2017年1月25日水曜日

2017.01.22 Nonette Pipers Ensemble 第32回定期演奏会

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● Nonette Pipers Ensembleは,地元で活動している木管アンサンブルの団体。ぼくがこの団体の演奏を聴くのは,これが3回目。29回30回を聴いている。
 つまり,昨年は聴いていない。たぶん,他の演奏会と日程が重なってしまったのだろう。

● 失礼なことを申しあげるようだけれど,今日,南図書館に行ったのは別に用事があったからだ。したらば。ホールの入口に人が集まっているので,何事ならんと思ったところ,この演奏会だったんでした。
 で,500円で当日券を買って入場。開演は午後2時。

● 失礼ついでにもうひとつ。この日はサントリーホールで京都大学交響楽団の東京公演もあったんですよ。曲目はマーラーの2番。これは聴いておきたいと思って,「チケットぴあ」でチケットを購入していたんだけど,日常におけるフットワークの悪さが災いして,コンビニにチケットを受取に行ったときには,すでに引換期間が過ぎていた。アッチャッチャッチャ。
 再度,「チケットぴあ」を見たときには,ソールドアウト。というような事情もあった。

● 曲目は次のとおり。
 カンビーニ 木管五重奏曲第3番 ヘ長調
 ドビュッシー 小組曲 ヘ長調
 シューベルト(スピラ編曲) 幻想曲 ヘ短調
 ラフ 十人の奏者のための小交響曲 ヘ長調

● ところで,このNonette Pipers Ensemble。メンバーは好きで長くやっていますという感じではない。
 若い頃に集中してそれだけをやっていた時期を持っている人が多いのじゃないか。つまり,音大を出ている人たちの集まりのように思える。あるいは,音大ではなくても学業はそっちのけで音楽に没頭していたとか。

● 木管の調べの特徴をごくザックリと大括りに言ってしまえば,柔らかさ。その心地よい柔らかさを満喫できる。
 柔らかさだけではない。木管の集合によって生まれるダイナミズムや,綾の重なりによる,木管の表現力の多様さも知ることができる。

● しかし,弦楽四重奏がそうであるように,木管アンサンブルも聴き手にかなりの鑑賞能力を要求するようだ。管弦楽を聴いている方が,聴き手としては楽だろう。
 正確にいうと,ヘボな聴き手は管弦楽の方が楽だろう。ぼくもかなりヘボなので,こういう演奏会とオーケストラの演奏会が同じ日にあったら,オーケストラの方に行ってしまいそうな気がする。

● ドビュッシー「小組曲」とシューベルト「幻想曲」の印象が強かった。どちらも何度か生で聴いていると思う。が,木管のみの演奏で聴くのは初めてだ(「幻想曲」にはピアノも入った)。
 プログラムノートの曲目解説には,「この曲は,シューベルトが音楽教師として貴族に雇われたとき,その娘に恋をし,「かなわぬ恋」の思いを曲に託したと言われています」とある。
 その貴族とは,ハンガリーのエステルハージ伯爵であり,娘とはカロリーネ嬢(当時18歳)。美人だったのだろう。実際,Wikipediaには「1828年の発表時にカロリーネに献呈している」とある。

● しかし,献呈しているからといって,彼女に恋をしていたのかどうかはわからない。そうだということになったのは,映画「未完成交響曲~シューベルトの恋」の影響だろう。映画に描かれているところを真実だと思ってしまった人たちが多かったゆえ(中川右介さんの受け売りなんですが)。
 けれど,「かなわぬ恋」を曲に託したと受けとめた方が腑に落ちるのであれば,そのように受けとめた方がいいんでしょうね。

2017年1月19日木曜日

2017.01.15 宇都宮クラリネットアンサンブル第9回演奏会

栃木県総合文化センター サブホール

● この団体の演奏会は,今回が3回目。第5回6回を聴いている。開演は午後7時15分。入場料は500円。当日券を購入。

● 曲目は次のとおり。宇都宮北高校吹奏楽部のOGがメインということもあってか,吹奏楽よりの曲目が多い印象。
 吉松隆 パラレル・バード・エチュード
 高橋宏樹 3つの魔法
 鈴木英史 ファスター・ラプソディー
 デュファイ 「オーディションのための6つの小品」より
 石川亮太 クラリネット・クイーンテット!
 ピアソラ デカリシモ
 森田一浩 熊本民謡の贈り物
 Japanese Pop Culture セレクション
 真島俊夫 ラ・セーヌ

