奇をてらうと,かえってお客を遠ざける結果になるものだろう。
 招待状をはじめ,集客の手を尽くした結果だろうか。地元の人たちの間にクラシック音楽熱が盛りあがっているんだろか。どうも理由がわからない。

● その曲目は次のとおり。指揮は三河正典さん。
 ベートーヴェン 劇音楽「エグモント」序曲
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

● 大学オケでも大学に入ってから楽器を始めた人が珍しくないという話も聞くことがあるんだけど,どうなんだろうか。本当にそうなのか。
 ぼくも大学では初めてのスポーツの部活をやった口なんだけど(じつは,そのことを激しく後悔している),管弦楽でも同じなのだろうか。

● 宇都宮大学管弦楽団は,栃響をはじめ県内の市民オケの人材供給源になっているやに思われる。弦の水準の高さには感嘆する場面が多い(ただし,OB・OGのアシスト効果も大きいはずだ)。
 大学から始めてもここまで行けるのであれば,相当な人たちにとって福音になるだろう。
 必ずもっと早く始めていればよかったと思うものだろうけれども,それは何ごとにもあてはまる。あまり深く考えてはいけない事柄に属する。考えても仕方がないことを考えないでいられる,というのは,それじたいが大変な才能だ。

● 「ロメオとジュリエット」にはチャイコフスキーのすべてがあるように思う。こうすれば聴衆に受けるとわかっているかのような,あざといくらいの起伏のつけ方と場面転換。ロシア的というには,どこかに華やぎを残す沈鬱さ。
 じつは,チャイコフスキーの多くの楽曲の中で,最も数多く聴いたのはこの曲だ。短い時間でチャイコフスキーを聴いたという気分に浸れるからだ。

● ドヴォルザークの9番は先月も宇都宮短期大学管弦楽団の演奏を聴いている。どちらがどうということはない。何度聴いても,いいものはいい。
 指揮の三河さん,ていねいな指揮ぶりはこの人の身上なのだろうけど(というほど,何度も彼の指揮に接しているわけではないんだが),わかりやすく指示を出して,学生たちの良さを引きだそうとしているように見えた。オケも弾きやすかったんじゃないかと思う。

● 欲をいえばキリがない。アンサンブルにはさらに洗練させる余地がある。もっとなめらかに,もっとシームレスに。少しの注意で防げる事故もあった。
 しかし,演奏に力がある。感情移入しやすいというか,余計な雑念を介入させないというか。このあたりが大学オケの良さだ。存分に時間をかけることができるゆえでもあるだろう。あるいは,若さが持つ何ものかの仕業であるのだろう。
 巧い演奏より力のある演奏の方が,魅力がある。聴いて良かったと思うのは,圧倒的に後者の方だ。

● アンコールのくるみ割り“花のワルツ”まで含めて,その力が持続した。このあたりがこれだけの聴衆を集めた理由なのだろうか。
 と,まとめると大団円になって都合がいいんだけど,そうではないだろうなぁ。何か他の理由があるんだろうな。あるいは,たまたまだったのかなぁ。

2017年12月26日火曜日

2017.12.21 ジャン=フィリップ・メルカールト オルガン・リサイタル

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 今日はダブルヘッダー。18:30から那須野が原ハーモニーホールで「ジャン=フィリップ・メルカールト オルガン・リサイタル」。チケットは1,000円。

● このオルガン・リサイタルも今回で4回目になる。以前は「田園」や「幻想交響曲」といった管弦楽曲をオルガンにアレンジして演奏していた。
 でも,わざわざ編曲してオルガンで聴くよりも,そういう曲は管弦楽で聴けばいいのでね。「田園」や「幻想交響曲」がどんなオルガン曲になるのか,という楽しみはあるわけだけれど。

● 今回は,それぞれ曲調の違うオルガン曲を4つ。
 バッハ 前奏曲とフーガ ハ長調
 フランク 前奏曲,フーガと変奏曲
 ヴィエルヌ オルガン交響曲第2番より“スケルツォ”
 デュプレ 古いノエルによる変奏曲

● オルガンってこういう音も出せるのか,オルガンにこういう使い方もあるのか,という初歩的な発見あり。
 雨も降らせられるし,風も起こせる。エマージェンシーも表現できるし,春の川のせせらぎや,市場に人が集まっている様子も作りだすことができる。
 たとえば,最後の「古いノエルによる変奏曲」。ノエルというのはクリスマス・ソングという意味らしいのだが,ファンタジーに満ちている。東京ディズニーランドを連想してしまった。

● オルガンっていうと,神に捧げる音を出すための楽器というイメージがあるんだけども,いくらでも俗世を表現することができるんだな。
 と思いながら,このホールの専属オルガニストである,ベルギー生まれの37歳の若者(ぼくから見れば,ね)の背中を見つめていた。

● ところで。那須野が原ハーモニーホールの冬のイルミネーションは有名だ(有名なんでしょ?)。じっくり見れたのは,今回が初めてだ。
 たんに光っているだけではなくて,音も付いている。ぼくが眺めていたときには,エルガー「愛のあいさつ」が流れていた。
 少ないながらも,食べものの屋台も出ていた。ちょっとしたお祭り気分も味わえる。

2017.12.21 山本楓 オーボエ・リサイタル

栃木県総合文化センター サブホール

● 山本楓さんのオーボエリサイタル。チケットは1,000円。11:30からの1時間。
 彼女のオーボエを初めて聴いたのは,2013年のコンセール・マロニエ。そのとき,山本さんは2位だったんだけどね,ぼくの審査(?)によれば,彼女が1位だったんだよなぁ。
 まぁ,あの松山冴花さんもこのコンクールの弦楽部門では2位だったんだからね。コンクールの結果っていうのは,そもそもがあまり気にする必要のないものなのかもしれないんだけどね。

● 山本さん,地元の出身。地元の普通高校から藝大に進み,現在はイギリスに留学中。それでもオーボエで名をなすのはなかなか容易なことではないのだろう。
 茨の道に進めるのは選ばれた人たちだけだ。けれども,選ばれることが本人にとって幸せなのかそうではないのか。それは誰にもわからない。もちろん,本人にも。

● 曲目は次のとおり。
 アグレル ブルース-D.Dのために
 サン=サーンス オーボエとピアノのソナタ
 ロベルト・シューマン 夕べの歌
 クララ・シューマン ヴァイオリンとピアノのための3つのロマンス

● 初めて聴く曲ばかりだ。サン=サーンスのオーボエソナタは,その世界では知らない人のいない名曲だというんだけど,ぼくは知らなかった。
 ぼく程度のクラシックファンが垣間見るのは,クラシック音楽という宇宙のほんの一部にすぎない。それでいいと居直っているけれど,多少は揺さぶってみたい気持ちもある。

● そのためには,自分の意思で選曲して聴くのではなく,ランダムに流れてくるのを受動的に聴くシステムを作るといい。ラジオやテレビの音楽番組を聴くのはいい方法かも。
 スカパーには音楽専門チャンネルもある。が,CS放送というのはそれ自体がすでに終わってしまっている情報伝達型式でしょ。NHK-FMの利用が現実的でしょうか。“らじるらじる”をスマホにインストールして,「聴き逃しサービス」を利用してみるか。録音もできるとさらに便利なのだが(→できるらしい)。
 スマホなら海外の音楽専門番組も聴ける。が,あまり一挙に高度化(?)してしまうと続かないからね。

● 特に印象に残ったのはシューマン「夕べの歌」。「子供のための12の連弾曲」の中の最後の曲。つまり,元々はピアノ曲。それをヨアヒムがオーボエ(orヴァイオリン,フルート)&ピアノ曲に編曲したもの。
 この曲を含めてシューマンをまとめて聴いてみようか。ライブで聴いたのは,交響曲の1番と3番,ピアノ曲のいくつかにとどまっている。
 こういうことも,生演奏に接すると,その都度思うことだ。バロックの演奏を聴けば,バッハ以外にも聴かなきゃと思うし,ジャスを聴けばジャズも聴かないとなぁと思う。
 で,これまた実行するのは難しい。たんに聴くというそれだけのことが,実際にはなかなかできないんだよね。

● 演奏家は演奏しているときだけ演奏家なのだね。そうじゃないときは,ただの人っていうか普通の人なんだ。
 何をあたりまえのことを,と言われそうだけれど,山本さんのMCを聞いているときに,ハッとする思いでそう思った。ぼく的にはひとつ発見したような気分なんですけどね。

● 以下はまったくの余談。このリサイタルとは何の関係もない。
 サブホールながらほぼ満席。平日の昼間にこんなところに来れるなんて,世の中に暇人は多いのだな,と自分を棚にあげて思った。日本もまんざら捨てたもんじゃない。
 もっとも,こういう感興に浸りたければ,平日昼間にパチンコ店に行ってみればもっと強烈に味わうことができる。

● あるいは,平日開催の競輪もね。お客離れが言われて久しいけれども,それでもまだまだ爺さんたちが蝟集しているでしょ。
 公営賭博の功罪に深く思いを致しつつ,日本も捨てたものじゃないと思うのは(思えないかもしれないが),なかなかに趣のある時間の過ごし方かもしれんね。

● ちなみに,賭博の9割以上を公営賭博が占める。自治体が一生懸命に推進している。あるいは,衰退を食い止めようとしている。
 でもって,残り1割未満の賭博に対しては,刑罰(賭博罪)をもって臨む。強盗犯人がスリやカッパライを取り締まっているようなものだ。
 屁理屈はいくらでも立てられるけれども,現状を直視するなら,関係法令を整備したうえで(つまり,暴力団の資金源になるのを防がなければいけない),賭博罪は廃止すべきだと思う。

2017年12月20日水曜日

2017.12.17 第10回栃木県楽友協会「第九」演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● この「第九」演奏会も10回目になるのか。「第九」は12月の風物詩になって久しい。冬の季語として歳時記に載ってもいいのじゃないかと思うほどだ(ひょっとして載っているのか)。
 ぼくは10回の全部を聴いているわけではないのだけれども,それでも,ま,かなりの回数は聴いている。地元の「第九」だからね。
 開演は午後2時。チケットは1,500円。この金額もずっと変わらない。

● 10回目の今回は,ソリスト陣が豪華。コンセール・マロニエ声楽部門の優勝者を揃えた。ソプラノが石原妙子さん,アルトが秋本悠希さん,テノールに田口昌範さん(田口さんだけはコンセール・マロニエとは無関係),バリトンに高橋洋介さん。清新な実力者が並んだって感じでしょ。
 指揮は栃響の荻町修さん。管弦楽は栃木県楽友協会管弦楽団というレッテルの栃響。恒例の対抗配置。

● 演奏するのはもちろん「第九」。露払いにヨハン・シュトラウス2世のワルツ「南国のバラ」。
 「南国のバラ」は初めて聴いた。CDではたぶん聴いているはずだけど,印象は他の曲に紛れてしまっている。たしかに聴いたという記憶すら残っていない。
 でも,こうして聴いてみると佳品だなと思う。聴くときの環境にもよりますね。だから,環境を整えることは大事なんだけど,わかっていてもこの点に関して,ぼくはほとんど無頓着だ。

● 「第九」は第1楽章がすべてだと思っている。冒頭,ホルンが宇宙の開闢を告げる。物理法則を無視して,無から有が生じる瞬間だ。ここでゾクッとするのだ。演奏のスタートのその際に,“ゾクッ”が付いてくる。
 ここでのホルンはほんとに重要だ。全身全霊をこの一瞬に注いで,宇宙開闢を告げてほしい。あくまで静かに,だ。神の代役なのだぞ。神は大声を出さないものだ。

● 生まれたばかりの宇宙に弦が綾を付けていく。ここから宇宙はどう変成していくのか。第1楽章全体がその答えだ。うねって,跳ねて,伸縮を繰り返して,宇宙は形を整えていく。このようにして宇宙は成ったのだ。
 しかし,第1楽章の最後は閉じない。開かれたままだ。宇宙は成ったのではあるけれども,完成はしない。永遠の未完なのだ。それが宇宙というものだ。

● というわけで,第1楽章が終わった時点で,こちらはグッタリと疲れてしまう。もう帰ってもいいかと思う。
 もちろん,席に着いたまま第2楽章を待つわけだけどね。宇宙開闢の物語は第2楽章には持ちこまないことにしたい。

● 「第九」の第2楽章は激しい。ティンパニ協奏曲とはよく言ったものだと思うが,ではこの楽章の主役はティンパニかといえば,どうもそうではない。というか,主役なんていない。
 弦にも管にも,作曲家は全速前進を命じている。オーケストラに息をつく暇などない。いや,息はつけるけれども,気を抜いていい時間など,コンマ5秒もないだろう。

● そして,激しさから一転して,まどろむような緩徐楽章。Wikipediaは「神秘的な安らぎに満ちた緩徐楽章である」と解説している。
 このまどろみを演出するために,奏者はまどろむわけにはいかない。感覚をいよいよ研ぎ澄ませて,ヴァイオリン奏者は左手の指を忙しく動かすのだ。

● しかし,このたゆたうような心地よさは何ごとか。竜宮城で鯛や鮃の舞い踊りを鑑賞していた浦島太郎も,こんな気分を味わっていたのだろうか。
 ひょっとしたら,この世で一番のリゾートは,ホールで「第九」の第3楽章を聴くことかもしれない。いかんせん,リゾートというには,時間が短すぎるわけだが。かといって,長く聴いていられるかとなると,それはそれで難しいだろうから,やはりリゾートにはならないか。

● 第4楽章。普通に考えれば,ここが「第九」の「第九」たる所以。
 が,この曲はあくまで管弦楽曲であって,合唱も独唱もパートの一部に過ぎない。「第九」から声楽を取り除いてしまっても,依然として「第九」であり続けると思う。
 そこがたとえばマーラーの2番「復活」との違いだ。「復活」から声楽を除いてしまえば,「復活」はもはや「復活」ではなくなってしまう。
 いや,だからといって,何か言いたいことがあるわけではないんですけどね。

● あの有名な旋律をコントラバスとチェロが奏で,それをヴィオラが受ける。あそこまで美しくヴィオラが鳴る局面を,ぼくは他に知らない。
 さらにヴァイオリンが受ける。このところで,うっかりすると泣きそうになる。

● バリトンの高橋さんが先陣を切る。歌い手に不足はないはずだ。
 が,その高橋さんをもってしても,あの地を這うような,地中からわいてくるような,重々しさを表現するのは,なかなかに難しいようだ。

● どうしたってソプラノが美味しいところを持っていってしまうかなぁ。
 石原さんのソプラノを聴くのはこれが三度目になる。彼女が優勝したコンセール・マロニエと,東京アマデウス管弦楽団がコンサート形式で「カルメン」をやったときに,ミカエラ役で出ていたのを聴く機会があった。

● ここで大きく脱線。
 その「カルメン」のときのエピソードといいますかね,終演後,観客の誰かが石原さんのミカエラを評して言った言葉が忘れられない。その人は・・・・・・「巨乳のミカエラ」と言ったのだ。
 待て待て,誰かじゃなくて,それはおまえが言ったのだろう,と穿った見方をする人がいるかもしれない。鋭い洞察ではあるけれども,残念ながらそうではない。誰かが言ったのを聞いたのだ。ちなみに,そのときの会場はミューザ川崎だった。

● ソプラノに比べると,アルトは地味目で損(?)だ。が,秋本さん,とんでもない色気をまとっているように見えた。何かあったんだろうか。
 彼女の声を聴くのは,これが5回目になるはずだ。印象に残っているのは4年前の藝祭。シュニトケ「オラトリオ長崎」でソリストを務めていた。
 それから,栃響特別演奏会での「ふるさと」も。アカペラだったんだよな。

● ベートーヴェンが第九交響曲を残してくれた恩寵というものを思ってみる。この曲がある世界とない世界。
 栃響の演奏も見事なもの。多少の事故がなくはなかったけれども,問題とするに足りない。たいしたものだよ。栃木県に栃響があることの恩寵も思ってみるべきだよね。
 大晦日にもう一度,第九の全楽章を聴く機会がある。当面,それを糧にして生きていくことができる(大げさに言えばね)。

2017.12.16 Christmas Night-Jazz and Gospel

高根沢町 ちょっ蔵ホール

● 宝積寺駅東口のちょっ蔵ホールに初めて入った。東口ができる前は,大谷石の米倉があった。米倉をそっくり残したわけではないけれども,大谷石を残してホールに改造した。かの隈研吾さんの設計。
 普段は,バンド好きの若者がここで練習している。高根沢町で若者がたむろしているほとんど唯一のスポットがここだ。
 18時からジャズとゴスペルのコンサートがあったので行ってみた。わが家から徒歩13分。

● まずはジャズ。演奏するのは「SPEED STAR」というバンド。サックスとトランペット,ベース,ドラムス,キーボードの男性5人組。好きでやっている人たちだね。

● ジャズって輪郭がわからない。Wikipediaを読んでもよくわからない。クラシックなら,訳のわからない現代クラシックも含めて,ある程度の輪郭はつかめる(つもり)。
 知識から入るのはよろしくない,まず聴いてみろ,ってことだよね。で,何度か聴いてはみてるんだけども,ジャズはとりとめがないという印象。
 初期のメランコリックなメロディーのジャズとラテンジャズとの間に,何か共通点があるんだろうか。今日聴いたのは,ボーカル抜きのロックのようにも思えた。

● 以前,山下洋輔さんがどんな音楽でもジャズになると言ったのを聞いたことがある。たとえばバッハはジャズとの相性がいいと,実演してみせてくれた。そのときはなるほどと思ったんだけど・・・・・・
 あまり聴いていないからだと思うんだけど,初めて聴いたときに染みてくるものがなければ,次に聴くこともないわけでね。
 初期のジャズからCDを聴き始めてみようかと思わないでもないんだけど,クラシックだけでも聴ききれないのに,ジャズまで手を伸ばすことがなかなかできないまま,5年,10年と歳だけ取ってしまった。

● 疑問に思ったことがもうひとつあった。聴衆に手拍子を求めるんだよねぇ。これって何なんだ?
 かなり昔,ジャズの演奏中に手拍子ってのはあり得なかったんじゃないか。ジャズと手拍子って水と油じゃなかったか。いつからこういうことになったんだろう。演奏される曲調が変わってきたってことなんだろうか。
 皆さん,ノってください,楽しんでください,というわけなのだろうけど,大きなお世話だ。ノルときには言われなくても自然にノル。

● 後半はゴスペル。演奏したのは「Free Souls」。オヤジと7人の熟女たち。と,チャカしては申しわけないな。好きでやっていることがよく伝わってきた。熱っぽさがある。
 そういうものを持てていること自体,羨ましい。幸せの半分は手にしているようなものだ(ただし,半分だけだ)。

● ゴスペルって初期ジャズの声楽版? ぼく的にはかなりジャズを感じた。ぼくのジャズ観がかなり古いのだろうな。
 演奏の中に入っていくのに,困難は感じなかった。演奏する側も自分を乗せやすいだろう。ゴスペルが日本に入ってきてからだいぶ経つけれど,これを聴きたいという潜在需要はけっこうあるのじゃないかと思った。

● と,勝手なことを言ってきたけれど,“踊る阿呆”と“見る阿呆”を比べれば,常に必ず,“踊る阿呆”が上位だ。
 踊ってみなければ気づけない諸々があるのだ。見ているだけでは盲点がそちこちにできるだろう。聴く側は,そこだけは心得ておかなければならない。

2017年12月12日火曜日

2017.12.10 モーツァルト合奏団 第19回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 小春日和の那須野が原ハーモニーホール。14時からモーツァルト合奏団の定期演奏会。入場無料。