● ステージが発散するオーラも吹奏楽的なもの。あんまり難しいこと言わなくてもいいんじゃん,楽しんじゃってよ,っていうような。
 はい,楽しませていただきましょ。

● 今回のプログラムで最も印象に残ったのは,ピアソラ「デカリシモ」。ピアソラの作品の中では明るいというか,軽い感じの曲。
 クラリネットはいろんな表情を出せる楽器なのだろうけど,軽快にステップを踏んでポンポンと上がっていくような曲をクラリネットで演奏してもらうのが,ぼくの好み。

● 回を重ねるごとに出演者が増えているとのこと。今回は20名。男性がいた。しかも,2人も。
 事実上の宇北校吹奏楽部OB・OGの楽団だとすると,OB・OGがどんどん増えていけば,ひとつの楽団に収まっていることが難しくなることもあるんだろうな。はるか先のことではあろうけれど。

● 何人かの団員が短いMCを務めたんだけど,MCってけっこう難しいものなんだね。髙梨佳子さんが上手だった。声質もMCに合っているんでしょうね。
 ほかはどうだったかというと,うぅむ。MCは難しい。

● アンコールに登場したのが,星野源の「恋」。これ,演奏だけで収まるはずはないよね。「恋ダンス」になるわけですよ。
 ぼくはドラマ「逃げ恥」は見てなかったんだけど,「恋ダンス」はさすがに知っている。YouTubeの動画を何度も見た。
 なんだけど,こういうのって賞味期限が極端に短い。今,これをやるのはどうなのか。かなり微妙なところではないか。あ,ここ,田舎なんだ,と思わせるところがなくもないような。

2017年1月17日火曜日

2017.01.09 那須野が原ハーモニーホール ニューイヤーコンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● このコンサートに出向くのは,これが4回目になる。正直,去年のを聴いて,もうこれで打ちどめにしようと思った。
 が,なぜか前売券を買っていた。なんでだろ。なんでだろって,その理由はわかっている。第2部の「カルメン」に惹かれたわけだ。それ以外に理由はない。

● 開演は午後2時半。チケットはS席が3,000円。A席が2,000円。S席チケットを買っていた。前から3列目。
 オーケストラが乗るわけではないから,かなり前でもいいかなと思ったんだけど,少ぉし前すぎたかもしれない。

● 第1部はオルガン+α。曲目は次のとおり。
 宮城道雄 春の海
 バッハ 古き年は過ぎ去り
 デュリュフレ スケルツォ
 フランク 英雄的小品
 フォーレ 夢のあとに
 山田耕筰 この道
 バーンスタイン 「ウエストサイドストーリー」より『トゥナイト』
 プッチーニ 「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』
 J.シュトラウスⅡ 美しき青きドナウ

● 最初の4つと最後の「美しき青きドナウ」はオルガンの独奏。奏者はジャン=フィリップ・メルカールト氏。このホールのオルガニストゆえ,もう何度も聴いている印象があるんだけど,実際に数えてみるとそうでもなかったりするかも。
 フォーレ「夢のあとに」は寺田功治さんのバリトンが加わる。というか,バリトンの伴奏をオルガンがする。
 山田耕筰「この道」には大貫裕子さんのソプラノ。「トゥナイト」と「誰も寝てはならぬ」には渡邉善行さんのトロンボーン。
 オルガンは単独で主役を張るより,伴奏に回った方が,持ち味を発揮する楽器ですか。そんな気がした。

● ところで,ぼくの隣にはおば様がいらっしゃったのだけど。そのおば様,途中からお休みになられたようで。気持ち良さそうに寝息を立てて。
 っていうか,寝息じゃないわ,イビキだわ。隣の席からイビキが聞こえてくるという。さすがにこれは初めての体験。

● コンサート会場で生演奏を聴きながら寝る,というのはかなり贅沢な体験になるのじゃないかと思う。生演奏を寝るために活用するというのは,コンサートの使い方としてはありなんじゃないかと思っている。
 奏者からすれば,ちょっとちょっとってことになるのかもしれないけど,そこはお金を払ってチケットを買っているんだから,他者の迷惑にならなければ,何をしようとかまわない。