● 曲目は次のとおり。
 フォルクマン 弦楽セレナーデ第2番 ヘ長調
 ヘンデル 合奏協奏曲 ト長調
 モーツァルト 弦楽四重奏曲第8番 ヘ長調
 メンデルスゾーン 弦楽のための交響曲第9番 ハ長調

● メンバーは那須フィルと重複している人がけっこういる。これは仕方がないところでしょうね。那須に限らず,普通にあることだし。
 やけに上手い人もいる。ひょっとしてプロですか,と訊きたくなるような人が。

● 最初に聴いたフォルクマンの弦楽セレナーデがぼく的には収穫で,CDを探してみようと思う。
 パンフレットの解説によれば,ドイツロマン派に属する作曲家。シューマンやブラームスなどのビッグネームの陰に入ってしまっている。ぼくも今日まで知らずにいた。

● 音楽史の時代区分はあまり気にしなくていいと思っている。時代を超えるのが天才というものだろうし,たとえば「第九」を聴くのに,ベートーヴェンが古典派からロマン派に移る時代の作曲家であり,ロマン派への道を拓いた功労者である,というようなことを知っている必要はほぼない。
 が,この演奏を聴くと,なるほどフォルクマンはロマン派だなと思ったりする。

● ところが,これはダメなんだよね。ロマン派だと知って聴くからそう聞こえるだけなのかもしれないんですよ。
 血液型占いと一緒だ。予め血液型を承知したうえで占い欄を見るから,当たっていると思うだけのこと。先に占い欄を読んで,どの血液型のものか当てろと言われると,なかなか難しい。実際には万人にあてはまるようなことしか書かれていないんだから。

● 弦楽のための交響曲はメンデルスゾーン14歳の作品。音楽に関しては,天才に大器晩成なし,ってことでしょうね。
 天才とはこういうものかという見本のようなもの。自分と天才の間に架かる橋はないなぁと思うね。あるわけないやね。

● モーツァルトは弦楽四重奏曲は当然,弦楽合奏版。そこにたしかにモーツァルトがいる。ステージにモーツァルトが立ち現れる。
 そう思わせるのは,曲と演奏の合作によるわけだけれども,そこにたしかにいると感じさせる作曲家は,モーツァルトをもって第一とする。

● このやり方でベートーヴェンの弦楽四重奏曲を演奏してくれないだろうか。1回に2曲演奏するとしても,終わるのに8年かかる。年に2回ずつやってもらうと4年で終わるんだが。
 無理でしょうね,無理だよねぇ。

● 毎年,大晦日に上野の東京文化会館(の小ホール)で6曲くらいずつやっている。それを聴けばいいんだけど,同じ時間帯に大ホールでは「全九」をやっているのでね,どうしてもそちらに流れてしまうんだよねぇ。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲をチクルスでやってくれるとこ,ないかなぁ。CDでは聴くんだけど,ぼくの耳では隔靴掻痒なんだよね。CD→生,じゃなくて,まず生で聴いて,そのあとCDで聴くというのがいいなぁ。

小春日和の那須野が原ハーモニーホール
● 終演後,入口を出たところでポスターを眺めていたら,ぼくと同年齢くらいの女性に声をかけられた。すごかったですねぇ,と。最後のメンデルスゾーンのことでしょうね。
 でも,今年は人数が少なかったですね,いろいろ難しいんでしょうか,とも仰った。団体で活動するんだから,それはたしかにいろいろとね。

● ぼくは団体行動やグループ活動からは遠ざかっていたいと考えていて,ずっとそうしてきた。団体やグループは面倒くさい。友人とふたりというのはすでにして団体であるわけで,それすら忌避したいと思うところがある。
 ので,団体で活動している人たちはそれだけで大したものだと思うんだけど,アンサンブルが決まったときの快感は,そうした面倒くささを引き受けさせるだけのインセンティブになるんでしょうね。

● 昨夜は10時間も布団の中にいたのに,鋭い睡魔がやってきたのなぜなのだ。寝すぎると昼間も眠たくなるのか。
 これがじつは,メンデルスゾーンのときにやってきたのだ。ついに睡魔には勝てなかった。申しわけないことだった。

2017年12月11日月曜日

2017.12.07 宇都宮短期大学-まちなかクリスマス・コンサート

宇都宮共和大学 エントランスホール

● 18時開演(入場無料)なんだけど,その30分前に「Mix bell」というボーカルユニットが登場するというのでね,それに間に合うように行ったんですけど。
 その「Mix bell」っていうのがちょっと不思議でね。っていうか,よくわからなくてね。
 知ってる人にはお馴染みなんだろうけど,最初,宇短大と附属高校の学生なんだろうと思ったんですよ。あどけなさを残した子もいるしね。
 それにしては堂に入りすぎてるなぁと思ってね。

● 宇短大とは何の関係もなかったんですね。とちぎTVや栃木放送でレギュラー番組を持ってるらしい。学校に通いながら活動している子もいるんでしょ。頑張ってますなぁ。
 かわいらしい女子4人組のユニット。これからたぶん,何度か目(耳)にする機会がありそうだ。

● お子さんもOK,ケータイの電源切らなくよし,飲み食い禁止もなし(主催者がお菓子を配っていたくらいだ。さすがにビールを飲みながら聴くのはダメだろうけど)。堅いことはなしのアットホームなミニ演奏会。音楽の楽しみ方としては,こちらの方が正統かもしれないね。
 このコンサートは宇短大の広報行事でもあるんだろうけど,音楽科の強みってあるね。わかりやすくアピールできる。

● 演奏したのは宇短大音楽科の2年生と教員。プログラムは次のとおり。
 トランペット独奏(トランペット 福田みなみ ピアノ伴奏 小倉賛子)
  バーナード ウィンター・ワンダーランド

 フルート独奏(フルート 小牧茄央里 ピアノ伴奏 香川瑞葉)
  ハーライン 星に願いを
  坂本龍一 戦場のメリークリスマス

 ピアノ独奏(小倉賛子)
  シューマン 主題と5つの変奏曲

 マリンバ独奏(古川黎菜)
  安倍圭子 愛の喜びのモノローグ
  イギリス民謡 We wish you a merry Christmas

 ソプラノ独唱(ソプラノ 鎌田亮子 ピアノ伴奏 益子徹)
  ヴァヴィロフ カッチーニのアヴェマリア
  バッハ/グノー アヴェマリア
  アダン さやかに星はきらめき

● 知名度があるというか,たいていの人はどこかで聴いたことがある曲の中にあって,シューマン「主題と5つの変奏曲」だけが例外。
 シューマンの遺作と言われているものですね。シューマンの晩年を思うことになる。凄まじいまでの精神の強靱さ。このあと,シューマンは晩年の悲劇に墜ちていくことになるんだけど,梅毒が嵩じた結果だとすると,その梅毒はクララには感染しなかったんだろうかとも思うんだよね。

● 最後のソプラノとピアノ伴奏は教員によるもの。鎌田亮子さんの“アヴェマリア”はさすがと言いますか,ソプラノって感じがしたと言いますか,柔らかい響きで陶然となっちゃいましたよ。

● 終演後,ホットワインとソフトドリンクがふるまわれた。さすがに,そこは遠慮して帰宅の途についた。ぼくはこの大学の卒業生でもないし,これからこの大学や附属高校に入るかもしれない子どもがいるわけでもないので。
 それ以上に性格でしょうね。ここは甘えた方がいいのかもしれないんだよね。けど,大学のスタッフと喋ることが何もない。この催しについて気の利いたことを話し言葉にできればいいんだけど,そういうのが苦手でね。ぼくはサロンの人ではないのだろうなぁ。

2017年12月5日火曜日

2017.12.03 真岡市民交響楽団 第56回定期演奏会

真岡市民会館 大ホール

● 開演は午後2時。今までは夜の開催が多かったように記憶しているのだが,今回は昼間。チケットは500円。当日券を購入した。

● 今回は1階右翼席に座ってみた。大ホールの8割は埋まっていたろうか。1階席はほぼ満席。真岡のような地方都市でも,こうしたオーケストラの演奏会にこれだけのお客が入る。
 入場料がワンコインとしても,これってすごいことなんじゃなかろうか(招待客がけっこういるんだろうか)。真岡だけが特別のはずはないから,日本全国,どこでもそうなのだろう。日本以外にこういう国ってあるんだろうか。

● 曲目は次のとおり。指揮は佐藤和男さん。
 ウェーバー オベロン序曲
 シューマン チェロ協奏曲
 ブラームス 交響曲第1番

● 年2回の定演のうち,今年も春の定演は聴きそびれてしまった。ので,比較対象は昨年の冬の演奏会になるんだけど,変わったのは開催時刻だけではない。コンミスが変わっていた。上保朋子さん。ゲストコンサートミストレスってことなんだけど,次回以降はどうなるんだろう。
 コンミス以外にもメンバーの入れ替えがけっこうあったのかもしれない。

● ソリストの佐山裕樹さんは栃木出身のチェロ界の若き新星。栃木県ってチェロ奏者を輩出するところなんですかねぇ。宮田大,金子鈴太郎,玉川克といるんですけどね。
 佐山さんの演奏を初めて聴いたのは,彼が出場したコンセールマロニエ。彼は高校生だった。その後,もう一度,聴いているので,これが3回目。
 ウットリするしかない。ウットリしすぎて,時々,空想の世界に遊んでしまう。
 アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から“ブーレ”。静謐きわまる。

● ところで。パンフレット冊子に楽屋話を載せたチラシが挟まっていた。佐山さんをして“やはり本物は違う”と評しているんだけど,ということは,自分たちは本物ではない? 本物でなければ何なのだ? 偽物?
 それでは訊くが,本物と偽物を分けるメルクマールは何だ? 技術? 才能? 彼と自分たちの間には越えられない壁がある? 広くて深い川の左岸に彼はいて,自分たちは右岸にいる?
 音楽に割ける時間? 彼は好きなだけ音楽に時間を注げるのに対して,自分たちはつまらない仕事や雑事に紛れてしまって,音楽に充てる時間を確保するのが難しい?

● そうだとしても,それが何だと言うのだ? ぼくがこういうことを言っていいのかどうかいささか以上に疑問だけど,と言いながら結局言ってしまうんだけど,技術は演奏の重要な要素であることはたしかで,技術なしに演奏は成立しない。そうではあるんだけれども,技術は演奏のすべてではなくて,要素のひとつにすぎない。
 演奏って楽譜を機械的に音に翻訳する作業じゃないでしょ。れっきとした創造行為でしょ。創造であるなら,技術以外に必ずつけいる隙があるんですよ。
 要するに何を言いたいのかといえば,君たちも本物なんだよってことね。しっかりしなさいよ。謙遜はときに悪徳だよ。

● メンバーが替わっても,真岡オケの身上は“一生懸命”。“一生懸命”を見るのは,それ自体が悦楽だ。
 どんなオケでも一生懸命にやっているんだろうけれども,ここの一生懸命さはわかりやすく伝わってくる。今回はオーボエがそれを代表していた感あり。
 ここまでやってくれればね,あえて結果は問うところではない。ってことにはならないけれど,結果にも文句を付けるところはない。
 強いていえば,ブラームスで金管が音を出しすぎると思うところがあったんだけど,それってCDを聴いて作ってしまったイメージがモノサシになっている。CDの録音がリアルとは違っているかもね。じつはこれくらい出すのが正統なのかもしれない。

● 栃木県にはプロのオーケストラはない。群馬には群馬交響楽団があり,茨城には常設ではない(と思う)けれども,水戸室内管弦楽団という途方もない水準の楽団がある。
 だから,栃木にもプロのオーケストラを作るべきだという意見もなくはないんだけど,これだけ日本は狭くなっているんだから,県域にこだわるなんてまったくナンセンスだ。こちらが県域をまたいで動けばいいだけのこと。

● アマチュアの演奏活動が圧倒的に隆盛なのが日本の特徴で,その水準には端倪すべからざるものがある。
 真岡市民交響楽団もそのひとつで,この演奏を聴いて何らかの不足感を覚えることは,ぼくの場合はあまりないわけだ。
 あとは,オーディオ環境をそれなりに整えて(といっても,今どきだったらミニコンポで充分だと思うが)CDを聴けばいい。聴く人が聴けば,CDからでも充分な情報を拾えるはずだ。
 急いで付け加えておくんだけど,ぼく自身は「CDからでも充分な情報を拾える」人では,どうやらないっぽい。それゆえ,わりと頻繁に生演奏に接したくなるのだ。

● オケのアンコールは,ブラームスのハンガリー舞曲第1番。これで今年が終わってもいいと思った。
 けど,まだ3日だ。予定ではあと9回,聴きに行く。師走で世の人たちは慌ただしいほどに忙しいだろう。申しわけないようなものだけど,ぼくはそれだけ暇なんだな。
 学生の頃は“旗本退屈男”と呼ばれていたんですよ,ぼく。三つ子の魂じゃないけど,そういうのって年寄りになっても変わらんもんだね。

2017.12.02 第8回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東邦音楽大学・国立音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 12月は忙しい。仕事じゃなくて,休日がね。なぜなら,年末は「第九」がもうこの国の民俗行事になっているけれども,「第九」以外にもコンサートが増える時期ですよね。可能な限り,付き合うことにしているもので。
 まず,今日は首都圏の音大フェス。計4日間で開催されるこの催し,今日が最終日。結局,ぼくが聴いたのは半分にとどまった。

● まず,このホール(ミューザ川崎)について語っておかなければならない。いや,“ならない”ってこともないんだけど,語っておきたい。
 要するに,いいホールですよね。演奏する側にとってどうなのかはわからないけれど,聴く側にすると相当聴きやすい。ぼくの限られた体験の範囲内でいうと,最も聴きやすいホールがここだ。
 勾配があるので,前の人の頭が視界に入らない。ぼくも座高の人なので,後ろの人に気を遣わなくてすむのは助かる。

● 建物じたいの構造が柔らかくできているんだろうか。音の響きも柔らかいと感じる。同じ奏者がこのホールで演奏すると,香車一枚分だけ巧くなったと感じるのではあるまいか。
 要するに,かのサントリーホールよりもここミューザの方がカンファタブルだ。

● さらに。ぼくのような北関東の在住者にとっては,上野東京ラインの開通によって川崎が一気に近くなった。しかも,駅前にあるんだから,物理的にもサントリーホールよりミューザの方が,物理的にも近いのだ。
 聴きたいコンサートを選ぶとき,ホールはどこかっていうのも選択を左右する要素になる。ホールがミューザってことになれば,それだけで聴きに行こうかと思うかもなぁ。

● 開演は午後3時。チケットはお得すぎる1,000円。東京芸術劇場のネット販売を利用。セブンイレブンで受け取る。“ぴあ”を使うより手数料が216円安くなる。セコくてすまんが。
 今回登場するのは,東邦音楽大学,国立音楽大学,洗足学園音楽大学。それぞれ,ドヴォルザーク8番,ブラームス2番,マーラー1番を演奏。

● まずは,東邦。指揮は梅田俊明さん。
 演奏する彼らにしても,同じメンバーで演奏できる機会は,この先二度とないだろう。当然,聴く側のぼくらもこの演奏は二度と聴くことができないものだ。たった一回の巡り合わせ。一期一会を強く思わせる。
 逆にそう思って聴くせいか,妙にセンチメンタルな気分になる。切なくなってくる。

● ぼくの席はいわゆるP席に近い場所だった。演奏中,指揮者の顔が見える。指揮者って,まず肉体労働者なんだよねぇ。これは,身体を鍛えておかないとダメだわ。
 これだけ動いているんだから汗をかくよねぇ。しかも襟の開いた軽装でやってるんじゃない。しかし,汗を見せない。これは巧妙というべきなのだろうか。
 指揮者って容赦ないものだってのもわかる。奏者とすれば,演奏を止めて,指揮台にツカツカと歩み寄って,指揮者の首を絞めてやりたい,と思うことはないんだろうか。

● この席だと,弦よりも管が近くなるんだけど,それによって聞こえてくる音に違和感を感じることはまったくない。
 フルートの男子学生が目立っていた。木管奏者の動きがよく見えるのは,この席の役得だ。ぼくの席だと,金管は視野から消えてしまうのだが。

● 第3楽章はスウィーティーな舞曲で,自分もどこぞの色白美女と踊っているような気分に染められるんだけど,演奏する方はスウィーティーどころじゃない。弦の奏者は忙しく左指を動かしている。必死こいているというのは失礼すぎる言い方かもしれないけれど,アヒルの水掻きという言葉を思いだした。
 曲の骨格が浮きでてくるような,くっきりとしたクリアな演奏。ノイズがないからくっきりと聞こえる。さすがは音大の高水準。ここまでの演奏を聴ける機会はそんなにない(ぼくの場合は)。

● 国立音大のブラームス2番。指揮は尾高忠明さん。
 1番が苦節20年なのに対して,2番は4ヶ月で仕上がった。だから1番より軽いし,ゴツゴツしていない,おおらかで伸びやかだ,と言われる。
 実際そうなんだろうけど,ぼくの耳ではそのあたりの対比というのが,いまいちピンと来ない。1番も2番もCDを含めれば数え切れないほど聴いているはずなんだけど,その対比を聴き取れていない。
 2番も沈鬱な苦渋を感じるところが多い。時に豪華絢爛もあり,たゆたうような穏やかさを感じる楽章もあるんだけど,全体の印象は1番とさほど変わらないというかなぁ。

● オーボエの女子学生が目立った。プレッシャーもあったろうけど,美味しかったと思うな。
 この曲だとやはりオーボエですか。オーボエが彼女だからこの曲を選んだってことではないんだろうけどね。

● 洗足はマーラー。指揮は秋山和慶さん。尾高さんにしろ,秋山さんにしろ,功成り名を遂げた日本を代表する指揮者。彼らの指揮ぶりに接する機会も,ぼくの場合はほぼないので,この音大フェスはありがたい。
 指揮者って長命でしかも最後まで現役って人が多い印象なんだけど,それもわかる気がする。これじゃ年なんか取ってられないっていうかね。
 指揮者以外の職業に就いている人でも,このあたりは大いに参考になるかもしれない。仕事の細かいことで頭をいっぱいにして,始終動いていればいいのだ。
 もっとも,それをやると老害と言われることが多いのが,ぼくらの職業のほとんどだろう。ひょっとしたら,指揮者でもそう言われているのかもしれないけど,実際問題としてお座敷がかかるんだからね。

● マーラーなんだから,打楽器を中心に編隊が大きくなる。ティンパニが淡々とテンポを刻んで舞台を維持する。淡々というのが,しかし,できそうでなかなかできない(のじゃないか)。
 気持ちをできる限り平らにして,あるいは小さく(細かく)して,時を刻んでいくという。

● 初めてこの曲を聴いたときの印象は,“鄙”だった。田舎びている,素朴である,日向の臭いがする,そういう印象だった。
 じつは今でもそこからあまり出ていないんだけど,その鄙の中に,あるいは鄙と鄙とのつなぎ目に,マーラーの洗練が見えるようにも思える。
 しょせんは,聴き手の器量以上の聴き方はできない。目下のぼくの器量はそんなところだ。

● 彼らのうち,プロの世界に行く人が何人いるのかは知らない。大学の専攻と社会に出てからの仕事の間に関連がある方が珍しいから,音大卒といえども音楽の世界ではないところで生きていくこと自体は,別に異とするに足りない。
 しかし,音大生の場合,どうしてもそこを考えてしまうのも事実であって,それはなぜかといえば,大学での元手のかけ方が違うからだろう。経済学部や文学部の学生が大学で学んでいるとは誰も思っていない。遊んでいるのだと思っている。学んでいるとしても,大したことはやっていない。自分も経験しているからよくわかる。