● なんだけど,イビキは他者の迷惑になるようなのでした。起こすわけにもいかないし,困ったよ。
 結局,そのおば様,第2部は聴かずに帰っていかれたようなんだけど,なんでお出でになったのですかとお訊ねしたい。
 チケットを買った人が都合で行けなくなったので,代わりにあなた行ってきてよ,ってことになったのだろうか。それともご本人が行くつもりでチケットを買ったんだろうか。

● 万が一,後者だとすると,もったいないと思うなぁ。3,000円っていうのは,チケット代としてはけっこうな額になる。プロのオーケストラでも5,000円以上の値を付けるのは,わりと勇気がいるんじゃなかろうか。
 3,000円をこういうふうに使えるのは,太っ腹だ。しかも,第2部は捨ててしまったわけだから。

● さて,その第2部。歌劇「カルメン」のハイライトをコンサート形式で,ってことなんだけど,ステージにオーケストラがいるわけではない。ピアノが2台(御邊典一,御邊大介)と太鼓(岩下美香)があるだけだ。
 実際の印象はコンサート形式のオペラというよりは,著名な場面のアリアを集めたという感じ。アリア集といった趣だった。ハイライト演奏なんだから,当然そうなるんだろうけどね。

● だからダメというのではなくて,むしろ逆だ。かなり聴きごたえのある「カルメン」になった。第一の功績は,脇を演じた人たちにある。
 フラスキータの西口彰子さん,メルセデスの郷家暁子さん,ダンカイロの荒井雄貴さん,レメンダードの升島唯博さんの4人の功績。
 特に,西口さんと郷家さんの“華”は大したもので,聴衆の視線を最も集めていただろう。

● ミカエラの大貫裕子さんもチャーミング。実力も申し分ない。第3幕で,ホセに対する切ない気持ちを独白するするところなんか説得力,無類。
 劇中のミカエラは,田舎しか知らない17歳の娘。ホセの母に養われた孤児。ホセとは兄妹のように育った間柄で,ホセ母の覚えめでたく,ホセ母はホセとミカエラが結婚してくれることを望んでいる。
 それを受けて,はるばる故郷の村から,ホセに会うためにセビリアに出てくる。当時,田舎者が都会に出るには,それだけで相当な踏ん切りを要したはずだ。都会は危険の塊だったろうから。
 一途にホセを想う気持ち。ホセを連れ帰るためなら何でも差しだすという気迫。つまり,ミカエラは可憐なだけではない。覚悟を決めている強い乙女だ(女に覚悟を決められたら,男は太刀打ちできないはずなのだが)。
 リアルの世界にミカエラのような女性がいるはずはない。男性作家の空想の産物なんだけど,それを歌と演技と佇まい(それから衣装も大事でしょ,ここは)で表現しなければならない。
 大貫さんが歌ってみせたアリアは,そのひとつの回答。

● カルメンを演じたのは鳥木弥生さん。歌とか演技とか,オペラの本体をなすところについて,ぼくが申しあげるのは僭越というものだ。っていうか,不満は何もない。
 したがって枝葉末節を突っつく話になるんだけど,鳥木さんの顔って,良家の子女という感じ。幼稚園とか小学校の先生にいそうな。
 ということはつまり,カルメンに見えない。そこを衣装や髪型や化粧でカバーすることは充分にできるんだろうけど,ステージ上の鳥木さんはお嬢さん育ちで何不自由なく暮らしてきたよっていうイメージの女性なんだよね。
 何者にも頼らず(頼れず),自分の才覚と価値観だけで生きていくしかない,半ばストリート・チルドレン(チャイルドではないわけだが)のようなカルメンの野性味,凄味といったものを,こちらとしては想像力で付加していくしかない。

● エスカミーリョは闘牛士であり,花から花へと渡っていくドンファン的なところもある役柄だ。日本人でそれを演じきれる人なんて,そうそういない。日本に闘牛士なんてプロフェッションはないんだし。
 寺田功治さんも,熱演は充分に伝わってきたんだけど,闘牛士に見えない。
 オペラの見方はそういうものじゃないんでしょ。歌で役を支えることができていれば,それ以外のことは聴衆が想像力で補ってくれよ,ってことなんでしょ。
 だから想像力を掻きたてようとするんだけれども,けっこう難しい作業なんだな,これが。小さい頃からテレビで育ってしまっているから,画は与えられるものと脳が思いこんでいるのかもしれないんだ。

● ドン・ホセの役柄は,逆に一般的というかどこにでもいそうな,ちょっと困った男だ。ミカエラがいるのに,カルメンしか見えないという。
 とっくに自分に冷めてしまっているカルメンを,そうと知りながら殺してしまう熱情は,日本の風土には馴染まないかもしれないと思っていた。
 けれど,最近もこの種の殺人事件があったなぁ。こういうのって,洋の東西や時の古今を問わないんだなぁ。
 高田正人さんは丁寧にホセの内面を表現していて,危なげがない。実力のある人なのだろうな,と。

2017年1月12日木曜日

2017.01.08 TBSK管弦楽団第7回定期演奏会

横浜みなとみらいホール 大ホール

● 今年の聴き初めは横浜でTBSK管弦楽団。この楽団の演奏会は2回目になる。1年前の第5回定演を聴いている。
 開演は午後2時。入場無料。
 曲目はオール・ラヴェル。次の3曲。指揮は久世武志さん。ピアノは山田剛史さん。
 ラ・ヴァルス
 ピアノ協奏曲 ト長調
 バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲 

● オール・ラヴェルでなければ,横浜まで出張ることはなかったと思う。昨年7月にスペイン国立管弦楽団で聴いた「ボレロ」の印象がまだ残っている。
 自分のいるホールがそのまま宇宙のすべてになったような感覚。あんな感覚をまた味わえればと思ったんだけど,なかなかそういうわけにはいかない。あれは「ボレロ」なればこそ,でしたね。

● 少し出遅れたせいもあって,座った席が2階の左翼席の2列目だった。ステージの全部は視野に入らない。
 前列に座った人の頭が邪魔になることはないけれども,落下防止の手すりはどうしたって目に入ってくる。ステージと自分の間に防護柵のポールがある。それが邪魔だ。
 そのせいだけにするつもりはないけれど,どうも演奏に没入できなかった。

● そこで。休憩時に比較的空いていたP席に移ることにした。中央の2列目。P席は初めてなんだけど,これはすごい。何がすごいって,ステージがほんとにすぐそこにある。
 指揮者を正面に見るから,自分も指揮されているような感覚を味わう。

● さらに,打楽器がもっとも近くにあり,その先に金管,木管。ヴァイオリンは最も遠いところから聞こえてくる。不思議な感じだ。
 コンミスがよく見える。どの位置からもコンミスはよく見えるのだな。それでこそ,コンミスは第二の指揮者の役割を果たすことができるわけか。そうだったのかという発見。

● 普通に客席からステージを見ると,奏者はオーラをまとって見える。仰ぎ見る感じになる。
 が,P席から見ると,それがないっていうのも発見だった。実物大の彼ら彼女らを見ることになるっていうかね。
 で,ここの楽団員の平均年齢はかなり若いことがすぐにわかった。現役の学生もいるんじゃなかろうか。ひょっとしてひょっとすると,高校生もチラホラいるんじゃなかろうか。
 後日,プログラムノートを確認したら,「団員の多くは大学生や院生」とあった。所属大学のオケのほかに,この楽団でも活動しているということだろう(同じことを前回も書いているなぁ)。

● 入場無料なんだけど,終演後にカンパを募る。これだけ若々しくて,キビキビした演奏を聴かせてもらったのだから,カンパに応じるのはやぶさかではない。
 ただね,もっと堂々とやったらいいと思った。カンパ箱ももっと大きい方がいい。遠慮がちという風情があって,それだと出す方も出しにくい感じがした。カンパを募っていることに気づかない人もいたはずだ。

2017年1月6日金曜日

2017.01.05 間奏52:ステージと客席の間に入りこむ市場原理

● 消費市場の理屈がコンサートやリサイタルにも混入しがちだ。演奏する側が,聴衆をお客様として持ちあげすぎるきらいがあるように思う。
 演奏する側=供給者,生産者,販売者。聴く側=需要者,消費者,お客様。となれば,売る側より買う側が優位に立ちやすい。

● 音楽が成立するためには3つの条件が揃わなければならないとされる。第1に聴衆の存在,第2に大ホールの存在,第3に高度な印刷技術(楽譜の印刷)。
 この3つの中で最も重要なものは聴衆だろう。聴いてくれる人がいなければ,どうにもならない。