● しかし,音大生は違う。音楽だけをやっている。実際には違うかもしれないけれど,そういうイメージがある。しかも,音楽なのだ。つぶしが利かないのだ。
 実際はね,藝大を出てソニーの社長になった人だっているんだから,大学で何をやった(やらなかった)とか,つぶしが利くとか利かないとか,そんなのは一切無関係だってのはわかるんだけどね。
 それでも,彼らのこれからの行く末に思いをいたさせるのも,音楽の持つ魔力のひとつなのかと思った。

2017年11月22日水曜日

2017.11.19 宇都宮短期大学管弦楽団 Special Concert-宇都宮短期大学創立50周年記念

宇都宮短期大学 須賀友正記念ホール

● 宇都宮短期大学の学園祭(彩音祭:あやねさい)のメイン行事。開演は午後1時半。チケットは2,000円。

● 曲目は次のとおり。指揮は阿久澤政行さん。
 グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
 ショパン ピアノ協奏曲第1番
 ドヴォルザーク 交響曲第9番

● 宇都宮短期大学管弦楽団は在校生と卒業生と教員で構成。常設のオーケストラではない。もし,常設で年に2回程度の演奏会を開催してくれれば,栃木県内で開催される演奏の幅が上部に向かって分厚くなる。栃木県の光景が少し違って見えるかもしれない。
 ソリスト(ピアノ)も卒業生の西尾真実さん。さすがに,自前で揃えることができるだけの陣容は整っているということでしょう。

● 西野さんのピアノを聴くのは,これが3度目になる。ぼくの耳では彼女のピアノに対してどうこう言うことはできない。拝聴するだけ。
 ただ,ショパンのこの曲については言いたいことがある。ショパンが作曲した作品のほとんどはピアノ曲で,それらに駄作はないという点で,後世の評価は一致していると思う。
 が,唯一,協奏曲だけはどうもショパンは苦手としたようだ。オケとピアノの接点がない。インターフェイスができていない。ピアノはピアノ,オケはオケ。極端にいうと,これ,協奏曲と言えるんだろうか。

● オケの奏者は演奏していて,ぜんぜん楽しくないだろう。ということは,聴いている側も楽しくないということだ。西尾さんが悪いのではもちろんなく,管弦楽が悪いのでもない。ショパンが悪い。
 それでも,この曲が演奏される機会が多いのは,クラシック演奏界の七不思議の一つと言っていいのじゃないか(あとの六つは何なのだっていう突っ込みはなしに願いたい)。

● メインはドヴォルザークの第9番「新世界より」。ショパン協奏曲の鬱憤をはらすかのように,管弦楽が存分に弾けて,密度の濃い演奏になった。
 要となるオーボエが素晴らしかった。オーボエに限らない。フルート,クラリネット,ファゴットの木管陣はさすが。木管がここまでいいと,管弦楽曲はその容貌をクリアに現してくれる。そうだよ,「新世界より」はこういう曲なんだよ。

● 客席にはやはり学校関係者,父兄とか附属高校の生徒とか,が多かったようだ。
 が,他のホールでちょくちょく見かける顔もあった。彼らにしてみれば,ぼくも同じであるはずだが。
 同好の士ってのはいるもんだな。彼らと言葉を交わすことは絶えてないけれども(これからもないはずだ)。

● 彩音祭について申しあげれば,当局の管理がよく言えば行き届いている。高校の文化祭のような感じがする。お行儀がいい。挨拶もする。細かい規則を守って,その枠から出ることがない。
 反面,学生が存分に暴れているという感じは希薄だ。そうでもないんだろうか。今の学生はこんなものなんだろうか。あるいは,今どきだと学園祭以外に発散する場がいくらでもあるんだろうか。

2017年11月21日火曜日

2017.11.18 第8回音楽大学オーケストラ・フェスティバル-東京藝術大学・桐朋学園大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 「音楽大学オーケストラフェスティバル2017」。今日から計4日間の日程。開演は午後3時。チケットは1,000円。
 今日は藝大と桐朋が登場。初日で両横綱が顔を合わせてしまった。

● 藝大はストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。桐朋はプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」(もちろん抜粋)。
 もちろん偶然だろうけれども,バレエ音楽が並ぶことになった。

● 粛然として襟を正さしめる何ものかを,ステージ上の音大生は放っている。四の五の言わせない,強い何ものかを。
 その何ものかを充填しているのが,彼ら彼女らがここまで来るのに払ってきた,膨大な時間であることはハッキリしている。一点に費やしてきた膨大な時間。それはまた,その一点以外の可能性を排斥するものでもあった。
 彼ら彼女らには,今このステージ上に立っているという以外の生活があり得た。客席にいてこの演奏を聴いている人生もあったはずだ。
 が,その一点以外の可能性をすべて捨てて,その結果,今このステージにいるという,圧倒的な事実。

● 息をするのも憚られるような濃密な緊張感が,客席を支配する。その何ものかに圧倒される快感というのがたしかにある。

● まず,藝大。指揮はラースロー・ティハニ氏。ハンガリーの人。
 藝大でも奏者の多くは女子。が,数は少ないながら,男子もしっかりとそこにいる。男子がしっかりとそこにいることの安心感のようなものがある。何だろうね,これ。

● 歌舞音曲は女のものという風潮というか色合いというか,それは今でもあるのか。それとも過去のものになったのか。
 どうも今でもあるのじゃないかと思う。が,楽器を操る男子がひと頃よりは増えているようにも思える。
 それって,男が女に取り込まれている(男女差がなくなってきている。ただし,女寄りの方向に)からで,歌舞音曲は女のものという命題が否定されつつあることの証左にはならないように思う。
 という埒のないことを思ったりしたんだけど。

● 次は桐朋。女子比率は藝大より高い。もちろん,だからダメということではまったくない。何というのかなぁ,東正位の貫禄というのかなぁ,確信のようなものを感じるんですよ。
 これでいいんだ,自分たちのやってきたことは間違っていないんだ,っていう確信。臆せず,グイグイ前に出る迫力。
 この音大フェスは何度か聴いているんだけど,桐朋から感じるのはこのことだ。

● 指揮は中田延亮さん。経歴が面白い。筑波大学の医学部(筑波では学部とは言わないらしいのだが)を途中で飛びだして,音楽の世界に転んだ。医師免許は放棄したのだろう。
 世間一般からすればモッタイナイの典型例。しかし,やむにやまれぬ大和魂。
 ときどき,いるよね。勉強もできちゃったから医学部に行ったけど,やっぱり自分のいるところはここじゃないと気づいて(という言い方でいいんだろうか)音楽の世界に飛びこむ人。

● チケットの1,000円は,このイベントを開催するのに必要な装置と労力を考えれば,ほとんどタダに近いだろう。無料というのも何だから,いくらかいただくことにしましょうか,という感じなんでしょうかね。
 いや,奏者は学生なんだし,指揮者も手弁当なのかもしれない(日本を代表する指揮者が登場するんだけど)。だとすると,チケット収入だけで賄えているはずだ。
 が,その場合は,演奏する側がボランティアということになるわけで,いずれにしても,ぼくらはそのおこぼれに与っている。

● 電車賃が4千円かかるんだけど,これはそれでも聴きに行きたい演奏会。
 来年から東京に出向くのは抑制しようと思っている。最低でも半分にしたいのだけど,どうしても残ってしまうものがあって,これはそのひとつですね。

2017年11月8日水曜日

2017.11.05 東京フィルハーモニー交響楽団演奏会「ブラームスはお好き?」Vol.1

宇都宮市文化会館 大ホール

● 宇都宮市文化会館で東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会が開催されるのは,2010年6月から2014年11月までに6回あった(それ以前からあったのかもしれない)。
 後半の3回は,地元出身の大井剛史さんの指揮でオール・チャイコフスキーだった。その後,会館の改修工事もあって途絶えていたわけだが,改修後のこけら落としも東京フィルだったのではないか。
 その演奏会には行けなかったので,わりと久しぶりな東京フィル。

● この「ブラームスはお好き?」は,オール・ブラームスで全4回になる予定。大井さんが指揮をとる。大井さんのための演奏会という感じだね。地元出身の有力な指揮者を全面的に支持するぞ,というホール側の決意を感じる。
 もちろん,異議はない。大井さんならば,それで不自然さを感じさせるところは皆無だから。

● 以前,那須野が原ハーモニーホールが,毎年,東京交響楽団を招聘していたけれど,現在は行っていない。宇都宮市文化会館と東京フィルの関係は,栃木県内でプロオケの演奏を聴ける貴重な機会を提供してくれている。
 というわけで,東京フィルの演奏を聴くのは,これで7回目になる。プロのオーケストラの演奏を聴くことはほとんどないんだけど,東京フィルはダントツで多い。
 ちなみに,他には,N響を3回,東響山響日フィル読響兵庫芸術文化センター管弦楽団をそれぞれ1回。国内のプロオケを聴いたのは,これですべてだ。

● 開演は午後3時半。チケットはS・A・B・C。Sが4千円で,以下千円きざみ,C席は千円。ぼくは2千円のB席をかなり早い時期に取っておいた。
 で,そのB席というのが,ぼくが好んで座る2階のウィング席なんでした。そっかぁ,自分の好みの席はBだったのか。でも,1階席の真ん中辺よりここの方がずっといい。前席の人の頭が視界を遮ることがない。ステージをバッと見渡せる。
 逆に言うと,この席をBにしてるってのは,相当に良心的だとも言える。

● プログラムは次のとおり。
 大学祝典序曲
 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調
 交響曲第1番 ハ短調
 クラッシックを聴く人で,ブラームスが嫌いという人はあまり(というか,ほとんど)いないと思う。ブラームスに駄作はない。何を聴いても,ブラームスなら安心このうえない。

● ところが,ぼくときたら鈍というか愚というか,ブラームスがわかったと思えたのは,だいぶあとになってからだった。
 2013年10月に,兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏を聴いたときだ。指揮は佐渡裕さん。演奏したのは交響曲第4番。このときの憑きものが落ちた感じは,もちろん今も憶えている。

● 大学祝典序曲。東京フィルって,プロオケの中では団員の平均年齢がだいぶ若い方なんだろう。いい意味での若さが充満していて,清新な印象を受ける。
 この楽団の持ち味と言っていいんだろか。この曲の曲調に合っている。

● ピアノ協奏曲第1番。ソリストは黒岩航紀さん。この名前は憶えておくべきだ。25歳の天才ピアニスト。彼も栃木(宇都宮)育ち。
 技術的にはすでに頂点に達しているのだろう。ここから先は技術以外のところでどこまでノビシロを拡げていけるかだろうけど,このレベルの話はぼくのような素人が口を出していい部分ではない。本人が色々と試行錯誤を重ねているに違いない。

● 交響曲1番は,ブラームスの4つの交響曲の中でも,こめられたエネルギー量が最も大。エネルギーが迸っているのに破綻が一片もないという,大変な作品だと思うんですが。
 演奏する方はもちろんだろうけど,聴く方もしっかり疲れる。

● 大井さんの指揮ぶりも魅力。指揮者を見ているだけで飽きることがない。
 彼の指揮に初めて接したのは,那須フィルの音楽監督を務めていた頃,7年前か。そのとき,大井さん,36歳。この7年間,着実に月日を充たしてきたんだろう。風格らしきものも漂うようになっていた。
 オーケストラとの関係をどう持っていくか,どうやってオーケストラを掌握するのか,あるいは掌握してはかえっていけないのか。書物で得た知識はぼくにもあるんだけど,すべてを文字にすることはできないものだろう。現場に立つ者にしかわからないことが海のようにあって,その多くは言葉に翻訳することができないに違いない。

● B席チケットが2千円。交通費が770円。たったそれだけのコストで,宇都宮でこれほどの演奏が聴けるとは幸せだ。本当にそう思う。
 3千円足らずで王侯貴族になった気分を味わえるのだ。いい時代に巡り合わせた。
 だいぶ高揚してしまったので,終演後は鶴田駅まで歩いてクールダウンした。東の空にかかっていた満月がきれいだった。予定調和的な終わり方で申しわけないが。

2017年11月7日火曜日

2017.11.03 マーキュリーバンド 25周年記念特別演奏会-ゲーム音楽の夕べ

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後7時。入場無料。「ゲーム音楽の夕べ」と題したプログラムは次のとおり。
 第1部 「ドラゴンクエスト」
  序曲
  街でのひととき
  遙かなる旅路~広野を行く~果てしなき世界
  結婚ワルツ
  戦火を交えて~不死身の敵に挑む
  エーゲ海に船出して

 第2部 「ファイナルファンタジー」
  FFメインテーマ
  FFダンジョンメドレー
  Never Look Back~Dead End
  FFバトル2メドレー

● というわけで,ドラクエとFFのゲーム音楽を演奏。吹奏楽を聴くのは久しぶり。
 女性奏者がカラフルなドレスで登場したのもナイス。女性はやっぱり花だから。花は花として艶やかに咲いているべきで,この点については年齢は関係がない。咲いた者勝ち。
 といっても,咲ける機会はそんなにないのが実情だろうから,こういう場では思いっきり派手にやった方がいいのだ。

● ぼく自身はゲームはやらない人間だ。20世紀タイプだ。
 が,バレエ音楽はバレエと一緒じゃないと楽しめないかというと,そんなことはない。音楽だけを切り離して聴いても鑑賞に耐える曲は多い。映画音楽は映画を見ていないと楽しめないかといえば,そんなことはない。映画から切り離して音楽だけ聴いても,鑑賞を妨げるものは何もない。
 ゲーム音楽もしかり。ゲーム体験なしに聴いても,まず支障はあるまいと思われる。

● もちろん,ゲームをやっていれば,そのときの気分,そのゲームをやっていたときの自分の状況を思いだして,あの頃は仕事がけっこうきつかったなとか,自分の来し方(近過去)を思いだして,それぞれなりの楽しみ方ができるだろう。
 しかし,ゲーム体験は必須ではない。一曲の演奏ごとにゲーム絡みの解説があったんだけど,これはあってはいけないものではないけれども,なくても別によかったかもしれない。

● 楽しい演奏会だった。なくてもよかったかもしれない“解説”も与って力あったか。
 日本のゲーム音楽の水準は相当なものだと気づくこともできた。分野々で,どの世界にも端倪すべからざる職人がいる。下手な現代クラシック音楽など吹っ飛ばされるのではないか,と思わせる。

● ただし,困った状況だなと思った。ぼくに残された時間がない。要するに聴ききれない。
 クラシックに限ってみても,一度も聴いたことのないCDがごろごろある。気に入った曲は繰り返して聴くことになる。ベートーヴェンやバッハ,ブラームスには何度聴いたかわからない曲がある。時間には限りがあるから,いきおい,他の多くの曲は聴かないままになる。
 この世の音楽はクラシックだけではない。ジャズ,ロック,レゲエなどなど。邦楽もあれば,映画音楽もあり,ポップスだって膨大にあるのだ。

● 4月から車通勤になったので,往きも復りも,車内ではNHK-FMをつけっぱにしている。「夜のプレイリスト」を聴きながら運転することもある。
 最近,高橋由美子が越路吹雪を紹介していた。一発でノックアウトされたましたね。越路吹雪,素晴らしい。これを聴かないで生きてきてしまったとは,われながら何を考えていたのか。
 次の週にはジョン・ウィリアムズの映画音楽が紹介された。スターウォーズなどたくさんある。これもあらかたは聴いていない。
 こうして聴きたい音楽は増える一方だ。今回,それにゲーム音楽が加わることになった。

● ぼくに20年の寿命を追加配分してくれないか。寿命だけでは困る。音楽だけを聴いて生きていられるように,衣食住の配給もお願いしたい。
 って,その20年の間にも新しい音楽が生まれ,聴きたい音楽が増えるだろうね。つまり,寿命の追加配分は最終解決にならないんだよなぁ。
 困ったものだなぁと思いながら,会場を後にしたことだった。

2017年10月27日金曜日

2017.10.22 マロニエ交響楽団 第4回定期演奏会

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 正直,行くかどうか少し逡巡。台風21号がこちらを直撃する予報なんですよ。ご訪問の予定は明朝らしいんだけど,すでに雨は降っている。これから雨も風も強くなるんだろう。
 けれども,衆議院議員総選挙の投票はいざしらず,この程度の天気で予定していた演奏会に行かなかったとあっては,わが人生の晩節を汚すことになるでしょうよ。

● というわけで,出かけていった。車は使わず。わが家からハーモニーホールまでは,徒歩-電車-徒歩(ここはバスもあるが)となる。
 実際のところ,往きは大したことはなかった。雨の中を歩くことを楽しめる程度のものだった。

● さて,マロニエ交響楽団。2年に1回,演奏会を開催している。宇都宮大学管弦楽団のOB・OGを母体にして発足したらしい。その後,おそらくそうではないメンバーも加わっているだろう。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を買って入場。

● 曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調
 シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
 ベルリオーズ 幻想交響曲
 最近,重量級のプログラムがあたりまえになった感があるけれども,これはベートーヴェンの8番とベルリオーズ「幻想交響曲」という超重量級。演奏する側はもちろんだけれども,聴く方も疲れそうだね。

● もうひとつ。このプログラムでどうして那須で? 宇都宮でよかったんじゃない?
 ハーモニーホールの響きはたしかにいいんだけど,栃木県総合文化センターや宇都宮市文化会館に比べて突出しているというわけでもないと思うんだが。
 演奏する側にすれば,わずかの違いが大きな違いということだろうか。

● 指揮は曽我大介さん。曽我さんの指揮にも何度か接している。楽章間であまり間をとらず,小気味よく進めていく。
 曽我さんの指揮を仰げるということは,それ相応の実力を備えている楽団だと看做していいんでしょうね。宇都宮大学管弦楽団で相当鍛えているということですか。

● まだ若い楽団ゆえ(いや,それだけではないのかもしれないが)反射神経がいいという印象を受ける。軽々とやっているわけでは決してないだろうけど,飲みこみがいいんじゃないだろうか,各々の奏者が。
 ベートーヴェンの8番では第3楽章の木管の呼吸の良さにそれを感じることができる。

● シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストは長原幸太さん。読響のコンサートマスターを務めているんですか。
 このクラスになると,ぼくのような者では彼が生きている世界を想像することすらできない。どんな価値観や人生観で生きているのか,まるでわからない。無理に想像しない方がよろしかろうと思う。

● 協奏曲も管弦楽曲ゆえ,当然といえば当然なのだろうが,主役は独奏楽器ではなくて管弦楽だ。ゆえに,協奏曲を聴くときにソリストが誰なのかはあまり気にしたことがない。
 ただ,この曲は独奏成分が高い。これだけの人を呼べるのもまた,管弦楽に相応の実力があればこそ。

● さて,ここまで聴いたうえで,さらに「幻想交響曲」を聴くことになる。聴く方にも,各人による大小はあるだろうが,聴くことにさけるリソースに限りがある。薄い聴き方にならざるを得ない,と言い訳をしておこう。
 初めて「幻想交響曲」を聴いたときのことを思いだす。10代の後半だったと思う。何がなんだかぜんぜんわからなかった。これ,何で「幻想」なんだと思った。
 ところが,今は高校生が「幻想交響曲」を演奏する側に回っていたりするんですよね。どうにも当時の自分が哀れというか。

● 中学生とおぼしき少女たちもまとまって聴きに来ていた。その年齢でオーケストラの生演奏を聴けるのが羨ましい。ほんと,つくづく羨ましい。
 ぼくが高校生の頃はホールといえば栃木会館しかなかった。生演奏を聴くってことを現実の問題として考えることができなかった。
 かといって,レコードで聴くのもなかなか。高くて買えなかったからね。今は音源はネットにいくらでも落ちているんだもんな。好きなだけタダで聴けるんだもん。
 という,いい時代にぼくも間に合ったので,時代の恩恵を遠慮なく享受したいと思っている。