● しかも,もう総人口は減り始めている。ホールへ足を運べなくなる高齢者が毎年出る。それを埋めるだけの新規参入者が若年層から供給されるとは,少し以上に想像しにくい。
 それでなくても,日本はクラシック音楽が隆盛な国だ(と思う)。現にホールに足を運んでいる聴衆の後ろに聴衆予備軍が部厚く控えているとは思えない。聴衆予備軍のほとんどはすでに聴衆として開発されている。

● 反対に,演奏者は年々増えているように思われる。音大卒は毎年積みあがる。長生きするようになったおかげで,上はどんどん詰まってくる。
 演奏したい人は増え,聴きたい人は減るとなれば,どうしたって聴衆はお客様として持ちあげられることになる。奏者に対して優位に立つ。表面上は。

● 優位に立つ(と錯覚する)とスキが生じる。脳天気なことを言って恥じぬようになる。心しないといけない。
 基本,演奏する側は玄人,聴く側は素人,ではないか。まぁ,聴く側にごく少数の例外はいるのだろうけど。

2017年1月5日木曜日

2017.01.01 間奏51:初心に戻れと自分に言い聞かせてみる

● このブログは,コンサートに出かけていって,それを聴き,その様子や感想を文章に翻訳しているだけのものだ。
 読んでくださっている人たちの多くは,それら楽団のメンバーの方々ではないかと思う。そこから先に広がっていかないのが,目下の悩みだ。
 とはいえ,5年弱でPVが20万に到達した。すべてが真水ではないとしても(かつて,スパムアクセスが猖獗を極めたことがある),当初の予想からすれば大成功なのだ(そんなアクセス数でいいなら半年か1年で集めてるよというブログもあるに違いない。羨ましい限りだけれども,ぼくには遠い別世界の話になる)。

● それ以上を望むようになるから,あれこれ考えてしまうわけだ。ブログを更新するのは努力以前の話で,その努力以前のことをまずは確実に行うこと。
 そこから先が努力ということになるのだけれど,その努力とは具体的に何をすることなのか。

● CDで多くの曲を聴きこむことか。音楽関係の本を読んで知識を増やし,勉強を深めることか。
 うまく言えないんだけど,ぼくがすべきことはそういうことではないような気がする。そういう大それたことではないんだと思うんですよね。

● プロであれアマであれ,演奏する側は気を入れて演奏しているはずだし,演奏の裏にはその何倍かあるいは何十倍かの練習が隠れているはずだ。
 それを聴いて感想を書くのだから,こちらも裏側でそれなりの時間をかけているのでなければならない。それなしに,お気楽に感想を書いてネットに垂れ流すだけでいいわけがない。

● というわけで,具体的に何をすればいいのかはわからないんだけど,努力以前であってもともかく更新を重ねていこう。
 ただし,数を増やせばいいというものでもない。ひとつひとつに気をこめて,ていねいに更新するところから再出発だ。
 ぼくのキャパだと,あまり多く聴くと,1回あたりの聴き方がおろそかになる。気持ちがこもらなくなってしまう。それを文章化する作業においても同様だ。

● が,少数精鋭で少なく聴くという方法は採用しない。そんなやり方でいいのは,聴くことの達人に限られる。ぼくのような凡人がそんなことをしたら,耳が退化する一方になるだろう。
 そのあたりの兼ね合いがある。自分なりのペースが自ずとあるはずで,それに従えばいい。となると,今までと何も変わらないことになるかなぁ。

● 音楽を聴くのが好きだし,それを文章に置き換えていく作業もそんなにイヤじゃない。好きなことをやっている。だから続けてこられた。
 さらに,読んでくださる方がいるという事実が,自分の背中を押してくれる。継続の推進力になってくれる。
 読んでくださる方々からいただく何ものかによって,自分の好きなことをやってこられたのだ。これからもやっていける。

● 昨年,半ば,人生を捨ててしまいたくなる出来事があった。が,過ぎてみればコンサートに行けるようになった。行けばそれをブログにしてアップする。
 そのことが,とても嬉しく,とてもありがたい。あ,これを繰り返している間は生きていられるんだ,と気づかせてもらえただけでも。

● これまで読んでいただいた皆様,本当にありがとうございました。
 お顔も知らずお名前も存じあげない皆様の存在が,しごく大げさに申しあげれば,ぼくが生きていく糧になってくれています。本当にありがとうございます。