● 唯一,たぶん天気のせいだろうけど,ホールの響きがいつもと違う気がした。ありていに言うと,響きが悪い,というか弱い。やっぱり空気が重くなるんでしょうね。
 楽器が湿るってこともあったりするんだろうか。

2017年10月23日月曜日

2017.10.15 毛利文香ヴァイオリンリサイタル

真岡市民会館 小ホール

● 毛利文香という名前は憶えておくべきだと思う。いや,憶えておくべき名前の筆頭に来るかもしれない。若きヴァイオリニストの一人として。
 その若き名手が真岡くんだりまで来てくれるんだから,これはもう行かざるべからず。というわけで,前売券を買っておいた。2,000円。開演は午後2時。
 惜しむらくは,天気がよろしくなかった。雨。

● 彼女,栃木で演奏するのは二度目とのこと。以前,小山で演奏したことがある,と。その小山での演奏をぼくは聴いているのだ。ので,彼女の栃木県での演奏を聴くことに関しては,ぼくは十割打者なのだ。
 それ以外にも一度聴いている。2015年8月に日立フィルハーモニー管弦楽団の定演に招かれて,ミューザ川崎でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏したとき。

● 今回の曲目は次のとおり。
 ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ第3番
 エルガー 愛の挨拶
 ラフマニノフ ヴォカリーズ
 サラサーテ 序奏とタランテラ
 R.シュトラウス ヴァイオリンソナタ 変ホ長調

● 最初と最後が大きな曲で,間の3つは小品。この小品がしかし,聴き応えがあったというか,気持ちが良くなってきたというか。
 ヴァイオリンが歌うっていうのはこういうことをいうのか,っていう。彼女ほどの名手の手にかかると,ヴァイオリンが気持ち良く歌っているように見えてくる。彼女が鳴らしているんじゃなくて,ヴァイオリンが勝手に鳴っている,みたいな。

● 彼女,現在はドイツで修行しているそうだ。留学生は世界中のいろんなところから集まってきているので,彼ら彼女らと話すときには英語になる。で,ドイツに住んでるのにドイツ語が上手くならないという話をした。
 慶応大学の独文科にも在籍しているらしい。休学してドイツに行ったんだけど,今は復学している。単位を取り終えたらまたドイツに戻る。

● 授業に出て試験を受けてっていうのをやりながら,コンサートもやるっていうのはなかなかに大変なようだ。
 でも,どうして大学なんだろう。ぼくなんか単純に,それってムダなんじゃない? と思ってしまうんだけど,そういうものではないんだろうか。
 音楽だけの人にはなりたくないってことなんだろうかなぁ。各界のいろんな人と話す機会があって,やはり教養とか知識とかっていうのが必要になるのかねぇ。だとしても,教養とか知識を得るのに大学っていう場は必ずしも相応しいかどうか。
 音楽漬けの毎日にメリハリを付けたいってことなんだろうかなぁ。とにかく彼女が選んだのは,音大ではない大学を卒業するっていうこと。

● 伴奏のピアノは稲生亜沙紀さん。彼女のピアノも鬼気迫るものがある。自分を曲に埋めこむようにする集中の高め方がね,すごいものだな,と。
 シュトラウスのヴァイオリンソナタは,むしろピアノの方に聴かせどころが多いかもしれない。ここまでの演奏を聴けると,何だかニンマリしてしまう。

● 前売券を買っておいてよかった。ほぼ満席だったからね。真岡のどこからこんなに人が湧いてきたのかと思うほど。
 ただし,お客さんの平均年齢はかなり高い。ゆえに,と続けていいのかどうか,楽章間の拍手が起きてしまう。毛利さんにしても稲生さんにしても,これは想定の範囲内だろう。
 楽章間の拍手はしちゃいけないってことになっているけれど,実際はどうなんだろう。奏者にとってイヤなものなんだろうか。集中を削がれたりするんだろうか。
 ぼく一個は,これ,解禁してもいいんじゃないかと思っているんだけど。拍手したくなったら拍手していいんじゃないかなぁ,と。

2017年10月20日金曜日

2017.10.14 ザ・メトロポリタンミュージック創立四周年記念演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● 今日はダブルヘッダー。総文センターでもうひとつ。ザ・メトロポリタンミュージック創立四周年記念演奏会。開演は午後6時15分。チケットは2,500円(前売券)。
 こちらは,完全なるプロのピアノ・トリオ。玉川克(チェロ),佐久間聡一(ヴァイオリン),桑生美千佳(ピアノ)の3人。

● ザ・メトロポリタンミュージックとは,そも何者? 名前からすると東京にある音楽事務所かと思いきや,若い演奏家の支援を目的とする栃木ローカルの財団法人らしい。
 「音楽を通じた社会貢献を目的とし,次世代を発掘(コンクール等),育成(セミナー講演等),支援するための活動に取り組み,真のクラシック音楽普及を目指しています」とある。

● 以下,小理屈を捏ねる。
 クラシック音楽を普及させることは「社会貢献」になるか。ならないと思う。クラシックを聴く人が増えたからといって,それで社会の何が変わるのか。
 社会貢献などと言わないで,こう言えばいいのだ。
 いやぁ,私ねぇ,クラシックが好きなんですよぉ,こう見えてもね。でね,私が好きなものを多くの人たちに聴いてもらいたいなと,こう思うわけなんですよ。ついては皆さん,私の好きなものに付き合っていただけませんかねぇ。付き合っていただけると,めっちゃ嬉しいんですけど。よろしくお願いしますよ。
● よく言われるのが,クラシック音楽は情操を培うということ。嘘こきやがれ。そんなことはない。髪の毛一本ほどもない。
 もしそうなら,演奏する側にいる人たち,音楽を教える立場にいる人たち,ザ・メトロポリタンミュージックを運営する側にいる人たちは,一人残らず豊かな情操をまとっているはずだ。
 実際にはどうか。そっち側にいる人たちがよくわかっているとおりだ。笑っちゃうほどそんなことはない。音楽と無縁に過ごしてきた人と比べて,まったく違いはない。
 ま,情操っていう言葉が意味曖昧なまま使われているので,以上の言い方にはけっこう以上の反論があるかもしれないけどね。

● 結局,操作主義なんでしょうね。音楽や美術をやれば情操が伸びるはずだ,ではこの子の情操を伸ばすために音楽を聴かせよう,楽器を習わせよう,というのは操作主義。操作主義と褌は向こうから外れるとしたものでしょ。
 わが子を情操豊かに育てるための手立ては,親には与えられていないんですよ。祈ることしかできない。というか,祈ることはできる。祈ってください。

● さて。このコンサートは2部構成だった。まず,プレ・コンサートがあった。宇短大附属高校音楽科からこの春,芸大に進んだ早川愛さん(ソプラノ)と,同高校3年の大野紘平さん(ピアノ)のミニコンサート。主催者としてはこちらを聴いてもらいたかったのかも。
 トスティ 薔薇
 木下牧子 竹とんぼに
 小林秀雄 すてきな春に
 バルトーク ルーマニア民族舞曲
 ドニゼッティ オペラ「連隊の娘」より“さようなら”
 プッチーニ オペラ「ジャンニ・スキッキ」より“私のお父さん”

● 「ルーマニア民族舞曲」のみ,大野さんのピアノソロ。あとは,大野さんの伴奏で,早川さんが歌う,と。
 二人ともすでにこういう場には慣れしている。観客の捌き方は堂に入ったものだ。早川さんの歌唱もさることながら,大野さんのピアノに注目。この先,プロとして立っていくためには,なお峻険を極める道が待っているんだろうけど,ここまでに費やしてきたものの大きさは充分にうかがうことができた。

● 幸あれと祈るしかないのだが,平坦とは無縁の10年間をこれから味わうことになるんだろうか。彼や彼女が自分の子どもじゃなくて良かったというか,親御さんは気がかりだろうねぇ。
 しかし,どの道を行くかは本人が決める。しかも,どんな道かは見通せないままに決める。
 彼らほど先鋭ではなくても,ぼくらは誰もがそうして生きてきた。そうして多くの人は諦念か後悔の中にいる。つまり,それが人生というものだと達観するしかないのだろうね。

● 19時から玉川さん,佐久間さん,桑生さんによるピアノ・トリオ。桑生さん,キュートな人。チラシの写真より美人。ひじょうに珍しい事例ですなぁ。
 曲目は次のとおり。
 ハイドン ピアノ・トリオ第39番
 ブルッフ コル・ニ・ドライ
 サラサーテ 序奏とタランテラ
 スーク エレジー
 ベートーヴェン ピアノ・トリオ第7番「大公」

● スーク「エレジー」は初めて聴いた。いや,過去に聴いたことがあるのかもしれないけれど,憶えていない。
 しかし,以後,この曲を忘れることはないだろう。日本人にもスッと入っていける。ジンワリ染みてくる。もっとも,名手が弾けばこそだろうけど。
 念のために確認してみたんだけど,CDはどうやら持っていない。しばらくはネット(Tou Tube)のお世話になるか。

● 「大公」は大曲にして難曲。3人は何度も演奏経験があるんだろうけど,何度やってもこれはと思うんだろうかなぁ。自分のものにできたっていう感想を持つことがあるんだろうか。
 聴く方もこれは大変でしょ。ドッと疲れが来た。

● ベートーヴェンってとんでもないヤツだよねぇ。「第九」を聴いてもそう思うし,ヴァイオリンのクロイツェルソナタを聴いてもそう思うし,ピアノコンチェルトの3番を聴いてもそう思うし,弦楽四重奏曲の14番を聴いてもそう思う。まったく,とんでもないヤツだよ。
 ということはつまり,ベートーヴェンの作品がない世界に生きているとしたら,だいぶ味気ないんだろうなぁ,と。ぼくらはそのことに感謝しないといけないんだろうな,と。

● 同時に思うことは,ベートーヴェン以後の作曲家はすべて,ベートーヴェンとの格闘を余儀なくされてきたのだろうなってことですよね。
 9つの交響曲を始め,とんでもない量の作品があって,しかもそれらが越えがたい壁,というより山脈を形成しているもんね。ため息をつくしかない思いにかられるんだろうな。

2017年10月17日火曜日

2017.10.14 第22回コンセール・マロニエ21 本選

栃木県総合文化センター メインホール

● コンサートにはわりと出かけているけれども,1年で最も楽しみなのがこのコンクールだったりする。普段なかなか聴く機会のない曲を聴けるし。
 特有の緊張感があって,こちらにも真剣に聴く構えができる。もっとも,奏者はこういう場には慣れているんでしょうね。評価されることに慣れている。だから,ガチガチに緊張しているという風はまったく見受けられない。

● 今年はピアノ部門。ピアノってあまり上手じゃない演奏だと,ちょっとでお腹いっぱいになってしまうんだけど,コンセール・マロニエのファイナルに残るような人たちの演奏ならば,間違ってもそんなことはない。
 今回もショパン,シューマン,ベートーヴェンのソナタや,ラヴェルやリストなど,たっぷり聴いて,なお聴き飽きることはなかった。

● トップバッターは香月すみれさん。桐朋の2年生。ショパン「スケルツォ 第4番」とリスト「死の舞踏」を演奏。
 当然といえば当然なのだろうが,ていねいに演奏している。彼女がこれまでピアノに費やしてきた時間と労力,お金,そのために犠牲にしてきたであろう諸々のものたちの大きさ。そういうものを想像すると,気が遠くなる思いがするが,ステージ上の彼女は淡々と気を込めている。

● 梨本卓幹さん。藝大の4年生。今回のファイナリスト6人のうちの唯一の男性。ショパンの「ピアノ・ソナタ第3番」。
 前回から1部門ごとの開催になり(それ以前は2部門ごと),その分,一人あたりの持ち時間が増えたようだ。審査するだけならこれほどの時間は要らないだろうと思うんだけど,長く弾かせないと見えてこないものがあるんだろうか。しかし,こちらとすれば,おかげでソナタ全部の演奏を聴くことができるわけだ。
 少し集中を欠いたところがあったろうか。あるいは客席に集中を妨げるものがあったろうか。
 そんな印象を受けた。彼とすれば,少々不本意な出来だったかもしれない。

● 坂本リサさん。藝大の4年生。福岡県出身。
 ひょっとして福岡顔っていうのがある? 乃木坂46の橋本環奈が福岡県出身だったと思うんだけど,顔の枠(?)から受ける感じが似ている。ま,演奏にはまったく関係のない話なんですが。
 入念に椅子の高さを調節して,演奏したのはシューマン「ピアノ・ソナタ第1番」。
 曲への思いを表情に出して演奏するタイプ。いい悪いの問題はないと思うが,好き嫌いの問題はあって,ぼくはこういうのがあまり好きじゃない,と自分では思っていた。
 が,これが似合う人っていうのはいるね。彼女はそっち側の人。あ,これもいいかも,とか思ったんでした。

● 石川美羽さん。藝大附属高校の3年生。6人のうち,最も若い17歳。演奏したのは,ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第18番」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」。
 曲調のまったく違うこの2曲を弾きわける技量の見事さ。いたって伸びやかで,屈託のない演奏だと,ぼくには映った。
 あざとさというものが皆無。スクスクとした,あるいはハキハキとした演奏。素直さが持つ強さとでもいうべきものが,ステージから発散された。

● 内田野乃夏さん。桐朋の2年生。演奏したのは,シューマン「クライスレリアーナ」。
 彼女からも素性の良さを感じた。今日に至るまでにもちろんいろんなことがあったんだろうけど,そうしたいろんなことが,今の彼女に痕跡を残していない。一心にピアノに向かって過ごしてきて,今に至る。そういう印象になる。
 といえば,彼女とすれば反論したいことが山ほどあるに違いない。そうした事柄もすべて呑みこんだような演奏だった。ケレン味や企みなどというものは1パーセントもなし。

● 田母神夕南さん。東京音楽大学大学院に在学。ストラヴィンスキー(アゴスティ編)「火の鳥」より“凶悪な踊り” “子守歌” “フィナーレ”。それと,リスト「ノルマの回想」。
 今回の最年長。それでも23歳ですか。ダイナミックな演奏の迫力には気圧された。こんなの初めて見た。23歳とは思えない存在感。
 ダイナミックって,ややもすると表層に流れるというか,ダイナミックだけが他から浮いてしまうことがある。彼女の演奏にはそういうことがなくて,ダイナミックが地に足をつけている。大変なものだと感じ入った。

栃木県総合文化センター
● 6人のファイナリストのプロフィールを見ると,全員が3~5歳の間にピアノを始めているんですよね。それくらいで始めないと,なかなかここまでは来れないってことなんでしょうね。
 しかも,当然,これから先がある。大変な世界に進んじゃった人たちですよね。

● 奏者と奏者が発する音は切り離して,音だけを聴くべきなのかもしれない。ところが,素人はなかなかそれができない。奏者の動きや表情に引きずられて,その結果としての印象を作ってしまう。
 しかし,聴き方としては正しくなくても,そうして聴く方が楽しい。ぼくは楽しい方を選びたい。

● 今回で理解不能だったのは客席の設定。前4列を着席禁止にした。これはいい。
 が,その後ろの3列を“ご招待者席”として,同じように着席できないようにしていた。コンクールにどうしてこれほどの“ご招待者席”が必要なのかと思った。空席はいくらでもあるんだから,わざわざ“ご招待者席”を作らなくても,と。
 どうも,誰も招待していないのに“ご招待者席”を設けたらしい。結果,最もいい席が誰にも座られない状態で封印されてしまった。

● ただ,このコンクールを聴きに来る人が年々増えていることは間違いない。以前は本当にガラガラだった。客席にはチラホラとしか人がいなかった。
 今でも,空席の方がずっと多いんだけど,それでも観客がいると言っていい状態にまでなっている。今回はピアノを習っているらしい少女たちがまとまった人数で聴きに来ていたようだ。

2017.10.09 丸の内交響楽団 第23回定期演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● 池袋は東京芸術劇場へ。丸の内交響楽団の定演。開演は午後2時。チケットは1,000円(前売りは500円)。当日券で入場。
 曲目は次のとおり。指揮は横山奏さん。奏はカナデと読むが,男性だ。
 フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲
 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 ニールセン 交響曲第4番「不滅」

● が,開演前にトラブル発生。ぼくが座っている席に,そこは私の席なのですがというお客さんが来た。たしかに,同じ席番号のチケットを持っていた。
 その人のチケットは“ぴあ”が発行したもの。前売券を買ったのだろう。おそらく,前売券の販売情報が当日券売場に伝わらなかったのだろう。伝わっていたのに当日券売場で取り違えが起きたのかもしれないが。
 こちらが先客だったこともあって,その人がスタッフに掛け合いに行った。スタッフの女性が来て,ぼくのチケットを持っていった。
 もちろん,そのまま聴けることにはなったんだけれども,はなはだ後味がよろしくない。

● そもそもが,これ指定席にしなければいけないものなのか。自由席でも問題はないような気がするんだが。料金は一律なんだからね。SだのAだのっていう区分はないんだから。
 おそらくだけれども,指定席にすることがこのホールの利用条件になっているんだろうね。自由席にするんじゃお貸しできませんよ,ってことになっているのではないかと想像する。
 自由席にするとなにか混乱が起きるのかねぇ。案内するのが大変だってことだろうか。

● あと,隣に座った男性がちょっと変わった人で,一切,拍手をしない。それが気になって仕方なかった。拍手するしないは各人の自由といえば自由で,その自由を行使しているだけと言われれば,それ以上に返す言葉はない。
 が,アンタにできることって拍手をすることだけだよ,と言ってやりたくもあり,どうにもこうにも聴くことに集中できなくて。

● しかも,席がだいぶ後方のしかも右端に近いところ。件の男性氏が右端の壁際で,ぼくはその隣。この席だとさすがに,直接音しか届かないのかもしれなかった。
 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」のソリストは平山慎一郎さんで,どうやら相当な熱演のようなのだが,ぼくのところに届いてくる音はその何分の一に過ぎないようなのだ。さすがの東京芸術劇場でも死角はできてしまうということか。

● もうひとつあった。ぼくの前の席も男性で,なんだか座高の高い人だったのだ。彼の頭で視界も遮られてしまう。これもストレスになる。重なるときには重なるものだなぁ。
 ま,ぼくも同じ理由で人様にストレスを発生させているのかもしれないんだけどね。

● 休憩後,右隣の男性は消えていた。で,彼の席に移動して,ニールセンの4番を聴いた。ら,音の通りがまるで違う。聴こえてくる。ステージの臨場感も伝わってくる。
 こんなことがあるのか。ホールの構造,造作からはこういうことが起こるとは考えにくい。
 座高氏の遮りがなくなって視界も開けたのが効いているんだろうか。つまり,こちら側の心理に依拠するんだろうか。ひょっとすると,座高氏が音を吸い取ってしまっていたのか。
 いや,戯れ言はともかく,こういうことがあるんだねぇ。寸でのところでこのホールに誤った印象を持ってしまうところだった。

東京芸術劇場
● そのスッキリした状態で「不滅」を聴くことができた。生では聴いたことがなかった曲。いや,CDでも聴いたことはなかったな。
 2番「四つの気質」は2012年に当時のマイクロソフト管弦楽団の演奏で聴いたことがあるんだけど,結局それがニールセンの交響曲を聴いた唯一の経験になってしまっている。

● ニールセンがこの曲に「不滅」と題を付けたことの時代背景は,プログラム冊子の曲目解説にある。が,このタイトル,要らないような気もするんだが。
 いや,このタイトルがニールセンの曲想の元にあるもので,発火点になっているのかもしれないんだけど。

● 演奏にはいささかの不満もなし。これほど巧いアマチュアオーケストラが東京にはいくつあることか。いつも思うことを今回も思った。圧倒的な東京一極集中。
 この席でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をあらためて聴き直してみたいと思った。それだけが後ろ髪を引かれる思い。